それでも彼女は走り続ける――。
シニアの高松宮です。やはりメイケイエールの話を書くのなら、このエピソードは必須なわけで…。
しかしながら負け戦なのでレースはダイジェスト気味です。
ついでに、AI生成でキャライメージもちょこっとだけ。流石に全員やろうとしたら収集つかないので極一部のみですが。
なお、着順掲示板の画像はまめ氏作成の着順掲示板シミュレーターを使用させていただきました。
(https://mamema.ldblog.jp/TurfVisionSim/turfvisionsim.html)
・高松宮記念の出走者の読み替え表
レシステンシア → コリエンテス
ナランフレグ → ダライサエン
キルロード → ハナミチ
トゥラヴェスーラ → マスキエッタ
ロータスランド → アルカディア
人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html
期待の春
日の寒さも遠のき、桜の蕾が目覚め始める頃。トレセン学園のトレーニング用コースでウマ娘が走る。
そしてコース外、数段高くなった土手に数名の記者達が控えていた。取材目的らしく、走る彼女へ熱視線を送っている。
ストップウォッチを片手にコースに立つ河削は、こちらに向かってくるウマ娘――メイケイエールのみを見ていた。中京レース場を意識して本番さながらの練習である。
(来た……!)
コースの芝越しに感じるメイケイエールの走り。乱れのない規則的な足音と共に眼前を駆け抜ける。
その瞬間にストップウォッチを止め、タイムを確かめる。
――1分14秒4。
「良いタイム出てるよ! 良い時の感じをしっかり覚えておいて!」
「はいっ!」
メイケイエールも良い手応えがあったようで、汗が流れる顔は明るい。七、八割程の強度でこのタイムなら本番での望みも十二分。
そしてトレーニングのキリが良い所で、様子を窺っていた記者陣が集まってきた。その中には、もちろん――。
「河削トレーナー、エールさん、こんにちは!」
小柄な体躯に大きめの眼鏡をかけ、小綺麗に揃えたボブカットの女性記者。どことなく中学生の雰囲気を漂わせているが、とうに成人を迎えれっきとした社会人の高木である。
「おー、高木ちゃ〜ん」
「とうとう来ましたねえ高松宮。エールさんの調子もかなり良さそうじゃないですか?」
トレードマークと化した一眼レフカメラを構え、メイケイエールの今の姿を鮮明に切り取ってゆく。
「んまぁね。シルクロードから調子いいし、ようやくエールの時代が来るかも――絶対にとは言えないけどね」
「現時点での仕上がりは何点でしょう?」
「85点、って感じかな。後は調子のピークがレース当日になるよう調整するくらい」
「なるほどぉ、余念ありませんね。エールさんがタイトルを獲る光景が目に浮かびます」
談笑する二人の元に、軽いジョグでウォームダウンをしながらメイケイエールも参加する。
「何を話されていたんですか?」
「エールがいよいよGⅠウマ娘になるかなって」
「えぇ? 流石にそれは、ちょっと性急じゃないですか……?」
謙虚ぶってみせるも、メイケイエールの耳は弾むように動いていた。彼女自身も今の状態に手応えを掴んでおり、それ故の反応なのである。
「そんなことないですよ! シルクロードステークスで勝ってますし、高松宮もこの勢いで! です!」
高木の言動にも力が籠もる。セントウルステークスの時と同等か、それ以上か。とにかくコンディションの充足具合は申し分ない状態だった。
「スプリントのGⅠは群雄割拠だからねえ、油断はできない」
春と秋の年二回しかないスプリントのGⅠレース。快速自慢が一堂に集結するため、誰の頭上にも冠が輝く可能性があるのだ。いかな絶好調のメイケイエールであっても油断すれば脚元をすくわれてしまうだろう。
「今回のメンツも結構なもんでしょ? ダライサエン、コリエンテス――他にも一級のスピードの
「ええ、まぁ」
「――ま、エールが他の娘に劣るだなんて思ってないけど」
自慢のウマ娘、メイケイエール。既に重賞を六勝しており、能力の高さは折り紙付きである。いよいよ花開く時が来たと思うと、彼女を見つめる河削の瞳にも熱がこもる。
「よし、エールもう一回走ってきてくれる? 今日はそれで終わりにしよっか」
「はい。距離は同じ1200ですよね?」
「うん、よろしく!」
指示に従い、メイケイエールはスタート位置へ駆け足で向かってゆく。その背中をカメラのファインダー越しに眺める高木が、感慨深そうに言葉を漏らす。
「―――すっかり、アスリートの顔をされてますね。初めてお会いした時とは見違えるようで……」
「高木ちゃんも初々しかったねぇ」
「私もペーペーの新人でしたから」
メイケイエールのデビューは一昨年の夏である。新人として配属されたばかりの高木が取材に来たのもこのタイミングだった。
バシャリ、と一眼レフのシャッターが切られる。同じ時間を共に歩んできた仲であり、いつしか記者とウマ娘とトレーナーとはまた違う関係が醸成されていた。
「正に勝負の一年だね。エールにも、皆にとっても」
スプリントの頂点を獲る戦いは既に始まっている。数少ないチャンスをモノにするため、より効果的なトレーニングを積み重ねていく必要があるだろう。
スタート位置まで戻ったメイケイエールが構え、一拍置いた後に駆け出した。河削はそれと同時にタイマーのスイッチを入れ、流麗なフォームを一時たりとも余さず注視していた。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
他のウマ娘がトレーニングに励む中、メイケイエールは一足先に切り上げて寮に戻ろうとしていた。まだまだ走り足りない感はあったが、本番に向けたコンディション調整の面もある。
休むべき時に休み、動くべき時に動く。全ては高松宮記念――GⅠレースで勝利するため。その重要性は彼女自身も理解していた。
「あら、エール? 今日はもう上がりなの?」
引き上げようと荷物を纏めていた最中、マシロとばったり鉢合わせとなった。
「はい。もうすぐレースも近いので」
シューズやウエアを詰め込んだボストンバッグを肩に担ぐ。幅広の肩紐がぐいと身体に食い込んだ。
「高松宮ね――御家族の皆さんは元気にしてらっしゃるかしら」
「ええ、お陰様で。特に母は――それはもう元気一杯で」
「エールより張り切ってるおばさまが目に浮かぶわ」
娘のメイケイエールより元気ハツラツな姿が浮かび上がり、マシロは困り顔で含み笑い。
トレセン学園に入学するまで、メイケイエールとマシロは頻繁に互いの家で遊ぶほどの仲だった。白毛繋がりからか、母は特に彼女を気にかけていた。事ある毎に全身埋もれるハグをされ、窒息しかけていた在りし日の姿を思い出す。
「また、ぎゅ〜してもらいます?」
「――それは遠慮しておくわ。昔より背も伸びたから、あの時のようにはならないと思うけど……」
「母、また背が伸びましたよ」
「ウソでしょ」
「2センチ伸びて185センチになったとかで」
「――ウソでしょ?」
「まあ、母ですので」
「説得力があるような、ないような……」
言葉を失うマシロだが、メイケイエールもまた半信半疑である。色々と規格外の人である故、そういうこともあるのかもしれないが。
「そろそろトレーニングに戻るわ。皆さんによろしくお伝えしておいてもらえる?」
「分かりました。お気をつけて!」
マシロは礼を言い、軽い足取りでトレーニングに向かっていった。彼女の次走はヴィクトリアマイルと謳われている。ここ数戦結果が伴わなかったが、桜花賞以来のマイル戦で奮戦が期待されていた。
「じゃあ、私も……っと」
寮に戻って、じっくりストレッチでも。それにレース展開のシミュレーションもしておきたい。トレーニングを早めに切り上げても、やらないといけないことは山積みなのだ。
――ガシャン!
寮へ戻る途中、ゲートの開放音を耳にして脚を止める。新入生やデビュー前のウマ娘がよくゲート練習をするのだが、それは春も中頃以降になってからが多い。この時期としては少々珍しいと言えた。
レースでスタートをしくじり、URAから注意でも受けてしまったのだろうか。何の気なしに周りに目を向けてみると、練習用の移動式ゲートが配置されたコースを見つけた。
「え、リコ?」
ゲートから飛び出したウマ娘を見て、思わずメイケイエールは声を上げた。
芦毛の長い髪、それを黒いリボンでサイドテールに纏めたウマ娘。記憶している限り、そのような特徴的な娘は一人のみ。リコンスタである。
しかしはなはだ疑問だった。彼女はゲートからぬるりとスタートできるほどのゲート巧者なのだ。改めてスタートの練習を行う必要はないはず。
ゲートから勢いよく出て100メートルほど走るが、すぐに彼女は速度を緩めて再びゲートに引き返してくる。どうやら、本当にスタートのみの練習のようだった。
――基本を忠実に、でしょうか。
一度ゲートに慣れてしまえば、改めての練習はなかなか行わないものである。それを敢えて行っているということは、つまり何らかの意図があるはず。
ガシャン!
扉が開け放たれると同時に、リコンスタが芝のコースに弾け出る。彼女のスタートは幾度となく見てきたメイケイエールであるが、今回ばかりは不思議と違和感を持った。
ゲートから出た直後は勢いがつくものだが、それにしても速い。開始直後からスパートをかける勢いで、それはまるで大逃げでもしようとしているかのよう。
確かに、スパートで力が入ると斜行してしまうリコンスタである。下手に集団に入るより、先頭をひた走る方が良いのかもしれない。
(リコも、挑戦しようとしているのですね)
大切な練習中であろう、心の中で応援しながらメイケイエールは静かにその場を後にした。
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そして頭上に戴くは
春の空は悠然と、そして緩やかに。午前中は厚い雲に覆われた名古屋の空も、昼を過ぎる頃には雲の切れ間から青空が覗きだしていた。
前日の降雨の影響かコースの状況はあまり良くない。脚に纏わりつく感覚がタフなレースとなることを予測させた。しかしそのような状態であっても、ウマ娘は変わらず走り続けるのである。
『さあ第四コーナーを回って最後の直線! 各ウマ娘ラストスパートに入る!』
入り口は広く緩やかだが、出口は狭く急になるスパイラルカーブ。鹿毛のストレートヘアのウマ娘がコーナーを抜け、集団を引っ張るかのように先頭をひた走る。
「ぬううぅぅー!」
手応えは十分。向こうに見えるゴール板まで後わずかだった。
『後ろとの差は一バ身、二バ身! これは決まったか!』
後ろから追いすがる娘を突き放し、最後までその勢いは揺るがない。
『先頭は――ソメイアケホシ!』
髪の内側、桃色に染めたインナーカラーが向かい風に翻る。残り100メートルほど、大勢はほぼ決したようだった。
「
気合一閃、威勢良くソメイアケホシが一着でゴールを決めた。数拍開けて後続のウマ娘達がゴールに殺到する。
『ソメイアケホシ、そのままゴール! ライバルの追撃を凌ぎきり見事一着!』
ここは名古屋レース場。ソメイアケホシは肩で息をしながらゆっくりと脚を止め、大盛況――と呼ぶにはいささか寂しい――のスタンドへ向かって手を振る。
「おめでとう、おソメ。とても速かったですよ」
そしてこのレースにはオリヒメも出走していた。彼女の順位は、下から数えた方が早かった。
「そんなとんでもない、ただ展開が良かっただけですもの! ヒメ会長にも良い流れがきっと回ってきますわ」
「――ありがとう。なるべく早く来てほしいものね」
ウイニングライブのため、ソメイアケホシはライブステージへと向かっていった。華奢な背中を大きく揺らし、揚々としている様は実に頼もしい。
そして、オリヒメ自らはというと。他のウマ娘と連れ立ち、その他一同として本バ場を後にする。掲示板にも乗らず、顧みられることもなく。
海からの風で肩が冷えてゆくのを感じながら、次のレースのために場を譲るのである。
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オリヒメとソメイアケホシ。両名の奮闘をカクトサンゴがスタンドから見守っていた。正に明暗を分けるような結果に重い息を吐きつつ、本バ場への通り道を一望できるウマビューコリドーへ向かう。
小生意気だが可愛い後輩のソメイアケホシの勝利は素直に嬉しい。しかし莫逆の友であるオリヒメの結果が芳しいものでないのは複雑な心境である。
左右に広いガラス張りの一画。そこでレースを終え帰還するウマ娘達へ手を振って出迎える。
「ヒメ、お疲れ様」
声が届くことはないとしても労いの言葉を。やがてオリヒメもそれに気づき、控えめに手を振って応えた。
「オリヒメねぇ……」
「頑張っちゃいるけどなぁ」
後ろ、少し離れた所から二人の男性の声が聞こえた。カクトサンゴは耳だけ後ろに向けて静かに窺う。先ほどのレースを見ていたのだろうが、明らかに溜息混じりだったからだ。
「……流石にもう厳しいなぁ。前勝ったのっていつだったっけ」
「……昨年か、一昨年か……まぁずっと勝ててないな」
「それでほぼ毎週走ってるんだろ? いくら名古屋のレジェンドはいえ、流石に限界じゃねえの?」
「分かってねえなぁ。オリヒメはなぁ、別格なんだよ! レジェンドだからこそ、レースに出るだけでも価値があんだから!」
「ふーん、そんなもんかねぇ」
非公式の記録も含め、物心つくかつかないかの頃からレースに出ること数百余り。現役のウマ娘の中ではずば抜けた出走数であり、果たして今後記録を更新する者が現れるのかどうか。
しかしここ数年は長い低迷期に陥っており、掲示板に乗ることすら厳しいレースばかりとなっていた。
(……客寄せパンダみたいに……馬鹿にして)
カクトサンゴは非難めいた視線を男性二人に投げかける。しかし距離が遠く、彼らが気づくこともなく視線を戻した。
当然、オリヒメ自身もその状態が望ましいとは考えていない。生徒会長としての職務を果たしつつ、トレーナーと二人三脚で努力しているのだ。何度も繰り返してきた併走トレーニングにて、悩みつつも前を向く姿を見てきている。
だからこそ、外野の勝手な決めつけには無性に腹が立つ。
(今はツキが回ってこないだけ。きっとその内――そうでしょ、ヒメ)
明るい橙色である栃栗毛の髪をガラス面に付け、通り過ぎていったオリヒメの背中を追う。いつもと変わらない、真っすぐ伸びた背筋。
しかしその背中がひた隠しにしているものを知っている。決して他者に漏らすことはない、彼女の本心。溜息で曇ったガラスをそのままに、ソメイアケホシのウイニングライブを観るべく野外ステージの方へ向かっていった。
そして、観戦スタンド内に設置されている他レース場の様子を映しているモニター。そのうちの一つがにわかに動きを見せ始める。
――GⅠ高松宮記念。そのパドックが始まったのだった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
狂う歯車
スプリント戦は波乱が起きやすい。
スピードがあればあるほど有利なのは間違いないが、距離が短い故のリカバリーの難しさが最たる要素である。ゲートの出遅れ、進路の塞がり、そしてコースコンディション。一瞬の判断の遅れで順位が容易く変動してしまうのだ。
今回も実力者揃いで混戦は免れないとの見方が強い。しかしその中であっても、メイケイエールは二番人気を獲得していた。スプリント重賞の複数勝利に、前走シルクロードステークスでも見事に一着。申し分ない実績であり、ファンのみならず評価しない理由が皆無であった。
『メイケイエールはキレ抜群! レースはコリエンテスとの一騎討ちか!?』
『才媛コリエンテスと令嬢メイケイエール! スプリント最速の称号を手にするのはどちらか!?』
などと、誌面上では最有力候補のコリエンテスとの熾烈な争いを匂わせていた。
コリエンテス――メイケイエールの一学年上で、世代としても一つ上のウマ娘である。ジュベナイルフィリーズのタイトルを持ち、いくつものマイルのGⅠレースで戦ってきた実力者でもある。
同じ鹿毛の髪をたたえ、誰もが羨む豊かなプロポーション。赤いリボンの髪飾りが左耳を彩り、厳かな緑のドレスに色を添えている。
才媛との呼び名に相応しい佇まいであり、メイケイエールも何度も言葉を交わしたことがあった。
『エールさんっ! あんなに食べてどうしてそのスタイルなの!? 秘訣を、秘訣を教えてっ! 後生なのぉ!』
体重1グラムの増減に一喜一憂する、いたって微笑ましい年頃の少女そのもの。そして、コリエンテスだけでなく他の娘も――。
一瞬たりとも気が抜けない、丁々発止のレースとなるに違いない。楽に勝てるレースなどありはしないが、電撃の6ハロンとはよく言ったものだ。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
数少ないスプリントGⅠ、その勝利の価値は額面以上である。周囲の盛り上がりを受け、再認識したメイケイエールが本バ場への地下バ道を歩く。
「エール! エールっ! ちょっと待って!」
一足先にスタンドへ向かっていたはずの河削が、ただならぬ様相で駆け寄ってきた。
「河削さん……?」
「ごめん、ちょっと……いっかな……?」
「構いませんが、そんなに慌てて――」
「いや、ぁ……どうしてもね、伝えたいことが、あって……」
頭の後ろで団子に纏めた髪が乱れていた。肩で息をし、呼吸が落ち着くまでしばらく。ここまでの慌てよう、よほど火急の用件のようだが。
深呼吸で息を整えた河削が周囲に目を配る。近くに誰もいないことを確かめると、彼女は声を潜めた。
「――今日の作戦。少し変更させて」
「――!」
本番直前のこのタイミングで、である。メイケイエールは思わずまじまじと河削の顔を見つめる。
「コースのコンディション、重って発表だったでしょ?」
「はい、発表だと確かに」
「重バ場なのは確かなんだけどさ。コースの内側はもう乾いてきてるけど、外がまだぬかるんでるらしくて」
「まさか……!」
脚元が緩くなれば、走るのによりパワーとスピードが必要となってしまう。その上、メイケイエールは大外枠の十七番である。トラックバイアスの影響がより大きくなるポジションであり、河削の話をにわかに受け止められなかった。
「今日走った娘のトレーナー何人かに聞いてみたの。コースの状態はどうだったかって――全員、ほぼ同じ回答だったよ」
今回の作戦は内への意識はほどほどに、先団の中で走りやすい三、四番手を保つ。そして第四コーナーを終え次第スパートをかける、としていた。先行策としてはスタンダードな作戦である。
「エールなら少しくらい重バ場でも全然平気だと思うけど。でもGⅠで二重の不利を
メイケイエールは無言で頷いた。重バ場は特段苦手としてはいないが、河削の言う通りマイナス要素は排除しておきたいのが正直なところ。
「そこで、だけど――」
河削は再度周囲を窺う。慎重に慎重を重ね、密かな作戦会議が始まった。
「――スタートしたらすぐ、なるべく早く内に入って。多少脚を使っても構わないからとにかく内を意識して」
「分かりました。どのくらいまで内に――目安はどうしましょうか」
「最内、じゃ事故る可能性もあるから……高松宮の出走は十八人か。なら三分の一して六番のラインまで切り込めれば御の字にしよう」
あまり内に入りすぎると進路が塞がる可能性がある。だからといって外すぎても意味がない。どこまでリスクを取るのか、非常に頭を悩ませる。
「できる限り六番のラインまで、ですね」
それくらいなら十分、内に切り込む意味があるだろう。メイケイエールは河削の目を見ながらしっかり頷いた。
「うん。スタートしてからコーナーまでの300メートルが勝負だからね。肌感覚で良いポジションが取れそうなら迷わず取っちゃっていいから」
「はい。やってみます」
「よろしく――エールならできるよ!」
河削に見送られ、メイケイエールは本バ場へ向かう。
勝つために二人で話し合い、待ったなしの状況下でも次善策を導き出した。どのような時であっても、ただただ全力を尽くして走るのみ。
例えGⅠレースといえども、それは変わらないのだから。
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本バ場に降り立ち、メイケイエールは出走開始時間まで入念に試走を繰り返す。
「――っ」
コースの内、中、外と走ってみると、確かに――。
(――外の方が、脚が取られる――)
やはり走りやすいのは乾きつつある内側だった。外も事前に予想していたほど悪くはなかったが、比べてしまうと雲泥の差である。
「エールさん。随分念入りに確認なさるのね?」
コースの感触は掴めたのでゲートに向かおうとした矢先。同じく試走していたコリエンテスが声をかけた。
「コリィさん。外目が乾ききってないと聞きましたので」
「そのようですわね。折角の勝負服、汚したくありませんわ」
コリエンテスは七番。内目を取りに行きやすい丁度いい位置である。コースの状態に気を揉まなくて済むからか非常に安穏としていた。
「それじゃ、お互い死力を尽くしましょうね。ごきげんよう〜」
――否。
これは恐らく、多少のことでは物怖じしない本人の気質による所が大きいだろう。あるいはGⅠタイトルの有無からか。
「ごきげんよう……」
毛先につれて緩やかに広がる鹿毛を揺らし、コリエンテスがゲートに向かう。彼女の背中を見送りつつ、メイケイエールは首を左右に振った。
「今更迷ってなんて……!」
必要以上にナーバスになっていたかもしれない。息を一つ強く吐き、自分自身に喝を入れる。そして一歩一歩地面を踏み締め、今日の主役を待ち受けるゲートに向かっていった。
春も本番、肌を撫でる風もどことなく甘みを帯び、世間では花見の話題で持ちきりだった。しかしここ中京レース場では、熾烈な戦いの火花が咲き乱れようとしている。
遠くからのファンファーレを聴きながら、十八名のウマ娘がゲートに収まってゆく。それぞれの想いを胸に、全身に闘志を宿して。
『収まりました十八名! 春のスプリント王者を決める高松宮記念、冠を戴くのはどの娘になるでしょうか!』
メイケイエールは息を整えて身構える。幾度となく挑戦してきたGⅠレース、それがようやく終着となるのだろうか。じっと正面を見つめ、全神経を脚元に集中させた。
ガシャン!
明け放たれる扉、まさにこの一瞬。
両脚の筋肉が収縮し、鹿毛のウマ娘の体躯を勢いよく押し出した。
『スタートです! 十八名揃ったスタート、観客席から拍手が起こります』
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
物理的限界
大きな出遅れもなく、メイケイエールもまずまずのスタート。ここからおよそ300メートルまでの間が最も重要。いかに良いポジショニングができるか。その結果
『まず先頭に立ったのは七番コリエンテス! 好スタート好ダッシュで突き進みます。続くは――』
上手くスタートできたと安心するのはまだ早い。河削と取り決めた通り、メイケイエールは左の内ラチ側へ目を向けた。
(遠い……!)
額に汗が噴き出し、尻尾の付け根辺りがざわわとそばだつ。
遠くに流れる白いレールに緑の支柱。十七番という大外枠、内ラチが覗くのは何人ものウマ娘の向こう。普段なら何とも思わなかったが、手を伸ばしたところでまるで届かない先にある。
(なるべく内を、取らないと!)
既に十のハロン棒を過ぎようとしている。残り100メートルあまり。奥歯を噛み締め、声なき声で唸りながら内側を窺ってゆく。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
「予想してたけどさ……!」
スタンドに座り、大型ビジョンを凝視する河削は両手を強く握り締めた。爪が皮膚を破り、肉に食い込もうとする程に。
スプリントのレースは基本、逃げや先行といった前側の脚質が有利になりやすい。今回の高松宮記念も前目の脚質を得意とするウマ娘が多かった。
そうすれば、どうなるか。
(荒れた外を嫌って内に殺到する……
言わば早い者順の椅子取りゲーム。内側から早々に埋まってゆき、大外枠のメイケイエールは強制的に出遅れを余儀なくされた形。彼女が内を取ろうとする頃には目ぼしいポジションは埋まってしまい、外を回るしかなくなったのである。
大型ビジョンにそれでも懸命に走る彼女が映る。まだレースは終わった訳ではない。
「エール! 貴方ならいける……!」
実力は随一であることを担当トレーナーとして自負している。たかが不利の一つや二つ、打ち破って勝つことなど造作もないこと。
「皆が待ってるから! いけるよ!」
トレーナーとしてできることはただ一つしかない。
――彼女を心の底から信じ抜くこと。
苦戦の
勝利の女神に
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
濡れた芝が脚に絡みつくように重い。普段よりもパワーが必要となるタフなレース、坂を上ってスパートするだけの余力は残しておかなければ。
『十七番メイケイエールは外を回って中団の位置、後方インコースに二番ダライサエン控えています』
しかし、メイケイエールは脚の運びが鈍くなってきているのを感じた。外を回りながら先頭集団にぴったり着いていくことの負荷が、じわりじわりと体力を削っていくのである。
(まだ、この程度で!)
外めの位置取りの利点が一つある。前を走る者がおらず、ゴールまでの進路が確保できているということ。コースコンディションで多少の差はあれど、脚に疲労が蓄積しているのは皆同じ。
コーナーの終わりが見え、メイケイエールは一つ息を吸い、吐き出した。
中京レース場は直線400メートル、入ってすぐに高低差2メートルの急坂が控えている。
(――河削さんに呆れられてしまうじゃないですか!)
コースの外に咲く満開の桜。
それを背に進むメイケイエールと十七人。
『前半は33.4、重バ場で33.4のタイムです!
――道悪程度で終わってなるものか!
『先頭迎えるはコリエンテス! 八番アイガーも良い手応えか!』
直線に入り、行く手には急勾配の上り坂。体力も脚もまだ残っている。勢いをつけて一気に駆け抜け、そして突き放す。彼女は確信する。いける、獲れる……獲ってみせる。
大きく一歩踏み込み、上体を沈み込ませた。
身体は大きく前に倒れんほどに。
溜めた力を蹴り出す脚の一点へ。
轟く筋肉、軋む蹄鉄。
そして――。
「……くっ!」
猛然と追走を始めかけたその刹那。視界の左側から他の娘が入り込んできたのである。
このままでは接触。メイケイエールも横に半歩ずれ再度スパートを開始した。相手がバランスを崩したのか、脚元がふらついたのかは分からない。きっと故意でもなく、全力を絞り出そうとして勢い余ったのかもしれない。
ただ、それが――。
坂を上り、残り200メートル。先頭はまだ捉えきれない。
(前に、出なければ……!)
身体が、脚が、とにかく重い。見えない誰かに後ろから引っ張られているようなもどかしさ。
『コリエンテス苦しくなった! 外から黄色いリボンの十番ハナミチ、内から潜り込んで十三番マスキエッタも来た!』
メイケイエールは歯を食いしばり、熾烈な先頭争いに後ろから食らいつく。
『そして九番アルカディア、大外からはメイケイエールも上がってくるが! ハナミチか、マスキエッタか! ハナミチか、マスキエッタかっ!』
差は一バ身、半バ身。
余力の全てを費やし。
(届いて――!!)
クビ。
もう少し。
あと――。
『――なんとダライサエン! 内を掬ってダライサエンだ一着でゴールイン!』
しかし無情にも通り過ぎたゴール板。
スタンドからの歓声鳴り止まぬ中、メイケイエールはクールダウンしながらゆっくり速度を緩める。
脚元は土の跳ね返りで汚れたブーツ。そして、顔を上げると、その先には奮闘虚しくも届かなかった現実が。
(また、期待に応えられなかった……)
辛うじての五着。先頭の五人が大混戦という状態であるが、何度見返そうと順位は変わらない。いや、順位そのものより、力を出し尽くしても届かなかったこと。それが何より心苦しい。
ずしりと重くなる全身を引き摺って地下バ道へ向かう。途中、コリエンテスとすれ違った。着外で掲示板にも入らず、ただ茫然と立ち尽くすばかりの彼女。声を掛けようとするも言葉が見つからず、メイケイエールはただ置いていく他にできなかった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
ダライサエンが先頭でゴールした瞬間、河削は大きく天を仰いだ。瞼を固く閉じ、両手を握り締めて。受け入れがたい結果を飲み込むために全身が強張った。
(別に出遅れた訳じゃない。道中で掛かってロスがあった訳でもない――)
まだ
(スパートのタイミングも問題なし――)
大型ビジョンにはレースのリプレイ映像が流されていた。唇に指を当てつつ、睨むように眺めながら回想する。
(隣の
リプレイにてゴールに殺到する先頭集団。メイケイエールは外から懸命に追いつこうとしている。わずかながら加速が鈍いようにも見えた。
しかし彼女は為すべきことを為した。通常のレースならば間違いなく一着が獲れていただろう。
(枠順とトラックバイアス……どうしようもない!)
内臓がピアノ線で縛り上げられたかのような鋭い痛みが走った。河削は顔を
外を回ることを強いられる大外枠。そして内から乾いて内枠有利となったコースコンディションによるトラックバイアス。覆しようもない、物理的な限界だった。
『春のスプリント王者、勝利の女神が微笑んだのはダライサエンです!』
痛みが残ったまま、河削は席を立つ。奮闘したメイケイエールを迎えに行かなければならない。
(何が勝利の女神だよ……)
立ち止まり、もう一度大型ビジョンを一瞥する。そして顔を上げて空を睨みつけた。
「誰彼構わずヘラヘラしやがって……エールを見ろよエールを」
――次こそは髪を引っ掴んででも振り向かせてやる。
すべきことを全うした上での、これ以上ない苦々しい敗戦。過去のどの負けよりも、悔しさでハラワタが煮えくり返りそうになった。
しかしこれもレース。感情を無理矢理押し込めながら、河削は地下バ道への道に向かう。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
後少し、後もう少し届かなかった。
何がいけなかったのか、私には何が足りなかったのか。本バ馬から地下バ道に戻ってもなお、メイケイエールは
もっと内に入ることができれば、もう少し早くスパートしていれば……至らぬことばかり。河削にどのような顔をして行けばいいのかも分からない。
「エール、お疲れ様。もう一息だったね」
「河削さん……」
穏やかな笑顔で待ってくれていた彼女。メイケイエールは何とも言い切れない微妙な表情のまま前に立った。
「すみません。私……」
視線を落とし、頭を下げる。期待してくれていたのに、GⅠが取れると息巻いていたほどだったのに。それに応えられなかった。
しかし下げた頭――左右の耳の間に河削の手が優しく乗せられる。
「エールはベストを尽くしたよ。今までで一番の走りだった――もうね、最高なくらい」
優しく撫でられ、耳がしおらしく垂れた。
「そう、でしょうか……」
「うん。やれる限りのことをやったし、スパートの時のアクシデントもすぐ対応できたじゃない。だってホラ、外枠の
悔しいとも怒りとも違う複雑な感情が身体を満たす。不完全燃焼にも似た、やりきれない思いでメイケイエールはぎこちなく笑顔を作った。
もし、枠順がもう少し内であったのなら――。
「エールさん、河削さん。レースお疲れ様でした……」
レースが終わり、早速の高木。しかし彼女の眼鏡も曇り空。非常に浮かない表情でボイスレコーダーを握り締めていた。
「すみません。こんな時に
彼女もメイケイエールの一着を信じて疑わなかった一人である。考えが表情にはっきり出るタイプなので、その落胆たるや語らずとも明確だろう。それでも務めはしっかり果たす。何といじらしいことか。
河削はメイケイエールから手を離し、高木の頭に乗せた。
「わ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙」
そしてぐしゃぐしゃに掻き撫でる。
「ど お゙ じ で で ず が あ゙」
高木の頭もぐりんぐりん動く。されるがままの彼女で一通り遊び、満足した河削が手を離した。
「なんかね、やりたくなっちゃって」
「やりたくなったってって何ですかもう……」
唇を尖らせ、乱れた髪を手櫛で整えていく。それが終わると、懐からボイスレコーダーを取り出し河削に向けた。
「じゃ、人で遊んだ責任取ってコメントお願いします」
転んでもただでは起きず、流石の記者根性。これはもう高木に敬意を払って応えるしかなさそうだ。
「オッケー。いいよ」
コホンと軽く咳払い。それを合図にボイスレコーダーのスイッチが入った。表情は静かに、さりとて悔しさを滲ませて。
そしてゆっくり、かつ明瞭に河削が口を開いた。
『彼女は、エールは全力を尽くして本当に頑張ってくれました。内から乾いてきて、今日一日は完全に内有利なバ場で、これ以上は物理的に無理な所まで。これもレースだから仕方ないですけど、でも。でも、エールにタイトルを取らせたかったです』
次話はアプリでも定番ファン感謝祭の話。
ヴィクトリアマイルの仕込みも入れつつ、という感じで。