数分後、クラインは再度バージルと向かい合っていた。
場の緊張した空気、お互いの構え、固唾を呑んで観戦するプレイヤーたち……何もかもがさっきと同じだ。
けど、確実に違うものが一つある。それは──クラインの勝利への渇望だった。
「ふう────……」
軽く息を吐き、心を落ち着ける。
集中しろ。オレは勝つ……勝って、証明してみせる。バージル、オレはアンタが想像する弱者なんかじゃねえってことを。
六十秒たっぷりの準備時間が、長いようにも短いようにも感じる。初戦こそ、冷や汗をダラダラ流しながら待機していたものだが、今は不思議と少しの緊張すら感じなかった。
一人のゲーマーとして、強敵との対戦に燃えている……とでもいうのだろうか。
もしもそうならば……ゲーマー冥利に尽きるというものだ。
『……いいねえ、ゲームらしくなってきた!』
ついに────ビイイ!! と、開戦の知らせを告げる音が鳴った。
「おりゃあああああッ!!」
気合の一声と共に、クラインはバージルに向けて駆け出す。今度は、ソードスキルは使わずに。互いの距離が半分を切った辺りで、曲刀を上段に振りかぶり、そのまま飛びかかった。
袈裟に振り下ろした猛烈な一閃は、バージルに利き手の方向へと半身を引かれることで見事に空を切った。
『やっぱ躱すか……!』
しかし、攻撃が空振ったというのに反撃の曲刀が来ない。やはりバージルは分かっている……そしてどうやらクラインの予想は的中しているらしかった。
バージルは確実に、ソードスキルの技後硬直を狙っている。
ソードスキルはモンスターには当然、プレイヤー相手にも必殺の威力を誇る。HPの総量が少ない分、一発当てるだけでも致命的なデュエルにおいては決め手となる手段だ。
しかし、その代償としてどのソードスキルにも“技後硬直”という共通の隙がある。せいぜい一秒前後の待機時間があるだけだが、対人戦ではその一秒が決定打になりうるのだ。
前回と今回のルール《初撃決着モード》では、各々の最初の一撃が“有効打を与えた”とシステムに判定されることで勝ち負けが決まる。先ほどのクラインのようにモロに攻撃を受ければもちろんであるが、逆に初撃がかすり傷をつける程度で終われば、試合のルールが《半減決着モード》へと自動的に切り替わるため、良くも悪くも、初手の動きが重要視される。
……因みにすべて高身長の爽やかイケメンプレイヤーの受け売りである。
「おらああああッ!!」
空を切り、地面へと直線上に吸い込まれる刃の軌道を無理矢理に変え、右薙ぎ払いを繰り出す。しかし、これも一歩下がるだけで躱された。
『そもそもッ、同じ曲刀使いだってのにッ、初期技の把握をしてないほうがおかしいんだよっ!』
縦、横、斜め、合計三度の連撃を見舞うが、そのいずれも虚しく空を切る。
こちらが必死をこいて技を繰り出しているのに反して、バージルは涼しげな表情だ。眉一つピクリとも動かさない。まるで……クライン程度、相手にすらならないとでも言いたいかのように。
『こんちくしょうッ! 攻めてんのはオレの方だってのに、軽くあしらわれちまってる!』
攻勢をかけているのは確かに自分だ。しかしこうも容易く流されては……どうにも投げやりな気分になる。焦りを含んだそれは、なおタチが悪い。
「くっ……うぉおおおおおッ!!」
一段と深く踏み込んで、バージルへと更に肉薄する。もはや近いといった領域ですらないその距離から、気合いの一閃を放った。
途端、バージルが跳躍する。致命の一撃をヒラリと躱しながら、美しいとすら思える後方宙返りを披露し、クラインから五メートルほど離れた地点に着地した。
「マジかよオイ……!」
クラインはそれに思わず声を上げた。あんな芸当を行えるのは、仮想世界にある程度慣れたやつだけだ。開始から二日目の今日で、あれだけ手慣れた動きを見せるということは……やはり……。
──いや、それよりもどうする。頭を切り替え、改めて目の前の戦闘に集中する。
アイツは剣技だけではなく、避けることに関しても達人の領域だということ。そんなヤツに、一体どうやって一太刀浴びせるというのだ……?
オレは両方の目をフル稼働させて、バージルの一挙一動に注意を払いながら、思考を挟む。フェイント程度の小手先が通じる相手ではないだろうし、だからといって力押しもジリ貧だ。どうにか油断を誘えないか……。
その時、バージルの左手がスッと持ち上がる。何事かと思えば、それは瞬く間にあるものをかたどった。
中指から小指にかけてを軽く握り、人差し指をクイと前後に揺らす……。
「
それは──明らかに挑発だった。
「な…ん……だとぉ〜〜〜!!」
──落ち着けオレ! ここで乗ったら相手の思う壺だぞ!
辛うじて残った理性がそう叫ぶが、どうやら自分の思った以上に癇に障っていたらしい。気づけば、堅牢な守りを突破する案を練っていたことすら忘れ、どんな戦国武将も真っ先に除外するであろう悪手を……真正面からの無策での特攻を敢行する自分自身の姿があった。
『……オレの馬鹿やろうッ!!』
バージルの少し手前で跳躍した辺りで己の愚行を自覚し、そのまま縦に落とそうとしていた剣を胸の近くに寄せた。咄嗟の行動だったが、幸か不幸か、横に倒した刀身が迫りくる凶刃から身を護る結果となる。
「────ぶち撒けろ!」
直後、猛烈な斬り上げがクラインを襲う。
『重────いッ!?』
ガツン! と、剣と剣がぶつかったとは到底思えない異音が鳴り響き、クラインは激しく後方へと吹き飛んだ。
背中から地面に不時着し、ガリガリと皮の防具を削りながら何メートルか滑った後に何とか停止する。その頃には、沸騰して熱の籠もっていた頭もすっかり冷め切っていた。
バージルの最初の一撃をモロに受けたが──体力ゲージはわずかに減少した程度でとどまった。剣の側面での防御が上手くいったようだ。
『ひゅう……命拾いしたぜ』
勉強代にしては酷い仕打ちだった気がしなくもないが、命あっての物種。文句をつけるのはお門違いというものだろう。
『……にしてもなんつー力だ。ステータスを筋力にぶっぱしたやつなら、あんな芸当余裕なのか? 他のMMOみてぇに、体格の補正がのっかってるわけでもねぇし、とんだゴリラ野郎だぜ……』
起き上がると、あの青い外套は遥か彼方。至近距離にいたはずだったが、オレはバージルの一撃で、実に十三メートルほどの距離を吹き飛んだらしい。
ここがゲームの世界だとしても、人間技じゃない。
──技も、速さも、膂力も、比べ物にならない……か。
初めて相対したときから判っていたはずだ。真正面からでは、アイツには敵わないと。
「……へへ、やっぱりオレは弱者なのかもしれねぇな。アンタみたいな真の強者ってヤツには、到底敵いっこない」
自嘲気味な声色で、オレは小さく呟いた。自分は弱者ではないと語っておきながら、なんて体たらくだ、クライン。情けないったらありゃしねえ。
現時点では、オレがバージルに勝利を収めることは不可能なのだろう。ずっと闘い続けたところで、アイツより先にこっちに限界が来ることは火を見るよりも明らかだ。だったら……。
「だけどな、弱者には弱者なりの意地があるってもんだ。今からそいつを嫌ってほど思い知らせてやるよ……!」
……オレのプライドにかけて、せめて一太刀、浴びせてみせる!
大見得を切った宣言に、バージルはフン、と鼻を鳴らし、僅かに口角を上げた。
「────少しは楽しめそうだな」
その言葉を区切りに、クラインはまたスタートを切る。
全力ダッシュで距離を詰め、同じく隙の少ないコンパクトな攻撃を繰り返し行う。さっきよりも剣の速度は上がっているが、それでもバージルは全てを外してみせた。
「まだまだァッ!!」
雄叫びを上げながら、とにかく剣を振り続ける。そしてそのどれもが空を切る。薄皮一枚掠らない様は、もはやただの素振りだ。
だが、これでいい。
『いいぞ、このまま……さっきの状況まで……!』
違和感のないように──勘づかれないように、オレは剣を振るう。
さっきのバージルの過剰な力のこもった一撃……あれを利用する。先ほどと同じ流れを作り、あのトラックと衝突したかと見紛える切り上げを誘うのだ。
そしてそれを剣で受け、再び宙を舞ったところで──起死回生のカウンターを狙う。
成功するはずもない。少し考えただけでそう確信がいく。とても荒唐無稽で、即興で立てた作戦とも言い難いただの思いつき。
『……けどよ、今じゃどこにどう転んでも背水の陣ってのに変わりはねえだろ。なら、やってみるに越したことはないってやつだ』
それに、ここで引いたら────男が廃る!
後ろに何度かステップを踏み、距離を作ったところで、クラインは前方に駆け出す。跳躍の後に繰り出すのは、全体重を剣に乗せた兜割り。
──頼む、釣られてくれよ……!
その心からの念にアインクラッドの神様が応えてくれたのか定かではない。だが、目論見通り……。
「間抜けが────!」
全身全霊で固めたクラインのガードに向けて、バージルは滅尽の一刀を放った。
「ぐッ……おあああああッ!!?」
とてつもない衝撃が、剣を通して腕に伝わる。踏ん張りの効く足場の無い空中でそれを耐えられるはずもない。
直後、クラインは紙切れのように斜め上へと吹き飛んだ。
『たはは……効くねぇ……手が痺れるぜ』
柄を握っていた右手が、ジーンと腫れているかのような錯覚を覚える。
『って、何言ってんだ。ここは息切れ知らずの仮想世界じゃねーか。んなもん感じるはずあるか。……アイツも言ってたろ……』
────たとえ全力で走っても、息切れなんてしないさ。ほら、体に疲労感なんか感じないだろ?
突然、友人の声が聞こえた気がした。つい前日に決別してしまった──黒髪の少年の声が。
『悪りぃなあ……キリト。オレはあの時──オメェに来ないかって誘われた時、嬉しかったぜ。だからこそ、断っちまったのが申し訳なくてよう……』
ログインしているはずの連れを置いて行くことはできない。そう言って、オレはキリトが差し出した手を取らなかった。
お前を一人にする選択をしてしまった。
──オレは昨日からずっと、それに負い目を感じてたんだ。
次第に上に飛ぶ勢いが弱くなる。やがて、推進力をなくした体が落下を始めた。
頭から真っ逆さまに落ちているというのに、クラインの思考はクリアだった。景色の移り変わりがやけにスローで、まるで時間の流れが遅くなっているようだ。地面に激突するまで何時間もかかるのではないかと思えるほどに。
『それに、ここで別れたら、オメェを孤独にしちまうって判ってたのに、判った上でそれを選んだ自分が情けなくてさ』
おそらくキリトは、常に攻略の先頭に立つのだろう。たった半日の付き合いだが、オレにはわかる。アイツはそういう男だと。
何があっても歩みを止めることなく、休むことすらせずに剣を振るい続け、この浮遊城を駆け上っていく。誰に頼ることもなく──たった一人で。
そんなことはさせちゃならない。誰かが隣に立っていてくれないと、人は生きていていけないのだから。
オレとアイツとでは、既に一朝一夕では縮むことのない距離が出来ている。それは実力という面から見ても、果てしない道のりなのは明らかだ。
『だけどよ──いつか絶対に追いついてやるからな』
昨日、クラインという男は罪を犯したのだ。とても重く、生半可な行動では償い難い大罪。
それは、あの生意気な小僧の背中に辿り着き、横に並び立つことでのみ許される。
ゆっくりと、曲刀を肩に担ぐ。
今度こそ手放さぬよう、出しうる限りの力で握りしめていたその剣は、吹き飛ばされた後もしっかりと手の中に収まっていた。
徐々に、その刃に淡い光が集まる。
『キリト。オメェの教え、何一つ忘れてないぜ』
クルリと空中で体を回転させ、足の裏から力強く地面を踏みしめる。そして、全身全霊の力を込めて蹴り飛ばした。
────ソードスキルは何も、システムに任せきりで完成する技じゃない。使い手の工夫次第で、その威力や速度は何倍にもブーストされるのさ。
脳裏によぎった鮮やかな記憶に導かれるまま、クラインは全身をくまなく駆動させた。上半身を思い切り捻り、腕を可能な限りしならせ、手首のスナップを限界まで駆使する。
「ほう────!」
「と……ど……けぇええええッ!!!!」
そして、瞬く間に眼前に現れたバージルに向けて、渾身の袈裟斬りを繰り出した。
「────────クソッたれ、やっぱ決め手にはならねぇよな……!」
手応えは軽かった。やられたふり作戦に嵌り、完全に後手に回ったにもかかわらず、この男はソードスキルを見てから回避してみせたのだ。やはり化け物……いや、悪魔だろうか。
今のオレが出せる力は出し尽くした。それを凌いだバージルには、もはや勝ち目はない。
「……ははッ。クライン、見てみろよ」
だが、その一端は確かにあの悪魔へと届いたようだ。
「奴さん、遂にダメージを受けやがったぜ。何だよ、悪魔だってちゃんと赤い血が流れてるじゃねーか」
頬の中心に斜めに傷がついている。それに伴って、バージルの緑のHPバーがほんの僅かに減少していた。
刃の掠った部分からは、ジワジワと赤いエフェクトが漏れ出している。ここではプレイヤーもモンスターも誰もが同じ傷跡を残すのだが、バージルのソレは、他とはまた違う異質な印象を与えた。
「フン…………」
バージルは傷跡に触れて、軽く息をつく。
その表情からは何の感情も読み取れない。皮膚を裂いた程度とはいえ、オレが剣を当てたことに何の関心も抱かないというのか。
そう思った瞬間だった。
「くは……ふははは……!」
バージルの様子が一変する。口の端を歪ませたと思うと、突如奇怪な笑い声を上げ始めたのだ。
「き、急にどうしたってんだよっ……!?」
完全に虚をつかれたクラインは、その様子を黙って見つめていることしか出来ない。するとバージルは、尚も声を漏らしながら、おもむろに自身の得物の曲刀を構えた。
「────良いだろう。貴様は知恵を振り絞り、あろうことかこの俺に一刀浴びせたのだ。その己を弱者と認めているが故の反骨精神には、力を持つ者として──応えねばならんな──!」
歪んだ口元に歯を覗かせながら、バージルは言う。
『なん……だあ!?』
大気が震えている。腰を深く沈ませて刀を持つ男を中心に、まるで重力が数倍にも強くなったかのような強烈な圧がかかっている。
──そんなことが起きるはずがない。ましてやここはSAO……仮想世界だ。ゲームマスターの茅場晶彦でもない限り、こんな摩訶不思議な事象を一介のプレイヤーが引き起こせるはずがない。
しかし、実際にそれは起こっている。
異変に気づき、ざわざわと騒ぎはじめたプレイヤーたちを見て初めて、クラインの頭に冷たい一筋のものが走った。
────何かが、マズい。
今更になって、オレは決闘どころか、命に関わる何かに巻き込まれてしまったのではないかと……思った。
「神をも超える力────思い知れ」
直後、青のコートを羽織ったバージルの姿が、視界の中からかき消えた。