子の心親知らず
巡りに巡り交わる二つ
35th Yellsの舞台裏その③
番外編ラストは両親のエピソードです。
モデルのメイケイエールの馬主が唯一無二ともいえる存在なので、当シリーズではあまり変えずに出す方針としました。そのお陰で割と無茶な展開にも説得力が生まれた……ような気が。
アプリで実装されたら馬主周りをどうキャラに落とし込むのか、そこがひっそり気になるところ。
人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html
白毛のウマ娘――それは、何物にも代え難き特別な存在。その髪は純真無垢な雪の如く。ただそこに居るだけでも一際輝き、走れば見る者を
「ふふふ〜ん♪」
ご機嫌な鼻歌が流れる、広々としたキッチン。ショートボブのウマ娘が大量の人参をスティック状に切っていた。
180センチを優に超える背もさることながら、目を引くのがくすみのない白毛。切った人参をボウルへ移すたび、髪の一本一本が美しく輝く。
かつては彼女もトレセン学園に在籍していた。その見目麗しい姿に誰もが期待を寄せたが、それに応えることはついぞ叶わず。重賞どころかデビューすらできず、心折れて失意のまま学園から去ったのだ。
「え〜と、人参は……もうちょっと切っておきましょうねっ」
それからは平穏な日々を過ごし、生涯の伴侶を得、その機に尾藤キサラと名を改めた。そして二人の娘に恵まれ、今は
彼女の、在りし日の名は――。
――ピンポーン。
「あっ、はいは〜い」
唐突なインターホンの呼び声。キサラが返事をしながら顔を上げる。エプロンの裾で手を拭い、パタパタと足早にモニターへ向かった。
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彼女には少々低い取付位置のため、腰を屈めてモニターを覗き込む。紺色のワークキャップを被った中年男性が映っていた。
「あらお米屋さん。今日は早いのねっ?」
『毎度どうも
「――ごめんなさいね! お待たせしたかしらっ?」
玄関を
大地を揺らし――
「いえいえとんでもない。奥様あってのウチですから」
「あら嬉しい。今回もいつものよねっ」
米屋の
「そりゃもう、いつも通りご指定の銘柄30キロ! こちら伝票で――」
キサラは受取伝票にサインを記す。そして30キロの米袋をひょいと片手で持ち上げた。3キロでなく、あくまでも30キロ。それをぬいぐるみを抱えるかの如く、非常に気軽に、である。
「ちなみに、次も同じでよござんすかね?」
「次……ね。どうしましょうかしら」
「何か気になることでも?」
「いえね、娘が東京から帰ってくるのよ。夏休みの間だけどっ」
数日前のこと、キサラの元に久し振りに河削から連絡があったのだ。
――八月末までエールが帰省するのでお願いします、と。
「ほほーっ! あのお嬢さんがお帰りですか! こりゃあ奥様も鼻高々でしょう」
単純に帰省するのなら両手を挙げて喜ぶところ。しかし続けて告げられたのは、スプリンターズステークスに向けての特訓も兼ねているというではないか。
「うーん、まあそうなんだけど……」
我が娘の負傷、そして河削の入院。並々ならぬ状況でないのは明確であり、親として非常に複雑な心境だった。そのようなこと、米屋の前では例えうっかりでも口にできなかった。
「他にお客様もいらっしゃるし、お米足りなくなっちゃうかもなぁって」
「はっはっは! いっそのこと一
一俵はおよそ60キロ。約400合となり、成人男性一人が一年間で消費する量とほぼ同じである。
「ま、一俵なんて! やだわぁもぅ〜」
「ちょっと盛りすぎでしたかねぇ!?」
二人して
「なら二俵欲しいわ」
「にひょ!?」
キサラの声のトーンが一段どころか二段下がる。いたって本気の要望だった。
メイケイエールは小さい頃から良く食べる子だった。トレーニングで身体を動かすのであればなおのこと。更にもう一名分の食事が必要となるので、万全を期して二俵は欲しい。
「……なんてね、冗談☆冗談。また同じ量をお願いするわっ」
重量にして120キロほど。一回の注文で頼む量としては常軌を逸していた。何より米屋にも負担が大きいだろう。
「いやぁ奥様もお人が悪い! 流石に驚きましたよ……次も同じ、と――毎度どうも!」
夏の汗か冷や汗か、米屋は額から垂れてきた汗を拭う。何も言わなければ普通に米俵を用意しそうな雰囲気だった。一度見てみたくもあるが、これはただの悪ふざけ。相手を試すようなことはしてはならない。
キサラは米屋が次の家へ向かうのを見送った。配送用のワゴン車が見えなくなるまで大きく手を振る。
(……本当に来ちゃうのね……)
しかし彼女の表情はどこか冴えない。空に向かって伸ばしたその手は、何かに
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キッチンに戻ったキサラは中断していた作業を再開した。娘が帰ってくるのに合わせ、人参のピクルスを作ろうとしていたのだ。
人参は一通り切り終えた。ピクルス液は砂糖多めでメイケイエール好みの味付けに。煮沸した瓶に詰め、封をすれば出来上がり。帰ってくる頃には良い塩梅となっていることだろう。喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「……はぁ……」
しかしキサラは青色吐息。瓶に詰めている間ずっとこの調子だったのだ。本来なら、メイケイエールの帰省に歓喜狂乱する人物である。それがこの体たらく。
――♪♫♪♫♪♫♪
「はぁい、もしもし?」
自らのスマホが鳴る。彼女は画面をろくに見ないまま手に取った。
『もしもし? 美鐘です』
「み カ ね サ ん!?」
噂をすれば何とやら。まさかの河削からの電話で、声がつんざくほどに上ずる。
『ど、どうしました? もしかして今ご都合よくないですか』
「ううん、へいき……平気よ。ちょっと驚いちゃっただけだから。ところで美鐘さんが私に電話なんて、何かご用かしらっ?」
胸に手を置き、二度三度と深呼吸。気を取り直して河削に用件を尋ねた。
『ええ、この前お話しした件で。エールの同行者が確定できたので取り急ぎ伝えようかなと』
「そう。決まったのね……」
『はい。なので予定通りの日程ということで』
キサラはどう言葉を返すか迷った。しかし何も言わなければこのまま進んでいってしまう。言うか、言わざるか、水面下で激しくせめぎ合う。
「……本当に、大丈夫なのかしら」
『それはもちろん。エールのデビューの時からの付き合いの記者さんで、人柄もしっかり――』
「違うわ。そうじゃ、そうじゃないの」
胸の奥が締め付けられる。苦しさ紛れに首を振り、河削の言葉を遮った。
「心配なのよ。エールと、美鐘さんが。怪我して、倒れて……そんな大変なことになってまで、目指さなければいけないの? 諦めてはいけないの?」
電話の向こうの河削へぶつけるように。ただの八つ当たりだというのは自覚していた。
「あの子が誰よりも才能あるのは十分分かるわ。今まで沢山頑張ってきたことも。でも、そこまでする価値があるのか……私には分からなくて……」
一勝すら届かなかった者の
「……笑っちゃうわね。初めて美鐘さんと会った時、絶対勝ってくれって調子の良いこと言ってたのに。でも一度ああなってしまうと――怖いの。また起きてしまうんじゃないかって、怖くてどうしようもなくなるのよ……」
落鉄で負傷したと聞いた時、それは激しく動揺した。怪我の程度は大事ないと分かり安堵したのも束の間、次は河削が倒れてしまったと。
心身を擦り減らしてまでレースに出ようとする姿に、いつかの感情が蘇っていた。信頼が粉々に砕け散る喪失感。それを味わうのは自分だけでもう十分だった。
「ごめんなさい。美鐘さんに言ってもどうしようもないのに。でも……」
『キサラさん……』
親という立場を利用して、何と卑怯極まりないのだろう。河削はただ、トレーナーの職務を全うしているだけだというのに。
『私なら嫌いになってくれても構いません。でも……』
しかし彼女は、その全てを跳ね返す。
『エールのことは信じてあげてください。私達が考えてるよりずっと強いんですから、あの娘は!』
信じる――。
きっと河削は心の底からメイケイエールを信じている。キサラはそれ以上言葉を返せなかった。親として、誰よりも先にそうしなければならなかったのだから。
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河削との通話を終えた後、キサラはただ沈痛な面持ちで俯いていた。ソファに座り、祈るように両手を組む。
一体、どのような顔で我が子を出迎えれば良いのだろうか。信じ抜いてやれない自分は親と呼べるのだろうか。結論が出ない思考が泥沼へ沈む。
深い溜息を一つ。すると、二階へ続く階段より降りてくる足音が。
「――おや? どうしたんだい。君がそんな顔するなんて珍しいね」
細身の体躯にオールバックの髪。穏やかな顔には苦労を滲ませる幾つもの皺が走っている。
「あなた……」
中京レース場運営会社の社長、キサラの夫である。今日はリモート勤務の日で、二階の書斎でオンラインミーティングを行っていたのだ。
「エールの話、僕の方は纏まりそうだよ。後はスケジュールを決めて、各部署で受け入れ態勢を整えさせれば――」
打ち合わせが一段落し、休憩のため降りてきたらしい。電気ケトルで湯を沸かす間、カップ二つにパックのドリップコーヒーをセットしていた。
「中山がリフレッシュ工事をしてくれて万々歳だね。スプリントGⅠを今年はウチが全部引き受けるんだから」
夫はいたく上機嫌だった。
それもそのはず、例年スプリンターズステークスは中山レース場での開催である。それが、今年は中山のリフレッシュ工事のため中京にお鉢が回ってきたという訳だ。
春の高松宮記念、そして秋のスプリンターズステークス。春秋スプリントGⅠが中京で催されるという、十年に一度あるかないかの事態。それに娘のメイケイエールが出るとなれば、前のめりになるのも当然だった。
「あ、河削さんから何か話はあったかい?」
「ええ……一緒に来て下さる方も決まったって」
「それは良かった! これでもう詳細を詰めてくだけだね」
「そう、ね」
キッチンからコーヒーの芳香が漂う。トレーにカップ二つと角砂糖が入ったガラス瓶を乗せ、夫がリビングのテーブルまで運んだ。
「キサラはいつも通り、四つで良かったね?」
ウマ娘全般に言えることだが、キサラも甘めが好み。しかし、それどころではない彼女は上の空。目の前にカップが置かれていることにも気づかなかった。
「――キサラ?」
「え、あっ? ごめんなさい。えっと何だったかしら」
「もしかして、河削さんと何かあったのかい?」
キサラはハッとしながら顔を上げた。目線を合わせ、心配そうな顔の夫がいた。それにしても何故そのことを。しかしよくよく考えれば、この流れで気がつかない方がおかしい。
隠したところで意味がない。彼女は河削とのやりとりを洗いざらい明かすことにした。
「――自分がね、嫌になったわ……もう心底。エールや河削さんだけじゃない。あなたも、他の人も、一緒に前を向いて頑張っていこうって時に、脚を引っ張るようなことを言ってるんだもの」
カップに淹れられたコーヒーを覗き込む。そこには十三番目の魔女がいた。いばら姫に呪いをかけた忌々しい――招かれざる者が。
「親として失格ね、私……こんなネガティブなんだもの。あの子に合わせる顔がないわ」
視線を上げ、夫の顔を伺う。叱咤か失望か。そう思われても申し開きもできない。
「いや、それは大切なことだよ。むしろ素晴らしいと思うけどね」
しかし、夫が口にしたのはまるで真逆の言葉だった。キサラは目をまん丸にさせて凝視する。
「組織でもそうなんだけど、一つの目的に向かって皆で邁進するのは良いんだけどね。そういう時ほど、脚元や背後が疎かになってしまう……気をつける人がいなくなってしまうから」
カップを持ち上げ、ブラックコーヒーを静かに一口。
「君はレースの怖さを誰よりも知っている。だからこそ、気がつくこともきっとあるはず。もしエールが転んだり、躓きそうになった時は支えになってあげてほしいんだ」
「あなた……」
「キサラの仕事は誰にも真似なんてできない、とても立派なことだから。自信を持って、お互いにできることをしていこう」
諦めたからこそ見えるものがある。忘れたい記憶、そして経験がこのような形で役に立つとは。
「そうね。何ができるかまだ分からないけど、親がウジウジしてちゃダメダメね……ありがとう、あなた」
「君の助けになれて嬉しいよ。それじゃ僕は仕事に戻るから」
「ええ。お時間取らせてごめんなさい」
これくらい何てことないよ、と頬にキスをして夫が二階へ戻っていった。
果たして、自分にできることとは一体何があるのだろう。トレーニング関係は娘の方が知識、経験共に上。であれば、できるとしたら。
「……美味しいご飯を作ること、くらいかしら。本当に良く食べるから、あの子」
それが今思いつく精一杯。折角帰ってくるのだから、毎日腕によりをかけてご馳走を用意する。トレーニングで疲れた身体に染み入る食堂の夕飯。丼ご飯を何度お代わりしたことかだろうか。
封印していた暗い記憶の引き出し。その中には、小さくとも暖かく光る思い出がまだ残っていた。
「あら? ご飯、ご飯……?」
しかし何か忘れているような。キサラは顎に指を当てて考える。考えに、考えて……。
「あぁ゙っ! お米! いっけないわぁっ!」
大声を上げ、リビングから飛び出さん勢いで立ち上がった。米屋から届けてもらった米袋、それを玄関の外に置きっぱなしだったのを忘れていたのだ。ドタバタと慌ただしく走るキサラ。パワフルな彼女の動きは戸建ての家を大きく揺るがす。
――それは、二階で作業する夫が地震と間違え、デスクの下に身を隠すほどだった。
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そして来たる、七月某日の土曜日。
キサラは車を走らせて名古屋駅に赴いた。中学が夏休みに入ったメイケイエールの妹、アリサを伴って。
駅前で停め、車外で姿を見せるのを待つ。早朝ながら日差しは強烈なものだった。
「お姉様と会ったら、何を話そうかな……」
アリサはウマ娘ではなく普通のヒト。額に玉の汗を浮かばせながら、久々に会う姉に思いを寄せる。
一方、キサラはまだ踏ん切りがつかない様子だった。今や娘は世代屈指のスプリンター。自分が想像もできない高みに昇った者へ、どの様な顔で出迎えれば良いのか。
(エールちゃん……)
記憶にあるのは、まだ小さい頃のメイケイエール。おかあさま、おかあさまといつもベッタリで離れない。
「来た! お母様!」
アリサの声に意識が呼び戻される。顔を指さす方へと向けた。その先には、名古屋駅のビルから出たメイケイエールが。キャリーバッグを転がし、眼鏡をかけた小柄な女性記者と共に。
その姿はとても大きく、凛々しく、そして美しかった。
(あ……)
キサラは全てを悟る。最早自分の手の届く存在ではないのだと。自らの脚で立ち、力の限り戦う一人のウマ娘であるのだと。
「アリサちゃん」
隣にいるアリサに声をかける。その顔に雑念は小指の先程もなく、頭上の夏空に勝るとも劣らない清々しさだった。
「ふふ。娘の脚を引っ張る親なんて……真っ平ゴメンよねっ」
そして口元に手を寄せ、腹に力を入れて思いきり。
「きゃぁ〜っ! エールちゃんお帰りなさぁ〜いっ!! こっちよこっち〜っ!!!」
どこまでも突き抜ける黄色い声援。それが届いたのか、メイケイエールの耳がピクリと動いた。はにかみながらも手を振る彼女へ、キサラは上半身をありったけ使って手を振り返すのだった。
次から本編、シニア級夏:名古屋編となります。