地に堕ちぬよう、一人の少女がその身を捧ぐ――。
名古屋編その②です。
本当なら八月中に投稿したかったですが、諸事情により九月にずれ込んでしまいました。
まぁ何はともあれ、オリヒメ問題は解決へ、ということで。
人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html
それはまだ幼少の頃。太陽眩しく、夏休みの真っ只中。小学校低学年のソメイアケホシは親に連れられ、デイキャンプに参加していた。
所属するウマ娘のジュニアクラブを始め、近隣クラブ合同で催されている恒例行事。といっても、少し離れた
「……グスッ」
しかしグラウンドの隅、ぽつんと立つ木の下におかっぱ頭のウマ娘の少女が一人。グラウンドから見えないよう身体を木陰に隠し、走る皆を恨めしく睨みつけていた。
涙で潤む瞳に、口は悔しさにわななく。ソメイアケホシ――かつての彼女は泣き虫だった。
その木の元へ、二つの影が近寄っていく。鹿毛の髪を真っ直ぐ下ろした糸目のウマ娘と、
それに気づいたソメイアケホシは慌てて身を隠した。ハナから見つかっているのに、なおもじっとして息を潜める。
「ねぇ、あなた」
縮こまった背中に声が降る。
バレてしまった。サボっていると怒られるかもしれない。嫌だ、帰りたい。帰ってお友達と走りたい。
「どうして走らないの? もしかしてケガしたの?」
ソメイアケホシは恐る恐る顔を上げる。心配そうに覗き込む、糸目のウマ娘の顔がすぐそこにあった。
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白い巨塔
愛知県名古屋市某所、メイケイエールの実家前。一台のタクシーがすぐ近くに停車する。後部座席に人影が二つ、停車と同時にいそいそと動き始めた。
ドアが開き、いの一番に出たのは――脚だった。朱いラインが入った白のプリーツスカートがはためき、きめ細やかな肌が日の光で輝いて白絹の如く。しなやかでありながら、柔肌の下には強靭な筋肉が隠されていた。
「ありがとうございました。料金は――」
美脚の持ち主は栃栗毛のショートボブ――カクトサンゴ。車内に残るもう一人はソメイアケホシ。今まさに会計を終えようとしていたところだった。
お釣りを受け取り、領収書も忘れずに。二人は走り去るタクシーに向かって頭を下げる。
「……さて、ここが件のお嬢様のご自宅ですか」
降りしきる蝉時雨に鋭い日差し。カクトサンゴは額に
「カクト先輩。あまりジロジロ眺めるのはよろしくありませんわ」
そして、隣に立つソメイアケホシは紙袋を携えている。手土産として用意した茶菓子であるが、今日は遊びに来た訳ではない。
「分かってるって。あの企画の詳細を聞こうってんでしょ」
メイケイエール自らが持ってきた、中京レース場のコースを開放しトレーニングを行うという話。旨味は名古屋側にもあるものの疑問点もまたあり。今日はその話を聞くために訪れた次第である。
「その通りです。あの方の真意を――問いましょう」
二人は門にあるインターホンの前に並ぶ。ソメイアケホシが指を伸ばす――が、直前でピタリと止まってしまう。
「どうしたの?」
「いえ、考えてみればご実家に乗り込む訳ですから……」
ソメイアケホシは気が気でならなかった。メイケイエールが待ち構えている中、たった二人で行かなければならないのだ。
「手土産がこれっぽっちで良かったのかと」
茶菓子の紙袋を提げた手を上げる。中身は甘納豆の詰め合わせ。名古屋でも有名な和菓子屋
「え、そっち?」
「だって初めてお訪ねするお家ですよ? 何ともあれ、失礼があってはいけないではないですか」
「気持ちは分かるけど、それ今言う?」
「カクト先輩は考えなさすぎですわ。そもそも――」
話合いに関する懸念と思っていたカクトサンゴは拍子抜け。インターホンを目の前にして、二人してきゃあきゃあと言い合いが始まってしまった。
後ろからこっそり来る人に、まるで気づかないまま。
「――あら、お客様かしらっ?」
「「!?」」
ビクリと耳が立ち、尻尾の毛が逆立つ。
楽しげな気配が急転直下、凍てついた太陽が落ちてくるほどに寒々と。
お客様という言葉からして、この家の関係者だろう。尻尾を脚の間に巻き込みながら、恐る恐る振り向く二人。その先に居たのは。
「あらぁ後ろから急にごめんなさいね。驚かせちゃったかしらっ?」
異様に背が高い、白毛のウマ娘だった。
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彼女は目一杯詰まって重そうなエコバッグを両手に持ちながらも、まるで苦にもしていない様子。背格好からして成人には違いなさそうだ。しかしメイケイエールの姉か、親か、それ以上は分からない。
元々上背があるカクトサンゴには、相手のニコニコとした微笑みが見えていた。しかし背が低めのソメイアケホシの視線はというと。
――それはそれはもう、筆舌に尽くしがたい光景だった。
自身の頭部と同サイズの物体が二つ、視界の正面やや上にそびえる。その圧倒的な質量はニットがはちきれんばかりであり、万有引力ですら歯牙にもかけない。得も言われぬ無言の迫力を前に、ソメイアケホシはただ叫ぶ他なく。
「でっっっかっっっ!!!!」
それは魂の咆哮。
そうそう見かけることのないサイズに、理性よりも本能が勝った。ソメイアケホシの視界における割合は胸七割、顔二割、そして空が一割。最早、ソレだけしか見えていないという状況である。
「その可愛い制服、もしかして名古屋トレセンの生徒さんかしらっ?」
二、三秒置いて、カクトサンゴから肘で小突かれた。
「――はっ。あ、え、私共は……」
宇宙の彼方から意識が身体に帰還する。ふらつく心身を整え、鼓動を落ち着かせ、優雅に一礼。
「……私共は名古屋トレセンから参りました。メイケイエールさんとお話するお約束をしておりまして」
これにて一旦仕切り直し。胸のサイズで取り乱すなど淑女にあるまじき振る舞いである。
「あらっ、エールちゃんのお友達ねっ? こんな暑い中にわざわざ……大変だったでしょ?」
「いえ、こちらからお願いしましたので。お気遣いありがとうございます」
友達という間柄では決してない。しかしそこは話を合わせなければ。
口ぶりや雰囲気からして母親のようではある。メイケイエールの背丈やプロポーションは均整の取れた、ごく自然なものだった。母娘でこうまで違うというのも珍しい。
「さぁさ、今開けますからっ。早いとこ涼しいお部屋にご案内しますからねっ」
白毛の女性はカードキーで門を開け、ソメイアケホシとカクトサンゴを招き入れる。家の中に何も伝えずに入って良いものかと思いつつも、今となっては時既に遅し。
門から家の玄関までは石畳の道が続く。職人の鋏で整えられた植木も並び、中央のウマ娘は富裕層が多いという噂を思い知る。
「……あの人がお母さんってこと?」
隣のカクトサンゴが声を潜める。
「恐らくは。なかなかお元気なお方で……」
ここまでバイタリティに溢れる女性は見たことがない。初対面ゆえこちらが勢いに負けているだけで、悪い人ではないのは間違いない。
「エールちゃぁ〜ん! 今帰ったわよぉ〜っ!」
カラリと玄関の引き戸を開け、真っ直ぐ通る声を家の中へ飛ばす。声楽の経験でもあるのか、家の隅々まで届きそうなほどに力強い。
「は〜い!」
程なくして奥から返事が届いた。ひとまずソメイアケホシは一歩下がり、紹介されるのを待った。
「お帰りなさい!」
引き戸の影となり、彼女の位置からは中は窺えない。声が弾んでいるあたり、母親を待ちわびていた様子。
「ただいまエールちゃんっ。ちょうどね、門にお客様がいらしてたから一緒に来てもらっちゃったわっ。さ、どうぞお入りになってっ」
直々のお呼ばれ。
「お邪魔いたします――」
背筋を伸ばし、ソメイアケホシを先頭に玄関を潜った。
「名古屋トレセン生徒会さんのお二人よっ」
外から続く土間に板張りの小上がりに、ちょっとした小部屋の広さがある玄関ホール。
そこにメイケイエールがいた。両手を前に姿勢正しく、さながら舞台に立つ俳優の如く。
「本日はよろしくお願いいたします。こちらは副会長のカクトサンゴです。高等部三年、私の先輩ですわ」
簡単に紹介されたカクトサンゴが軽く会釈する。これにて面子が勢揃い。
「ようこそおいで下さいました! さ、こちらです」
メイケイエールに招かれ、二人はその一歩を踏み出した。緊張で尻尾が落ち着かない。いよいよ相手の本丸に乗り込んだのだと、ソメイアケホシは先行く背中を無意識に睨みつけていた。
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待ちに待った名古屋トレセンのお客様。メイケイエールは二人をリビングに通し、テーブルを挟む形で席に着く。ホスト役として失礼がないよう、微笑みを絶やさずに。その姿は正に堂に入るものだった。
しかしながら、その内心はというと。
(どどド土ど℃どDoどうしましょう……!)
思考の糸が
二人を通したのは良し。同席する高木を紹介し、わざわざ持参してくれた茶菓子も受け取ったのも良し。しかし問題なのはそこから。
ソメイアケホシの落ち着きっぷりには感心しきり。
隣のカクトサンゴも、一つ上とは思えない雰囲気を醸し出している。背筋が伸び、スラリと切れ長の瞳は大人そのもの。これでスーツを着ていたら、間違いなく社会人と思ってしまうことだろう。
「メイケイエールさん。この前いただいた件のお話ですが」
ソメイアケホシが切り出す本日の話題。それは中京レース場のダートコース開放の件。
「は、はいっ。詳細をお聞きしたいということでしたが」
ざわつく心を抑えながら尋ねる。名古屋トレセンから戻ったその日の内に、連絡が来た時は小躍りしたのだが。しかし事が上手く運びすぎるのも、かえって心配の種なのである。
「率直に申しまして、名古屋としても前向きに検討したいと思っております」
落ち着き払った彼女の言葉に、ひとときの安堵が訪れる。しかしまだ続きがあった。
「だからこそ、お尋ねしたいことがありますの」
「……何を、でしょうか」
内容に不備があったのか、それとも他の要因か。メイケイエールは前のめり気味になりつつも、相手の話を聞くことにした。
「何故貴方が、ということですわ」
ソメイアケホシは落ち着いた口調で続ける。
「貴方は重賞タイトルを持つ程の実力をお持ちですわ。本来なら、この時期はレースか、あるいは合宿なり行くはずでしょうに。ですが企画の宣伝をわざわざ名古屋トレセンへ……何か意図があってのこととしか思えません」
非難するような口振りではない。彼女の眼差しは真実を確かめようと、ひたすら真っ直ぐに。そこには揺らがない決意が見えた。
メイケイエールは思う。相手が求める物を出さなければ失礼にあたる。隣の高木に視線を向けると、小さく頷き返した。
「分かりました。隠さず、お話ししますね」
これまでの経緯を、簡潔に二人へ説明する。
トレーナーである河削が病に倒れ、合宿の参加が不可能になったこと。起死回生の策として中京レース場のコースが使えるようになったが、代わりに幾つかの課題が出されたこと。
そして、その課題の一つが――。
「……なるほど。GⅠ出走登録の条件に、誰かと合同でトレーニングを行わなければならないと」
「はい。フリースタイルで活動されてる方を探すより、近い環境の方を探す方が早いと思いまして」
本来なら中央で活動しているウマ娘を探すのがベストである。しかしチームで活動していない以上、個人の都合だけで名古屋に釘付けにさせるのは不可能。そうなると、自然と目が向くのは地方所属のウマ娘となる。
「仰りたいことは分かりました――要するに。私欲の為、私達名古屋を利用するだけ利用する、ということでよろしいですか?」
ソメイアケホシの一言に、この場の空気が固着した。誰も何も言葉を発さず、息詰まる空間でただ相手の出方を窺うばかり。温かい色味の家具が寒々と、冷え切った鉄のようになっていた。
「私が、名古屋を……」
その沈黙を、メイケイエールが崩した。
「はい。その通りです」
場違いなまでに明るい声で、明瞭に返答する。
「私欲も私欲、それ以外に言いようなんてありません。だって私もそう思いますから」
この場の誰もが彼女を見る。予想していなかった回答に、質問したソメイアケホシですら目を丸くさせていた。
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「お恥ずかしながら、後がないんです。次のGⅠが獲れないと、多分もう……だから、今は私自身のことしか」
それに、ありとあらゆる物を賭してくれた河削のためにも。生半可で終わらせる訳にはいかないのだ。
「なので手段は選びません。選べません。何としてでも前に進むため、申し訳ありませんが名古屋トレセンを利用させていただきます」
メイケイエールは深々と頭を下げた。これがエゴだということは重々承知。恥も外聞もかなぐり捨て、必要とあらば土下座でも何でもする覚悟だった。
姿勢を正しながら頭を上げると、ソメイアケホシが口をへの字にして小さく唸っていた。彼女の眉が地面でのたうつミミズの如く動いている。
「……ま、そうまではっきり言われるとね。返す言葉もなくなるかな」
代わりに口を開いたのはカクトサンゴだった。低いハスキーボイスが耳に心地よい。
「で、どうする? おソメ」
しかめっ面のソメイアケホシとは真逆に、笑みすら
「カクト先輩、人前でその呼び方はおやめくださいと何度も」
「話が続かないでしょ。さ、どうするの。おソメ?」
さり気なく抗議を無視され、むむむとハの字の眉で唸っている。副会長と書記という役職もあるだろうが、二人の力関係が如実に現れていた。
「……仕方ありません」
ソメイアケホシの顔からトゲトゲしさが抜ける。
「変に取り繕われるよりよっぽど潔いですわ。その方が後腐れもありませんし」
肩からも力みが抜けて自然体に。拍子抜けしたかのような雰囲気である。
「正直な所、私達も退っ引きならない状態ですから。とある方が……いえ、ヒメ会長が引退に追い込まれようとしておりますの」
「オリヒメさんが!?」
そのような中、ソメイアケホシからもたらされた情報は衝撃的だった。何百ものレースを走り、生徒会長をも務めるオリヒメの走る意欲が尽きかけているという。
「あの御方は疲れ切ってしまっています。私とカクト先輩が隣で寄り添っても立ち上がれないほどに……」
彼女は瞳を伏せた。多くは語らないが、そう陥ってしまう何かが起きたらしい。同じくカクトサンゴも何も言わないが、唇を結んで悔しさが滲み出ていた。
「ですので。貴方が私共を利用して走ると仰るのなら、私共も走る貴方を利用させていただきますわ。ヒメ会長に……立ち直っていただくために」
「ということは、受けていただけるのですね?」
「はい。ヒメ会長の裁決が最終的に必要となりますが、この三人で説得すれば通るはずですわ」
それぞれの目的の為に互いを利用し合う。利害が一致した状況である。
「ありがとうございます! お互い力を尽くしましょう!」
これで大きく話が進められる。重い鉄の扉が半分まで開き、もう一息という所。メイケイエールは勢いよく立ち上がり、その手をソメイアケホシへと差し出した。
喜びのあまり大きく開いた手。しかし、相手は差し出された手をじっと見るばかり。
「おソメどうしたの? 折角話がまとまったんだから」
「あ、いえ……」
カクトサンゴからも追及され、おずおずと自らの手を出す。それでも手を握ろうとはせず、開いた掌に目を落とした。
メイケイエールは手を差し出したまま、相手が迎え入れてくれるのを待つ。握手に難色を示したのにはきっと理由があるはず。彼女はそう確信していた。
ややあって、申し訳なさそうにソメイアケホシが口を開く。
「……手汗が、あの。掌が汗まみれでして。御手を汚してしまうのではないかと……」
頬を染め、相手を窺う上目遣い。これまで凛然としていた彼女が、年相応の顔つきとなる。
憧れの人を救うため、どれほどの重圧と戦っていたのだろう。その片鱗が垣間見え、メイケイエールは手を更に前に出した。
「人の為に流す汗が汚いはずなんてありません。さあ、ご遠慮なく」
その為に流した汗ならば、忌諱するなどとんでもない。一粒一粒に宝石に勝る尊さと価値がある。ましてや彼女はこの中では一番年下。悩めるオリヒメを前にし、心を痛める日が続いていたに違いない。
これまでの威勢からは想像できないほど、ソメイアケホシは弱々しく手を伸ばす。一瞬でも躊躇えばこれまでの努力が水の泡となりそうな危うさである。
最上級の敬意をもって、計り知れない労をいたわる。
メイケイエールは儚げに、か細く震える手を握った。強く、それでいて優しく、両手で包み込むように。
「今まで力を尽くされてきたのですね。これからは私もいますから、ね!」
その瞬間、ソメイアケホシの瞳が色めく。手の強張りが解け、おずおずと握り返す。
「お……」
空を覆う黒く厚い雨雲が裂け、切れ目から陽光が差し込んだ。暖かい日差しは、ぬかるんだ大地を往時の姿へと戻してゆく。
「お姉様とお呼びしても……よろしいでしょうか……」
メイケイエールと名古屋トレセン生徒会が結び付いたこの日。そしてまた、彼女がソメイアケホシの『お姉様』となったのであった。
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星
後日、メイケイエールは再び名古屋トレセンを訪れた。今回はお忍びでなく正式の訪問である。目的は――名古屋トレセンから参加者を募る許可を、生徒会長オリヒメから得ること。
ここで約束を取り付けておけば、ちゃぶ台をひっくり返されることもない。ソメイアケホシとカクトサンゴの協力の元、最後の仕上げという段階である。
「そう。貴方がこの資料を」
冬以来、オリヒメと再会。しかしテーブルを挟んで向き合った彼女はまるで別人の様相だった。
「……ええ、はい」
頬がやつれて見るからに生気がなく、髪も毛先が乱れたまま。記憶の中の姿から一回りは小さく、本当に彼女なのかとにわかには信じられなかった。
「では今回の、中京レース場の企画についてご説明を――」
オリヒメはテーブルの上の資料に目を落とす。だがページを開くこともなく、ただ表紙を見つめるばかり。そして次の瞬間、予想だにしない一言が彼女の口から飛び出した。
「別に良いわ。とりあえず適当に進めて頂戴。私の判が必要なのでしょう?」
「えっ……!?」
我関せずと言いたげな、投げやりの態度に思わず声を上げるメイケイエール。元々はソメイアケホシらの援護を受けながら、企画の内容を説明し承認を得る予定だった。
しかし現実は、中身を見ることなく承認すると。
「ヒメ会長! それではあまりにも……!」
「そうよヒメ。生徒会として正式に承認が必要なものなんだから」
慌てたのはソメイアケホシらも同じく。資料は事前に渡していたらしいが、この様子だと事前に検めているかも疑わしい。
「なに、変な顔して。どうせ私はお飾りの生徒会長じゃない。別に何でも構わないわ。二人で好きに進めれば良いでしょう?」
「それにしても貴方も大変ね。メイケイエールさん――」
本当にオリヒメなのか。姿形を似せた別人なのではと思わせるほど、彼女は抜け殻となっていた。凛とした佇まいも枯れ果て、残されたのは無気力な外面のみ。
「何の御用かは知りませんけど。わざわざ、こんな地方の
自嘲気味に笑うオリヒメに言葉を返せなかった。返事に困ったのもあるが、メイケイエールの中のイメージと
ガタッ!!
突如としてソメイアケホシが立ち上がった。椅子を蹴飛ばす勢いで、顔が俯き、垂れた髪が横顔を隠す。
「おソメ。お客様の前で失礼よ」
彼女は肩を震わせながら耳を絞る。
「失礼なのは――」
上げた横顔は力一杯に歯を食い縛っていた。瞳は怒気に満ち満ちており、涙がうっすらと滲んですらいる。
「失礼なのは! ヒメ会長の方ですわ!!」
呆気に取られるオリヒメに構わず、尚も彼女は
「お姉、メイケイエール様にだけではありません! 名古屋なんかにと、皆を……名古屋トレセンの長であるヒメ会長が侮辱なさったのです! 許されることではありません!!」
あまりの激昂ぶりに、誰も一言も発せない。ただ小さく、ソメイアケホシのしゃくり上げる声が生徒会室に響く。
「申し訳ありません……少し頭を冷やして参ります」
「あっ、おソメ!?」
逃げ出すも同然に飛び出していったソメイアケホシ。残された三人は、ぽかんと口を開けてその背中を見送ることしかできなかった。
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特に、大きな衝撃を受けたのはオリヒメの模様。これまで盲目的に付き従っていた下級生が、突然激烈に批判を繰り広げたのである。
「おソメ……あの子、どうして……」
しかしメイケイエールは何となく理解できた。信頼を寄せた者への落胆、失望、憤怒。つい最近、それらの感情に支配された身であるが故、ソメイアケホシの気持ちが身に染みたのである。
「オリヒメさん、すぐに追いかけてあげてください」
「追いかけるって……?」
「必要なんです、あなたの言葉が。さあ、急いでください!」
だからこそ、この後に何をしなければならないのかも。オリヒメに強く促し、ふらふらと頼りなくも出ていく背中を見送った。
生徒会室に残されたのはメイケイエールと、横で一部始終を静観していたカクトサンゴの二人のみ。
「……妙に」
その彼女が興味津々といった様子でメイケイエールに視線を送った。
「入れ込むね、あの二人に。どうして?」
「そんな特別な理由は。ただ、互いに伝えるべきことを伝えないと、手遅れとなってしまいますので……後悔してほしくなくて」
それは自身の苦い苦い経験から。同じ思いを、他の誰にも経験してほしくなかった。ほぼ咄嗟の行動だったが、間違っていないと確信していた。
「そうだね。私もそう思う」
ひとしきり納得しながら、カクトサンゴは立ち上がった。スラリとした立ち姿に、改めてモデルもかくやというプロポーションだということを思い知る。
「じゃ、私達も追いかけようか」
白い歯を覗かせ、彼女が微笑む。しかし重大な問題が一つあった。
「賛成です。ですが、お二人はどこに行かれたのでしょうか……」
ソメイアケホシもオリヒメも、当然ながら行先を告げずに飛び出している。広い学園内の何処に行けば良いのか、メイケイエールには見当がつけられなかった。
「ああ、それなら大丈夫。こういう時、おソメは人気のない隅っこに行きたがるから。今時分なら、そうね――」
カクトサンゴは視線を天井に向けた。蛍光灯が規則正しく並ぶだけの光景だが、彼女にはそれ以外の何かが見えているらしい。
この三人は切れない糸で繋がっている。透明で、太くかつしなやかな糸によって。きっと二人は大丈夫。強い結び付きを感じながら、メイケイエールも腰を上げたのだった。
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「どうして走らないの? もしかしてケガしたの?」
ギラつく日差しの下、糸目のウマ娘が問いかける。ソメイアケホシは膝を抱えて座ったまま、ただ首を横に振った。
「気持ちわるい?」
首を横に。
「疲れちゃった?」
また首を横に振る。
ふぅんと鼻息を漏らしながら、糸目のウマ娘は覗き込んだ上体を起こした。
「じゃあ、どうして?」
理由を尋ねている間に、栃栗毛で短髪のウマ娘もソメイアケホシの元に。しかし彼女はなおも膝を抱えて座り込んだままである。
「ねえ。この子どうしたの?」
「走りたくないんだって」
「ふ〜ん」
幼い二人組は良い手立てを打てず、その場に立ち尽くす。何を聞いても首を振り、走りたくないと繰り返すばかり。
しかし、ソメイアケホシは嫌だった。
「……イヤなの」
ただのワガママで拒否していると思われるのが、どうしても嫌だったのだ。
「みんなはやくて……わたしも、お友達とのかけっこならずっと一番だったの、に……」
地元の友達との走り比べでは常に一番。しかしここではどうだ。一着や二着どころか、影すらも踏めずに最下位も珍しくなかった。
――挫折。
幼心にその感情は理解できなかった。生まれて初めての挫折に心が揺れ、訳も分からずに打ち震えることしか。
「おねえちゃんたちは、イヤじゃないの? 一位になれないのに……」
どれほど走れども遠いゴール板。必死になってゴールに到達しても、既に他の皆は脚を休めている。実力の差を嫌になるほど味わわされてしまったのだ。
「私はぜーんぜん? 気にしないけど」
しかし、糸目のウマ娘はあっけらかんとして答えた。予想外の内容に俯いていた顔を思わず上げる。
「順位なんて大人が決めたことでしょ? 私も一位になれないことも多いけど、そんなのぜんぜん。思いっきり、めいっぱいに走るのが大好きだから」
「笑いながら走ってるもんね」
「だって楽しいんだもん」
走るのが大好き。順位などお構いなしに、ただ自分の力を出し尽くすことが至上なのだと。短髪のウマ娘と
「あなたは走るの、キライ?」
嫌いなはずがない。
「……すき」
ソメイアケホシは小さく頷いた。結果など考えず、好きなだけ走れたらどれほど楽しいだろうか。
「じゃあいっしょに走ろう。三人で!」
糸目のウマ娘が差し出した手を握り、優しく引っ張られながら立ち上がる。怖くはない。少し不安はあるが、目の前の二人と一緒ならきっと大丈夫。不思議とそのような気がした。
「わたしはオリヒメ! 織姫星のオリヒメなの。この子はカクトサンゴのカクちゃん。あなたは?」
手を力強く引っ張られる。立ち上がってもその手は握ったままだった。
「アケホシ。ソメイ、アケホシ」
「ならソメちゃんかな。ソメちゃんでいい?」
「さっきまでメソメソしてたし、メソちゃんじゃない?」
「そんなのダメ! かわいそうでしょ!」
横から茶々を入れてきたカクトサンゴをぴしゃりと抑えるオリヒメ。呼び名は何でも良かった。不安に震える手を握ってくれる人がいてくれるだけで、こうまで心安らかになろうとは。
「ごめんねソメちゃん。カクちゃんイジワルしちゃって」
「イ、イジワルじゃないよぉ……ごめんね」
いいよ、と小さく返事をする。立ち直る兆候を見て取った二人は顔を見合わせ頷いた。
「じゃあソメちゃん、行こう。私たちも着いていくから」
「三人で走ればね、何でもへっちゃらだよ!」
ソメイアケホシの前には、優しく微笑むオリヒメと、やんちゃに歯を覗かせるカクトサンゴ。曇るばかりだった顔に、ようやく日差しが差し込んできた。
「よぉし、じゃあみんなのとこまで競争しよう! スタート!」
同意を得るよりも早く、言い出しっぺのカクトサンゴが抜け駆けである。
「あっ! ズルいんだぁ、もう……ソメちゃん、一緒に追いかけよう。できる?」
「がんばってみる……」
「ツラかったら私の背中を見て。私はず〜っと、走ってるから!」
引っ張るかのように、オリヒメが先に駆け出す。地面を一蹴り一蹴り、進みながら見るのは小さくとも大きい背中。
この瞬間、ソメイアケホシの心にはオリヒメというウマ娘が強く刻み込まれた。
あの方は太陽であり、月であり、闇夜に道を照らす
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不朽不滅の輝きを
「あの、どちらに?」
メイケイエールは早足で歩くカクトサンゴの後ろをついてゆく。頼みの綱は、ズンズン突き進む栃栗毛のウマ娘。それにしても彼女の歩みには一切の迷いがなかった。
「屋上! 一部だけど開放されてる区画があってね。おソメは多分そこかな」
振り向くカクトサンゴの表情は自信満々である。言葉にせずとも行き先が分かるという、山よりも高く海よりも深い関係。よほど長い時間を一緒にしていたのだろう、メイケイエールは少し羨ましさを覚えた。
屋上へ繋がる階段を登り、やがて両開きの頑丈な扉の前に。嵌め込まれた網入りガラスの向こうでは、
「……いましたか?」
扉にへばりつき、横目で外を窺うカクトサンゴ。彼女は口元に人差し指を立て、静かにとのジェスチャー。ゆっくりドアノブに手をかけ、細心の注意を払って静かに開けた。
「――お願いおソメ。お願いだから落ち着いて」
隙間から漏れる、オリヒメの懇願する声。どうやら予想は的中した模様である。
扉は更に開かれ、普通に身体を横にして通れるほどに。屋上にはソメイアケホシとオリヒメの二人しかいなかった。降りしきる鋭い日差しを物ともせず、お互い向き合い対峙している。
「ご心配なく。もう落ち着きましたわ」
「良かった。でもどうしてあそこまで……確かに
眉を吊り上げるソメイアケホシの一方、オリヒメは困惑の表情。何が彼女の逆鱗に触れたのか、必死に探ろうとしていた。
「それは、ヒメ会長が諦めていらっしゃるからです。何をしても上手くいかずにヤケになられて。そのような御姿、このアケホシは見たくありません」
オリヒメは真っ赤に充血する目を前にし、立ち尽くすばかり。学年も立場も上のはずだが、気圧されているのは明らかだった。
「多少負けが
ソメイアケホシは真っ向から思いの丈を打ち明けていた。
幼少から何十、何百とレースで走って来たであろうオリヒメである。
それは余人を以て代えがたい偉業。想像にも及ばない世界であり、数多くの労苦を経験してきたに違いない。
「おソメ……」
オリヒメの表情が陰る。わずかながら、苛立ちに気色ばんだようにも見えた。
「レースに出る以上は結果を残さなくてはならないの。それは言うまでもなく当然のことでしょう? まるで出走するだけで十分みたいなそんな下らないこと、誰が言ったかは知らないけど――」
忍んで二人を見守るメイケイエールの心中に至るものがあった。レースに出て、勝って、皆の期待に応えて。
では勝てなければ?
失望され、そっぽを向かれ、やがては立ち去るのみ。レースに出るのならば勝つことが至上である。それが自らに寄せられた期待なのだと思っていた。
思っていたのだ。これまでは。
「誰が言ったかと、仰る!」
ソメイアケホシの食いしばる歯が軋み、獣の唸り声のような音を出す。
「それは貴方が! 私に、諦めようとしていた私に! かけてくれた言葉ですッ!!」
「私が、そんなことを……?」
「忘れてしまったのですか!? 小さい頃に参加したデイキャンプで、初めてお会いした時のことを!」
「……まさか、おソメ。そんな昔の」
オリヒメはハッとしながらも、戸惑い気味に半歩後ずさる。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
二人の認識が繋がったようだ。しかし感情の奔流は止まらない。誰にも止めようがなかった。
「そうですとも! あの時、私は救われたのです。そして、あの方の背中をずっと追いかけていたいと……だから」
「だから、私があんな態度を取ったことが気に入らなかったと、そういうことなの?」
「多少はあります。ですが、本当の所はそこでは……」
「その気持ちは嬉しいけど、買い被りすぎよ。私は走ることしか取り柄のない、
オリヒメが言葉を遮り、
「いいえ、私はそうは思いません! ヒメ会長は誰よりも強く、そして美しい御方! でなければ、今までレースを続けられたのは何故ですか!」
しかしソメイアケホシはその逆を。
「たとえ記憶から消えていても、心までは容易には変わりませんわ。ヒメ会長の御心は、初めてお会いした時の頃から、何一つとして変わってはおりません!」
熱烈に、時折語気を荒げつつも。彼女は憧れの人がまだ燃え尽きていないと信じ、必死になって風を吹き込もうとしていた。
「私は見ていたいのです、走るヒメ会長の御背中を! これは
自らの命すら捧げそうな勢いに、メイケイエールは息を呑んだ。一人のウマ娘に身も心も捧げる姿勢には圧倒と言う他ない。
そして、わずかながら嫉妬心も芽生えた。こんなに想ってくれる人がいるのに無碍にするだなんて。リコンスタが殴りつけた心情が今更ながら理解できた。
もし彼女に言ったら一笑に付されるかもしれないが。
「どうか、どうか……! ヒメ会長の走る御姿を! 私に、わたしにもう一度……っ!」
ソメイアケホシは膝から崩れ落ち、人目を
彼女の激情を誰が否定できよう。少なくとも、メイケイエールにはできなかった。それはオリヒメも同じく。困惑しきり、返す言葉も見つからず、その場で立ち尽くす他なかった。
「ヒ〜メ、観念したら?」
暑く重い空気を切り裂いたのはカクトサンゴだった。扉の前で静観していた彼女が、ソメイアケホシに歩み寄って肩を抱く。
「十年来のガチ勢のファンがここまで言うんだから。上手くいかないからって、いつまでもぶーたれてる場合じゃないでしょ? 私とヒメは来年で卒業なんだから」
「私は別に、不貞腐れてなんか……」
「じゃあやりなよ。やらずに終わるより、やって終わる方がスッキリするじゃない」
オリヒメの耳が後ろに向いた。絞る程ではないが、眉間にも皺が寄っている。少なくとも不機嫌であることには間違いなさそうだ。
「二人して、本当に勝手なことを言うのね」
もしやもう一波乱か。これ以上事が拗れたら、生徒会の分裂もあり得るかも。そうなれば企画どころではなくなってしまう。
ハラハラしながらメイケイエールは成り行きを見守った。
「――まったく、本当に」
しかし、オリヒメの耳が前へ向けられた。
「本当に、どうかしてたわ」
険のあった顔つきも元通りに。むしろ憑き物が取れたかのような清々しさだった。
「おはよう。お目覚めはいかが?」
「悪夢を見てたわ……可愛い後輩を泣かせるほど心配させた悪いウマ娘の夢」
まだ状況が掴めず、呆然とするソメイアケホシ。涙と鼻水と涎に塗れた顔をただ上げるのみだった。
その彼女の頭に、ふわりと掌が優しく舞い降りる。歩み寄ったオリヒメの手だった。愛おしそうに、耳と耳の間を撫でてゆく。
「確かに、言われたまま終わるのは癪ね。私にだって意地くらいあるもの」
「ヒメ会長……」
ソメイアケホシの顔がパッと、明かりが灯る。いや、それ以上――豪華絢爛、極彩色のネオンサインが大照覧。スカートのポケットからハンカチを出し、様々な汚れを綺麗に拭い取る。遂に、彼女の献身が実を結んだのだ。
そして、オリヒメは腰を上げ、メイケイエールの方へ。
「色々と、お見苦しい所を見せてばかりでしたね。名古屋トレセンとして、貴方のお話に乗りたいと思いますが……よろしいですか?」
「もちろんです!」
オリヒメ自身の口から満を持して飛び出す、聞きたかったその言葉。先程までの無気力さの面影は欠片もなく、正に万感の思いである。
「カクさん、おソメ。生徒のグループチャットに呼びかけて頂戴。それと各トレーナーにも連絡を。七月も終わりだけど、興味を示す娘が必ず居るはずだから」
「了解。すぐに出しとくよ」
「……このソメイアケホシにお任せくださいませ!」
メイケイエールの目にも、彼女の知るオリヒメが戻ってきたと実感する。とにもかくにも、ようやくこれで話が進められる。
「詳しい話は部屋に戻ってからにしましょう。ここでは暑すぎて」
「良いねぇ。ついでに
「ぅッ……まぁ、文句は言えません」
「カクト先輩、少しご無体ではありませんか?」
「人にアレだけ苦労させといて、一人涼しい顔とかちょっと
「いいのよおソメ。甘んじて受けるから」
軽妙洒脱な会話が三人の間で繰り広げられる。この雰囲気こそ、名古屋トレセン生徒会の本来の姿なのだろう。
ふと、ミロワダーレとリコンスタの顔が浮かんだ。二人は夏合宿で何をしているのだろうかと思いを馳せる。できるのならば声を聞きたい、話したい。
「あ、メイケイエールさんも遠慮しないで。めっちゃ高いの頼んでいいからね」
「そうです! お姉様にもその権利がお有りですわ!」
「お手柔らかに……えぇと、おソメ? 随分仲良くなっているのね……」
しかし今はまだ。心のタガを緩めるのは、まだこの時ではないのだから。
次はトレーニング&レース場のお仕事の話、みたいな感じを予定してます。