Blooming☆Yell!!   作:ルブク

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桜花賞で一話。
元々は五千字くらいに収めるつもりでしたが、それではまるで収まらず。色々な意味でターニングポイントになるレースなので流す訳にもいかず…。
という訳で独立して一話に切り分けました。

タグにもある通り、若干のヘイト要素はありますが……実馬も桜花賞後は色々言われていたのでヘイトと言ってもいいのかどうか。
罰則やらその辺りは完全に妄想です。

人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html


The 10th Yells 春"乱"漫のエール

桜花夢散

 春も本番の四月を迎え、メイケイエールとリコンスタは共に高等部へ進級。高等部二年となったミロワダーレと同じ校舎で学べることとなった。

 更には新入生も入り、一際賑やかになった学園内だったが、メイケイエールらクラシック級のウマ娘達の関心といえばこの一つしかなかった。

 

『さあ、陽射し穏やかなここ阪神レース場! 春の陽気とは裏腹に、クラシック戦線一つ目のティアラを狙う娘達が激しく火花を散らしています!』

 

 ――ティアラ路線の緒戦、桜花賞。阪神レース場で距離千六百メートルのマイル戦。ウマ娘達も、観客達もこのレースを待ち望んでいたと言っても過言ではないだろう。

 

『やはり注目はジュべナイルフィリーズを制し、史上初の快挙を成し遂げた白毛のウマ娘、マシロ! ここで更に桜花のティアラを手にすれば間違いなく歴史に名を残す英雄となるでしょう』

 

 本バ場入りし、各出走者は入念にウォーミングアップを行う。

 目下の注目といえば、満を持してクラシック戦線に乗り込んできたマシロだった。周囲からの熱視線も涼しい顔をしてコースの状態を確かめている。

 

『そして前走、ほんの僅かの差で惜しくも二着となったマチノレジーネ。雪辱を果たすべく、今日は相当に気合が入っていますね』

 

「やっほ〜! 今日こそ一着になるからレジーネの応援よろしくぅ〜!」

 観客席に最も近い外ラチ沿いを、手を振りながら小走りで駆けるマチノレジーネ。伝家の宝刀とも言える、切れ味抜群の末脚を今日こそはと観客達も期待していた。

 

『メイケイエールとベネベネの両名も入念に準備を整えています。特にメイケイエールは前走のチューリップ賞で勝っていますし、シミュレーションは万全といったところでしょうか』

 

 ふと、メイケイエールは遠くまで広がるターフに目を向ける。この場にミロワダーレとリコンスタの姿はなかった。

『すまねえエール! 抽選、落ちちまった……』

『……誠に申し訳ない……』

 実績が不十分であった二人は抽選枠に登録したものの、あえなく抽選漏れの憂き目に。ジュべナイルフィリーズ、桜花賞に続けてあの二人とは未だに一緒に走れずにいた。

 きっと学園でこの中継を見てくれているだろうと、メイケイエールはもう一度ターフの上を駆ける。芝の状態良く、足取り軽く。コースに懸念要素は特にない。

「エールちゃ〜ん! ちょっとこっちおいで〜!」

 元の位置に戻ってきたところで、観客席の最前列から河削が手招きしながら声をかけてきた。

 コースの外ラチと観客席の柵との間には数メートル程の間隔があり、レースで不慮の事態が発生しても観客への影響がないように配慮されている。まだ発走準備前なので観客席の前まで出走者も赴くことができた。

「どう? 感じは」

「悪くはありません。ただ――」

 まだ記憶に新しいチューリップ賞での暴走。普段はそんなことはないのだが、改めて動画として見直すと改めて考えてしまう。

 言い淀んだところで、河削の両手がメイケイエールの両頬を包んだ。彼女の手のぬくもりが直に伝わってくる。

「ひとまずチューリップ賞のイメージは置いといて、いつも通りに走ってみよう。スタートだけ気にしておきゃ、もう後は怖いものナシだから!」

 河削りが大きく歯を見せて笑う。普通に美人の範疇、しかも上から数えた方が早い程なのだが、そのように感じさせないのはこのようなところ。

 もっとも、彼女の場合は別の要因で美人だと頷きにくいのだが。

「はい――今度こそ、GⅠで勝ちます!」

「うん、良いお返事! 行ってらっしゃい!」

 周囲の拍手に背中を押されるように、メイケイエールはターフ上に戻る。そろそろウォーミングアップも終了間際。いよいよ出走ゲートに向かう時間がやってきたのだった。

 

『ご来場の皆様、今年も待ち遠しかった桜の季節がいよいよ到来です。阪神レース場、桜花賞、GⅠ。出走はフルゲート十八名です』

 

 チューリップ賞と同じコース。感覚は既に掴んでいる。唯一違うとするなら、相手が――。

「マシロさん! 今回こそ! このレジーネが! 一位を奪ってあげるんだからねっ!」

「――あら、面白そうじゃない。楽しみにしてるわ」

「ムキーッ! ギャフンと言わせてやるんだから!」

 ゲート入りの前、マシロとマチノレジーネが戯れているのを少し離れたところからメイケイエールが眺めていた。並び立つ二つの壁。あの壁を越えるには些細なミスも許されないだろう。

 ウォーミングアップで柔らかくなったはずの身体が、内側から徐々に冷えて硬くなっていくのを感じる。

「――エールさん、どがんしたと? 眉間にシワ寄っとうよ」

「……っ! ベネベネさん……」

 ベネベネが背中から声をかけつつ、軽く肩を叩く。そこでようやく、メイケイエールは呼吸すら止めていたことに気がついた。

「相当緊張しとるね? らしくなかよ」

「前のこともありましたし、どうしても意識してしまいまして……」

「ふぅん? どんな相手でもレース場でも、自分の走りをするまでよ。意識したところで何も変わらんて」

 ――ただ走られれば良い貴方とは違うんです。

 思わず出かけた言葉を押し留め、頭の中で必死になって掻き消した。クラシックのGⅠレース、誰しも何かしらの想いを抱えている。ベネベネも表には出さずとも、忸怩(じくじ)たる想いを秘めているかもしれないのだ。

 表の言動だけで判断しようとした己を恥じ、ますます脚が重くなる。

「マシロもレジーネさんも、もちろんエールさんも相当に厳しい相手やが……レースはゴールするまで分からん。ま、逆境ほど面白いモンはなか。じゃあエールさん、また後で」

 メイケイエールに現状を面白がれるほどの余裕はなかった。ひたすら揺れ動く感情をどうにか抑えるだけで精一杯で、それも限界に近づきつつあった。

 後ろ手に手を振るベネベネの背中が遠くなってゆく。

「いけない、ゲートに……向かいませんと」

 彼女に置いていかれたら、もう二度とゲートに向かえないのではないかと恐怖感が湧き起こった。縋り付く思いで懸命に追いかける。その足取りはとてもぎこちなく、砂上に立っているかのような覚束なさだった。

 

『出走するウマ娘達が続々とゲートに収まっていきます。一番人気はマチノレジーネ。そして前走に続いてGⅠを制するか二番人気マシロは……係員の案内ですんなりとゲートに入りました』

 

 順々にゲート入りを終えてゆく。メイケイエールは八番と真ん中の枠でまずます。スタートで好位にさえつければ良い結果にも繋がるだろう。

(とにかくスタートを……チューリップ賞の時のように)

 心の中でひたすら繰り返す。まるで自分自身に言い聞かせているかのように。

 

『三番人気、メイケイエールもゲート入りを終え……少し緊張している様子です。スタートまでに気を取り直してくれれば良いのですが』

 

 暖かな日にも関わらず、彼女の指先はすっかり冷え切っていた。体温を取り戻す余裕もなく、色までも徐々に失ってゆく。

「それから、前目の方に……多分、マ、マシロさんも同じ位置取りになるでしょうし……レジーネさんはえっと、スパートで……どうすれば」

 震える指を折りながら他の出走者の動きをシミュレートする。しかしどういう訳か、肝心の自分自身の姿がまったく思い浮かべられない。

 幾度となく繰り返しても、黒塗りの何かがターフを走っているのみ。網目のゲートという密室に閉じ込められ、息が詰まりそうだった。

 

『各ウマ娘、ゲートイン完了!』

 

「あぁ……あっ。スタートを……スタートして……」

 心の準備が整わぬまま桜花賞が始まろうとしていた。

 

『一斉にスタート!』

 

 ゲートが開き、メイケイエールは反射的に飛び出した。

 ――視界が真っ黒のままに。

(……いけない! しっかりしないと……!)

 目を瞑って、突っ伏しながらスタートしたことを彼女自身気がついた。このままではジュべナイルフィリーズの二の舞いと成りかねない。慌てて目を開き、上体を起こそうとした。

(うっ――!)

 陽光に照らし出された芝の輝き。鮮やかな緑がメイケイエールの眼を眩ませる。

 

『おっとメイケイエール出遅れました! 後方からのスタート!』

 

 まるであの時と同じ。このままではいけない。

 スタート直後の混戦状態の中、少しでもポジションを上げるべく前へ出る。

 しかし焦るばかりで脚が空回り。思うように動いてくれなかった。

 (駄目……駄目……!)

 そして脚がもつれてバランスを崩し、上体が左へ大きく傾いてゆく。 このままではいけない。どうにかして元に戻ろうとするも、彼女の身体は拒否をした。

 そして。

 

 ドッ!

 

「きゃあっ!? ちょっと!?」

 身体に伝わる衝撃。

 バランスを崩したメイケイエールは、左を走るウマ娘――ドリームトラック――へと激しく身体を打ち付けた。

 

『メイケイエール、隣のドリームトラックと激しく接触! ドリームトラックが外へ大きく弾き出されます!』

 

 阪神レース場に響き渡る観客の悲鳴。

 スタート直後の直線、苦悶の表情で体勢を大きく崩したドリームトラックが大型ビジョンに映し出された。完全にメイケイエールの方から衝突した形だった。

「どこ見てるんだ!? 真っ直ぐ走れよ!」

「ドリームちゃん……!」

「邪魔すんなー! ふざけてんのか!」

 観客席のあちこちから、ドリームトラックのファンと思しき抗議の声が上がる。

(まっ……!? やったかっ……!)

 背中に非難が幾条も突き刺さり、河削は自分の心臓が握り潰された感覚に陥る。左によろけたメイケイエールと、ぶつけられたドリームトラックは揃って外側へ大きく膨らんでゆく。

 

『ドリームトラック、レース続行! どうやら大事ないようです』

 

 ――ひとまず、最悪の事態は免れた。

 しかし状況が悪すぎる。緊張で力み過ぎたか、スタートは出遅れて後方から。その上で他の走者と接触。メイケイエール自身、身体へのダメージはないように見えるが――。

 

『メイケイエール、大外から一気に順位を上げていきます! これは掛かってしまったかっ!?』

 

 パニックに陥ってしまったのかもしれない。ペースも何も考えない、正しく暴走の彼女の走り。コース内側で先頭集団につけたマシロを横目に、コーナー突入前から既に先頭に。

 チューリップ賞ならこれでもどうにかなったかもしれないが、今回はトップクラスが集うGⅠ、桜花賞。勝ち筋が途絶えて最早目を背けたくなる惨状だった。

「エールちゃん……! とにかく……とにかく帰っておいで!」

 しかし、河削は目を逸らさず、大型ビジョンに映る、自身が担当する娘をじっと眺めた。噛み締めた唇を薄っすらと血で濡らしながら。

 

 メイケイエールは暴走の末、出走者十八人中最下位という結果に終わった。チューリップ賞で見せた最後の勝負根性も見る影もなく、ラストスパートではまるで伸びずに尽く追い抜かされた。

 そして勝者は、というと――。

 

『やった! やりました! URA始まって以来、白毛のウマ娘によるクラシックGⅠ制覇! これで負けなし五連勝、純白の女王が今! ここに! 誕生しました!』

 

 史上初、クラシック級のGⅠを制覇した白毛のウマ娘、マシロ。

 

『勝ち時計は――一分三十一秒一! レコードタイムで文句なしの勝利です! 二着はマチノレジーネ、クビの差でまたもや宿願達成ならず!』

 

 メイケイエールの暴走で引き起こされたハイペースの展開も物ともせず、レコードタイムでの勝利と誰もが認める結果となった。

「やっぱり凄いね、マシロちゃん!」

「本当、良いモノ見れたよ。もしかしたらトリプルティアラ獲れるんじゃ?」

「ドリームちゃん大丈夫かな……メイケイエールにぶつけられたし、怪我してないと良いけど」

 観客が興奮冷めやらぬ様子でレースの感想を口々に言い合っている。河削の耳にもメイケイエールの名がちらほら届いていたが、今はそれどころではなく。

 「――メイケイエールって、アレがなければきっと強いウマ娘なんだろうけどさぁ……惜しいなあ」

「もっと落ち着いて走れればいいのに……折角可愛いくて強いのにもったいないね」

(簡単に言って……!)

 好き勝手に言ってくれる観客へ心の中で毒づく河削。メイケイエールがどれ程悩んで、苦しんでいるのかも知らず、さも普通に走って当然と言わんばかり。

 しかし、出走者が帰ってくる地下バ道へ急いで行かなければならない。少なくともメイケイエールを支えられるのは自分自身のみ。特に、今回のような敗戦を喫した後では尚更ケアが必要だ。

 そして河削はそれ以上に、これより先に起こることを危惧していた。そのイメージは重く、彼女の腹の内にズシンと響くのだった。

 

決別

 メイケイエールと河削はレースの健闘を称えるのもそこそこに、他のウマ娘の控室の前に立っていた。扉の横の名札には――ドリームトラックと。

 メイケイエールの体当たりによって不利を蒙り、十五位に沈んでしまった。彼女の影響によるものは明らかで、取るものも取りあえず謝罪に出向いたのだった。

 河削が控室の扉を軽くノックする。

「すみません、トレーナーの河削とメイケイエールです……謝罪に、お伺いいたしました」

 小刻みに震えるメイケイエールの肩に、河削が優しく手を添える。レース直後、ドリームトラックが辺りを憚らず大声で泣きじゃくっていたのを見ていた。時間が経つにつれ、昂った心が冷えるにつれ、メイケイエールは口数が少なくなっていった。

 そして数拍の間が空き、男性の返事と共にドアが開けられた。

「……いらっしゃい。さあ、どうぞ」

 キチンとアイロンがけされたグレーのスーツに身を包んだ初老の男性。白髪の割合が多くなった彼がドリームトラックのトレーナーだった。

 ジャケットのラペルに輝くトレーナーバッジ。数多のウマ娘の栄衰を垣間見てきた大ベテランでもある。

 彼に招き入れられ、通された先には頭からタオルを被りソファーで俯いているドリームトラックが。アボリジニの伝統衣装を模した黒いドレスの勝負服には垂泣の跡が残っていた。

「あの……ドリームさん!」

 震える手を固く握り締めながら、メイケイエールが声を出す。

「私のせいで……本当に申し訳ありません!」

 深々と頭を下げる。本当に僅かながら、メイケイエールの謝罪にドリームトラックの指先が動いた。

「河削君、私達がいては話せるものも話せないだろう……出ようか」

「……はい」

 ドリームトラックのトレーナーに促され、河削は控室を後にする。きっと、メイケイエールならしっかりと想いを伝えることができるだろうと思いながら。

 

「この度は私の担当がご迷惑をおかけしまして……大変、申し訳ありませんでした」

 控室から出て、中の二人に聞こえないよう通路を一本入って少し離れたところ。河削は腰を直角に折り曲げて頭を下げた。ドリームトラックのトレーナーはただ静かに、しかしながら厳しい目元でそれを見ていた。

「もう済んだことだ。それに、ぶつかられて走る気を失ったドリームトラックにも落ち度はある」

「ですが……!」

「私達のことは良い。それより考えるべきは君達の方だろう?」

 はっきりとしたその声は、石よりも硬く。河削のハラワタを見えない手で雁字搦めに縛り上げる。

「どうするつもりだ? 君のモットーは分かっている……しかし今回のことが続いてみなさい。そうなれば、頭を下げるだけでは済まなくなるぞ」

「彼女は私がしっかり指導をしますので、今回のようなことは二度と……!」

 握り潰されかけた肺から懸命に息を吐き、精一杯に掠れた声を出した。

「私が首を縦に振ったとしても、他の者がどう思うか……チューリップ賞に続いて桜花賞もだ。まともにレースができるとは、とてもではないが思えない」

「原因は分かっています! その原因さえ克服できれば問題ないんです!」

 少し時間がかかってしまったが、メイケイエールのあの癖の原因がようやく掴めたのだ。分かったのなら、彼女が乗り越えられない筈がない。

「――出走登録権が永久剥奪になってからでは遅いのだよ?」

「っ!!」

 河削の呼吸が止まる。

 出走登録権の永久剥奪――URAが規定する罰則の内、最も重いものだ。レース中に当該ウマ娘が原因で事故が起き、かつ他の走者複数に怪我を含む甚大な被害が生じた際に適用される。

 過去にこの罰則が適用された例はないが、メイケイエールが将来その第一例になるのではないかと、そうトレーナーに言われたのだ。

「君の、能力に関係なく親身になって二人三脚で育てる考え方は理解できるし、私も賛同する。だけどそれとこれとでは話が別だ……」

 永久剥奪ともなれば、中央のレースに出られず、実質的にトゥインクル・シリーズからの引退となる。そしてウマ娘に限らず、その担当トレーナーも一年間のトレーナー業務停止が課され、なおかつその間にトレーナー資格試験の再受験に合格しなければならない。

 廃業必至のとても重い処分。これまで罰則の条文としてのみ存在していたものが、今その実態が露わになりつつあった。

「……良く考えてほしい。無闇にレースで走らせることが本当に彼女のためになるのかどうかを。トレーナーは彼女達を走らせることだけが仕事……ではないだろう」

 ――メイケイエールを引退させろと、言外に。

 そのような侮辱、普段なら河削は烈火の勢いで食ってかかるだろう。しかし今は、どのようなことを言われても押し黙るしかなかった。

 現に彼女によって不利を受け、危うく転倒しかけたのだから。これがもし密集した場面だったのなら。外に弾かれたドリームトラックが、また更に他のウマ娘に衝突したとしたら。

 彼女達が全力で走れば速度は時速六十キロにまで達する。その状態で転倒事故が発生すればどうなるか――大惨事に及ぶのは想像に難くない。ヒトが徒競走で転ぶという次元の話ではないのだ。

(引退どころじゃ……)

 そのような生温いものではない。大事故が起きれば、その行き着く先は――。

 退学、そして二度とウマ娘のレースに関わることすらできないだろう。大悪党のレッテルを貼られてもおかしくない。

「君は賢明なトレーナーだ。正しい選択をしてくれることを期待するよ」

「……肝に……銘じておきます」

 こうとしか返せない自身が憎い。ただ、今はどれほど綺麗事を並べたところで鼻で嗤われるだけだろう。

「うん、頼むよ。あまり長く空けては心配させてしまうね――そろそろ戻ろう」

 付き従うように元のドリームトラックの控室へ戻る。

「トレーナーさん……」

 既に話し終えたのか、メイケイエールが控室の前に立っていた。

「お待たせ。どうだった? ちゃんと……話はできた?」

 僅かに唇を震わせながら彼女は小さく頷いた。事細かに聞くのは憚られるものの、ひとまずは穏便に済んだようだ。

「では、私達はこれで……重ね重ね、ご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした」

 再度、メイケイエールと共にドリームトラックのトレーナーへと頭を下げる。

 河削は自分自身を許せなかった。見立てが甘く、メイケイエールはおろか他のウマ娘にも危害が及びそうになったことを。

 ――何よりまだ十代半ばの、純真な少女にこのようなことをさせていることに。

 行き場のない怒りが身体の中で激しくのたうち回る。体表を突き破らんとするそれを精神力で押し留めた。

 決して誰にも、メイケイエールにも悟られてはならない。彼女の才能を、こんなことで潰えさせてはならないのだ。

 

 最下位に沈んだとはいえ、レース後の取材は受けねばならない。目下の話題はドリームトラックとの接触と、その後の暴走も含まれるだろう。三番人気を受けてのこの結果ならば、そのことについても言及されるかもしれない。

 河削はメイケイエールの手を引き、取材用のブースに赴く。頭の中ではありとあらゆるパターンの応答を考えていた。

「……マシロさん……」

 しかし悪いことは続くもの。

 非常に間が悪いことに、マシロのインタビューが丁度終わる頃と遭遇してしまった。

「マシロさん、インタビューありがとうございました! 今後の活躍も期待しています!」

「こちらこそありがとうございます。これからもご期待以上の結果を残すことをお約束――」

 取材終わりに礼をしようとした彼女がメイケイエールを姿を認めた。一位と最下位の鉢合わせ、明らかに周囲の空気も変わり始める。

 ほんの一瞬、マシロも驚いた顔で佇んでいた。そして目線を動かして周囲を確認した後、威圧する様に踵を鳴らしながらメイケイエールに詰め寄る。

「エール! 一体何かしらあの無様なレースは。掛かって暴走するなら勝手にするがいいわ。でも貴方は一人の出走者の可能性を潰したのよ? 分かっていて?」

 声を強くして詰問する様子を、ここぞとばかりに取材陣がカメラに収めていく。

「待って。もう少し穏便に……」

「河削トレーナー、申し訳ないけどこれは私とエールの問題よ。邪魔しないでもらえるかしら」

 事を荒立てないよう、河削が二人の間に入ろうとした。しかしマシロの腕がそれを頑なに制止する。

「何か言いたいことがあるなら、まずトレーナーである私を通してくれないと……ねっ」

 彼女の傲慢な言い分は許せるものでは到底なかった。河削は抑えようとする腕を掴み上げ、尚も強引に割って入ろうと試みる。

「ウチのエールを晒し者にしようっての? それは絶対に許さないよ」

 その間、マシロはメイケイエールをただ真っ直ぐに見据えていた。彼女の瞳には、怒りとも蔑みとも少し違う色が。

「トレーナーさん、大丈夫です。私が原因ですので……覚悟はできています」

「でもね……」

 メイケイエールは静かに首を横に振る。それが彼女の意向であるならば、河削もこれ以上強引な真似はできなかった。力を入れて掴んでいたマシロの腕を離し、一歩二歩後ろに下がる。

「――どうやら、それなりには分かっているようね」

 マシロが更に一歩踏み出し、メイケイエールと鼻先が触れんばかりの距離まで近づく。互いの吐息の温もりすら感じるほどの最接近だった。

 

「いいこと? 私達はクラシック戦線のレースに全力を賭けているの。それを貴方の身勝手な行動で無駄にさせたのよ。おまけに大事故にも繋がりかねないことをしでかして……どういう了見かしら」

 腕を組み、なおもマシロは強硬な態度を崩さない。あまりにも剣呑な雰囲気に、記者やレース場の職員、他のウマ娘と関係者も全員固唾を呑んで成り行きを見守っていた。

「それは――様々な方、特にドリームトラックさんには多大なご迷惑をかけてしまって……全て、私の不徳の致すところです。このようなことが二度と起こらないように――」

「二度とどころか、一度たりとも起こしてもらいたくはないのだけれど?」

「……申し訳ありません。絶対に、次こそは……」

 消え入りそうなか細い声で、痛ましいほど憔悴した顔で。同じ位の背丈の二人のはずが、メイケイエールが一回り以上小さくなっていた。

「ふン。なら言い方を変えるわ――貴方はレースから身を引きなさい。その方が皆のためよ」

「え……」

 マシロの言葉に、周囲が堰を切ったように大きくどよめいた。レースの健闘を称えるどころか、トゥインクル・シリーズからの引退勧告。

 取材陣の、シャッターを切る指が止まった。心のどこかで互いを励まし合う光景を予想していたが、それをまるっきり裏切る展開。

「ちょっと! 聞き捨てならないね。こちらにそこまで言われる筋合いも、そちらにそこまで言う権利もないと思うけどね?」

 絶句して立ち尽くすばかりのメイケイエールを後ろに退かせ、自らの背中で守るように河削が立ち塞ぐ。

 これ以上はメイケイエールの心が保たない。ただでさえ相当な負担がかかっているというのに。

「私達の真剣勝負に水を差されると困るのよ、いいわね? さようなら――メイケイエールさん(・・・・・・・・・)

 冷たく言い放ち、マシロが(きびす)を返して戻ってゆく。特に、最後の一言――愛称のエールと呼ばずにメイケイエールと。 マシロとの間に絶対に越えられない壁ができたのを感じ、メイケイエールは絶望のままに慄いた。

「わた、私……もう、走り、走っては……いけないのですか……?」

 砂のように崩れてゆこうとするメイケイエールを、河削が渾身の力を込めて抱きしめる。彼女の何もかもが足元から崩れつつあった。精神だけでなく、肉体までも。

「大丈夫、大丈夫だよ……走っていいの。エールちゃんはとにかく誰よりも速いんだから。だから……帰ろう。二人で帰って……東京でさ、何か美味しいもの食べてこうよ……二人でさ」

 取材陣はいつの間にかマシロを追いかけていった組と、メイケイエールに取材をしようとする組に分かれていた。

 高木も残っている組の内の一人。彼女は必死に立ち直ろうとする河削とメイケイエールの二人をカメラに収め、震える指先でシャッターを切ったのだった。

 

おつかれさま、マシロ

 空はすっかり暗くなり、黒塗りの風景が車窓の向こうを高速で駆け抜けてゆく。街の灯りか星の瞬きか判然とせず、ただただ無味乾燥に流れるばかり。

 そのような退屈なスクリーンを、マシロは疲れ切った顔でぼんやりと見つめていた。本来ならライブ後は祝勝会を開く予定だったが、とてもその気にならず全てキャンセルし東京に帰ることにしたのだった。

 彼女はふと、自身の左の手首に目をやった。河削に掴まれた部分が赤く腫れている。

(凄い力だったわね……)

 いつもメイケイエールの隣でニコニコヘラヘラしているばかりと思いきや、あの時ばかりはまるで間違った。

 ――怒気と言うより、殺意。

 さしもの迫力に、マシロは飲み込まれることを恐れて敢えて目を合わせなかった。温厚な人間を怒らせると怖いと良く言うが、河削はそれを凌駕するのかもそれない。

 マシロの横では彼女のトレーナーがタブレットで事務作業をこなしている。それを横目でそれとなく眺めていると、不意に携帯からメッセージの着信音が響く。

(……ベネ……)

 通知にはベネベネの表示。すぐにアプリを立ち上げてメッセージを確認した。

『今どこ?』

 ――新幹線の中よ。

『時間ある?』

 ――大丈夫。

『エールさんのことだけど』

 数十秒ほど間を置いて、ベネベネが送ってきたこの一文。やはり来たか、とマシロは息を吐いた。本バ場でのウォーミングアップ時に何か話をしていたのをそれとなく見ていた。

『どうしてあんなことを言った?』

『納得できない』

『理由を離せ』

『話せ』

 いつもならベネベネは文章をそれなりに纏めて送信してくる。それが、誤字お構いなしでまくし立てる短文となると。

(相当おかんむりじゃない……)

 恐らく、彼女からは何らかのリアクションが来るだろうとは予想していた。寮に戻った時に話せれば良かったが、まさか帰りの車内だとは。

 しかしこう来たからには返さねばなるまい。疲れた状態で、早口の熊本弁で罵倒され続けるのは御免被りたかった。

 ――私が強く言えば、その分注目も私の方に向かうでしょ?

『それがエールさんのためになると?』

 ――分からないわ。ただ、エールが言われっぱなしにはならなくなるはずよ。

 効果がいかほどか分かるのは少なく見積もっても数日後。今でもSNS上で今日の顛末が広がっているかもしれないが、それを追いかけるほどの気力は残っていなかった。

 ――それに。他人に言われるのは気に入らなかったから。

 メイケイエールの苦労を、努力を何も知らない連中に何やかやと言われたくなかった。その手の連中に限って、面白半分に好き勝手なことを書き立てるに違いない。

『それで、今日のアレか』

『ほんとばかだね』

 ――そんなの分かってる。

『ばか』

 ――これでいいの。

 自分自身、よくもまあ思い切ったことをしたと今更ながら驚いている。その時はそれが彼女のためになると信じて疑わなかったが、果たしてそうなのだろうか。

 唯一分かっているのは、もうメイケイエールに合わせる顔がないということで――。

 マシロは最後にまた後で、と短く返して携帯の電源を切った。鉛のように重くなった身体をやっとのことで動かし、座席のシートに深く沈み込んでゆく。

「トレーナー……迷惑かけて……ごめん、ね……」

 呟くようなその声に、マシロのトレーナーが気付いた時には既に泥のような眠りに落ちていた。彼は何も言うことなく、優しく微笑みながら膝掛けのブランケットを首元の部分までかけ直した。




次話は幕間の話と京王杯SC(の予定)。
ゲストとしてサクラバクシンオー登場予定。
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