プロはまた他のプロを知り、遥かな高みへ突き動く。
35th Yellsの舞台裏その②です。
今回は荻野を中心に勝負服にフォーカスを当ててみました。
ここのとこ出番がなくビジュアルもふわっとしていた荻野ですが、これを機にAI生成で固めることに。下の名前は高木と同じくアドリブです。今回は外見とのギャップ狙いで。
人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html
緑溢れる目抜き通りに、
しかしその中でただ一人。日傘をさした女性が涼し気な顔で横断歩道の信号待ちをしていた。
すれ違う者は皆一様に彼女を見る。ある者は驚愕の目、ある者は
――この夏の盛りで、ということ意外は。
地熱で地表が揺らぐ、酷暑を通り越した獄暑にも関わらず、である。切れ長の瞳が平然と、クールビューティーを貫き通す姿。周囲の注目の的となってしかるべきかもしれない。
信号が変わると、軽快にパンプスの踵を鳴らし横断歩道を渡る。伸ばした背筋に長い髪が
かの女性こそ、メイケイエールの勝負服を仕立てたその本人。姓は荻野、名はりんご。今をときめく女性テーラーである。
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メインストリートから一本脇に入り、往来も落ち着く通りの一画。そこにひっそり佇む、仕立て服専門店のテーラー・イシイ。オーナーはイギリスのロンドン、サヴィル・ロウで長年修行を重ねた、腕の確かな元職人である。
荻野はその店において、鋏を持つ――一人前と認められた証――ことを許されていた。
「皆さん、おはようございます。いよいよ暑さも厳しくなり――」
開店前の朝礼の一時。優雅なポーズを取るマネキンが飾られた店内にて、総白髪のオーナーの前に五名の従業員が整列している。
その中で女性は荻野ただ一人である。後ろの髪をゴムで纏め、ジャケットを脱いだ身軽な姿。吊りベルトのバンドが脇に退けられるほどスタイルが良く、他の従業員との身体つきの違いが殊更如実となっていた。
「――では、御客様第一を忘れずに。今日もよろしくお願いします」
オーナーは年配ながら、それを感じさせない流麗な立ち姿。深々と下げた頭にならい、荻野達も同じように。
朝礼が終わり、さあ開店となった時のこと。
「荻野さん」
自分の持ち場に向かおうとしたが、オーナーに呼び止められた。
「はい」
「河削様より荻野さん宛に衣服が届いていますよ。作業台の前に置いておきましたので、確認をお願いします」
メイケイエールの勝負服。それが届いたのだろう。
「承知しました。ありがとうございます」
礼を言って作業場へと向かう。
これから忙しくなる。そう思いつつ、緊張で唇が硬く締まる。破損した服の状態、それが気がかりでならなかった。
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フロアより隔てられたテーラーの作業場。壁面いっぱいには大小様々な棚が設けられ、ありとあらゆる種類の生地が揃えられている。その他にも糸、ボタン、その他金具――顧客の要望に完璧に応えるための完全な空間だった。
荻野の作業台は整然と整えられている。道具は全てあるべき場所へ、いかなる時も埃一つない台の上は本人の
オーナーの言葉通り、作業台の元に宅急便の段ボールが置かれていた。中に収められている勝負服を作業台の上に広げる。
「ん……」
天板に横たわる、自らが手がけた勝負服。仕上がり当初はそれは綺麗なものだったが、二年も経てばいささかくたびれ気味の模様。
勝負服を作成する方法は二通りある。URA提携の業者によるパターンオーダーか、個人によるオーダーメイドのどちらかである。テーラー・イシイとしても勝負服の案件は初受注であり、あのオーナーすら興奮してガッツポーズをしていたのを今でも覚えている。
今となっては不思議でならない。名だたるデザイナーが名を連ねているにも関わらず、無名の自身がウマ娘の勝負服を手掛けるなどとは。
「なるほど、傷はここ……」
指でなぞりつつ右脚の裾へ。強引に引き裂かれた横方向の破れ跡に、鋏を入れた跡が垂直に交わる。さながら十字架のような傷――これが、安田記念での落鉄の影響によるもの。
仕方ないとはいえ、縫い目を無視して切られてしまっていた。少なくとも、ボトムスは新しく仕立てなければならないだろう。
ふと、河削との会話を思い出す。あれは勝負服のデザインの打ち合わせにて、初めて顔合わせした時のことだ。
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『勝負服ですけど、ちょっとこのデザインは……』
お互い同年代というのもあり、最初から印象は悪くなかった。この調子ならとんとん拍子にと思った矢先、デザイン案に待ったをかけられてしまった。
『……どこか、お気に召さない所がありましたでしょうか』
当初のデザインはスタンダードなドレスタイプだった。短めのフレアスカートから伸びる長い脚。少なからず自信もあったのだが。
『いえ、エールちゃんのことを考えてくれたデザインなのは私も分かります。ですけどスカートは、個人的には少し、なので。パンツタイプに変えてもらえます?』
デザイン案のイラストの、まさにその部位を河削が指さす。
『差し支えなければ、理由をお伺いしても』
自信があったとはいえ、少々安直であったのは否めない。河削の認識とのミスマッチを解消するべく、荻野は前のめり気味に尋ねた。
『あの娘達って、全力で走ると時速70キロ近くになるんです。私達とそれほど変わらない体格で、ですよ? だから脚はとびきり繊細なんです。正直気休めにしかならないとは思いますけど、できる限り保護してあげたいんです』
胸のつかえがストンと落ちた。自らの意識が至らぬことに恥じ入る一方、プロの相手をしているのだという実感が込み上げる。
『……ま、ただの心配性ってヤツですけどね。スラっとしたパンツタイプも良いかなって、そんな感じで』
気恥ずかしさにはにかむ河削にもらい笑い。二人でアレやコレやと話しながら、メイケイエールの勝負服のデザインが決まったのだった。
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思い返せば、河削のプロ精神に触れた瞬間だった。微に入り細を
そしてこの右裾の傷は河削の
荻野は注意深く状態を確認してゆく。間近で見ると衣服の擦れや痛みがあちこちに。ウマ娘のレースやライブは動画でしか見たことがないが、いざ目の前にするといかに過酷な環境なのかと思い知る。
目線はボトムスからトップスへ。違和感がある箇所に目が留まり、まじまじと見つめる。
「――ふふっ」
違和感の正体とは何か。それに気がつくと、荻野の口元が自然と緩む。
勝負服の想いが、触れる指先から流れ込む。
――突き動く情動。
――
――変革する激励。
「荻野さん」
意識が更に深くなろうとした時、オーナーが声をかける。荻野は姿勢を正して向き直った。
「何でしょう、オーナー」
「修理の目処は立ちましたか?」
「はい、ある程度は」
「そうですか。もし良ければ皆で
一人より皆の方がより良い知見が得られるかもしれない。彼女は迷うことなく提案を受け入れることにした。
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他の従業員にも招集がかかり、荻野を中心にして作業台を取り囲む。各々、視線の先にあるのはメイケイエールの勝負服。真剣な眼差しで服の状態を見定めていた。
「やはり内股や脇の生地の傷みが激しいな……腿の外の擦り傷は何だろう」
「接触によるものでは? 特にスタートは横並びだから隣とぶつかりやすいんじゃないか」
「なるほど、映像で見るだけじゃ分からないな。腰の部分のこの穴は――ああ、尻尾の穴か」
互いに言葉を交わして理解を深めてゆく。普通に生活していては起こり得ない服の傷み、またウマ娘ならではの部位には特に興味を引かれるようだった。
「荻野さん。先程状態を確認していた時、笑っていたように見えましたが。何かありましたか?」
「はい。この部分なのですが……」
オーナーからの質問に、荻野はトップスの右袖部分を持ち上げた。折り返しの袖口に金色のボタンが三つ並んでいる。
全員の視線が集中する。少しばかり間を置き、一人が口を開いた。
「……ボタンを縫い付ける糸が一つだけ違う? かなり似ているが……うん、ここだけ別の縫い糸だな」
「縫い方も微妙に違わないか? 他はきっちり縫い留められているけど、これは少し粗いというか……」
他のボタンは生地に合わせ真っ黒の糸だが、これだけは若干青みがかった黒。縫い付け方も少しばかり雑な感じが見られる。
職人の仕事ではなさそうだ。むしろ、これは――。
「恐らく、メイケイエールさんか、もしくは河削さんか。手で繕われたのだと思われます。この他にも、小さな傷や綻びを直した跡が幾つもありました」
目を凝らすと見えてくる小さな傷。そのどれもが、極力
周りと同じに見えるよう修繕されていた。職人の手際と比べれば確かに粗が目立つ。しかし、縫い目は一針一針心の籠もった丁寧なものだった。
荻野の口元が再び緩み、頬に赤みが差し込む。
「大切に着て下さっているのを知って、仕立屋
勝負服はオーダーメイドの一点物。確かに代替品がないとはいえ、丁寧に長く使おうとしてくれていたのだ。服の職人として、それこそが掛け値なしの賛辞なのである。
「そして、分かったこともあります」
いつの間にか、荻野の口元は真一文字に硬く結ばれていた。この場にいる全員の視線が彼女に集まる。
「――この服は走りたがっています。まだ終わっていない、こんな所で終わる訳にはいかない、と。この服がそう語りかけてきました」
芝の香り、風の音、胸焦がす情動。縫い目の一つ一つから感じ取った。服は着た者の心を表す。メイケイエールの心の底で
「あの方々はプロフェッショナルです。であるならば。私も最上の敬意を払い、ご期待以上の成果を出さなくてはなりません」
「……良く分かりました。修理プランは決まっていますか?」
「はい、大まかにはですが。細かい修理箇所を把握してから全体の日程を確定させます」
荻野の言葉に迷いはない。一人の職人として全身全霊を賭して務めを果たすのみ。ただそれだけ。
オーナーは深く二度、三度と頷く。
「直すというのは新しく作るより難しいものです。その服に移った魂を消すことなく、昇華させなければならない……」
言葉とは裏腹に、その顔は笑顔に満ち満ちていた。
「ですが、それを成してこそ職人の誉れ。テーラー・イシイとしてもこの上ない経験となりましょう」
オーナーは改めて一人一人の表情を眺めてゆく。最後に目を向けるのは、言うまでもなく荻野だった。
「荻野さん、この件はお任せします。お客様にご満足頂けるよう誠心誠意を尽くしてください」
「――はい!」
荻野の背筋がピンと伸びる。仕立屋として最上の結果を残さなければならない。緊張と誇りが心身に満ち満ち、職人の矜持が鮮やかに色づく。
「……やはり、もう一度と言わず何度も見たいものですね。荻野さんの勝負服で走るお嬢様方を」
「私も、全く同意見です」
そして願わくは無事にゴールしてくれることを。彼女達の輝きがいつまでも続くのをただ祈るのみ。
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午後の作業場にて、頃合いを見て荻野は電話の受話器を握る。コール音数回の後、相手と繋がった。
「――テーラー・イシイ、荻野でございます。いつもお世話になっております」
『荻野さん! どうもご無沙汰です〜』
電話先の相手は河削。療養中の身ということで、彼女が通話可能な時間を見計らったのだった。
『勝負服、届きました? 傷を付けてしまって、折角仕立ててもらったのに申し訳ない』
「いえ、とんでもありません。むしろ大切に着て頂き、感謝のしようもないほどです。勝負服は私が責任をもってお仕立て直しますので」
荻野は大まかに日程を説明した。九月末のスプリンターズステークスに向け、九月の初旬には届けること。また、八月後半のどこかで仮縫いに伺いたい旨を。
『荻野さんのやりやすいようにしてもらえれば。あ、八月ですけど、その時期エールは実家の名古屋にいるので。直接向かってもらってもいいですか? エールには私から伝えておきますから』
「承知致しました。細かい日程が決まりましたら、改めてご連絡差し上げます」
『よろしくお願いします――荻野さんに頼んで本当に良かったです』
こちらこそ――。
その言葉を荻野は飲み込んだ。職人として、口にできるのは仕立て上げた勝負服を届けたその時。
通話を終え、受話器を静かに置く。そして台の勝負服を優しく見つめる。
「お帰りなさい。よく、頑張ったわね」
慈しむように手を乗せ、役目を遂げた労をねぎらう。
しかし心安くはいられない。後ろ髪をきつく結い直し、自らを奮い立たせる。
ここから、自身のレースはここから始まるのだ。
想いの
番外編ラスト一話、最後はメイケイエール両親のエピソードとなります。