Blooming☆Yell!!   作:ルブク

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脚を止め、夜空を見上げ――。
――少女は自身を見つけ出す。

名古屋編その④、続・トレーニングとレース場のお仕事。
この名古屋編にて、メイケイエールの転換と言いますか、私が考える『メイケイエールとは何か』を表現しようと思っています。
今回はその前段という感じで。

なお、作中のスラクゥレドゥースですが、モチーフはハッピーミークのつもりです。
(ウマ娘の方でなく競走馬の方で。選定理由は…ゴニョゴニョ)

人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html


The 39th Yells 星空のエール

十人十色

 本日も中京レース場は盛況の賑わい。

 開門からひきも切らず来場客が押し寄せる。晴天に恵まれた休日だけあって、入場口はのっけから大忙しである。

「おはようございます! 中京レース場にようこそ!」

 メイケイエールも負けじと笑顔を振り撒く。二度三度と係員を経験したからか、その仕事ぶりはすっかり板についていた。

「入場券を拝見いたします――大人三名様、皆様お揃いですね? 確認いたしました、どうぞお楽しみください!」

 当日入場券では券の枚数と、グループの人数が合っていることを直ちに確認。大人と子供の人数が合っていることも欠かさずに。

「ご予約のお客様ですね? 確認いたしますのでQRコードのご提示をお願いいたします」

 目の前でスマホを操作しているのは事前予約の可能性が濃厚。すぐに確認できるよう、コードリーダーの端末を起動させておく。

 人の流れは淀みなく、留まることなく進んでゆく。これも全て、初日での苦い経験の賜物(たまもの)だった。

 

 そして、精神的な余裕が生まれた副産物として。入場客の様子をこっそり窺えるようになった。

『今日の何レース目だっけ? あのデビュー戦でぶっちぎって逃げた娘(こ)!』

『九だよ、九レース目。今日も気持ちよく逃げてくれっかなぁ』

 推しの娘の活躍を期待し、胸踊りながら語り合う男性二人組。手にするレースプログラムに付箋を貼るほどの気合の入れようだった。

 また他に、大きめのトートバッグを大切に抱えながら入場する女性もいた。バッグの口からは、団扇と思われる細長い柄が何本も出ている。恐らく、推しの娘のパドックで熱烈にアピールするのだろう。

 期待する娘が活躍することを願ってやまない、輝く瞳。しかし、印象に残ったのは彼等ではなかった。

『アスレチック! アスレチックまーだー!?』

『もうすぐ入るから静かにね。パパ、私一緒にアスレチック行くから、先に場所取りしといてくれる?』

『分かった。芝生ら辺でいい?』

 ファミリーエリア行きをねだる子供を連れた夫婦。父親の手には、ゴムボール等の遊具が入る網状のバッグが提げられていた。

『ウマ娘ってさ、レースの迫力も凄いんだけど。でもやっぱりライブがさ! ホントにプロのアイドルってくらいに歌もダンスも――聞いてる?』

『聞いてる聞いてる。んで、レースってどこで走んの?』

 男性がウマ娘の魅力について熱弁を振るう傍(かたわ)ら、あまり興味がなさそうにするもう一人の女性。あの様子だとレース場に来るのはおろか、ウマ娘に触れることも初めてだろう。デートコースに選んだのかもしれないが、二人の温度感の違いには少々気がかりである。

 その他にも、場内でスケッチをするのか画材を沢山抱えた人。また、クーラーボックスを引っさげ優雅に女子会予定のマダムグループなども。

 レース場に来るのはレースやライブ目的かとばかり思っていた。しかし実際はそうでなく、訪れる人と同じ数の目的があった。考えれば至極当然と言えよう。しかしレースやライブを行う側として、それは実に新鮮な驚きだったのだ。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

se la couler douce

 早朝と言えど、ジリつく日差しは相変わらず。今日も今日とてトレーニングが始まる。

「皆さん! おはようございます!」

 白雲漂う空に、メイケイエールの銀鈴(ぎんれい)の声が響く。開始前のいつもの朝会である。参加するウマ娘とトレーナーが一堂に会し、当日の予定やトピックスを共有する。

「今日は金曜日ですので、忘れ物には重々気をつけてください。営業時間内は立入禁止です。お返しするのが週明けになりますから、くれぐれもよろしくお願いします!」

 幸いなことに、これまで大きなトラブルは起きていない。オリヒメら生徒会の面々や、彼女達のトレーナーが非常に協力的なのが大きかった。レース場からも特段苦情もなく、正に順風満帆である。

 しかし、これまでとは違うことが一つ。

「はい、ではトレーニングの前にご紹介を――こちらへどうぞ!」

 メイケイエールは片手を高く挙げて呼びかける。そうして皆の前に現れたのは、芦毛のウマ娘とトレーナーの男性の二人組。

 芦毛のウマ娘は毛先が内にカールしたミディアムボブに、目を覆い隠すほどの長い前髪が特徴的。臙脂(えんじ)色のトレーニングウエアは中央在籍の証である。

 彼女は明らかに緊張した様子。肩に力が入っているのが一目で見て取れた。

「スラクゥレドゥースさんと、担当のトレーナーさんです。レース場でのトレーニングに興味があると連絡いただきまして、今回参加いただく運びとなりました」

 名古屋のウマ娘達から拍手が上がる。温かい歓迎を受け、芦毛のウマ娘――スラクゥレドゥースは少しばかり身体の強張りが解(ほぐ)れたようだった。一歩前に出て、今度は自らの口で語る。

「ち、中央トレセン学園、高等部一年。クラシック級のスラクゥレドゥースです。明日、レースがあって……少しでも良い状態で臨みたくて参加しました。よ、よろしくお願いします」

 気弱な性分なのか、声量はやや控えめ。だが発言には明瞭な意志を感じた。

 練習に参加したいと、DMでコンタクトを取ってきたのは彼女本人。偶然見た配信で興味を惹かれ、トレーナーと相談の上決めたのだそうだ。

「はい、質問っ!」

 名古屋側の一人が手を挙げた。

「出るのって、明日の何のレース? オープン? 重賞?」

 新しく加わる者がどれほどの実力を有しているのか。やはり、参加者としてもそこが気になるらしい。

 スラクゥレドゥースは一瞬息を詰まらせた。隣でトレーナーが心配そうな視線を投げかけるが、彼女は質問したウマ娘に顔を向ける。

 

「……未勝利戦です」

 

 この一言で十分だった。

 リラックス感のあった空気が一変する。緊張感という糸で硬く縫い付けられ、皆の口元が引き締まった。

 中央の規定により、未勝利戦が行われるのはクラシック級の八月まで。その期限までに勝ち上がらなければ、トゥインクルシリーズから強制的に除籍となってしまうのだ。

「明日、どうしても勝ちたくて……」

 もう八月も後半に入る。中央のレースは土日しかない以上、彼女にとって明日のレースが文字通りラストチャンス。

「ご、ご迷惑かもしれませんが……よろしくお願いします……!」

 肩を震わせながら、深々と頭を下げる二人。

 除籍となった場合、残された道は二つしかない。出走する機会を求めて地方に移るか、レースに関係ない学科に転科するか。

 結局、中央の所属としてレースに出ることは二度と叶わない。生き残りを賭け、ある意味GⅠよりも熾烈な争いが繰り広げられているのだ。

 

 パチパチパチパチ!!

 

 突如、爆竹が連発したかのような拍手が起こる。ソメイアケホシだった。

 それと間を置かず、オリヒメとカクトサンゴ、そして他のウマ娘達も。藁(わら)をもすがる思いでやって来た二人へ、惜しみなく激励の拍手を。

 所属は違えど、レースに出ることを第一とする者達なのだ。表舞台から蹴り出されることがどれほどの絶望か。言葉にせずとも、誰もが理解しているのである。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

「お姉様、一つ提案いたします」

 朝会が終わり、さてトレーニング開始という際。ソメイアケホシが手を挙げた。

「スラクゥレドゥースさんは明日レースを控えていらっしゃいます。これまでと同じトレーニングメニューでは過剰に疲労してしまうのではないでしょうか」

「確かに、そうですね」

「そこでですわ。今日は重賞の出走経験有無でグループ分けをしてはいかがでしょう。経験なしのグループがレース形式のトレーニングを主にし、経験ありの方が別メニューで。幸い、名古屋側もまだ重賞経験がない者もおりますから」

 理にかなった提案である。レース前日で強度が高いトレーニングは逆効果。負傷するリスクを考慮し、本番に備えレース形式で感覚を掴んでおくのが最良だろう。

「分かりました、それでいきましょう。トレーナーの皆様もよろしいですか?」

 トレーナー側からも異論は出なかった。

「では、経験なしのグループはこのソメイと……カクト先輩、一緒にサポートお願いいただけます?」

「うん、いいよ」

「では早速参りましょう。皆様、コースの反対側に移動しますので着いてきてくださいな!」

 ソメイアケホシが先頭になってグループを纏める。そんな彼女の様子を、オリヒメとカクトサンゴが微笑ましく眺めていることに気がついた。

 二人は最終学年。後進に引き継ごうと、二人もできる限りのことをやろうとしているのだろう。それならばこちらも負けてはいられない。

「では経験がある方はこちらへ。ちょっと準備したい物があるので手伝ってもらえますか?」

 メイケイエールの呼びかけに、オリヒメ始め多数のウマ娘が反応する。彼女達を伴い、向かった先はコースの近くにある備品の倉庫。

「何か持って行くの?」

 オリヒメの問いかけに、ふふふとただ笑って返す。ポケットから取り出した鍵で、閉ざされたシャッターを開けた。薄暗い庫内に日差しが差し込み、床に並べられている物が照らし出される。

 細長いフレーム状の金属製の器具。横の長さは乗用車の幅ほどで、片面に金属製の刃が互い違いに取り付けられていた。それが三つ四つと並んでいる。

「これ、ハローじゃない」

 ダートのバ場整備に用いるハローだった。車両等で牽引し、刃で土を掻き起すことにより路面を均(なら)すのである。

「はい。バ場整備をしてらっしゃる方にお願いして、古い型を使わせてもらいました」

「よく借りられたものね……」

「ちょっとツテができまして」

 現在ではレース場のハロー掛けは専用車両で行われている。幸いなことに、使っていない古い型が処分されずに残っていたのだ。今回、それを貸してもらえることになった、という舞台面である。

 バ場整備の仕事でベテランと懇意になった成果と言えよう。無論、狙って仲良くした訳ではないが。

「ここにあるのをコースにまで持っていきます。結構重さがあるので、三人くらいで慎重にいきましょう!」

 軽量な古い型とはいえ、重量は数百キロにも及ぶ。ましてやレース場の備品を使わせてもらうのだから、取り扱いは殊更(ことさら)慎重に。

 メイケイエールの言葉に従い、複数あるハローを皆で手分けしてコースへと運んでいった。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

「ええと、タオルを当てて、その上からロープを、と……」

 コースに運んだハローの一つに頑丈なロープを結びつけ、その片方の端を自らに結びつけるメイケイエール。自ら考えたハロー掛けトレーニング、まずは自分でやって見せなければ示しがつかない。

「ハロー掛けって元々は車で行うものよね?」

 オリヒメ達も腰にロープを結びつけている。ただ、予想外のトレーニング内容だったらしく、若干の戸惑いが見られた。

「はい。脚腰を強化するのに最適だと思いまして。それにバ場も綺麗にできて一石二鳥でお得じゃないですか?」

「それはそうだけど……」

 口でなら幾らでも言えるが、実際には簡単なことではない。そう顔に書いてあった。

「何はともあれ、やってみましょう!」

 ならば、疑念を晴らすためにも実践あるのみ。メイケイエールは腹筋に力を入れ、大きく一歩を踏み出した。

「ぐっ……!」

 ロープがタオル越しに腰回りに深く食い込む。元々かなりの重量があり、地面を掘り起こす爪がしっかりと食い込んでいる。その抵抗たるや、並大抵のものではなかった。

「ぐ、くっ……! ううっ!」

 ロープが張り詰め極端な前傾姿勢に。身体に食い込む痛みを、歯を食いしばって上書きする。爪先だけでなく足裏全体で土を踏みしめた。

「があぁぁァァァっ!!」

 一足入魂。コース全体に響き渡る気合の咆哮と共に、更にもう一歩。

 

 すると、ハローが動く。

 ピクリともしなかったハローが。

 

 メイケイエールの一歩に合わせ、ハローも進む。後ろで見守っていたオリヒメ達が一斉に歓声を上げた。

「こっ……これは……っ! 効きます……っ!」

 全身で感じる、凄まじい地面の抵抗。ここで脚を止めてしまえば、再び動き出すことは間違いなく困難に陥る。そのことを本能で感じ取り、例え僅かであっても前に、ただ前に。ひたすらに前進を。

「……無茶をするわね。あの人も」

 苦笑いをしつつも、オリヒメもハローを牽き始めた。

「遅れないで。私達も続きます!」

 メイケイエールにできるのなら、我々にできないはずがない。それを証明する為、ハローと一対一の対決である。行動で示すその姿に、他のウマ娘も一人、また一人と始めてゆく。

 非常に嬉しい光景だった。しかしメイケイエールに後ろを振り向くだけの余力はなく、せいぜい真横を向く程度まで。

 その視界の中に、スラクゥレドゥースのトレーナーが名古屋の人達と会話をしているのが映った。担当するウマ娘について意見を交わしているのだろうか。今日はきっと、あの人にも実りある結果になるはず。

 その様に考えながら、バズーカ砲の如く巨大なレンズで激写している高木をスルーしたのだった。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

ただありがとうと

「私、この時期の誘導員って何かヤなんだよね」

 ダートコースへのゲート設置で待機中、先輩の誘導員が愚痴る。隣に立つメイケイエールは先輩の方に顔を向けた。

「一回のレースで十何人もいるのにさ、勝ち上がれるのは一人だけでしょ。この世の終わりみたいな悲壮感強くて、みんな」

 半分独り言の様に彼女は零(こぼ)すのである。トゥインクルシリーズのウマ娘にとって、自らの進退が決まる一戦。神経質になって当然とも思う。しかし、その後の彼女達のことを思うといたたまれなくなるのも理解できた。

「ま、誘導員が悩んだ所で何ができる訳でもないんだけど。さ、仕事仕事」

「は、はい」

 メイケイエールはデビュー戦から順当に勝ち進んできた身。未勝利の悩みとは無縁であり、口を挟むのは気が引ける感覚だった。

 ゲートが所定の位置にセットされ、これまでと同じくスタートの準備を進めていく。やがて、ウォーミングアップを終えたウマ娘が集まり出す。

 やはりと言うか、皆どこか表情がぎこちない。GⅠに出る時ですらここまでなることはないだろう。

「あっ……」

 これから出走ウマ娘を見ていく中、メイケイエールから小さく声が漏れた。

 前髪で目が隠れた、芦毛のウマ娘――スラクゥレドゥース。彼女もこのレースに己の夢を賭けていたのだ。ゼッケンに記された番号を確かめる。五枠八番。

 滞りなく進めば、恐らく――。

 それでも、自身の仕事は着々と進める。待機するウマ娘の集中が途切れないよう速やかに。一人、また一人とゲートに収め、メイケイエールはまた手を挙げた。

「八番! 八番の方!」

 スラクゥレドゥースの番号を呼ぶ。呼ばれた方は、返事もなくゲートへ進み出た。よほどナーバスとなっているのか、耳が力なく横を向いている。

 俯き気味だった彼女がふと視線を上げた。扉の前で待機する誘導員と視線が合い、たちまちに耳がピンと起立する。

「!? どっ、どどっ?」

 どうしてここに、とでも言いたげな顔だった。

 レース場への迷惑とならないよう、配信でもレース場の各業務を手伝っていることは伏せている。彼女が知らないのも当然である。

「……さ、どうぞこちらに。中に入ったら中央に立ってくださいね。後ろのゲートを閉めますので」

「えっ? あ、はい」

 知り合いだからといっても業務が最優先。スラクゥレドゥースをゲートへ誘導する。

「……その。実家のちょっとした手伝いみたいなものです」

 そして扉を閉じる傍ら、誰にも聞こえないよう小声で呟く。

「……」

 ゲート内の彼女も、ただ黙って耳を後ろへと向ける。

「気休めかもしれませんが……これまで頑張ってきたことは、決して裏切りませんから」

「……!」

 きっと、これまで歯痒い思いをしたこともあるだろう。思い通りにいかず、枕を濡らす夜もあっただろう。その様な辛い時であっても、日々繰り返していたことは無駄にはならない。

 メイケイエールの脳裏に、昨日トレーニングを終えた時の光景が浮かび上がる。

 

『今日は本当にありがとうございました! 名古屋の方々にも仲良くしていただいて……とてもためになりました! 明日のレース、絶対に頑張ります』

 

 玉のような汗を散らしながら、頭を下げたその姿。充実した時間だったと、上気した頬が物語っていた。

 だからこそ、スラクゥレドゥースの行動は間違いではなかったと伝えたかった。

「私が言えるのはここまでです。ご健闘を……!」

 会話ができるのは扉を閉める間のみ。全てが終われば別のゲートへ移らなければならない。これ以上はタイムリミット。

 想いを託し、待機するウマ娘達を順次ゲートに誘導していく。そして全てのウマ娘をゲートに収め、自らはラチの外へと退避した。

 

 ガシャンッ!!!!

 

 けたたましい音と共に、一斉に駆け出すウマ娘達。その一団に芦毛のウマ娘も入り込んでいることを確かめ、遠ざかる背中を見つめるメイケイエール。

 しかし、次の瞬間には移動の準備が慌ただしく始まる。余韻に浸る余裕などなかった。

 レース結果を確認できたのは、その日の業務終了後のことである。

 

 ――スラクゥレドゥース、十五名中七着。

 彼女はとうとう、勝ち上がることは叶わなかったのである。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

無限の星空の中で

「うぅっ……ふぅ……」

 定例のネット配信を終え、メイケイエールは大きく背中を伸ばした。そして配信用に着ていたワンピースをおもむろに脱ぎ始める。ちゃんとした服で配信に臨むのは、観る人に不快感を与えないためだった。

「もう、暑いったら……」

 幾らエアコンをかけているとはいえ。身振り手振りの上、照明に当たりながらでは身体も熱を帯びるというもの。

 下に着ていたブラトップとショートパンツは汗でじっとりとしていた。全部着替えようかとも思ったが、彼女はスマホを手にバルコニーへ出る。そのまま夜風で乾かそうとしたのだ。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

 八月も終わりに近づき、夜の風は少しばかり秋の色香が漂っていた。しかしそれも、生温かい夏の空気にまだ押され気味のようである。

 うすら暑い、という表現がしっくり来る熱帯夜。メイケイエールはバルコニーの手すりに両肘をついて身体を預けた。そして、手にしたスマホでメッセージアプリを立ち上げては落とすを繰り返す。

 気になるのはスラクゥレドゥースの動向。担当トレーナーから進退に関わる発表もなく、これからどうするのか見えなかった。

(どう連絡すれば――)

 励ませば良いのか、慰めれば良いのか。それとも、敢えて気にせず普通に接するか。

「駄目よそんなの。ただのイヤミじゃない」

 何も言葉が浮かばず、吐き捨てるように零す。スラクゥレドゥースとは立場も置かれている状況も違う。言わば、盤石な地面に立つ身と、底なし沼に首まで浸かった身である。生死がかかった彼女に、希望を持ち続けていれば助かると呑気(のんき)に宣(のたま)うのと等しいのだ。

 そんなこと、口が裂けても言えるものか。しかし、当人にその意識がなくとも、相手には悪意として受け取られることもままある。

 結局、メイケイエールはスマホをポケットに収めた。

 

 ――自分には、何もできない。

 

 無力さを噛み締めながら、夜空を仰いだ。

「あ……」

 雲一つなく、無限に広がる空。濡羽(ぬれば)色にさっと一塗りしたスクリーンで無数に瞬く星々。満天の星空に瞳が吸い込まれ、ただその場に立ち尽くした。

 

 赤い星、青い星、白い星。

 明るい星、暗い星、瞬く星。

 

 同じ一つの夜空でも、そこに居る星は様々。遠く、近く、一つとして同じ物はない。そして彼女は見上げたまま、ふと思う。

 

 ――この夜空は、私達なんだ。

 

 レース場に来る人達もそうだ。

 様々な思いを胸に、レース場という一つの銀河に集まるのである。走るウマ娘、それを支える人達、そしてレースを観る人達。それら七彩(しちさい)の星々でこの世界は輝いている。

 すなわち、メイケイエールもちっぽけな星の一つに過ぎないことを意味する。世界を遍(あまね)く照らす太陽でもなければ、母なる海を湛(たた)える地球でもない。

 針の先程の、矮小(わいしょう)な輝きが自分なのである。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

 星々はいつも変わらず、静かに光る。それは自らの宿命を果たす為に粛々と続けられていた。自身が輝くからこそ、他を照らすことができるのである。

 そう、他者の為(・・・・)ではなく、自分の為(・・・・)に。

「――?」

 メイケイエールは、両目に大粒の涙が溜まっていることに気がついた。寂しさはない。どこか安堵したような、温かい涙だった。

 

【挿絵表示】

 

 ――レースをご覧いただいた方に元気を与えられるような、そういった存在になるのが私の夢ですね。

 

 かつて、デビュー戦の取材での自分の言葉。

 いつからだろうか。勝たねばならない、期待に応えねばならないと思い始めたのは。他の人にしてあげなければならないと思い始めたのは。

 本当はそのようなことをする必要はなかったのだ。エールとは互いに送り送られるもの。一方的に送れば良いというものではない。

 さしづめ、数多の星々とて同じこと。一つ一つ輝くが、他者を照らすために輝いているのではなく。まず自分。まず己自身が煌々と光を帯び、その結果として周囲へと伝播(でんぱ)してゆく。

 ああ、そうだ。それで良かったのだ。難しく考えずとも、答えはあったのだ。今まで見つからなかったのは、重ねた勝利に色気を出し、特別な存在なのだと過信したから。メイケイエールというアイドルウマ娘の存在が、自身の瞳を曇らせたのだ。

 大切な物は、最初から脚元に置かれていたというのに。

 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲

 

 彼女は涙を溜めたまま瞳を閉じる。胸がはち切れんばかりに息を深く大きく吸い、二酸化炭素の一欠(ひとかけ)も残さずにゆっくりと吐き出す。

 身体の中にいまだ残る、淀んだモノを洗い流す。メイケイエールという名と共に生を受けて以来、頭上の星空は変わることなくそこにある。

 自分はどの星だろうか。控えめに赤く光る星だろうか、それとも白に明るく輝く星だろうか。

 

 ――いいえ、私はどれでもない。どれでも良い。

 

 力の限り輝いたその最後、燃え尽きる直前にどれかの星がメイケイエールとなる。光を遍く放つには、自らを型枠に嵌めてはならないのだ。

 ポケットにしまい込んだスマホを出し、メッセージアプリを立ち上げる。

 

 ――大切なのは、何ができる(・・・・・)かではなく、何をする(・・・・)か。

 

 全身全霊をかけて、この身が夜空の星となるように。メイケイエールはこの名古屋において、最も信頼のおける人達へ矢継ぎ早にメールを送る。

「次は――」

 メールを送り終え、部屋に戻ろうと身を翻(ひるがえ)した。

 

 ごとり。

 

 背後から重い音がした。何か、とにかく重量感のある塊が落ちたかのよう。敢えて言うならボーリング球のような。

 振り返って脚元を見るも、それと思しき物は影も形もなかった。もしかすると聞き間違いだったのかもしれない。随分と大きい音のように思えたが、メイケイエールの関心は既にそこにはなかった。

 自分のできることを、できる所まで。彼女の瞳は力強く前を向く。

「お父様! 少しお話が!」

 そしてバルコニーから戻った勢いそのままに、一階のリビングへ駆け下りてゆくのだった。

 




名古屋編も次回を含めて残り二話くらいを予定してます。
次は…大人達大集合とちょっとしたお祭り騒ぎ…みたいな感じの予定。
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