スポット登場の二名について、わかりやすい描写はしてますがモチーフは以下の通りです。
マチノレジーネ→サトノレイナス
レーゾンデートル→ユーバーレーベン
ジュニア級のクライマックスなので、可能な限り盛り上げたいとは思いますが…。
人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html
いくさ支度
過剰なまでの前進気勢と突発的なフォームの崩れ、そして遅れがちになるスタート。解消とまではいかずとも、ジュベナイルフィリーズまでには緩和させようと河削は苦心していた。
「次はゲート練習ね。一歩目を強く、早く出すことを意識してよ〜」
練習用コースの一角に設けられたゲート。専用のリモコンを使用して遠隔操作で開閉できる特製のものだ。ゲートの右端にメイケイエールが収まり、手を挙げて準備OKの合図を送ってきた。
彼女の呼吸のリズムをじっくり観察する。そして、なるべくリズムから外れるタイミングでゲートのリモコンを操作した。
――ガシャン!
「ふっ!!」
メイケイエールは滑らかなスタートダッシュで駆けていく。それを何本か繰り返し、河削は録画しておいた先程のスタート練習の映像を見た。そして、眉間にシワを寄せながら耳の上辺りをぐしゃっと一掻きする。
(――練習だと問題ないんだよねぇ……)
どうにも心のひっかかりが解消できない。メイケイエールの大きな課題であるどれもが、練習ではいたってスムーズにこなせているのだ。他の娘との並走も試してみたが結果は変わらず、本番レースでの荒ぶる彼女がまるで夢幻だったかのよう。
目立った成果が出ていない以上、アプローチ方法を再考しなければ。残りの期間は限られるが、焦らず迅速に。
「――あの、トレーナーさん。今日って確か……?」
気がつくと、戻ってきたメイケイエールが眼前にいた。少し身を屈め、様子を窺うように上目遣いで。
「んぉ――あいやお疲れ。そっか、今日だったっけ……」
自身の焦りや不安を、担当する娘に気取られる訳にはいかない。不安や恐れといった負の感情はいとも容易く伝播する。常に隣にいるのならばなおさらだ。
彼女にそういった心境を悟られないよう、河削は手早くタブレットを操作してこの後のスケジュールを確認した。
「……それじゃ一時間後に駐車場のとこで待ち合わせで! トレーニングしたし、シャワー浴びてスッキリしておいでね」
「もちろんです。お手間取らせる訳にはいかないですものね」
メイケイエールの尻尾が嬉しげに弾む。それはそうだろう、今日は彼女専用の勝負服の仮縫いを行う日なのだから。
GⅠレースではそれ以外のレースと異なり、勝負服と呼ばれる専用衣装の着用が必須となっている。着用者を表現する一着ということで文字通り一点物であり、デザインのバリエーションはまさに十人十色。
彼女がジュベナイルフィリーズへの出走が確定となったらすぐさま、専門テーラーにオーダーを出していた。手早く済ますためにパターンオーダーの方式を採る業者もいるが、やはりそこは専属契約なればこそ。最上級の装いでジュニア級最高峰の場に立たせてやりたかったのだった。
「わざわざお越しいただいて本当にありがとうございます。本来なら私達がお伺いするところでしたが……」
約束通りきっちり一時間後、学園の駐車場で合流した河削とメイケイエール。担当する女性テーラーが来訪したのらその十数分後だった。
「いいえとんでもないです! 大切な追い込みの時期なのは我々も存じておりますので、どうぞお気になさらず――」
荻野と自己紹介したテーラーは傍らに大型の金属製キャリーバッグを携えていた。あの中にとても大切な勝負服が収められていると思うと、メイケイエールはいても立ってもいられない様子だった。
「じゃあ仮縫いは――私のトレーナー室にしましょう。エールちゃん、荻野さんの荷物をお持ちしてあげて」
「はい。それでは後は私がお運びしますね」
「あ、いえこれ重――」
荻野が何かを言いかけた所で、メイケイエールが当のキャリーバッグをひょいと軽く持ち上げた。持ち主の本人は両手で引きずるようにキャスターを転がして運んでいたのだが。
「なんでしょう?」
「――いえ、なんでもありません……ありがとうございます」
パワーの差をまざまざと見せつけられ、荻野は言いかけた言葉を飲み込んだ。現時点で成人女性を軽く持ち上げられるのだから、キャリーバッグなぞ手こずるまでもなかった。
そして河削のトレーナー室に招き、いよいよ仮縫いの試着が始まる。
「まずはオーダーの確認をさせていただきます。メイケイエール様の勝負服として、御本人様のスタイルを強調するデザインで、色使いは派手にならないよう控えめに、という内容でよろしいですね」
「ええ、間違いないです」
勝負服のオーダーを出すにあたり、メイケイエールと二人で熟考に熟考を重ねた。先達の勝負服デザインを参考にしようとするも、とにかくバリエーションがありすぎて逆に絞りきれなくなる有様になった時もある。
そして最終的にどうなったかというと。
『モデル体形のエールちゃんのスタイルがバッチリ映えるデザインで!』
『えっと……あまり派手すぎないよう、落ち着いた感じでお願いします』
素人がああだこうだ口を出すより、大まかな方針を伝えて詳細はその道のプロに任せるべきだろうと。他にも写真や動画を提供したり、オンラインでの打ち合わせを経て今日この日がやってきたのだった。
「それではお改めください」
キャリーバッグから衣装カバーごと勝負服を取り出し、机の上に丁寧に広げた。
「おぉ〜……」
「これが、私の……」
現れたのは黒く艶のある生地で、軍服と燕尾服を足して二で割ったような勝負服だった。袖口や上着の前合わせに金糸の刺繍が施されており、地味な黒一色でありながら上品さも併せ持っていた。
「以前採寸しましたところ、確かにメイケイエール様は平均と比べても脚が大分長いようでしたので。なので脚の長さがよく見えるよう、体形にフィットするパンツスタイルといたしました。ジャケットも走行の邪魔にならない程度にテールを伸ばして、伝統的な礼装とも違和感ないデザインとしましたが――」
メイケイエールは最早、話半分で自身の勝負服に心奪われていた。GⅠという晴れの舞台に出られる証拠でもある、世界で自分だけの衣装。この反応もやむなしだろう。
「エールちゃん着てみる? サイズ感確かめてみようか」
「あ、はい! もちろんです!」
彼女は嬉々としながら勝負服を抱え、物陰に移動して着替え始めた。その様子をつぶさに観察したかった河削であるが、第三者がいる以上断腸の思いで慎んだ。
なのでせめてもの慰めとして、衣擦れの音でイメージを補完する。それにしてもその目で直に拝みたかったと、河削は心の中でさめざめと涙を流した。
「……えっと……んっ……」
衣擦れに時折吐息が混じる。見えないからこその想像の余地。表情こそ平静を崩していない河削ではあるが、その内心は猛烈に燃え上がっていた。主に邪な方向で。
暫く待つも、メイケイエールはなかなか物陰から出てこなかった。やがてトン、トンと小刻みに飛び跳ねる足音が聞こえるようになる。
「エールちゃん、大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
壁をノックして声をかけるも、彼女は問題ないという返事。
しかしこの時、河削の頭には一つの可能性を予測していた。それはとても重要な問題であり、トレーナーとして全力を尽くして対処しなければならない。
テーラーの荻野になるべく聞こえないよう、河削が声を潜めてこう呟く。
「……お尻収まんなかったら――私が押し込んだげようか? やさし〜く入れてあげるから」
「だだだいじょうぶですっ……だいじょうぶです?」
(わぁ疑問形)
静かに慌てふためくメイケイエールの息遣いを全身で感じ取った河削。その予測はどうやら正しかったようだが、非常に残念なことに手伝いの申し出は受け入れられなかった。
数分程悪戦苦闘の後、着替え終わった彼女が姿を表した。
「……どう、でしょう」
窓を背にし、少しばかりはにかむメイケイエール。上下ともに黒の衣装だが重苦しさは全くなく、要所に施された金の飾りで格調高さに溢れている。そして強靭さを秘めたしなやかな脚にぴったり沿うパンツ。
まさに彼女を表現する一着。初めて袖を通したとは思えないほどの一体感だった。
「――すっごい、すっごい良いよ!」
人は心から感動した時、言葉を忘れてしまう。河削の脳裏には数多の賛辞が上がってきたが、口から飛び出てきたのはとてもシンプルなもののみだった。
「とてもお似合いです!」
荻野も同樣に手を叩いて褒めそやす。
「そ、そうですか? 私もしっくりするといいますか……初めて着るのに、仕立服って凄いんですね」
「お気に召したようで何よりです。体形にフィットするデザインなので着難い部分はあるかと思いますが、気になった所はございますか?」
「そうですね……腕を前後に振ると気持ち引き攣れる感じがします」
「なるほど、アームホールの微調整が必要ですね。少々失礼します――」
荻野が自らの手でメイケイエールの肩口と腕周りの感じを確かめていく。確認する都度、手元のメモにさらさらと書き込んでいった。
「――他は概ね問題なさそうですね。それでは微調整をしましたら引き渡しとなります。一週間程を目安にいただければと思いますがよろしいですか?」
「それで大丈夫です。よろしくお願いします」
勝負服の確認も終わり、いよいよ本番が近づく足音が聞こえてきた。
しかしそれと同時に、メイケイエールは脱ぐのを名残惜しそうに袖口を軽く握り締めた。
うら若き乙女たち
「来たね阪神! 今年の締めくくりにGⅠのタイトル頂いちゃおっか」
「はい!」
十二月を迎えたある日の朝早く。河削とメイケイエールが阪神レース場の正門を見上げるように立っていた。その表情は気概に溢れ、白い吐息に熱がこもる。
ジュニア級といえども立派なGⅠレース、その注目度は段違いとなる。このレースで活躍したウマ娘がクラシック級の主役となることも珍しくなく、未来へ向けた一戦と言っても過言ではない。
「今日は合同の取材があるから、それが終わったら軽く走っとこうか。身体を慣らす程度でね」
「いつも通りのトレーニングでも大丈夫ですよ? 目一杯の追い込みでもいけますっ」
「まあまあ。その気持ちは本番に取っておこう。今から張り切り過ぎてちゃバテちゃうよ」
「……トレーナーさんがそう仰るのなら……」
珍しく鼻息の荒いメイケイエールを制止する。初めての大舞台なので、気分が昂るのも当然だろう。
GⅢ二勝と実績十分のメイケイエールは既に優先出走権を獲得していた。事前の人気投票や特集記事も多く、観客からの期待の高さも伺える。
「どの道、取材とかでそんなに時間取れないかもだから。焦らずね、焦らず」
「では、せめて……宿舎まで走ってはいけませんか?」
隙あらば走ろうとする姿に苦笑いしながらも、河削はこの気持ちの強さに大きな希望を持っていた。他の出走者も粒揃いではあるがメイケイエールも負けてはいない。
彼女の走りができれば一位を獲れる。そう強く確信していた。
勝負服に身を包んでの合同取材。GⅠレースのみで見られる風景だ。会見場として専用のブースが設けられ、そこにゲートの枠番と同じ順番で取材を受ける流れとなる。
そして、ジュニア級のGⅠレースならではとして――。
「マシロさん! ベネさん! お二人の勝負服、とってもお似合いですよ!」
――自身の勝負服の初披露の場でもあった。各人意趣もバラバラな衣装だが、それがかえって舞踏会のような絢爛さを醸し出していた。
「やあ、ありがとう……エールさんも格好良えねえ。よう似合っとうよ」
正しく侍といった、白い羽織袴のベネベネ。襟口の部分にのみ赤色が使われており、鮮やかな色合いに目が惹かれる。
「エールのそんな格好も珍しいわね。ピッタリしたパンツなんて履いたの見たことなかったわ
マシロの感想を受け、下半身を少しでも隠そうとジャケットの前身頃の下をグッと引っ張る。しかし、長さに余裕があるデザインでないため無駄な抵抗であった。
「マ、マシロさんのようなのだったら馴れていたのですが……」
マシロの勝負服はいたって正統派なノースリーブのワンピースドレス。白毛の彼女に相応しく白を基調としている。飾りとして腰の辺りからスカートにかけ、青地に金のラインが引かれた生地で覆われている。そして同じ二の腕から手の甲まで包むアームガード。
優美さと気品に満ち溢れる純白のドレス。見る者は皆彼女を絶賛することだろう。
「何を言ってるのよ、貴方の勝負服でしょうに――お似合いよ、貴方も」
「そうそう、自信持ちな。だって腰ん高さなんか――」
ベネベネがメイケイエールの横に歩み寄り、腰の部分をそっと合わせた。
「――うん。エールさんの方が拳一個分脚長さんやね」
脚の長さなぞ、それこそ年頃の女の子にはかなりデリケートな問題なのだが。ベネベネは豪胆にも、気にする素振りをまったく見せずにカラカラと気持ちよく笑った。
「さ、マシロはエールさんよりどんくらい足が短かかね?」
「やめて。短い前提で話を進めるのはやめて」
「なら実際どうと? 知っとっと?」
「それは……いいのよ、そんなことは」
実は以前、ほんの戯れにメイケイエールとマシロは互いの脚の長さを比べたことがある。結果は本人の名誉のため伏しておかなければならないが。
そうしてつかの間の交流を経て、合同取材の時間となった。進行役の指示の元で粛々と進められていく様子を、自身の番となるまで部屋の片隅で見守る。
「エールちゃんは八枠十八番。トリだなんてさすがだよねえ」
その内、少し遅れていた河削も合流した。
「……せめて中くらいでしたら良かったんですけど……」
「まあ決まっちゃったものはね。しょうがないね」
抽選で最も外の枠となったメイケイエール。他の出走者の取材を参考にできるとはいえ、初めてのGⅠということでこれまで以上の緊張感に包まれている。
内側の枠となったマシロやベネベネが順調に取材を終えていく。非常に落ち着いた受け答えをしてみせたが、それは後続の者へのプレッシャーにもなりえた。
『それでは十八番、メイケイエールさんお願いします!』
いよいよ順番。
――思いのほか早かった。
とはいえ呼ばれたからには受けねばならない。意を決し、記者が控える取材ブースに河削と二人で赴いた。
「メイケイエールです。よろしくお願いいたします」
中央に立って頭を下げると、返礼として数多のフラッシュが。その眩しさに目を細めながら、見知った顔がいないかそっと目を配った。
小倉のデビュー戦以降、ずっと取材に来てくれている高木と目が合うと、張り詰めていた緊張の糸が少し緩んだ。
「これまでGIIIを連勝してこられましたが、初めてのGⅠに向けてどのようなことを意識していますか?」
「はい。何分このような大舞台は初めてですので、これまでと同じ様に臨みたいと思います」
「特に負けられないようなウマ娘は?」
「皆様等しく素晴らしい方々ですから……精一杯、自分自身の力を出し切りたいですね」
「マシロとは親戚関係で意識することがあるかと思いますが、彼女についてどう思いますか?」
「ええと。マシロさんはとても素敵で、走る姿も華やかで……尊敬する方の一人です」
「あの! 阪神レース場ではこれが二戦目となりますが、お気に入りの大阪グルメは見つかりましたか?」
様々な質問が出てきたが、最後の異質な質問は高木から出てきたもの。質問の内容からしてピリピリする雰囲気になりそうだったところ、少し場違い感のある質問がふわっとした空気をもたらした。
「やっぱりたこ焼きですね……レース場に着く前に自由時間があって、少し食べてきたのですが。レース前だからか緊張してしまって……五十個しか食べられなくて」
「えっ、えっ?」
いたって平然と、名残惜しさを滲ませながら唇に指を当てた。しかしその隣で河削が大いに動揺する。
「……エールちゃん、桁間違えてるとかないよね? 五十? 五十個ってマジ?」
「そんなまさか。五百個なんて食べられませんよ――調子が良ければ百個いける程度ですから」
「うん、まあ――ちょっと……この後体重計乗ってみよっか。せっかくレースにピーク合わせるようにしたんだから――」
「えーっ!?」
「――あ、有難うございましたっ! 私からは以上です!」
質問が思わぬ方向に流れていったため、慌てて高木が強制的に終了させた。若干コントの様相を見せつつ、和やかに前日取材を終えられたメイケイエール。
そしてこの後、河削にやんわりとした口調ながら説教を小一時間受けるのだった。
合同取材後の軽い説教を終え、個別の取材を幾つか受けてから軽めの調整を行った。危惧されたたこ焼き五十個の影響についても、体重計の値は想定の範囲内を示していた。
そうして安心したからか夕飯で丼飯を軽快にかきこんで河削を啞然とさせつつ、ようやく宿舎の自室に。普段なら明日に備えて支度をするところだが、今日ばかりは少し違って楽しみが一つ。
折角だからと、ミロワダーレとリコンスタの三人でビデオ通話をする約束をしていたのだ。もうじきその時間になると、アプリでビデオ通話のルーム立ち上げる。
「あっ、きた……」
するとたちどころに二人の入室許可の申請が。間違えて却下しないよう、慎重に承認すると画面上に二人の顔がしっかり映った。
「どうですか〜? 映ってますか〜?」
画面を覗き込みながら手を振ってみると、ミロワダーレとリコンスタも同様に振り返してくれた。これで準備は万端ということで、机の上にある持参したスマホスタンドにスマホを置いて通話開始。
『おい見たぜ、今日の取材の――たこ焼き食い過ぎじゃねぇの?』
『……ヤケドが心配……』
「だって大阪といえば粉モンって言うじゃないですか。粉モンならやっぱりたこ焼きじゃないですか。私間違ってないと思うんですが」
『数が間違ってんだって、数が』
『……大阪中のたこ焼きを喰らい尽くす勢いでないと……一流のコメディアンにはなれないよ……』
「コメディアンじゃありませんっ! それにたった五十個じゃないですかっ」
『たったじゃねぇよコメディアン』
「だ〜か〜ら〜!」
三人が声を揃えて朗らかに笑う。今が数少ない、等身大の自分に戻れる時間だった。
レースで活躍してメディアへの露出が多くなるにつれ、やはりお嬢様然としたその容姿が大きく取り沙汰されるようになっている。
親戚であるマシロと対比し、かたや高嶺の王女、かたや淑やかな令嬢といった具合に。世間の反応もそれを望んでいる所が見られ、自ずと期待に沿うような受け答えをしてしまう。だからこそ、ほんのひと時でも素を出せることは何よりも心を休められた。
『……エール。明日、応援するからね……』
『そうそう。オレ達も走りたかったけど、登録要件満たせなくてよ――』
『む〜ね〜ん〜』
GⅠレースともなれば誰でも出走登録できる訳ではなく、厳密に条件が定められている。主には前提となるステップレースの勝利ないし上位入着。ステップレース以外であれば勝利または上位入着を規定回数以上など、一定の実力が求められている。デビュー以降結果がなかなか出せないミロワダーレとリコンスタは、いわゆる足切りを食らってしまったのだった。
もっとも、登録できても抽選を経なければならないため、門は更に狭いものとなるのであるが。
「そうですね。練習でなら併走何回もしてますけど……本番のレースで一度走ってみたいですね」
『じゃあ桜花賞か皐月賞だな! どっちかに合わせて三人で走ろうぜ!』
『……阪神と中山かぁ、うむぅ……』
阪神での桜花賞と中山での皐月賞も共にクラシック戦線を飾る緒戦のGⅠレース。どちらも名実ともに晴れ舞台ではあるが、リコンスタは冴えない表情で唸るのみだった。
「あっ、リコさんは……」
その理由に心当たりがあるメイケイエールとミロワダーレの表情が曇る。しかしすぐ、リコンスタはいつものようににへらと笑みを浮かべてみせた。
『……ううん。いいの。わたし頑張るから……皆で走ろう。おっきなレースで、皆で』
『……ああ、約束だかんな!』
「はい! 二人が来るのを待ってますね!』
『……わっやだ……この人もうGⅠ出られるから余裕綽々ですよミロワさん……』
『一人だけ抜け駆けしやがって、覚えてろよ』
「なぁんのことでしょう〜?」
愉快な時間は寮の消灯時間ギリギリになるまで続いた。そして通話が終わっても、メイケイエールはスリープ状態で黒いスマホの画面をじっと見つめる。友人三人で大舞台に立った光景を想像して胸を膨らませるのだった。
レース当日。GⅠといえどレースまでの流れはこれまでと変わらない。さすがに重賞経験者といった雰囲気で、河削も端から見て安心するほどにメイケイエールは落ち着いていた。
『阪神レース場、第十一レース。阪神ジュベナイルフィリーズ出走者のパドックを開始いたします』
河削は準備や手続きを滞りなく済ませ、パドック開始のアナウンスより前に観客席の右端最後方に陣取っていた。パドックを見た他の観客の様子をつぶさに観察するための定位置だ。
「今回の有力候補はエールちゃんを入れて五人、か……」
これまでの実績や人気投票の結果から、ジュベナイルフィリーズで中心となるウマ娘の予測はある程度ついている。当然、自身が担当するメイケイエールもその内に含まれていた。
パドックで調子の良し悪しや仕上がり具合を確かめ、最終的に作戦を決める。これがトレーナーにできる唯一の仕事。背中を丸め、組んだ脚に立てた腕に顎を乗せる。その瞳はまっすぐに、パドックから出てくる出走者のみに向けられた。
輝ける純白
『三枠六番、マシロ。本日一番人気です』
白いドレスに白い髪、そして透き通る肌。美術館の目玉として飾られていてもおかしくない出で立ちに、さしもの河削もただ息が漏れ出るばかりだった。
パドックの中央に立ち、タメを作って長い後ろ髪をかき上げる。髪の一本一本が白金の如く眩く輝き、その威容に誰もが言葉を失ってしまう。
『前々走、前走と結果を残していますし、安定感も抜群です。URA史上初、白毛のGⅠウマ娘の誕生を期待したいですね』
ウマ娘の髪は色によって鹿毛、栗毛といったように名前がつけられている。その中で白毛は最も稀少性が高く、数千人に一人いればかなり良い方だ。それが中央のトレセン学園に入学し、GⅠレースに出て勝つともなると確率は天文学的に跳ね上がる。
そして、白毛のGⅠウマ娘の誕生が夢物語などではなく、限りなく実現に近づいていることを河削はよく知っている。
(……まるで隙なし。緊張してアガるタイプでもないし、攻略の糸口がまるで見えないや……)
メイケイエールがマシロのことを話すと途端に饒舌になる。集中力が凄いだの、走るととにかく速いだの。色々と話したくなる気持ちがよく分かる。
「――こんなところで十分かしら。それではご機嫌よう」
高飛車な物言いでも誰も咎めない。相応の実績と気位を兼ね備え、それでいて自身の価値を十分に理解しているようだった。
「やっぱり雰囲気あるよなあ、マシロ……」
「GⅠ獲るのはあの娘に決まりじゃないか……いやホント、見てみたいな」
観客が恍惚としながら溜息混じりに呟く。彼女は、誰もが一度は夢見る光景を現実にするため、この世に産まれてきたのかもしれない。
(エールちゃんのが分が悪いけども。ぴったりマークできればあるいは、か……でもそこまで器用なタイプじゃないしねぇ)
マシロがパドックを後にする最中にもどうにか対抗策を練る。しかし良いイメージはとうとう浮かばず終い。
少なくとも、メイケイエールの前に立ちはだかる一人なのは十中八九明らかなのは確実に言えた。。
女王はおてんば
『四枠七番、マチノレジーネ。二番人気です』
焦げ茶の鹿毛で、長く伸ばした後ろ髪を大きな一本の三つ編みに纏めたウマ娘。フレアスカートのドレスを模した勝負服は緑色が鮮やかで、そこかしこに金の飾りが施されている。
(あの勝負服の色使いは確か……)
勝負服のデザインは個々人でユニークとなるが、メジロ家等、同じ一族の中では色使いが似通うことがある。緑をベースに金、この色は――。
「レジーネさ〜ん! 頑張ってくださ〜い!!」
観客席の前の方から大きな声援が飛んだ。
「ダイヤさんありがと〜! レジーネ頑張りま〜す☆」
その声を受け、とびっきりの笑顔で全身で手を振りながらマチノレジーネが応えた。
声の主は明るい鹿毛のロングヘアに、前髪の中央、額の辺りに菱形の白い流星が入っていた。伝統的に一族が所属するチームカペラの代表格――サトノダイヤモンド。よくよく見ると、彼女の隣にいるサトノクラウンを始め、チームの面々が応援に来ているようだった。
『前走は道中後方に控え、直線で一気に追い抜く見事な勝利を飾りました。追い込みの鋭い切れ味は随一でしょう』
このジュベナイルフィリーズが初めての重賞挑戦とは思えない落ち着きぶり。事前にチェックした前走のレース動画でも、鋭い切れ味を誇る末脚は見事なものだった。
「観客のみんなもレジーネを応援してね! よっろしくぅ〜!」
「頑張れレジーネちゃ〜ん!」
「やったあ! 頑張っちゃうからね!」
舞台の上を走り回り、観に来た観客全員に笑顔を振りまく。その姿にあちらこちらから温かい声援が送られていた。
大きい身振り手振りが実に可愛らしい。しかしその中身は立派なアスリート。現に、この場に立っているということは相応の実力を備えているということ。
(油断してると後ろからバッサリねえ――カワイイ顔してエグいなぁ)
決して侮れるような存在ではない。河削の鋭い眼差しがマチノレジーネの瞳の奥に輝くモノを見透かそうとしたが、知ってか知らずかそっぽを向かれてしまった。
不屈の
『四枠八番、ベネベネ。十番人気です』
一人だけ羽織袴姿という、バラエティに富む勝負服の中でも一際異彩を放っている。しかし、手際よく黒い腰紐で襷掛けをし、懐から取り出した真紅の鉢巻を巻く様子は実に堂に入っている。
そう見ると、彼女の勝負服はこれ以上なく彼女自身を表現しているのかもしれない。
『前走のファンタジーステークスでは五着となりましたが……気持ちを切り替えて思い切った走りを見せてほしいですね』
ファンタジーステークスでは先頭集団の後ろ辺りにつき、ラストの直線で追い上げるも届かず。メイケイエールの五着で終わった。そのこともあり、人気投票では二桁台にまで落ちてしまっていた。
「任せい! 今日は初っ端からハナ取って逃げてやるけん、私を見逃すんじゃなかよ!」
しかしベネベネは一切気にも留めず、胸を張って高らかに言い放つ。
「いいぞベネベネー! 今度こそ頼むぞ!」
「ベネちゃ〜ん! 勝負服ステキー!」
「こっちこっち! こっち向いて!」
先の二人よりも黄色い声援の割合が多い。観客席を見やると、手製の応援ウチワを持つ女性がチラホラと。
『……なんとベネベネ、大胆にも開幕逃げ宣言です。彼女のファンも大いに盛り上がっているようですが、データによるとファン層は女性が半数以上を占めているとのことです』
系統は違うものの、男装が似合うという点ではフジキセキを彷彿とさせる。
(ああいうタイプは思い切りが良いからねえ。気持ち良く走られるのはちょっと困るけど……普段通りのエールちゃんならいける、かな。逃げてくれるんなら引っ張られることもないだろうし――うーん)
彼女はエールの走りを知っている。だからこそ無視はできない相手だった。逃げに転じたのも作戦の一環なのかもしれないと、心に留め置くようにした。
黄金船を追いかけて
『六枠十一番、レーゾンデートル。六番人気です』
静かにパドックに立つレーゾンデートルの姿に、河削は強い既視感を覚えた。
(いやなんか……どこかで見たことがあるような……)
ノースリーブでボックスプリーツのミニ丈ワンピース。白いタイツに白いブーツ。そして頭には円筒形の小さな帽子。他の観客も同じことを考えた者がいるようで、観客席がにわかにざわつき始めた。
青鹿毛の前髪を眉のすぐ上で切り揃え、後ろ髪は肩口の長さ。ヒトで言うところのもみ上げを長く伸ばしているのが特徴的だが、やはりどこかで見たことがあるような。
『前走、アルテミスステークスではマシロの九着で敗れる結果となりました。今回はどのように立て直すのか注目されますね』
「締まってこーぜレーゾン! 目指せウィンブルドン! グランドスラムはオマエのもんだ!」
疑問を一気に解消へと導く一言。ウマ娘のレースでは絶対に聞くことがないであろう単語。その声がした方へ顔を向けた。
美しい芦毛の長髪に、同じ長さに切り揃えた前髪。一目でどのような者も虜にするであろう切れ長で涼やかな瞳。
「いいよいいよー! ピッチャービビってるビビってる!」
――そして、それら好印象を帳消しにする素っ頓狂な言動。手を叩きながら一人大声を張り上げるウマ娘――不沈艦ゴールドシップ。
『ちなみに、彼女の勝負服ですが……偉大なる師であり尊敬する大先輩、ゴールドシップのデザインをそのまま使わせていただいた、と本人からコメント貰ってます』
レーゾンデートルの勝負服はゴールドシップと全く同じで、ワンピースの色を赤から青に変えたものだった。
(よく許可出したね……)
尊敬する人がゴールドシップというだけで、底知れない恐怖に背筋が寒くなる。奇抜な言動が大きく取り沙汰される彼女だが、GⅠレースを複数勝利している超一流のウマ娘の一人だ。
勝負服のデザインをそのまま使わせるのも破天荒この上ないが、それだけ信頼しているということだろうか。
「……見ていてください。必ずや勝利を、先輩に」
何より、満足げな顔でパドックに立つレーゾンデートル。彼女の瞳はゴールドシップのみに向けられていた。
あまねくエールを
『八枠十八番、メイケイエール。三番人気です』
ようやく待ちわびたメイケイエールの出番。トリにして真打ち登場といったところ。
厳かで貞淑さを感じさせる黒の勝負服。そして何よりも。
「うっわ、脚なっが……!」
「あんなスタイルよくてまだ中等部って……ウマ娘って可愛くて美人な娘ばかりだけど、メイケイエールは特に違うなぁ」
別格とも思える彼女の勝負服姿。もっと、もっと褒めろと河削は心の中で有頂天な気分となる。自身の担当するウマ娘が評価されるのは実に喜ばしいことだった。特に、評論家でなく素直に感情を吐露する一般客なら尚更。
『前走では圧巻のレコード勝ちを見せましたメイケイエール。非常に優れたスピードを持っていますし、三番人気ではあるものの実力ではマシロに引けを取りませんよ』
無敗で重賞二連勝。しかもその内の一つではレコード勝ちという、奇しくもマシロと同じ戦績だった。それならば二番人気となって然るべきなのだが。
『――落ち着いて走れさえすれば、間違いなく勝ちを争える娘だと思います』
やはりパドック解説員の目は誤魔化せないと、河削はべぇと舌を出した。これまでのレース内容もあり、落ち着きを欠いてペースを上げる――いわゆるかかり癖を持っていることが広く知れ渡るようになってきていた。
注目してもらえているのは喜ばしいことでもあるが、一方で悪評も猛烈な勢いで広がってしまう。ネガティブな発言は細心の注意を払わねばならない。
「パドックじゃ全然そんなふうに見えないのに……超美人なお嬢様じゃない?」
「本番だとスイッチ入っちゃうとか?」
「何かもったいないなぁ……」
観客が漏らす、もったいないという単語に河削は歯噛みする。確かに多少かかって落ち着きを失うことはあるが、現にそれで結果を残してきているのだ。
要するに、それがメイケイエールの個性。個性を無理矢理に潰した結果、何もかもが壊れてしまった娘も過去には存在する。
彼女のトレーナーとしてできること。河削の双眸に、パドックに立つメイケイエールの姿がはっきりと映っている。
「みなさま! 本日は応援、どうぞよろしくお願いします!」
片手で大きく、ゆっくりと手を振ってから、丁寧に頭を下げている。
(何があっても信じるよ……エールちゃん。貴方は最高のウマ娘だから)
メイケイエールが先頭でゴールする未来を信じ、河削はとても小さく手を振り返した。彼女がそれに気づいたかどうかは分からなかったが、多数の声援を受けた笑顔は誰よりも眩しく輝いていた。
次話は阪神ジュべナイルフィリーズ後編。ついでに年末のちょっとした小話。
既存のウマ娘若干名と絡ませる予定です。