Blooming☆Yell!!   作:ルブク

23 / 38
クラシック編、これにて終了です。メイケイエールとミロワダーレ、リコンスタの三人の見せ場を出すために色々と四苦八苦しましたが、なんとかここまで漕ぎ着けることができました。
基本的にはモチーフ馬の戦績ベースですが、やむなくオミットしたレースも数多く…とりあえず、勝ち鞍のレースは絶対に出そうとは思いますが。

もう後一年分、どうにかして走り抜けたい所存ですのでお付き合いくださいませ。

人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html


The 21st Yell 日々彩々のエール

アイドルはつらいよ

 季節はいよいよ秋から冬へ。

 散らせる木の葉もなくなった沿道の木々が、木枯らしが吹き通る度寒そうにその枝を揺らす。日に日に寒さが厳しくなる中、トレセン学園のウマ娘達は間近に迫るグランプリ――有馬記念――に向けて一段とトレーニングに熱を入れていた。

 中山レース場での距離二千五百メートルの長距離レース。今年最後の大一番であり、その盛り上がり様は通常のGⅠレースとは比べ物にならない。

 その特徴の最たるものとして、事前のファン投票が挙げられるだろう。単純にウマ娘の人気投票だけでなく、得票上位者には優先出走権が与えられるという景品つき。まさにファンも一体となって楽しむことができる、文字通りその年最後のお祭りなのである。

 投票対象となるウマ娘は適正に関わらず、クラシック級以上であること。それ故、メイケイエールもしっかりファン投票の対象に。殘念ながら、上位に入ったとしても距離適性の問題で出走は厳しいが。

 

「ねぇエール。今年の有馬やる日、予定空いてる?」

 河削にトレーナー室へと呼び出され、部屋に入るなりその一言。メイケイエールは自身のスマホの予定表アプリを確認する。

 課題提出、併走トレーニング予定、寮内一斉清掃、ダンスレッスンなど様々な予定が目白押し。そして、有馬記念の日はというと――。

「大丈夫です。その日は空いてます」

 珍しくその日は何も予定が入っていなかった。

「よかった――いやね、今年も有馬に合わせて他のレース場でファンミーティングをやるって企画が出ててさ」

「そういえばもうその時期なんですね」

 開催週のレース場はさておき、それ以外では場内が無料開放される。有馬開催という大イベントて、比較的空いているレース場を有効活用しようというのが狙いだろう。

「んでさ、エールにも東京のファンミに出てくれないかってURAから打診があったんだよね。どうかな、出てみない?」

「私が……?」

 今年の東京レース場の開催は十一月の最終日曜日、ジャパンカップが最後である。国内随一の規模を誇る大型施設を、年末の書き入れ時に遊ばせておくのはもったいないと運営側も考えたのだろう。

 運営側としては利用者増大で更なる収益が望め、ウマ娘にとっては新たなファンの獲得が期待でき、ファンにとっては推しの娘を間近で見られる。三者に利がある、またとない機会なのである。

「うん。一緒に出る娘達のリストはこれね」

 バインダーで纏められた資料を河削から受け取った。中のリストには各レース場のファンミーティングの出席予定者がつらつらと並んでいる。その中には見知った名も数多くいた。

「――マシロさんも出るんですね」

 マシロの名もそのリストの中に。

「まだ確定はしてないみたいだけどね。直接URAから打診されるなんてそうそうないし、参加してもいいんじゃない?」

 特段の予定もないし、何より目と鼻の先の東京レース場。応援してくれているファンの人達のためにも、ここは出ておくべきだろう。

「そうですね。ぜひ参加でお願いします」

 メイケイエールは迷いなく頷く。バインダーを閉じ、ニコニコ上機嫌な河削に手渡した。

「オッケ〜。参加って伝えておくね。で、それぞれブースが用意されて、来てくれた人に一枚ブロマイドを手渡すんだけど」

「見たことあります。凄く立派に作られていますよね」

「そ。あらかじめサインが印刷されてるやつ。それを来てくれた人に一枚一枚手渡しで渡してくって流れみたいよ」

「サインが、ですか……」

 河削からの説明に、顎に手を置き逡巡する仕草を見せた。

「どうしたの? 何か気になることでも」

「いえ、大したことではないのですが……当日お渡しするブロマイド、サインを手書きにはできませんか?」

 質問の意図が掴みきれず、河削の言葉がしばし途切れた。その間隙を縫い、メイケイエールはなおも続ける。

「折角レース場に足を運んで下さるのですから、ただ印刷しただけのものをお渡しするのも味気ないなと思いまして。当日までに必ず書いておきますので……お願いできないでしょうか」

 それはせめてもの気持ち。

 お返しというには非常にささやかではあるが、それでも何かせずにはいられなかった。

「うん……それは私も良いとは思うんだけど。ほら、年末近いと何かと忙しくなるでしょ? あんまりこういうのに時間取られるのも……」

 普段なら二つ返事で了承してくれそうな河削が、今日は珍しく渋っている。

「そこは私が責任を持ってやりますので。河削さん、お願いします」

 頭を下げたメイケイエールを前に、腕組みをしたまま唸る河削。数分間、お互いそのままの姿勢で無言の闘いを繰り広げた。

「――まあ、エールの言い分ももっともだし。そこまで言うならお任せするよ」

 結果、メイケイエールの粘り勝ち。

「ありがとうございます!」

「大変だと思うけど――エールなら大丈夫だよね。ブロマイド五百枚」

「ごひゃくまい?」

 喜んだのも束の間、やはり印刷にできないかと前言撤回したくなったメイケイエール。せいぜい百枚くらいかと思っていたが、まさかその五倍とは。

「じゃ、サインの印刷なしでお願いしておくから。会場に事前に送っとかないとだから、開催三日前くらいを目処に仕上げておいてね」

「……わ……ゎかㇼまㇱた」

 言ってしまったからにはやらねばならぬ。

「終わったらさ、二人でクリスマスパーティーやろうよ。お疲れ様ってことで。お店予約しておくから!」

「……おねがいします」

 後悔の念を奥歯で噛み殺しながら、半笑いの歪な顔で答えたのだった。

 

あとはりすさん、うしさん、ぶたさん、かえるさんも

 夕方五時ともなれば、窓の向こうは夜の色にすっかり染まる。学園内の図書室も人手が疎らとなりつつあり、その一角に設けられている自習エリアはなおのことだった。

 自習エリアにはパーテーションで区切られた一人用の机と、多人数用の長机いくつかが用意されている。コンセント口は一人一つ確保され、椅子のクッションもなかなか。何気に居心地の良い、知る人ぞ知るスポットでもあった。

 その静まり返った自習室の中、ウマ娘が一人黙々と作業をこなしている。眼前には自身の姿が高精細に撮られたブロマイドが大量に積み上げられていた。彼女は一枚ずつ丁寧に取り、カラーのサインペンでさらさらりと自身のサインを書いてゆく。

 そして、何枚か書いたところで顔を上げた。

「――まだ、あるわね……」

 窓の外、黒い夜のスクリーンに彼女の白毛が躍る。手でかき上げられて宙を泳ぐと、それはプラチナの如く光り輝く。 ――マシロが今度のファンミーティングに向け、ブロマイドの準備をしている最中だった。

(それにしても、とんだ安請け合いですこと)

 文字通り、山積みとなったブロマイドを眺めてため息をつく。印刷よりも手書きが望ましいとは思ったが、それにしてもここまで大量だとは。

「マシロさん?」

 不意に名を呼ばれ、そちらに顔を向ける。

「あら、エールじゃない――」

 艷やかな鹿毛を備えるメイケイエール。どうしたの、と聞こうとする前に、見覚えのある紙袋が目に入った。マシロが机の下に置いてあるものと同じ。つまりは……。

「はい、実は……お隣、いいですか?」

「構わないわ」 

 少し困ったようにはにかみながら、メイケイエールが隣に座った。紙袋から取り出したブロマイドの束はサインが書かれていないもの。

「エールも手書きにしたのね」

「ええ。折角手渡しするんですから、印刷だと味気ないかなと」

「同感。でもこんなに量があるとはね」

 ファンサービスを考えると手書き以外に選択肢はないのではなかろうか。それにしても騙し討ちを食らったような感じである。

「これも皆さんのためですから」

「人気者は疲れるわ」

 大袈裟に溜息をついてみせ、そしてメイケイエールの方をちらりと見やる。不自然なまでの澄まし顔の彼女と目が合い、互いに笑みが溢れるのだった。

 

 図書室の終了時間いっぱいまで、ひたすらに二人はペンを走らせる。デビュー前にはあれこれと悩んだ自身のサインであるが、一年も経てば手が勝手に動くほどに身に染みついていた。

「流しながらでいいんだけど――ベネのこと」

 その最中、ポツリとマシロが呟く。

「怪我の治りは順調みたい。むしろ予定より早いくらいで」

 時折、マシロはベネベネと通話をしている。地元に帰った当初は明らかに気落ちしていたが、周囲の尽力もあってか目に見えて落ち込んでいることはなくなった。

「……勝って負けてで落ち込むのが馬鹿馬鹿しくなるわ。些末な問題すぎて」

 雪辱を果たすことを期待された秋華賞。堂々の一番人気を背負った結果は十着と掲示板に掠ることもなく。距離適性の問題か、はたまたベネベネのことがあったからか。少なくとも、なくなった歯車の代わりを見つけ出すのは容易ではないのである。

 それが特別なものであればなおさら。

「……そうですね」

 メイケイエールもスプリンターズステークスで大敗を喫した。同じように一番人気で、である。なかなか思うままにはいかないのがもどかしい。

「それはそうとして。マシロさん、可愛いサインなんですね」

「そう?」

 マシロのサインは平仮名を使い、柔和なイメージを持たせるように心がけたもの。自分自身、居丈高な言動などで少々とっつきづらい印象は否めず、その対策としてである。

 一方、メイケイエールは草書体の英語を使用したスマートなデザイン。彼女のイメージにも合っていて実に羨ましい限り。

「そうですよっ。動物の顔のマークもすっごく可愛いですし。サイン毎に書き分けてるなんて凄く手が込んでるじゃないですかっ」

 マシロのサインの最大の特徴。それは一枚一枚異なる動物の顔のイラストが付くこと。丸っこくデフォルメされなかなか好評で、ファンによっては動物のリクエストもあるほどなのだ。

「この子は?」

「ねこさん」

「じゃあこの子は?」

「いぬさん」

「こっちは?」

「くまさん」

 メイケイエールに問われるがまま、サインに描いた動物を答えてゆく。それは至って自然なことだった。

「……くまさん(・・・・)

 不思議なことに、彼女は何かを押し殺したような表情をするばかり。らしからぬニタニタした薄気味悪い笑みである。

「どうしたの? 変な顔して」

「あっいえ、マシロさんってやっぱり可愛いんだなって――さっ、続き続き」

 どうにも腑に落ちない。あくまでも自分は問いに答えたまでなのであるが。いったいどこにおかしいところがあったのだろう。

 メイケイエール本人に聞いてもはぐらかされるばかり。心の中で小首をかしげつつ、マシロはブロマイドへのサイン書きを続けていった。

 

火ノ国雪語り

 年も暮れゆく師走の半ば。日に日に寒さが増していくような感覚に、指先のかじかみも強くなる。

「おっ……降っとる」

 窓ガラスの向こうに広がる鎮西の枯山水。雄大なる静の空間に先ほどからの雪が動をもたらす。やがては音もなくなり、ただ色彩のみの世界となるだろう。

 ベネベネは窓に息を吐きかけ、白く曇った部分を何をするでもなく指で擦る。

 

 今頃、向こうは――。

 

 薄ぼんやりとした外の景色に、遥か彼方の学び舎を思い返す。

「おぉ……さむっ」

 鮮やかな朱色のどてらを着込んでいても身震いする寒さ。脚を固めるギプスが外れて久しいとはいえ、まだぎこちなさが残る足取り。日常生活を送るのに問題はないが、レースへの復帰は途方もなく先の話であった。

 

 暖房が効いた自室に戻り、壁掛け時計に目をやってパソコンを立ち上げた。

 今日はマシロとのビデオ通話の日。既に向こうは待機しているだろうか。通話用のアプリを立ち上げ、ウマ娘専用のヘッドセットを頭に着ける。マイクを口元まで伸ばして発信し、相手が出るのを静かに待つ。

 ニ、三回鳴るコール音の後に画面が切り替わった。

『……もしもし?』

「もしもし。ごめん、待っとった?」

『いいえ。今繋げたばかりよ』

 マシロと通話が繋がった……のだが。ディスプレイには誰も映っていなかった。

「マシロ……カメラオフになっとらん? ビデオ通話じゃなかったっけ?」

『――少し、カメラの調子が悪いみたい。このままでも良いかしら』

「構わんけど」

 定期的にマシロとはビデオ通話を行なっている。何かと忙しいだろうに、気をかけてくれているのは純粋に嬉しかった。もし完全に一人であったなら早々に退学する選択肢もあったかもしれない。

 しかし、ヘッドセットのイヤホン越しとはいえ、マシロの声に少しばかり違和感を覚えた。確かに本人のようではあるものの、また微妙に異なるような。ほんの些細な違いではあるがどうもしっくりこない。

「なあマシロ……なんか、声が変じゃなか? どうかしたと?」

 気持ち、マシロの声がいつもより低いような。単純に誤差なのかもしれないが、それが奇妙に引っかかる。

『ちょっとね、風邪気味になったみたいで』

「――ははぁ、さてはまーた布団蹴たくって寝とったやろ。あれだけ寝相悪かとやけん、お腹冷やしてしもうたんやなかと?」

『ええ、まあ』

 ルームメイトとなって初めて分かったこと。それはマシロの異常な寝相の悪さ。しっかり布団を掛けて寝ても、翌朝には完全に剥いでしまっているほど。しかも、酷い時には――。

「まあ無意識なんやろうけど。寝とる時とはいえ両手をズボンの中に突っ込むんなどうかて思うよ」

 誰も知らないマシロの癖。寝てる時に両手をパジャマのズボンの中に突っ込みがちという、間違いなくベネベネ以外は知らないもう一つの姿。

 下を脱ぎ去るというのでもなく、ただただ手を中に入れるのみなのだ。手を体温で温めたいのかもしれないが、それにしても面白おかしい格好である。

「いつだっけ、頭と脚の位置が逆転しとって――」 

『――お願いもうやめて!!』

「ぅおっ!?」

 マシロの愉快な寝相の話を更に続けようとしたその時、ヘッドセット越しに悲痛な叫びが耳をつんざく。

『お願いだから今聞いたことは絶対に誰にも言わないで、絶対よ!』

『……え〜……どうしようかな……』

『お願い。カフェで好きなもの奢るから』

 少なくとも二人分の声が聞こえる。離れて会話しているようだが、切り忘れのマイクが辛うじて音を拾っていた。耳を澄ますに、一人はマシロなのは間違いなさそうだが、もう片方はまだ分かりかねた。

『……じゃあ千石屋のフルーツパフェ……』》

『千石屋って凄く高いとこじゃないの……いえ、良いわ。良いでしょう』

『……いえ〜い……』

 何やら話が纏った模様。

「マシロ? どうしたんか? そけ誰かおっと?」

 親しく会話しているようなので見知らぬ人間ではないだろうが。ベネベネが尋ねたその矢先、不調と言っていたビデオが表示された。

 モニターに映るのは雪のような白毛のマシロと、白銀に輝く芦毛のもう一人。黒いカチューシャと黒いリボンでサイドテールに纏めた特徴的な髪。そしてどこか物憂げな表情をしながら、非常にのんきに手を振る彼女。

『……やっほ〜……』

「リコさんか!」

 まさかのリコンスタ。確かに知ったる仲ではあるが、美浦寮の彼女がここにいるとは予想外だった。

「言うてくれたらよかったのに。変な話してゴメン」

 謝りながら頭を下げる。するとリコンスタが口元に握り拳を当てて咳払いの仕草をした。

『いいえ。むしろ非常に興味深かったわ』

「……んん?」

 喋っているのはリコンスタ。しかし聞こえる声はマシロのもの。

 ――いや、違う。ほんの一欠片の違和感。とてもマシロに似ているが、声がわずかながら低い。

『ちょっとしたサプライズを仕掛けるつもりだったのだけど。まさか逆サプライズを仕掛けられるとは思わなかったわ――やるわね、ベネ』

 抑揚は少し大袈裟ではある。しかし、それはルームメイトとして過ごしていたからこそ気づくことができる、ほんの些細な引っかかり。

「凄いな! マシロそっくり!」

 拍手喝采でマシロになりきっているリコンスタを称える。他の者ならばモノマネとは気づくまい。それくらいの高クオリティである。

 しかしながらふと気がつく。

「そういえば、なしてリコさんが? や、久々に顔見れて嬉しかったけど」

『寮の部屋に居づらくなったとかで、遊びに行きたいって頼まれたのよ』

『……昂った野生の女子共に……占拠されてて……』

 非常に独特なリコンスタの表現。詳しくはよく分からないとはいえ、彼女には彼女の事情があるのだろう。

「ま、そっか。一人より二人、二人より三人が良かね。一応ね、ギプスが取れて普通に歩けるようになったけん、冬休みが終わったら……学園に戻ろうて思うてる」

『本当? ベネ頑張ったのね』

『……お〜め〜で〜と〜……』

「ありがとう。戻っても当分はリハビリに専念やろうけど」

 一時期は絶望もした。それでも一縷の望みを頼みにし、ようやくここまで来たのだ。走れるようになるまではまだ遠くとも、一歩ずつ着実に進めているのは事実である。

『それが良いわ。焦ったところでどうなる問題でもないから』

『……待ってるからね……みんな……』

「――うん、ありがとう」

 二人からの激励にベネベネは笑顔を返した。

 急に蘇ったあの日の黒い記憶と、それに呼応するかのような脚首の疼痛を必死に隠しながら。

 

鉄骨精神

 肌を切りつけるような寒さ極まる冬の空気。学園のダートの練習コースを白銀の毛並みのウマ娘――リコンスタが左回りで駆ける。

 普段の黒いカチューシャと髪をくくるリボンに加え、今日は黒い耳覆いも装備していた。ヒトのように剥き出しの耳ではないとはいえ、寒空の下で走ると耳が痛くなる。特に、寒さが苦手な彼女には大切な装備だった。

(……まずはコーナー……)

 今回は通常のトレーニングとは異なり、とある目的のための試走である。そのためいつもより抑えめに内ラチ際を走る。

 とは言ってもそこはウマ娘、軽く走ってもヒトのそれとは桁違い。立ち昇る吐息が白くなる前に、遥か後方へ置き去りにしてゆく。

(……ここは平気……)

 乾いたダートは実に走りやすい。カーブがキツめのダートコースではあるが、身体を上手に傾け非常に効率的な進路取り。

 問題はここから。

 カーブを回って直線に差し掛かる。コーナーの終わりに立つハロン棒を通り過ぎ、向こうに立つ白石トレーナーの姿を認めた。

「……ょっし……!」

 脚で土を掻き、リコンスタは前へ前へと。冷たい空気を切り裂き進む。

 

 ――真っ直ぐに。それは白銀の一矢の如く。

 

 リコンスタをリコンスタたらしめる要素。それは最後の直線で右手側にヨレていってしまうこと。決してパフォーマンスとして行なっているのではなく、身体の先天的な特徴によるものである。

 外向けにはただの斜行癖とだけ言っている。真相を打ち明けたとしても、良くも悪くも取り沙汰されるのが目に見えていた。よって、限りなく身近な周囲に限り話すに留めていた。

「……うっ……」

 一歩、二歩と、左脚が地面に着く度に重い負荷が加わり、リコンスタの表情が歪む。右に流れないよう重心を極端に左に寄せながらの全力疾走。

 それはすなわち、左脚に全体重がのしかかるということだった。その状態でスパートをかけねばならず、左脚――特に華奢な脚首――がたちまちに悲鳴を上げ始める。

 

 ズキッ。

 

(――!)

 左の脚首から股関節にかけて痛みが走った。すぐに速度を落とし、その場で立ち止まる。脚首からふくらはぎ、腿と自ら触って異常ないか確認した。

 幸いにも、まだ痛んだだけのようだった。

「リコちゃーん! 大丈夫!?」

 ゴール地点で待っていた白石トレーナーもふくよかな身体を揺らして合流した。肩に提げた応急バッグからスプレーを取り出し、入念に左脚に振りかける。

「……だいじょうぶ……」

 リコンスタは後ろを振り返って確かめる。コーナーの終わりから、どのくらい進めたかを。コーナー終わりのハロン棒から次のハロン棒まで、およそ四分の三は走っていただろうか。

「……大体、百五十メートルってところね」

 脚を丁寧にマッサージしながら白石が呟く。ハロン棒はおよそ二百メートル間隔なので、全力かけて走れるのがたったの一ハロンにも満たないということに。

「……ぜんぜん足りない……」

 空を見上げ、大きく息を吐き出す。悠々と白く立ち昇り、青空に溶け込んでいくその様をリコンスタはただ静かに眺めていた。

 

 脚にこれ以上の負担はかけてはいけないと、今日のトレーニングは早々に終了となった。元々はスパートでの『真っ直ぐ』を確認するだけとはいえ、もう二、三本は走っておきたかったのだが。

 痛みを伴う以上無理はできない。白石の判断にリコンスタは素直に従った。しかしその代わりとして一つの提案を受ける。

『良かったら、来年からヨガ取り入れてみない?』

『……ヨガ……?』

『そう。可能な限り関節の可動域を広くすれば、その分脚への負担も分散できるから。やれることは全部やっていきましょう!』

 リコンスタに拒否する理由などなかった。

 どうにかして勝ち筋を広げたい――来年からトゥインクル・シリーズも三年目、いよいよシニア級に突入する。去る今月の半ば、ダートのオープンレースであるコールドムーンステークスに見事勝利。ようやくにしてGⅠレースの登録要件を満たすことができたのだ。

 辛うじて抽選枠に滑り込んだ形ではあるが、それでも権利を得たことには間違いない。

(……絶対出る……ヴィクトリアマイル……)

 東京の芝千六百メートル。自分の真価を発揮できる数少ない左回りのコース、これを逃せばもう後がないのである。

 

 冬休みに入って人も疎らとなった学園内を散策する。この時期はカフェや食堂も休みとなり、寒い空気がよりいっそう寒くなる気がする。しかしその中で、やたらと熱を帯びた一角があった。

「でさ、やっぱこっち行ってからこうで……」

「それもいいけど大手から……」

「んー。人並ぶよなあ、きっと……」

 ミロワダーレとライムトニック。二人がベンチで膝を並べながら、互いにカタログギフトのような冊子を手にしながら熱く語り合っている。

 武蔵野ステークスで激闘を繰り広げた二人。ルームメイトであるライムトニックだが、寮の部屋に戻ってくるなりわんわん泣き出した。目を真っ赤に泣き腫らした姿を見て、これはメンタルのケアが必要と思っていたが、急に二人して連れ立つようになった。

(……仲のよろしいことで……)

 何があったのか、おおよそは見当がつく。だって、ミロワダーレの嗜好を教えたのはリコンスタなのだから。

 とりあえず、これ以上部屋に入り浸って淑女の語らいに熱が入らなければいいかなと。ひとまず素知らぬ顔して二人の前を通り過ぎた。

 

たかぶれ! 乙女ども!

 慌ただしくクリスマスを終えると、街中は打って変わって歳末の雰囲気。師走という呼び名の通り走るように日々が過ぎ去ってゆく。

 ウマ娘も今年度のレースの日程もほとんど終え、ようやく迎えた憩いのひととき。溜まった疲れを癒したり、来年の躍進に向けて自主的にトレーニングを重ねたりと様々に過ごすのである。

 そして年末のある日、ある早朝。

 輝く朝日を受けながら、高架に敷設されたコースを車両が走る。それはモノレールのようでモノレールではなく、乗用車と同じくタイヤを備える独特のスタイル。

 やがて駅に到着すると、早朝であるにも関わらず沢山の乗客がホームに降り立つ。ヒト耳ウマ耳様々に、全員同じ所を目指し一団となって進む。その中に濃い鹿毛のウマ娘と、明るい栗毛のウマ娘が並んで歩いていた。

 

 ここは東京臨海新交通りんかい線――通称ゆりかもめ――東京ビッグサイト前駅。

 

「――来たな」

「――来たね」

 綺羅星二つ、勇ましくビッグサイトを臨む。誰もが一目で分かる特徴的な建物、彼の地に夢の楽園が広がっているのだ。

「持ち物はいい? 後戻りはできないよ?」

 人の流れに乗りつつ、ライムトニックが問う。

「任せろ。準備万端だぜ」

 不敵な笑みを浮かべてミロワダーレが応える。

 共に脱ぎ着しやすいコートにしっかりしたジーンズを着用している。小さめのボディバックを斜め掛けにし、肩には大きめのトートバッグ。

「――小銭は持った?」

 ライムトニックが問う。

「百円二十枚、五百円十枚、千円札三枚」

 ミロワダーレがコートの中から首掛けのポーチを見せる。

「――待機用の椅子は?」

 ミロワダーレが問う。

「軽量小型。折り畳み式」

 ライムトニックがトートバッグをポン、と叩く。

「――防寒対策は?」

 ライムトニックが問う。

「貼るカイロ、持つカイロ、底冷えも対策済み」

 ミロワダーレがムートンブーツを指差す。

「なるほど……確かにバッチリみたいだね」

「だろ? その道の有識者(アグネスデジタル)に聞いたからな」

「奇遇ね。私もエキスパート(アグネスデジタル)に聞いたんだ」

 二人の脳裏にウマ娘の顔が浮かぶ。鮮やかなピンクの髪に黄色の大きなリボン。こういうことに関しては彼女に聞けば間違いない。止めどなく溢れる知恵で迷い子を導く水先案内人である。

「それはそうとして。朝早いからエールさん起こしちゃったんじゃない? リコぴんはぐぅぐぅ寝っ放しだったけど」

 早期入場可能であるアーリーチケット確保のため、受付開始の時間に合わせ朝七時前に東府中を発つ気合の入り様である。

 そうでもしなければ企業、大手、そして個人までもカバーしきれない。勝負は今日一日。全身全霊を以って当たらねばならないのだから。

「いや、大丈夫。エールももう新幹線乗ってるはず」

「新幹線? 帰省するんだ」

「ああ。昨年帰れなかったから今年は帰るんだと。トレーナーと一緒に」

 今頃はどこまで進んでいるだろうか。澄み渡った冬空を見上げ、ミロワダーレは友を思う。

「――見えてきたよミロちん」

 しかしそれも束の間。すぐに頭の中はキラキラと七色に染まる。今日のこの日のため、周到に準備に準備を重ね、体調も万全に整えておいたのだ。

 スタートからスパートをかけるような気概と言っても過言ではない。

「――よっしゃ、アガってきたぜ!」

 この日、二人のウマ娘が修羅と化した。

 

 ――会場の四方八方を歩くこと風の如く。

 ――ブースの物販列に並ぶこと林の如く。

 ――目当ての品を購買すること火の如く。

 ――売り切れでも動かざること山の如く。

 

 かの有名な戦国武将もかくやという動きぶりで本懐を成し遂げていったのである。

 

お帰りなさい、お嬢様

「やっぱり新幹線は速いですね」

 メイケイエールは新幹線の車窓から通り過ぎる景色を眺める。目で捉える間もなく、瞬きする度に遥か彼方に過ぎ去ってゆく。

新年の特番テレビでウマ娘と電車がリレー対決する企画を見たことがある。山路を駆け、時には市街地を駆け、各地の路線と一進一退の勝負を繰り広げる人気番組だ。

 またその時期がやって来たかと思うと、一年はあっという間。光陰矢の如しとはよく言ったものである。

「おっ、新幹線との勝負に興味ある?」

「まさか」

 いたずらっ子のような笑みを浮かべる河削に苦笑いで返す。ここでもし興味があると言ったら、彼女はその段取りを整えてくれるのだろうか。それはそれで面白そうだが、トレーナーを困らせてしまうのは良くない。

「それはそれとして、私も一緒にお邪魔して良かったの? ご家族に迷惑じゃない?」

 二人並んで座るは新大阪行きの新幹線のシート。向かう先は愛知県名古屋市――メイケイエールの実家である。

「大丈夫です。むしろ両親が是非にと」

 今年の年末は帰省する、という話からトントン拍子にトレーナー帯同が決まった。それこそ有無を言わさぬ勢いであり、帰省の話を聞いた母の次の言葉がコレである。

 

『あらそう! じゃあお客様用のお部屋を掃除しておくわね。トレーナーさんも泊まれるように!』

 

 こちらから切り出す前から河削も帰る前提である。話が早くて非常に助かる。

「たまには河削さんも息抜きしませんと。最近ずっと夜遅いですよね」

「ん〜? そんなことないよぉ」

 河削はとぼけた風に装う。しかし、メイケイエールは知っている。スプリンターズステークスが終わってから、連日夜半近くまでトレーナー室に明かりが灯っていることを。

 それはどう考えても自身に起因していることであり、懸命に調査や計画を立ててくれている。だから止めてくれとは言い出せず、せめて帰省する間はゆっくり休養してほしかった。

「河削さん」

 メイケイエールはそれ以上何も言わず、ただジトっと睨みつける。

「……まあ、そうね。ここんとこずっと遅めだったから」

 物言いたげなその視線に後ろめたさを覚え、河削は視線を逸らした。多少強引ではあるが、彼女はこうでもしなければ休んでくれない仕事人間である。

「お母様のおせち料理、美味しいんですよ? 期待しててくださいね」

「おおっ、楽しみ」

 メイケイエールは家族の顔を思い浮かべながら背もたれにその身を預けた。座席にゆっくりと身体が溶け込んでいくのを感じ、緩やかに瞼を下ろす。

 新幹線の走行音に微かに寝息が混ざり始めるまでそう時間はかからなかった。

 

 毎日何十万もの利用者数を誇る、東海地方最大のターミナル駅として機能する名古屋駅。新幹線は当然のごとく、在来線に地下鉄も乗り入れる、まさに名古屋の交通の要なのである。

 その巨大な駅の南北を中央コンコースが貫通する。学生、会社員、観光客と人が途切れることがない。

 そして雄大な大河の如し流れの中、名古屋駅の名物である金時計が静かにそびえている。鈍く金色に輝く支柱に、大きく丸い時計盤。待ち合わせの定番スポットであるため、その付近は早朝でありながら人で賑わうのだ。

「ねぇアリサッ。エールはまだかしらねっ?」

 しかしその中で、ただ一人群を抜いて目を引く者がいた。雪冠を戴く富士のように、頭一つ抜けて背が高く、髪は目が覚めるほどの白さ。そしてぴょこぴょこ動くウマの耳。

 一目見たら誰もが忘れないであろう、元気ハツラツとしたメイケイエールの母親である。

「……お母様、それもう三回目」

 そして、その隣には気怠そうに黒髪の三つ編みをいじるヒトの少女。メイケイエールの妹、アリサである。

「だってぇ。気になるんだもん」

「また子供みたいに……」

 ヒトの母親からはヒトの子のみだが、ウマの母親からはヒトとウマいずれかの子が産まれる。

 こことは違う遠いどこかの別世界。この世に生を受けるウマ娘はそこから名前を得るという。メイケイエールも母が身籠ったその瞬間、脳裏に名前が降り立ったらしい。現代の科学をもってしても解明できない不可侵の神話である。

「昨年はジュベナイルフィリーズがあったから……家族揃わない年末なんて味気ないものっ。そうよねっ?」

「まぁ、それは……」

 アリサは口を尖らせながら、バツが悪そうに呟く。まだ朝の早い時間である。自主的にでなければ、わざわざ迎えに出たりなどしないだろう。

「あっ!」

 突拍子もなく母が声を上げ、驚きのあまりアリサが身を竦ませた。

「来たわ! エールとトレーナーさんっ!」

 指差すその先。キャリーケースを転がしながら改札を通るメイケイエールと河削の姿が見えた。

「お姉様……!」

「お帰りなさいっ! エールッ! トレーナーさんっ! お帰りなさーいっ!」

 パッと晴れ渡るアリサの顔。そして両手を大きく振って出迎える母。色々な意味で目立つその姿を認めた向こうも、はにかみながら手を振り返す。

 

 ――こうしてようやく、波乱に満ちたクラシック級の一年が終わりを迎えたのだった。

 

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〜メイケイエールのクラシック級戦績(括弧内は人気順位)〜

・GⅢチューリップ賞:一着(一番)※同着優勝

・GⅠ桜花賞:十八着(三番)

・GⅡ京王杯スプリングカップ:一着(一番)

・GⅡセントウルステークス:一着(一番)※コースレコード

・GⅠスプリンターズステークス:十四着(一番)

通算戦績:九戦六勝(6ー0ー0ー3)




次話は番外編。新年になる前の大人のお話を予定(not18禁)
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