はじまりの日──茅場晶彦によって、ゲーム開始が宣言された日から一夜明けた、SAO生活二日目の昼。
先日、心が奪われるような絶景に強さを誓った俺ことバージル(偽)は……とくに剣を振るうこともなく、はじまりの街の転移門広場の中心でボーっと突っ立っていた。
昨日の頭痛が痛い感じの強くなる宣言はどこへやら、鏡を覗かなくても判るほど、俺の気力と呼べるものは萎みに萎んでいる。例えるならそう――パンパンに膨れ上がった風船を、一本の縫い針が貫いたような。
『あーあ……面倒だなあ、どうしてこうなったのかねえ』
俺だって剣を修めようと努力しなかったわけじゃない。
実際に午前中は、早朝から宿屋を出て近場のフィールドのMobに戦闘を吹っかけたりしていたのだ。敗北を喫するような体験をしたわけでもなく、初めて戦う敵相手に見事に勝利を重ね、少しばかりの路銀を稼ぐこともできた。
では何が俺の決意を粉々に打ち砕く原因になったのか。
結論から言えば、基礎的な戦い方を教示してくれる人が居ないことと……俺の絶望的なまでのセンスの無さだ。
前提として俺はガワはバージルだが、中身はただのVRゲーム初心者だ。これは気合だけでどうにかなるようなものではない。モンスターと相対した時の基本を懇切丁寧に教えてくれる先生役が必要になる。
ただ……今も言ったが俺のガワはバージルなのだ。体がゴツくて顔の怖い身長百八十センチ強の男がヘイコラ頭を下げる様は見るに耐えない。それに、天上天下唯我独尊のバージルが父のスパーダ以外に師と呼ぶような人物なんて居るわけがないだろ!
『つーわけで、俺のプライド的に誰かに教えてもらうってのはナシだ。……それに先生が居ないってだけならぶっちゃけ我流を通せばどうにでもなる。問題なのは――』
そう、問題なのは俺の酷すぎる《ソードスキル》のセンスだった。
ソードアート・オンラインというゲームの基本にして醍醐味である
当然SAO原作を知っている俺も、いつかは使ってみたいと憧れを抱いてはいた。だが憧れとは虚しいもの。そして現実は非情だ。
序盤の雑魚敵である青イノシシに、俺が嬉々として放った曲刀カテゴリの突進ソードスキル《リーバー》は、技の本来の軌道である直線の軌跡を残すことはなく、見るも無惨なムチャクチャに折れ曲がった軌跡を描いた。もちろん、無事に外れた。
────なんでやねん。
『始動の構えは間違ってないし……刀身は光ってるからソードスキルの発動自体は出来てるんだろうけど……なぁ』
ここで、教えを請う相手がいないという問題が足を引っ張ってくる。どんな部分を直せばいいのか、どこがダメでこうなるのか──そもそも修正するべき箇所はあるのか。どれも一人でいる限り真相は闇の中だ。
だが、群れるのはバージルの生き方に反する……もう八方塞がりである。午前中の出来事だ。
まさに五里霧中だった俺だが、ボッチ御用達の路地裏で、昼食の質素なパンに齧りついた時に一つだけアイデアが浮かんだ。
それは、他のプレイヤーに
その為、渋々実行に移すことに。
そう、俺が転移門の横に突っ立っているのは、周囲のプレイヤーたちの中から手頃な人物を探しているからだ。横目で近くを通り過ぎる彼らを一人一人眺めて、相応しい人物を見極めている。
俺は再度、通りへと目をやる。
『…………うーむ』
ゲーム開始から一日過ぎただけにしては、人通りは無いほうか。初期スポーン場所というゲーム的に主要なエリアなのは確かなはずだが、何千人もの人が詰まっている街でこうもガラリとした印象を覚えるのは、果たして如何なる理由があるのか。
道行くプレイヤーの一人に注目する。
よくよく見てみると、何やら顔色が悪いようだ。目線も重しでも載せられているのか、石タイルの敷き詰められた地面に落ちている。
……多分、百円硬貨でも失くしたのだろう。俺はそう結論付けて、対戦相手探しを再開することにした。おそらくだが、俺ごときには計り知れない壮大な出来事があったのだ。詮索するだけ野暮というやつである。
兎にも角にも、理想は経験豊富な元βテスターに相手をしてもらうことだが──訳あって、彼らはテスターだったという身分を明かすことはほぼ無い。
ぱっと見で何百人以上はいるプレイヤーたちの中から、元βテスターをドンピシャで当てるのは至難の技だろう。……そしてそれ以前に、俺の今後に関わる致命的な問題が浮き彫りになる。
『……やっべ。どんな風に声をかけたらいいのかわかんねえ』
悲報。俺氏、コミュ障だった。
『俺の馬鹿……今の俺は
思えば、俺の周辺だけ不自然なほどに人通りがない。無意識の内にドギツい陰のオーラが溢れ出ているとでも言うのか。畜生。
こうなったら、無理矢理にでも一人捕まえてやる。もうβテスターでなくとも構わない。選り好みなんかしてる暇があるなら、適当なプレイヤー相手に実戦を重ねた方が確実に剣の腕は上達するはず……。
『────うん?』
……と、今さらだが気づいたことがある。
どうやら誰かに見られているようなのだ。ネバっと身体中を這うような感覚──これは絶対に人のことを盗み見ている奴の視線だ。
何だよ、別に俺はあの時みたいに恥ずかしい行為はしてないぞ。ただ突っ立ってるだけ──はっ! さては、俺が昨日のような醜態を晒すのを待っているんだな!? てことは逃げたアイツらの仲間だな貴様! 許せん、断じて許せん。
すぐにでも断罪しに──いや待て。逆にこれはチャンスではないだろうか? 今、のぞきの犯人には少なくとも“盗み見ていた”という負い目がある。なら現行犯確保した場合──
剣の練習……デュエルの相手になってもらうという交渉を。
「フン……丁度良い」
ふはは、我ながら天才だ。ニヤニヤが止まらないぜ。
決めたのなら即行動、男の鉄則だ。さっそく辺りを見渡してみれば、怪訝な顔で俺を見つめるプレイヤーの姿があった。よく目立つ赤のバンダナを頭に巻いていたお陰で、発見は容易かった。
俺はゆっくりとした歩調で、そのプレイヤーにジリジリと詰め寄った。
「うお……おっ……!?」
バンダナの男は素っ頓狂な声を上げ、啞然とした表情で俺を見上げる。とうやら突然のことに困惑している様子。当然の反応だ。
しかし、この男は昨日の頭痛が痛い現場を目撃した罪深い人間の仲間だ。容赦はない。
────さて、俺流の決闘の挑み方を教えてあげよう。それは……………………脅喝である。
*
その日は憎たらしいほどに晴れた日だった。
空を仰いでみれば、お天道様の放つ光で目が眩む。そんなこと、当然と言えば当然のことだが、少し調子が良すぎるのではと思うと同時に、どうしても考えてしまう。
こんな最悪でクソッタレな日には、快晴じゃなくて大雨がお似合いだ……と。
「こりゃあ本当に何キロ四方もある街なのかよ」
道端の側溝に唾を吐き捨てるかのようにつぶやく。
はじまりの街。そんなありきたりで、ゲームの最序盤に訪れそうな名を称したのがこの場所だ。名前だけ聞いたのなら、どこか融通の気かない箇所のあるこじんまりとした街を想像しそうになるが、それは早計というやつだ。
この街はとてつもなく広い。少なくとも一万人は余裕で入れるくらいは。
それを踏まえて街の解釈を大きく広げれば、自然とここの景色が脳裏に浮かび上がってくることだろう。ガヤガヤと街中の至る所で人々の喧騒が聞こえるような、賑やかで活気に溢れた街であると。
だが、現実は違う。耳に入ってくるのは、
『……ダメだ、空気が重え。ここにいるやつ皆、気分が落ち込んじまってるんだ』
――そうなるのも仕方ない、か。漠然とした事実が頭をよぎる。
自分を含め、プレイヤー全員が帰る場所を失くしてしまったのだから。現実と隔絶されたこの世界には、大切な家族も、生活も、仕事も……すべて存在しない。そんな寄りかかる物のない場所で生きる意思など持てるものか。
それに加え、脱出するには遥か高みにある第百層を目指さなければならないときたら、誰だって不安と絶望で押しつぶされるに決まってる。
「なんでこうなったんだろうな……ゲームだってのによ。ゲームってのは、楽しく遊ぶためにあるものだろ……?」
“これはゲームであっても遊びではない”。茅場晶彦のあの言葉は、今思うとこのことを暗示していたのだろうか。
んなことに気づける訳が無え。オレだってつい昨日までは、ただのキャッチコピーみたいなものだって信じ込んでいたんだ。
こんな状況に陥るなんて……これっぽっちも……。
「…………ピザ、とっくに冷めちまってるだろうなぁ」
つい弱音が口からこぼれる。やはりこの仮想の現実を、まだ完全には受け入れられていないのかもしれない。
いつの間にか下に向かっていた目線を、無理矢理上げて周囲を見渡す。辺りには、トボトボと歩くプレイヤーの姿が無数に散見している。自分も彼らと同じ……一日中地面を見つめながら無気力にその日を過ごす人間の一人なのだろうか。
答えは、出なかった。同じではないとは言い切れない。だがアイツは……。
脳裏にある青年の後ろ姿が浮かぶ。それは徐々に、背丈の低いあどけない印象の残る少年へと形を変えた。
SAOにログインした直後に、戦い方をレクチャーしてくれと無理に頼み込み、その時こそ迷惑そうな顔をしていたが、最後の別れの際まで自分のことを思ってくれていた男。ここでできた初めての……友人。
……アイツは、この世界を生き抜くと決めた。ダチが頑張っているのに、オレが頑張らないでどうする。ここで背中を追わなかったら、それこそ――友人失格じゃねぇか。
『ウダウダ考えんのは止めだ。オレもこの世界を生きる。そんでゲームクリアするまで、生き抜いてやる……!』
覚悟していたはずなのに、つい悪い空気に飲まれてしまった。転移門広場まで来たのは何もネガティブ思考に陥りにやってきた訳ではない。はじまりの街全体の状態を把握する為だ。
『《風林火山》のメンバーも、あちこちを回って情報を集めてくれてる。午前中の段階で確実に判明してるもので言えば、今のところはじまりの街からは自殺者は出ていないってやつだな』
パニックになって良し悪しの区別もつかなくなった一部のプレイヤー達が、何故自身の衝動を抑えていられたのかは謎だが、結果的に言えばそれは幸いなことだ。運命というやつにでも感謝しておこう。
「そんじゃあ、今オレがすべきことは……」
再度、周囲に視線を巡らせる。そこにはさっきと寸分の様子の違いもない、すっかり気分が沈みきった人々がいた。
――どうにか、元気づけてやれたらなぁ……そう思案するも、ただの一プレイヤーであるオレが出来る事なんてたかが知れてる。ちょっとやそっとの行為じゃ、励ましにもなりやしないだろう。
それにオレの頭は、ここの全員を余さず鼓舞する都合の良すぎるアイデアを思いつくような便利なモノではない。
『いっそのこと、広場のど真ん中で寒い一発ギャグでも披露しちまうか……?』
荒唐無稽な話だが、こうも万策尽きた状態では試す他ない。
「……やってみるか」
両手で頬を何度か叩いて気合を込める。そしてオレは、ここが転移門広場と呼ばれる所以――中央部にある外国の神殿味のある柱、現在は機能していない《転移門》の方向へ足を進めた。
*
『────畜生め、どうしてこうなっちまった。オレは寒いギャグを一発カマして、皆の笑いものになろうとしただけなんだがな……!』
数分後、バンダナを頭に巻いた野武士面のプレイヤー“クライン”は、やり場のない後悔に苛まれていた。
悩みの種は、クラインから何メートルか離れた位置に陣取る男だ。自分の得物と同じ曲刀を携えて、寸分の隙もない極限まで脱力した構えを取りながら自身を見据えている。その双眸は、今にも斬りかからんと鈍い輝きを放っていた。
『こっ、怖ぇ〜ッ! 反則級だろその顔面は! 社会に出て何年か過ごしてるけどよ、あんな反社顔負けの威圧感は初めて浴びるぜ……』
男と出会ったのはほんの二、三分前だ。転移門の近くに移動したクラインは、その途中で他とは異なった外見のプレイヤーを発見した。キラキラと陽光を反射する銀髪をオールバックに纏めた、転移門に体重を預け、道行く何人ものプレイヤーを次々と目で追う大男だ。
日本国内限定のサーバーであるために、ほとんどのプレイヤーが黒や茶色の頭髪であるこのSAOの中で、大柄で銀髪の男性という要素は、一際クラインの目を引いた。オレよりも身長が高えな……だったり、外人なのだろうか――などと、様々な想像を膨ませていたクラインは、ソレに気づくのが遅れた。
男が、背筋がゾクリとするような能面で自分を見つめていることに。
──丁度良い、と男が呟いた時には、心臓が止まるかと思ったほどだ。
恐怖で思考回路がパンクしたクラインは、己が知らぬ間に男と剣を交えることになった事実に驚愕した。それを視界に表れたデュエルの通知で知ったクラインは、死にもの狂いでその申請を拒否できる道を模索したが……あの人を人とも見ていないような冷徹な視線を全身で浴びた時を思うと、そんな道はないのだと本能で理解することになる。
つまり、戦うしかないのだ――あの男と。
『勝てるビジョンが見えねえ……けちょんけちょんにされる未来しか待ってないだろコイツはよ』
恐る恐るこちらも曲刀を構える。剣に触れて二日目の拙すぎる構えだが、棒立ちよりかはマシに見えるだろう。
スタートまであとどれくらいだ……? と、スッと上に視線を移す。そこには残り三十秒を切ったカウントダウンと、《Klein》vs《Vergil》という対戦表記があった。
『バージル……それがアイツの名前か』
どういった意味合いが込められたプレイヤーネームなのかは定かではないが、少なくとも自分のリアルの名字に因んだ“クラインの壺”よりかはマトモな理由があるはずだ。
『……なんでバージルはいきなりデュエルを挑んできたんだ?アイツには何か、オレには到底察せないような深い考えがあるって言うんじゃねえだろうな?』
バージルの顔を覗き込んでみるが、返ってきたのは震え上がるような極寒の眼差し。クラインの寿命がほんの少し縮むだけに終わった。
ここで馬鹿正直に訊いても、あのしかめっ面がピクリと動くところが想像できない。言ったところで素直に答えてくれるなどという甘い考えは、今すぐ捨てるべきだ。
ならば残るは、強制的に……。
『……上等だ。やってやろうじゃねえの』
右手の曲刀を、肩に担ぐ。体を後ろに引いて、峰を垂直に押し付けながら、全身の力を溜めるイメージを頭の中で働かせる。すると、それに答えるかのようにクラインの剣にオレンジ色の光が集中した。
曲刀ソードスキル《リーバー》。
『オレが勝ったら────その口割ってもらうぜ、バージル!』
上空に浮遊する待機カウントがゼロを刻むと同時に、クラインは体が引き寄せられる感覚に身を任せ、前方に駆け出した。