Blooming☆Yell!!   作:ルブク

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メイクデビューで一話。
アプリとかだと意図的に端折られる部分ですが、地方とかに遠征するんならこんな感じになるのかなぁと。
なので妄想七割くらいですかね。

人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html


ジュニア級
The 4th Yells 喝采のエール


メイクデビューへ

 季節は巡り、梅雨を終えて夏真っ盛り。普通の学校と同様にトレセン学園も夏休みの時期となった。カフェテリアは変わらず開いているものの、校舎の方は人気もなくひっそりと静まり返っていた。

「なぁ……今週末どっか遊びいかね? 折角の夏休みなんだからよぉ。プール行こうぜプール」

 昼下がりのうだるような暑さ。いつもの三人組もうんざりした様子で、カフェのテーブル席で冷たい飲み物に涼を求めていた。

 リコンスタにいたっては、溶けかけの身体をポータブル扇風機を使ってどうにか持ちこたえさせているほど。

「……妥協して、学園のプールも可……」

 この時期、学園の各施設はどこもガラガラの状態となっていた。何故ならば、クラシック級およびシニア級の娘は夏合宿の期間。かなりの数の生徒が学園から離れるため、今学園に残っているのは未契約もしくはジュニア級、あるいはトゥインクル・シリーズから身を引いた娘くらいだ。

 そのため、いつも予約で埋まっていた施設も使い放題という、非常にありがたい期間なのだ。

「あ、それなのですけど。私……」

 メイケイエールが控えめに手を挙げる。

「どうした?」

「金曜のお昼頃から小倉へ行くことになりまして。折角なのですが……」

「は? 小倉って、んな遠くになん――」

 初めはピンと来ていなかったミロワダーレとリコンスタだったが、何か思い当たったらしく二人で顔を見合わせた。熱気で失いかけていた生気がみるみるうちに戻っていく。

「……エール、もしかして……」

 待ってましたと手を一つ叩き、高らかに宣言する。

「はい、デビュー戦決まりました! 今週末の小倉です!」

「おおっ、やったじゃねえか! いよいよエールもデビューか!」

 メイケイエールが契約を結んで程なく、ミロワダーレとリコンスタもそれぞれトレーナーとの専属契約を結ぶに至った。それは裏での河削の働きがけが大きいところではあったが。

 契約は後だったものの、二人は先んじて先月にデビューを果たしていた。ミロワダーレは中京、リコンスタは新潟で。これで残すはメイケイエールのみ、といった状態だった。

「……小倉かぁ……遠いね。応援に行きたいけど……」

「レース出走者関係じゃねえと交通費出ねえもんなー」

「ケチんぼだね……」

 二人共不満そうに唇を尖らせている。東京開催ならともかく、小倉や札幌といった遠方のレース場には長時間の移動が必要になる。列車や航空機が主な手段となるが、それと同等に重くのしかかる問題が一つあった。

「大体、小倉だろ? 新幹線で片道だけでもさ――」

 ミロワダーレが自分のスマホを取り出し、経路検索のアプリを使って小倉までの道程を調べた。

「ほら、二万以上かかんだから自腹なんかとてもじゃねえし」

 目的地までの交通費。この負担がとにかく大きい。出走者とトレーナーおよび帯同するチームならば全額支給となるが、チームに関係ない友人は対象外。社会人でも数万円の出費は痛いのだから、うら若い学生にはとても出せる金額ではない。

「大丈夫。きっと私、勝ってみせます」

「……中継、絶対に見るから……」

「帰ってきたらパーッとやろうぜ! 準備しとくからさ!」

 少し気が早いかと思いつつも、応援してくれる二人には素直に感謝しきりのメイケイエールだった。お菓子パーティーだとか、たこ焼きパーティーとかで話が膨らんでいく中、彼女はデビューへの昂りで瞳を鮮やかに輝かせていた。

 

「小倉到着は大体夕方の五時頃かな。で、レース場からの送迎があるから……宿舎到着は夜六時くらい。そこまではオッケー?」

 金曜日の午前中、メイケイエールは簡単に河削と打ち合わせを済ませ、昼前には東京発小倉行の新幹線車内にいた。述べ六時間近い新幹線の旅。

「――はい。私も調べてきましたから」

 初めてのレースが地方遠征ということで、河削は手製の旅のしおりのようなものを製作していた。前日からレース当日、更にはレース後の流れまでが記されていた。

 彼女によれば『これだけ読んでれば後は寝ててもだいじょーぶ!』とのこと。内容は確かに豪語する通り、微に入り細を穿つものだった。しかしながら、メイケイエールもデビューしたミロワダーレやリコンスタ等にヒアリングを行い、おおよその流れは把握していた。

「おっ、流石エールちゃん仕事が早いね。チェック済みなら特に言うことはないかなぁ――じゃ、ちょっと一休みさせてもらうね」

 メイケイエールの優等生ぶりに満足げに頷いた河削は、手元のポーチから黒い無地のアイマスクを取り出した。後ろの座席に配慮して少しだけシートを倒し、アイマスクをかける。

「……トレーナーさん」

「ん〜?」

「私、勝てるでしょうか……」

 三名で話していた時は勝利する前提でいたものの、日が経つにつれ些細な恐怖心が育っていった。

 心の奥底にある、イガイガしてゾワゾワするもの。それが不規則に動き回り、メイケイエールの心をにわかに刺激する。

「まあ、勝負は時の運って言うしね。実際に勝つかどうかは分かんない……けど」

 河削はアイマスクを捲り、ウインクして応えてみせた。

「私はエールちゃんが勝つって信じてるよ」

「トレーナーさん……」

 頼もしい信頼の心。身体の中で我が物顔をしていた不安の怪物が、河削の言葉でみるみるうちに萎んでいった。

 まだまだ小倉への道程は始まったばかり。体力を使いすぎないよう、メイケイエールも河削に倣って座席に深く腰掛け、瞳をゆっくり閉じた。

 

小倉入り

 小倉――。

 かつては福岡県に存在していた市であった。しかし合併となった今では北九州市の一部として小倉北区、小倉南区となり、地名や施設名にその名を残すのみとなっていた。

 海と山に挟まれる恵まれた環境であり、古来より交通の要衝として栄えていた。小倉駅を見下ろすようにそびえる小倉城と、北九州市の台所と称される旦過市場は特に有名であり――。

「今回は観光じゃないんだけどね」

「……トレーナーさん、今誰とお話を?」

「ううん。独り言」

 ――八月ともなれば、夕方のこの時間でも空はまだまだ明るい。折角小倉まで来たのだから、少しくらいは観光しても良さそうものだったが。

 小倉駅を降り、南側の小倉城口の付近で河削は縮こまった背中を大きく伸ばした。

「もうお迎え来てるみたいだから、早く宿舎に向かおっか。ずっと座りっぱなしで背中が痛くて痛くて」

 担当ウマ娘に甘いようで、割とシビアな所がある河削。今の彼女に少し観光したいと直訴したとしても、笑顔で一蹴されることが目に見えていた。

「えーと、タクシーはどこかな……」

 小型のキャリーケースを引きながら、お目当てのタクシーを捜索する。メイケイエールも大きめのボストンバッグを一つと荷物はさして多くない。レース用の衣服や道具、それに替えの肌着が何着か。

 トレセン学園の一生徒としてレースに出走するため今日と明日は制服姿。余計な私服を入れていない分、荷物はコンパクトにまとめられた。

「ああいたいた、どうも〜!」

 タクシー乗り場にて『中央トレセン学園 河削様』と書かれた札を掲げる男性の運転手を見つけた。

「ようこそ小倉へ! 長旅お疲れやろう、荷物はわしが入れるけ、先に座ってくれんか?」

 日焼けした精悍な顔が白い歯を覗かせながらにっと笑う。お言葉に甘え、河削とメイケイエールは荷物を運転手に預けてタクシーの後部座席に乗り込んだ。

「行き先は小倉レース場の宿舎で?」

「そこでお願いしまーす」

「じゃ、発車するけ、シートベルト締めてくれんね」

 何事も安全第一。二人がシートベルトを装着するのを見計らい、タクシーが小倉レース場へ向けて出発した。

 

 各レース場には必ず専用の宿舎が併設されている。地方への遠征等、長距離を移動する場合はコンディション調整のため宿舎への前日入りが慣例となっている。

 また、各レース場でG1レースが開催される場合も同様だ。過剰な取材合戦に巻き込まれないよう、ある種の隔離施設という側面も持ち合わせている。レースに臨むための場として、宿舎には簡易的な練習用のコースまで備えている。

「ではトレーナーさん、また明日よろしくお願いします」

「はーい、よろしくね〜」

 宿舎に到着後、手続きを済ませて宿舎内の食堂で軽めの夕食。麻婆茄子を食べつつ明日の予定を聞き、食べ終わると自分に割り当てられた部屋の前で河削と別れた。

「……お邪魔しまーす」

 学生寮とは違い、部屋は一人一室。設備もユニットバスにベッド、そして簡易的な机のみと必要最低限の物のみだった。部屋自体もそこまで広いものでもない。

 宿泊が目的ではないので当然だが、寮では相部屋が基本のため個室というだけで特別感を味わっていた。

「えっと、どうしましょうか」

 荷物をベッドサイドに置き、何をするかしばし考えたメイケイエール。ひとまずシャワーを浴び、その日の汗を流すことにした。

 その後はアメニティの寝間着に袖を通し、髪と尻尾をドライヤーで乾かす。

『……部屋のドライヤーは弱々だから、自分の持ってくのオススメ……』

 リコンスタのアドバイスの通り、普段使いのドライヤーを荷物に入れていて正解だった。部屋付きの小型のものでは、メイケイエールの長髪はどれほど時間があっても乾かないだろう。

 やはり信頼できるのは使い慣れた物。手際よく髪と尻尾を乾かすと、荷物の中からレース用のシューズを収めた巾着袋を取り出した。次いで、新品の蹄鉄と釘と専用のハンマーも。

「さて、と……明日のレースの準備をしませんと」

 ウマ娘のレース用シューズの靴裏にはU字型の金具、即ち蹄鉄が打ち付けられている。強靭な脚力を持つ彼女達が百パーセントの実力――地に脚を噛ませ、疾風の如く駆ける――を発揮するにはこの蹄鉄が必要不可欠。

(ん……)

 靴裏の爪先部分に蹄鉄を沿わせ、ハンマーでリズム良く釘を打ち付けていく。二、三度打っては横から目を凝らし、釘が曲がっていないか、頭が出ていないかを確かめる。

 レース中に蹄鉄が外れようものなら、単純に不利というだけでなく、後続を走る娘に直撃する可能性も考えられる。入学した当初から、蹄鉄を確実に取り付けることの大切さは繰り返し言われ続けていた。

「――よし、できました!」

 左右とも納得いく形で蹄鉄を取り付けられ、メイケイエールは満足げに鼻息を荒くした。シューズを履き、その場で踏み込み具合を確かめる。

 右脚、左脚と体重をかけて入念に。足元がグラつく感覚もなく、力がしっかりと真下に伝わっている。まさに会心の出来栄え。これならば明日のレースは好走間違いなしだ。

 踊る心を抑えつつ、シューズを巾着袋に戻してベッドの足元に置く。

 ――ピロン、ピロン。

 スマホからメッセージの着信音が二回。通知欄を見ると、グループチャットにミロワダーレとリコンスタがそれぞれ送ってきていた。

『エール、明日は応援してるからな! 頑張れ!』

 普段の話し言葉と変わらないミロワダーレと。

『エールならレース絶対勝てるよ! 超余裕でぶっ千切っちゃってよ! エールならやれる! やっちゃって!』

 テンション低めの喋り方とは想像がつかないほどの陽気なリコンスタ。二人に返信しつつ会話を交え、明日に備えて早々に就寝することにした。

 

 枕を整え、ベッドに寝転がるメイケイエール。約束の時間にアラームをセットし、明日の流れを頭の中で予習する。

(まずは、早朝の練習に取材を受けて、朝ご飯の後はレース場へ……)

 思考が巡る。待ちに待ったデビュー戦を明日に控え、これで冷静でいられるはずがない。もしかすると眠れなくなるかもしれないと、瞼を強く閉じた。

(眠れますように……眠れますように……)

 眠れるように繰り返し彼女は念じる。羊を数える余裕もなかった。

 そして――。

 

 ピピピピピッ、ピピピピピッ。

 

「――えっ、あっ……」

 ふと、目を開けるとカーテンの隙間から朝日が差し込み、スマホのアラームが鳴っていた。

「……まぁ、いつの間に……」

 いつ落ちたのかも分からないほどの快眠。メイケイエールは目覚め爽やかに当日を迎えたのだった。

 

直前取材

 宿舎に併設されたダートの練習コース。早朝ながら、各種報道陣がコース外に集まってカメラを構えていた。

 有力株は一体誰かとシャッターが間断なく切られるものの、その音をかき消すほどの蝉時雨。夏の朝の始まりはいつも以上に賑やかだった。

 メイケイエールはジャージに着替え、新装した蹄鉄の試しも兼ねレース前の調整としてコースを軽く走っていた。河削もその姿を目で追いつつ、手元のタイマーで区間毎のラップタイムを計測している。

 コーナーを回り、メイケイエールが帰ってくる。残り二百メートル。土を後ろに巻き上げながら彼女の脚が伸びやかに踊る。

 河削の前を通過したと同時にタイマーを止める。表示された結果に、もう片方の手を硬く握り締めた。

「オッケ〜〜〜イ! タイムバッチリだよぉ〜っ!」

 コーナーの辺りから徐々に加速し、スムーズにスパートに入れるよう意識をさせた。思い描いた通りと言ってもいいほどだった。

 戻ってきたメイケイエールにもタイムを見せると、顔に花が咲いたかのようにパッと明るくなった。デビュー戦に向けての準備が着々と整いつつある。

「――おはようございます! 取材しても大丈夫ですか?」

 走り終えたタイミングを見計らってか、記者数名に声をかけられた。

「今終わったとこなんで大丈夫ですよ!」

 返事をしつつ、河削は彼らに気づかれないよう、そっとメイケイエールに耳打ちをする。

「……オトナのつきあいってのも大変だよね」

「……はい、よく分かります」

 二人で苦笑い。

 レース前の記者の取材というのも恒例の一つ。当日の状態や意気込みを語るのが一般的だ。この上、大きなレースにもなれば報道陣を一斉に集めての共同取材が行われる。

「どうでしょう河削トレーナー。メイケイエールさんのデビュー戦となりますが、手応えのほどは?」

「良いラップタイムも出してますし、調整は問題ありませんよ。本人もかなりやる気出してますし――ね?」

「はい。デビュー戦を迎えるために常日頃からトレーニングを重ねてきましたから、本日はその成果を皆様にご覧に入れられればと思います」

 メイケイエールの受け答えは実に堂に入ったものだった。お家柄、人と面することが多かったからだろうか。記者からの質問にも落ち着いて、かつ明瞭に答えている。

「では本日のレースには勝算がおありということでしょうか」

「勝算というほどではありませんが……何分、私も初めての正式なレースとなりますので。少なくとも、持てる力を出し切れるよう臨みたいですね」

 更に質問に二つ、三つ答え、事前の取材はつつがなく終わった。用事を終えた記者達が去ると、隠れるように控えていた小柄の女性記者が姿を表した。

 真新しいスーツに、大きなレンズを着けたカメラの肩紐が食い込む。取材に出遅れてしまったのか、彼女以外に残っている者はいなかった。

「あの……私、こういう者でして!」

 ジャケットの内ポケットから新品の名刺ケースを取り出し、名刺を一枚河削に差し出した。

「高木さん……これはお世話に……あぁ、今日はいつもの人ではないんですね」

 名刺に書かれた社名は河削も知ったる大手。どのレースの取材においても、かの社名を目にしない日はないほどだった。

「はい、私この春に入社しまして……今日のレースが初めての一人現場なんです! 今後ともよろしくお願いいたします!」

 高木が勢いよく頭を下げた。一つに括って下ろした、背中ほどの長さの髪が揺れる。

「こちらこそよろしくお願いします。お互い、今日がデビュー戦なんですね」

 メイケイエールの方が上背がある分、話し方も相まって歳上と錯覚してしまう。新入社員ということは間違いなく高木が上のはずなのだが。

「それでは誠心誠意取材させていただきます! 早速なのですが――メイケイエールさんはどのようなウマ娘になりたいのでしょうか? 夢ですとか、目標にしている人はいらっしゃいますか?」

 割と突っ込んだことを聞いてくる。初の単独取材で意気込んでいるのもあるだろうが、河削も気になっていた部分ではあったので口を挟まないことにした。

「そうですね――この私の名前の通り、レースをご覧いただいた方に元気を与えられるような、そういった存在になるのが私の夢――ですね」

「確かに、素敵なお名前ですもんね……ありがとうございます! すみませんが、もう何点か――」

 手帳の上でペンを走らせる高木は一端の記者の姿をしていた。非常に仕事熱心な彼女の取材は朝食の直前まで続けられた。

 

パドック

 各レース場には出走者用の控室が設けられている。予定のレースが近くなると、それぞれ割り当てられた部屋で身支度を行うのだ。

 午前の早い時間のレースに出走するメイケイエールも、既に控室で支度を整えていた。スポーツウエアの上下に、自らの名が記された白いゼッケン。入念に調整したシューズは足によく馴染んでいた。

「エールちゃーん、準備はどう?」

 各所への挨拶回りをしていた河削が戻り、声をかけつつ扉をノックする。

「そろそろパドック入りしないとだから、早めに動いておこうか」

「はい、ただいま――」

 刻一刻とその時が近づく。最後に忘れ物がないか部屋を今一度見渡してから部屋を出た。

「――お待たせしました」

「よし、んじゃ行こうか」

 メイケイエールは河削に連れられ、パドックへの通路を進む。レース前の出走者によるアピール。中継されることはもちろん、来場者と身近に触れ合うことができる数少ない機会の場。それがパドックである。

「パドックの流れは大丈夫?」

「舞台袖で待機して、自分の番が呼ばれたら舞台に出て、アピールして、終わったら舞台の反対側にはける、でしたね」

 右手で指折り数えながら動きをおさらいする。いつの間にかメイケイエールの前後に、トレーナーに連れられてパドックへ向かうと思しきウマ娘が増えだした。皆、緊張しているのか表情がどこかぎこちない。

「そう。分からなくなったら係の人に聞くと良いよ」

 出走者およびレース場関係者以外立ち入り禁止の札が掲げられた扉が近づく。いよいよ、この先からはパドック施設。

「私はここまで――行ってらっしゃい。私は観客席で見てるから」

「分かりました。また後で――」

 軽く手を振る河削に会釈をし、メイケイエールがパドックへ続く扉を開ける。隙間から流れ出した空気が頬を撫で、彼女を誘った。

「エールちゃん」

 一歩を踏み出そうとしたところで河削が呼び止めた。振り返ると、彼女は右手の親指をピンと立てている。

「こういうのは思い切りが大切だよ! レースに影響なんてないんだから、練習通りドーンってね!」

「――はい!」

 メイケイエールの枠番は一枠一番、いわゆるトップバッターだった。ここまで来たのなら最早どう足掻こうと結果は一緒。河削の言う通り、身一つで体当たりするしかない。

 そうして、覚悟を胸にメイケイエールはパドックへと向かっていった。

 

 パドックの観客席は半円状のすり鉢形。河削は最後部の左端の席に陣取り、観客席の埋まり具合を確かめる。

 ――ぽつぽつ、かね。

 午前中の早い時間の上、デビュー戦である。座席は五割埋まっているかといったところ。それでも、一人で来ている者もいれば家族連れもいた。レースを観てくれる将来のファンのため、何事も疎かにはできない。

 

『それでは、小倉レース場第五レース、ジュニア級メイクデビュー。出走者の紹介です』

 

 さていよいよ。河削が居住まいを正して背筋を伸ばした。

 

『一枠一番、メイケイエールです』

 

 パドックの上部に取り付けられている大型モニターに、メイケイエールの顔写真やトレーニング映像が映し出される。どうやら、提供した宣伝素材を担当者が良い具合に使ってくれたようだ。

 そして一拍置いて、上手側から彼女が姿を現した。背筋を真っ直ぐ、歩幅は大きくゆっくりと。一歩一歩進む毎に、鹿毛の滑らかな長い髪と尻尾が優雅にたなびく。

 ただ歩いているだけなのに、河削も含めて観客はメイケイエールから目が離せなくなった。余裕すらも感じさせる微笑につられ、観客席のあちこちからカメラのシャッター音が唸りを上げる。

 

『中等部三年。本日一番人気です』

 

 舞台の中央は僅かに観客席側に迫り出している。その部分まで歩みを進め、観客に正対した。一瞬だけ、河削は目が合ったような気がした。

 彼女の口元がふっと緩んだ次の瞬間。その場でくるりと一回転。

(ちょ――)

 右脚を軸にし、全くと言っていいほどブレがないお手本のようなターン。動きについていく髪と尻尾の一本一本が、絹糸のように光を纏う。ターンの終わりも完璧で、華麗に決めた後は手を前に合わせて深々と頭を下げた。

(――やられたなぁ、エールちゃん)

 流麗な動作に、河削はただ溜息が出てくるばかりだった。事前の練習では、シンプルに歩いて舞台の真ん中で礼をして終わり。その場でターンを行う予定はなかった。

 しかし、その効果は絶大だったようだ。

「あの娘凄いな! メイケイエールか……」

「脚スッゴい長いし、あれで中等部ってマジ? これクラシック行ったらタイトル取れるんじゃ…」

 堂々としたパフォーマンスを受け、観客は口々に褒めそやす。河削はいても立ってもいられず、自分が彼女のトレーナーであることを高らかに謳いたくなってしまった。しかし、いかな河削といえどレース前の大事な時間に水を差すような真似は控えた。それでも、言葉が喉の下の辺りまで出かかっていたが。

 いずれにせよパドックは大成功に終わった。出た時と戻る時でのまるで違う拍手の音量に、確かな手応えを感じた河削であった。

 

本バ馬入り

「トップバッターお疲れ様ぁ! もうバッチリ、観客釘付けだったよ! ターンも決まってたし」

 パドックでのアピールを終え、メイケイエールは河削と合流してレース場の地下バ道を進んでいた。本バ場入り――いよいよ、レースのコースに足を踏み入れる時となった。

「土壇場でターン入れてみようと思いまして……上手くいって良かったです」

「かなり度胸あるねエールちゃん」

 パドック後の人気投票もメイケイエールは常に一番をキープしていた。それに付けられるコメントも好評ばかりで、デビュー戦は完全に注目の的と言っても過言ではないだろう。

 バ場に向かう通路の途中、ホール状に開けたスペースで河係員のチェックが行われる。服装や蹄鉄等に違反がないか、また未承認の品物の持ち込みがないか、厳密に精査が行われる。

 そして、トレーナーが帯同できるのもここまで。

「――はい、メイケイエールさんは問題ありません。バ馬へ向かってください」

 当然ながら、チェックは一発クリア。靴紐を締め直してメイケイエールは立ち上がった。

「では、トレーナーさん――行って参ります」

「行ってらっしゃい! エールちゃんの可愛い姿をさ――観客連中に見せてやんなよ!」

 可愛い姿という独特な表現。恐らく、その言葉の裏側には様々な意味が含まれているのだろう。メイケイエールは頭の中で反芻し、静かに飲み込んだ。

「――お任せ下さい!」

 踵を返し、本バ場への出口に向かう。通路の向こうには青々とした芝が広がっていた。夢への第一歩を踏み出さんとしたその時、ギラギラと照りつける陽光で目が眩んだ。

 真っ白に染まった視界の中で、ふと昔の、今まで忘れていた記憶がふっと蘇る。それはメイケイエールがまだ、地元の幼稚園に通っていた頃の思い出。

 

 中京レース場でのレースプログラムの合間、未就学ウマ娘を対象としたデモンストレーションが行われていた。

 

『それでは、中京レース場特別企画! ポニーちゃんのかけっこ競走を開催します! 力一杯走る姿を、レース場にお越しの皆様、温かい拍手で応援してあげて下さい!』

 

 係員に手を引かれ、あどけないウマ娘達が本バ場に姿を現した。アヒルの親子を彷彿とさせる、互いに手を繋いで一列になっている様子が大型ビジョンに映し出された。

「かわいい〜! 皆頑張って〜!」

「転ばないよう気をつけて〜!」

 観客達の温かい声援に、嬉しさと恥ずかしさでコロコロ丸い頬が林檎のように紅くなる。そのうちの一人、メイケイエールがスタンドのあちこちに目をやった。

 あの人でもない、この人でもない。しかしその内、彼女に満開の笑顔が咲いた。

(――おとうさま! おかあさま! ありさ!)

 スタンドの前に陣取っていた、スーツ姿の父と赤ん坊の妹を抱く母。メイケイエールは家族に向かって、全身を使って大きく手を振った。

 

『かけっこ競走、最初のレースです! 走ってくれるお友達は――』

 

 係員がロープをピンと張り、その前に誘導した係員がウマ娘を整列させてゆく。

「みんないいかな? 端っこにいるお兄さん達がロープを上げたら向こうのテープまで走るんだよ……分かったお友達は手を挙げてー!」

『は〜い!』

 説明を聞いたメイケイエールも元気よく返事をしながら、先をこぞって手を挙げる。三百メートル先には別の職員がテープを持って立っていた。小学校に上がる前とはいえ彼女達は立派なウマ娘。この距離を走る力は優に備えている。

 係員が離れ、めいめいが片脚を前に走る体勢を整えた。幼いながらも、発走直前の緊張感で顔が引き締まってゆく。

 

『よーい……スタート!』

 

 アナウンスと共に、眼前のロープが跳ね上げられる。その瞬間、メイケイエール達はわぁっと一斉に駆け出した。走り方もバラバラだが、ただひたすら無我夢中で走る姿にG1レースもかくやと思われる程の声援が沸き起こる。

 

『さあ、みんな一斉にスタートしました! 元気いっぱいに先頭を走るのは――五番のゼッケン、メイケイエールちゃんです!』

 

 大きいストライドで跳ぶように走る。大型ビジョンに大写しになった愛娘に、両親は瞳を輝かせながらより一層声援を送った。

 

『――メイケイエールちゃん、そのまま先頭でゴール! 他のお友達も一生懸命頑張って走りました! 皆様、もう一度大きな拍手を――』

 

 そのままの勢いでメイケイエールは先頭でゴールを迎える。一位の特典である金色の折り紙で作られたメダルを首に、満面の笑みで両親の元へ戻ってゆく。

「おとうさま! おかあさま! えーるいちいだよ! いちいとったよ! みたみた!?」

「もちろん観てたよ! エール頑張ったね!」

 父親に抱きつき、ぐしゃぐしゃと頭を撫でてもらう。

「ねえねえ、えーるどうだった? どんなだった?」

 くりくりした瞳を更に真ん丸にさせながら、父親に無邪気な質問をするメイケイエール。父親は顎に指を当て暫し考えた。

「そうだねぇ――うん、楽しそうだった。楽しそうに走ってるエールを見て、パパもママも楽しくなっちゃったかな?」

「えっ? ほんとう? えーるもね、えーるもねっ! はしってて、とってもとってもたのしかったの!」

 幼いメイケイエールは両手を高く挙げる。それは空に浮かぶ雲を掴まんとばかりに大きく、広く。

「みんなにたのしくなってもらいたいから――えーる、いっしょうけんめいはしるねっ!」

 ――幼き日の思い出。

 指の間から差し込む陽の光。眩しくて思わず目を瞑り、恐る恐る開くとそこは――これから自分が走る、小倉レース場のコースだった。

 

小倉レース場第五レース 芝千二百メートル(右)メイクデビュー

 本バ場入りでコース内に出たウマ娘達は、返しウマと呼ばれるウォーミングアップを行う。十数分と限られた時間ではあるが、ここで自らが走るコースの状態を確かめるのだ。

 ――芝の状態は良好。コースが荒れた部分もなく、走るのに何ら問題はないだろう。

「第五レース出走時刻です! 出走者は係員について出走ゲートに向かってください!」

 緑のベストに黄色い帽子を被ったレース場職員が声を張り上げた。ストレッチや軽くダッシュをしていたウマ娘達は遅れないよう係員の後を追う。通常のレースなら係員がゲートまで先導することは行わない。あくまでデビュー戦に限定した通例とも言える。

 頭上に番号が記され、一人分のスペースで区切られている金属製のゲート。出走者が配置につくのを、口を開けて待ち望んでいるかのようだ。周囲にはゲート担当の係員が数名、スタートに向けての作業で慌ただしく走り回っていた。

「それでは奇数番からゲートに入って下さい――まず一枠一番の方、どうぞ!」

「あ、はい!」

 係員に促され、最内のゲートにメイケイエールが収まった。後ろの観音開きの扉が閉められ、狭いゲート内でじっと彼女が佇む。

 トレーニングで繰り返しゲート練習をしてきたので特に問題はない。四方は手狭なれど、目の荒い網のため圧迫感もあまりなく、余裕があれば隣の出走者と会話さえできるだろう。最も、今はそこまでのゆとりはないが。

 ゆっくり呼吸を整えていると、いよいよ場内にアナウンスが流れた。

 

『各ウマ娘、ゲートイン完了です! 小倉レース場第五レース、芝千二百メートル、メイクデビュー! さぁ、トゥインクルシリーズに華々しいデビューを飾るのはどのウマ娘か! もう間もなく出走です!』

 

 深呼吸を一つ、半身の体勢になって構える。少なくともスタートで出遅れないようにしなければ。それだけでも随分と不利となってしまう。

 

『体勢整いまして――スタート!』

 

 ガッシャン!

 けたたましい動作音。

 そのタイミングで、メイケイエールを始め出走ウマ娘が一斉にゲートから飛び出した。

 

『十六番、ロボティック好ダッシュ! しかし躱してブレイブエクレアが先頭! 三番手は四番マロンジョウジュ、後は一番メイケイエールが四番手!』

 

 芝を蹴る足音。

 ウマ耳の風切り音に心が昂る。

「――はっ!?」

 ふっと視界が開けると、メイケイエールは先頭集団の四番手につけていた。右手側には内ラチ、左手側には三番手のウマ娘。そして前方には先行する二名。

「――前に、前に――!」

 前に遅れてはなるまいと、離されないよう彼女は速度を上げる。他の誰よりも、跳ぶように走るという言葉が似合っていた。

 千二百メートルの平均タイムは一分弱。位置取りを僅かに誤るだけでも決定的な差となりうる。そのことを座学で叩き込まれたメイケイエールは兎にも角にも先頭を目指した。

(この位置で、コーナーを終えたらスパートして――)

 コーナーを回り終えるタイミングで、彼女は前を走る二人の横にピタリと身体を合わせる。前に壁となる者はいない。

 走りながらその時をじっと窺う。

 

『第四コーナーのカーブ、直線に向いています! 先頭は二番、ハルカジェイポップ――』

 

 眼前に伸びる、真っすぐの芝のコース。

 観客が身を乗り出すスタンド。

 そして目指す先にはゴール板。

 メイケイエールが大きく息を吸う。心臓がどくん、どくんと大きく脈打つ。その度に熱く、燃え(たぎ)る鼓動が全身を駆け巡る。

(一番になるのは――)

 大地を踏み抜かんばかりに踏み込む。しなやかな彼女の脚が鋼のバネに姿を変えた。

「――一番は私ですッ!」

 魂魄の気合。

 渾身の力で芝を蹴り出し、メイケイエールが宙を跳ぶ。

 流れる尻尾にすがりつく間もなく、全てのウマ娘を置き去りにした。

 

『――しかし並んで――いや、楽に抜け出した! 一番、メイケイエールが先頭です!』

 

 それは異次元の加速。

 たちどころに先頭に躍り出たメイケイエールに観客席がにわかに沸き立った。どよめきと、歓声が混じり合って一つの大音声となる。

 

『リードは二バ身、三バ身! 独走態勢だ!』

 

 なおも彼女は伸びてゆく。

(後ろは……?)

 背後の威圧感がふと消え、メイケイエールは訝しがる。二番手、三番手のウマ娘は喰らいつこうとしていたものの、あまりの速さにとうに諦めていた。

 既に少しでも上の順位になろうと手堅い勝負にシフトしていたのだ。 

 

『先頭はメイケイエール! 余裕を持ったままの圧勝でゴールイン! 二着は十三番グライフリューゲル! 三着、十一番ライブラロード!』

 

 五バ身差でゴール板を駆け抜けた。見事なまでの圧勝劇に観客席から喝采が怒濤の如く押し寄せる。その中には、絶叫している河削の姿もあった。

「ハッ……ハッ……勝っ、た……?」

 徐々に速度を緩めると、自身の名を呼ぶ声を認める。スタンドから、幾多の観客が手を叩いて勝者の名を叫ぶ。

 激しく上下する胸を手に、勝利を実感すると共に歓喜の余韻で身体が震える。汗が目に染みても、今の彼女にはそれが心地良さすらあった。

「――勝ちましたっ!」

 握った右手を高らかと掲げると、それに呼応して拍手の雨霰。

 この瞬間、間違いなくメイケイエールは未来のスターウマ娘の一人となったのだった。

 

ウイニングライブ

 勝利の喜びも束の間、河削とメイケイエールは大慌てで地下バ道を走っていた。

「ヤバいヤバい――時間押してる! エールちゃん急いで!」

「わ、分かってますっ!」

 レースで一着となった後、コースに隣接されたウィナーズサークルで様々な取材を受けるのが通例となっている。写真撮影や勝利者インタビュー等、担当トレーナーである河削を交えてのものも。

 メイケイエールはどれも丁寧に対応した。しかし、丁寧に対応しすぎて、その後にある大切なことをすっかり忘れていたのだ。

「主役がウイニングライブに遅刻とか笑えないよ!」

 ――ウイニングライブの存在を。

 レース勝者の最大の権利であるウイニングライブ。一着となったメイケイエールも栄えあるセンターの座を与えられた。

 問題はライブの時間が決められているということだった。彼女が走ったレースも、当日予定しているプログラムの一つに過ぎない。そしてレースの数だけライブがある。その日ラストのメインレースなら多少の融通は利くだろうが、合間のレースではそうもいかない。

 要するに時間厳守。

 バタバタと控室に戻ってきた二人は、勝者とは思えないほどの慌ただしさでライブの支度を始めた。

「えっと、更衣室――いや、うーん」

 スターティングフューチャーと呼ばれる専用のライブ衣装。それを片手に、河削はメイケイエールと交互に目をやった。

「――駄目だ時間ない。ここで脱いで」

「いっ……!」

 耳と尻尾が逆立つメイケイエール。豆鉄砲を食らった鳩のような顔で真っ赤となった。

 しかし、次の瞬間には靴を脱ぎ、ゼッケンごとスポーツウエアを脱ぎ捨てた。女性同士であるし、時間がないのも重々承知している。黒のスポーツブラとボクサーパンツの上下となった彼女に、乱雑に大判のタオルが渡された。

「とりあえず体拭いて! 服渡すから」

 息つく暇もない。本当に一息つけるのはライブが終わってからだろうか。

 河削から渡された順に衣装を身に着けていく。菫色のニーハイソックスから、臙脂色のセパレートタイプのインナー。その上から白のショートジャケットと同色のフレアスカートにショートブーツ。スカートの腰付近には特徴的な青い大きなリボンが飾られている。

 着やすいようにある程度考慮されているものの、それなりに時間はかかる。やはり更衣室で悠長にしていられる余裕はなかった。

 大急ぎで着付け、乱れがないか河削がざっと目視で確認する。

「大丈夫――かな。尻尾だけブラッシングしよっか」

 レースで乱れた尻尾の毛並みをブラシで簡単に整える。その最中、メイケイエールは複雑そうに口をへの字に曲げていた。

 ミロワダーレやリコンスタの話ではシャワーでサッと汗を流せる程度の時間はあったはず。ただ、投げかけられる賛辞がとても心地よく、そのことがすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。ミスといえばミスなのだが、ミスを認めたくない感情も確かにある。

「よし、どうにか間に合うか――先に行っておいで! 片付けしてから私も追いかけるから」

「分かりました……お願いします!」

 観客がライブを待っている。あれこれ考えるのはまだ後だと、メイケイエールは控室を飛び出していった。

 しかし、彼女は知る由もない。

 ――片付けという名目にかこつけて、脱いだばかりのスポーツウエアに河削が顔を埋め香りを堪能していることに。何度も大きく深呼吸。その間、メイケイエールの新鮮な香り成分を肺いっぱいに取り込んでゆく。

………………(スーハースーハー)よ☆し!」

 そして、荷物を手早くまとめ、生気みなぎる顔つきの河削が後を追ってライブ会場へと向かっていった。

 

「……遅くなって本当に申し訳ありません……!」

「大丈夫です。今、前の組のライブが終わった所ですから」

 ライブ会場の舞台袖。どうにか間に合ったメイケイエールは、スタッフとライブに参加する他の二人に謝罪しきりにだった。

 ライブに参加できる人数はレースのグレードによって異なる。メイクデビューや未勝利戦等では上位三名、G3やG2の重賞では上位五名、そしてG1では出走者全員。もしG1レースのライブで遅刻しようものならどうなることか。

「これから客席の入れ替えと清掃、チェックをしますんで……開始は大体十分後です。いつでも行けるようスタンバっててください!」

 舞台袖からちらりと覗くと、前のレースで走った三人が深々と頭を下げていた。そして手を振りながら舞台の反対側へ去ってゆく。

『――お客様の誘導と座席チェックよろしく! 急いでね!』

 リーダーらしきスタッフが無線で指示を飛ばす。それを受け、他のスタッフも蜘蛛の子を散らすように仕事にとりかかる。

 取り残されたメイケイエール他二名。十分間とはいえ、無限のような十分間。ただ待つだけでは、見えない金ヤスリが身も心も削ってゆく。

「あの、エールさん?」

 顔色を窺うように、黒鹿毛の娘――グライフリューゲルが恐る恐る声をかけてきた。

「あっ、はい。何でしょう?」

「もうすぐライブなんだけどさ……三人で動きの確認できないかな? 何かもう頭の中真っ白になりそうで」

 メイケイエールも同じ心境だった。何でも良いから何かをしていたい。そうでもなければ、片っ端から抜け落ちてしまいそうで。

「私は構いませんが……ライブラロードさんは?」

 もう一人の栗毛の娘は顔を強張らせてただ頷くのみ。どうやら、三人共様々な意味で限界のようだった。

 互いに顔を見合わせると、ごく自然に静かなリハーサルが始まった。歌をささめきながらポジションや振り付けを確かめ合う。同じレースを走ったライバルなのだが、ライブの場では一蓮托生。失敗して晴れの舞台を台無しにしたくない一心だった。

『準備オッケーです! お客様入ります!』

 自分達のライブ目当てに、期待に満ちた顔の観客達。一人で席に着く者もいれば、家族連れやカップルらしき組み合わせも。

 レース前と同じか、いやそれ以上に心臓の鼓動が早くなる。これまでとは異なる、異様な緊張感がこの場を支配した。

「そろそろお時間ですんで……いいですか? これから簡単なアナウンスで皆さんを紹介します。んで、最後にどうぞって合図が出たら舞台に出てください。立ち位置にテープ貼って印作ってありますから、皆さんがその場に立ったら曲がスタートします。いいですか?」

 話の半分も理解しきれなかったが、メイケイエール含め三人は雰囲気でただただ頷いた。とりあえず、三人いればどうにかなるだろうという打算と共に。

 

『ご来場の皆様、大変お待たせいたしました。これより第五レース出走者によるウイニングライブの開始となります。パフォーマンスを見せてくれるのは、ライブラロード、グライフリューゲル、そしてメイケイエールの三人です――どうぞ!』

 

 合図の呼び声。

 意を決し、舞台袖から飛び出して舞台上の立ち位置へ。マイクを両手に、身体の前でしっかりと構える。観客からの期待に満ちた、温かな拍手に全身が包まれる。

 ――話を聞くのと体験するのとでは大違い。ミロワダーレとリコンスタも口を揃えてライブは大変だったが楽しかったと。メイケイエールはその言葉が少しだけ分かった気がした。

 そして、Make debut!のイントロが流れ出す――。

 

あとのまつり

「いや〜っ、エールちゃんお疲れ様! 色々大変だったねえ」

 無事ライブも終え、レース場の控室を引き払って宿舎のロビーに戻ってきている。嵐のように過ぎ去っていった一日にようやくの平穏。

「やっぱりモノが違うよ、モノが! レースは圧勝、ライブも大成功でさ――」

「その、ライブはどうだったでしょうか……変になってませんでしたか?」

 ひたすら褒めちぎる河削に、浮かない顔のメイケイエール。レースの結果は彼女自身会心の結果といえるが、その後のライブは慌てていたこともあり記憶が若干曖昧になっていた。

「ん〜? みんな写真や動画を沢山アップしてくれてるよ、ほら――」

 河削が自分のスマートフォンで、SNSサイトに投稿された内容を見せてくれた。写真や動画とともに、思わずむず痒くなってしまう絶賛のコメントで溢れかえっていた。

「よ、良かったのですよ……ね?」

 少なくとも、変な失敗はしていないようだ。しかし心のざわつきは治まらず、耳が忙しなく動いて落ち着かない。

「うん、スタートはもう最高! 先のことはまたその時考えりゃいいから、この後は――」

 懐から短冊形のパンフレットをいくつか河削が取り出し、メイケイエールに手渡した。いずれもグルメやスイーツ特集の内容で、写真を見るだけでも口内に唾液が溢れ出す。

「帰りの時間まで余裕があるから祝勝会いかな〜い? 折角だから甘いモノ食べて帰ろうよ!」

 ゴクリと喉を鳴らし、生唾を飲み込む。思えば昼食を摂る暇もなくここまで来ていた。疲労感と空腹感が一挙に押し寄せてくる。

「でしたら……」

 今にも飛び立ちそうな程、上機嫌に耳をはためかせる。

「……かき氷、食べたいです。フルーツ沢山乗っているのを」

 パンフレットを指さしながら、メイケイエールは控えめにはにかんだ。

 

 小倉から凱旋した数日後、メイケイエールは学園の図書室に向かっていた。夏休みの課題を進めるのにどうしても資料が必要になったのだ。

 レースで駆けたり、舞台で歌ったり踊ったりすれど彼女達は立派な学生。ただレースで結果を残せば良い訳ではなく、社会一般的な教養も身に着けなければならない。

「あら、エールじゃない。どこに行くの?」

 人気のない廊下。リストアップした資料を書いたメモ片手にした彼女を、背後からツンと澄ました声が呼び止めた。

「マシロさん……課題でちょっと調べ物に」

 振り返るとそこにはマシロが。

 純白の長い髪を片手でかきあげる仕草は、いつ見ても堂々としたものだ。片方の手にはレポート用紙を挟んだバインダーを携えていた。

「こんな暑いのに精が出るじゃない」

「ありがとうございます。マシロさんはどうしてこちらに?」

「私? 私は課題のレポートを提出しに」

 手にしたバインダーでバサバサと扇いでみせるマシロ。どうやら、先んじて課題を終わらせたことをアピールしたいらしい。

「まあそれはそうとして、見たわよ――小倉の」

「マシロさんも見てくださったんですね! どうでした?」

「そうね――」

 そういうのには興味がなさそうなマシロだったが、わざわざ他者のデビュー戦を見たとは。彼女がどのように思ったのか、疑問よりも先に興味が勝った。

 メイケイエールの問いに、マシロは指を唇に当てながら天井に視線を向ける。

「――まあまあ、かしらね」

 期待より答えは素っ気ないものだった。

「まあまあ、ですか……」

「気を落とすことはないわ。先月勝った私ほどではないにしても、エールも良くやったと思うもの。それじゃ、ご機嫌よう――」

 身体をくるりと翻し、マシロは悠々と廊下の角を曲がって去っていった。

「マシロさんは手厳しいですね……」

 デビュー戦の勝利に浮かれていたのを見抜かれていたのかもしれない。いくら強い勝ち方をしても、たかがデビュー戦で一勝しただけ。調子に乗るのはまだ早い、ということだろうか。

「……まだまだ、気を引き締めないといけませんねっ」

 チクリとした胸の痛みにホロ苦さを感じつつ、メイケイエールは当初の目的を果たすために図書室へ歩みを進めた。

 やがて彼女の足音が遠ざかっていくと、マシロが曲がっていった角の向こうから低く潰れた唸り声が。

「どうして……」

 声の主は、去ったはずのマシロだった。

 角を曲がったすぐ先で、壁に左肩を預けるようにもたれ、そのままズルズルと床にへたり込む。

「……一着おめでとうって……言いたかったのに……」

 意に反して居丈高なことをのたまう自らの口に、マシロもまた苦い思いを噛みしめるのだった。




次話は日常話と小倉ジュニアSとファンタジーS。
他走者から見たメイケイエールをテーマにしてます。
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