Blooming☆Yell!!   作:ルブク

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クラシック夏合宿後半戦その①
後半戦をひとまとめにすると結構な長さになりそうなので分割しました。内容としてはこの後のつなぎ的な感じです。

ちなみに、作中に出てきた武蔵野ステークスですが。ミロワダーレのモデルであるギルデッドミラーは、当レースを勝った初めての牝馬というユニークな記録があります。
ウマ娘の世界では当然牡牝の区別がないため、ダート初挑戦かつ重賞初勝利という方向にちょっと変えてみました。
ギルデッドミラーは武蔵野Sの前にダートのオープンとリステッドを走ってますが、そこは意図的にオミットさせてもらうことに…。

人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html


The 15th Yells 怒濤のエール

One More Set!

 八月に入り、夏合宿もいよいよ後半戦へ。河削の宣言通り、トレーニングはよりハードな内容に展開していく。それは、これまでがまるで子供のままごとだと思えるほどに。

 ある日は――。

 

『は〜い注目! 今日はここでトレーニングね』

 河削に連れられて来た先、そこはひたすら続く石段のふもとだった。近くにトラックがある訳でもなく、ただただ登り階段が続くばかりである。

『あの……階段なのですが……』

『そうだよ、階段だよ』

 念のためにメイケイエールが訪ねてみるも、まるで当然とばかりに返される。彼女を含めた三人、ずっと遠くにある頂上を途方もなく眺めていた。

 ところどころ苔むす石段は年月の経過を感じさせる。普段なら静かな森の中で深い趣きを漂わせるのだろうが、今は物言わず聳える姿が不気味でしかなかった。

『この石段、全部で五百段くらいあるんだって。いや凄いねえ。じゃあ五往復ワンセットで五セットやってみようか』

 普通のヒトならば、五百段を一回登って降りるだけでも相当な負荷である。それを往復五回を五セット、ウマ娘であっても容易なことではない。

『……念の為だけど……歩きはおーけー?』

『え? やだなあリコちゃん。走るに決まってんじゃない』

『……ぃぇぁ……』

 歩きでも過酷な条件であるのに、それを走って登るのだと平然と。今ここにいる時点である程度察しはついていたものの、いざ言葉として聞くと相当なインパクトがある。

『という訳で、全員終わらないと帰れないからね――はいスタート!』

 横から口を挟む余裕もなく、三人は開始の掛け声と共に階段を駆け登る。

 均整にならされているとはいえ、石段の登り難さは相当なものだった。迂闊(うかつ)に苔むした部分に踏み込まないよう、脚元に細心の注意を払いながらひたすら進む。

『くっ……!』

 不安定な足場を駆け抜けるため、下半身――特に腿や脹脛(ふくらはぎ)に強烈な負荷がかかる。河削の狙いは恐らくこれなのだろうと、必死に脚を動かすメイケイエールの頭によぎった。

 

 登りもあれば下りもある。

 階段を駆け登った三人が荒い息のまま途方もなく続く下り階段を眺める。今更だが、一度バランスを崩せば真っ逆さまに落ちていきそうな急勾配に足がすくむ。親切な手すりなどあるはずもなく、体当たりで挑む以外の選択肢は存在しなかった。

 互いに顔を見合わせ、小さく頷いた。ここまで来て躊躇(ためら)いは厳禁。意を決して階段を駆け下りる。

『下りはスピード要らないからね! 脚! 脚の回転を意識して!』

 下方から河削の(げき)が飛ぶ。言われるまでもなく、石段を一段一段降りていくには脚元に全ての意識を集中させなければならない。

 更には、進む勢いと自信の体重による強烈な重みが足腰に襲いかかった。単に坂道を下るのとは比べ物にならない衝撃に顔が歪む。これを五往復五セットとなると、脚がどうなってしまうか想像もできない。

『言い忘れてたけど! 五セットやったら休憩して、もう一回五セットやるからね!』

『鬼かよっ!?』

 無慈悲な河削の言葉に、駆け下りながら叫ぶミロワダーレ。メイケイエールとリコンスタは彼女の言葉に心底同意するのだった。

 

 またある日は――。

 メイケイエール達は宿舎から少し離れて山の方へ向かった。豊かな緑にとめどなく湧き出る清涼な清水。まさに心洗われる環境と言ってもよい。

『今日――ここ――トレーニ――らね!』

 三人を集めて河削が怒鳴り散らす。発声は限りなく不明瞭で、耳を凝らしてどうにか聞き取れる程度だった。

『ここで――ング――すか!?』

『えぇ!? なぁに!?』

 メイケイエールが両手をメガホンにしながら叫ぶもまるで通らない。

 彼女達の眼前には雄大な瀑布(ばくふ)がそびえ立つ。尽きることない清流が豪快な水しぶきと共に滝壺へと落ちていく。大自然のとてつもない力と神秘を感じさせる。

『こ――で! なに――すか!?』

『滝――よ!』

『聞――ねえよ!』

 全力で叫ぼうと、とめどない瀑音(ばくおん)にかき消されて一部しか聞こえない。河削、メイケイエール、ミロワダーレの三人で不毛なやり取りを続けていると、横からリコンスタがぐいっと割り込んだ。

 彼女は眉間に深く皺を刻みながらスマホを操作し、その画面を突きつけた。

 

 ――滝から離れろ。

 

 ウィスパーボイス気味のリコンスタ。普通に喋っては瀑音(ばくおん)に太刀打ちできず、それならばと文字に頼ったのだ。

 効果はてきめん。無言の圧力によってすごすごと滝から距離を置いて仕切り直しとなった。

 

『……え〜、そんなこんなで。滝行です』

 互いの声が十分に聞こえる場所まで離れたところで、改めて河削が宣言する。飛び出した単語はトレーニングの内容とはとても思えず、三人の反応はかなり曖昧なものとなった。

『……悪い。意味がわかんねぇ』

『意味も何もそのままだよ。滝に打たれて根性鍛えようってこと。水着はちゃんと持ってきてるよね?』

『持ってきましたけど、着替える場所もないですし……』

『あるよ。ほら向こう』

 河削が指差す先に確かにあった。更衣室らしき、しっかりした屋根つきの建物が。学園側もここをトレーニング施設の一種として認識している証拠だが、よくもまあ見つけたものだと。

『まあちょっとした気分転換って感じかな。頭スッキリすると思うよ』

 ここまで来た以上、三人はやむなく水着に着替えた。このような山奥で水着になるのも不思議な感覚だった。

『大体一回十分くらいで、休み休みやってくからね。後は……滝に打たれる時は肩とか首の付け根付近で。頭からいっちゃうと首痛めるかもしれないから』

 河削から簡単なレクチャーを受け、三人は滝壺へと進んでゆく。濡れた岩は思いのほか滑り、転ばないよう互いの手をしっかりと握り一歩ずつ。

 滝口から流れ落ちる水量は圧巻そのもの。水飛沫(みずしぶき)が白く、霧のように舞い辺りを露で濡らしていく。文字通り、滝に手が届くところまで近づいたのは初めての経験だった。

 そうして気がついたことが一つ。

 

 水が存外に冷たい。

 

 山から湧き出た冷涼な清水である。夏の真っ只中であっても水温は低く、そのまま浸かろうものなら凍えてしまう。十分程度と河削は言っていたが、果たしてその時間すら保つだろうか。

 ミロワダーレとリコンスタも同様に不安げに顔を曇らせていた。とはいえ、ここでまごついていても意味がない。皆で渡れば何とやらと、三人でタイミングを合わせ同時に滝に打たれた。

『冷たっ……!』

『おっも……!』

『し ぬ』

 身を切る冷たさと肩にのしかかる重量。少しバランスを崩しただけでも滝に押し潰されそうになり、必死に姿勢を正していなければならない。雑念が入り込む余地など髪の毛一本程の隙間もなかった。

 初めての体験に戸惑いつつも、メイケイエール達は滝行の修練を重ねていった。一体何をしているのだろう、ということは極力考えないようにして。

 

「何か、三人とも疲れ切っとるねぇ」

 夜の宿舎。夕飯と入浴の後の、束の間の自由時間である。各自くつろいだり、ジム室で自主トレに励む者など様々。

「ちょっとばかり……いえ、相当に大変なので……」

 しかしながら、ハードトレーニング続きのメイケイエール達は死んだ魚のような目で横たわるばかり。外を出歩く余裕など皆無だった。

「……ベネぇ……脚マッサージして……」

「仕方なかねぇ。じゃあうつ伏せで」

「……やったぁ……ぉ゙お゙ぉ゙ゥ゙」

 ベネベネから手厚いマッサージを受け、形容しがたい唸りを上げるリコンスタ。セルフケアは欠かさず行っているものの、蓄積した疲労は相当量。少し休んだくらいで解消できるものではなかった。

「こらまたガッチガチやなぁ。かなりやっとるね」

 両手でリコンスタの脹脛(ふくらはぎ)を揉みほぐしながら、ベネベネが感心しきりに呟く。

「そりゃもう毎日訳わかんねぇことやってっからなぁ……滝行とか」

 ミロワダーレが身体を重そうに起こし、うんざりしながら口を開く。

「滝行!? また面白そうな」

「まあハタから見りゃ面白いよな……やってる側としちゃ」

 滝行と聞けば大方の反応はそんなものだろう。実際に体験してみると分かるその大変さ。水の圧力はともかくとして、水温の低さには対処のしようがなかった。

「私もやってみたかったな。もうすぐレースがあるけん、軽か調整レベルでやった感じがのうて」

「いや〜、オススメできねぇよ」

「話んネタになれば十分」

「ネタかよ……」

 横で聞いていて、そういう感想が出てくるのもメイケイエールは分からなくもなかった。それにベネベネならば豪快にこなしてしまいそうだとも。

「ベネベネさんはもうすぐ北九州記念ですよね。どうです? 感触は」

「そりゃもうバッチリよ。やっぱり地元ん皆に見てもらえんのは燃えるね――よしリコさん、おしまい」

「……ありがと……」

 ベネベネの出走予定レース、GIII北九州記念。小倉レース場での開催というのもあり、移動と現地入り後の調整期間を考慮すると部屋を共にするのも残り僅かであった。

 地元の人達と聞いて、両親や中京レース場で働く人達の顔が浮かんだ。幼い頃、レース開催がない日にこっそり走らせてもらったものだが。

「ついでに……オレも良い?」

 横目でソワソワしていたミロワダーレ。とうとう我慢できず、ぺたんと横座りのままベネベネにすり寄っていく。

「おーおー、入れ食いやな。分かった、そこ寝ぇ」

 そういえばデビューして以来、まだ中京で走ったことがないのをメイケイエールは思い出した。

 どうしても出走予定との兼ね合いもあり、軽々しく中京で走りたいと言う訳にもいかない。特に秋から来年の春にかけてはスプリント戦線の大一番が待っているのだ。

「きゃあっ! くすぐったっ!」

「おおっ、むぞらしか反応やな。さすが女の子」

「うっせっ!」

 ひとまず、今年の年末は実家に顔を出そう。彼女は密かに決めたのであった。

 

鏡よ鏡

 合宿所の宿舎においてもトレーナーには個室が用意されている。ほぼほぼビジネスホテルのシングルルームのようなデザインで、合宿に来た感覚があまりないのは物寂しい感じだった。

 河削はノートPCでトレーニング中の映像を再確認していた。ホットコーヒーが入ったマグカップを片手に三人の動画を再生する。

「エールちゃんは……トレーニングなら全然問題ないんだよねぇ」

 歯を食いしばりながら、懸命にトレーニングに取り組むメイケイエール。しかしながら、レース本番だと頭に血が上りすぎてしまうのか暴走気味になってしまう。

 これはなかなか難しい。トレーニングを積み重ねれば解決する問題ではなく、実戦を繰り返し本人が気づきを得なければならない。無論、それがトレーナーとしての役割ではある。

 しかしながら、彼女のひたむきで真面目な性格がここで災いとなっているようだ。とにかく肩に力が入りすぎているきらいがある。

「ミロワちゃんは……何か掴んできてるね。よしよし」

 恐らく、この夏合宿で最も飛躍するのは彼女、ミロワダーレだろう。長らく雌伏の時を過ごしてきたが、舞台を芝からダートに移し大輪の花を咲かせようとしている。

 メイケイエールに競り勝ったからか、口では文句を言いつつもトレーニングにはかなり熱が籠もっていた。

「で、リコちゃんは……もう少しできるはずなんだけど」

 リコンスタはまだまだポテンシャルが発揮しきれていないように見えていた。闘争心が表に出るタイプではないものの、負けん気については先の二人にも劣らない。斜行という不利があるのは致し方ないとして、現状は若干の物足りなさを覚える。

「どうするかねぇ……」

 コーヒーを一口、そして溜息一つ。メイケイエールだけでなく、ミロワダーレとリコンスタを預かる以上、彼女達を確実にステップアップさせなければ。頭一つとはいかずとも、頭半分だけでも抜け出せれば秋のGⅠ戦線で有利に戦えるだろう。

 

「いっけね時間だ」

 画面表示されている時間に気がつき、慌ててヘッドセットを装着する河削。WEBミーティングのアプリを立ち上げ、そのままミーティングを開始した。

 すると直ちに待機中二名の表示。入室を許可してマイクのミュートを解除した。

「すみませんお待たせしました」

『いえ、大丈夫です』

『河削も忙しいとこ悪いわねぇ。別にメールとかでも良いのよ?』

 画面に表示されたのは日村と白石の苗字。ミロワダーレとリコンスタの担当トレーナーである。夏合宿の期間中、トレーニング状況を定例報告する場を設けていた。今日がその日である。

『預かっている以上はしっかりやらせてもらいますよ、先輩』

『あらヤダ。普段女の子の尻尾追っかけてるばっかなクセして、こういう時は殊勝なのね』

 河削から見て、日村は同期で白石は先輩トレーナーとなる。以前から交流があり、一癖も二癖もあるあの娘達を任せられるのはこの二人しかいないと頼み込んだのだ。

『そりゃ私もトレーナーですから。じゃ、状況を――』

 ミロワダーレとリコンスタのトレーニング状況について端的に、かつ詳細に報告する。些細な怪我であっても発生部位、状態、処置等をつぶさに。

「――という訳で日村。合宿から帰ってきたらミロワちゃんからダート転向の話があると思うからよろしくね」

『ありがとうございます。本人も乗り気なようで安心しました』

「エールちゃんに競り勝ったのが大きかったみたいよ」

『日村ぁ、ダートで何のレースに出るか決めてるの? 休み明けだと色々予定詰まってきて大変だと思うんだけど。まずはオープンからとか?』

『いえ。武蔵野ステークスを考えています』

『武蔵野!? また攻めるわねぇ……あの娘前に重賞勝ったことあったんだっけ』

『まだです。なので武蔵野を』

「武蔵野ステークスって確かライムトニック出る予定じゃなかった? 思い切ったことすんじゃない」

 トレーナーの間でもライムトニックの評価はかなり高い。彼女の陣営はクラシック級を準備期間と定め、シニア級で本格始動するつもりらしい。それもあり、能力は同世代で頭一つか二つは抜けていると専らの噂である。

『ダート初挑戦で、なおかつ重賞初勝利が武蔵野って娘は今までいないようなので。ついでにその記録も狙おうかと』

 ヘッドセット越しとはいえ、日村の口調に迷いはない。それだけ担当しているミロワダーレを信頼しているのだろう。

『変に守りに入るより、攻めた方が気合が乗る娘もいるものね。それはそうと河削、そろそろ合宿も大詰めだろうけど何か考えてんの?』

 もう八月も中旬。終盤に差し掛かると共に、身体に蓄積された疲労もピークに達している頃だ。ランのタイムも合宿当初と比べると顕著に下降傾向にあった。

「もちろんですよ。合宿ラストに相応しい、とびきりキツイ超長距離ランでいこうと思います」

 学園では実施することが難しい超長距離ラン。信号や歩行者に気兼ねすることなく走れるまたとない機会である。

『なるほど、アレでいくのね……』

「支障があれば別のメニューに変更しますよ」

『いいえ。ガッツリやっちゃってちょうだい』

『同じく。構いません』

「了解です。じゃあそろそろ定例の報告はこれで終わりします――お忙しいとこありがとうございました」

 最後に締めの挨拶をしてミーティングを終わらせる。そしてノートPCを閉じ、天井を仰いで大きく息を吐いた。凝り気味の肩を労りながらも、じきに来たる大一番を控え気合を入れ直す河削だった。

 

ロングラン・トレイル

「さぁみんな! 昨日はぐっすり眠れたかな?」

 合宿ラストを飾る超長距離走の当日、河削は宿舎の正面口に三人を集めた。傍らに置く大きめの段ボールには、超長距離に必要な装備品一式を納めていた。

「はい。と言いますか……」

「布団に潜り込んでからの記憶がねえや」

「……気がついたら朝……」

 まだ朝早い時間で眠気が抜けきっていないようだ。その割に髪や肌の色ツヤはとても良く、弾ける十代の底力をまざまざと見せつけられている。よく運動してよく食べてよく寝て、今日までの道程は確実に彼女達に身についていることだろう。

「それで十分! じゃあこれから荷物配るからね――はいどうぞ」

 段ボールからボディバッグとスマートウォッチを取り出す。それらを要領を得ない顔をする三人に手渡していく。

「あの……これって?」

「説明はこれからするから。とりあえず着けちゃって」

 言われるがままボディバッグの肩紐を締め、スマートウォッチを手首に巻くメイケイエール達。これまでのトレーニングとは異なる毛色を感じ取り、不穏な雰囲気を募らせているようだった。

「はい、三人とも着けたかな? じゃあ今日は……長距離走をやってもらいます! ルートは皆のスマホに送ったから確認してね」

 各々スマホを手に取り、送られてきたルートを確認する。ちょっとしたピクニック気分といった顔つきが、みるみるうちに険しいものに変わっていく。

「このルート……間違いではないですよね?」

「間違ってないよ? ここをスタートしてぐるっと回ってくるだけだし」

「ぐるっと回ってくると言っても……」

「うん。たかだか八十キロだよ?」

 スマホの画面と河削の顔を交互に見て、目を白黒させるばかりのメイケイエール。他の二人も口を半開きにしたまま顔が固まっていた。

「まあ五時間くらいを目安にしてもらおうかな」

 気持ちは分からないでもない。フルマラソンの二倍近い距離である。ヒトが走れば七、八時間はかかる距離であり、そもそも完走すること自体が困難ともいえる。

「八十キロを……五時間……」

 いくら身体能力に優れるウマ娘とはいえ、ここまでの長距離は容易なものではない。最高時速七十キロを誇るがあくまで瞬間風速的なもの。スピードを保ち、超長距離を走るようなトレーニングは受けていない。

「そ、三人で頑張ってね。休憩は自由にとってくれて構わないから」

 言葉もなく、不安げにメイケイエール達は顔を見合わせていた。中央における最長距離のレースは三千六百メートルのステイヤーズステークス。全く比べようもなく、未知の領域であるのは確実だった。

 事前の予告もなく、今から走れと言われたらこういう反応もするだろう。しかし河削はあえて無視し、スマートウォッチを指で小突いた。

「ソレにGPS機能が付いてるから私も追っかけるから。走り方やペースはあなた達にお任せ」

「いきなり走れって言われてもさ」

「予告したら対策するでしょ?」

「……心の準備が……」

「なに? お膳立てしてあげないと走れないの? ずいぶん生温いんだねぇ、じゃあやめていいよ」

 突き放す物の言い方に対抗心の火がついたようだ。ウマ耳を力強く屹立させ、走る意欲に満ち溢れている。少々強引かもしれないが、最後の最後にモノを言うのは心。要するにこれが最後の試練なのである。

「何か質問は? なかったら十分後にスタートね」

 リコンスタが控えめに挙手をする。

「……もし五時間……切れなかったら……」

「また明日も走ってもらうよ。他には?」

「休憩するタイミングは決まっているのでしょうか」

「特に決まってないよ。どこで休憩するかは皆で決めていいから。渡したバッグにドリンクのボトル二本入れてるけど、足りないと思ったら途中で買ってもいいし」

 三人は改めてバッグの中身を確認した。ドリンクが入ったボトル二本と栄養補給のカロリーブロック、そして救急セット。走るための必要最低限の装備である。

「と、いう訳で」

 河削が咳払いを一つ。

「三人で精々頑張ってね。もしギブアップするならスマホで連絡ちょうだい。ちなみにギブアップした娘だけ明日リトライで――ま、そんな娘いないと思うけどぉ、ね」

 ニタリと笑う顔はトレーナーのソレではなかった。戯れに蟻を蟻地獄に放り込む子供のような、邪悪な無邪気さがメイケイエール達の背筋を凍えさせていった。

 

 青々と茂る山林の真っ只中を縫うように敷かれる車道。右も左も木立が広がるばかり。時折視界が開けることもあるが、あまりにも変わり映えしない光景に進んだ感覚がしない

 聞こえるのは木々のさざめきと小鳥の歌声。三人が走るのはそのような心洗われる空間だった。

「エール! 後五百でチェンジ!」

「はい!」

 前にピッタリ寄せる縦列で曲がりくねる車道を進む。たなびく尻尾が触れるか触れないかの、ギリギリで付かず離れずの間隔を保っていた。

 やがて、先頭を走っていたメイケイエールが手首のスマートウォッチに目をやった。後方を振り返って確認し、一人列から外れて最後尾に回り込む。

「リコ! 距離頼む!」

「……はいな……!」

 ミロワダーレが先頭に立ち代わり二人を引っ張ってゆく。総距離八十キロメートルという長丁場、工夫なく走ってはいたずらに体力を消費するのみ。三人いるのだからと、メイケイエールの提案でパシュート方式としたのだ。

 三人一列で走り、一定距離を走ったら先頭を順次入れ替えてゆく。先頭が空気の抵抗を一身に受けている間、後ろ二人は体力回復に努める。そして、目標タイム内で完走できるよう走行ペースも相談して定めたのだ。

 

 今できることを、できる限り。三人のウマ娘が人気のない山路を整然と駆け抜ける。十キロ、二十キロはいたって順調。自動車が何台か通り過ぎていったが、ドライバーは決まって怪訝な顔をしていた。一体何事かと思ったかもしれない。

「今のとこは時間通りって感じだよな? どっかで飲み物補給しないとマズいかも」

 丁度良い場所に車の待避所を見つけ、そこで軽い休憩を取っている。ドリンクでささやかに喉を潤したミロワダーレが、ボトルを振りつつ提言した。

「そうですね。途中で道の駅があるみたいなので、そこで補給しましょう」

「偶然……じゃねえんだろうな。なんかムカつく」

 背の高い木々の下を通り直射日光は避けられているとはいえ、外気温は容赦なく体力を削っていく。河削が用意してくれたボトルがあるとはいえ、それだけでは心許ないのは明白だった。

「リコ。脚はどうですか?」

「……うん。まだいけるよ……ありがと」

 脚に不安要素を抱えるリコンスタは地面に座り、入念にマッサージを行っていた。彼女がいかに負荷なく走れるか、それが今回の成否にかかっていることは間違いない。

 とはいえ、メイケイエールもそこまで余裕がある訳ではない。隣に座り、同じようにマッサージを始めた。

「……エールは……河削トレーナーのこと、どう思う……?」

「トレーナーさん、ですか? そうですね――」

 脹脛をほぐしながらリコンスタが尋ねる。

「言動おかしいし明らかに普通じゃねえけど……まぁ悪いトレーナーじゃねえよな」

 少し言葉を選んでいると、体側を伸ばしながらミロワダーレが代返した。

「……悪い人じゃないよね……おかしい人なだけで……」

 思い起こせば、最初の出会いも無茶苦茶な情熱を持った河削からのアプローチだった。それから紆余曲折を経て、気がつけばクラシック級の中間点。

 GⅠは未勝利であるものの、これまでに重賞タイトルを三つ。トレーナーとしての手腕が確かなのは身を以て知っている。だからこそ、チームや他のウマ娘と契約せずに自身と単独契約を結んでいるのが疑問だった。

「確かにかなり個性的な人ですけど、しっかりしたトレーナーさんだと思います」

 契約して一年以上が経っている。自分の担当として、あの人は今どのように考えているのか。知りたくもあり、ずっと蓋をしておきたくもある。

(今の私を……あの人は……)

 よぎる不安を頭を振ってかき消す。今はそのようなことに心を砕いている場合ではない。

「そろそろ行きましょう」

「おう」

「……あい……」

 メイケイエールはすっくと立ち上がり、二人に声をかけた。最後にシューズの靴紐を固く締め直して足元を確かめる。

 よそ見は厳禁。今はただこの長距離ランを三人で終えることに専念しなければ。

「じゃ、エール先頭で再開だよな?」

「ええ。私からです」

 車道と並行になる形で三人縦に並び、各々体勢を整えた。小さく息を吐き、メイケイエールはひたすらに伸びる道路の先へ目を向ける。

「――行きます!」

 その合図を皮切りに、道路を蹴り出し苦難の旅路へ。緋色のトレーニングウェアを着るウマ娘が三人、人知れず難局へ立ち向かわんとしていた。

 




次話は後半戦その②。
道中、ちょっとしたイベント発生の予定。
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