Blooming☆Yell!!   作:ルブク

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夏合宿前半戦。
都合により風呂のシーンは描写を厚めにしております。でもガイドライン考慮につきセクシャルなのは……ということで。

とりあえず作中であれこれ解説などしてますが、科学的な裏付けはなく、それっぽく誤魔化してる感じです。なのでほぼほぼ嘘八百状態ですが。

人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html


The 14th Yells 目覚めのエール

海の役得

 メイケイエール達の夏合宿、初日の大事件が幻かのように順調に進んでいた。

「じゃあラダー行くよ! まずは両脚ランから!」

 河削はスポーティーなハーフパンツのスタイルに改め、額から汗を流しながら声を飛ばす。基礎的なメニューから筋力強化、そして定番の砂浜ランまで。

「リコちゃん着地ズレてる! しっかり両脚で!」

「……や〜……!」

 砂浜、内地のコース、そしてトレーニング棟と。決められた期間で場所が持ち回りで変わる。マンネリ感がなるべく出ないように工夫を凝らしつつ、ハードワークを重ねているのだ。

「次は百メートルスプリントを十本! スタートからトップスピードに持ってく早さを意識して! 特にエールちゃん!」

「は、はいっ!」

 砂浜に目印代わりのロープが置かれ、メイケイエールら三人が並びスタート態勢を整える。それを確認し、河削は首に提げたホイッスルを口元へ。

 

 ピィッ!!

 

 短いながらも力強くホイッスルを鳴らす。その合図を皮切りに、メイケイエール達は白砂を巻き上げながら走り出す。

 ほぼ横並びで進む三人。右端に配されたリコンスタが更に右に寄っていくのは相変わらず。

(重い……っ)

 走る中、メイケイエールは砂浜の感覚に戸惑っていた。全力で地面の砂を蹴るも、前に進む感触がどうにも薄い。砂浜でも問題なく走れると謳っていた、ウマ娘専用のマリンシューズを履いているにも関わらず。

 そのまま、三人は横並びのままゴール地点を駆け抜けた。速度を緩やかに落としたところで、メイケイエールは他の二人に声をかける。

「やっぱり砂浜は走りにくいですね……ミロワとリコはどうです?」

「芝に慣れてっからなあ。まあそれなりって感じだったけど」

「……う〜ん、まあまあ、かな……」

「そんな感じなのですね。私はちょっと……」

 二人も同じような感覚ではあるようだが、僅かな隔たりがあった。ややもすると、走れていないのは自分だけなのではないか? と。

「コラァ! 無駄話しない! すぐ戻る!」

 スタート地点から河削がメガホン越しに怒声を飛ばした。メイケイエール達は慌てて会話を切り上げ、駆け足で戻ってゆく。

「……ホントにアレ河削トレーナーだよな? まるで別人みてえ」

 その途中、ミロワダーレがぽつりと零した。確かにそう頷けてしまうほどの変わりよう。

「……もしかして双子の姉妹とか……うりふたつの」

 そんなまさか、と思いつつ実際に想像してみるメイケイエール。同じような顔に同じような性格。さすがに許容範囲を超える特濃具合のため、頭を振って強制的にイメージを掻き消した。

 何よりも、今は大切な夏合宿。一分一秒も無駄にしたくないのは彼女も同じこと。来る秋のレースに向け、がむしゃらにメイケイエール達は砂浜を駆けていった。

 

「二百九十! 二百九十一!」

 太陽が天頂へと到達する頃合い。午前中の仕上げである、砂浜スクワット三百回もどうにか終わりを迎えようとしていた。

 跳んで走ってを繰り返した身体にとって、このスクワットは非常に酷なものであった。ただでさえ疲労してるのにも変わらず、重量十五キロのウォーターバッグを担ぎながら、である。

「二百九十八! 二百九十九!」

 それでもなお、メイケイエール達は歯を食い縛りながらひたすらに食らいついてゆく。一度腰を落とし、身体を上げようとすると太腿が声なき悲鳴を上げる。もう勘弁してくれと、小刻みに震えるばかりで身体がなかなか上がらない。

「――三百! お疲れ!」

 河削の終了の合図と共に、リコンスタが担いだウォーターバッグを放り投げた。綺麗な放物線を描いて飛ぶソレが砂浜に落ちるのと同じくして、彼女もバタリと俯せに倒れ込む。

「……あし……が……」

 よく見ると彼女の脚は小刻みに痙攣しており、ほぼほぼ限界いっぱいという状態。辛うじてこらえていたメイケイエールとミロワダーレも砂浜に力なく腰を落とした。

「わ、私も……」

 もはや自分の脚が付いているのかどうかすら。

「くっそ一歩も歩けねぇ……」

 根性を奮い立たせ、両腕を支えに立ち上がろうとするミロワダーレ。しかし脚が疲労困憊で中腰以上に身体が上がらなかった。

「よぅし皆お疲れ様! 午後はね、クールダウンも兼ねて砂浜でヨガやるから。それまでお昼休みね」

 ――お昼休み。

 その言葉の大切さをこの夏合宿で嫌というほど実感している。合宿所の砂浜エリアの一部は一般開放されており、そこに海の家や屋台がズラリと建ち並んでいる。

 焼きそば、ラーメン、お好み焼き、ケバブサンドと選り取り見取り。その上、合宿参加のウマ娘は割引価格という好待遇。

 腰に手を当てたまま、ツカツカと河削が歩み寄る。憎たらしいほどに眩しい笑顔で。

「ほらほら、そんなとこで座り込んでたらお昼終わっちゃうよ!」

「んなこと言ったって限界なんだっつーの!」

 砂浜に倒れ込んだままのミロワダーレが悲痛な叫びを上げた。過酷なトレーニングをやり抜いた勲章ではあるが、それにしても代償は非常に大きい。

「まぁね。今日の午前中は一際ハードにしたから」

「ちょっと、極端ではないですか……?」

「それでも着いてこれたじゃない。自信持っていいよ!」

「……まん……しん……そう……い……」

「まあまぁ、それも織り込み済みだから。なので、午前中フルで頑張ったあなた達に――」

 河削はこれ見よがしにパーカーのポケットから自身の財布を取り出した。この瞬間、風向きが変わったのをメイケイエール達は感じ取る。

 そして固唾を飲んで待つ。

 次なる河削の言葉を。

「――今日のお昼は私のおごり! 海の家で何でも頼んでいいよ!」

 来た。

 頭にぺったり張り付いていた耳が、無限の力を得て隆々とそそり立つ。普段なら宿舎にある食堂まで戻らなければならないが、海の家ならば歩いてすぐ近く。その上、日替わりメニューがメインの食堂とは違い、海の家なら様々な料理が選び放題なのだ。

 これは立ち上がらずにはいられない。事実、誰よりも早く息を吹き返したのはリコンスタだった。死中に活あり、ヘッドスプリングで勢いよく立ち上がる。

「……やき……そば……」

「焼きそば?」

「……やきそば……♡」

「焼きそば!」

「……やきそば……☆」

 河削とリコンスタ、二者間で展開される謎言語。ほどなくして話が付いたようで、彼女は振り返り力強く親指を立てた。希望と歓喜で瞳を輝かせながら、遠くに見える海の家群に向けて駆け出す。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 崩れ落ちる膝。

 

 余力を使い果たしたリコンスタは出涸らし同然。灼熱の砂浜もお構いなしにその身体を横たえる。

「リコ、大丈夫ですか?」

「調子乗ってはしゃぐからよ……立てるか?」

 少しばかり回復した二人がリコンスタだったモノに歩み寄る。声をかけるとわずかな反応を見せ、力なく顔を向ける。

「……わた、しは……やきそばに……なりたい……」

「うん、リコもう駄目だな。行こうぜエール」

「えっ、まあ……そうですね」

 渾身の力を振り絞った辞世の句だったが、ことさらミロワダーレは素っ気なかった。要するにいつも通りのノリなのである。メイケイエールもそれには慣れっこであるが、後ろ髪引かれる思いなのは彼女の優しさ。

「……待って……」

 作戦が通らず、その場に置いてけぼりを食らいそうになった本人は慌てて身体を起こす。震える腿を腕で支えてゆっくり立ち上がり、少しだけ離れた場所で待つ二人に合流した。

「……スベった……エールは何食べる……?」

 問われてふと考えるメイケイエール。

 まっさらな心で思い浮かべる。美味なる物を。

「私は――豚玉で」

「シブいとこ突くな」

「……ミロワは……?」

「オレ? オレはチャーシュー麺」

「……替え玉派? 大盛派……?」

「大盛かな」

「……やるね……」

「いや何が」

 軽いコント的な会話を混じえつつ三人は並んで歩いてゆく。休憩として肝要なのは身体を休めることだけでない。緊張して張り詰めた心をほぐすことが重要なのである。

 やはりいつもの三人をセットにして正解だったと、財布の中身を改めながら河削は頷くのだった。

 

エールのは無地でシンプル、わたしのはヒミツ

 午後はヨガに遠泳と、軽くはあるもののじっくり時間を要してトレーニングを行った。

「――じゃあ今日はこれで終了! 三人ともお疲れ様!」

『ありがとうございました!』

 全身に纏う疲労感。動けない程ではないが余裕がある訳でもない絶妙な具合だった。

「じゃ、後はご飯沢山食べてゆっくり休んでね。夜更かし厳禁よ〜」

 鬼軍曹の河削もこれにて終了。決して目には見えないが、トレーナーである彼女の本来の仕事はこれからなのだろう。合宿期間のトレーニングメニューやその他の諸々、ノートパソコンと睨めっこしている姿がありありと目に浮かぶ。

 河削と別れ、三人は一足先に宿舎へと向かった。言葉少なに、頭の中は今日の夕飯のメニューで一杯だった。メニューは選べない反面ご飯と汁物はおかわり自由。ハードなトレーニングを継続するには相応の栄養が必須であり、いくらでも腹の中に収められそうな感覚だった。

「――おっエールさん! お疲れ様やね!」

 砂浜エリアから宿舎の正面口に戻ったところで呼び止められた。力強くカラっとした、聞き覚えのある声だった。

「ベネベネさん!」

 緋色のジャージに荷物が入ったスポーツバッグ。いかにもフットワーク軽そうな姿のベネベネだった。

「今いらしたんですか?」

「おう! 中京でCBC賞やってから直行よ」

 彼女は中途合流組。まず七月上旬開催のCBC賞に出走し、そこから合宿に参加する流れだった。

「ベネ、レースどうだった?」

 ミロワダーレの質問に、ベネベネはウェーブがかった黒鹿毛の髪を揺らした。そして得意満面にグイッと右手でVサインを示す。

「五着やった!」

「紛らわしいなオイ!」

 一番人気を背負い、激走するも及ばず五着。結果だけ見れば残念だったと言えようが、ベネベネはまったく引きずっていない様子。

「結果はどうあれ手応えはまずまずやわ。次に勝てばよか」

 むしろ戦意に満ち満ちている。瞳の奥では真っ赤な炎が燃え上がっていた。

「次のレースはもう決まっているのですか?」

「おうよ、来月後半のGIII北九州記念! こいつは絶対に外せんけんね、地元の皆に晴れ姿を見てもらわんと」

「確かにそりゃ気合入るな」

 トレセン学園では数少ない九州出身のウマ娘。ベネベネ本人もそれに並々ならぬ誇りを持っており、次のレースにかなりの意欲があることが窺えた。

「――という訳で、途中で合宿抜けっけどよろしゅうね、三人とも!」

「はい! よろしくお願いします!」

 奇しくもベネベネは宿舎で同じ部屋。これは良いタイミングだと、案内がてら四人揃って宿舎の玄関を潜っていった。

 

「噂に聞きしエールさんの食欲、改めて間近で見ると圧倒やなぁ」

 大食堂で一同会しての夕食。本日のメニューは味付け濃いめの麻婆茄子だった。人参とピーマンを合わせ、充分に油を吸わせてトロトロなった茄子はとにかく白米が進んだ。

「ほんとマジで。いつ見ても食ったもんがどこに入ってんのか分かんねえよ」

 夕食を終えたメイケイエール達はひとまず部屋に戻った。朝夕の食事と入浴のタイミングは、各部屋に割り振られたグループ単位に定められている。

「それはもう、ひたすらトレーニングしたので……」

 時間が限られている以上、早食い気味になるのは致し方なし。しかしそれでも大きめの茶碗で五杯、六杯と立て続けにお代わりする様子は周囲の注目を浴びた。

「……エールはよく食べるのにスタイル良いし……うらやま……」

 溜息混じりにリコンスタから羨望の声。それにミロワダーレとベネベネ始め、同室のウマ娘も一様に頷いた。

「平気な顔して平らげるんやし、腹ん中が異次元としか思えん」

 メイケイエールの食べっぷりは割と有名なようだった。しかしそれでも、オグリキャップやライスシャワーのソレを知る者にとってはまだまだらしいが。恐らく、彼女達が集結した暁には食べ放題の店は閉店確実だろう。

「――あっ、エールさん。そろそろ私達のグループのお風呂の時間よ」

 同室のウマ娘が告げると、皆一斉に壁掛け時計を見上げた。食事と入浴は時間厳守。特に、みっちりトレーニングを行ったのに汗を流せないとなった場合……それは想像するに恐ろしい。何より、年頃の女子である、精神的な死を迎えてしまうのと同等だろう。

「じゃあ行きましょうか。準備はいいですか?」

「おう、行こうぜ」

 それぞれが着替えと入浴セットを持って大浴場へと向かう。メイケイエールの入浴セットは普段使うシャンプーやコンディショナー、更には尻尾用の物まで専用の箱に収めた気合の入り用。一方、小さめのポーチに最低限の物を纏めただけのベネベネと、持ち物一つとっても本人の性格が大きく反映されていた。

 

「……入口と出口が分かれてる……」

 クリーム色の小綺麗な壁紙に、入口と出口が隣り合わせに並ぶ大浴場の構え。元は男女別の大浴場だったことがありありと見て取れた。

 その上、湯上がり用に用意されたハーブウォーターに、ラベンダーの芳香漂うアロマディフューザー等のお洒落な品々。ここが夏合宿期間のみしか使用できないのはもったいないと思えてしまう。

「なんか、合宿所に改築する時に男湯と女湯の壁ぶち抜いて一つにしたらしいぜ」

「それはまた大胆やな」

「理事長のポケットマネーでやったとかなんとか」

「いやそれ、個人でできるレベルじゃなかやろ」

 噂はあくまで噂である。しかしトレセン学園理事長――秋川やよい――は何かにつけ私財を投入する癖がある。生徒間でもそれは周知の事実であり、彼女ならばあり得るかもしれないと不思議な説得力があった。

「まあともかくとして、お風呂の時間が無くなってしまいますよ」

「あ、悪ぃ」

「やな。まず入ろう」

 噂話に花を咲かせた所でメイケイエールが釘を刺す。限られた入浴時間なのだから、立ち話などで浪費せずに有効に使わなければ。メイケイエールを先頭に、相部屋のウマ娘同士で連れ立って脱衣所への入り口を潜っていった。

 

「洗濯物は後で回収するので分けておいてくださいね。今週の当番私なので」

「……は〜い……」

 幸いなことに、脱衣所の一角を確保できた。同じ部屋のメンバーで固まり、空いている藤織りの籠に荷物を置く。

 皆で集っての入浴。しかし普段から寮生活故、互いに肌を見せることに抵抗はあまりない。寮が異なるとはいえ数年間共に過ごしてきた仲である。身体の前面をタオルで隠す恥じらいは見せつつも、それで尻込みする程でもなく。

 メイケイエール達も既にささっと衣服を脱ぎ、タオルと入浴セットを片手に大浴場へ向かうのみだった。

「……ちょっとね……意外だったんだけど……」

 その最中にリコンスタがしみじみと呟いた。黒いリボンを解き、サイドテールを下ろした姿はまるで別人のよう。光の加減で銀色にも見える芦毛の髪、それはさながら深窓の令嬢だった。見た目だけなら。

「……ミロワの(・・・・)が……ふりふりの花柄で可愛いなって……黒いフリルも」

「横目でこっちチラチラ見てたのってそれかよ」

「……どこでお買い求めで……?」

「秘密。あのブランド気に入ってっから、誰にも教えたくねぇんだ」

「……一理ある……残念……」

 ことファッションの話題になると話が盛り上がるミロワダーレとリコンスタ。どこからどう見ても真逆の個性の二人だが、トレーニングが休みの日にはよく連れ立ってアクセサリーを見に行くなどしているらしい。

 大浴場へのガラス戸を横に開けると、ほのかなフローラルな香りに包まれる。

「うわひっろ!」

「……ですね」

 右から左へ、ずっと広がるパノラマ大浴場。二十五メートルプールがそっくりそのまま入っているかのようで、夏合宿参加者がお風呂が凄かった、と口を揃えて言っていたのに合点がいった。

「ここなら泳ぎとうなってしまうね」

「……気持ちは分かるけど……」

「駄目かな?」

「駄目だと思います」

 残念そうにベネベネが舌をちょろっと覗かせた。しかしそう思いたくなってしまうのはメイケイエールも同様であり、それができればどれほど気持ちいいだろうと想像を膨らませるのであった。

 

相マ眼

 洗い場も広大な大浴場に見合うスペースがあった。衝立でしっかり仕切られており、そこで悠々と髪と身体、そして尻尾についた汗と汚れを洗い流した。

 髪は言うに及ばず、尻尾のケアもウマ娘にとって非常に重要である。色は髪と同じであるが毛質はそれぞれで違うのだ。そのため、髪用と尻尾用でシャンプー等を分けて用意するのが常。

「そういえば合宿って二ヶ月だろ? シャンプーとか切れたらどうすりゃいいのかな」

「宿舎に宅配ボックスが置かれてるみたいですよ」

「へー、じゃあ配送先をそこにすればいいって訳か」

 サラサラの尻尾は誰もが憧れるステイタス。皆言葉には出さずとも、自身の尻尾のケアにはかなり熱を入れているのだ。

 そうしてひと通り洗い終え、メイケイエール達はまとまって湯船に浸かる。メイケイエールとリコンスタはシュシュで長い髪を纏め、まだ白いうなじをほんのり朱く染めていた。

「やあ若者諸君! (いこ)ってるかい!?」

 このままゆったりとした(くつろ)ぎの一時――とはいかず。知った声がする方にメイケイエール達が顔を向けると。

「トレーナーさん? どうしたのですか?」

「どうしたもこうしたも、ここって女湯だから。私らも入って良いんだよ」

 メイケイエール達が入る湯船の側に仁王立ちの河削。片手を腰に、もう片方の手で持ったタオルを肩にかける姿の威風堂々さたるや。

「……いや、それは分かったけどさ」

 恐る恐るながらも、ミロワダーレが言葉を投げかけた。

「なぁに?」

「何でそんな堂々としてんのかって話」

 言うまでもなく河削は立派な成人女性である。あまりにもオープンであり、逆にメイケイエール達が思わず目を逸らしてしまうほどだった。

「え〜? お風呂なんだし恥ずかしがってるほうがアレじゃない? さぁさ、ちょっと開けてちょ〜だいねっと」

 河削はわざわざ間に割って入るように脚を風呂に差し入れた。それから爪先から腿、腿から腰、そして腰から胸へと優雅に浸かる。大人の色香というのはこういうものなのかと、メイケイエールは少しばかり感心した。

「――で、夏合宿始まってしばらく経ったけど。あなた達の所感としてはどんなもん? 初めてだし、色々戸惑うこともあったんじゃない?」

 落ち着いた所で河削より繰り出される質問。

「はい――朝から通しでトレーニングをするのは初めてでしたので、着いていけるか少し心配でした。ですが今のところは特に問題ありません」

「うんうん。エールちゃん頑張ってるし、その調子その調子」

 まさに模範的な回答のメイケイエール。トレーニングへ取り組む姿勢は常に真摯であり、百点満点といっても過言ではないだろう。

「大の大人がウケ狙いに走ってスベるとああなるんだってよく分かったぜ」

「……言うねぇ」

 ミロワダーレはあの時の意趣返しか、夏合宿初っ端の事件をほじくり返してくる。河削としてはそれなりに自信があったのだが、予想外の総スカンで記憶の底に埋もれていたというのに。

「……夏休みの課題……寮に忘れた……」

「えっウソ!? ちょっとかなりマズいじゃないそれ」

 次いで、リコンスタからの予想だにしない告白。夏合宿の主目的はもちろん身体の向上ではあるが、そもそも彼女達は学生の身分。長期の休みには宿題がしっかりと出されている。

 驚きのあまり河削は湯船の中で立ち上がった。しかし、当人のリコンスタはにやにやして上機嫌に耳を動かすのみ。

「……う〜そ〜……」

「――あんまね、からかわないようにね。マジでビビるから。夏合宿の期間中、あなた達を預かる身としてはね」

 割と本気で心配したらしく河削は胸を撫で下ろす。

 そんなやり取りを傍から見ていたベネベネが、興味津々といった様子で湯をかき分けながら擦り寄る。

「ははっ、噂に違わん面白か人やね。初めまして、河削トレーナーさん」

「あなたは――ベネベネちゃんね、初めまして。エールちゃんの専属トレーナーの河削です」

 どういう内容の噂なのか――それは想像に難くない。数多のエピソードに今回のスクール水着コスプレの件もいずれ追加されるだろう。

「あの……トレーナーさん。わざわざこの時間にお風呂に入られたのはどうしてなのでしょう? 私達がいますしあまりゆっくり出来ないのでは……?」

「あー、それはね。まあ色々と……」

 メイケイエールが素朴な疑問を投げかける。河削ならばウマ娘との交流目的というのもあり得るだろうが、入れ代わり立ち替わりで落ち着いた入浴も難しいだろうに。

 しかしながら、河削は答えをはぐらかせながら視線を洗い場の方へ向ける。

「――!」

 リラックスしていた彼女の瞳が鋭敏に輝く。そしておもむろに立ち上がった。つい先程までの緩んだ口元は引き締まり、まるで別人に成り代わったかのようだった。

「えっ、あの! どちらに!?」

 何かを目がけて湯船から出ていこうとする河削をメイケイエールが呼び止めた。皆が皆、突然の行動に唖然として目を丸くするばかり。

「――ちょっとね、ナンパ!」

「な、なんぱ?」

 破顔一笑、聞き返す間もなく河削は洗い場の方へとずいずい向かっていく。青鹿毛の髪を肩口まで伸ばした小柄なウマ娘に歩み寄っていくのは見えたが、そこからは人影に隠れてしまう。

 後に残されたメイケイエール達はその背中をただただ見送る他なかった。

 

「……ベネベネさん」

 事の顛末(てんまつ)が気になり湯船から出るに出られず、かといって何をするでもなく微妙な空気が流れた。しかしそれを好機と見たメイケイエールが意を決し、ベネベネに肩を寄せて小さく声をかける。

「その……マシロさんは……」

 春の一件以来、すれ違いが続いたままの従姉妹。夏合宿には来ているはずだが、姿が見えないのがどうしても気がかりだった。迂闊に他人に聞く訳にもいかず、ベネベネなら何か知っているだろうと踏んだのだ。

 その意図を察してか、ベネベネは敢えて振り向くことをしなかった。

「ああ、マシロな。チーム・シリウスの合宿に帯同させてもろうとるよ。こことは別んとこ」

「チーム・シリウスの……? だから姿が見えなかったのですね……」

「オークスで勝てんかったのがはがいかった(・・・・・・)みたい。秋華賞でリベンジって、本人もかなり意識しとるみたいよ」

 両手の指を互い違いに組み、そのまま高く頭上に掲げてぐぐっと背筋を伸ばすベネベネ。二人は視線を合わせることなく、それでいて耳はしっかり向き合っていた。

「そうでしたか……とりあえず良かったです。お元気そうで」

「エールさんもな」

「私も?」

「マシロな、ああ見えて心配しいでね。自分のせいでレース出れのうなったりしてないか不安やったと……だから、こん夏合宿で様子見てきてほしいって頼まれてさ」

 ベネベネが白い歯を覗かせながらメイケイエールを横目で見る。

「ま、ああ見えてお節介焼きやけんマシロは。本当に嫌いになんてなっとらんけん安心しなっせ」

「――はい」

 今まで自身の心を縛っていた透明な糸が急に解け、身体がだらりと弛緩する。口元まで湯船に沈め、ぷくりぷくりと泡を吐き出し恥ずかしさを紛らわせる。

 まだ面と向かって会話することは叶わずとも、完全に拒絶されたのではないと。それが分かっただけでも十分だった。

「やぁやぁお待たせ〜! 皆待っててくれたなんてやっさしぃ〜!」

 そうこうしている内に河削が湯船に舞い戻ってきた。彼女が言うナンパをやり遂げた感前面に、非常に晴れやかな表情をしている。

「……で、何しに行ってたの……?」

 リコンスタを始め全員が河削の言葉には半信半疑だった。わざわざ他者の目のある風呂場でナンパなどと、特別な理由もなくするはずもないだろう。

 まともな人間ならば。

「ん〜? ナンパだよナンパ」

 河削は湯船の縁にもたれるように背中を預け、両腕を後ろに回して縁に乗せる。いたって何でもないという口振りであるが、それでおしまいとなるはずもない。

「ウソつけ。ぜってー何かあっただろ」

「……わたしたちにまで……隠したいこと……?」

「んー……まぁ、そうね。あなた達ならいいかな」

 両目を閉じて少々の逡巡の後、躊躇いがちに河削は瞼を開けた。真剣な眼差しが注がれる中、視線を背後へと向ける。

「あの()――分かる? さっきまで話してた」

 その先には件の、小柄な青鹿毛のウマ娘がいた。少し控えめな、奥ゆかしさを感じさせる少女だった。

「どうも跛行してるみたいなんだよね」

 跛行――何らかの脚部の異常により、正常な歩行ができない状態を指す。

 思いも寄らない言葉にメイケイエール達は動揺の色濃く、互いに顔を見合わせた。もう一度視線を青鹿毛のウマ娘に向けるも、傍から見た限りでは跛行しているとは見えなかった。

 しかし河削本人はそれを尻目に、湯を両手でひとすくいして顔を洗い流す。

「といっても症状はかなり軽いけどね。右の股関節をちょっとばかり痛めてんじゃないかな」

 彼女の言葉に迷いは一切ない。平然と断言する姿に一種の怖れを覚え、しばらくの間言葉が喉の奥に入り込んだまま出てこなかった。

 

「右の股関節を痛めてるって……どうして分かったのですか?」

「そうだよ。普通に歩いてるようにしか見えねえよ」

 離れたところからではあるが、件のウマ娘は何の問題もなさそうだった。少なくとも、外見上は。

「そうねえ。体重移動の不自然さ、脚の動きの滑らかさ、後は……歩く時の肌のシワの寄り方くらいかな。そこら辺で大体分かるよ」

 そうは言うものの、にわかには信じられず。

 ――だってさ。分かった?

 ――いいえ。

 ミロワダーレからの無言の問いかけに、メイケイエールは首を横に振る。

「あっ、信じられないって顔してんね? これでも一応、GⅠ獲った()も担当したトレーナーとしてご飯食べてますから。相マ眼には自信があるよぉ」

 右手の人差し指と親指で右眼を大きく見開いてみせた。とぼけた顔をしながらも、その瞳はウマ娘の心の内まで見透かしていく。少しずつ温かくなる身体とは反対に、頭の中は冷涼に澄み渡る。

「……しつもーん……」

「はいリコちゃんどうぞ」

「……あのコのトレーナーに伝えないのは……直接本人に言うのはどうして……?」

 わざわざ本人に、しかも風呂場で伝える意図とは。律儀に挙手したリコンスタの問いに、わずかな間を置いて河削は答える。

「――それはあくまでも、選択する権利があの()達にあるからだよ。いくら私もトレーナーとはいっても、直接契約は結んでないし……担当トレーナー差し置いてああしろこうしろなんて言えないから」

 首筋にぱしゃりと湯をかける。

「ま、あの()のトレーナーは知ってるから、この後話をしてみるけど。あなたの担当の()、ちょっと診させてやってあげてってね」

「そら……ちょっとお節介じゃなかかて思うけど」

「うん。まあそれはそうだと思う。でもどうしても見過ごせなくってね〜」

 ベネベネからの指摘についても余裕たっぷりの受け答え。

「さて、じゃあ私から皆に質問。中央で働くトレーナーの男女比はほぼ半々なんだよね。そこで女性トレーナーが(にな)う役割とは何でしょう?」

 ひょんなことから始まったトレーナーの座学会。しかしレースに関することでなく、トレーナー自身に関わることときた。

「……女性の視点から、私達ウマ娘のサポートをする……でしょうか?」

 前髪の先から水滴を滴らせつつ、メイケイエールが口火を切った。

「お、ワリとイイ線いってるよ。さすがエールちゃん」

 その回答は十分に納得させるものだったらしく、指で力強く彼女を指し示した。

「ほら。皆ウマ娘といっても、十代の年頃の女の子でしょ? なら……多かれ少なかれ、男の人には言いづらいことがあると思うんだけど」

「あ、オレ分かる」

 同意しながら大きく頷くミロワダーレ。彼女と契約を結んだ日村トレーナーは頑強そうな、典型的スポーツマンな男性である。

「ミロワちゃんは日村君だったよね。アイツはねぇ駄目だよ。脳ミソ半分以上筋肉だから」

「……何回か本気でぶん殴ろうと思ったぜ」

 色々と思い当たる節があるらしい。眉を潜めて耳は垂れ、怒りと恥じらいが混ざった複雑な表情を浮かべた。

「でしょ? あの娘のトレーナーも男の人だから……股関節が痛いってちょっと言いづらいよね。デリケートな部分を見せるのも抵抗あるだろうし。だからこそ女性トレーナーがその辺りをうま〜く拾ってあげて橋渡ししてるってこと」

 河削からの回答には皆が納得だった。非常に繊細な扱いを求められる部分について、女性トレーナーだからこそ適切に対応ができるというもの。

「では、今回も……」

「その辺りは結果を待つしかないかな。まぁ――」

 河削は口の端を釣り上げてみせるも、その目は笑っていなかった。

「この私が関わってんだから。良い方へ転がしてみせるよ、絶対に」

 白い歯を剥き出しに、牙を見せた姿はメイケイエール達の心を射すくめた。この人は骨の髄までトレーナーなのだと、その姿勢はまさに感嘆に値するものだった。

 

 そうして次の日。砂浜が使える期間は一旦終わりとなり、翌日からは内地でのトレーニングとなる。河削の前に整列し、挨拶からその日のトレーニングが始まるのだ。

「よーし、集まったね! じゃあ今日も――」

 不意に鳴り響く携帯の着信音。間違いなく河削のものだ。

「ごめんちょっと待ってて! はいもしもし河削です――」

 パーカーのポケットから携帯を取り出し、その場から離れながら電話に出る。

「あぁお疲れさま! 今? うん大丈夫大丈夫、あーもしかして昨日の? うん、うんうん……あぁ〜」

 ウマ娘は普通のヒトよりも耳が良い。兎のように集音性に優れた形をしているからか、少し離れたくらいなら問題なく音を拾うことができる。さすがに通話の内容までは分からないが、河削の言葉ならばとても明瞭に。

 これはあくまでも聞こえてきてしまっているのであり、断じて盗み聞きではない。

「そっかぁ、で、トレーニングは……? あっそうなんだ!? へぇ〜良かったじゃない、ねぇ合宿に来てるんだしねぇ」

 河削の声のトーンが一段上がる。恐らく昨日の件についてだろうが、彼女が言う良い方向に転がったらしい。弾むような声となっているのがその証だろう。

「ん? いや別にいいよぉそんなの。んまぁ、まぁ……そうだねぇ――じゃあ今度一杯奢ってくれる? いいのいいの! うん、それじゃあまた!」

 どうしてこう、他人の電話の内容は気になってしまうのだろう。メイケイエールら三人は一様に耳をそばだてながら事の次第を窺っている。

「――お待たせ〜! 昨日の娘のトレーナーからでさ、念のため朝イチで診察してもらったんだって」

 通話が終わり、聞かれるよりも早くその内容を包み隠さず打ち明ける。

「結果はどうだったんですか? ここで聞こえた限りではそこまで重くはなさそうでしたが……」

「あっ聞こえてた? やっぱり股関節炎だったみたい。でも症状はごく軽くて、ちょっとだけ安静にしてれば治るから……トレーニングメニューを下半身に負担がかかんないのに変えて様子を見るって」

「では、早めに見つかって良かったということなんですね」

「そう。合宿に来たら無理しちゃう娘も多いから。ちょっとくらいの痛みなら黙っちゃうケースも多いんだよね。そしてその内に限界を超えちゃうと……もうね、取り返しがつかなくなるの」

 ふっと、河削の表情に陰りが差す。恐らく、取り返しが付かなくなった結果をいくつも見てきたのだろう。それがどういうことかは自明であり、それ以上メイケイエール達が尋ねることはなかった。

「――少し脱線しちゃったかな。そろそろ今日のトレーニングを始め……る前に! エールちゃんとミロワちゃんで模擬レースをやってもらいます」

 まったく予想していなかった流れに、指名された二人は狐に摘まれたような顔で目をぱちくり。

「さぁ準備準備! 一分一秒も無駄にできないよ!」

「は、はい!」

 大きな音で手を叩いて河削が急き立て、言われるがままに走るためのウォーミングアップを始めるのだった。

 

後方怒涛ミロワダーレ

 砂浜に一直線のスタートラインを引き、そこにメイケイエールとミロワダーレが並ぶ。それぞれストレッチを終え、走る準備が整っていた。

「よし、じゃあ良いかな。砂浜の向こうにコーンを立ててきたから、そこをぐるっと回ってきて一往復。距離はまあ……五百メートルくらいかな? 何か質問は?」

「特にはないのですが……どうしてこのタイミングなのでしょう」

「明日からしばらく砂浜使えなくなっちゃうからね」

「別に走るのは良いんだけどさ、本当に走るだけなのかよ?」

「そ、走るだけ」

「エールと、か……勝てたことねえんだよな……」

 その場で小さく跳ねながら、ミロワダーレがぽつりと呟く。

「それも知ってる。でも、相手が強いからって気後れするミロワちゃんじゃないでしょ?」

「――へっ。まぁな」

 レース本番でも、模擬レースでも彼女はメイケイエールの後塵を拝していた。しかしながら、どのような相手でも果敢に挑んでいく負けん気の強さは見事なもの。現に、目つき鋭く不敵な笑みを浮かべているのだから。

「リコちゃんはここで待機だけど――」

「……待機……!」

 河削の言葉が終わるのを待たず、リコンスタはすかさず砂浜に腰を下ろした。一人悠々と休憩のスタイルを取る気満々だったが、今は合宿真っ只中。楽をさせてもらえるほど甘くはない。

「二人がゴールしたら所感を聞くからしっかり見ておいてね」

「……任せて……」

 すぐさま立ち上がり、両手で額の上に(ひさし)を作って観戦準備は整っているというアピール。のんびり休もうとしていたことは無かったことにしたいようだ。

「レースは一本勝負! 勝っても負けても何もないけど……手加減抜きだよ、いいね?」

「承知しました」

「手抜きなんて器用な真似できねぇって」

「やる気で結構。それじゃ、位置について――」

 スタートラインの前で共に上体を前に傾けた。半歩ほど出した脚に力がみなぎり、柔肌の下に隠された強靭な筋肉が隆起する。

「用意――」

 耳と視線は真っ直ぐ前に。更にぐいともう一段、全力で飛び出せるように身を乗り出す。

 

 そして。

 

「スタートッ!」

 河削の掛け声を皮切りに、金色の砂を捲き上げながら弾け飛ぶ。遠くに置かれた赤いコーン目がけ、みるみる内に遠ざかる二人の背中。

「エールちゃんとミロワちゃん、どっちが勝つと思う?」

「……やっぱり……エールかな……」

 それを見ながら勝負の行く末を予想するリコンスタ。やはり地力があるメイケイエールが優勢と踏んだのだが。

「なるほどねぇ。私は――」

 しかし、河削には別の景色が見えていたようだった。

「ミロワちゃんが勝つと思うよ。勝ち方は――ゴール直前での差し切り勝ちで」

 予想だにしないその回答に、リコンスタは河削の横顔をまじまじと見た。だがすぐに視線を戻し、コーンで折り返そうとする友人二人の勇姿を片時も余さず瞳に焼きつけた。

 

 ――改めて、砂浜とはどうしてこうも走り難いのだろう。

 専用のシューズを履いているとはいえ、柔らかな砂上では脚の踏ん張りが効かない。蹴り出す脚も手応え軽く、少しの油断でバランスを崩してしまいそうだった。

 勢いよくスタートを決めたメイケイエールは、海からの塩気混じりの風を切り裂きながら突き進む。そしてミロワダーレはその少し後ろに控えるようにし、砂を被らない位置取りを意識していた。

(ミロワの仕掛けはどこでしょうか……)

 後ろを振り向かないまでも、耳を向けてミロワダーレの動向を気にしていた。元々後方からの差し切りを得意とする彼女がいつ来るかどうか。

 しかし、メイケイエールとしても負けるつもりはない。

 折り返しの赤いコーンが見えてきた。やや外側に進路を取りつつ、スピードを殺さないよう曲がっていく。

(――ここ!)

 折り返した直後、メイケイエールは一気にスパートを開始した。片道およそ二百五十メートル。直線距離として見ればかなりの短さ。短めと呼ばれる中山レース場でも三百メートルはあるのだから、仕掛けるなら早い方が良い。

 砂を後ろに蹴り飛ばし、徐々にミロワダーレとの距離を離していく。可能な限り優位を保ちつつ追撃を凌ぎ切る。これがメイケイエールの作戦だった。

(ミロワは……まだ来ない……!)

 後手に回ってはいけない。力の限り疾く、遠く。

 

 ――残り二百。まだ遠い。砂浜へ踏み込む音に、自らの鼓動の音が合わさり一体となっていく。

 

 ――残り百五十。ゴールにいる二人が見えてきた。ミロワダーレはまだ後ろに。

 

 ――残り百。もう少し。このままいけば勝利。

 

 歯を食いしばるメイケイエールの表情が若干緩む。それはほんの一瞬の、ほんの些細な出来事だった。後ろに倒していた耳が気持ち横に向く。

 しかしその直後のこと。

 

 どおッ!!

 

 背中の方から砂浜が爆ぜる轟音が。どこかで似たような音を聞いた記憶がある。あれは……興味本位で観た戦争映画だ。

(……いったい、何――)

 では何の音か。

 確か、砲弾が地面に着弾し炸裂する音。まるで場違いに響く轟音にメイケイエールは困惑した。ひとまず出元を確かめようと、咄嗟に首を後ろへ。

「っらっしゃああああ!」

 いた。

 ミロワダーレが横にいた。

 後ろにいたはずの彼女が既に隣。顔が固まるメイケイエールと、横目のミロワダーレとで視線が交差した。

(……っくっ!)

 砂上を物ともせず、力強く前に出るミロワダーレ。メイケイエールも負けじと対抗するも、緩んだモノを再び引き締めるのには更なる力が必要だった。

 それが例え僅かな時間であったとしても、ゴール前の光芒一閃では大きな壁となる。どうにか巻き返しを図ろうとするがゴールラインが足元に。

「ゴールッ!」

 結果は、頭一つの差でミロワダーレの勝ち。

「った……やった……」

 メイケイエールを下して一位でゴール。一対一の模擬レースではあるものの、ミロワダーレは震える両の拳を握り締めた。

「やったあぁぁ! エールに勝ったぁっ!!」

 腕を振り上げ、全力の歓喜の勝ち鬨だった。本番のレースで勝った以上の喜びを見せる彼女に感服しつつ、少し複雑な想いを抱くメイケイエールだった。

 

「お疲れ〜。いや熱戦だったねぇ。ミロワちゃん、勝った感想はどう?」

 河削は戻ってきた二人を拍手で(ねぎら)った。ゴール直後は声を張り上げたミロワダーレだったが、いくらかは冷静さを取り戻した様子だ。

「あぁ、まぁ……エールにはちょっと悪いけどさ」

 すぐ隣のメイケイエールに遠慮するものの、胸弾ませながら桃色に染める頬は未だ喜び色濃く。

「勝ったって思ってるところに追いついた時の顔がさ――何つーの?」

「愕然とした顔?」

「それそれ。あのエールがさ、ガクゼンとして目ん玉ひん剥いてんだもん。それをゴール間際で差し切ったんだから――気持ちよかった! マジで!」

 ルームメイトであり無二の友人でもあるが、胸中には様々な想いが溜まっていたのだろう。非常に晴れやかな、頭上に輝く太陽よりも眩しく笑顔が輝いていた。

 そしてはにかみながら、静かに佇むメイケイエールのいじらしいこと。恐らく、内面は悔しさがうなりを上げて渦巻いていることだろう。

「そりゃそうだろうねぇ。さてリコちゃん! 質問だよ!」

「……え〜……」

 大きく手を打ちながら、次の指名はリコンスタ。息を潜ませ、最大限気配を押し殺していたのだが。その努力が徒労に終わってしまった。

 しょげた耳にだらりと垂れた尻尾と、あからさまに嫌々なのを隠そうともしない。

「ミロワちゃんとエールちゃん、勝敗を分けたポイントは何でしょう?」

「……走り方、かな……」

「理由も答えられる?」

「……エールは歩幅が広いのもあるけど……後ろに大きく蹴って進むから砂浜だと走りにくそう……ミロワは脚を地面に下ろしてから後ろに蹴るから……走りにくさはエールほどじゃない」

 あれだけ嫌がる素振りを見せていたのだが、回答とその理由も明瞭たるものだった。予告されていたとはいえ、二人のレースをしっかり観察していた成果だった。

「凄い、だいたい正解」

 河削が拍手で讃えると、リコンスタは得意げに鼻息を荒くした。

「補足すると、エールちゃんのは脚力を前に進む力――推進力にほぼほぼ注ぎ込む走り方だから。地面がしっかりしてる芝ならスピードが出せるんだけど、ダートとか不安定な足場だと効率がかなり悪くなっちゃう」

 メイケイエールの走り方をゆっくり再現し、後ろへ蹴り出す力が砂で分散する様子を実演してみせる。スピードを出そうと力を入れるも、派手に砂が巻き上がるばかりだった。

「んで、ミロワちゃんは大げさにすると――一歩目を踏み込んでから後ろにキックする走り方。エールちゃんに比べるとスピードはそこそこだけど、地面をしっかり捉えられるからダート向き。何よりミロワちゃん体幹がしっかりしてるから、最後の末脚が抜群に効くんだよね」

 溜めに溜め、最後に爆発させるミロワダーレの走法。その威力はたった今メイケイエールが実感したものだった。

 

「ダート向きねぇ……あっ」

 その話を納得しながら耳を傾けていたが、何やら思い当たる節があったらしい。

「もしかして、オレのトレーナーから話聞いてた? ちょっと前に言われたんだよ。芝だとパッとしないからダートに行かないかって」

「そりゃもちろん。トレーナー間の情報共有はしっかりやらないといけないからね。日村君には私から言っておこうか?」

「ありがとう。でもオレの問題だし、そういうのはオレから言わないとさ」

 伸び悩む成績の打開策。それが現実味を帯び始め、ミロワダーレ自身も心の内が固まったようだ。瞳に灯る光が活き活きと、力強く輝く。

「……あと、も一つあるけど……」

「えっほんと? まだあったっけ……なになに?」

 複数の回答はどうやら予想外だったようだ。普通に驚きつつも、控えめに挙手をしたリコンスタを再び指した。

「……ゴール前のエール……ちょっとソラ使ってた……」

「え゙っ」

 思いも寄らない方向から無防備な脇腹を突かれ、反射的にメイケイエールはダミ声を上げる。

 ソラを使う――いわゆる、レース中に集中力を欠くことである。ゴール直前の気の緩み、それをリコンスタは言っているのだ。

 直接ペナルティがある訳ではないが、気を抜くことにより最後の最後で追い抜かされる恐れがある。そして何より、レースに対する姿勢が疑問視されかねない。

 アスリートとして、最後の最後まで全力を尽くすのは当然と言えよう。

「ああ、それもあるね。なのでエールちゃん、本番で小っ恥ずかしい思いをしたくなかったら……ゴール駆け抜けるまでは全力でね」

「はい……」

 本人も自覚があるだけに反論は一切できなかった。負けた上にレースへの意識についても指摘され、メイケイエールは一回り程小さくなる。

「うーん。折角だから言っちゃうか……皆、ちょっと集合!」

 河削にはまだ隠し玉があるらしい。顎に指を乗せてひとしきり考え、メイケイエール達を目の前に呼び寄せた。

 

勝負の覚悟

「丁度いいから合宿後半はね――自分自身の限界を超える! これをテーマでやっていくつもり。あなた達を八月の一ヶ月間かけて、ゴリゴリに追い込んでくからそのつもりで!」

 後ろで手を組みながら、高らかな河削の宣言。

「あなた達と同期の娘とで、そこまで抜きん出てる娘はいないって感じ。要するに誰にでも勝ち目があるから、そうなるとさ。皆が皆勝とうと全力を尽くすよね?」

 背筋を伸ばしてメイケイエールは傾聴する。既にそこにいるのは、ニヤけながらウマ娘の尻尾を追いかける河削ではなく、実績十分なトレーナーの河削だった。

「その娘達の中で勝つにはどうするか? それ以上の力を――限界の限界まで絞り切るしかないよね? その為には自分自身の限界を認識して、超えられるようにならないといけない。疲れ切って一歩も走れなくなってから、更にもう一歩を踏み出せる底力をね」

 腕を組み、歯を剥いて笑う。指導者ではなく、これからまさに戦わんとするアスリートのような闘志。

「な訳で、後半はもう前時代的な根性論バリバリだから! もしついて来れなくなっても……その時は尻尾ふん捕まえて引きずってでも連れてくからね。勝つためにあなた達ウマ娘はここに来た。私達トレーナーをそれを叶えるためにいるんだし」

 河削は間違いなく本気だ。夏の太陽よりも熱い決意をその身に受け、この人は心の底までトレーナーなのだとつくづく思う。

 そして、秋レースへの戦いが既に始まっていることを感じ取り、メイケイエールは唇を固く結ぶ。勝ちたい――GⅠで。届きそうで届かない頂に辿り着くべく、絶対にやりきってみせると誓うのだった。

 




次話は夏合宿後半。アプリでもお馴染み夏祭りイベントとトレーナーとの語らいなど予定。
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