彼らは必ずそこに居る――。
名古屋編その③、トレーニングとレース場の仕事編。
バ場整備等の各業務ですが、情報が少なく細かい内容は想像で書いています。ウマ娘なので人間サイズに置き換たらこういう感じかなと…なので、わりといい加減かもしれません。
人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html
風の中の綺羅星
空は群青に澄み渡り、ぽっかり浮かぶ純白の綿雲がゆるゆると流れゆく。いつにも増して燦々と輝く太陽が、アスファルトを溶かしかねない熱を大地に止めどなく送っていた。
呼気すらも灼熱となる夏の盛りである。しかしながら、愛知県は豊明市、中京レース場。ここだけはまた別の熱気が渦巻いていた。
――ドドドドド!
大地轟く鼓動。
「良いよ、良い調子! そのペースで!」
力強い声援が熱気の壁をも突き破る。声が届いた先には疾走するウマ娘の集団がいた。
その内の一人、長い鹿毛の髪に青と緑のトレーニングウエアの娘。集団の真ん中程で、流れに負けないよう歯を食いしばる。
(脚が、取られる……っ)
メイケイエールその人である。
名古屋側の体制もオリヒメらの尽力で無事に整った。複数のチームが参加を表明してくれ、現時点での参加人数は十数名に至った。レース形式のトレーニングも可能となり、河削の課題の一つに満額回答を果たしたのだ。
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直線に向き、彼女は周囲を窺う。右も左もダートに慣れた名古屋トレセンのウマ娘達。間違いなく、一歩二歩立ち遅れているのを肌身で感じていた。
模擬とはいえレースはレース。詰まった前をかわすべく、後方に気を向けながら進路を外へ。しかし、路面に脚を取られ進みが鈍い。
(……くっ!)
時間にして一秒未満。僅かな
「ふーっ……」
息を整えながら、額に流れる汗を手の甲で拭う。
不得手とはいえ、レース感覚が鈍っているのかもしれない。スプリントは一瞬の迷いや遅れが致命的となるというのに。
「トレーニング、少し考えないと……」
次の組が走ってくるため、速やかにゴール前から移動する。河削はまだ療養中の身。自分のことは自分で考えなければならず、これはなかなか大きな問題である。
「調子出なさそうね。ダートは苦手?」
渋い顔で考えていると、横を通りがかったカクトサンゴが声をかけた。彼女はもちろんのこと、オリヒメとソメイアケホシはほぼ毎日参加予定となっている。
生徒会が率先して手本を示すといつ方針らしい。名古屋側に顔が利く人物が常にいるのは頼もしい限りである。
「それもありますけど……もう少しポジション取りに強くなれればと。当たり負けしないように」
競り勝つ為のフィジカルとメンタル。それらの強化が
「ふーん、そうね」
カクトサンゴは他の生徒と同じく、橙色のトレーニングウエアに身を包む。名古屋城名物、金シャチの色を模しており、一人違うウエアのメイケイエールは一際目立っていた。
「体幹とか、脚腰の粘り強さが大切じゃないかな。当たり負けるってそういうことじゃない?」
カクトサンゴの主戦はスプリントとマイルとのこと。しかし2000メートル以上も出走経験があるという、なかなか手練れのウマ娘である。
それだけに、彼女の言葉には確かな説得力があった。
「なるほど、下半身ですか」
「パワーつけすぎると逆に鈍くなるから難しいけどね。あんまり参考にならないかも」
「いえ、とても――」
参考になりました、と言いかけたその時。
「さっすが名古屋イチのぶっと腿! 回答も
ソメイアケホシが
彼女はメイケイエールの次の組だったが、どうやら話している間に走り終えたようだ。止まることなく走り去る辺り、一本終えたばかりとは思えない元気っぷりである。
一方、カクトサンゴは遠ざかる背中を静かに見ている。正確に表現するならば、真顔で、かつ獲物を狙う
「ちょっとゴメンね」
そう短く言い残し、カクトサンゴは駆け出した。追う者と追われる者、
「ねぇ、今走ってる二人って誰?」
「逃げてるのがおソメちゃんで、追ってるのがカクト先輩」
「今回はおソメちゃん逃げ切るかな?」
「やっぱ先輩に捕まってコメカミ抉られるんじゃね?」
面白そうな催しに、名古屋の生徒達が口々に予想し合う。どうやら、二人のアレは今に始まったことではないらしい。
しかし、今のメイケイエールに凸凹コンビのアトラクションを楽しむほどの余裕はなく。自然体で満喫する彼女達の様子に、純粋に羨ましくすら思っていた。
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メイケイエール達のトレーニングは日が高くなるまで続いた。暑さもピークとなる頃合いに、いつの間にか白毛のウマ娘がコース側に現れる。陽光を受けた白毛は白金の光を放ち、その眩さたるや、離れた場所の生徒もその存在に気づくほど。
「み な さ ぁ 〜 ん っ !」
白毛のウマ娘から放たれる大声。それはコースの反対側まで届く勢いだった。
「お 昼 の 準 備 が っ ! !」
声を聞いた者は慌ただしく動き始めた。何も言わずとも、待ってましたと顔に表れている。
「で き ま し た よ ぉ っ ! ! !」
メイケイエールの母親、尾藤キサラ。中京レース場でのトレーニング期間中、昼食の提供担当を任されていた。
昼食場所はコース内側、ファミリーエリアの一部を間借りさせてもらっている。中京に限らず、コース内側の開けた空間は子供向けの遊具が整備されていることが多いのだ。
「さぁっ! どうぞ召し上がれっ!」
テントを張り、折り畳み式のテーブルに並ぶ業務用のコンテナケース。その中にはびっしりとおにぎりが詰められていた。
『いただきま~す!』
威勢の良い挨拶と共に、おにぎりの海に一斉に手を突っ込むウマ娘達。彼女達のトレーナーは、邪魔にならないよう隅からこっそりと。
「今日のお汁は豚汁ですよっ。おかわり沢山あるからゆ〜っくり食べてねっ!」
しかし、おにぎりのサイズが尋常ではない。女子ハンドボールと同じくらいの大きさであり、両手で持つトレーナー陣は心なしか顔が引きつっていた。
方や、ウマ娘達は全くのお構いなし。両手で持ち、交互に食べるというがっつき具合を見せている。
「お母様」
「あらぁエールちゃんっ。頑張ってるみたいねっ☆」
「すみません。本当に何から何まで……」
「だってエールちゃんのお願いだものっ。これくらい当然でしょっ?」
キサラはメイケイエールにウインクを飛ばす。家族に計画を説明した時に、昼食の提供ができないかお願いしていたのだ。軽食で大丈夫と言ったものの、腹も満腹になる超サイズのおにぎりと汁物付き。
この条件で毎日提供してくれるのだから。最早頭が上がらないとしか言いようがない。
「いえ、名古屋からも御礼を申し上げます」
オリヒメも横から加わる。
「連日、昼食を用意していただきありがとうございます。名古屋の皆も安心して練習に打ち込めていますから」
「あら嬉しいっ。アリサちゃんやご近所さんと頑張った甲斐があるわぁっ。何はなくとも、美味しいご飯は大切だものね」
キサラの言葉が十二分に理解できた。十分な食事があるのとないのとでは士気がまるで違う。
「それはそうと、毎日この様な御飯の量……平気なのでしょうか。」
それはメイケイエールも疑問だった。とても一升二升どころではない米の量なのだから。連日無尽蔵に出てくるおにぎりには驚嘆を通り越して怖くすらある。
「あらぁ良いのよ。お米屋さんが本当に二俵用意しちゃったんで、売るほどあるんだもの」
「「
聞き慣れない単位に二人がハモる。現代社会では確実に使わなくなった言葉だろう。
「……あの」
遠慮がちに、オリヒメが小さく囁く。
「貴方のお家、単位でまだ
「つ、使ってませんよっ!」
まさか、江戸時代ではあるまいし。実の娘であるメイケイエールも聞いたことも、ましてや使ったことすらない。
「うふふっ。まあとにかく、お昼御飯はお母さんに任せて、あなた達は存分に走りなさいっ!」
ドンと胸を張る母、キサラ。
確かにその言葉通り、作ってくれたおにぎりと豚汁は実に美味しかった。皆が活き活きとしながらおにぎりを頬張る姿に、この試みは間違っていなかったと確信するのだった。
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入口のヴィーナス
中京レース場の入場門は西入場門と東入場門の二箇所。
特に、西入場門は駅から直結。連結通路を使えばものの十分しかかからず、開催期間中は入場客が殺到するポイントとなっていた。
「入場券を予約された方は、QRコードを表示できるようご準備お願いしまーす!」
入場客の列の先頭にいるスタッフが声を飛ばす。黒いキャップを被り、一様に白のポロシャツに揃えて分かるようになっている。
「当日券をお求めの方はこちらでーす! 当日券のネット販売はございませーん! 券売機でご購入お願いしまーす!」
開催期間中は入場券の購入が必要となる。それはネットでの予約であったり、当日の紙チケットであったりと。期間外と平日は無料だからこそ、この期間は専門スタッフの出番という訳だ。
スタッフにはヒトに混じってウマ娘の姿もあった。同じデザインのキャップだが、ウマ耳を通す穴を開けた専用品である。
「つ、次のお客様!」
更にそのウマ娘の中の一人。長い鹿毛の髪で、他のスタッフと比べても一つ二つ、いやそれ以上若く見えた。
「チケットを拝見いたしますっ!」
――それもそのはず、彼女はメイケイエールなのだから。
レース場の仕事の手伝いの一環で、入退場スタッフの業務を行なっていたのだ。変装もせず、他のスタッフと同じ格好である。まさか中央の現役ウマ娘がスタッフに紛れているとは思うまい。
その証拠に、入場客はメイケイエールだとは一切気付かない。ただのスタッフとして、チケットを見せて素通りしていくのみである。
「あの、ちょっとスタッフさん?」
「あ、はいっ!?」
「えっとね、前日券を買ったんだけどね? どうすればスマホに表示できるの?」
「あ、え……っ? 少々、あの、お待ちください」
不慣れながらも、入場客の列を捌いていたメイケイエール。その流れがピタリと止まった。
前日券を購入した中年女性が、QRコードを画面に表示できないという。スマホを差し出されても上手く操作できず、列の進みが滞ってしまった。自分の担当列だけ長くなり、焦った結果余計に列を長くしてしまうのだった。
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「はぁ……」
スタッフ専用の休憩所にてメイケイエールは深い溜息をついた。トラブルは他のスタッフの手を借りてどうにか解消できた。
しかし、上手く対応できなかったという結果は事実。責任がずしりとのしかかり、背中が丸くなる。
パシャッ!
不意に、カメラのシャッター音が響いた。反応して頭が上がる。
「お仕事お疲れ様です!」
高木だった。
半袖のブラウスにスラックスという、いつもの仕事スタイル、夏バージョン。首にプレスパスを提げ、右袖に取材許可証代わりの腕章も着けていた。
彼女もメイケイエールの密着取材という、自身の役目を遂行している最中という訳だ。
「列対応大変だったみたいですね。初仕事、いかがでしたか?」
「お仕事といいますか、アルバイト自体初めてでして……見ているよりも凄く大変でした。とにかく滞りなくお客様をお通ししないといけないので」
人前に立つことには慣れているのだが。
瞬時に個人かグループか、予約券か当日券かを判断しなければならない。その上で入場客に失礼がない応対も必須。
ある意味で人生初のアルバイト、不慣れなことが多く上手くいっているとは言えなかった。
「なるほど、ではお仕事が上手くいくコツ、教えて差し上げましょう!」
「本当ですか!? 是非お願いします!」
渡りに船の高木の申し出。躊躇する理由はどこにもなかった。
「ではでは。コツはですねぇ……」
彼女は両手の人差し指をピンと伸ばす。そして両脇を締め、指をメイケイエールに向けた。
かと思いきや――。
そのまま自らの口元へ、口角をぐいっと突き上げた。満面の笑みの高木の出来上がりである。
「にっこりスマイル! 笑顔は剣であり盾でもありますから」
「スマイル……」
「そしてこう考えるんです。大丈夫、きっと上手くいくと……私も不安な時はそうしてきたので」
常に笑みを絶やさず、自信を持ち続けると。強引かもしれないが、考えてみると理にかなっているかもしれない。自分の行動の結果いかんは自身によるものなのだから。
メイケイエールも高木にならい、くっと口角を指先で押し上げる。
「そう、そうです! エールさん笑顔が素敵なんですから、しょげてるなんて勿体ないですよ!」
両腕を掴んでグイグイ引っ張る、高木の力強い言葉。そうだ、これしきで下を向いている
「ありがとうございます。確かに、笑う方が気が楽になりますね」
高木の手を握って礼を言う。シンプルにして完璧な解決策を教えてくれたことに。
「それでは、休憩時間も終わりなので……行ってきます!」
キャップを被り直し、いざ仕事へ向かう。
「エールさん、もう一枚お願いします!」
意気揚々と向かう背中に高木が一声。リクエストを受け、メイケイエールはくるりと
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芝の中の銀河
また別の日、メイケイエールの姿は入退場口にはなかった。今回は別の仕事を割り当てられており、場所はコースの内側。ファミリーエリアとはまた別の関係者以外立入禁止エリアである。
彼女もここに来るのは初めてのことだった。
「お姉さん緊張してる? まぁ居づらいわよねぇ、おじさんおばさんばかりだし」
右も左も作業服の大人ばかり。しかも一回りはおろか、二回りも歳が離れていそうな雰囲気だった。話しかけてきた作業員の女性もなかなかの
同じ作業服姿とはいえ、周囲と比べると十代の迸る若さは隠しきれなかった。
「研修も受けたんだから大丈夫よぉ。ベテランさんが着いてくれるから、分かんなかったら任せればいいから」
「ご、ご迷惑にならないよう頑張ります」
スピーカーから場内のレース実況が聞こえる。ちょうどゴールを迎えたらしく、スタンドが一際盛り上がっていた。
「――じゃ、そろそろ行きましょ! 皆さん、組分けは間違えないようお願いします!」
号令と共に、待機場から一斉に繰り出す作業員とメイケイエール。
レースの出走者ではなく、バ場整備員として。
幾度となくターフに立った身ではあるが、新鮮味と緊張感で、レースとはまた違う高揚を覚えたのだった。
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メイケイエールはレース後の芝をまじまじと眺める。所々剥がれていたり、大きく
レース出走は最大十八名。皆が全力で走ればこうもなろう。よくよく考えれば当然だが、随分荒れるのだと改めて考えさせられる。
「えっと、手で戻せる所は手で……」
事前に受けた研修の通り、めくれて浮いた芝を手で戻す。
「戻した部分を、脚で……っと」
そして、戻した箇所を脚で踏み固める。手で直せる範囲
力を入れすぎると硬くなってしまうため、絶妙な
「――よしっ!」
周りの綺麗な芝と比べても遜色ない直し具合。得意げに鼻息を荒くしていると、ベテランの男性作業員が様子を窺いにやって来た。
「あっ、あのこれっ。上手くできましたか?」
皺が刻み込まれた面長の顔が、メイケイエールの仕事を静かに観察する。
「――うん、良い具合。初めてとは思えないなぁ……普段走ってるから感覚掴むの上手だね」
「本当ですか? ありがとうございます!」
初めての仕事を褒められるのは単純に嬉しい。
しかし、そう思う通りにいかないのが世の常というもの。
「じゃあ、その調子で他もやってみようか」
視線を上げ、周囲に移す。
すると見える穴、穴、穴。一箇所や二箇所どころでなく、数百数千という数の穴。しかも大小様々という状態である。
「次のレースまで十分くらい……全部やっつけるよ。手で直せなさそうな所は道具使うから。見つけたら教えてね」
複数人のグループ単位にコースを区分けし、負担を分散させているとはいえ猶予はほんの十分程度。それまでに穴を塞いで元通りにしなければならない。
褒められて喜んでいる場合ではない。メイケイエールは腰を屈め、ただひたすらにコース上の芝へと目を向けた。
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――ただ何となく、そういうものだと思っていた。
ターフに立ち、ゲートに入ればいつもの様に走るだけ。レースを終えた後の芝の状態まではまったく考えてもいなかった。
今目の前にしているのは紛れもない事実である。
メイケイエールはひたすらに穴を探し、埋め続けた。土ごと蹴り上げられた芝を戻し、それでも平らに戻せない場合は目砂を入れて調整する。この次に走るウマ娘達の為、レースを安全に、そして全力で走り切る為に。
そして彼女はまた思う。
(私のレースも、こんな風に整えてくれたのですね……)
レースの合間の僅かな時間。観客達はレースの結果と、次のレースに出るウマ娘を見る。ウマ娘達は自分のことに専念し、顧みられることが少ない仕事である。
しかし文字通り、彼らは脚元を支えてくれているのだ。自分から言い出すこともなく、ひたすら誠実に。
これはただの、いわゆるママゴトかもしれない。それでもメイケイエールは頬を土で汚し、鼻先から汗を滴らせながら黙々と作業を続けた。
「――お疲れさん! 時間ピッタリじゃないか」
やがて所定の時間を終えた。
「ありがとうございます。上手く、できたでしょうか……」
「上手いも何も。見てごらん」
メイケイエールとベテランは共に並んで自分達の仕事を確かめる。
「……この青い、どこまでも続く芝が君の仕事の結果だよ」
穴が空いた芝は、百名超の作業員を総動員して元通りに。これでお嬢さん達が何の心配もなく走れると、ベテランは得意気に胸を張った。
「――現役のお嬢さんに言うのもアレだけどね」
白髪交じりの眉をハの字にして、ベテランは頬を掻きながら漏らす。
「初めてやって、ここまでできる人はそう居ないよ。できればずっと働いてほしいけど……いや、若い子がなかなか入ってくれなくてねぇ」
評価されるのは純粋に嬉しい。しかし、それは叶わない話でもある。そう分かっていても言葉にした意味を噛み締め、メイケイエールは作業員の待機場所へ戻ってゆく。
レースを支えるという、重要な使命を肌に感じながら。
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草原のスターター
レースのプログラム次第で距離は千差万別。短距離レースの次は中距離レースと、大きく変わるのも珍しくはない。
それ故、どのレース場でもゲートは移動式。運搬用のトラクターに牽引され、レース毎に定められたスタート位置へ動かしているのだ。
数トンもするゲートを引っ張るのだから、専用の大型トラクターはパワー抜群。農業用トラクターが子供に見えてしまうほどのサイズだった。
「ゲート入るよ! 担当以外はラチ外で待機!」
緑のジャケットに、黄色のヘルメットとズボンの装いをした作業員が大声で指示を飛ばす。日に焼けて浅黒い肌の精悍な顔立ちのリーダーだった。
指示に従い、メイケイエールはラチの外で待機している。格好は例の如く周囲と同じ。今日の仕事はゲート誘導員――ウマ娘をゲートへエスコートする大切なお役目だった。
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トラクターがバックし、ゲートをゆっくりコース上に押し出してゆく。進路上の芝にはゴムパッドを敷き、傷まないように対策は万全。
改めて間近で見ると、意外とゲートが大きいことに驚かされる。フルゲート十八名、それが一様に並ぶのだからゲートも相応の規模になる。
「いつ見てもゴッツいよねぇ」
今回、面倒を見てくれる先輩作業員。肩口ほどに髪を伸ばした大学生の女性である。バイトながら誘導員三年目らしく、気さくで話しやすい雰囲気にメイケイエールは好感を覚えた。
「はい。普段、こうやってゲート全体を見ることって少ないので」
「そうだよねぇ。エールちゃんは入る側だもんね!」
中京レース場の手伝いをするにあたって、偽名を使うということはしなかった。別に後ろめたいことなど何もないのだから、堂々と本名で働けばいいだけ。
やがてゲートが所定の位置で止まる。担当の作業員が速やかに車輪をロックし、役目を果たしたゴムパッドを回収してゆく。
「ゲート設置良し! 扉担当、お願いします!」
リーダーの号令に合わせ、離れて待っていた作業員が一斉に動き出す。
「よぉし出番出番。手順は大丈夫?」
「はい。一通りは」
「オッケー。じゃあ前扉からやってみようか」
ゲート設置時点では前後の扉は開け放たれている。それを一つ一つ、手で閉じていくのが仕事である。
メイケイエールは教わった手順通り、前扉を閉めてロックをかける。学園でのゲート練習で同じことをしており、この辺りは非常にスムーズだった。
(扉のロック……よし)
作業の間違いや漏れがあってはいけない。指差し確認で丁寧に確認してゆく。
(フック位置……よし、扉の遊び……よし)
指差し確認も問題なし。順調に一つ、また一つと扉を閉めてゆく。そしてある程度閉め終えた所で、彼女は先輩作業員の元に駆け寄った。
「十八番から十五番まで前扉施錠完了しました。確認お願いします」
「さすが早いね。了解しました!」
施錠の確認はダブルチェックが基本。これで万が一の芽を潰すのだ。
先輩作業員のチェックを受けながら、予定通りに作業が進む。反対側から施錠していく他の作業員を気にしつつ、それでいて丁寧に。
「リーダー、前扉全施錠完了です。チェックも問題ありません」
作業員を代表して先輩がリーダーへ報告する。しかし仕事はまだ終わりではない。これから、肝心の
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ゲートの中身、すなわちウマ娘のこと。
メイクデビュー特有、先導者に率いられてゲート前に到着。彼女達はそわそわし、どことなく落ち着かない様子だった。
初めての公式戦なものだから、気もそぞろになっているのだろう。作業員からの不要な声かけは厳禁であるが、ついつい励ましたくなる初々しさ。かつては自分も同じだったと、在りし日の姿にメイケイエールは懐かしむ。
とはいえ、まずは仕事である。手筈通り、彼女は十六番ゲートの後ろに立って片手を高く掲げた。
「ウマ番十六番の方! ゲート入り願います!」
「あ、はいっ」
十六番のゼッケンを着けた、青鹿毛をボブカットにしたウマ娘の耳が反応する。控えめな返事と共に、ちょこちょこと小走りでゲート前に。
「どうぞこちらに。焦らなくて良いですからね。ゆっくり入って、中央に立ってお待ち下さい」
あ、おんなじ――。
青鹿毛の娘の口がわずかに動く。目の前の誘導員がウマ娘であることに、安堵の念を抱いたらしい。
「後ろ、閉めますね。少し音がしますがお気になさらず」
ゲートの枠内中央にしっかり立ったことを確認し、後ろの扉を閉める。確実にロックされていることをチェックしてリーダーへ報告。
それを数名の作業員でテンポよく行う。ものの数分で計十六名のゲート入り完了である。報告を受けたリーダーが問題ないと判断すると、手元にある機械のボタンを押す。ゲート上部の赤ランプを点灯させ、出走可能であることを示した。
この段になるとメイケイエールの仕事は終了。そそくさとコースの外に移動し、つつがなくレースが始まるのを見守るのみ。
(皆さん、頑張って)
遠巻きに、固唾を飲んでウマ娘達の横顔を見守る。デビュー戦、ここまで来るのに順調だった者も、そうでない者もいるだろう。せめて、実力を遺憾なく発揮できるのを祈るのみ。
遠くからファンファーレが聞こえる。
そして身構えるウマ娘一堂。
ガシャンッ!!!!
大きなゲートの動作音と共に、我先にと駆け出す十六人。出遅れなしの、綺麗なスタートだった。
まずはこれで一安心。ほっと胸を撫で下ろす。
「各作業員はスタート後のゲートチェックを! 完了したらすぐ移動だよ!」
しかし仕事は終わらない。次のレースに向けての準備と移動が待っている。とにかく分刻みの進行であり、うかうかぼんやりなどしていられない。
「……慌ただしいですね」
「まぁね。でも私は嫌いじゃないよ。レースを支えてるのは私達だって、胸を張って言えるから」
先輩の言葉は納得に尽きる。正確かつ迅速なゲートの準備があるからこそ、ウマ娘はレースに集中できる。裏方の場に立って初めて、自分の脚元には様々な人が居るのだと実感した。
「ま、かくいう私はバイトなんだけど!」
先輩は舌を出しておどけてみせる。それは照れ隠しなのかもしれない。
バイトであろうが社員であろうが、彼女はレースに携わる一人。メイケイエールは頼もしさと同時に、若干の気まずさを覚えた。
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広い
いよいよ夜更けが近づく夜九時。日頃の運動や仕事の疲れを癒す、静かな時間である。
メイケイエールも自宅に帰り、夕食を終えて自室に戻っていた。彼女も束の間の平穏を味わっている――はずだった。
「えっと、スタンドの角度はこうで、スピーカーとマイクは……うん、大丈夫」
机に置いたスマホスタンドの角度を細かく調整中。更に、部屋着にしては綺麗めなワンピースで身を包んでいる。この時間から外出するでもなしに、いささかの不自然さがあった。
その答えは、スマホに表示されている画面に――動画配信サービスの待機画面である。
「あっ。もうこんなに」
配信待ちの接続人数が、既に三桁に達しようとしていた。彼女は急いで椅子に座って居住まいを正す。最後に前髪の乱れを指で軽く整え、配信開始のボタンをタップした。
「みなさん! こんばんは〜!」
スマホのインカメラに向かって手を振る。すると、配信画面のチャット欄が怒涛の挨拶ログで流れてゆく。
「今日も私の配信にいらして下さってありがとうございます。夏の間の期間限定ですが、なるべく多く配信できるよう頑張りますね!」
今行っている取り組みを、なるべく多くの人に知ってもらいたい。色々と考えた結果、オンラインでの動画配信を行うことにしたのだ。
しかし動画配信のノウハウなど持ち合わせていない。困って高木に相談したところ、実に奇遇ながらゲーム実況配信の経験があるというではないか。
彼女の知識を借り、上手い具合にアカウント作成から配信準備まで。進められたのである。
そして、肝心の配信内容であるが。
「――それでは、え〜っとですね。今回はパドックからレース本番までについて、色々と皆さんにお話しします! 皆さん、パドックはご存知ですよね? レースを走るウマ娘のアピールの場、それがパドックです。」
単純に、今中京レース場のコースを借りてこんなことをしている、だけで耳目を集めるにはコンテンツ不足。ただでさえ多種多様な配信者がいるのだから、しっかりと目を引くような話題を提供しなければならない。
「観客席から見ると順番に舞台に出てきてポーズするだけとお思いかもしれません。でも実は、細かいルールが決められていてですね……」
そこで思いついたのが、レースの裏側について。
出走するウマ娘のみが知ることを、公表して差し支えない程度に明かすのだ。普段生活していては知り得ない事柄という、視聴者を引き寄せる格好の話題である。
狙い通り、配信を始めてから視聴者数は右肩上がり。ほんの一週間ほどで、またたく間に同接数が三桁に到達した。この結果には高木すらも目を白くさせるほど。
――もう同接百人ですよエールさん! さっすが違いますねぇ……私なんかとは……。
彼女も喜んでくれたが、その瞳はどことなく悲しげ。野暮かと思い、それには敢えて触れなかった。
「――ちなみに宣伝なんですが。八月末まで平日の日中、中京レース場のダートコースで合同の練習会を実施しています! 主催は僭越ながらこの私ですので、中央、地方問いません。興味のあるウマ娘やトレーナーさんは是非、メッセージをお待ちしております!」
ほんの少しでも、この話題が広がれば。為すべきことをただ為すために、メイケイエールは昼夜問わずに走り続けていた。
次も引き続きトレーニング&レース場のお仕事の話。一つの出会いと、ある気付きを得る予定。