Blooming☆Yell!!   作:ルブク

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デビュー前のちょっとした日常とサブキャラお披露目の一話。
サブキャラ二名は友人組よりは出番は少なくなりますが、色々と大事な役目を担って貰う予定です。
主要人物紹介の方にも書いてますが、二人のモチーフは以下の通りです。
マシロ→ソダシ
ベネベネ→ヨカヨカ

人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html


The 3rd Yells 日進月歩のエール

桃色の空想と堅実な現実

 メイケイエールが河削との専属契約を結んだ翌日、教室内ではその話題でもちきりとなっていた。

「エールさんエールさん! 聞いたよ! 契約おめでとう〜!」

「あら、ありがとうございます」

 とにかく、彼女への祝いの言葉が止まらない。

 トレーナーとの契約自体はなんら珍しいことではない。ただ今回に限っては、他トレーナーの衆人環視の中、まるでプロポーズのように独占契約を結んだという点に尽きる。年頃の女子がそのようなロマンチックな話に食いつかない訳がなかった。

 噂を聞きつけた他のクラスの娘も押しかけ、メイケイエールの席周りがとにかく賑やかこの上ない。

「あなたが一番だって、私の隣で走ってくださいだって! いいな〜、私もそんなこと言ってくれるトレーナーさんに会いたいなあ」

「ねー! それを受けちゃうエールさんも凄いよね! 本当にプロポーズみたいで!」

「いえ、あの……そんな大したことでは……プロポーズなんて、そんなつもりでは……」

 あの時はレース後の高揚感で隠れてしまっていたが、思い返してみればシチュエーションは最早そのもの。契約を結んでひとしきり冷静になった後、あまりの恥ずかしさで自室のベッドに突っ伏した。そしてそのまま顔を枕に埋め、真っ赤な顔を小一時間ほどひた隠していた。

「ところでエールさん、あの後トレーナーさんと二人で何をしてたの?」

「何を、と言いますと?」

 ショートカットの黒鹿毛のクラスメートが横から尋ねてきたが、質問の意図が分かりかねた。

「……だって、あの河削トレーナーさんでしょ? 絶対何か……あったんじゃないのぉ? 二人きりだし」

「あ、ありませんって!」

 ある意味で有名な河削の趣味嗜好。やいのやいのと賑わいでいた娘達の中の数人が、慌てたメイケイエールに目を輝かせながら耳(ざと)く反応する。

「えっ!? なになに、何の話?」

「トレーナー室でエールさんとトレーナーさんが何をしてたのかって話」

「だから、何もしてませんって!」

 必死に否定するも、どうやらそれが逆に作用してしまっている模様。好奇心旺盛な思春期の少女の餌食となりつつあった。

「え〜っ? 怪しいなぁ、もしかしたらこーんな感じで――」

 ショートカットの娘が、隣りにいた鹿毛のお下げの娘の手を取って引き寄せた。

 

 メイケイエールは契約締結後、手を引かれながら河削のトレーナー室に招き入れられた。

「お邪魔します……」

 トレーナー室は意外に広く、片隅には仮眠用として使われているのか、ソファーベッドが広げっぱなしの状態となっていた。

 それ以外は綺麗に整理整頓されている。業務用のデスクに一輪挿しが飾られているのが唯一の女性らしさを感じられた。

「まあ、トレーナー室って結構広いんですね」

 メイケイエールは初めて入ったトレーナー室に関心を寄せつつ歩みを進めた。しかし河削は出入り口を入ったところで立ったまま。後ろ手で引き戸を閉じ、そして――鍵をかけた。

「あ、あの……トレーナーさん? どうして鍵を……」

 問いかけには何も答えず、笑顔のまま河削が歩み寄る。言いようのない無言の圧力。彼女はメイケイエールの頬に手を添え、恋人を相手にするように甘く囁く。

「どうしてって? 部屋の中に二人っきりなんだから、エールちゃんも分かってるクセに……可愛いこと聞いてくるのね」

 全てを見透かされてしまいそうな河削の双眸(そうぼう)。不気味なほど静かで、それでいて有無を言わせない圧倒感。

 甘く痺れる彼女の吐息がメイケイエールの心を掴み、縛り上げてゆく。

「ねぇ……何をして欲しいか言ってみてよ。お姉さんが何でも叶えてあげるから」

 頬に添えられていた手が、美術品を撫でるかのような手つきで顎から首へと滑り、両肩で止まる。軽く乗せられているだけのはずなのに、メイケイエールは強烈な力で押さえ込まれてぴくりとも動けない。

「わ、私……」

「なぁに? もっと、はっきり言ってみて……」

 ピンとそばだつメイケイエールの左右の耳。河削はその両方に聞こえるよう、あえて両耳の間に顔を寄せ一層(あで)やかに息を吐く。

 あどけない、純真なメイケイエールの心がたちまちに溶けてゆく。心の奥底に閉じ込めていた大人への憧れが、抗い難い力によって白日の下に曝される。

「我慢しなくていいんだよ……ほらぁ、誰にも聞こえないから……ね?」

 口だけが動くばかりで声が消え去ってしまった。ほんの僅かに残った理性が、鎌首をもたげる欲望をかろうじて押し留めている。

 だがそれもとうに限界だった。とめどなく膨らむ好奇心は最早抑えようもない。そして、それを許容しうる大人が眼前にいる。

「――ゎ」

 若年故の迸る好奇心。そして期待心と背徳感がメイケイエールを燃え上がらせる。

「わ、わたし――ウマぴょい――したいです……」

 興奮と恐れとで綯交(ないま)ぜとなり、紅潮して心臓が激しく脈打つ。立っているだけでもやっとの様子を、河削は白い歯を覗かせながら微笑んだ。

「ふふ、よく言えました。じゃあ……かわいいエールちゃんにご褒美あげようか――」

 河削がメイケイエールの顎に指を添え、顔を上向きに直した。そして、甘く蕩かせる河削の吐息と、唇が寄せられるのを感じ、メイケイエールは静かに瞳を閉じた――。

 

「――と、こ〜んな感じ?」

 黒鹿毛のショートカットと、鹿毛のお下げの娘による、やたら力の入った再現劇。お互い唇を突き出してコミカルにしているものの、身体を密着させている様子は異様な熱気を醸し出していた。

 それを見ていた周りのクラスメートも、かたやピンと来ていない娘もいれば、指先まで真っ赤になっている娘まで様々。当のメイケイエールはというと、やりどころに困って目を伏せていた。

「――もう、そんなのではありませんからっ。それに何ですか、ウマぴょいしたいって……」

「え〜っ?」

「ね〜っ」

 熱演の二人が互いに顔を見合わせ、身体を左右に振りながら、耳の高さまで掲げた両手を前に折る仕草――ウマぴょい伝説のサビ部分の振り付け――を見せた。

 ウマぴょいウマぴょいと呟くタイミングも一緒で、まるで示し合わせたかのような。

「で、エールさん。実際のところはどうだったの?」

「当面の目標を簡単に話しただけですよ。とりあえず、まずはデビューを最優先だと――」

 

 河削のトレーナー室に招かれたメイケイエール。ホワイトボードの前に置かれた椅子にちょこんと腰掛けていた。

「はいはーい、じゃあとりあえず今年の目標はね……」

 傍らに立っていた河削が、極太のペンでホワイトボードに大きく書き込んでゆく。簡単に今年の目標を決めましょうということだったが、メイケイエール自身はまだ具体的な考えがまとまっていなかった。

「これ! とりあえずまずはと思うんだけど、どうかな?」

「デビュー……」

 ホワイトボードいっぱいに、大きく書かれたデビューの文字。それを眺めながら、薄ぼんやりと口に出す。

「そ! ジュニア級でも年末にはG1あるけど、デビューしないことには何も始まらないしね。何はともあれ、まずデビュー! 後のことはそれからでも良いからさ」

 トゥインクル・シリーズは大まかに大別して三つの期間に分けられる。一年目はジュニア級、二年目がクラシック級、三年目以降がシニア級となる。世間でも話題となる大きなG1レースはクラシックとシニアが主であり、ジュニア級は次代のスターウマ娘のお披露目といった位置づけとなっている。

 デビュー戦のレースが始まるのは直近でも夏頃から。少なくとも、それまでは地道にトレーニングを続ける必要がある。

「……どうかな? エールちゃん他に目指してみたいものとかってある? それに合わせてスケジュール組み立てるけど」

「えっ? いえ、あの……申し訳ありません。まだ具体的な考えが浮かばなくて……」

「いいのいいの! いきなり目標って言われてもピンとこないもんね。暫くはデビュー目指して頑張って、落ち着いたら改めて一緒に考えようか」

 あまりにも流れるように契約が決まったからか、頭では分かっていても心の方が追いついていないようだった。未だ非現実的と言おうか、心が浮ついて落ち着かない。

 目標とは何か。自身の目指したいものは何なのか。メイケイエールは漠然とした悩みを抱えて翌日を迎えたのだった。

 

「なるほど、まぁ直近の目標ならデビュー一択だよね」

「エールさん、もう今日からトレーニング始めるんだよね?」

「ええ、そうですけど……あら」

 気がつけば昼のチャイムが鳴り響く。これで午前の一般教科は終了。午後からデビューに向けての本格的なトレーニングの始まりだ。

「それじゃあ、ミロワ達と待ち合わせがあるので……皆さん、また明日」

 昼はいつもの三人で集まって食べようと決めている。メイケイエールはクラスメート達へ丁寧に会釈をし、期待と不安を胸にして食堂へ向かっていった。

 

これくらいやってもらわないとね

 初めての単独トレーニングということで、メイケイエールは小腹を満たす程度の軽い昼食を摂った。何せトレーニングメニューも何も分からない状態。下手に食べすぎて、まともに動けなくなるのは何としてでも避けたかった。

 トレーニング用屋外コースの指定の時間の指定の場所。朱色に白いラインが入ったトレセン学園のジャージに身を包み、メイケイエールは若干所在なさげに立っていた。

「やぁやぁエールちゃん! ごめんね、待たせちゃったかな」

 紺色の角張ったトレーニングバッグを提げ、黒い地味めのジャージ姿の河削もやってきた。生徒と同じジャージを着てくることも考えられたが、さすがにその辺りの分別はしっかりついている模様。

「いえ、私が早く来ただけですので……」

「やる気バッチリだね。じゃあトレーニング、の前に……暫くはこのメニューでいくつもりだから」

 河削からA4用紙が何枚かでホチキス止めされた資料を手渡された。それには当面のトレーニングメニューが記されていた。ジョギングやインターバル走、水泳といった有酸素運動から筋トレ等の無酸素運動を織り交ぜ、週に一日は必ず座学の時間が設けられている。

「まずはしっかり身体を作っていかないとね。退屈かもしれないけど、基礎を固めておけば後半絶対楽になるから!」

 初見の感想としては意外の一言だった。契約後の打ち合わせの時も到って真面目な雰囲気だったが、オンとオフを使い分けられる人物なのだろうか。

 まだまだ戸惑うことは多いが、少しずつ河削の人となりが見えてきたようで、メイケイエールは少しばかり安心した。

「――んじゃ、ぼちぼち始めようか。ストレッチやったらコースをとりあえず三周、七割くらいのペースでいいからね」

「は、はい!」

 河削の号令でマンツーマンのトレーニングが始まった。彼女の手を借り、入念にストレッチを行っていく。共同トレーニングでも同じことをしていたが、マンツーマンなだけあり一つ一つの動作に十分な時間をかけていた。

 メイケイエールの身体が無理なく動かせる範囲を見極め、それより一段負荷の強度を上げる。痛気持ちいい絶妙なラインを維持するあたり、ミロワダーレが言っていたG1ウマ娘を担当していただけはあるのかもしれない。

「――ストレッチはおしまい! いっちょ走ってみよっか」

 まだまだトレーニングはこれからだというのに、ストレッチが終わる頃には身体がしっとりと汗ばむくらいに熱を帯びていた。

 そしていよいよ本格的なトレーニングへ。練習用とはいっても、天然芝のコースは一周二千メートル。それを三周なのだから六千メートル。

「一周する毎に三十秒休憩ね。ペースは遅くなってもいいけど、とにかくフォームは変えないように意識して」

「フォームを、ですか……」

「走るフォームが固まらないと効率よく力が使えないからねえ。地味だけど大切だよ」

 トレーニング理論は詳しくないため、そう言われるとただ頷くことしかできない。トレーナーである河削がそう言うのならそうなのだろう。

「あ、走る前にこれ耳につけてくれる?」

 そう言われて手渡されたのはワイヤレス型のイヤホン。ウマ娘専用のアスリートタイプで、耳にぴったりフィットしてちょっとやそっとでは外れそうにない。

「電源はそこのボタン長押しね。もっかい長押しすると接続モードになるからペアリング設定して――そうそう。じゃあメッセアプリ開いてみて。私から電話かけるね」

 言われるがまま自身のスマホにイヤホンを登録し、通話アプリを立ち上げる。すかさずかかってきた河削からの着信に応じた。

『どう? 聞こえたー?』

 イヤホンから河削の声が正常に聞こえ、こくりとメイケイエールが頷いた。特に問題なく動作しているようだ。

『コース走る時はこれで指示出すからよろしくねー。スタートはエールちゃんのタイミングで構わないから』

 口を挟む余地もなく、あれよあれよと進んでゆく。わざわざ時間をかけていられないということだろうか。

 とはいえこの時間はトレーニングに集中しなければ。メイケイエールは一人コースに向かい、スタートの構えを取る。そして一拍、二拍と間を空け、地面の芝を蹴る。

「はっ、はっ、はっ――」

 七割くらいのペースでというリクエスト。ひとまず、こんなものかという具合でコースを駆ける。

『うん、いいペースだよ! そのペース維持してね!』

 時折河削の指示が聞こえる他は、自身の息遣いと心臓の鼓動、そして風を切る音のみ。これまでは隣に誰かしらいたが今は自分一人のみ。ほんの少しだけ心細くなりながらも、メイケイエールはコースを駆けていった。

 

 一周目は快調、二周目もまあ順調。問題なのは三周目に入ってから。

「ハッ……ゼェッ……ハァッ……」

 一周毎に休憩が入るとはいえ、息が整うほどの余裕はない。じわじわと消耗するメイケイエールの顔が苦痛に歪む。

『エールちゃん、頭上がってるよ! 顎引いて、いつもの走りを意識して! 苦しいとは思うけど、フォーム崩れたらもっと疲れることになるんだからね!』

 分かっている。だが身体が着いてきてくれないのだ。河削の指示に応えようにも、それができているのかどうか。結局はフォームがガタガタになりつつ、最後の直前に突入した。

 ――ようやく終わる。希望のゴールが見えてきた。

『ラスト百メートル! スパートして!』

(七割くらいでいいって――!)

 心の中で文句を言いつつ、残りの力を振り絞ってスパートをかける。ほんの百メートル、しかし今のメイケイエールにはその百メートルですら長かった。スパートが最後まで保たず、フラフラになりながらようやくのゴール。

「お疲れ様! 初日でこれだけ走れれば上々だよ。マッサージするからこっちにおいで」

「……はっ、はい……っ」

 コース外に座り、シューズを脱いでから河削に脚を差し出す。彼女のマッサージする手付きは非常に手慣れており、疲労で固くなったメイケイエールの筋肉を的確にほぐしてゆく。

「一人でこんなに走るのなんて初めてでしょ。どうだった?」

「……とても、静かでした……」

「アッハハ! 急に一人になったから寂しくなっちゃったかな? 今は基礎だけど、その内併走とかも組むから安心して」

 若干間の抜けた返答に河削が思わず吹き出した。彼女にまさぐられるふくらはぎが微妙にこそばゆい。

「メニューもね……坂路とか色々組み込んでくからね……っ」

「――ぅんンっ」

 足の裏を強く押され、唐突な痛みに声が漏れ出てしまった。どうやらそれが河削のスイッチを刺激したらしく、さっきのもう一回、もう一回と執拗なリクエストが。メイケイエールは不意の恥ずかしさに頬を赤らめながら、ひたすら首を横に振るのであった。

 

 マッサージによるウォームダウンが終わった後、メイケイエールは体育棟のマシンジムのフロアに連れられた。

 ウマ娘のトレーニングはただ走るのみにあらず。最新設備を使用して筋力増強や、スタジオでのダンスレッスン等多岐に渡る。設備や広さを見ても、国内のトレーニング施設としてはトップクラスの充実ぶりと言えるだろう。

「はーい、じゃ次は順次筋トレで――マシン空いてるから最初はレッグプレスからね」

 レッグプレス――シートに腰掛け、両脚を伸ばすようにしてウェイトを持ち上げるトレーニング。走る際、脚を後ろに蹴り出すためのハムストリング等を鍛える効果がある。

 ずらりと十台ほど並んでいたが、その殆どは先客で埋まっていた。唯一空いていた台のシートに急いで腰掛け、シート位置等を調整する。

「レッグプレスどれくらいなら上げられる?」

 このジムのフロア全てのマシンはウマ娘専用マシンとなっている。なぜならば――。

「百五十キロなら前に何回か……」

 ――パワーが一般のヒトと比べても桁違いなのだ。

 メイケイエール位の背恰好で、同い年の少女なら五十キロ上げられれば大したもの。それを、ウマ娘である彼女は三倍の重量を上げることができる。

 そのため、このジムのマシンはヒトでは到底不可能な重量設定まで行えるようになっている。身体の大きさは大して変わらないのに、パワーは比べようもなく。

「オッケー、百五十いってみようか」

 種族としてのウマ娘はまだまだ解明されていないことが多い。古代からの長い付き合いにも関わらず、である。

 ウエイトが積まれ、両脚に力を込める。河削の指示に従い、曲げ伸ばしはゆっくりと、脚を伸ばしきらずに寸前で止める。

 十回を四セット。四セット目ともなると脚に力が入らなくなる。

「ほら九回まで来たよ! どう? いけそう?」

「も、もう……無、理……です……!」

「よしきたラスト百八十で!」

 メイケイエールは耳を疑った。もう無理だと言ったのに、まるで聞こえなかったかのように嬉々としてウエイトを追加した。

 ずっしりと、これ以上ない重みが両脚にも伝わる。びくともしない、重厚な絶望感。

「あのビワハヤヒデは三百六十いけるんだよ? これくらいならエールちゃんいけるって」

 トップクラスの娘の名前を出すのは実に卑怯。しかしながら、あの人に比べれば半分の重量。持ち上げられるのではないかと、僅かに希望が湧いてくる。

「んっむ……っ!」

 最後の力を振り絞り、震える脚を抑えつつプレートを押し上げていく。

「ぐむむむ……っ!」

 一気に押し上げて終わらせたい気分だったが、筋肉の疲労もピークでそこまでできる余裕が一切ない。じわじわ上げていくのが精一杯だった。

「ぅ〜〜ッ!!」

 目を見開き、歯を食いしばって、やっとのところで押し上げた。

「最後も気を抜かないでよ〜?」

 呑気な河削に若干腹立たしく思うも、怪我をしては全くの無意味。ウエイトに押し潰されないよう注意しつつ、最後の一往復を終えた。

 まさに力を出し尽くした。シートの上で弛緩していると、河削が労うように肩を叩いた。

「エールちゃんよく頑張ったね、凄いよ!」

 満ち足りた疲労感でメイケイエールも口元が緩む。マンツーマンのトレーニング初日、やり切った自分を褒めてあげたい心境だった。

 ――が。

「その調子で次のマシンもちゃちゃっとやっつけちゃおうね! 上半身もやらないとバランス悪いもんね?」

「ぇ――」

 無邪気な顔をしながら河削が次のマシンを指差す。

 その瞬間、瞳から輝きが消え、メイケイエールは絶望に沈んだ。

 

純白の少女

 この日のトレーニングは初日ながらも、みっちり行うハードなものとなった。

「なんか、エール……消耗してんな」

「ええ、まぁ……いろいろと……はぃ」

 これまでより一段上の強度のトレーニングを体験し、とにかく疲労感と空腹感で心ここにあらず。これでもかと絞られ、雫一滴すら出てこない雑巾の心境だった。

 最早、自室の椅子にもたれかかるので精一杯。ベッドで横になろうものなら即眠りに落ちかねなかった。

「とにかく晩飯食いに行こうぜ。んで、後は風呂入って寝るだけ――どうよ?」

「ああ……いいですねぇ……わたしはぶじです」

「無事じゃねえな」

 疲れを通り越して夢見心地のメイケイエール。ミロワダーレに連れられ、学生寮の食堂へ。普段より早めの時間だったが、既にテーブルは八割方埋まっているようだった。

 ひとまず手近な席を確保し、配膳の列に並ぶ。学園の食堂ではある程度自由にメニューが選べる一方、寮の食堂ではその日のメニューは一種類。しかし、日替わりでその月に同じメニューが被ることがないという、バラエティに富んだ内容となっている。

 そして今日の夕飯はというと。

「おっ、いいじゃねぇか。豚の生姜焼きだってよ」

 ミロワダーレが瞳を輝かせながら今晩のメニューのサンプルを指さす。大きな丸皿に千切りのキャベツと櫛切りのトマトが乗り、その隣に生姜焼きのタレで絡め焼きにされた豚肉と玉葱が。

「寮の生姜焼き食うと、他の生姜焼きが食えなくなるんだよなぁ……」

 普段生姜焼きで使う豚肉といえば、薄切りのロース肉が一般的。しかし、この栗東寮の学食の生姜焼きは一味違う。豚カツに使えそうな分厚いロース肉を贅沢に二枚。食べやすいようカットされてはいるものの、ボリュームは比べるべくもない。

 受け取りのカウンターに近づく毎に、生姜焼きの芳しい薫りがメイケイエールの全身を包み込んだ。醤油と砂糖で甘辛く味付けに、生姜の爽やかさが非常にマッチする。更に、後からやってくる醤油が焦げた香ばしい薫り。

 陶酔(とうすい)に浸る彼女の喉が、ゴクリと大きく鳴った。疲れた身体に、生姜焼きの香りは薬を飛び越えて最早毒とも言えた。

「お待ちどうさま! ご飯の量はどうするの?」

「じゃあ、普通で!」

「は〜い、ちょっと待っててね」

 まず先にミロワダーレから受付に。割烹着とマスク姿で恰幅の良い従業員が、リクエストを受けて即座に料理が乗ったトレーを彼女へと引き渡した。

 そして次はメイケイエールの順番。

「は〜い、次……あら、あなた随分お疲れね。どうする? ご飯大盛りにする?」

 端から見ても疲労困憊と分かるらしい。とにかく、メイケイエールはエネルギーを大量に欲していた。

「えっと……特丼のツメツメのダブルでお願いします……」

 従業員は一瞬、目を丸くしてメイケイエールを見た。しかし、すぐにマスク越しでも分かるほどの笑顔で大きく頷く。

「特丼ツメツメダブルね! 準備するからちょ〜っと待っててね!」

 特丼ツメツメダブル――。

 その特異なオーダーを受けた従業員が手を伸ばしたのは、茶碗でなくラーメン用の丼二つ。そして颯爽と、特製の十升炊き炊飯器が三つ並ぶ炊飯エリアに向かう。

 蓋を開けると立ち昇る芳醇な白い湯気。その湯気の向こう側に、ぷっくりと膨らんで銀色に輝く白米が覗く。大きめのしゃもじで手にした丼へ白米をよそい、一部の隙間も作らないよう執拗に丼へ押し付けてから次々とよそっていく。

 丼二つに同じ様に白米を詰め、慣れた手つきで丼の口を重ね合わせた。重ねた丼をゆっくり持ち上げると、うず高くそびえる白米の山のできあがり。これが特丼ツメツメダブルの正体だ。

「――ごめんね〜! さ、沢山食べて元気になりなよ!」

 白米だけでもかなりの重量感。手元が覚束なくなりながらも、トレーを両手でしっかり受け取り、慎重にテーブルへ運ぶ。

「エールが特丼にすんの随分久々だな」

「なんかもう、無性に食べたくなってしまって……」

 メイケイエールの口内で、唾液が溢れて止まらない。とにかく本能が、身体全体が炭水化物を欲している。

 人並外れた身体能力を持つからか、ウマ娘達は体格の割に健啖家が多い。個人差があるとはいえ、今のメイケイエールを上回る量を平気な顔して平らげる、怪物のような娘もいるほどだ。

「そんだけカラダ使ったってことだろ。さ、喰おうぜ――いただきます」

「いただきます――」

 一心不乱に白米にかぶりつくメイケイエール。噛めば噛むほど、良い塩梅に炊き上がった白米から優しい甘味が滲み出す。全身の細胞が渇望するそれを漏れなく行き渡らせるために、彼女は恍惚の笑みを浮かべながらただ白米を貪る。

 ――そして、彼女が米に集中しているのを窺い、厚めの一切れをこっそり自分の皿に移したミロワダーレ。彼女もまた、違う意味でにんまりと笑う。

 そしてメイケイエールに話しかけようと、一人のウマ娘が近づこうとした。目にも鮮やかな白毛で若干ウェーブのかかった長い髪。ただ、彼女はメイケイエールが食べている丼を見て脚を止め、少し考えた後にその場を離れた。

「ミロワ――どうかしました?」

 口いっぱいに頬張った白米をしっかりよく噛み、ごくりと嚥下する。自らの皿から、豚肉が一切れ神隠しに遭ったことは知る由もない。

「――いや、何も?」

「そうですか――」

 綺麗な箸使いで、それでいて一口一口を豪快に食べ進めていくメイケイエール。そのような彼女の後ろから、先程の白毛の娘が声をかけた。彼女の持つトレーには、メイケイエールのそれよりも更に高く白米が丼に盛られていた。

「あら、エール? 奇遇ね、あなたもこの時間にお夕飯なの?」

 急いで嚥下して声がした方へ顔を向けた。

 

「――マシロさん!?」

 白毛のウマ娘――マシロ――と気づくと、すぐに椅子から立ち上がった。切れ長で鋭いマシロの眼差しが緩む。

「聞いたわよ、今日からソロのトレーニング開始ですってね」

 メイケイエールとマシロはいわゆる親戚関係にある。小さい頃は一緒に走るなどしてよく遊んだものだが、ここ数年間は交流が途絶えていた。

「ご無沙汰しています……お恥ずかしながら、トレーニングに着いていくのがやっとでして……」

 メイケイエールは恐縮しながらはにかんだ。

 お互いを認識したのはトレセン学園に入学してからのことだった。クラスが隣同士であったものの、常にマシロの周りは人集りができていて容易には近づけなかったのだ。

 理由はただ一つ、彼女が白毛のウマ娘であるということ。百人、あるいは千人に一人産まれるか否かの稀少性を誇る髪色であり、佇んでいるだけでも注目の的になる圧倒的な存在感を備えていた。

「ふふ、初日はそんなものよ。焦らず身体を慣らしていくことね」

 マシロは居丈高に胸を張る。髪色もさることながら、入学当初から実力も超一流と目されているほどで、一時期は出歩く毎に契約希望のトレーナーに囲まれていたこともあった。

 そのような彼女の姿を見て、話しかけるのも畏れ多くなって今に到る。

「ご飯も沢山頼んでしまいまして……」

「あら、一流のウマ娘ならそのくらいは普通ね。まあ、私はその上を往くから――」

 得意満面な顔でマシロが鼻を鳴らす。

「特丼ツメツメのトリプルよ!」

「トリプルですか!?」

「私のようにハードなトレーニングを課しているのなら、この程度なんてことないわ。エールも精進することね」

「やはり凄いですね。マシロさんは……」

「当然よ。では失礼」

 ひたすらに圧倒されるばかりのメイケイエールを置いて、満足したらしいマシロがツカツカと自分席へと戻っていった。彼女の優雅な動作を見惚れつつ、自らも席に座り直した。

「――確か、従姉妹だよな。さん付けしなくてもいいんじゃねえの?」

 ミロワダーレが心底不思議そうな様子で呟いた。二人のやり取りを静観していたその間、彼女の皿に生姜焼きがまた一切れ増えている。

「そうなんですけど、マシロさんは何と言いますか、マシロさんって呼びたくなる雰囲気なので――あら?」

 メイケイエールが自分の生姜焼きの皿を眺め、奇妙な違和感を覚えた。

「どうした?」

「いえ、あの……私のお肉の量、これくらいでしたっけ?」

 程よく焼色のついた、食欲をそそられる生姜焼き。それがどうにも少なくなっているような。

「気のせいだろ? 早く喰おうぜ」

 そして、ミロワダーレの生姜焼きが増えているようにも見える。しかし、彼女が二、三切れ纏めて口に放り込んでしまったせいで曖昧となってしまった。

「まあ……そうですね――」

 思えば、白米に集中しすぎていたため、生姜焼きはあまり認識できていなかった。単純に思い違いだろうと納得し、メイケイエールは夕食を再開するのだった。

 

 心躍る夕食も終わり、めいめいが自分の部屋へと戻ってゆく。メイケイエールの従姉妹、マシロは戻るなり膝をついてベッドに上半身をなげうった。

「……ふ〜……フ〜……ふウu……」

 絹のように白い肌が病的に青白くなり、瞳孔は開き気味。マシロの命の灯火は今まさに燃え尽きようとしていた。そんな息も絶え絶えな様子を、短く無造作な黒鹿毛の髪を持つルームメイトが腕組みしながら静かに見下ろしている。

「一部始終見よったけど……ご飯の量をエールさんと張り合う必要あったと?」

「……だっ、て……」

 溜息混じりに熊本弁で詰問するルームメイトへ、マシロは顔を向けることなく答える。

「エールに……ふ〜……だけは……ふ〜……凄いっ……ぷふ〜……て思われたくて……」

「だからっていつもん量の何倍たべたと。そぎゃんと意識する必要はなかやろうに」

「エールが……ふ〜……頑張ってる……は〜……のだからゥ゙ッ……ぷ〜……いつもの、量……フ〜……だと……ウゥッ……私が……ハァ……頑張ってない……ふ〜……ように思われるから……」

「ただの見栄か。呆れた」

 初日からハードなトレーニングを課されていたメイケイエール。歯を食いしばりながら必死に縋りついていく彼女に、自身のだらしない姿を見られたくない一心だった。

 あくまでも、一流のウマ娘として見られ続けたい。

「……まあ、よかよか。薬貰ってくるから、少し大人しゅうしてなさい」

「恩に……着るわ……ベネベネ……」

「大体、そこは私のベッドだし。汚されると困る」

 マシロは小さく息を吐いて目を瞑った。そうすれば多少は気が紛れそうな感覚があった。

 そうして、見栄っ張りの不器用なルームメイトのために、黒鹿毛のウマ娘は薬を貰いに寮長の部屋へ向かうのだった。

 

恨みは山より高く、谷より深し

 メイケイエールがトレーニングを始めて数週間が経過した。当初こそどうにかこうにか河削のメニューをこなしている状態だったが、やがて負荷の強度が高めのメニューも問題なくこなせるほどに力をつけてきた。

 しかしそれよりも、河削はメイケイエールの飲み込みの速さには舌を巻いた。座学では予習復習当たり前。分からなかった部分は自分で下調べした上で聞いてくるという意欲の高さ。

 そして何より、ダンスレッスンにおいてはその才能の片鱗をまざまざと見せつけられた。

『……エールさんは完璧ね。もう本当に文句なし』

 ダンスの講師でさえも手放しで褒めるほど。一度振り付けを見て、少し踊らせてみればそれで大体は覚えてしまう。

『トレーナーさんは……今日できなかった所はエールさんに教えてもらってくださいね』

『……ゥㇲ』

 本来ならメイケイエールのためのレッスン。しかし興味本位で自らも受けてみたはいいが、才能の差というものをありありと見せつけられる結果となった。大きな声では言えないが、河削も多少はダンスの振り付けに自信があったのだが。

 そんな順調だったある日、突如として事件が起きた。

「ヤバヤバ……時間時間」

 トレーニングの支度に手間取ってしまった。普段なら五分前には着いているのだが、開始時間ピッタリとなりそうだ。

 今頃、メイケイエールはトレーニングの開始を待っていることだろう。

「エールちゃん! ごめ――」

 練習コースの前、いつものように佇むメイケイエール。しかし、何か様子がおかしい。禍々しい雰囲気を纏い、周囲の空間を歪めているような。

 更に近づくと、彼女の口はへの字に曲がり、眉間には皺が深く刻まれている。あれはどう見ても不機嫌。そもそも、機嫌を損ねている彼女自体初めて見るのだが、それにしても烈火の如くの怒り様だった。

「トレーナーさん! 何をしていたのですか! 遅刻ですよ!」

 彼女が河削の姿を認めると、怒りの感情をストレートにぶつけてくる。

「いや、あの……一応時間通りだけども」

「予定の時間から三十秒も遅れてます! さん! じゅう! びょうも! です! いいですか!」

 腕時計を着けているかのように、右手の人差し指で左腕の手首辺りを激しく叩く。それくらいなら別に時間通りじゃ、と言い返したかったが、火に油どころかガソリンをぶち撒ける行為に他ならないため言葉を飲み込んだ。

「あ、うん……ごめん……じゃあストレッチから……」

「自分でやります!」

 最早、触れてくれるなと言わんばかりに睨みつけられた。しかし、これほどピリついた空気ではトレーニングどころではない。

「あの……エールちゃ、エールさん? めっちゃ荒れてるけど何かあったの……?」

 しかし果たさなければならない、トレーナーとしての責務を。火をすら吹きそうなメイケイエールではあるが、その不機嫌の原因を突き止めなければ。

「……何でもありません!」

「や……そうは言っても、メンタルが不安定だと怪我するかもしれないから……ね?」

 一度はプイとそっぽを向いたメイケイエールではあったが、一つ息を吐いて河削に向き直った。

「私、ミロワと絶交しました。今日は一言も口を利いてません!」

「いやだってミロワちゃん、あれだけ仲良かったのに……マジ? 何かの間違いじゃなくて……?」

 ルームメイトであり、常に一緒にいるほど仲が良いミロワダーレ。彼女と仲違いするというイメージが湧かず、間が抜けた質問をしてしまった。

 しまったと思い、口を手で押さえるも時既に遅し。怒りがぶり返したメイケイエールがわなわなと震え、長く(つや)やかな髪が憤怒で逆立ち始める。

「ミロワ……あの人……私のお夕飯のおかずを盗み食いしてたんですよ! それもずっと前から! 昨日なんか、デザートのプリンに乗ってた苺を取ろうとしてたんです! 信じられません!」

 なかなか、笑い話にはできない微妙な問題だった。一度のみならず何度もということは、あのメイケイエールが怒るのも当然かもしれない

 何より、食べ物の恨みというものは恐ろしい。怒りが未だ収まらないままストレッチを始めた彼女に気づかれないよう、河削はそっと電話をかけた。

『……もしもし?』

 声の主はミロワダーレ。様々な意味で、今最も熱い人物。

『ミロワちゃん? いま大丈夫?』

『あー? なんだよ』

『……いや、エールちゃんのことでさぁ、なるべく早く仲直りしてくれないかなぁ。甘い物奢ってあげたりとかして……頼むよぉ』

 下手なことをするよりも、張本人が頭を下げさえすれば済むはず。メイケイエールもそれで許さない程頑なではあるまい。外野があれこれ策を弄するより、直球で勝負するのが一番手っ取り早いだろう。

『いや、なんでオレが……』

『お願いだから……メンタル不安定だとまともにトレーニングもできないし、それに……』

「ちょっとトレーナーさん! どこに電話かけてるんですか! トレーニング中ですよ!」

 電話に気づいたメイケイエールの怒号が飛ぶ。河削は更に声を潜め、背中を丸めながら懇願した。

『……怖いから、めっちゃ怖いから』

「聞いてるんですか! お返事は!? トレーナーさん!! 返事ッ!!!」

『……お願い、マジでお願いよぉ……』

 情け容赦ないメイケイエールの怒りに、さしもの河削も涙目となり声が震える。どうやら、彼女の声もミロワダーレに届いていたらしく、一瞬の沈黙の後に低くボソリと呟いた。

『……スミマセン』 

 後日、改めて仲直りの場がミロワダーレから設けられた。最終的に苺のパフェ一つでは足らず、三つ積んでようやく手打ちに。

 そしてメイケイエールがパフェを全て食べ終わるまでの小一時間、ミロワダーレは頭を垂れてずっと説教を聞くこととなるのだった。

「……や〜い、食い意地ミロワ〜……いやしんぼ〜……」

「――リコうるせえ」

「ミロワお黙り。大体貴方は――」

「ぅ……」

 更には、リコンスタがちょくちょくからかってくるおまけ付きで。

 




次話はメイクデビュー戦。
前日入りからウイニングライブまで、少し事細かな内容になります。
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