Blooming☆Yell!!   作:ルブク

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阪神ジュべナイルフィリーズ後半です。
当初は年末の日常話まで進めるつもりでしたが、色々ネタを盛り込んだら長くなったのでキリの良いとこで分割。
特に、2020年のジュべナイルフィリーズはぞんざいには扱えないレースの一つですし…。
正直、実際のレースの緊迫感をどれだけ再現できたか…まだまだ稚拙で恥じ入るばかりです。

人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html


The 7th Yells 群雄のエール

五つの想い

 パドックを終え、いよいよ向かうは本バ馬入り。関係者の立ち入りが許されたホールにて、河削がメイケイエールの両肩に手を置いて相対していた。じっと瞳を見つめ、彼女の覚悟の程を確かめる。

「――いいかい、エールちゃん……」

 穏やかな瞳の奥に、しっかりとした決意の炎が燃え盛っていた。これなら問題ないと、彼女の芯の強さに今更ながら頼もしく思えた。

「正直、どの娘も皆手強いよ。特にマシロちゃんはね……ベネベネちゃんには一度勝ってるけど、今回もそうとは限らない。言ってる意味、分かるね?」

「……はい」

 メイケイエールの口元がキリリと引き締まる。臨戦態勢が整った良い表情だった。

「作戦としては先行策を取ってなるべくイン寄りに。エールちゃんの強みのスパートはギリギリまで我慢して、一気に爆発させる感じで。でもね、ここまで来たらどれだけ力を出し尽くせるかだよ。エールちゃんのトレーナーとして言えるのはこれだけ。さあ――」

 河削は大きく息を吸う。トレーナーとしてGⅠに赴くのは初めてではないが、それでもこの時はいつでも緊張してしまう。

 自身の担当ウマ娘がレースに勝ってくれること、そして無事に戻ってきてくれること。脚部の怪我がどうしても付き纏う彼女達が無事にレースを走り、そしてまた自身の元へ帰ってくるだけで力いっぱい抱きしめたくなってしまう。

「かわいいエールちゃんの姿を、みんなに見せてやんなよ!」

「はい! 行ってまいります!」

 最後にエールの背中を一押しし、本バ馬に向かって遠ざかる背中を見送った。彼女が変わらぬ姿で戻ってくるように、ついでにGⅠの冠を手にしていることを期待して。

 

「……これが、GⅠ……」

 右を見ても左を見ても超満員のスタンド。黒山の人集りで身動きも取れそうにない観戦エリア。

 これまでの重賞とはまるで違う、圧倒される熱気にメイケイエールは息を呑んだ。今まさに、何千何万の観客からの注目を一身に浴びている。

「どうしたの、エール。怖気づいたのかしら」

 ポカンと立ち尽くしていたメイケイエールの肩にマシロが優しく手を置いた。

「あ、いえ……少し驚いてしまって」

「まあ確かにね。でも慣れておきなさいよ、クラシック級ではこんなものではないでしょうから」

 まだジュニア級。これが日本ダービーなら、ジャパンカップなら、有馬記念なら……。

 今以上の声援に包まれると思うと身震いする。恐怖でも焦燥でもない、また違った感情が自分の中で滾々と湧き出し始めていた。

「ほーう、マシロはもう先んことを見とっとか」

 上半身のストレッチを行いながらベネベネも声をかけてきた。他の出走者もウォーミングアップを始めようとしている。

「当然でしょう。ここは通過点でしかないのだから」

「しかしまあ、こうとも言うやろ。来年のことを言うと鬼が笑う――とな」

「鬼……ねえ。ピンと来ないわね。そんなの笑わせておけばいいわ」

「じゃあ私が代わりに笑っちゃろう!」

 ベネベネが人差し指を突き立てた両手を額に当て、犬歯を剥き出しにしてにいっと笑う。

「貴方の方が鬼より怖いわよ……」

 コミカルながら、綺麗に磨かれた真っ白な歯には奇妙な迫力があった。喉元に食らいつかれたが最後、相手の息の根を止めるまで離さないさながら猛獣のような。

 マシロはそのようなルームメイトの姿に苦笑いを浮かべた。最も身近な相手であるから、無意識の癖も知っているかもしれない。そういった意味では鬼よりベネベネの方が怖いというのも頷ける。

「おっ、鬼より怖がられるとは光栄やね! マシロ、エールさん、三人でちょっと走らん?」

「私は構わないわ。エールは?」

「是非、お願いします!」

「うん、よかよか。じゃあ早速――行こうか」

 二人の軽妙な掛け合いで、彼女の中で凝り固まろうとしていた意識が柔らかく変わっていくのを感じた。知らず知らずの内に場の雰囲気に飲まれかけていたのだと。

 声をかけてくれたマシロとベネベネの二人に感謝をしつつ、メイケイエールはターフを駆けていった。

 

「お〜いレーゾン! ちょっと来てくんねーか!?」

 本バ馬入り後の試走を順調に行っていたレーゾンデートルを、観戦エリア最前列に移動したゴールドシップが呼び寄せる。

 盛り上がりを見せる観客の中から尊敬する先輩の声を鋭く聞き分け、レーゾンデートルが小走りで駆け寄った。

 思いがけないツーショットに周りの観客がにわかに盛り上がりカメラを向ける。しかし二人はまるで意に介さなかった。

「いいかレーゾン、これからゴルシちゃん流☆レース必勝法を伝授するからな! 一度しか言わねーから耳の穴大深度掘削してよーく聞けよ」

 GⅠ六勝のレジェンドが伝える必勝法。周囲の観客のざわめきが更に大きくなる。全てのウマ娘垂涎モノの情報をこんなところで公開して良いのかと。観客の中には慌てて動画を撮り始める者もいた。

「はい。このレーゾン、先輩の教えを心にしかと刻み込みます」

 レーゾンデートルはブーツの踵を合わせ、背筋を真っ直ぐに伸ばして両手を後ろに。耳をピンと立てて、偉大なるゴールドシップの一言一句を聞き漏らさないよう傾注の態勢を整えた。

「レースに勝つコツはな――始めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いたら大接戦ドゴーン! だかんな! 銀シャリの炊き上がりには気をつけろよ」

 ――これを聞いた周囲の頭上に巨大な疑問符が。

 レースを勝つコツどころか米を炊くコツのような、理解不能で説明不能な話。とにかく困惑が広がり、先程とは別の意味でざわめきが大きくなった。

 だがレーゾンデートルだけは違った。

「はい。レース序盤は中団から後方付近に控えて周囲を観察し、最も最適なコース取りを意識しつつ中盤より徐々に進出。他の方にブロックされないよう細心の注意を払ってスパートタイミングを見極め、混戦となる先頭争いから抜け出してゴール、ですね。そして最も注意すべきはマシロさんの動向と――流石です先輩。とても良く分かります」

 彼女はゴールドシップの言葉に陶酔しながらしきりに頷く。どこをどう読み解けばその意味に辿り着くのか理解できず、周囲の頭上に浮かんだ疑問符が更に大きくなるばかり。

「えっ、何それ――誰言ったの、それ」

 しかしどういう訳か、彼女の返答を聞いたゴールドシップも呆気にとられていた。元々の発言主であるにも関わらず、である。

「先輩です。このレーゾン、素晴らしいお言葉に感服しています。先輩の教えを力に必ずや勝利を掴んでみせます」

「ええっ? いやそんなこと知らね……えぇこっわ……えっと、頑張れよ……?」

「ありがとうございます! 死力を尽くします!」

「お、おぅ……」

 瞳に星が輝かん程にレーゾンデートルはゴールドシップに心酔していた。そして腰を直角まで折る最敬礼。

 余りある熱意による超高解像度の解釈に、逆にゴールドシップが気圧される結果となったのだった。

 

「――相変わらずですね、ゴールドシップさん」

 少し離れた所で聞き耳を立てていたサトノダイヤモンドは思わず吹き出してしまった。誰もが認めるゴールドシップの金言なのだから役に立つだろうとは思っていたが、やはりゴールドシップはゴールドシップだった。

 そして彼女の言葉を正面から受け止めて超解釈を行ったレーゾンデートルも。

「……でもぉ〜、言ってることは間違いないと思うんですよねぇ〜」

 マチノレジーネも柵を隔てて共に師弟コンビを眺めていた。

「レジーネも入れてですけどぉ。今回はそこまで飛び抜けた人はいないと思うんですよねぇ。確かにマシロさんが一番かもですけどぉ、そこまで差はないというかぁ」

 鼻がかった独特の甘い声。うーん、と呟きながら指先を頬に当てる。

「メイケイエールさんもベネベネさんもレーゾンデートルさんもそれぞれに勝ち目がありますしぃ、多分ゴール前は混戦になるんじゃないかなぁって」

 チームの調査で判明しているメイケイエールの加速力とスピード。レーゾンデートルの末脚。そして作戦をガラリと変えたベネベネ。マチノレジーネの頭の中にはその全てがインプットされている。

「なら、レジーネさんはどう戦いますか?」

「ゴール二、三百メートル前でぐちゃぐちゃになってるところを、レジーネがサッと間をすり抜けてぇ――」

 サトノダイヤモンドの問いかけに答えつつ少し間を置く。妖しい光を帯びる眼差し。その先にはウォーミングアップを行っているメイケイエールら三人が。バ場を確認しながら駆けていく様子を眺めながら甘く、一際熱が籠もった吐息を漏らした。

「ぁハァ――レジーネが勝ったらぁ……すっっっごぉく、ドッキドキするんだろうなぁ……ぅふふふ」

 昂る興奮を抑えきれず、舌なめずりをして唇を濡らす。パドックの時の、アイドルのようなパフォーマンスを見せた彼女とはまるで別人の様相だった。

「レジーネさん! お顔が怖くなっていますよ!」

「――あっ! いっけな〜い☆ レジーネつい力入っちゃったぁ〜てへっ☆」

 サトノダイヤモンドに慌てて指摘され、しまったとばかりに舌を出した。そして愛嬌を見せながら若干わざとらしく拳骨で自らの頭を小突く。

 アイドルのような所作や容姿を持ちながら、その内側には狙った獲物は逃さない蛇のようにギラつく強い闘志。それがマチノレジーネだった。

 

鼓動、高鳴る

 阪神レース場、芝千六百メートル。阪神ジュベナイルフィリーズ。数少ないジュニア級のGⅠレース。師走にもなると肌を突き刺すような寒さに身も心も凍えるが、ターフに立つウマ娘達はむしろ暑さを感じてさえいた。

 むせ返るような熱気の前には白く煙る吐息もかき消える。本バ馬入りしウォーミングアップを終えたメイケイエール達は各々ゲートに向かっていた。

 じっとりと汗ばむほどに温まった身体。ターフを踏みしめるとサクサクと乾いた音がする。天気もバ場のコンデイションも良好。レースで走るのにうってつけの好天だ。

「――あ、ファンファーレ……」

 観客席の方から、ファンファーレの音色が風に乗ってメイケイエールの耳に届く。ゲートに向かう脚を止め、音のした方へ振り返った。

 行進曲を彷彿とさせるテンポ良く軽快なメロディー。GⅡやGⅢでは録音した音源を使用するが、GⅠともなれば楽団の生演奏が基本。いよいよレースという雰囲気が高まる中、曲のリズムに合わせて観客の手拍子も聞こえてきた。

 メイケイエールにはその音が、まるで自身を応援してくれているように思えた。胸に手を当てると、勝負服を通じて掌がじんわり温かくなるのを感じる。

 

『次代を担う新星が集う、ここ阪神レース場。天気は曇り、バ馬状態は良となりました。第十一レース、阪神ジュベナイルフィリーズ! 間もなく発走の時刻です!』

 

 各々、自分の枠番が付けられたゲートの前に集う。色とりどりの装いのウマ娘が整然と一列に並ぶ様を、頭上高く舞った撮影用ドローンが大型ビジョンへと映し出した。

 

『さあ、各ウマ娘が次々とゲートに収まります。注目は何と言っても三枠六番のマシロ! URA史上初、白毛のGⅠウマ娘の誕生となるか! はたまたチームカペラに栄光をもたらすのかマチノレジーネ! 冠が誰の頭上に輝くのか全く予想できません!』

 

 枠番の小さい順から偶数番のウマ娘がゲートに入っていく。大外十八番のメイケイエールは一巡目の最後だった。背後のゲートが閉じられ、ふぅと息を吐く。

 二巡目のゲート入りも滞りなく進む。中にはゲート入りをゴネる娘もいるが、今日はいたってスムーズだった。

(……必ず、この手で、この脚で……掴んでみせます)

 夢にまで見たGⅠの舞台。誰もが目指す一着の栄冠、メイケイエールは誰にも取られまいと息巻く。応援してくれるミロワダーレとリコンスタ、観客達、そして何よりトレーナーの河削。皆に嬉しい報告が出来るように。

 握る手に自然と力が籠もる。あのマシロが相手となると一筋縄ではいかないだろう。

 ――力を出し惜しみしていては、勝てない。

 

『各ウマ娘ゲート入り完了、さあ緊張感も高まってまいりました! 阪神ジュべナイルフィリーズ、フルゲート十八人!』

 

 空気が震え、心が引き締まる。

 息を止めてその時を窺った。

 

 ガシャンッ!

 

 眼前が明るく開ける。意を決して、前へ。

 

『各ウマ娘、スタートです!』

 

 歓声がわぁっと沸き起こる。しかしその中に、悲鳴らしき声も僅かながら入り混じった。

 

『おっとメイケイエール、ダッシュがつきません! 最後方のからのスタートです』

 

 頭を前に、突っ伏すような姿勢でスタートを切ったメイケイエール。姿勢が悪くスピードに乗っていない。やはり本番に限って起こってしまうと、河削は顔色を変えずに大型ビジョンをじっと眺める。

 しかし組んだ腕を掴む手に力が入り、スーツの袖がじっとりと汗ばんでいった。

 

女王を狙え

『さあ先行争いに入っていきます! 三人が出ていきますが……外からベネベネ! 宣言通りベネベネが果敢にハナを奪います!』

 

「――ハハハ! ハナば切るんは気持ち良かねぇ! 皆、ウチについてきなぁ!」

 白袴のウマ娘、ベネベネが一目散にバ群から抜け出した。誰よりも速く先頭を駆ける。風の抵抗を一身に受け、それでもなお走る。彼女の表情は清々しいほどに輝いていた。

 

『五番手はマシロ! 好位につけています!』

 

「全く、ベネったらすぐに調子に乗るんだから……まあ、気持ちは分からないでもないけど」

 意気揚々とハナを取って走るベネベネを尻目に、マシロは先頭集団の中頃に位置取る。純白のロングヘアを風に靡かせ、目線は真っ直ぐ前に。

 しかし、頭頂に聳える両耳は忙しなく動き、周囲の状況を詳細に感じ取っていた。

(……ベネはハナ……少し後ろ、ややピッチ気味……ちょっと鼻につく足音……これはレジーネさん……)

 並々ならぬライバル心を燃やしているであろうマチノレジーネ。背中に感じる視線で最も圧がある。いかに平静を装っていようと、その内にあるものは隠しようもない。

 

『マシロの後方、内々にマチノレジーネ。ここに付けています』

 

(……中団、後方……広めのストライド、正確なリズムの足音……レーゾンさんね……)

 

 一定のテンポを保って走れるウマ娘はそう珍しくない。しかし体幹のごく僅かなズレ、走り方のクセで左右の踏み込み加減は微妙な差が生じる。そのため、左右の足音すら均等な者は非常に稀と言えた。

 マシロの記憶には該当者が一人。アルテミスステークスにて初めて見えた相手――レーゾンデートル。レースでは一着を勝ち取ったものの、泰然とした様子で刻む足音に底知れぬ迫力を感じたものだ。

 

『レーゾンデートルは後方から四、五番手といったところ。インコース、二番ブラディオンの後ろです』

 

(……更に後ろ、一番広いストライド……少し慌てて……エール? 出遅れかしら、随分後ろじゃない……)

 

 出走者の中で一、二を争うストライドの広さ。小さな頃からこの足音には馴染があった。伸びやかに、そして楽しげに。地表スレスレを飛ぶように走るメイケイエール。

 近くで彼女の足音が聞こえないと思っていたが、よもや最後方の付近にいようとは。それもあるのか、地面を蹴る音が荒く雑だった。

 

『レーゾンデートルの後ろにはメイケイエール! 後方からのレースとなりました』

 

(……こんなとこね……まずは順調、かしら)

 気にかけておくべき四人の位置関係の把握は終えた。メイケイエールの出遅れはイレギュラーだったが、概ね想定していた通りの位置取りをしている。

 忙しなく動いていた耳が役目を終え、ようやく揃って前を向いた。しかし慎重に慎重を重ねて時折耳のレーダーを動かし、周囲の警戒は怠らない。

「いける、獲れる……獲ってみせる」

 序盤から好位置につけられた。第一関門はこれでクリア。マシロは小さく息を吐き、唇を真一文字に結び直した。残りは今のポジションを維持しつつ脚を溜め、適切な位置でスパートを。

 ゴール板を先頭で駆け抜ける自身のイメージが浮かぶ。まさに歓喜の瞬間――。

 しかし、甘美な空想はすぐに現実に引き戻された。大外から一気に走り詰めてくる足音。

「……もう、あの子ったら。落ち着かせてくれないんだから……!」

 彼女の後方、突如ペースを上げたメイケイエールが先頭集団に迫ろうとしていたのだった。まだ第三コーナーの入り。仕掛けるというには尚早だが、マシロは変わる展開に備えた。

「誰が、どう来ようと……負けるものですかッ」

 その瞳には静かに、しかしながら激しく炎が燃え上がっていた。

 

「いけない……ベネベネさんが、あんなに遠く……っ」

 スタートは良い具合に踏み出せたものと思っていた。しかし実際に蓋を開けてみれば出遅れでほぼ最後方。メイケイエールは焦りの色を隠せず、額から頬を伝って汗が流れ落ちてゆく。

 作戦ではなるべくマシロの近くにポジション取りを行う予定だった。大外枠という多少の不利を考慮してのもので、可能な限り内のコースを取れればと。

 唇を強く噛み締めた。上手くコース取りができなかっただけでなく、ポジショニングさえ覚束ない。

(やはり、前に、前に……!)

 迷っていられる時間はない。大外のまま、ペースを上げて先頭集団へとにじり寄っていく。

 すぐ前も、隣のウマ娘も何も見えていなかった。今のメイケイエールには、ハナを切って走るベネベネしか視界に入っていなかったのだから。

「――エールさん。このタイミングで、ですか?」

 追い抜き際、一人のウマ娘が声をかけた。ゴールドシップの勝負服を模しつつ、鮮やかな青のそれ。レーゾンデートルだった。

 

『さぁメイケイエールはここに……少し落ち着かない様子ですが……? 大外から順位を上げていきます』

 

 しかしメイケイエールは彼女に答える隙もなく、先頭集団目掛けて走り去る。脇目も振らず、ただひたすらに前を向いて。

 

『前半の半マイルのタイムは四十六秒から七秒。控えめなペースで進んでいきます』

 

 第三から第四コーナーへ。展開も中盤から終盤に差し掛かり、後方の娘達もジリジリとポジションを上げていく。進路を外に取り追い上げるレーゾンデートル。最後の一瞬を逃さぬよう、中団で虎視眈々と窺うマチノレジーネ。

 そして全ての役者が揃い、勝負は最後の直線へ。観客席からの声援はより大きく、ジュニア級トップクラスのレースに彩りを添えた。

 

疾風の純白(ましろ)

 寒空を沸騰させる大歓声。地響き巻き起こるウマ娘の鳴動。一団は第四コーナーを抜けてホームストレッチへ突入する。

 英雄達の凱旋に誰もが立ち上がり身を乗り出した。

 

『第四コーナー回って最後の直線へ! 人気のマシロとマチノレジーネはまだバ群の中!』

 

 前を行く集団に進路を阻まれる形で、マシロとマチノレジーネは切り抜けるタイミングを窺っていた。果たして届くのかと観客がざわめく中、一人のウマ娘が更に前に出た。

 白い羽織袴は泥汚れ一つなく。汗で張り付いた前髪の間から燃えるような色の鉢巻が覗く。

 

『先頭はここで、おっとベネベネです! 熊本の星、九州産まれの期待を載せて、ベネベネ先頭二バ身のリード!』

 

 スタートからハナを切り、全ての局面において意地を見せつけた。己の言葉を頑なに守り通す、その気概にうたれた観客が彼女の名を叫ぶ。

「……見ろ! 刻め! 魂にッ!! こッが肥後猛バじゃあッ!!」

 ありったけの絶叫。迸る熱。全身全霊で駆ける彼女に足音が迫った。

 マシロか、それとも――。

 観客の一人がその相手を指差した。

「ウソ!? エールちゃんだ!」

 

『離れた外からメイケイエール! さあメイケイエールが襲いかかります!』

 

 大外を回される不利があっても、黒衣の少女は後れを取らない。ただガムシャラに一位を目指そうと奮戦する姿。観客は彼女の健闘に拳を振り上げた。

「ベネベネさん、そうはさせません!」

「おうエールさん! あン時とは逆やねぇ!」

「勝負しましょう!」

「――受けて立ァつ! どっからでもかかって来い!」

 丁々発止のゴール前。火花散る二人の争いをマシロは静かに眺めていた。

(二人揃って、はしゃいじゃって……)

 ――否。

(面白いことしてくれるじゃない……!)

 冷ややかな表情のすぐ下に、マグマの如く闘争本能が燃え滾っていた。しかし今は前のウマ娘が進路を塞いでいる。止め処なく湧き起こる本能。逃げ場なく身体の内部でとぐろを巻くばかり。

 しかし明光一条。右手前方に僅かな空隙が。その瞬間をマシロは見逃さなかった。

「その勝負、私も乗るわ!」

 

『間を割ってマシロ! 純白のウマ娘が伸びてきました!』

 

 これまで溜めに溜め込んだ気合一閃、爆発的な末脚で前のメイケイエールとベネベネを捉えにかかる。待望の主役のお出ましに、これまでヤキモキしていたファンが歓喜に色めく。

 

『粘るベネベネ! 外から捉えにゆくメイケイエール! 間から、間からマシロ!』

 

 今まさに、純白の少女が頂点に立ちつつあった。だが、そうはさせまいと影が二つ、マシロの後を追い上げる。

 

『更に外から! 蒼の勝負服レーゾンデートルも差を詰めてくる!』

 

 ゴールドシップの金言を守り、最後の直線で一息に仕留めようとレーゾンデートルが動いた。

「先輩、想像以上です! あの人達は! 素晴らしい!」

 互角の相手との、全力以上の全力を尽くした一戦。偉大な先輩にまた一歩近づけたのかと思うと、脚に翼が生えたかのような高揚感が。どこまでも駆けていける脚と共に、ゴール目掛けてひた走る。

 

『内からマチノレジーネも! マチノレジーネ横に並ぶ!』

 

 鋭利な刃物を彷彿とさせる鋭い末脚。少し後ろにいた彼女が、皆がほんの一瞬外のレーゾンデートルに気を取られたその刹那。空いた内を通り、突如としてマシロと首を並べていた。

「じゃ〜んっ! 主役はねぇ、一番最後にやってくるんだよぉ☆」

「……レジーネさん!」

「なぁ〜に?♡」

「セリフと顔を合わせなさい!」

「――む゙り゙★」

 軽妙洒脱な台詞とは裏腹に、マチノレジーネの両目は血走り、全力で歯を食いしばって鋭い牙を隠そうともしていない。ややもすると別人と見紛うほどの威圧感。

 しかしこの場の誰もが理解していた。ほんの僅かでも弛めたら負けると。

 

『ベネベネこらえている! しかし真ん中からマシロ! メイケイエールとレーゾンデートルも外から来ている! そして内からマチノレジーネ! 五人横に並んだ!』

 

 恥も外聞もなく、たった一つの栄冠を勝ち取るために。

 五人の娘が。

 全ての力と想いを解き放つ。

「負けない、負けられない! 私と――私の名に賭けてッ!」

レジーネ(女王)が一番でないなんてっ! カッコつかないじゃない!」

「一歩でもいい! あの人に――近づきたい!」

「応援してくれる方々のためにっ! 届いて! 届かせてーっ!」

「まだ――まだ終わらんッ! 最後まで足掻き抜いたるわぁ!」

 

 先頭五人が固まったまま、ゴール板を駆け抜けた。観客はその瞬間目を凝らして勝者を見定めようとしたものの、あまりにも僅差で判断がつかない程だった。若干、マシロかマチノレジーネが優勢と思われたが、それすらも決定的ではなかった。

 

『ほぼ横並びでゴールイン! 勝ったのは一体どのウマ娘なのか! 阪神ジュべナイルフィリーズ、接戦、接戦、大接戦!』

 

 興奮の坩堝の只中にある阪神レース場。人々は固唾を呑んでレースの結果を待った。

 そして今日この日――URA史上初、白毛のGⅠウマ娘が誕生した。一着はマシロ。二着のマチノレジーネとはほんのハナ差。正真正銘、ジュニア級の最後を飾るに相応しいレースとなったのだった。

 

女王の憂鬱

 ライブ会場は既に超満員。急遽立見席も用意されたものの、それでも焼け石に水の状態だった。阪神レース場を揺るがす大レース。そして史上初、白毛のGⅠウマ娘の誕生ともなれば、ウイニングライブを一目拝もうと観客が殺到した結果だった。

 異様な熱気が立ち籠める観客席を、舞台袖からこっそりマシロが覗く。栄えある一着を勝ち取ったというのに、彼女の表情はどこか浮かばれなかった。

「どうした? まるでドンケツ取ったような顔して」

 溜息混じりにどこか遠い目をする彼女にベネベネが声をかけた。

 ゆっくり振り返るも、気位に満ちた顔はとても弱々しく、どんな時でもピンと張った耳は力なく垂れるのみ。レース時のマシロとはまるで別人の様相だった。

「本当に……私が勝ったのか、まるで夢みたいで……ベネ。少しだけ、つねってくれる?」

 激闘を制し宿願を果たした。その事実は理解していても、現実の重みがイメージできていなかった。

「まったく、弱気んセリフだこって……まあ、よか。ええよ」

 ベネベネは向かい合わせになり、左手をマシロの右肩に置いた。そして右手は彼女の頬を軽くつね――らず、固く握りしめて大きく頭の後ろまで振りかぶった。

「歯ァ食いしばれ? 二、三本は覚悟しときよ」

「え、ちょ」

 歯を見せてニカッとベネベネが笑う。

 しかし、目は全く笑っていなかった。握る右手はなおも力強く。むしろレースの時以上に力が籠もっているような。

「――いけませんよ、ベネベネさん。こんな乱暴なこと……マシロさんが怯えているではないですか」

 だがここで助け船。後ろからメイケイエールが、振りかぶるベネベネの拳を両手で慈しむように包みこんだ。

「エール……」

「エールさん……」

 これでもう一安心と思われた。慈愛に満ちたメイケイエールの微笑み。マシロにとって、どんなものよりも頼もしく、後光が差しているように見えていた。

 スッ――。

 包みこんだまま、ベネベネの拳を腰の高さにまで下げた。

「……お顔は目立ちますので。お腹でいきましょう」

「なるほど! そこまで考えとらんかったわ。さすがエールさん」

「恐れ入ります♫」

「待っ、え、待っ」

 あまりに畳み掛ける展開にマシロの理解が追いつかず、ただ傍観することしかできずにいた。そして矢継ぎ早に、憮然とした顔をしたレーゾンデートルも参戦する。

「話を聞いていれば――何ですか、暴力的な」

「止めんでくれんか? マシロんためやけ」

「いえ。直接打撃は指を痛める可能性があり非効率的です。偶然にも会場設営に使用したハンマーを見つけましたので、こちらはいかがかと」

 長い木の柄に、金属製の大きなヘッドの土木工事用ハンマー。レーゾンデートルからそれを受け取り、ずっしりした重みを両手で確かめる。

「おぉ、これなら確実やね。よかモン見つけてくれて助かるわ」

「恐縮です」

「ねぇ、ねぇ!?」

 会話はむしろ、マシロを意図的に突き進んでゆく。ベネベネ、メイケイエール、レーゾンデートルと来れば、残るは……。

「は〜い、はいは〜い! レジーネも混〜ぜて!」

「貴方まで……!」

 恐らく、この中で最もノらせてはいけない娘。既に暴走具合が完全に振り切っている上、彼女を加えたらどうなるか。暴走通り越して大爆発を引き起こすかもしれない。

 かつてない危機に肌がチリチリとざわめく。いっそのこと脱兎の如く逃げ出せればどれほど楽になることか。

「え〜っとぉ、百八回叩けば良いんだっけ?」

「はい。『えーいひとつ、そーれ』の掛け声に合わせて打ち鳴らしてください」

「じゃあレジーネさん、ハンマー頼んでよか?」

 ベネベネがマシロの腹を打ち鳴らす大役をマチノレジーネに譲った。長柄のハンマーを受け取った彼女は、まるで野球バットを振るかのように軽々とハンマーを振るった。

 黒い鉄のヘッドが凶暴な音を立てながら空を切り裂く。

「オッケー! レジーネ頑張るねぇ!」

 頑張らなくて良い。是非とも回れ右してお帰り願いたい。

「――もう! 寄って集って……からかうのもいい加減になさいっ!」

「おっ、ようやくいつもん調子が戻ってきたな」

「ああもう……やり方が極端すぎるのよ、ベネは」

「ハハッ。センターにしょぼくれた顔されちゃ、他の娘達が浮かばれんでな」

 四人の流れるような連携といい、事前に話を合わせていたということだろうか。それにしても荒唐無稽な茶番劇にも程があろうに。

 ただ一つ、マシロの身体の強張りが綺麗に消え去り、心の重さも掻き消えていたのも事実だった。

 

「はぁ……少し緩みすぎよ。ベネ、貴方責任取って声出しなさい」

「――ん〜? 話ん内容は?」

「貴方に任せる」

 本番まであまり時間がない。にも関わらず強引に声出しを振ったのは、ベネベネならば応えるであろうという期待から。

「ま、そんくらいはやっちゃろうか……お〜いっ! 皆、声出しするからちょっと来て円陣作ってくれんかな!?」

 彼女はほんの少しの逡巡の後、声を張り上げて他の出走者全員を呼び集めた。ひとまず、着順等関係なく集まった順から円陣の形で並んでゆく。

「うん、これで全員かね……ライブ本番前やし、ちょっとだけ。私が簡単に喋って、最後に行くぞって言うから、皆はおーって返事してほしい。よかね?」

「はい。大丈夫です」

 メイケイエールを皮切りに、何をするのかと日和見具合だった他の娘達も頷いた。

「……んじゃ、僭越ながら」

 ゴホンと一つ咳払いをして、ベネベネが口を開く。

「まずは皆、レースお疲れさん! まぁ勝って負けて、色々あるとは思うけど……」

 マシロは左右に目を配る。二、三人ほど目元を手で拭う仕草をする娘がいた。瞼が腫れ、瞳は真っ赤に充血している。それが何を意味するのか、理解した彼女はそっと視線を外した。

「今この舞台の向こうにいる沢山のお客さん……あん人らが見に来たのはレースで走った私らでなく、アイドルの私らってことでさ」

 手作りした推しの娘の応援グッズを携え、ライブの開始を待ちわびる気合の入った観客。はたまた、気になった娘のカラーを模したサイリウムを現地で購入し、とりあえずライブを見てみようと興味本位の観客。更には、今日が初めてのレース観戦で右も左も分からないが、流れでライブ会場に赴いた観客。

 三者三様ではあるが、目的はただ一つ。レース出走者によるウイニングライブ。

「やけん切り替えてこう。レースはレース、ライブはライブ! ああそうだエールさん、本バ場入りん時、トレーナーさんと話しとったね。何て話しよったと?」

「え? ええと……かわいい私の姿を、観客に見せてあげなよ、でしたけど……」

「お、よかね。ちょっと使わせてもろうても?」

「構いませんが……」

「ありがとう。という訳で、ここに立ってる私らは――ただの学生でなく、アスリートとしてのウマ娘でもなく、一流のエンターテイナーのウマ娘ってことで。目ぇ腫れて真っ赤でも、何はなくとも笑っていこう! 歌って踊れて、可愛い私らの姿を観客どもに見せつけちゃろう!」

 威勢の良いベネベネの言葉に、意気消沈気味だった娘の瞳に生気が戻る。学生の身分ではあるものの、アスリートとアイドルという人に夢を与える存在。観客が求めているものを、そして求められた以上のパフォーマンスで応えるのが、いわゆるプロとしての仕事――。

「絶対に、忘れられんライブにしよう! 皆、ウマ娘根性で行くぞーっ!」

『おーッ!』

 ベネベネの掛け声に全員が合わせる。自然と拍手が起こり、表情に翳りのあった数名も引き締まった良い顔を取り戻していた。

 それはマシロも同様だった。自分自身の名に必ずついて回るURA史上初という冠詞。白毛として産まれた以上、その重責を背負う覚悟はできていたはずだった。しかしGⅠレースという重みは彼女の予想を超え、知らず知らずのうちに心身を蝕んでいたのだった。

 

 身も心も軽やかに、舞台袖の際に立つマシロの隣、一仕事やり終えたベネベネが並び立った。

「――まったく、貴方は最後には根性に走るのね」

「そら、人事を尽くしてやれること全部やったら――後は根性しかないやろ。それとも、マシロは神頼みすっとか?」

「神頼み? まさか! 今時根性論もどうかと思うけど――でも、そういうの、好きよ……ベネ」

「お褒めに預かり光栄です、女王陛下」

「もう……やめてよ」

 急に改まり、恭しく頭を下げたベネベネにマシロは苦笑するしかなかった。どこか掴みどころがないが、欲しい時に欲しいモノを、かつさり気なく。自然体でいられる、かけがえのない大切な友人の一人。

「さあ、いよいよね」

 マシロは鼻息荒く胸を張り、綺羅びやかに輝く舞台をしっかりと見据えた。

 

 そしてウイニングライブ――。

 レースに負けじと観客の心に強く刻み込まれた。センターで躍動する白毛のウマ娘に、一糸乱れぬパフォーマンスを繰り広げるマチノレジーネら。その完璧とも言えるライブに、アンコール曲が終わってもなお、観客は総立ちのまま盛大な拍手がいつまでも続いたのだった。 




次話こそジュニア級ラスト。
箸休め的な日常話と、クラシック級への布石も兼ねて。
ユキノビジンとマンハッタンカフェ登場予定。
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