Blooming☆Yell!!   作:ルブク

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一世一代の大勝負。
ヒトを、ウマを、全てを欺き芦毛の娘は何を見るのか。

ヴィクトリアマイル(if)後編です。
今回はとことん好き勝手にやらせてもらいました。
フェブラリーステークスもそうですが、シニア級のGⅠレースはシリーズ構想当初から考えていたもので…。
ようやく筆が追いつきました。
もう少しでシニア級も半分が終わろうとしていますが、月1ペースは維持できたらと思います。

・ヴィクトリアマイルの出走者の読み替え表
レシステンシア → コリエンテス
ソングライン  → ドリームトラック
ファインルージュ→ マキアリップ

人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html


The 32nd Yells 乾坤一擲のエール

史上最大の作戦

 ゲートが開かれ、満員御礼のスタンドは一斉に湧き立った。全ウマ娘がつつがなくスタートを切れたことが分かると、どこからともなく温かな拍手に包まれる。

 白石が観客の間を器用に通り抜け、スタンドにいる河削達と合流したのはちょうどその頃だった。

「河削! 今どう……なっ、てる!?」

 控室からスタンドまでの数百メートル、ふくよかな体つきである白石には少々ハードだったらしい。席に着くなり、息を切らしながら怒鳴り調子で隣の河削に尋ねた。

「皆スタートしましたよ。リコちゃんが凄い速さで飛び出して先頭に立ったとこです」

「……リコに着いてきてる()は?」

「いません。単独です」

 手で顔をあおぎながら白石は溜息をつく。

「……やっぱりね。安い挑発に乗ってくれるほど単純じゃない、か」

「先輩?」

「いえこっちの話。後はもう――あの娘に任せるしかなさそうね」

 そして今まさに、大型ビジョンに担当ウマ娘の勇姿が映し出された。わずかに下を向いたのもつかの間、白石は顔を上げその目に焼き付けようとするのだった。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

 前に誰も居ないターフ、耳で風を切りながらリコンスタが駆ける。普段は先行策を取るので誰かしらの後ろに控えることが多かったが、今回は作戦を変えて逃げの一手。何者にも邪魔されず走ることが何と心地よいのだろうか。

 しかし、感慨に浸る間もなく耳を後ろに向けた。後ろから近づいてくる足音は――なし。

(……コリィ先輩くらいは釣れると思ったけど……)

 前日の会見の折、挑発まがいに名指ししてみたのだが。逃げに付き合ってくれることを期待したものの、どうやら一笑に付されてしまったようだ。

「……簡単じゃないか、GⅠだし……」

 並み居る相手は百戦錬磨。付け焼き刃の場外戦は通用しない。だが状況はまるで問題なし。耳を前に向け直し、ひたすらに脚を走らせる。

 

『先頭は逃げ宣言の十番リコンスタ! 単独行(たんどくこう)を遠くから見る形で二番手に七番コリエンテス、その後ろ内目につけて五番マシロが続きます。更にその外は――』

 

 後続は逃げのペースに巻き込まれないよう距離を取っている。逃げの作戦を選んだウマ娘はリコンスタの他には居ないようだった。スタートしてからの緩い下り坂も相まって、二番手との差は徐々に広がってゆく。

(……問題なし……プランB……)

 これも想定内。そして行く手には高低差1.5メートルの急坂が立ちはだかる。ホームストレッチにそびえる坂の存在感に隠れてしまっているが、ここもレースでは重要なポイントである。

 リコンスタは下り坂でつけた勢いに任せ、坂を一気に駆け登る。勾配は急だが短く、かつ余力のあるスタート直後のため乗り越えること自体は容易だった。

 

『かなり縦長の隊列となりました。先頭はリコンスタ、二番手との差は八から九バ身。悠々と一つ目の坂を登ってゆきます』

 

 坂を登ればまた下り坂となり、コーナーの入り口が待っている。リコンスタは速度を回復せずにやや落としたままを維持した。下り坂の間に息を入れ、失った体力を少しでも取り戻す算段である。

 誰かと競っていたら、こう順調とはいかなかっただろう。全ては万事順調――今の所は。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

(まるでロケットか何か、ね)

 マシロは前方遠くを走る芦毛の娘を見ながら唸る。スタートの出来には自信があったが、リコンスタはそれ以上の加速を見せたのだ。

 視界の右側を颯爽と突っ切っていく銀色の(やじり)。会見で豪語するだけのことはあった。

(逃げるリコさんは良いとして……)

 左手側は内ラチ。

(……前目に出て正解)

 右手側前方にはコリエンテス。その右隣に並んでもう一名。前方は広々と空き、後ろからは足音が怒涛の如く追いかけてくる。

 耳を巡らせて状況を確認する。内枠スタートのため下手に控えるより、思い切って出た方が良いだろうと踏んでいた。想定通りの好位であった。

(さあ、どう出るの? リコさん――)

 風が頬にぶつかり、後方へと流れてゆく。華麗なトリックスターとなるか、哀れな道化師となるか。なおも遠ざかるリコンスタの背中を見やり、マシロは瞳へ静かな炎を灯そうとしていた。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

『先頭のリコンスタは第三コーナーへ。後続のウマ娘も徐々に差を縮めてきています!』

 

 迫りくる足音は雲霞(うんか)の如く。いけしゃあしゃあとレースの主役を気取る小娘を飲み込もうと、大口を広げて押し寄せる。

 息を入れるために速度を落としたこともあり、リコンスタと後続との距離は詰まりつつあった。おおよそ五から六バ身ほど。

 これ以上詰められるのはよろしくない。

「……圧ぅ……」

 重苦しい空気が上空を覆い尽くそうとしている。リコンスタの耳がそばだち、喉が詰まるような感じを覚えた。これがGⅠのプレッシャーなのだと直感で理解した。

 絶えず後ろを警戒しつつ、付かず離れずの距離を保つ。まだ捕まる訳にはいかないのだ、こと今日にかけては。

 やがて左手側に名物の大ケヤキ――実際は欅ではなく(エノキ)らしい――が見えてくる。この辺りから下り坂が終わり、緩やかな上り坂が続くようになる。いよいよ正念場である。

 コーナーを回るにつれ、風切り音に混じって観客の歓声も聞こえ始めた。

 

『三、四コーナー中間を通って先頭はリコンスタ! 果敢に進みリードは四バ身ほど!』

 

 額に流れる汗を拭い、リコンスタは前を見据える。今まではスムーズに事が進んでいる。むしろ順調すぎるほど。あえて懸念点があるとするならば。

(……マシロちゃんかなぁ……)

 友人として何かと接する機会が多い彼女。こちらが何かを企てているのは薄々勘づいているはずだ。目論見が露呈した瞬間、一番先に襲いかかってくるだろう。

 そうなるまでにどれだけ距離を稼げるか。内ラチ沿いを走り、近づいてくるハロン棒に目をやる。記された数字は六、ゴールまで残り600メートルである。コーナーの終わりがもうすぐそこに近づいてきた。

(……のるかそるか……)

 いよいよ最後の直線。高低差2メートルの坂を控え、国内最長520メートル余りのホームストレッチ。

 息が上がり、心臓が弾けんばかりに高鳴る。ただの疲労だけではない。緊張、興奮、恐怖――ありとあらゆる感情が混ぜこぜとなっているのだ。

(……エール、ミロワ、トレーナー……見てて……!)

 想いを、スタンドのどこかにいる友人達とトレーナーへ。

「……ゆくぞ……っ!」

 覚悟の一声と共に頭をもう一段下げる。そしていくらか外にポジションを変え、リコンスタは最後の直線に突入していった。

 

『勝負は最後の直線へっ! 先頭は未だリコンスタ! 後ろのウマ娘も続々と突入です!』

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

 観戦スタンドは大いに沸き立っていた。リコンスタが宣言通りの終始先頭を保ち、今もなお変わらない。直線は長いが高速バ場となりやすい芝のコンディション。人気投票で最下位の娘が一着になるという、近年稀に見る大金星をファンでなくとも期待した。

「まさか本当にやりきるとはね……」

 河削の額にうっすら汗が滲む。周囲の熱気でスタンド全体の気温が数度は高くなっていた。

「凄い……リコ! まだ先頭ですよ!」

「今日は良バ場だしいけんじゃねぇか!? マジで!」

 もしかすると、もしかするかも――。いよいよ声援の声が大きくなる中、リコンスタの担当である白石はひたすら渋い顔で大型ビジョンを睨みつけていた。

「……?」

 それを横目で見て、河削はふと違和感を覚えた。自身が担当する娘の晴れ姿なのに、むしろ逆に苦汁(にがり)を飲んだような顔なのだ。

 もう一度大型ビジョンに視線を戻す。既に全ウマ娘が直線に入っている。リコンスタが先頭を走り、後続が控える形で。

 

 何かがおかしい――。

 

 レースは滞りなく進んでいる。誰かに故障が発生したのでも、発生しそうな訳でもない。しかし何かが、何か重大な見落としがあるような気がしてならなかった。

 

『先頭で粘るリコンスタ! 残り400、後ろはまだ捉えきれない!』

 

 マシロやコリエンテスも一気に畳みかけても良さそうもの。どこか一つ思い切りが足りず、まごついている感があった。

(リコちゃんは普通に走ってる。変なとこはどこにも……)

 顎に指を当て、原因を探ろうと必死に思考を巡らせる。

(普通に、内寄りを真っすぐに……)

 

 ――リコンスタが真っすぐ走っている(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「あッ!!!」

 急な大声で、メイケイエールとミロワダーレが応援そっちのけで河削へ顔を向ける。

「ど、どうしたんですか……?」

「真っすぐ走ってる、リコちゃんが」

 大型ビジョンを河削が指さす。そこには鬼気迫る形相で走るリコンスタが映っていた。

「え? 普通に走ってるだけで……」

「別にいつものリコと変わんねぇじゃ…」

 メイケイエールとミロワダーレも言葉の途中ではたと止まった。

「リコが、斜行してない……!?」

「そういや、いつもならもう外ラチへ寄ってんのに……」

 身体的な事情で、全力で走ると右へ斜行してしまうリコンスタ。それが今日の彼女はどうだ。ラストスパートに入っても真っすぐを保っているではないか。

「気づいたわね」

 三人の動揺を他所(よそ)に、ただ大型ビジョンを見ていた白石が呟いた。

「先輩! まさか今までのって全部……!?」

 食ってかからんばかりの勢いで河削が詰問する。

「――そういうことよ。察しがよくて助かるわ」

「マジですか……!」

 さも当然と白石の涼しい回答を受け、右手で髪をぐしゃぐしゃと掻き乱しながら座り直すしかなかった。体内に溜まった息を吐き出し、大型ビジョンに向き直す。

「やられたなぁ……」

「あの、河削さん? どうしたんですか……?」

 真意を掴みかねていたメイケイエールが恐る恐る伺う。

「……エールなら分かるかな。京王杯SCの時、リコちゃんが前に居たよね」

「はい」

「ラストスパートで彼女追い抜かしたよね」

「……はい」

「タイミングは?」

「斜行するリコが前を通るのを待ってからです」

「どうして待ったの?」

 矢継ぎ早に繰り出される河削からの問いを、理由も分からぬまま返してゆく。

「それは、斜行するリコにぶつかる可能性があったので……!」

 疑問が一気に氷解し、(もや)が立ち込めていた視界が明瞭となる。そうして現れた答えにメイケイエールの耳がピンと張り、髪がゾワリと震えた。

 

 リコンスタは斜行する。

 

 それは周知の事実である。

 斜行してきた彼女にぶつかれば転倒してしまう恐れがある。危険を回避するためには、リコンスタより前に出るか、斜行させて前を通り過ぎるのを待つか。

 直線が長い東京なら待つのが得策。単独で逃げる彼女に付き合い、闇雲に脚を消費するよりも余程である。

「斜行するって信じ切ってるから、皆それを待ってる」

 

『残り300メートルですが……リコンスタが斜行せずに堪えている? 何と歯を食いしばって懸命に堪えているっ!』

 

「あれ? そういえば今日のリコンスタ真っすぐ走ってるな……」

「おお、とうとう斜行を克服!? でもそんなこと一言も言ってなかったよなぁ」

「――ってことは後ろのウマ娘はそれ待ちってこと!?」

 

 実況を皮切りに、周りの観客もレースの異変に気付き始めた。いつ始まるかも分からない斜行を前に、後続の娘が二の脚を踏んでいるということに。

「前目の娘だけじゃない。後ろの娘は前の状況が掴めないから、膠着を嫌って外に進路を変える。その分だけタイムロスになるし、前の娘も進路を変えにくくなる……進路妨害は避けたいからね」

 たった一人のウマ娘が真っすぐ走るだけ。それだけで他の十七名の末脚を鈍らせたのだ。これには河削も舌を巻くしかなかった。

「いや先輩。こんな作戦よく思いつきましたね」

「発案はリコちゃんよ。練り上げたのは二人でだけど」

 称賛されたにも関わらず、白石は変わらず仏頂面だった。

「でも――平地で300メートルが限度。それ以上だと右脚のね、股関節周りが激しく痛むのよ。今日は逃げで脚を使ったし、坂も二本あるからいいトコ200、かしら……もう少し短いかも」

「えっ」

 河削ら三人は大型ビジョンに今一度目を向けた。

 

『坂を登って残りは300メートルっ! リコンスタはスタミナ切れか……非常に厳しい表情だ!』

 

 口が開き、虚ろな目となりながらも走ることをやめようとはしないリコンスタ。スタミナ切れなどではなく、激しい痛みと闘っていた。

「あの娘はね、凄いのよ。自分が他の娘より実力に劣ってることを素直に認めてる」

「先輩……」

「始めは100メートルすらダメだったのよ。それが300メートルまで伸ばせたんだから……ありとあらゆる方法を試して、絶対に諦めなかった」

 白石が奥歯を噛み締める。鈍く軋む音が聞こえてきそうなほどの激情が籠っていた。

「トレーナーとしては失格よ……! 自分の娘をむざむざ危険に晒してるんだから。でも、でもこの作戦が使えるのは一度きり、後にも先にもこの一回だけ! 自分のアスリート生命を今日この日に賭けてまで、あの娘は覚悟を決めたのよ! 止められる訳がないのよ……!」

 河削を始め、メイケイエールとミロワダーレの顔から血の気が失せていた。日頃はのんびりとして、競争なんてとても似合わない雰囲気のリコンスタが。そこまでの決意をもってヴィクトリアマイルに臨んでいたとはつゆとも知らず。

「メイケイエール、ミロワダーレ……リコちゃんが走るのを最後まで見てやってちょうだい。二人が頑張ってるからわたしも頑張るって。二人がいたから、わたしもここにいられたって、ずっと言ってたから……」

 白石の震える言葉が二人の肩に積み重なってゆく。視線は大型ビジョンからぴくりとも動かせなくなっていた。

「自分のハンデキャップまで武器に変えて、全てを投げ出そうとしてまで……! お願い、帰ってきて! 帰ってくるのよ、絶対に!」

 すがるように叫ぶ白石に、メイケイエールはおろか河削すらも声を出せなかった。

「リコぉー! 踏ん張れー!」

 しかし、それを打ち破ったのはミロワダーレだった。両手を使い、全力を賭して走るリコンスタへ向けて声を張る。

「今オマエが一番速ぇんだ! そのまま踏ん張れぇ!」

 呆気にとられている場合ではない。今できることは何か。死力を尽くして闘う友を応援すること以外に何があろうか。

「リコ! 貴方なら、貴方なら出来ます! 皆待ってますからぁっ!」

「そうだっ! 行けるぞリコちゃぁーん!」

 メイケイエールと河削も口々に叫ぶ。願わくば、リコンスタが先頭のままゴールを駆け抜けますように。何度も何度も声援を飛ばしたのだった。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

ブレイクアウト

 ――斜行しない!? どうなってるの!?

 ――もう斜行してもいいはずなのに……。

 ――リコさん、貴方まさか……。

 ――前が詰まってる……? くっ、かわして外から……!

 

 そのような心の声が聞こえてくるようだ。斜行するリコンスタの幻惑に囚われ、一歩を強く踏み出せない後続のウマ娘達。

 

 ……へへん、してやったり……。

 

 ――と言いたいところだが、彼女にそれができるだけの余裕はなかった。

 一歩踏み出すごとに、脚の根本を突き刺すような痛みが。あまりの激痛に意識が遠のいてゆく。しかしもう一歩踏み込むと、肉を抉り取る激烈な痛みが強制的に意識を引き戻す。

 白と黒で明滅する世界。半死半生の状態でありながら、リコンスタは走ることだけは止めなかった。ウマ娘としての本能が、ひたすらに彼女を駆り立てていたのだ。

 歓声も実況も何も聞こえない。ただ聞こえるのは必死な自らの喘鳴(ぜいめい)のみ。

 

『痺れを切らした各ウマ娘、横に広がってリコンスタに襲いかかる!』

 

 皆が来る。脚を緩めてはならない。緩めたら、それがきっと私の最期になるだろう。遺伝子レベルで刻まれた魂が叫ぶ。私が私であるために、私は走らなければならない、と。

 坂の向こう、300メートルあまりの直線の先にあるゴール板。汗か涙か、酷く歪んでまともに見えない。

(……はやく……もっと、はやく……)

 朦朧としながら次なる一歩をなおも踏み出した。

 

(っ!!!)

 

 しかし、これまで以上に筆舌に尽くし難い痛みが全身を走った。まるで右脚が、生きながら引き千切られたかのような。

 神経を焼き尽くすほどの衝撃が全身を瞬時に巡り、そしてリコンスタの脳髄に重い一撃を与える。それは辛くも保っていた意識の均整を粉砕して余りあるものだった。

 

『リコンスタが大きくバランスを崩す! 転倒してしまうか!?』

 

 ぐらりと、力なく崩れる上半身。

 もう彼女は真っ暗な世界にいた。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

「……ぅ……」

 リコンスタは目を開けた。ただひたすらに真っ白な空――否、ここが屋内か屋外かも分からない。白い空間が無限に広がっているだけだった。

 身を起こして、左右を見回しても全く同じ。床も同じく白であり、硬くもなければ軟らかくもなく、熱くもなければ冷たくもない。どこからか照らされる光で影が落ち、それによって初めて自分が床の上に立っていることを実感できた。

(……まだ、レースの途中のハズ……)

 ぼんやりとした頭で振り返るも、中途半端にしか思い出せない。ゴールしたのかも定かではなく、力なくリコンスタはかぶりを振った。

 

 ――くすくす……。

 

 ふと、誰かの含み笑いが聞こえた。そちらの方に耳を、そして顔を向けた。

『……誰にも褒められないのに……無駄なコトして……』

 自分と同じ色の芦毛、同じ髪型、同じ勝負服。そっくり瓜二つのウマ娘がいつしか後ろに立っていた。

『……かわいそう。とってもかわいそう……』

 異なる部分といえば、相手は薄汚れて痩せ細っていた。それでいてギラギラと妖しく輝く紫がかった瞳。

「……あなたは……?」

『……分かってるくせに……わたしは、あなた……昔のあなた……』

 口だけを歪ませ不気味に笑う、もう一人のリコンスタ。彼女の瞳に映るのは憐憫の色でなく侮蔑の色だった。

『……無駄で、無意味で……よくやるよね。勝てないのに……』

「……やらなきゃ分かんない……」

『……やったとこで結果は同じ……言い訳の理由を作ってるだけ……』

 ケタケタ壊れたように嗤う。リコンスタは眼前にいる自分にどこか見覚えがあった。

 ――昔の自分だ。トレセン学園に入ってまだ間もない頃、紫の瞳には世界の全てが曇って見えた。それこそ、映る者全てが敵と思うほどに。

『……他の皆がどう思ってるか、知らないの……?』

 一歩、もう一人のリコンスタが近づく。

「あぁ、リコさんな」

 すると何の前触れもなくベネベネの声が。ただ白いだけの空間に勝負服姿の彼女が立っていた。

「……ベネ……!」

 思わず駆け寄ろうとしたがピタリと脚が止まった。まるで蔑むような目で、そこには一点の温かみもなかったからだ。

「正直な、気安う話しかけんでほしか」

「……えっ……」

「迷惑たい。実績も残せとらんとにヘラヘラして」

 冷たく吐き捨て、白い砂と化して消えてゆく。

 更に一歩。次はマシロが現れる。

「運が良かっただけなのに舞い上がっちゃって。社交辞令を真に受けるなんて本当に愚かね」

「……マシロちゃん……!?」

 リコンスタを一瞥し、鼻で笑いながら消えてゆく。

 また一歩。ルームメイトのライムトニックが。

「チョロいよね〜リコぴん。仲良くしてる風にしてあげれば尻尾振ってすり寄ってくるから。単純? 単細胞? 私と対等と思っててマジ面白〜い☆」

「……イ、トちゃ……!」

 リコンスタはその場でへたり込むように崩れ落ちた。友人達からの心ない言葉、これが真実だとでも言うのだろうか。

 青ざめた顔で視線も定まらない状態の自分を、満面の笑みで眺めるもう一人の自分。破滅に向かう様子を心底楽しんでいるようだった。

「……お願い……もうやめて……!」

『……だぁ〜め……♪』

 涙ながらに懇願する。しかし無慈悲にも、もう一人の彼女はまた一歩踏み出した。

「河削ぇ。アンタも厄介なのを寄越してくれたわね」

「いやー。ちょっと私の手には余るかなと思いまして」

「……アンタの手に余るんなら私でも同じでしょうに」

 眉をひそめる白石と、調子よく媚を売る河削。普段見る姿とはまるで似て非なる様子だった。

「大体ね、あんな出来損ないをどう仕上げるっていうのよ? スパートで真っすぐ走れないって論外でしょ」

 白石はリコンスタを見てあからさまな舌打ちをする。本当に見ているのかどうかは定かではない。しかし少なくとも、彼女には自分自身へ向けているように思えた。

「でも、今はそこそこ走れてるじゃないですか?」

「ブタもおだてりゃ、ってやつよ。ああいうタイプで助かったわ……適当に褒めてやれば勝手にその気になってくれるから」

「先輩は褒めて伸ばすタイプですもんね」

「楽じゃないわよぉ。褒めるとこが何もないのに褒め続けるっていうのも――ねぇ? リコンスタ?」

 悪意に満ちた視線を二人して投げかけ、そして消えてゆく。

「……やめて……! もう酷いことしないで……お願いだから……!!」

 髪を振り乱し、半狂乱となりながら叫ぶ。もうこれ以上は聞きたくないとばかりに、自分の耳に必死に塞ぐ。

『……せっかくだから、知っておいた方がいいよ……あなたは皆にバカにされてたんだから……』

 しかしどれほど抗おうとも、もう一人の自分の声が脳内に響き渡る。ひっきりなしの悪意にされるがまま、ただリコンスタは恐慌に震えるばかりだった。

 そして、リコンスタの間近となる一歩。もう少しで手の届く距離になる。

「――なぁエール。やっぱ声かけたの失敗だったんじゃね〜の? アイツめんどくせーよ」

 とうとう、メイケイエールとミロワダーレの二人が。最初こそ色々あったが今では無二の親友である。悪く言うことなどまったく考えられなかった。

「失敗だなんてリコに悪いですよ。いつも頑張ってるじゃないですか」

 口元を隠しながら、控えめにはにかむメイケイエール。

「……頑張ってあの程度(・・・・)ですけど。本人はそのつもりになってますし、せめて私達は黙っててあげましょう」

(……!!)

 首根っこを掴まれ、そのまま握り潰されたような衝撃だった。半笑いであからさまな蔑みの言葉がリコンスタの心を深く抉る。

 まさかメイケイエールが、ミロワダーレが。その様に思っているはずがない。

「流石エール、優しいな」

「友達になってあげているのも楽ではないですね」

「全くなー。本当にタルいぜ」

 頭を掻きむしり激しく振るも、二人の台詞が脳裏へ強烈にこびりついていた。

『……ほら。皆だーれも見てないもの、あなたのこと……』

「……来ないで、来ないで……」

 両手を着き、力なく項垂れるリコンスタ。嘘か真かを判断する術もなく、最早抗う気力すら残っていないようだった。

『……だから楽になっちゃいなよ……』

「……来ないで。それ以上来たら……」

 満面の笑みでもう一人のリコンスタが手を差し出す。それは救いではなく、終焉への片道切符。触れられれば最後、もう二度と元には戻れない。

『……走っても辛いだけだから……』

「……それ以上は……っ」

 指先が髪に掛かろうとしている。既に悪魔が満面の笑みを浮かべていた。

『……もう走らなくて』

 ――もう走らなくていいから。その囁きは途中で遮られた。リコンスタが力強く起立し、真正面から睨み返していたのだ。

「……そっから先はわたしの間合い……」

 そして硬く握り締めた右手を上げ、人差し指を突きつけた。

「……あんたはわたしを怒らせた(・・・・・・・・・・・・)……」

 怯えていた姿は影も形もなく、それは凛然とした立ち姿で。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

『……え、えっ……』

 鮮やかな形勢逆転。闇に落とせると確信していたものが瞬く間に圧し折られたのだ。もう一人のリコンスタは口も半開きに啞然とするばかり。

「……トラウマで精神崩壊展開とか……安直すぎて今日び流行んないし……」

 リコンスタは両手を組み、指の関節を鳴らしての臨戦態勢。

「……最近の変な夢もそう……一昨日いや一昨年来やがれっての……」

『……ヒッ……!』

 一切迷いのない瞳で右の拳を振りかざす。反射的にもう一人の方は後ずさろうとした。

 

 しかし逃げられない。

 

 リコンスタが立ち上がる際に左足を前に出し、もう一人の足の甲を踏みつけていたのだ。がっしりと足裏全体で押さえつけ、とても容易には外せそうにないほど。

「……歯ぁ食いしばれ。一発ぶん殴ってやる……」

 ジドリと睨みつける瞳は鋭い。リコンスタの威圧を前に、咄嗟に両腕で顔を庇ったもう一人。拳が唸りをあげて襲いかかるのはそれとほぼ同時だった。

 

 ずドぉ!

 

 鈍く、くぐもった音が響く。

『……ぅぐぇ……!』

 振り下ろした拳は直前で軌道を変え、無防備な腹部へ突き刺さった。予期せぬ部位への打撃に、苦悶の表情でもう一人の身体がくの字に折れ曲がる。しかしリコンスタはまだ止まらない。すぐさま脚の左右を入れ替え、間髪入れずに左の拳をガードが解かれた顎へ。

 タメを作り、粘りのある足腰から繰り出される強烈なアッパーカット。姿勢が崩れたままのもう一人には防ぐ手立てはなかった。

 

 ゴ、しゃァっ!

 

 正確無比な顎への一撃。下からの強烈な衝撃が顎から顔、そして脳天へと突き抜け身体ごと天へ打ち上げる。反り返って白い空を漂う、自分と瓜二つの姿へぽつりと零す。

「……一発ぶん殴るとは言ったけど……一発で終わるとは言ってない……」

 もう一人のリコンスタは数秒の滞空の後、ドサリと頭から落ちた。それきり、微動だにしなくなる。

「……無駄無駄、だぜ……」

 とうとう内なる自分に勝てたのだ。渾身の決め台詞を口にし、勝者の証として拳を高く突き上げる。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――激闘の末、わたしはわたしに打ち勝った――。

 

 ――しかし闘いは続く。わたしはまだ登り始めたばかりなのだから。この果てしなく遠い東京の坂をよ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――完。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

『……どう、して……』

 まだ終わってはいなかった。とても弱々しいものではあるが、倒れていたもう一人が身体を起こしたのだ。リコンスタは強く後悔する。

 ――やはり、専用BGMを流してラッシュをぶちかまし、確定演出とすべきだったと……。

『……どうして、無理してまで走ろうとするの……?』

 ダメージは相当なものらしく、リコンスタへもう一人が這いつくばって近づく。その瞳は信じられない、理解できないと訴えていた。

『……オープンで走ってれば良いのに……適度に勝って、負けて……ファンに可愛がられるのはダメなの……?』

「……良い訳ないだろ……ウマ娘ナメんな……」

 リコンスタは酷い風体で横たわるもう一人を見据える。そしてツカツカと歩み寄っていく。

 握り拳はそのままに。

『……ヒッ……!』

 また殴られる。そう思ったのか、恐怖のあまり小さい悲鳴を上げた。頭を両手で庇いながら顔を伏せる様を見ながら、リコンスタはその眼前で膝を曲げて屈む。

「……わたしは決めたの。諦めないって……」

『……?』

「……エールとミロワがわたしの手を握ってくれた時から。頑張ってる二人みたいに、二人のようになる……ぃやちょっと違うか……」

 リコンスタは首を左右に振る。もう一人はおずおずと顔を上げ、おっかなびっくりに様子を窺っていた。

「……追いかけたい、のかな。わたしは二人ほど速くないから、隣に並べるかも分かんない。ちょっと後ろでもいい。ずっと三人で走りたい。だから、わたしは、諦めない……」

 先に行く二人の背、追い越せなくても構わない。ただ同じ景色を、同じモノを見てみたい。そして三人で笑って、カフェでスイーツを食べるのだ。

『……その道が、険しく、苦しいものでも……?』

 リコンスタの背後に荒涼とした一本の道が現れる。鋭い茨がびっしりと生え、一分の隙間もないほど埋め尽くされている道が。

「……へっ。じょ〜と〜じゃん……」

 おもむろに立ち上がり、その道へ臨む。傷つくことは不可避、逃げ場のない苦難の一途である。

 さあいざ行かん。しかし一歩を踏み出す前に、リコンスタは後ろにいるもう一人の自分へ手を差し伸べた。

「……着いてきて。一緒に行こう……」

 手を差し伸べられた方は困惑しきり。

『……わたしも……?』

「……そうだよ。立てる……?」

『……沢山酷いことしたんだよ。それに、昔は嫌なことばかりで……わたしなんて邪魔なんじゃ……』

 つい先刻、拳で叩き伏せられたばかりである。素直に手を取ることができず、視線を横に流した。

「……確かに昔は色々あったけど。でも、あなたが居たからエールとミロワに会えて、今のわたしがいるから……」

『――っ』

「……例え思い出したくないことが沢山あっても。昔のことをなかったことになんてしたくない……あなたはわたし、でしょ……?」

 もう一度、リコンスタは手を差し出した。

「……行こう、二人で先へ……道はわたしが拓くから……」

 二度、三度と躊躇いがちにその手を眺めるもう一人。逡巡しているのか、手を出しては引っ込めてを幾度となく繰り返す。

 何も言わず、ただその様子をじっと見守る。メイケイエールとミロワダーレがしてくれたように、かつての自分へ同じことを。

『……行っても、いいの……?』

「……もち。未来のわたしに、ざまぁ見ろって言ってやろう……!」

 救いを求めるか細い指が掌に触れ、そして二人は力強くその手を握り締めた。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

Reframe:Re−flame

 ――ワアァァァ!!

 夏も間近に控え、雲が広がる湿り気のある空。よく手入れされ青々と伸びる芝。そしてやたらとウルサイ観客スタンド――。

 それにしてもこれはおかしい。世界がおしなべて右に傾いている。

 

『リコンスタが大きくバランスを崩す! 転倒してしまうか!?』

 

 いや違う。傾いているのは世界ではなく自分自身。レースの途中、激しい脚の痛みに堪えかね意識が飛んだのだった。

(……まだだ……)

 右へ右へとなおも傾く上体。咄嗟に右前方へ脚を大きく踏み出した。

「……ぐぅっ……!」

 右脚の付け根に杭で穿(うが)たれたような痛みが貫く。リコンスタの顔が苦痛で酷く歪んだ。

 が、しかし。

(……終わって……たまるか……っ!)

 その瞳はなおも戦意に満ちていた。上体を立て直し、ズレたコースを戻す。

 

『いや、リコンスタ立て直した! 先頭そのまま、ゴールまで200メートルを切るっ! 迫る後続から逃げ切れるかリコンスタ!』

 

 後も先も考えない。ただひたすらにゴールに向けて走るのみ。そうすれば、きっと――。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

 もう一人の手を引き、茨の道をリコンスタが()く。道から伸びる茨は鋭く、一歩踏み出すごとにブーツを破り肉を裂く。

 しかしどれほど痛みが強くとも、歩みを止めることも、手を離すこともしなかった。

『……痛い……?』

「……痛い……でも、痛いからまだ走れる……!」

 ゴールまで一体どれだけ走ればいいのか、今の彼女にはまるで見えていなかった。

『……見て、後ろ……!』

 今にも泣き出しそうなもう一人の声に、リコンスタは反射的に振り返った。

 羽。白い羽。無数の純白の羽が頭上高くまで舞い上がり、さながら津波のごとく押し寄せてきていた。

「……ぉわ……!」

 リコンスタは痛みをおして、手を引きながら必死に逃げた。しかし羽の津波は恐るべき速さで、圧倒的に全てを飲み込んでゆく。逃げる間もなく、いともあっさりと彼女達は飲み込まれてしまった。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

 羽の津波の内部もやはり羽。おびただしい量の羽がひっきりなしに辺りを飛び交っていた。それでもなお、リコンスタはひたすら走る。

「――侮っていた、訳ではないけれど……」

 どこかから聞き覚えのある声がする。マシロだ。彼女がどこか近くにいるらしい。

「でも、そこまで重要視していなかったのは確か。その結果が――これだもの」

 すぐ右隣、空間を覆っていた数多の羽が飛び散る。その後にマシロが現れた。横並びで見る彼女はとても優雅に、それでいて凛とした佇まい。あまりにも美しく、目が離せなくなるほど。

「やられたわ。斜行すると思わせて後続のスパートを遅らせ、先頭で逃げ切る――私だけでなく、他の誰もが騙された」

「……怪しいと思った……?」

「何かしてくるだろうとは思っていたわ。ただ、斜行を堪えるだなんて想定外。それに敢えて左を少し空けたわね? コース取りを迷わせるために」

 隣で走るマシロは本物なのだろうか。本心で語っているのだろうか。疑念がぽつぽつ湧いたが、全てどうでも良くなった。真摯に走る彼女にそのようなことなどあるはずがない。不思議と言い切れる気がした。

「きっと長い時間備えてきたんでしょうね、この日のために。不断の努力は称賛に値すると思うわ……でもね」

 マシロはただまっすぐ前を見つめている。きっと彼女の目にはゴールが見えていることだろう。

「私達にも譲れないモノや、護りたいモノを抱えている――貴方と同じようにね」

 後方を締めていた羽が舞い散り、かき消えてゆく。すると必死に追い上げてくる他の出走者達が見えた。

「さあ、今度は私達の番よ……覚悟なさい!」

 マシロの台詞を皮切りに羽が上空へ巻き上げられてゆく。遠かった歓声が徐々に、大きくはっきりと聞こえだした。

 いよいよ、うつつに戻る頃合いらしい。

「……ねぇ、マシロちゃん……」

 最後に、リコンスタはマシロへ問いかける。

「……今のわたし……カッコいい……?」

 それまでずっと前を向いていた彼女が横に顔を向ける。

「カッコいいわよ、妬けるくらいに!」

 そしてリコンスタを見ながら、歯を見せて爽やかに笑った。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

『残り100メートルを切って――ここでマシロだぁ! マシロが一気に追い抜いた! なおも内からマキアリップ、外からコリエンテスとドリームトラックも迫る!』

 

 ――役者が違う。

 察知する間もなく、右横をマシロが猛然と突き抜けていった。半バ身、一バ身と差が開き、怒涛の歓声が右手側のスタンドから押し寄せる。その上、後ろから荒い息遣いが迫っていた。

(……思うようにはいかないかぁ……)

 現実は辛く厳しいもの。

 

 ――諦めるの?

 

(……まさか……)

 だからこそ、光が強く輝く。

(……でも、右脚がだいぶシビれてさ……ちょっとだけ力を貸して……)

 

 ――ちょっとだけなら。でも今回だけ。

 

 ふわりと右脚の付け根に温もりを覚えた。透明な和毛(にこげ)で包まれたような、不思議な感覚だった。これまで感じていた痛みもわずかに引いたような。

(……ありがと……)

 

 ――どういたしまして。じゃあ、わたしは行くね……。

 

 ゴールが近づくにつれ、もう一人の声が遠くなってゆく。名残惜しさに後ろ髪引かれるも、リコンスタは振り返らずに前を向く。

(……また、いつか……)

 過ぎ去ったあの日に別れを告げ、そして未来へカチコミを。

「……Taaaaaaallyyyyy!!!」

  それは断末魔ではなく、活きる明日への道標。全身全霊、ありったけの力を振り絞って一層強く踏み込む。身体中から酸素をかき集めて心臓を震え立たせ、そして最後の一瞬まで。

 

『先頭はマシロ! 先頭はマシロだっ! 二番手は混戦、マキアリップとリコンスタ、コリエンテスが並ぶ!』

 

「HOOOooooo!!!」

 

 前へ。

 前へ。

 もっと前へ。

 もっと、もっと!!!

 

 一つ抜け出たマシロの背を目掛け、一ミリでも前に。轟く脚音と観客の絶叫が混ざり合い、空と大地が鳴動する。

 

『マシロ! 一着でゴールッッ!! 後続は大混戦の様相です!』

 

 先頭で駆け抜けたのはマシロ。リコンスタと、その集団は少し遅れてのゴール。

 リコンスタは後続とぶつからないように徐々に速度を落とす。もとい、右脚の(こら)えが限界でこれ以上は難しくなっていた。

 

『一着は文句なしのマシロ! これでGⅠ三勝、白毛のウマ娘が今日この日! 新たな金字塔を打ち立てましたっ!』

 

 全身で呼吸をしながら、着順掲示板を見つめる。

 

『――二着はマキアリップ! そして三着に――』

 

【挿絵表示】

 

 上から三番目に表示された、1と0の数字。それが誰の番号なのか、一瞬忘れてしまっていた。

 

『大健闘! リコンスタが三着ッ! 四着コリエンテス、五着にドリームトラックでヴィクトリアマイル、着順確定です!』

 

 ――三着。

 やったじゃん、わたしのわりには。

 

 順位は問題ではない。最後まで走りきったという満足感が一拍遅れてやってくる。

 それと同時のことだった。

「……ぁ……」

 右脚の力が抜け、倒れるようにターフの上にへたり込んだ。よくもここまで保ってくれたと、痺れて感覚が鈍くなった自らの右脚を撫でる。

 

『頑張りましたリコンスタ、ターフの上で座り込み――マシロが近づいていきます。他のウマ娘も――』

 

「リコさん」

「……マシロちゃ〜ん。一着おめでと〜……」

 脚を放り投げて座るリコンスタの元へマシロが歩み寄った。勝者の顔はなく、友を(おもんぱか)る一人の友人として。

「ありがとう。ところで脚は……?」

「……ちょっと無理しすぎたけど……痺れてるだけだから。ライブまでには大丈夫……」

「なら良かった。でも一度しっかり診てもらった方がいいわよ」

「……だね……」

 今この場は何ともなくとも、自身の限界を超えて走ったのだから何があってもおかしくない。マシロの心配ももっともだった。

 気が付けば周りには他のウマ娘も集まってきていた。勝者であるマシロと、搦手(からめて)ながらも全員を手玉に取ったリコンスタへの称賛を。互いの健闘を称え合う、スポーツマンシップに満ちた空間が出来上がる。

「リコさん。GⅠ走ってみてどうだった?」

 マシロの問いかけに、リコンスタはぐるりと周囲を見回した。マシロ、コリエンテス、そして沢山の――。千差万別悲喜こもごもだが、雲の切れ目からの日差しによって一様に輝いていた。

「レースって疲れるね!」

 天を仰ぎながら、リコンスタはニパッと破顔する。

「何よソレ……ふふっ」

 彼女にしては歯切れよく、そして間の抜けた返事。耐えきれず吹き出したマシロを筆頭に、やがて笑い声が隣へ、また隣へと伝播する。

 弾けるような笑い声の渦の中心、リコンスタはゆっくりと、その脚で立ち上がったのだった。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

 大型ビジョンにはレースを終えて満足げな表情のリコンスタやマシロが映し出されていた。リコンスタの勇姿の一部始終を見届けたメイケイエール、しかしその表情は優れなかった。

 友が活躍するのは実に喜ばしいことだ。それは紛れもなく、心の底からの想いである。彼女はただ圧倒されてしまったのだ。

「リコ……」

 ビジョン越しでも分かる、リコンスタの鬼気迫る走り。全てを投げうち、身命を賭した覚悟に言葉を失った。

 果たして自らはどうか。ミロワダーレとリコンスタが力を尽くしたレースをして見せたのに、自身は皆の期待に値するレースが出来ているのだろうか。

「……っ」

 考えれば考えるほどに胸が苦しく締め付けられ、重い息を吐き出すばかりだった。

 




次話は安田記念。
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