作中において、距離や地理関係は全くの出任せです。ざっくりとしたイメージは伊豆半島とかその辺りです。
人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html
思い伝うココロ
超長距離ランは順調に進み、全体の三分の二を走り終えようとしているところ。
しかし順調であるからといって、その道程が平易であるとは限らない。
「リコ、踏ん張れっ! 離れるともっとキツくなっぞっ!!」
「道の駅ですから! もう少しでっ!」
先頭を走り終えて列の最後尾に交代したリコンスタだが、前二人にジリジリと離されつつあった。額から滝のように汗を流しながら、メイケイエールとミロワダーレが必死に声を飛ばす。
「……っ! ……っ!」
返事する余裕もなく、リコンスタは歯を食いしばる。
陽が高くなるにつれ気温は一層の上昇を見せ、逃げ場が一切ない状態で走らざるを得なくなった。体力と共に、無慈悲にも水分とナトリウムがこれでもかと奪われる。
「見えました! 道の駅! 看板!」
道の駅までの距離を示す看板を見つけ、メイケイエールが精一杯声を張る。喜びの声は誰からも上がらなかった。
「あと何キロ!?」
「五キロです!」
「長ぇよ!」
「しりませんよっ!!」
ただただ一刻も早い休憩を。もはやその一念のみ、持てる限りの力を振り絞り道の駅へと向かった。
どうにかこうにか道の駅へ。駐車場の隅の方で偶然日陰になっているベンチを見つけ、ありがたく使わせてもらっている。
「……ぜーッ……ぜーッ……」
辿り着くなり、リコンスタは全身を預けるかのようにしてベンチにもたれかかった。消耗具合は言うに及ばず、一歩も歩けないという体だった。
「リコ……大丈夫か……?」
ミロワダーレも脚を投げ出しながらその隣に腰かける。彼女の問いかけに、リコンスタはこくこくと小さく頷くことしかできなかった。
「あ〜くっそ……もうちょっといけると思ってたんだけどさ」
悔しそうにしながら天を仰ぐ。道中、しきりにリコンスタを励ましていたミロワダーレ。しかしながら実態は彼女も限界いっぱいの状態だった。自分まで潰れてしまえばメイケイエールの負担が増してしまうと、半ば意地で踏みとどまっていたのだ。
「……エール、は……?」
「買い出しに行ってくれた。オレ達の分も」
「……え、行か、なきゃ……」
「いーや、リコはここで待ってろ」
起き上がろうとするリコンスタを腕で制し、そのままぐいっとベンチに押しつけた。
「気持ちは分かっけど。でも一番バテてんのもリコなんだから。少しでも体力回復させんのを優先しろよ」
「……エール一人に……頼りっぱなしなのは……」
本人も疲れているであろうに、メイケイエールは嫌がる素振りを一つもせずに買い出しへ向かったのだ。ミロワダーレも歯噛みしながら両手を固く握る。
「その分オレ達が走れるようになんねぇと。一人で荷物――」
道の駅の方を眺めていた彼女の言葉が止まる。目を瞑って天を仰いでいたリコンスタが身体を起こし、怪訝そうな顔で同じ方向を見やる。
「――一人じゃなかったみたいだぜ」
「……あれ、どうして……?」
二人は目をパチクリさせながら出迎えた。
「えっと、ただいま……戻りました……」
手ぶらで、所在なさげにしているメイケイエールと。
「御機嫌よう。久しぶりね」
両手にスポーツバッグを提げたマシロを。
普段は学園の制服か勝負服姿を見ることがほとんどであり、緋色のジャージに身を包んだ様は新鮮だった。芦毛のリコンスタとはまた異なり、純粋な白毛である彼女の髪はプラチナの如く輝いている。
「ケア用のスプレーとテーピング、ハンマーと蹄鉄の釘も一式持ってきたわ。後は栄養補給用のドリンクと食べ物も必要でしょうから」
思いも寄らない人物の登場に誰もが言葉を失う中、マシロは平然とスポーツバッグの中身を出してゆく。
「ここだと少し狭いし、人目につきやすいわね……奥の方に芝生の広場があるからそっちが良いわ。シートも持ってきているから移動しましょう」
「……いや、おいちょっと!」
「何かしら?」
有無を言わさぬ勢いで物事を進めていくマシロをミロワダーレが呼び止めた。
「まあその、色々持ってきてくれたのは嬉しいんだけど……何でマシロがこんなとこに?」
ここは宿舎から大分離れた道の駅。鉢合わせするにしても、偶然にしては非常に出来すぎている。しかも必要な道具を備えているおまけ付きで。
「あら、こんなとこって……」
マシロは一瞬メイケイエールの方へ顔を向けた。不意に目が合いどぎまぎするメイケイエール。しかしマシロは涼しげな顔で、長い後ろ髪をあえて大袈裟にかき上げる。
「この近くに合宿所の第二宿舎があるのよ? 今日はオフだからちょっとお店を覗きに来たの」
「まじ?」
「何よ。知らなかったっていうの?」
「……ぜ〜んぜん……」
「もうこれだから――まあ、こちらは大人数のチームが主だから仕方ないかしら。それよりエールから聞いたわ。随分と無茶なことをしているようね」
マシロを先頭に、彼女が言う芝生の広場へと向かう。すたすた歩いてゆく後ろ姿に気をつけながら、ミロワダーレかメイケイエールに小声で話しかける。
「……なぁ、大丈夫なのかよ……?」
「……マシロさんなら信頼できますし……」
「……そうじゃなくて。桜花賞からちょっと仲ビミョーだったろ……」
ぴくり、とマシロの耳が僅かに反応する。
「……声かけてくれて、宿舎から色んな物持ってきてくれましたから……本当に優しい方なんです……」
「……ふ〜ん……」
元々が少し強めな口調のマシロなので、果たして彼女が本心ではどう思っているか。何も語らぬ背中とは裏腹に耳はしきりに動いていた。
「この辺りなら日陰もあるけど、どうかしら」
マシロの言葉通り、道の駅の建物の向こうに芝生の空間が広がっていた。テーブルとベンチが備え付けられている東屋まであり、まさに休憩するのにうってつけである。
「いや最高。文句ねえって」
「……屋根……屋根がある……」
「そう。なら良かったわ」
歓喜のあまりベンチにすがりつくリコンスタ。消耗著しい彼女にとって、この東家はオアシスのように見えたに違いない。
「あの、マシロさん。何から何までありがとうございます」
「別に――余ってたのを持ってきただけよ。お礼を言われるようなことではないわ……それより、貴方も早く休憩なさい。本当に辛くなるのはここからだから」
「……それって、どういう……」
脚に満遍なくコールドスプレーを浴びせるリコンスタが尋ねる。
「ここから少し走ると登り下りが続く山道になるの。マップ確認してなかったの?」
――言われてみれば。
全体のルートとしては確認していたものの、道路の環境やコンディションについては一切認識していなかった。メイケイエールは慌ててマップのアプリを開いてみると、なるほど確かに。道の駅の先は、つづら折りのカーブが幾重に重なる地獄絵図。
「合宿のトレーニングで何度か走ったけど、普通に走るだけでも相当疲労するわ。何十キロ走ってきた貴方達にはかなり堪えると思うのだけれど」
このまま終わるとは思っていなかったが、まさか最後に試練が待ち受けているとは。
「何か企んでそうな顔してんなとは思ったけどさ……やってくれんな本当に」
うんざりしたような口調のミロワダーレであったが、それとは反面、自らの脚にテーピングを施す。剥がれてしまわないようしっかりと、両脚に。
「貴方達なら完走できると踏んだんでしょ」
「んなこと分かってるって。いつもヘラヘラしてんのに、いざという時しっかりトレーナーやってんのが妙に腹立つというか」
「まあ――それには同意ね」
溜息混じりにマシロはバッグからシートとスプレー、テーピングを取り出す。そして芝生の上にばさりとシートを広げた。
「エール、来なさい」
二度、三度シートを手で軽く叩き、自身の方へ来るように促した。まだ立ったままのメイケイエールへ。
「あの、自分で……」
「いいから。貴方も体力を無駄にしないの」
「良いじゃねえか。やってもらえよ」
マシロの手を煩わせてしまうのではないか。折角のオフの日だというのに、わざわざ自分達のトレーニングに付き合わせるようなことをして。
まごつくばかりの状態にミロワダーレが助け舟を出す。
「……エールも休まないと……」
2人の方を振り返ると、リコンスタがミロワダーレに手伝ってもらいながらテーピングを施しているところだった。
「ほら、時間が惜しいから早くなさい」
こう言われては遠慮するのも気まずくなる。メイケイエールはシートに座り、おずおずと裸足を差し出す。
「よ、よろしくお願いします」
細くしなやかな、白魚のような指が凝り固まった脚の筋肉を解してゆく。見た目よりもずっと力強く、時には撫でるような手つきで。疲労した箇所を的確に探り当てる彼女の手腕は見事としか言えなかった。
「あの」
今なら言えなかったことが言えるかもしれない。謝ることができればと。
「桜花賞の」
「今じゃない」
言いかけて、そして遮られた。見えない手で首根っこを掴まれたかのように、それ以上言葉が出てこない。
「……今は、貴方自身のことを優先しなさい。一番大切な時期じゃない。それが終わってからでも遅くはないから」
マシロもそれを察したのか、声のトーンを和らげて言葉を続けた。メイケイエールに、と言うよりも、まるで自分自身に言い聞かせているようだった。
「何を言いたいのか分かっているし、私も伝えたいことがあるから。だから今はまだ……また、後で」
それきり二人は黙ったまま。丁寧にマッサージを施すマシロの手がとても温かく、心の芯にまで届くのをメイケイエールは感じた。
「よし、ざっとこんなもんか……休めるだけ休めたな」
マッサージと栄養補給を済ませ、時間が許す限り体力回復に努めた。それでも最後の難関、過酷な山道に挑むには不十分ではあるが。
「後二十キロくらいです。時間的にはまだ余裕がありますが……」
「……山道つらそう……」
もう泣き言は言っていられない。メイケイエール達の表情は疲労感が見え隠れしているものの、力強い眼差しはまだ残っている。
靴裏の蹄鉄を打ち直し、靴紐を固く縛る。三人は道の駅の駐車場から車道への出入り口付近へ。その背中を、持参した荷物を抱えたマシロが邪魔にならないよう追いかける。
「マシロさん、ありがとうございました」
「別に良いから。目標タイムがあるんでしょう――早く行きなさい」
「偶然でも凄ぇ助かったぜ。今度一緒に走ろう!」
「……またね……」
「ええ」
別れの一時でもマシロの返事は素っ気ない。三人は現在時刻と位置、そしてこの先のルートを確認し、この先に待ち構えている苦難の山道へ臨む。
「それでは、行ってきます!」
メイケイエールの合図と共に走り出す。ほんの一瞬、マシロの方を振り返ってみた。
(マシロさん……)
控えめに小さく手を振る彼女。どことなく恥ずかしそうな様子にメイケイエールの心が弾んだ。小さくなってゆくマシロへ後ろ手に手を振り返し、たちまちに遠くへ走り去って行く。
「行ったわね」
マシロはメイケイエール達をその場でずっと見送っていた。背中が見えなくなったことを確認すると、道の駅へと踵を返す。
(気づかれた……)
こそばゆい感覚に俯く。
こっそり、バレないように手を振って送り出すつもりだったのだが。よりにもよって完璧なタイミングでメイケイエールに振り返られてしまった。
見られてから止めるのも不自然なので続けたが、まあ小恥ずかしいとしか言いようがなく。
「さて……」
しかしそれも済んだこと。マシロは白銀の髪を揺らしながら、道の駅の駐車場を左から右へとひとしきり目を配る。
そして一台、朱色の二本のラインが車体横に走る軽ワゴン。エンジンをかけたままのその車に歩み寄り、運転席の窓を軽くノックした。
二、三拍置き、運転席に座る女性――頭の後ろで髪を団子に纏めた――が窓を開ける。
「――や、奇遇だね」
「何が奇遇よ。白々しい」
車に乗っていたのは河削だった。窓を開けてひらひら手を振る挨拶に、短く鼻を鳴らしてマシロが応える。
「それはそうとしてありがとね。お世話してくれて」
何かあっても対応できるよう、トレーナー用に手配された学園の車で河削は後を追いかけているという訳だ。
「……別に。たまたまオフの日だったから手を貸してあげただけよ。連絡受けた時は少し驚いたけど」
大人のトレーナー相手でもマシロの居丈高な態度は変わらない。人によってはそれが不遜なものと映るようだが、河削はニタニタと笑みを浮かべる。
「おやぁ? 私が聞いてるのと違うなぁ」
窓枠から上体を乗り出し、マシロの顔を覗き込んだ。
「別の日だった休みを、お願いしてこの日に
「どこでそれを――」
顔は平静を保っていたものの、瞳はあからさまに揺れ動いている。河削は勝ち誇ったかのように鼻息を荒くした。
「ふふん、トレーナー間の情報網を舐めてもらっちゃ困るねえ?」
あの時の意趣返しも果たし、それはもう得意満面。しかしもういい歳の大人、学生相手にひけらかすのはここまでだ。
「――とはいえ。わざわざ予定変えてくれたのはマジで助かったよ。マシロちゃんもチームシリウスの合宿についてってる真っ最中だったのに」
「それは……まあ。理由を話したら向こうのトレーナーも、先輩方も快諾してくれたから。てっきり却下されるかと思っていたわ」
「マシロちゃんの日頃の行いってやつ?」
マシロは押し黙ったままただ髪をかき上げる。照れ隠しなのか、褒められて満更ではなかった模様。
「さて、私はそろそろ宿舎に帰るよ。三人が戻ってくるのを待ってなくちゃ」
「ええ。そうしてあげて」
それじゃあ、と挨拶をして河削は車を出した。相当無茶なことを行っているはずなのだが、心配する素振りも見せないのはよほど信頼しているのか、それとも。
マシロは彼女達が挑んでいった山へと目を向けた。今はどの辺りだろうか、いよいよ登り坂に差し掛かっているだろうか――。
(エール……私もやり抜いてみせるわ)
並々ならぬ努力を重ねる姿を目の当たりにし、彼女自身もオフ返上の自主トレへと向かっていった。
わたしたちは友達だから
陽炎立ち昇るアスファルトの道。太陽からの熱線は情け容赦なく降り注ぎ、熱く重い空気が肺を焼き付けてゆく。登り下りの過酷さは筆舌に尽くしがたく、押し寄せる疲労と酸素不足でメイケイエール達の思考を奪う。
脚にはもう、登り坂を進む力は満足に残されていない。いつ頃からか後ろの走者が前の走者の背に手を置き、押し進めるような形となっていた。
誰が言い出すでもなく、全くの無意識の行為だった。
「……下り……です!」
先頭のメイケイエールが喉を
登り坂を終え、その次はカーブを伴うなだらかな下り坂。これが最も過酷な組み合わせだった。
カーブを曲がり切るために、スピードは出すぎないよう抑えなければならない。そうなれば自然と脚で突っ張るような姿勢を取らざるを得なくなり、身体を支えるために膝に多分の荷重がのしかかる。
少しでも気を抜けば膝から崩れ落ちてしまおう。まさに
「そこで少し……休憩……!」
長い下り坂が終わる頃合、道路に並ぶ形でスキーのジャンプ台のようなモノが設けられていた。
それはかつて、下り坂でブレーキが効かなくなった車のための緊急待避所。これまでの道中にも何ヶ所かあり、メイケイエール達の文字通り命綱となっていた。
ふらつく足取りにて、砂が敷き詰められた待避所の斜面に腰かける。地面に座るとそのまま立てなくなりかねず、適度な傾斜があるこの場所は休憩に最適だった。
三人は背筋を伸ばす余力もなく、四肢をただ弛緩させて仰向けに寝転ぶ。残りは十数キロ。もうひと踏ん張りすれば終わる距離ではあるが、今の体力では何倍何十倍の長さに感じてしまう。
眩しく輝く太陽に目を細めながら、このまま眠りこけてしまおうかとメイケイエールの頭にふとよぎった。
「……しんどいね……」
「まぁな……」
うわ言のようにポツリとリコンスタが呟き、ミロワダーレがそれに反応する。
「……つらいね……」
「ですね……」
続いてメイケイエールも。
「……もうやめたいね……」
二人は返事をしなかった。耳は垂れ、肯定とも否定とも取れない、歯に物が挟まったような顔で口をつぐむ。このトレーニングに何の意味があるのか――その疑問を口にした瞬間、全てが水泡に帰すのではないか。
地面越し、自らの背中のすぐ下にほの暗い恐怖が広がっている。許した瞬間、たちまちのうちに取り込まれてしまうだろう。
「……
ゆらりとリコンスタが立ち上がり、空に顔を向けたまま一つ、二つと歩みを進める。メイケイエール達はそれを目で追いかけた。
「……エールも、ミロワもいる。わたしだけじゃなくて……二人の背中を見てると、わたしも頑張らなきゃって思う……」
サイドテールを括る黒いリボンを解いた。汗で重くなった芦毛の乱れ髪がはらりと戻り、うなじを覆い隠す。
「……エールは芝で、ミロワはダートで……三人で走れるのもこれが最後になるかもしれないし……」
メイケイエールとミロワダーレもゆっくり身体を起こした。リコンスタの背中を捉えながら。
「……んン〜?」
しかし、自問自答の結果が釈然としないのか、彼女はしきりに小首をかしげる。ぶつくさ呟き、ああでもないこうでもないと一人舞台を繰り広げていた。
一体どうしてしまったのか。メイケイエールはミロワダーレに目配せするも、向こうも両の掌を上げて肩をすぼめるばかり。
「……うん、そうだそうだ……」
やがて合点がいったのか、自らの掌を反対の手でポンと叩くリコンスタ。突如始まった彼女の一人舞台を、二人の観客が戸惑いつつも見守る。
「……やっぱり一番は……アレかな……」
頭を動かし、髪を大きく左右に振った。細かい汗の雫が陽光で煌めきながら舞い散ってゆく。
そして解いた黒のリボンを口に咥え、降ろした髪を元のサイドテールの形に手でまとめる。乱れた髪をリボンで固く締め直し、おもむろに二人に向き直った。
「……これ以上カッコ悪いとこ……二人に見せたくないから」
足を肩幅に開き、腕組みをして大上段に。唇をツンと尖らせ、これがキメ顔といった雰囲気で目に力が入っている。
「何だよカッコ悪いとこって。随分余裕あるじゃねぇか――」
半ば呆れ気味にミロワダーレが重い腰を上げ、リコンスタのまん丸ほっぺを突く。今もなおその弾力は健在で、突いた指先にしっとり吸い付いて離れない。
「……余裕? ないよ。これは空元気……」
「何で空元気」
「……だってなんかヤじゃない……ヘロヘロのクタクタになって戻ってくるって思ってるよ……あの人……」
さすがに八十キロという距離を駆けようものなら、疲労困憊の極みに至るのは誰しもが思うことだろう。それが常識的な考えである。
しかし彼女達は思春期真っ只中。トレーナーとはいえ、常に大人の思うがままというのも違和感があった。
「まぁ……それはそうだな。ちょっとくらいハナ明かしたってバチ当たんねぇよな」
少なくとも、ミロワダーレとリコンスタには反骨心が芽生えている。性格的な部分も多分にあるようで、メイケイエールはまだそれほどではなかったが。
「……それにね、やり遂げたいの……三人いっしょに走れるのがこれで最後になるかもだから……苦しい顔で終わりたくなくて……」
メイケイエールはスプリント路線、ミロワダーレはダート路線へ臨むことが決まっている。併走トレーニングで顔を合わせることはあるだろうが、それも何度あるかも分からない。
リコンスタがミロワダーレの手を取り、もう片方の手をメイケイエールに向かって伸ばす。
「……だから、いっしょに……」
同じく、ミロワダーレも空いている手を。
「……エールと、ミロワと……友達といっしょに……走りたいの……」
「エールも来いよ! 最後に三人で気合入れようぜ」
少し離れてぼんやり眺めていたメイケイエール。急に名を呼ばれて勢いよく天に耳を立て、はたと我に返る。
「え、あっ……」
誘われるがまま、力強い鼓動と燃えるように熱い二人の手を握る。にこりと笑ったリコンスタにつられて笑みを返す。
「エール、何か一言頼むわ」
「えっ!? そんなこと急に……」
「……何でも良いから……」
音頭を取ってくれと、これまた急なリクエストに頭を巡らせるメイケイエール。うーんと一唸り、何でもと言われても、それが一番困るのである。
「えーと、それでは……」
良いのかどうかは分からないが、とにかく一つの言葉が浮かんだ。脚を僅かに開いて身構える。
「目標タイム、絶対に切りましょう! おーっ!」
「オーッ!」「お〜!」
心を一つに上げた鬨の声。終わってからリコンスタがポツリと呟いた。
「……やっぱエール、まっじめ〜……」
「な、らしいよな」
「何でもいいって言ったじゃないですかっ!?」
ククッと含み笑いをする二人に、顔を赤くしながら食ってかかるメイケイエール。身体は疲れているものの心は逆に清々しく。三人で笑い飛ばしながら、これならきっと大丈夫だと確信に近いモノが心の内に湧き上がってきていた。
ごっちゃんでした
河削は別ルートで一足先に宿舎に戻っていた。車内でタブレットを起動し、三人の位置をGPSで確かめる。もうじきゴールである宿舎に戻ってくる。
「うーん、参ったね……」
刻々と近づいてくる三つの点に向かって溜息を漏らす。
間違いなく完走はするとは思っていた。しかし、設定したタイムを切ることはないだろうと。三十分、いや一時間オーバーしても完走したことを評価し、再走は不問にしようとしていたのだ。
それがどうだ。
「時間バッチリ切るじゃん」
絞り出すように呟いた。
それだけでなく、後半になるほど落ちていった走るペースが、あるポイントを境に上向きに転じていったのだ。それは微々たるものであったとはいえ、河削を驚嘆させるのに十分だった。
侮っていたかもしれない。彼女達の可能性に。
「よぅし、戻ってくるかぁ」
両の手で自らの頬をピシャリと叩く。徐々に陽が傾きつつある空の下、英雄達の帰還を出迎えるべく河削は車から降りた。
宿舎から公道に向かってまっすぐ伸びる私道。河削は木立が並ぶその道の終わりに立ち、メイケイエール達を待つ。
空は橙に色づきつつあるも、焼けつく暑さは未だ衰えず。降りしきる蝉時雨を全身に浴び、じっとり汗ばむ額を手で拭った。
視線は私道の先の先。ただひたすらに目を凝らす。
「――来た!」
それは三つの小さな点だった。しかし近づいてくるにつれ、姿がはっきりと見えてくる。
メイケイエール、ミロワダーレ、リコンスタ。無理難題と思われたオーダーを満額回答で戻ってきたのだ。
(にしても……)
――なんと愉しそうに走っているのだろう。
全身は汗にまみれ、疲れ切っているのは目に見えて明らか。しかしだからこそ、土ぼこりで汚れた顔が煌めきに溢れていた。
徐々に大きくなる三人に向かって大きく手を振る。時折ふらつきながらではあるが、足取りはしっかりと力強い。
残り三百、二百、百。
……そして。
「……トレーナーさん! ただいま、ただいま戻りました……!」
「おかえり! よく頑張ったね!」
メイケイエール達、超長距離ランを無事に完遂。ゴールに到着したことによる安堵からか、三人が肩を寄せ合いながら道路にへたり込む。
「目標タイムも切れたし、もうね、言うことなし!」
「へへっ……そうだろそうだろ……」
「……ぅ〜……」
最早精魂尽き果てた様相。そうなって当然と言えるハードワークをこなしたのだから、少しでも動ければ上等というもの。
「早速ですが、やりきった貴方達に朗報です!」
河削は朗報と言うも、メイケイエール達の反応は芳しくなかった。リアクションする余裕もないのが半分、嫌な予感がしてならないのが半分という具合である。
「まだ何かやらせようってのか……?」
怪訝な眼差しでミロワダーレが睨む。他の二人は不安げに様子を窺っていた。
「いいえ! ちょっと早いけど……今日をもって夏合宿は終! 了! です!」
「え、マジ……?」
「マジよマジ。といっても完全に何もしない訳じゃなくて、ウォーキングとかストレッチとか……調整メインは続けるけどね」
長く続いた試練の道、ようやくの終着。長かったような、短かったような。大変だったような、そうでもなかったような。
内に押し留めていたものが外に噴き出し、身体の自由を奪ってゆく。しかしそれに嫌悪感はなく、ただただ安堵の心に浸る。
「もうね、本当にお疲れ様! 最後の最後のすっごい根性、いやあ感動したよぉ!」
感極まった河削が、両腕を大きく広げて三人まとめて抱きかかえる。メイケイエールの頬を河削の髪が撫で、恥ずかしくもこそばゆい。
「あ、あの……」
「実はね、途中でリタイヤするかもしれないって思っててさあ! いやプラン立てたのは私だけど、凄くハードだからどうなるか分っかんなくてぇ!」
彼女はなおもグリグリと頭を突っ込んでくる。それ自体は良いのだが、メイケイエールは一つの懸念があった。
「ト、トレーナー、さん?」
「なぁに?」
「私達……その、汗まみれで……」
紛うことなく、花も恥じらう乙女のメイケイエール達。炎天下を走り続けた結果、全身は汗でベトベト。髪もガビガビの状態となっていた。
「えっ? なぁに?」
「汗臭くないですか……?」
当然、気になるのは汗の匂い。全身から醸し出されるレベルで、制汗剤でどうこうなる段階はとうに過ぎていた。汗臭いから離れてくれと、直接言わないのがメイケイエールの奥ゆかしさ。
――その奥ゆかしさは時として、人を暴走させるのである。
「うん……? 私は
「俺達が気にすんだよ!」
「え〜
「減るんだよ! 自尊心がっ!」
ミロワダーレの必死の抗議も、まるで河削には届かない。溜まりに溜まった疲労で押しのけることも叶わず、こうなってしまえば完全に独壇場。
「……エールちゃんは……シトラスな感じ……うふふ」
「シ、シト……」
「……リコちゃんは……ちょっと蜂蜜みたいな香りねぇ……んふふ」
「……SAN値……直、葬……」
最早なすがまま。メイケイエールとリコンスタは白くなりながら遠い目に。
「ミロワちゃんはね……」
最後に、ミロワダーレへ毒牙が突き立てられる。ほんの一瞬河削は目をつぶり、鼻の奥で感じたイメージを想起した。
ごくりと、ミロワダーレの喉が鳴る。
「……牛・カ・ル・ビ♡」
「マジなんとかしろコイツ!!!」
あんまりなイメージに悲鳴にも似た怒号が飛んだ。
――とにもかくにも、これで三人無事に夏合宿のメイン日程を終えたのだった。
次話はGIII北九州記念と、アプリでも定番イベの夏祭り。
これでようやくクラシック級夏合宿は終了です。