ナギサに許嫁がいた話 作:ナギサ様には曇らせが似合う
気を付けて書いたつもりですが、変だったらごめんなさい。
「ナギサ」
懐かしい、しかし、いつまでも忘れない。忘れられない。忘れたくない彼の声が耳をくすぐる。
これが夢だというのは、すぐに理解できた。
懐かしいあの時間、あの場所。
昼下がり、丘の上の楓の木、その木漏れ日の下。
彼と私、そしてミカさん。3人だけの憩いの場。
今なお色褪せない思い出の場所。
そして、今はもう無い思い出の場所。
「ナギサ」
彼が再び私の名前を呼ぶ。
私は、ごめんなさい少し、ウトウトしてしまいました…なんて、返事をする。
「いいや、大丈夫だよ。ここは気持ちがいいからね。眠くなるのも仕方ないよ」
彼は微笑みを浮かべながら、そう言い、そして、その微笑みのまま続けた。
「膝、貸そうか?」
それを聞いて、私は少しの間、逡巡しする。そして、「お願いします」なんとか、そう、絞り出した。
何処と無い気恥ずかしさを誤魔化す為に、こういうのは普通、男女逆なのではないですか?なんて言ってみる。
「あはは そうかもね。ん〜まぁ、でも、いいんじゃないかな」
ほら、最近は男女平等が叫ばれてるし…
彼はそう戯けて口を閉ざした。
辺りに、心地よい沈黙が訪れる。
サァァァと微風が流れる。彼の髪が風に揺れ、ざわざわと楓の枝葉がざわめく。
私は、こういった穏やかな時間がとても好きだった。
「ナギサはさ、何か、夢とか、目標とかある?」
風が止んでややした後、彼が再び口を開いて、そんな事を聞いてきた。
私の夢、というか目標は、■■■さんは既に知っているでしょう?
そんな言葉を返したが、彼はいいからいいから、なんて言って促す。
そんな彼に根負けして、私はポツポツと話し始める。
私の目標は、桐藤商会を継ぎ、今以上に発展させる事です。そして、ゆくゆくはトリニティ…いえ、キヴォトス1の商会にします。
自身の夢を、目標を改めて語り、少し頬に熱が灯った。
「うん、そうだったね」
実は、まだ話していない夢があるが、それは叶う事は確定しているし、何よりも、口に出すのはとても恥ずかしいので、言わない。
私だけ、こんな思いをするのはフェアじゃない。そんな考えから、■■■さんの夢はなんですか?なんて聞いてみる。そう言えば、彼の夢を聞くのはこれが初めての気がすると、言ってから気がつく。
そして、それを聞いた彼は、答えた。
「僕の夢は、ゲヘナとの和睦かな。何時までも何処までも争って、嫌いあって…そんなの不毛だし、あまりにも悲しいじゃないか…隣人なのだから、手を取り合って仲良く…とはいかなくとも、争い合う事は辞めるべきだと思うんだ」
予想外の、しかし、彼なら思い描きそうな、そんな納得感のある言葉が返ってきた。
しかし、正直な所、それは無理であると、そう思った。
何よりも、彼の立場がそれを許さないだろうと。
彼の家は、パテル分派でも有数の名家である。
パテル分派は、武のパテルとも評される程、武力を重要視しており、自治区防衛の中枢も担っている。そしてゲヘナを仮想敵とし、ゲヘナと永年にわたって矛を交えている。
そのため、ゲヘナへの嫌悪感、増悪は他分派よりも色濃い。
そのパテル分派の名家、しかも、その長男がゲヘナとの和睦などと言い出した日には、パテル分派が、他の分派が、トリニティがどうなるか、わからない。
だが、彼は破門どころの話では済まないだろうという事はわかる。恐らく、その一生を暗い牢の中で過ごす事になるだろう。
しかし、私はその事を理解していながら、その夢がとても綺麗な物だと思った。とても尊い物だと感じた。
トリニティとゲヘナを隔てる、重く冷たい鉄のカーテンが取り払われれば、どんなに素敵な事だろうと、思った。思ってしまった。
だから、私はその夢を肯定した。それは…とても素敵な夢ですね。と、そして、こうも続けてしまった。
私も、その夢を応援します。きっと、お支えします。そう、言ってしまった。
彼は微笑みながら、「ありがとう。ふたりで、共に進んでいこう」と、そう言ってくれた。
もしも、この時わたしが肯定をしなければ、背中を押さなければ、この後の悲劇は起きなかったかもしれない。そう、私は常日頃考える。
考えて考えて考えて、私は、後悔と共に生きてゆく。
場面が暗転する。
歌が聴こえる。鎮魂歌だ。
忘れもしない。彼の、■■■さんの葬儀ミサ。その光景が浮かび上がる。
参列者たちは皆一様に両手を前で組み、祈りを捧げている。鎮魂歌に混じって、時折鼻を啜る音や、嗚咽が聞こえる。
私はこの時、何をしていただろうか。
たしか、祈る事も忘れてただ棺を見つめていた気がする。
ヒソヒソと、話し声が聞こえる。私はそれを呆然と聞き流す。
「聖園様も気の毒ですよね。まさか、御子息が亡くなられるとは…」
「当主は御息女に決まっていたとはいえ、ご子息もファリウス分派との繋がりを強化するという重要な役割があったのに…まさか、御一人でゲヘナに向かうなんて…挙げ句、こんな…」
「御息女も今は部屋に籠もって出て来ないと聞きますし…これから、聖園家は…パテル分派はどうなるのでしょうか…」
「気の毒なのは、桐藤様の御息女もだ…まさか婚約者がこんな事になるなんてな…変な噂が流れないと良いが…」
呆然と過ごした祈りの時間が終わり、葬儀の終わり、別れの時間がやって来る。
棺の中の、まるで眠っているような彼の死に顔を見る。安らかな顔だ、とても、ヘイローが壊れる程の所業を受けたとは思えない。
どうして…そんな言葉が、ポツリと溢れる。
一度溢れたら、もう止まらない。
「どうして…どうして、ひとりでいってしまわれたのですか…
ふたりで共にと、仰っていたではないですか…」
私が、そんな恨み節を言っても、彼はその唇はギュッとキツく結び、なんの言葉も返さない。返してはくれない。視界が滲む。もう枯れたと思っていたが、涙はまだまだ出るようだった。
「私を、また街に連れ出してください…また、一緒にお茶会をしてください…一緒に…お菓子作りを…一緒、あの楓の下で…」
それ以上は、何も言えはしなかった。言葉の代わりに、嗚咽が漏れる。
これで最後だというのに、これ以上、彼に泣き顔を見せたく無かった。だから私は、彼の冷たい唇に口づけをする。その拍子に雫が落ち、彼の頬を僅かに濡らした。
この日、私の夢が1つ、永遠に叶わぬ物となりました。
目が覚める。最悪の目覚だ。
条約の調印式が近づいているからか、それとも、最近神経を張り詰めているせいか。
まさか、葬儀ミサの夢を見るとは思ってもみなかった。
しかし、あの夢を見たことで再び気力が湧いてきた。
彼に応援されていると感じられた。
私は、エデン条約を締結させる。
エデン条約は、エデン条約こそが、彼の思い描いた夢なのだと。思い半ばに散った彼と、セイアさんのためにも、絶対に…必ず締結させる。その為には、どんな事もしよう。
例え、なんの罪のない一生徒を、代え難い友人を、切り捨てる事になっても、必ず…
だから
「そこで、見ててくださいね、■■■さん…絶対に、あなたの夢は叶えますから」
例え、この命に変えても。
設定
聖園■■■︰故人。ミカの1歳上の兄。聖園家の長男で、ナギサ様の許嫁。ゲヘナとの和睦が夢。和睦の第一歩として、ゲヘナ自治区へ単独で友達作りに行くも、身なりからトリニティのお坊ちゃんと悟られる。そして、身ぐるみを剥がされ、ストレス解消として射的の的にされて死亡。
■■■殺害の犯人︰世間知らずのボンボンをだまくらかして、身ぐるみ剥いで射的の的にした。その犯罪の悪質性から矯正局に送られたが、反省の色は無い。■■■の死亡を確認した時には、この程度で死んでんじゃねぇよ役立たずがと言って、死体に唾を吐き捨てもした。なお、その唾液が逮捕の決定打となった。
桐藤商会︰茶葉の輸入販売を主に行っている大手商会。フィリウス分派内で、中々の発言力と発言権を有している。
楓の木︰■■■の2回目の月命日に落雷で焼失。木があった丘はカイザーが買収し、今はビルが建っている。
木言葉は、大切な思い出。
ナギサのもう一つの夢:■■■と幸せな家庭を築く事。今はもう叶うことは無い。