前の話で一話丸々フェブラリーステークスにすると書いてましたが、それだと二万字くらいの大ボリュームになりそうだったので分割しました。
ギルデッドミラーをモチーフにしたミロワダーレのエピソードはフェブラリーステークスが区切りとなるので、力の入りようはそれはもう。
人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html
金色の鏡に浮かびし月は
フェブラリーステークスを前日に控え、出走者一同が東京レース場の会見場内に集合した。今シーズンのトゥインクル・シリーズにおける最初のGⅠというだけあり、取材陣のインタビューも随分な熱の入りよう。有力な情報を引き出そうと
「次の方――ライムトニックさん! 取材ブースまでお越しください!」
「は〜い!」
進行役に呼ばれ、ライムトニックが元気よく返事をした。
次代のダート覇者ともっぱらの評判の彼女。それがダートGⅠ初挑戦となれば注目度も自ずと高くなろう。
カツンカツンと高らかにヒールを鳴らし、明るい栗毛のシニヨン。意気揚々と胸を張り、切れ長の目をした男性トレーナーと共に記者陣の前に現れた。
「どうもこんにちは☆ みんなよろしくねっ!」
紺色のミニワンピースの上に、後ろ丈が長めの青いスリーブレスジャケットを合わせた彼女の勝負服。ジャケットは白い襟飾りと檸檬色の糸の縁取りで彩られており、静かな華やかさと荘厳な雰囲気を醸し出していた。足元もジャケットと色を揃えたミドルヒールのパンプスで飾る。
本日初お披露目ということもあるのか、アピールしたいのかその場でくるりと回るライムトニック。記者陣から感嘆の声が漏れ、カメラのシャッターを切る音がひっきりなしに続いた。
「では、彼女に質問がある方は挙手を。初めに社名とお名前を願います」
トレーナーの言葉を皮切りに、一斉に取材陣の手が挙がった。その中から一人を指名する。
「いよいよGⅠ挑戦となりますが、意気込みの程をお聞かせください!」
「GⅠといっても特別な感じはないかなあ? これまでやってきたことを、いつも通りにやって一着ゲットって感じで!」
ごく自然に出てきた一着という言葉。本人の自信の表れであり、また元々のキャラクターもあってか何ら違和感なく受け止められている。
続いて次の記者。
「今回出走する十五人の中で、最も警戒するのは誰でしょうか?」
「う〜ん? どの子もみんな手強いし、気を抜けないとは思うけど……でも強いて言うならミロち、ミロワダーレちゃんかな」
「ミロワダーレ、やはり気になりますか?」
「気になるもなにも、むしろみんなが気になってるんでしょ? じゃあ記者さんはどっちが勝つとお思いですかっ?」
ライムトニックからの予期せぬ逆質問に記者は笑って誤魔化した。武蔵野ステークスと根岸ステークスで一勝一敗、タイの戦績でフェブラリーステークスである。外野としても、二人の勝負の行く末は非常に関心を呼んでいた。
そして更に次の記者。
「デビュー当初と比べ、今のライムトニックさんは大分印象がお変わりになったと思います。それもミロワダーレの影響でしょうか?」
「え、そう?」
「はい。デビュー時は『私以外は皆格下!』と豪語しておられましたから」
「え、そんなこと言ってたっけ? でもそうかも……ミロちんは私の親友でライバルだから!」
「プライベートでも交流がおありとか?」
「そりゃもうイベントとか即売会とか! あっこの前一緒にビッグサイト行って――」
「――ライム」
話が脱線しかけたのを手で制するトレーナー。時間配分の関係上、余計な話題に時間を割く余裕はないのである。
「あぁゴメンゴメン。え〜とじゃあ次の質問、どうぞ!」
それからも数名のインタビューを受け、つつがなく制限時間を迎えた。今回の注目株である彼女も初のGⅠとは思えない程、実に堂々した受け答えで取材陣を感心させたのだった。
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「次はミロワダーレさん! 取材ブースへどうぞ!」
「ぅっす……行くか」
ライムトニックの取材から数人の後、ようやくミロワダーレの出番となった。両の頬をピシャリと叩き、気合を入れてブースへと赴く。
新調したスーツを身に纏う日村トレーナーを背後に連れ、自分だけの勝負服と共に。どことなく手足がぎくしゃくしながら。
「――よろしく、お願いしまっす!」
多数控える記者を前に、深々と頭を下げるミロワダーレ。頭を戻した勢いで揃えた前髪が若干乱れた。
「初めて勝負服を着た時の感想はいかがでしたか?」
「いや〜、オレもこんなのが着れるようになったんだなって。なんかジ〜ンと来ちゃったっすよ」
身体にフィットするバックレスのホルターネックのトップス。ホットパンツと合わせた黒一色に赤いラインが縦に走る。真っ赤な裏地の黒いロングジャケットを着崩し、重厚な革のワークブーツも合わさってワイルドなスタイルとなっていた。
恥ずかしながらも、どこか誇らしげな笑顔。今がシャッターチャンスとばかりに、記者達がその姿をカメラに収めてゆく。
「ライムトニックとは根岸ステークスのリベンジ戦だと思います。今回はやはり打倒ライムトニックでしょうか?」
「ん〜。いや、ちょっと、違うというか……」
額を掻きながら視線を斜め上に向けるミロワダーレ。その様子を、横で日村トレーナーが静かに見守った。
「根岸ステークスを勝てなかったのはそりゃまぁ……だからってアイツに勝ちたいってとかじゃないんすよ」
「――と、いいますと?」
記者の目が、次に繰り出される彼女の言葉を待つ。
「勝ち負けとかじゃ、ないんすよね――」
少し要領を得ないが、しかし確かに、自分の言葉で語り始める。
「――何というか。アイツ、ライムなら……全力をぶつけさせてくれるというか。確かにとんでもなく速いし、皆が注目するのも分かるんすよ」
右の手を上げて掌を見つめ、やがて力強く握り締める。
「まー、最初は何かいけ好かないな、って感じだったんすけど。ただ、一緒に走るにつれてダート一本でやってく覚悟みたいなのが見えて。オレは芝から転向したんで、そういうのは本当に凄いなって……だから試してみたいんです。オレの全力が、どこまで通用するのかを」
「なるほど――単純なライバルというのではなく、高め合える存在、ということでしょうか?」
「そんな感じかもしれないっす。アイツがいなけりゃ、多分オレもここまで頑張らなかったかもしれないんで」
いつしか、記者達は神妙な面持ちで時折頷きながらしきりにメモを取っていた。ミロワダーレの言葉とその意図を、一字一句漏らさぬようにしていたのである。
続いて、別の記者が手を挙げた。
「すいません! 先程ご自身でも仰っていた通り、芝からダートに転向してすぐに頭角を現されたのでシンデレラガールと評されてますが――」
「えっオレが!? シンデレラ!? いや〜ガラじゃないっすよそんなの!」
手をブンブン振り、恥ずかしさも見せつつ強力に否定する。緊張感と和やかさが混じる、ピリリと引き締まる空気感でインタビューが続けられた。
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鏡は形を照らし、昔は今を知る
寮の消灯時間が近づく夜。メイケイエールはケトルで湯を沸かしながら、スティックのカフェオレをコーヒーカップに開けた。
やがて湯がぐらぐら沸騰すると、ティースプーンでかき混ぜつつゆっくり湯を注ぐ。一通り溶けて出来上がる乳白色の水面に、更にハチミツをスプーン一杯。
ハチミツが馴染むまでゆっくり混ぜ、ソーサーに乗せてミロワダーレに差し出した。
「はいどうぞ。甘めにしておきましたよ。熱いので気をつけてくださいね」
「お、サンキュ」
彼女お気に入りの花柄のティーカップ。息を吹きかけて冷ましつつ、慎重にカフェオレを口に含む。コーヒーのほろ苦さ、ミルクのまろやかさ、そしてハチミツの甘みが途切れなく口内を満たし、身体の隅々にまで行き渡る。
一口喉を通った後の、小さく零れる吐息は安寧の香り。
「いよいよですね」
窓際に置いた丸い座卓を挟んで二人が座る。
「いやマジで。オレがGⅠ挑戦なんて夢みたいでさ」
「夢ではないですよ?」
「分かってるって。冗談冗談」
飲みかけのカップをテーブルに置き、パジャマのポケットからスマホを取り出した。
「ライムのヤツも、取材の時と全然違ってピリピリしてるってリコが言ってたし」
メイケイエールとリコンスタの三人で作ったグループチャット。そこにリコンスタからヘルプのメッセージが届いたのだ。
――イトちゃんが一言も喋らなくてツラい、と。
「ま、アイツもGⅠ初めてだし。色々思うところがあるんだなって」
「その割にミロワは変わらないですね?」
「え? あ、まあ。成るように成るというか……今更ジタバタしてもなって感じなんだよな。何故か」
「それだけ集中できているということでは?」
「だと、いいけど」
熱さが和らいできたカフェオレを更に一口。良い塩梅の温度で内側からじっくり温まる。
「両親から、明日のレース中継は絶対に録画するって言ってきてさ。エールんとこはどうだった?」
「私の方も似たような感じでしたね……」
「そういうのはどこも同じか。恥ずかしいったらありゃしねえ」
本人の預かり知らぬところで話が盛り上がってゆくのは非常にこそばゆい。既にフェブラリーステークスを勝ったかのような勢いなのだから、期待してくれるのは嬉しいがあまりにも早計というもの。
――♪♫♪♫♪♫♪♫
手にしていたスマホからメッセージの着信音が鳴る。
「もうすぐ寝る時間だってのに……」
何気なくメッセージを確認する。また実家からだろうと、迷惑気味にも感じながら。
『夜遅くにごめんなさい。明日見に行きます』
差出人の名を見た瞬間、ミロワダーレの目の色が変わった。反対の手で、驚きのあまり半開きとなった口元を覆い隠す。
「マジ、か……!」
指の隙間から漏れる声は驚き半分嬉しさ半分。届いた短いメッセージを、目を白黒させながらしきりに眺める様子をメイケイエールはただ静かに見つめていた。
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フェブラリーステークス当日。流石に年明け一発目のGⅠだけあり、好天にも恵まれ開場直後から入場客が途切れることがなかった。
パドックの観覧席も見渡す限りの満員御礼。どの出走者に対しても大きな声援が飛び、注目度の高さが窺われた。
『さあ各ウマ娘、パドックを終えまして続々と本バ場へ向かっております! 登場まで今しばらくお待ち下さい!』
ミロワダーレ自身も初GⅠパドックであり、ランウェイから見た黒山の人だかりには圧巻の一言。しかしその程度で怯む彼女ではなく、最終的にはコール&レスポンスで観客を沸きに沸かせたのだった。
「やっほ、ミロちん」
「おっ」
パドックを終え、本バ場へ向かう地下バ道の途中でライムトニックが肩を叩いた。枠順からいえば彼女の方が先である。
「パドック大盛り上がりだったじゃん。勝つのは誰だ〜!?
なんて面白いことしちゃってぇ」
「あれは……ノリだよノリ」
ここまで集まっているならコーレスも上手く決まるのではないかと思っていたが。それにしても予想以上の盛り上がりで爽快に尽きた。
「ま、盛り上げてもらって悪いけどぉ……」
一歩二歩と、飛び跳ねながらミロワダーレの前に出る。そして得意満面な表情で振り返った。
「最後に勝つのはやっぱりこの私!」
自信家っぷりは相変わらず。実際、それを成し遂げられるだけの実力を有しているのだからタチが悪い。
「おーおー言ってろ。でも良いのか?」
「なぁにが?」
「スカートの横。破れて下のスパッツ見えてんぞ」
ミロワダーレは指で自分の右の腰周りを示す。ライムトニックは一瞬だけ動揺の色を窺わせたが、またすぐに元通り。
「……ふふん、その手には乗らないよ! 私にそんな心理戦なんて――」
「いやいいけどさ。もしレース中に破れて脱げたら服装規定違反で即失格だろ?」
「むっ……」
「それで一位逃すなんて笑えねえよ。二位が繰り上げ一位になっても嬉しくも何ともねえし……オレは忠告したぜ?」
小憎らしかった顔のライムトニックがみるみるうちに疑念一色になってゆく。
「そんな、また冗談……」
彼女の目はなおも強がりを見せていた。額にうっすら汗を浮かべながら抵抗の意思を示す。それは薄氷の上を渡るかのような、酷く不安定なものだった。
「……」
そして何も答えないミロワダーレ。黙って静かに
その沈黙を破ったのは。
「――嘘ぉ、嘘だよね!? インナーワンピ着る時何か変な感じがしたからまさかなって……どこ!? どこどこ!?」
大慌てでスカートをまさぐるライムトニック。下に履いたスパッツが丸見えになるのも
「嘘だよ」
「教えてミロちん、破れたのどこ……えっ?」
「ウ・ソ・だ・よ、ばぁ~か!」
してやったとばかりにミロワダーレが歯を見せて笑った。始めからスカートは破れていなかったのである。
それが分かり、ライムトニックは安堵の表情み見せたが一瞬のこと。からかわれたと気づき、顔を真っ赤にしながら怒りで身を震わせる。
「〜〜っ、もうサイテー! ミロちんの甜菜脚! 聖護院大根脚ぃ!」
「……言いたいことは分かっけど。リアクションに困んだろその例え」
もはや子供の口喧嘩にも等しい。キーキー
「も〜っ。これからレースなのに緊張感なさすぎっ!」
「はっ、今更緊張してどうもなんねぇだろ。いつも通りやろうぜ、いつも通り」
『皆様お待たせ致しました! 東京レース場、第十一レースフェブラリーステークス! 出走ウマ娘の本バ場入りです!』
天井に備え付けられたスピーカーから、いよいよ本馬場入場が告げられた。
「始まったか。行こうぜ」
「うん」
二人の言い合いはそこで終了。地下バ道の出口へと足早に向かう。
『持ち前のスピードに溢れる闘志、大舞台で運命を切り開くことができるか! 一枠一番、ヘキギョクノキミ!』
威勢の良いアナウンサーの紹介文句が流れる中、ライムトニックがミロワダーレに顔を寄せる。
「ミロちん、あのね――」
そして声を潜め、そっと呟いた。
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明鏡止水
『ダート界に巻き起こる新風! ダート初挑戦で重賞勝利、その実力は間違いなく本物! 六枠十一番、ミロワダーレ!』
(恥っず……)
地下バ道を順々に出ながら紹介を受け、コースで簡単にウォーミングアップという流れである。仕方がないとはいえ、アナウンサー渾身の紹介はあまりの気恥ずかしさに脇腹の辺りがむず痒くなった。
(やっぱ見んのと出るのとじゃ全然違うな)
GⅡやGⅢでも所々空きが見られるスタンドも、今日ばかりは最上階までびっしり埋まっていた。それだけGⅠは特別であり、これまでにない注目にいつも以上に胸を張る。
「ミロワダーレー! 期待してるぞー!」
「一着取るとこ見せて〜!」
(おっ)
熱心なファンの声援を受け、地下バ道出入り口の周りの観客達を目で追ってゆく。
「ミロワ〜!」
「……が〜ん〜ば〜れ〜……!」
いた。一輪のバラのような流星を持つ鹿毛と、最近白さがより増してきた芦毛のウマ娘。
メイケイエールとリコンスタ。
その傍らには彼女達のトレーナーと、自身の担当である日村トレーナーも。見つけやすいグループで実にありがたい。
二人に向かって手を振ると、それに応えるかのようにメイケイエールが右の人差し指をピンと上に立てる。隣のリコンスタがぐっと握り拳を作ってのガッツポーズ。
そして日村トレーナーと目が合う。彼も親指を立てて小さく頷いた。
――一位、取れますよ!
――グッドラック……!
――やれることはやってきた。君なら行ける。
まるで声が聞こえてくるかのようだった。ミロワダーレもサムズアップの後、立てた親指を自分に向けて胸を張る。
――任せとけ!
心強い声援を受けたミロワダーレはなおも観客に目を配る。 しかしまだ一人、会えていない人がいる。後ろが渋滞とならないよう、本バ場へ向かいつつも必死に周辺を観察する。
程なくして、本バ場に入る所。観戦エリアの端だった。
(……いた!)
黒いキャップ――耳を通す穴があるウマ娘専用の――を目深に被り、恐る恐るながらこちらを窺っていた一人のウマ娘。艷やかな深みのある黒鹿毛の髪が帽子から覗いていた。
忘れるものか――。
ミロワダーレは柵の前に配されている花壇の隙間を縫い、その少女の元へ歩み寄った。
「……久しぶり。元気にしてた?」
「ミロ、ちゃん……」
メイケイエールより前、最初のルームメイト。かつては共にトゥインクル・シリーズで活躍を誓った仲だったが、非情な現実に打ちのめされ学園から去っていった。
「連絡嬉しかったよ。来てくれて本当にありがとう」
「う、うん……最近、凄く頑張ってるみたいだから……」
元ルームメイトは俯き気味に、ミロワダーレと目を合わせようとはしなかった。
「ここまで来るのに色々ありすぎたけどさ」
「で、でも凄いよ。諦めなかったんだもん、ね……私、途中で諦めちゃったから……」
三つ編みだった髪を真っ直ぐに下ろし、一緒だった頃と比べ随分と大人びている。遠慮がちなのは過去の罪悪感からか、それとも。
「あれから、共学の普通の学校に転校して……高校も共学なの。でも、笑っちゃうよね……」
帽子のツバを指で摘み、ぐいと引き下げる。笑う彼女の口の端は歪んでいた。
「走るのが嫌になったのに、結局……陸上部のマネージャーやって……走りたいって気持ちが捨てきれないの。ミロちゃんに酷いこと言って、ここに来る資格なんてないのに。でも、どうしても……!」
ミロワダーレは人差し指を自らの口の前に立てる。
「――大丈夫。来てくれるだけでさ」
「えっ」
優しさに溢れた柔らかな声に、元ルームメイトはわずかに顔を上げた。
「オレも謝りたいこと、伝えたいことがいくらでもあるけど……上手く言えるかどうか分かんねぇや。だから――見てほしい」
そして欠けていた歯車が埋まり、ゆっくりと動き出す。
「これまでのオレと……これからのオレを。全力で――いやそれ以上の全力全開で走るから!」
手を振ってミロワダーレが
少しずつ遠ざかってゆく背中。ここを逃せば次はないかもしれない。必死に彼女は声を張り上げた。
「……ミロちゃーーーんっ!!!」
透明な壁を打ち破るように真っ直ぐ、力強く。
「走ってぇーっ! 私の分までーーーっ!!!」
ミロワダーレは振り返らなかった。しかし固く握り締めた右手を意気揚々と掲げ、その想いに応えてみせた。
元ルームメイトは濡れる目尻を拭い、脱いだキャップを両手で抱える。そして彼女は去りゆく友の背中に向け、ただただ願うのだった。
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『さあ出走の時間も間近となりました。ウォーミングアップを終えたウマ娘達が続々とゲート前に集まってゆきます』
本バ場での試走を終え、出走者がめいめいゲート前に集合しようとしていた。武蔵野ステークス、根岸ステークスと走り、東京のダートコースは感覚を掴んでいる。コース状態は至って良好。全力を出すのに申し分ないコンディションだった。
「ミ〜ロちん」
ゲートに向かう道すがら、ライムトニックが声をかける。
「何か良いことあった? 尻尾が嬉しそうだけど」
ウマ娘の尻尾というものは口よりも物を言う。嬉しい時は尻尾が踊り、悲しい時は力なくうなだれる。ミロワダーレのそれはまさにリズミカルに揺れ、テンションはまさに最高潮。
「ま、ちょっとな」
「ん〜良きかな良きかな。私のライバル兼マブのミロちんがレース前に元気でないと困っちゃう!」
「ライバル……レース、か……」
「どしたの?」
キッズエリアが広がる内バ場を挟み、その向こうに聳える巨大スタンド。レースの出走をまだかまだかと待ちわびる観客でいっぱいであり、喧騒がこちらにまで届きそうだった。
既に出走待ったなしであるが、ミロワダーレは未だかつてない不思議な感覚に見舞われていた。
「いや、いつもならレース前の時はやってやんぞって感じなんだけどさ。今日は全然そんなことなくて。むしろメッチャクチャ静かなんだよ……」
しんと静まる心内。レース前の
「え〜っ!? なになに燃え尽き症候群ってやつ? 困るよぉこんな時に――」
何を気弱なことをと、急に意気を失った友を奮い立たせようとライムトニックは手を伸ばす。寒空に
「――っ!?」
肌が触れた瞬間、指先から伝わる灼熱に彼女は即座に手を引っ込めた。指が一瞬で焼け落ちた錯覚に陥ったが、手元を見て五指健在であることに安堵する。
「いや、なんかさ――」
フェブラリーステークス、発走予定時刻15時40分。陽は西に傾き、黄金色に変わりつつあった。
ミロワダーレは広げた手を天にかざす。マグマよりも熱い血潮が、途切れることなく全身を駆け巡っている。今確かに、ここにこうして、ここに立っている。もし何一つ欠けていたならば叶わなかっただろう。
天から降る光のカーテンが彼女の総身を包み込む。そよ風でなびいた髪の一本一本が照らされ、鮮やかな金色に輝いた。
「――今日のオレ。どこまでも走れそうな気がするぜ」
そう語るミロワダーレ。落ち着いた声のトーンと裏腹に、彼女の表情は燃え上がる炎よりも激しく、そして力に満ち溢れていた。
次こそフェブラリーステークス。
スタートからゴールまで一話に収められれば、と…。
かなり執筆カロリー高くなりそうですが。