当シリーズは色々独自解釈が強めなので、説明や描写を意図的に多くしている部分があります。
そのため冗長となる部分もあるかと思われますがご容赦ください。
人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html
The 1st Yell プロローグ
麗らかな春の訪れ。
柔らかな日差しをいっぱいに浴び、ぷっくりと膨らんだ桜の蕾が我先にと言わんばかりに咲き誇る。そして、甘い花の香に誘われた小鳥が枝に止まり、この世の春に酔い謳う。
東京は府中市に構える日本ウマ娘トレーニングセンター学園――通称トレセン学園――も新学期を迎え、校内がにわかに色めき立ち始めている。国民的人気を誇るトゥインクル・シリーズにおける春の戦線が始まると共に、新たにシリーズへ登録したウマ娘が続々とデビューを始める季節の到来だ。
その学園からほど近い所に、学生寮として栗東と美浦の二棟が設けられている。和気藹々と共同生活が送られる栗東寮の一室から、上機嫌な鼻歌が流れていた。
「〜〜♪」
寮は二人で一つの部屋が割り当てられている。出入り口から見て正面にある大きな窓を中心に、ベッドとその足元側に学習用の机が左右対称に配されていた。
そして十分な広さがある部屋には小型冷蔵庫や電子レンジも備え付けられている。更にはWi-Fi完備で学生寮としては十分すぎる設備が整っていた。
「〜〜♫」
鼻歌の主は机に向かって座るウマ娘だった。トレセン学園の制服である菫色のセーラー服に身を包み、胸元の白いリボンの結び目は歪みなく。
背中の中ほどまで伸びている焦茶色――鹿毛――の髪はとても艶やかで、陽の光を受けると赤金色に輝く。彼女は机に置いた鏡を見ながら自慢の髪を丁寧にブラッシングしていた。後ろ、横ときて次は前髪へ。
ウマ娘の前髪部分には、流星という白い紋様が現れることがある。個人によって形は様々で、菱形といった図形のような模様であったり、メッシュのように一房全て白く染まることもある。もちろん流星が生じないウマ娘もいるが、当の彼女の流星は一輪の薔薇を模した形をしていた。
彼女達がヒトとは異なる点の一つ、それは特有の耳と尻尾の有無がある。耳は兎のように頭上に突き出て自在に動かせる他、髪色と同じ尻尾と合わせて豊かな感情を表現することもできる。
前髪が思い通りに整ったらしく、そんな彼女の耳はパタパタと羽ばたくように動いていた。
「ええっと、後は……」
ポーチから取り出した透明のリップグロスを控えめに塗り、最後の仕上げとして尻尾の付け根付近に桜の香水を軽く吹きかけた。
尻尾を一振り二振り、ほのかに立ち昇る薫りを確かめると、満足そうに頷く。
「――これで良し、ですね。後は……」
彼女の名はメイケイエール。この春から、ひいては今日から中等部の三年生となる。まさに輝かしい一日となるはずだが、今は不安そうに壁掛け時計を見上げていた。
彼女はルームメイトの帰還を待ちわびていた。十数分ほど経過したところで、おもむろに部屋の扉が勢いよく開かれる。
「エールッ! 帰ったぜ!」
意気揚々と部屋に飛び込んできたルームメイト、ミロワダーレ。鹿毛のミディアムボブにまっすぐ切り揃えた前髪。顔の前、両目の間ほどの広い幅で前髪が白くメッシュになっており、それが頭頂部付近まで続いている。
「――ミロワ! どうでした? 間に合いました?」
彼女は討ち取った敵将の首を掲げるかのように、中身入りのビニール袋を高く掲げる。
「全然余裕余裕! ま、オレにかかればこんなもんよ」
ミロワダーレから袋を受け取り、早速中身を確かめる。透明なプラ製の容器が二つ、その中には桜の葉に包まれた桜餅が。その上――。
「まあ凄い! 道明寺と長明寺の両方!」
もちもちの生地で餡を包んだ道明寺、クレープのように薄手の生地で餡を包んだ長明寺。どちらの桜餅も二個ずつが容器に収められていた。
「エールは道明寺のが好きだって言ってたから、違う方はどうすっか迷ったけどさ。ま、どうせならどっちも買ってこうかと思ってよ」
「もう、ミロワ……そんなつもりで言ったんじゃなかったんですよ? でも、ありがとうございます。お店まで遠かったんじゃありませんか?」
「期間限定で昼頃には売り切れんだろ? なら朝イチで買っとく方が確実だしさ――それに一駅くらいどうってことねえって。ウォーミングアップにもなんねえよ」
ウマ娘とヒトとで異なる点のもう一つ、それは身体能力に著しい差があるということ。背恰好はヒトと何ら変わらないものの、特に脚力に関しては顕著であり、彼女達は最高で時速六十km程で走ることができる。そのため、車道にはウマ娘専用レーンが設けられているほど。
ヒトと同じようでヒトと違う。ウマ娘は彼方の太古よりヒトと共に歩んできた別の種族なのだ。
「では、桜餅は放課後にいただくとして……学校、行きましょうか、ミロワ」
「おう。新学期初日から遅刻とか笑えねぇしな」
この場で食べたいのはやまやまだったが、朝の限られた時間で走って買ってきてくれた桜餅だ。腰を据えて、しっかりお茶を淹れてからでなければ罰が当たるというもの。
メイケイエールが鞄を両手で提げ、その一方でミロワダーレは手荒く肩口に引っ掛けた。部屋を出る際、メイケイエールは机に置いた桜餅に振り返り、別れを惜しむようにゆっくり扉を閉めるのだった。
登校時間を迎え、トレセン学園の正門口は学び舎に向かう娘達で賑わいを増していた。中高一貫校の形態を取るため、慣れない制服姿が初々しい中等部の娘から、着慣れて堂に入る高等部の娘まで様々だった。
その正門口から少し離れた学園側、よく見渡せる場所の並木の影にスーツ姿の女性が一人佇んでいた。理知的な光を讃える瞳に、自信溢れるかのように微笑む口元。濡羽色の長い髪を頭の後ろで上向きに団子状に纏めている。
そして並のモデルでは裸足で逃げ出すようなプロポーションの持ち主。その彼女の襟元にはウマ娘のトレーナーを表す蹄鉄のバッチが輝いていた。
「――良いねえ良いねえ、今年もウマ娘ちゃん達がたっくさんで」
歯を覗かせながら不敵に笑う。
ウマ娘を語るにあたり、トレーナーは不可欠な存在だ。契約を結んだウマ娘を導き、栄光の階段を駆け上る手助けをする。正に第二の親と言っても過言ではない程なのだ。
「お、来た来た……どんな娘がいるかな?」
彼女――
トレーナー仲間において、彼女のことを良く知らない人間はこの様に評する。
『河削トレーナーですよね! すっごく美人で、すっごくスタイル良くて……実績も十分ですし、同じ女性トレーナーとして憧れの人です!』
『いやぁ、食事に誘おうとしても、雰囲気というか、オーラ? が凄くて近づけなくて。あれが高嶺の花って言うんですかね』
『いやもう見てるだけでいいッス。それだけで尊くて』
男女問わず羨望の眼差しを送られる河削トレーナー。その眼に一人のウマ娘が留まる。
背が高めで、明るい栗毛のセミロングヘア。見栄えは良いものの、身体的には少々油断が見え隠れするというか、まだまだトレーニングで絞る必要がありそうだった。
そのような娘に、河削は思わず声を漏らす。
「……あの娘、おっぱいでっけぇ……良いわぁ――☆」
歩くたびに上下に揺れる豊かな胸元。ウマ娘の胸が揺れる度に河削の心も躍る。制服越しでも分かる柔らかなソレを眺めつつ、口元の涎を手の甲で拭った。
「めっちゃたゆんたゆんじゃぁん――後ろからこう、手でそっと下から支えてあげたい……」
視線は次の娘へ。華奢な体躯だが良く鍛え上げられているのが制服の上からでも見て取れる。特に体幹が優れているようで、歩く姿は一本筋が通っているかの力強さだった。
「あっ、あの娘……締まったお尻を生で頬ずりしたいなぁ。させてほしいなあ★」
スカートに隠された部分を食い入るように見つめる。しっかり鍛え上げられた大臀筋と、包み込む脂肪のバランスを肌で味わいたい。可能なら枕にして、顔を埋めて眠りに就きたい。至福の一時を思い描き、河削の思考が地球の彼方へと飛んでいく。
これが学園内で、トレーナーバッチをつけていなければ周囲から疑いの目で見られることは間違いない。
そしてもう一人が河削の餌食となった。中背で短髪、これまでの娘より太腿が大いに発達している。ラストスパートで一気に追い抜く作戦が得意のように見受けられた。
彼女を見かけた途端、河削が我慢しきれずに紅潮しながら嬌声を上げた。
「アハッ★ あの娘良いなあ……ムチッとした太腿で顔挟んでもらって、そんで頚☆椎折られてぇ♪」
ウマ娘のためなら死すら厭わない。可能ならば、トレーニングを終え汗ばんでしっとりした内腿で挟まれたい。それが叶うなら首が捩じ切れても一向に構わない。むしろ大歓迎ですらあった。
常軌を逸した――河削にとっては極普通――想像で鼻息荒げながら身悶える姿は最早、言い逃れようもなく不審者そのもの。
そのような河削をよく知る者はこう評する。
『あぁ……河削トレーナー、ね……凄く美人でスタイルも良くて実績もありますけど、中身がちょっと……ね。同じ女性としてもあの人は……うーん……』
『倫理観犠牲にして外見や才能に全振りしてますよねあの人。ステ振り失敗してんじゃないですかね』
『や、とても美人だと思いますよ。息さえしてなければ』
学園でも一、二を争う札付きのトレーナー、それが河削だった。
外面だけなら才能豊かな若手トレーナーだが、その実は蠢く欲望を煮詰めに煮詰めきった特濃の変態。人は見た目に依らない、を体現するような人物であった。
自身の眼識の強化と、欲望を歓喜させる更なる娘はいないかと河削は注意深く目を配らせた。何人か光るものを持つ娘がいたものの、彼女の心に刺さるほどではなく。
身体的な特徴だけでなく、心の底から走る姿を見てみたいと渇望できるような娘を求めていた。
(まあ、そんな娘はそうそう――)
願って現れるのならば苦労はしない。今日はここまでと引き上げようとしたその刹那。
――この娘!
全身が雷に打たれたかのような衝撃が走る。呼吸をすることすら忘れ、ただ一人のウマ娘に視線が釘付けになった。
スカートからスラリと伸びる長い脚。完璧な曲線美を持ったそれを優雅な動作で運び、ただ歩いているだけであるのに圧倒的な存在感を漂わせている。
僅かに吊り目がちながらも、微笑む表情は柔和そのもの。一歩一歩進む度に揺れる鹿毛の長い髪はさながら金糸のような輝きが溢れている。
溜息しか出ない眉目秀麗な娘だったが、何よりも前髪に顕れた一輪の薔薇にも似た華麗な流星。何から何まで河削の心を掴んで離さなかった。
(この娘を、この娘が走る姿を――)
一番近くで見ていたい。心で思うより先に、身体はかのウマ娘へと一目散に駆けていった。
前日、忘れ物はないかと散々に念押ししていたのにミロワダーレは忘れ物をしたという。一緒に登校するつもりだったが、仕方なくメイケイエールは一人で行くこととなった。
今日から新しい学年、新しい春。入学した当初と比べても十分に身体ができている。
(きっと、今年は――)
「ねえ、そこの貴方!」
トゥインクル・シリーズに出られるかもしれない。そのことを考えると、自然と尻尾が左右に大きく揺れる。
トレセン学園に集うウマ娘は皆、トゥインクル・シリーズでの勝利を夢見て日々切磋琢磨を繰り返している。名だたる英雄に並び、新たに自らの名を歴史に刻まんと瞳を爛々と輝かせているのだ。
しかし、トゥインクル・シリーズへ参加するには一つの大きな壁があった。それが――。
「――そこの、薔薇みたいな流星の貴方!」
「え、あっ? 私ですか?」
「そう、貴方よ貴方!」
考えごとをしながらであったため、メイケイエールは声をかけられていたのに気づかなかった。
眼前には、スーツ姿の大人の女性トレーナー。背筋をまっすぐに伸ばした姿はとても凛々しく、それでいて大人の色香十分な佇まいに目を奪われた。
とても素敵な女性のトレーナー。少なくとも、河削の姿はメイケイエールの瞳にそう映った――この場だけは。
「貴方、私と契約してトゥインクル・シリーズを一緒に走ろうよ!」
手を差し伸ばし、河削は高らかに宣言する。その途端、固唾を飲んで様子を見ていた周囲のウマ娘達から羨望の声が上がった。
――トゥインクル・シリーズへの大きな壁。それは、参加するにはトレーナーと契約を結ばなければならないということ。チームとしての契約でも、単独契約でも構わない。とにかく何らかの形で契約を結ばなければ、どれほど実力があろうと出走することすら叶わないのだ。
そのために、未契約の娘は有力なトレーナーの眼に留まろうとアピールに躍起になる。それが新学期初日に向こうからスカウトするなど、破格の扱いにも等しかった。
千載一遇の機会。メイケイエールは恭しく頭を下げた。
「――契約のお誘い、誠にありがとうございます。お気持ちは嬉しいのですが……そのお誘いはお受けいたしかねます」
丁寧に、しかしながらきっぱりと彼女は断った。
「えーっ!? 今すぐ契約できるんだよ!? こんなチャンスないんだよ!?」
周囲のウマ娘も含め、この反応は予想していなかったらしく、河削は動揺の色を隠しきれなかった。
「はい。それは重々存じております。ですが私はまだ進級したばかりの身、まずは合同トレーニングや模擬レースを通じて見定められた方が宜しいかと。それから、然るべき時期に再度お声がけを頂ければ……」
「――うんなるほど、時期尚早って訳ね。にしてもしっかりした返事、いやぁカワイイなあ。それじゃあせめて――」
返答に納得したのか、河削はいやにあっさりと引き下がった。しかしながらにこにこと笑みを絶やさず、メイケイエールに歩み寄り彼女の両肩に手を置いた。
「貴方、良い香りするよね」
「はあ……」
そして満面の笑顔で言い放つ。
「
「はい、どう――!?」
あまりにも自然に飛び出てきた、あまりにも破廉恥な台詞。まるで躊躇いなく言うものだから、メイケイエールも釣られて普通に了承しかけてしまった。
それでもすんでの所で我に返り、全力で後ずさる。
「あれ? どうしたのぉ?」
耳を後ろに倒して威嚇の体勢。それを知ってか知らずか、河削は平静そのものだった。ごく自然な様子に、むしろメイケイエールの方が失礼な聞き間違いをしたのではないかと錯覚し始めてしまう。
予想だにしない急展開に、周りのウマ娘達のざわつきが大きくなる。これ以上事を大きくさせるのはよろしくない。
ならば、この場は――。
「ししし失礼しますっ!」
三十六計逃げるに如かず。一礼もそこそこに、大慌てで脱兎のようにその場から逃げ出した。ウマ娘の脚力ならば追いかけられることもない。
思惑通り、河削は瞬く間に遠ざかる背中をただ手を振って見送るのみだった。余裕の笑みは崩さずに。
「じゃあね〜。また近々会いに行くからね」
春は唐突な出会いの季節。そして春嵐巻き起こる。
次話は選抜レースから契約締結まで。