特にユキノビジンは最推しですが、この話だけでなく後々も絡めていこうかと。
一応、既存のウマ娘についてはサザエさん時空を採用してます。メイケイエールらは年次まで決めてますが、ユキノやカフェは中等部、高等部というくくりまでです。
人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/342309/1.html
熱闘過ぎ去り孤愁が来たる
阪神ジュべナイルフィリーズの熱狂も一段落すると十二月も後半、世間はクリスマスや大晦日の支度に向けて慌ただしく動いていた。
当のレースは四着に終わったメイケイエールだったが、これまでの活躍もあってファンの数は鰻登り。お嬢様然とした立ち居振る舞いに、レースでは暴走気味というギャップもその一因だった。
『レース、凄かったです! もう何か息するのも忘れるくらいで……! とにかく、感動しました!』
『次、絶対GⅠ取ってくださいね! 応援してます!』
ファンレターの内容は一通一通目を通し、少し時間がかかっても必ず返事を出している。ミロワダーレはそこまでしなくてもと呆れ気味だったが、ファンによって立つウマ娘だからこそ、疎かにしたくない部分だった。
――期待してくれる、応援してくれる人がいる。その声に応えるため、学園の外周マラソンにも一層の熱が入る。
「……ハッ、ハッ、ハッ……」
学園から離れて、東京レース場を眺めつつ多摩川方面へ。車道のウマ娘専用レーンを一定のペースを保ってひた走る。
自分でも不思議だった。トレーニングの時はまったく問題ないというに、レース本番では自身を抑えきれない。どうしても焦って前へ前へ出ようとしてしまう。
河削もその問題は認識しているようで、言葉には表さないものの、時折眉間に皺を寄せて考え込む場面を良く見るようになった。
(私がもっと、しっかりできれば……)
多摩川の土手沿いを、上流方面に向けて。
右手側には地域の歴史的な建造物を集めた大きな公園があり、春にもなれば土手沿いが満開の桜で埋め尽くされる。
ウマ娘やそのトレーナー達も花見に来ることが多いらしく、チームで集まって賑やかにしているのをよく見かけた。
(トレーナーさんと、ミロワとリコと、マシロさん達も……一緒に来たいですね)
桜の木の下で大きなシートを広げ、料理を持ち寄っての大宴会。飲み物は沢山必要だろうからクーラーボックスを持参し、食べ物はオードブルセットを用意してもいいかもしれない。河削はアルコールを欲しがるだろうか。他のトレーナーも参加するのであれば別途用意をして――。
楽しげな空想に耽るも、吹きすさぶ寒風によって桜諸共にかき消えていった。それが空虚な妄想であることはメイケイエールも重々承知していた。
桜前線の北上と同時に、本格的にクラシック戦線も幕開けとなる。一生に一度しか走れない唯一無二の舞台を控え、悠長に花見に繰り出せる余裕などないのは想像に難くなく。
多摩川を渡る大きな橋の袂で折り返す。その脚は心なしか重く感じられた。
学園への帰路、気分転換に行きとは違うルートを走る。ビール工場を遠目に、左右に青々とした葉が茂る広い畑のエリア。何が植えられているのか考える余地はなかったが、目にも鮮やかな緑は間違いなく心の保養になった。
そして良い気分のまま畑のエリアの端、庇付きの屋外掲示板の前を駆け抜けた。
(――?)
通り過ぎる一瞬、メイケイエールは貼られていたチラシに気になる文言を認めた。普段ならそのまま駆け抜けていたが、今日はどうしてもそれが気がかりになってしまった。
百メートルほど走って速度を緩めて立ち止まり、小走りで掲示板の所まで戻る。町内会の催しと思われる、手書きのイラストが添えられたポスター。
その内容は――。
「まあ、お芋掘り!」 「わあ、お芋掘り!」
町内会主催の芋掘り収穫体験。終わった後に焼き芋と芋煮会付き。
思わず声を上げたメイケイエール。
と、同時に隣からも声が。
ポスターに集中していて、隣に誰かいることにまったく気がついていなかった。慌てて声のした方に顔を向けると、自分と同じウマ耳が。
「あ――どでんさせちゃいましたか? エールさん、おもさげねえです」
両耳にカチューシャの様な白い耳覆いをつけ、明るい栗毛のボブカット。耳の後ろから顔の横にまでかけて施された編込みは結び目が均一で、まるでプロの仕事のようだった。
そしてくりっとした茶色のどんぐり眼に、控えめにはにかんだ笑顔。
「――ユキノさん! こんな所で、珍しいですね」
彼女の名前はユキノビジン。同じ中等部のウマ娘で美浦寮所属。メイケイエールより一足先にデビューし、クラシック戦線を沸かせた実力者の一人だ。
出身地の方言である盛岡弁混じりに話す様子は素朴そのもの。しかしいざレースとなると、勇ましさを覚えるほどに力強い姿を見せてくれる。
「はい。ランニングのコースをちょこっとだけ変えてみたンです。そしたら、この掲示板見つけて……」
GⅠ勝利にはほんの僅かに手が届かないが、レースでは常に懸命に走る。その姿勢と盛岡から上京した素朴な少女という要素が相まって、アイドルウマ娘と評されて根強い人気を誇る。
「ユキノさんも、さつまいもお好きなのですか?」
「それはもう! 大好きだぁ!」
両手をグッと握り締めて気合十分に回答するユキノビジン。同年代のクラスメートらはどうしても、ケーキ等の洋菓子やフラペチーノといった流行りモノが好きだというのが大半。
メイケイエールもそういうのは嫌いではないが、どちらかというと団子や焼き芋等、昔ながらの方が好みだった。気兼ねなく好きなものを話せそうで、彼女の尻尾が左右に大きく振れる。
「そうですよね、良いですよね! 採れたてでホクホクしたのもいいですし、少し時間を置いて甘さが増したのもまた……」
「寒ぐなって収穫の時期になると親戚一同集まって、一斉に畑の芋掘り始めるンです。賑やかで――楽しかったなぁ」
「焼き芋も美味しいですけど、スイートポテトにするのもまた格別で。あぁっ涎が」
「収穫したら手分けして天日に晒すンですけど、大きなビニールシート何枚も使うんで、お芋の海みたいになるンです。小せえ頃はそれを見るのがほんっとうに好きで――」
「あっ、シンプルにさつまいもの煮物も良いですよね! 少し濃い目の味付けにして、じっくり煮込んで……もうそれだけがあればご飯が進んで進んで……あら?」
ふと気がつくと、少し気恥ずかしそうにしながらユキノビジンがはにかんでいた。
「エールさんは本当にお好きなンですね」
さつまいもがいかに美味しいか語るのに無我夢中でまったく気づかなかったが、冷静になって思い返す。
――会話が噛み合っていない。これっぽっちも。
「えっと、あの……ユキノさんは、お芋の収穫? ですか?」
「あたしの実家は盛岡で農家やってるンで。芋掘りは毎年の恒例行事だったんですよ」
「ピアィッ!」
喉の奥の方から飛び出す声は、形容し難いほどに甲高く。
何という失態。ユキノビジンが幼少の思い出を語ってくれていたというのに、それを聞きもせずに自分の好みをのべつ幕なしに。
恥ずかしさのあまり顔が熱を帯びる。真っ赤になるのを通り越し、燦然と白色に輝かんとするほどだった。最早まともに彼女の顔を見ることができず、背を向けてしゃがみ込む他に取り得る手段がなかった。
「ご……ごめんなさい! 私、自分のことばかりで……!」
「そんな全然ですよ! むしろ、作ってる側としては、そったら美味しく食べてけるのが嬉しいですよ……なンて、あたしが作ってるンじゃないんですけどね」
「ユキノさん……本当に、ありがとうございます……」
ユキノビジンの献身的なフォローにより、白熱電球さながらとなっていたメイケイエールも少しずつ平静さを取り戻していった。返す返すも、時間が巻き戻せるのならば会話の最初に戻りたかった。
「ところでこのお芋掘りの催し、参加料払えばあたし達も参加できますかねぇ……? 町内の人限定とは書いてないようですけど」
ポスターにはイベント内容の他には日時と参加料、主催者の連絡先しか記載されていない。特段の制限はないように思えるが。
「私達は部外者な訳ですから……主催の方に確認を取った方が良さそうですね。学園に戻ったら、まずトレーナーさんに確認して、許可頂けたら主催の方に電話で聞いてみます」
普通の学生ならいざ知らず、トレセン学園の生徒となると方々に確認が必要となってしまう。レースに出走したりライブを行ったりする関係上、身体のコンディションに関わることは特に細かくチェックされるのだ。
河削への相談に使うため、携帯のカメラでポスターの写真を一枚撮影する。
「ありがとがんす! ならあたしは参加して大丈夫か、生徒会に聞いてみるなはん」
「助かります! お互い良い結果になるよう頑張りましょう!」
「はい! 楽しみですね、お芋掘り!」
互いの連絡先を交換し、一路学園に戻るメイケイエール。そして恐る恐る、河削に芋掘り大会について相談したところ――。
『ん〜? 芋掘り? へーこんな近くで……参加したいの? まぁ良いんじゃない、寒そうだけど。で、エールちゃんと友達二人と、他は――え? ユキノビジン――いやいやいや待って待ってマジマジ!? マジなの!? もーうエールちゃんもイケずぅ、そんなこと黙ってるなんてぇ! いーよいーよ、保護者として私も行くから! 絶対行くから!!』
前半と後半でテンションがまるきり違うのが釈然としないが、ひとまず河削の承諾は取り付けられた。そして程なく、ユキノビジンから生徒会からもOKが出たと連絡を貰い、続いて主催へ問い合わせると是非参加してほしいと二つ返事で。
とにかく、これで大手を振って芋掘り大会に参加できるようになったのだった。
さつまいも掘りだよ全員集合!
そうして芋掘り大会当日。スカイブルーの空には子供がちぎったかのような綿雲が点々と浮かんでいた。時折雲で日差しが隠れる、畑仕事をするにはうってつけの好天。メイケイエールを始め、保護者としての河削と声をかけたミロワダーレとリコンスタの四名が早めに現地のさつまいも畑に到着していた。
「なあエール、ユキノさんも来んだよな?」
「ええ。お友達と一緒に来るって連絡ありましたよ。少し準備をしているので遅くなるそうですが……」
「……あの二人じゃない……? ほら、学園のジャージ着てる……」
リコンスタが指差す方へ全員が目を向けた。太めの白いラインが入った朱色のジャージに身を包むウマ娘が二人、こちらに向かって小走りで駆けていた。
二人の内、前を走るのはユキノビジン。そしてその後ろ、小さなリュックを背負い同じくらいの背丈でユキノビジンより細身。腰の後ろ程にまで伸びる黒毛のロングヘアが穏やかな陽の下で黒曜に照り輝く。
――彼女は一体何者か。その答えが出るのにさして時間はかからなかった。
「……おいマジかよ! あの人って……」
「……うん、だよね……先輩だよ、凄い……」
ミロワダーレとリコンスタがにわかに色めきだつ。さつまいも畑にはあまり似つかわしくない人物だったが、それでも現に彼女はやってきたのだ。
「――ごめんなさい! 支度してたら遅くなっちまって!」
合流するなり頭を下げたユキノビジンの隣で、そのウマ娘も同様に。
漆黒の髪に、金色の双眸はさながら満月のごとく。そして前髪のほんの一房が白く、ピンと頭上へ起立している。
「……すみません……準備に、時間が掛かってしまって……声をかけていただいてありがとうございます」
――稀代の長距離走者、マンハッタンカフェ。小柄な体躯ながら、菊花賞、有マ記念、天皇賞・春と歴々の長距離GⅠレースを制した実績を持つ。
学園において長距離走者といえばと問えば、必ずと言って良いほど名前が挙がるウマ娘の一人だ。
「こちらこそありがとうございます! 皆さん揃いましたので、主催の方にお話して段取りを確認してきますね。もう暫くお待ち下さい」
学園側の代表であるメイケイエールは打ち合わせに向かった。とかく町内会のこじんまりとした催しの筈が、著名なウマ娘の参戦により一大イベントと化してしまったのだ。
単純に畑仕事をして終わりかと思いきや、手伝いをする以上は準備や進行を把握しておかなければならなかった。
「やー、マンハッタンカフェちゃんが来るなんて珍しいねえ。今日はよろしくね。メイケイエールの専属トレーナーの河削です」
「……よろしくお願いします……ユキノさんに是非ともと誘われまして……」
「ほとんど強引にあたしが連れてきちゃったんですけどね」
河削とマンハッタンカフェ、ユキノビジンの三名で談笑していたところ、予期せぬレジェンドの登場ということでミロワダーレとリコンスタはその場に立ち尽くすばかりだった。
芋掘り大会は想定以上の賑わいとなった。というのも、メイケイエールらが参加することをサプライズとして主催者が隠していたのだ。
『なんと! 今回の芋掘り大会は――トレセン学園の生徒さんにもお越しいただいてます! どうぞ!』
主催者である、さつまいも農家の主人。その人に紹介されて参加者の前に登場したらもう大騒ぎ。マンハッタンカフェをはじめ、ユキノビジンにメイケイエール。とにかく参加者達は湧き上がり、臨時の撮影会のようなものが始まってしまったほどだった。
しかしその混乱もやがては収束。各々、それぞれの役割をもって芋掘りに勤しんだ。
『はーい! じゃあお芋掘りのやり方を説明しますねぇ! 皆さんで美味しいお芋を沢山掘りましょうね! 実演はエールさん、お願いします!』
『はい! じゃあ、小さなお友達は前の方に来てくださいね! いきますよー!』
実家が農家という強みを活かして、さつまいも掘りインストラクターとなったユキノビジンとメイケイエール。熟練の指導役と力一杯の実演役の組み合わせで、あれよあれよと面白いほどに地中のさつまいもを白日の元に晒してゆく。
『私がまだ二十歳の頃かしらねぇ……主人と浅草へ新婚旅行に行ったのよ。そこで、あなたのような芦毛で可愛らしいおウマさんに車を引いてもらってねぇ。お話も達者で、本当に楽しかったわねぇ……』
『……おぉ……貴重なお話……さぞや楽しかったんでしょうね……』
参加しに来たお年寄りの思い出話に耳を傾けるリコンスタ。昔の、未知の話を聞けば聞くほど、好奇心が二倍三倍と膨らんでゆく。そんなじっくりと聞いてくれる芦毛の彼女を囲むように、お喋りしたいシルバーの方々が殺到していた。
『ミロワ姉ちゃ〜ん! カンチョー!』
『かっ……!? ボウ、ボク? 女の子にそんなことしないようにな?』
背後から忍び寄る微かな足音を聞き分け、すんでの所で前に跳んで事なきを得た。これが成人男性なら有無を言わさず全力の後ろ蹴りを食らわせるところだったが。
『や〜い! ブース!』
『ボ、ボォクゥ……? 失礼なこと言うとお姉さん怒るからな……?』
『うっせー! ヴゥゥゥゥッス!』
『――オマエのケツに風穴ぶち開けんぞクソガキャア!』
『わーっ! ブスが怒ったー!』
参加者の子供と和気藹々と親睦を深めるミロワダーレ。芋掘りそっちのけで子供と鬼ごっこで戯れていた。
『あら! わざわざ生徒さんが手伝ってくれるだなんて……ごめんなさいねえ』
会場から少し離れた仮設の大型テントにて、マンハッタンカフェが芋煮用の野菜の仕込みを手伝っていた。彼女の野菜を切る手並みは歴戦の主婦と比べても遜色ないものだった。
『……いえ、包丁仕事も……嫌いではありませんから……それに強い日差しが……少し苦手で……』
メイケイエールやユキノビジンと比べても色白が目立つマンハッタンカフェ。身体の線の細さも相まって、陽光の下の畑仕事はいささか負荷が強いように思われた。
『そういえばアナタ、色白さんだものねえ! それじゃそのままお願いしちゃおうかしら』
『……お任せください……人手が多いに越したことはありませんから……』
こうして万事つつがなく。収穫予定のさつまいもは全て掘り起こされた。焼き芋や芋煮の準備も終え、ようやく一息つける時間が訪れた。
「はぁーっ、やりましたねユキノさん!」
「んだなはん、ほんにお疲れ様でしたぁ! 大成功でしたねぇ!」
土で汚れた頬を拭い、満足感溢れる表情で互いをいたわる二人。正に八面六臂の活躍をしたのだから当然と言っても過言ではなかった。
「……お疲れ〜……二人共輝いてたよ……」
偉大なる先達と交流し、自身の知的好奇心を存分に満たしたリコンスタ。土汚れは然程ではないが、充実していたらしく鼻息は普段より荒かった。
「おー……ようやく休憩か……」
そして誰よりも土まみれで、誰よりも消耗が著しかったのはミロワダーレだった。白い前髪もすっかり汚れて薄い黄土色に。
当初はおいたをした子供との追いかけっこだった。しかしいつしか遊びたい盛りの子供達をまとめて芋掘りという、保育士の真似事をすることに。
「ミロワもお疲れ様でした。大変でしたね」
「本当に手加減しねえな、あの歳らへんの子供って……あー疲れた」
とはいえ疲労困憊という様子でもなく、どことなく満足感を覗かせるミロワダーレ。周囲からは風に乗っておウマのお姉ちゃんが遊んでくれたと子供の楽しげな声が届き、彼女自身満更ではないようだった。
「……皆さん、お疲れ様でした……」
大量の野菜との格闘を終えたマンハッタンカフェも合流。大きな水筒と、取っ手が付いたナイロン製の四角い手提げを携えている。
「カフェさんもお料理のお支度お疲れ様です。言ってくれたら、あたしも行ったんだげど……」
「……ユキノさんは大役を仰せつかっているので……遠巻きから応援させてもらいました……それより……」
残念そうにするユキノビジンからの申し出を、マンハッタンカフェはゆっくりと首を横に振る。あちらこちらに気を回させることにならないようにと、彼女なりの気遣いなのだろうか。見えない信頼感で二人は強く結ばれているようだった。
マンハッタンカフェは徐ろに手提げからレジャーシートを取り出し、ユキノビジンも手伝いながら地面に広げる。次いで組み立て式のごく小さなテーブルを置き、その上に紙コップとコップのホルダーを。
「今朝……コーヒーを淹れてきまして……一息つきませんか……?」
この素敵な申し出を断る理由などなかった。靴を脱ぎ、メイケイエールらはめいめいレジャーシートに腰を落とした。
「実はコーヒーの準備してて遅くなってしまって……ですよね、カフェさん?」
「ユキノさん……! それは皆さんに内緒って……」
予想外の暴露に、冷静沈着なマンハッタンカフェが大いに狼狽える。気色ばんで抗議する姿は年相応と言うべきか、親友同士の実に微笑ましい会話だった。
「――コホン、では気を取り直して……深煎りの豆を使ったブラックなので苦味は少し強めですが……ウインナーコーヒー風にしようと思いまして……いかがでしょう」
「ウインナー……むむっ」
ウインナーという単語。それにリコンスタのおもしろセンサーが耳聡く反応した。これから何か面白そうなことが起こりそうな――その予感を彼女は察知した。
「次のミロワの台詞は……『ウインナーコーヒー? ウインナー入れんのか? オレはちょっとなあ』だ……!」
「ウインナーコーヒー? ウインナー入れんのか? オレはちょっとなあ……ハッ!?」
とてもシンプルに、ブラックコーヒーにウインナーソーセージが浸かる様子を思い浮かべたミロワダーレ。一字一句正確に言い当てられ次の言葉を失った。
「……と、言う訳で……かわいいミロワちゃんのためにウインナーコーヒーの説明をセンパイ、よろで〜す」
「コイツ……」
完全に予測を的中されたため、ミロワダーレは苦虫を噛み潰したような顔でリコンスタを睨みつけるしかできなかった。当てた本人は素知らぬ顔でどこ吹く風。自らの不見識のため反撃されることは絶対にない、まさに勝者の余裕だった。
「……ええと、そういうことでしたら……ウインナーコーヒーのウインナーは直訳するとウィーン風……要するに、ウィーン風コーヒーとなります……」
リクエストを受け、躊躇いがちながらもマンハッタンカフェがウインナーコーヒーについて解説を始めた。
「……日本では注いだコーヒーに……ホイップクリームを乗せる飲み方をそう呼んでいます……実際のウィーンで飲まれているのはまた異なりますが」
そしてバスケットの中から、小ぶりのマシュマロがぎっしり入ったジッパーバッグを取り出す。
「……屋外でホイップクリームを用意するのも難しいので……代わりにマシュマロを用意しました。敢えて言うならウインナーコーヒー風コーヒー……でしょうか」
紙コップをホルダーに差し込み、水筒からコーヒーを注ぐ。柔らかな湯気と共に、芳しい香りが辺りを優しく包み込む。
コーヒーを注いだら上からマシュマロを幾つか。艶のある黒い水面に白いマシュマロのコントラストがよく映えた。コーヒーの熱により、マシュマロがじんわりと溶けて一面に広がってゆく。
「……どうぞ。肉体疲労には糖分を摂取するのが一番……ですから……」
――喫茶マンハッタンカフェ。レジャーシートの上だけで、本日のみの限定営業。
ほろ苦くも甘味を感じるコーヒーに舌鼓を打ちつつ、メイケイエール達は束の間の休息を満喫したのだった。
漆黒の
その頃、河削はというとどういう風に吹き回しか、奮闘するメイケイエール達を遠巻きに眺めているだけだった。保護者という立場として節度ある立ち位置に努めていたが――実際は他者の目が近くにあるためスイッチが入らなかっただけのこと。
「……河削トレーナー……お疲れ様です。コーヒーいかがですか……?」
「お、ありがとうー。気が利くねえ。ブラック?」
「はい。お砂糖、必要でしたか……?」
「ううん。ブラックが好きだから」
渡されたコーヒーを一口含むと、しっかり力強い苦味の向こうに芳しい香りが鼻腔を抜けてゆく。程よい温かさで身も心もとろけてゆくようだった。
「――! これ、かなり美味しいね。もしかして豆とか自家焙煎?」
「……さすがにそこまでは……ですが、行きつけの豆専門店でその場で焙煎してもらっています……」
一見、無機質にも見えたマンハッタンカフェの表情が緩み、金色の眼に温かな光が宿った。なかなか不可思議な部分が多い彼女ではあるが、間近で見ると単に口数が少ない小柄の少女としか見えなかった。
「……すみません、前置きが長く……少し、お話したいことが……」
「――なぁに?」
しかし、その柔和な表情もすぐに色を失った。ただじっと、何の色もなく河削を見据える。
コーヒーを飲み下し、河削もマンハッタンカフェの意図を読み取ろうとする。しかし彼女の瞳の向こうには何も見えず、何も感じ取ることができない。むしろ、覗き込んだが最後、果てのない深淵に取り込まれてしまいそうに思えてならなかった。
「……私のお友だち……いえ、友人の話なのですが……」
トレーナー間でまことしやかに噂されていることがある。マンハッタンカフェは常人には見えないナニかが見え、そのナニかをお友だちと呼んでいると。
前触れもなく物が動くのは当たり前、誰もいない筈なのに覗かれているような感覚がすれば、殴打されたような衝撃が背中に走ることも。
とにかく、言葉では説明できないことが多々起こるのが彼女だった。そして、それが人を遠ざけている一因でもある。
「……メイケイエールさんですが。今のままですと……そう遠くない未来、困難に直面すると……」
「困難って、どんな?」
「……すみません。詳しくは分からなくて……ただ、一つ……最悪のケースとして、二度と……レースへの出走が叶わなくなる可能性がある、と……」
マンハッタンカフェは言葉を一つ一つ、慎重に選びながら紡いだ。特に最後の内容は少なからず河削に動揺をもたらした。表情はそのままに、コーヒーの水面が小刻みに波打つ。
「随分……驚くことを言うね、貴方のお友達は」
「……不快に思われるのは当然です……ですが、どうしてもこの機会にお伝えしなければと……」
「それもお友達の意思? それとも……」
「私の……意思です。それに……河削トレーナーご自身にも大変な困難が……契約解除すれば労苦からは解放されますが……」
確かにそれはシンプルな解決方法だ。メイケイエールの担当から外れれば、彼女の問題に頭を悩まされることもなく、自身のトラブルにも見舞われることもなくなるだろう。
しかしそれは。
「自分の手に負えないからオサラバって? そんなことが――許されてたまるもんですか」
コーヒーの水面が大きく揺れ始めた。ホルダーの取っ手を握る指が無意識に強張る。
「それに……そんなことするくらいならさ、十字に腹かっさばいて死ぬ方がずっとマシだね」
「……はい……ですので、全ては貴方次第と……」
マンハッタンカフェの言葉に河削はコーヒーを一息で飲み干す。味わいのあるコーヒーの筈だったが、苦いのか苦くないのか良く分からない液体と化していた。
「……申し訳ありません。とても失礼なことを……ですが今日、どうしてもお伝えしておきたくて……」
彼女は浮かれ気分に冷水を浴びせに来たのではないことは、河削も十分すぎる程に理解している。破滅を望むならばわざわざ伝えることなどせず、沈黙を保っていれば良いだけだ。それをこうして、臆さず話をしに来たということは並々ならぬ覚悟の上のことだろう。
「ううん。気を遣わせちゃったね……ありがとう。コーヒーご馳走様」
「……いえ、お安い御用です……空のコップ、お預かりします……」
「うん。あ、ところでさ。私からも一つ、いい?」
「……どうぞ……」
河削からコップを受け取りつつも、マンハッタンカフェは息を呑んで身構えた。あの話の後なのだから、非難めいたことを言われたとしてもおかしくはない。
「マンハッタンカフェちゃんってさ、
「……はい……?」
「いやさぁ、エールちゃんも他の娘もムチムチしてふよふよって感じだからさぁ。貴方みたいなスレンダーな感じってあんまり経験なくって。どんな締まったお尻してるのかな゙ぁ゙ッ!?」
唐突に、右肩の後ろから強烈な衝撃が。後ろを振り返っても、もちろん人影は何もなし。ジンと痺れるような痛みが強く残る。
「……? もしくはさ、程よく走ってお湿りな内腿を頬ずりさせてくんないかなぁ? オプションでクンカクン――あ゙ッ゙? な、なんか……頭グリグリされてるんてますけどぉッ゙!?」
周囲にはマンハッタンカフェ以外には誰も。にも関わらず、両側頭部をグリグリと執拗に。頭でホイップクリームでも作らんばかりの勢いで掻き回され、それと同時に強烈な締め付けが。
「……普通、首を縦に振る人はいないと思いますが……」
「試じでみ゙な゙い゙ど分がら゙な゙い゙じゃ゙な゙い゙!?」
「……明確と思いますが……常識的にも」
河削は知らない。マンハッタンカフェの見えざるお友だちにエネミー判定され、盛大にシバかれているということに。
頭を万力でキリキリ絞められる感覚に悶え苦しみつつ、マンハッタンカフェの両手を包み込むようにそっと握る。
「じゃ゙あ゙、気が変わ゙っ゙だら゙教え゙でね゙!」
(何という執念……いえ、怨念……?)
噂に聞いた通りの人物だと、その迫力に圧されつつもある種の感動を覚えたマンハッタンカフェ。彼女のお友だちもそれ以上の介入を諦めたようで、虚空の闇へと消えていった。
とにもかくにも、用事を済ませた彼女は小さく一礼し、メイケイエールらの元へ戻っていった。どことなく後ろ髪を引かれながらも、決して後ろを振り返ることはなかった。
(……破滅の平路か、苦難の急峻か……貴方は
雪華舞い散る夜天の下で
師走も暮れの間際、今年のグランプリも終了し、トレセン学園もようやく安寧の時が訪れた。
とはいえ、これもほんの一時のこと。年が明ければメイケイエールはクラシック級へと進み、手強いライバル達と一年間鎬を削ることとなる。
それはウマ娘らを担当するトレーナーも例外ではなかった。むしろ、この時期が最も慌ただしくなる季節と言えよう。来年に向け、レースプランやトレーニングメニューの骨組み等、一年間を通して無事に走り切れるよう様々な計画を立てておかなければならない。
河削もその例に漏れず、寮の自室に戻ってもデスクの上に資料を広げ、来年の展望を練っている最中だった。
団子状に結い上げた髪を下ろし、ゆったりとした部屋着のスウェットに身を包む。完全に業務から開放されたオフのスタイルだが、そうも言っていられないのがトレーナーの辛いところ。
「う〜ん……」
目下の悩みは頻発するスタート時の出遅れ。先行策が多いメイケイエールにとってスタートの出遅れは致命的。道中におけるコース取りが不利になるのは勿論、遅れを取り戻すために余計な体力を使うこととなる。
その最たる例がジュべナイルフィリーズだろう。もしスタートで出遅れてさえいなければ、ゴール板を先頭で駆け抜けたのはマシロでなくメイケイエールかもしれなかったのだ。
――否。一着は間違いなくメイケイエールだったはずだと河削は確信していた。
「スタートがねぇ、本当に……」
レース動画を幾つも見ながら溜息をつく。途中の暴走癖も気になる所ではあるが、これは最優先で対処しなければならない。スタートの成否で勝敗が決する場面も少なくなく、特に粒揃いの世代なのだから不安要素は一つでも解消しておきたい。
それにしても、練習時の動画と比べるとまるで別人だ。本番では二、三テンポは遅れてゲートを出ている。普通、スタートが苦手なら練習の時でも同じなのだが。
――普通なら。
「んン〜……」
メイケイエールは普通ではない。普通でないのなら、原因も普通ではないのでは。
「――写真ならいけるか?」
動画ではほんの一瞬で過ぎ去ってしまう。それならば写真では、と――。
駄目で元々当たれば上等。携帯を手に取り、とある人物に電話をかける。
呼び出し音が一回、二回……三回目が始まる直前、電話が繋がった。
「あ、もしもし高木さん? トレセン学園の河削です。夜分遅くに申し訳ありません――」
『河削トレーナー? こんな時間に珍しいですね。どうなさったんですか?』
小倉でのデビュー以来、常に取材に着いてきてくれている高木記者。彼女ならばある程度は融通が利くかもしれないと、淡いを期待してのことだった。
「いやなに、ちょっとだけお願いがありまして……これまでのエールのレースでスタート直後、ゲートから出た瞬間の写真があれば譲ってもらえないかと……」
『スタート……ですか? ゴールではなく?』
「ええ、スタートです。ちょっと手持ちにそういうのがなくて」
一般的な感覚ならゴールした瞬間の写真を求めるだろう。しかし今はの課題を紐解くキッカケが欲しい。流石に懇意にしてもらっている相手とはいえ、詳細の理由まで明かすことは躊躇われた。
『……そう、ですね……』
高木の反応は鈍かった。業務外のプライベートな時間で、なおかつ彼女の側には何のメリットもない申し出。断られても文句は言えない状況だろう。
「――どうでしょう。お仕事として撮られたものでしょうし、難しければ断っていただいて構いませんので」
暫し続く沈黙。不安を紛らわそうと、手持ち無沙汰の方の手でテーブルをつつく。沈黙が続けば続くほど、つつく指のテンポも早くなる。
『――社に無許可で提供するというのは難しいですが、私が個人で撮影したものを友人と共有する、という形でしたら――多分』
「本当ですか!? 助かります! 絶対にご迷惑はかけませんので!」
椅子から勢いよく立ち上がり、歓喜のあまり虚空に向かって何度も頭を下げる。どんな形であれ、貴重な資料を得られることができたのだ。
リスクを顧みない高木の行為に、河削はとにかく感謝しきりとなった。
PCのアドレスを高木に教え、待つこと十数分。
一日千秋の思いの中、不意に携帯に高木から着信の知らせが。携帯を手から滑り落としそうになりながら電話に出た。
『あの――すみません!』
第一声は高木からの謝罪。申し訳無さそうな声でなおも彼女が続ける。
『エールさんのスタートをちゃんと撮ったつもりだったんですが……全部、目を瞑ってらっしゃるものしかなくて……』
「全部、ですか?」
『そうなんです。全部で……すみません、失敗したのばかりでお役に立てるかどうか……』
「いえ! 全然構いません! あるだけ送っていただければ助かります!」
『……分かりました。暫くお待ち下さい』
河削の中で一つの仮定ができつつあった。以前からよもやと考えていたのではあるが、荒唐無稽な話のため半信半疑の状態だった。それが今、高木の話もあり現実味を増しつつある。
「――来た! 仕事早いな高木さん!」
メールに添付された圧縮ファイルを保存し、中身を検める。メイクデビューからジュべナイルフィリーズまで一揃いの、メイケイエールのスタート時の画像データの詰め合わせ。まずは高木の言葉を確認するように一通り目を通す。
そのどれもが。
まるで当然かのように。
両目を強く閉じていた。
「うん……」
ジュべナイルフィリーズのレース映像をもう一度確かめる。スタート直後、頭を前に突っ伏すようにして走るメイケイエール。
カメラから切れるほんの一瞬ではあるものの、確かに彼女は前を見るどころか、目を瞑った状態のような。
「ははっ……マジかぁ……」
ゲートが苦手であったり、性格の荒さが原因でスタートで出遅れるというのは特に珍しいことではない。
しかし彼女のように、そもそも前を見てすらいないというのは――前代未聞という他なし。
「マジかぁ〜エールちゃん! 目ぇ閉じたままスタートしてんのかぁ! いやぁかわいいなぁ!!」
おかしさを堪えきれず、河削は堰を切ったように笑い出した。一人だけだ。レース出走者の中でたった一人。目を瞑っだまスタートを切っているのは。
「エールちゃんすっげぇ〜! か〜わ〜い〜い〜!」
よくもまあ、その様な不利を背負って重賞を勝ってこれたものだ。それこそ飛び抜けた才があることの証明かもしれないが。
「ははっ……あはっ……いやぁすっげぇ……」
腹が捩れる程に笑い尽くし、口許を抑えて天井を仰ぐ。
「……くそっ」
――何故気が付かなかった。
「……くそぉっ!」
――何故気が付いてやれなかった。
目を瞑っているということは、真っ直ぐスタートできずに左右に大きくぶれている可能性がある。これまで大きな事故が起きなかったのは奇跡だ。
あるいは、過去に事故になりかけたことがあったかもしれない。他の出走者が回避し、結果的に事なきを得ただけということも。
画像を見る限り、兆候はメイクデビューの時からあったようだ。その時から、もしくは小倉ジュニアステークスから気が付いていれば……。
「そんなことってある? 普通そんなこと――」
普通とは誰の普通か。目を瞑ってスタートするなど有り得ないと高を括り、考察することもなく、真剣に向き合おうとしなかった節穴はどこの誰か。
脳裏に去来するは、マンハッタンカフェの重い言葉。
『今のままですと……そう遠くない未来、困難に直面すると……二度と……レースへの出走が叶わなくなる可能性がある、と……』
奥歯を強く、ただ強く。手が震える程に噛み締める。
頭をがくりと垂らし、己の不明に絶望に沈む。
(でも……)
無言で椅子から立ち上がり、冷蔵庫を開け、エナジードリンクを一缶取り出すと一気に飲み干した。
「アぁ……」
肺から絞り出すように息を吐く。そして口の端を拭い、微かに笑う。
「でもようやく……
たちまちに自分の机に戻り、ヘアゴムを手に取って後ろ髪をいつもの団子スタイルにまとめ上げた。
「やってやらァ! 変えてやろうじゃないの……あの娘の未来を!」
河削の瞳に烈火閃光が迸る。
そのままの勢いでパソコンのキーボードを猛烈に叩き始めた。
「えーっと、こういうケースはどう当たる……? スポーツ心理学? チクショウ、そっちは深くやらなかったからなぁ……とりあえず論文読むか! 片っ端から!」
夜の帳が下り、辺りがしんと静まり返る夜半過ぎ。空からチラリチラリと雪が舞い降り始めた。
それはやがて、辺り一面を銀世界に変えてゆく。雪が静かに、優しく降り積もっていく中、河削の部屋の明かりはいつまでも消えることがなかった。
次話からクラシック級。
栄光と挫折をテーマに、もう少し幅を広げて展開する予定。新キャラももう二名ほど検討中。