映画クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ『   』   作:カシ

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第二章
第1話 伝言


 

 朝。目を覚ますと、1階からトントンという心地良い包丁の音と、出汁のいい香りが漂ってきた。

 血と鉄の匂いにまみれたあのドン・クラーイでの死闘が、まるで遠い昔の夢だったかのように錯覚してしまうほど、平和で、ありふれた日本の朝だ。

 痛みが完全に引いた体を起こし、俺はリビングへと続く階段を下りた。

 

「おっ、おはようかけるくん。よく眠れたか?」

「おはようございます、ひろしさん。……その、泊めていただいたり、色々と本当にありがとうございます」

 

 新聞から顔を上げたひろしさんに深く頭を下げると、キッチンからみさえさんが朝食の乗ったお盆を運んできた。

 

「おはよう、かけるくん。ふふっ、そんなに硬くならないでよ。さぁ、ご飯にしましょう」

「ほーほー、かける兄ちゃん、朝から顔がニヤけてるゾ。さてはマタとのチューの夢でも見てたな〜?」

「ぶっ!? し、しんのすけ! お前それはもう忘れてくれって言っただろ!」

 

 ニヤニヤと茶化してくるしんのすけの言葉に、俺はパニックになりながら顔を真っ直ぐにした。ひまわりが「たぁーっ!」と笑いながらバンバンとテーブルを叩いている。

 そんなドタバタな朝食の席で、味噌汁をすすりながら、ひろしがふと天井を見上げて呟いた。

 

「いやー、それにしても色んなことが起きるもんだな。別の春日部から高校生が来たり、バケモノと戦ったり……」

「そうねぇ。でも、摩訶不思議なことには、うち、結構慣れてるからねぇ」

 

 みさえが卵焼きを頬張りながら、さも日常茶飯事であるかのようにあっけらかんと言い放つ。

 

「ほら、『ヘンダーランド』の時とか、本当にすごかったじゃない? 魔法のトランプとか、オカマ魔女とか。それに比べたら、今回も大概だったけど、まぁなんとかなるもんね」

「違いない。俺たち家族の絆があれば、大抵のことは乗り越えられるさ」

 

 ひろしがガハハと笑う。

 普通ならトラウマになりかねない死闘を、「まぁヘンダーランドの時もあったしな」で片付けてしまえるこの野原一家の精神力。さすがは主人公家族だ。

 

「で、かけるくん」

 

 ふと、みさえが真剣なトーンになり、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。

 

「元の世界に帰れないってことは、こっちの世界には帰るお家もないのよね?」

「……はい。戸籍もないですし。元の世界でも施設育ちの天涯孤独だったので、帰りを待ってる家族もいません。あ、でも手持ちの口座のお金だけはなぜかこっちでも使えるみたいなんで、なんとか自分で……」

「じゃあ、決まりね」

 

 みさえは俺の言葉を遮り、ニッコリと笑って俺のお茶碗にホカホカのご飯をおかわりしてドンッと置いた。

 

「解決する方法が見つかるまで、うちにいなさい。お金のことはともかく、子供が一人で家もないなんて、放っておけるわけないじゃない」

「えっ……でも、ご迷惑じゃ……」

「迷惑なもんか。しんのすけやひまわりを守ってくれた、命の恩人なんだぞ。遠慮なんかするな」

 

 ひろしの力強い言葉。

 

「かけるお兄さんがいれば、オラ毎日アクション仮面ごっこができるゾ!」としんのすけが笑う。

 ずっと「家族」というものを知らずに生きてきた俺の胸の奥が、じんわりと熱くなった。

 

「……ありがとうございます。よろしくお願いします……っ」

 

 俺は堪えきれずに潤んでしまった目を誤魔化すように、温かい味噌汁を一気に流し込んだ。

 

(ヘンダーランドの出来事を覚えてるってことは……)

 

 朝食後、庭でシロと遊ぶしんのすけを眺めながら、俺は一人、縁側で思考を巡らせていた。

 ただ、野原一家が過去の事件としてヘンダーランドを挙げたってことは、今後も同じように映画が絡んでくる可能性は高いだろう。順当にいけば次に来る大きな事件は……金矛の次である『野生王国』あたりだろうか。

 

(エコ活動にかこつけて動物にされちゃう映画だったよな。あれならダークみたいな純粋な殺意を向けてくる敵じゃないし、いつ起きるかもわからない。まぁ、しばらくは平和だろう。そんなぽんぽんと映画されてもな…)

 

 俺はすっかり油断し、ぽかぽかとした春の陽気に包まれながら、野原家での平和な居候生活を満喫するつもりでいた。

 

 世界の命運を懸けた戦いよりも、ある意味で恐ろしい『春日部の日常』が俺を待ち受けていることを、この時の俺はまだ知らなかった。

 

 

「みんな聞いておくれ! オラんちに、大きなお兄ちゃんができたんだゾ!」

 

 ふたば幼稚園の園庭。

 お昼休みの自由時間、しんのすけが自慢げに胸を張って言い放ったその一言に、カスカベ防衛隊の面々はポカンと口を開けた。

 

「お兄ちゃんって……しんちゃん、あんたひまわりちゃんの『お兄ちゃん』でしょ?」

「親戚の人が遊びに来てるんじゃないのか?」

 

 ネネちゃんと風間くんがもっともなツッコミを入れるが、しんのすけはチッチッチッと指を振った。

 

「違うゾ。ずーっとオラんちに住むことになったんだゾ! 背が高くて、強くて、ご飯をいっぱい食べる、オラの兄ちゃんなんだゾ!」

「えっ……ずーっと住む?」

 

 マサオくんが困惑したように風間くんを見る。

 その横で、ネネちゃんの目が、昼ドラを見る主婦のようにギラリと怪しく光った。

 

「……ねぇ。みさえさん、ずっと家にいたわよね? ってことは、急に大きなお兄ちゃんが現れたってことは……」

「ネネちゃん、やめろよ! そんな昼ドラみたいな展開……!」

「大人の世界は……複雑」

 

 ボーちゃんがポツリと呟く。

 

 その日の午後。

 幼稚園から帰ってきたしんのすけと共に、防衛隊の四人はゴクリと唾を呑み込んで野原家のチャイムを鳴らした。

 

『はーい』

 

 ガチャリ、と玄関の扉が開く。

 そこから顔を出したのは、ひまわりを片腕で器用に抱っこした、見知らぬ青年の姿だった。

 

(……あ、防衛隊のメンバーだ。生で見ると小っちゃくて可愛いな)

 

 みさえさんがスーパーの特売へ出かけている間、ひまわりの子守を任されていた俺は、人の良さそうな笑みを浮かべて子供たちを出迎えた。

 

「君たちがしんのすけの友達だね? いらっしゃい。上がって……」

「「「「…………」」」」

 

 しかし、子供たちの反応は異常に重かった。

 俺の顔を下から上までジロジロと見上げ、コソコソと円陣を組んで囁き合い始める。

 

「ホントにいる……しかも、結構イケメンね……」

「と、いうことは……やっぱりこういうのって、腹違いのお兄ちゃんって言うのかな……」

「ひ、ひろしさん……やるぅ……!」

「秘密の子……」

 

(…………ん?)

 

 クレしん特有の、子供らしからぬませたボキャブラリー。

 俺の耳に届いた不穏な単語の数々に、背筋をスッと冷たい汗が伝った。

 

「ちょ、ちょっと待て君たち! なんかとんでもない勘違いをしてないか!? 俺はひろしさんの隠し子とかじゃないぞ! ちょっと遠い親戚っていうか、ただの居候で……!」

「大人はそうやって、子供に嘘をつくのよ」

 

 ネネちゃんが哀れむような目で俺を見た。

 

「大丈夫、私たち誰にも言わないから。……みさえさん、ひろしさんの過去を受け入れて同居させるなんて、懐が広いのね」

「違う違う違う!! やめろ、その昼ドラみたいな設定!! 俺とひろしさんは血繋がってないから!!」

 

 必死に弁解すればするほど、怪しさが倍増していく負のスパイラル。

 しんのすけだけは「オラ、かける兄ちゃんとアクション仮面ごっこするゾ〜!」と無邪気に俺の足に飛びついているが、他の四人は完全に『複雑な家庭環境の野原家』という設定を信じ込んでしまっていた。

 

 ――そして、その夕方。

 バンッ!!!

 玄関の扉が、木っ端微塵になりそうな勢いで開け放たれた。

 

「おっ、みさえさんお帰りなさ……」

「しぃんのぉすけぇぇえええええええええ!!!!」

 

 そこに立っていたのは、般若の如き鬼の形相で顔を真っ赤にした、みさえさんだった。

 両手にはネギが飛び出したスーパーの袋。そしてその背後には、ゴゴゴゴゴというドス黒いオーラが見える。

 

「ひぃっ!? か、母ちゃん、顔が怖いゾ……!」

「あんた、幼稚園のみんなに何言ったのよ!!!」

 

 みさえさんは凄まじいスピードで居間に突入すると、逃げようとしたしんのすけの頭を両手でガシッとホールドし、必殺のグリグリ攻撃を繰り出した。

 

「ぎゃあああああ!!」

「スーパーで会ったネネちゃんのママや、隣のおばさまから何て言われたと思ってるの!! 『みさえさん、ご主人の過去を許してあげるなんて立派ね』とか『大変でしょうけど頑張って』とか!! 恥ずかしくてタイムセールの卵が買えなかったじゃないのぉぉぉ!!」

「あだだだだだ! オ、オラはただ、カッコいい兄ちゃんができたって自慢したかっただけで……!」

「何が兄ちゃんよ! ご近所中に変な噂が広まったらどうすんのよぉぉ!!」

 

(……やっぱり、こういう展開になるよな)

 

 夕日に照らされる居間で繰り広げられる、野原家名物のお仕置きタイム。

 俺はひまわりにミルクを飲ませながら、そのドタバタ劇を遠い目で眺めていた。バケモノとの死闘とは別の意味で、春日部の噂の伝達スピードは恐ろしい。

 

「……まぁ、平和ってことか」

 

 俺はホッと息をつき、ひまわりの頭を優しく撫でた。

 元の世界では決して味わえなかった、騒がしくも温かい『家族』の日常。こんな日々が、ずっと続けばいいのに。

 

 ――しかし、その『日常』は、数日後の昼下がりに唐突に終わりを告げた。

 

「ただいまー。ねぇねぇ母ちゃん、かける兄ちゃん! シロのお散歩の途中で、キラキラの綺麗なガラス玉拾ったゾ!」

 

 元気よく帰ってきたしんのすけの手には、河川敷で拾ってきたという、指先ほどの大きさの光り輝く『玉』が握られていた。

 

「あら、綺麗なビー玉ねぇ」

「いやみさえさん、色合い独特すぎません……?」

 

 俺がしんのすけの手元を覗き込んだ、その瞬間。

 畳の上をハイハイしていたひまわりが、「たぁーやっ!」と目を輝かせてしんのすけに飛びつき、その手からキラキラの玉を奪い取った。

 

「ああっ! ひまわりダメよ、お口に入れちゃ――」

 

 みさえの制止も虚しく、ゴクンッ、という生々しい音と共に、ひまわりはその玉を見事に飲み込んでしまった。

 

「あーっ! オラの玉ぁ!」

「ちょっとひまわり! 大丈夫!? 息詰まってない!?」

 

 慌ててひまわりの背中をさするみさえと、自分の拾った宝物を飲み込まれてギャーギャーと騒ぐしんのすけ。

 そんなドタバタな日常風景の中で、俺だけが、背筋に氷をねじ込まれたような悪寒に襲われて硬直していた。

 

(……嘘、だろ)

 

 河川敷で拾った光り輝く玉。それを飲み込んだひまわり。

 この展開は……野生王国なんかじゃない。時系列も歪んでるのか!?

 

(よりによって……俺キラーの映画かよッ……!)

 

 数ある映画の中でも俺にとっては最高の難易度。

 なにせ敵は人の心を完璧に読むことができる超能力者だ。

 

(最悪だ……あいつと遭遇したら確実に終わる。心を読まれた瞬間、未来が変わっちまう…)

 

 その夜。2階の書斎、みさえさんが敷いてくれた布団の上で、俺は胡座をかいたまま深く頭を抱えていた。

 ひまわりが飲み込んだ玉は、レントゲン検査の結果、無事に…というか最悪なことにお腹の中にあることが確認された。これで間違いなく、タマタマを巡る珠由良族と珠黄泉族の抗争がこの野原家に持ち込まれる。

 

 『ヘクソン』に心を読まれるということは、単なる思考の漏洩ではない。『原作の展開』という未来の予知を敵に与えるに等しいのだ。もし俺が「最後は野原一家が歌ってヘクソンの気を引き、その隙に……」なんて原作の解決策を思い浮かべた瞬間に読まれれば、ヘクソンはその対策を完璧に打ってくるだろう。

 

 俺の最大の武器である原作知識が、この映画においては最悪のデバフになる。

 

(じゃあ、俺は春日部で留守番しているべきか? 俺が関わらずに傍観していれば、原作通りに進んで勝手に解決するんじゃないか?)

 

 いや、ダメだ。その考えは危険すぎる。

 俺がこの世界に転移し、野原家に居候している時点で、すでにバタフライエフェクトの種は撒かれているかもしれない。実際、本来はひまわりが玉を飲み込む瞬間は誰も見てなかったし、レントゲンを撮ることももちろんなかった。他にも、例えば俺が朝食の卵焼きを一個多く食べたことで、みさえさんの行動が数秒ズレて、敵との遭遇タイミングが致命的に変わってしまったら?

 もし俺が留守番をしていて、その微細なズレのせいで野原一家が殺されてしまったら、俺は一生後悔する。家も戸籍もない俺を受け入れてくれた恩人たちを見捨てるなんて、絶対にできるはずがない。

 

(同行は必須だ。これからあのオカマブラザーズが家にカチ込んでくるはず。そのドタバタに、ごく自然な形で巻き込まれよう。家に残って敵の別働隊に目をつけられるより、野原一家と一緒に行動する方が物理的にも自然だ)

 

 俺の立ち位置は、あくまで『観測者』。そして万が一のズレが生じた時の修正役だ。

 

 基本的には手を出さず、原作通りに話が進むのを後ろで見守る。余計なことをしなければ問題なく解決するはずだ。だが、もし俺の存在によるバタフライエフェクトで致命的な変化が起きた時だけ、軌道修正のために動く。

 

 そして、絶対に守るべき鉄則。

 

(ヘクソンとは、絶対に一対一、あるいは少人数でエンカウントしてはいけない)

 

 少人数で対峙すれば、確実に俺のメタ知識をピンポイントで読まれ、その情報を利用されてしまう。常に大人数の陰に隠れ、極力思考を空っぽにしてやり過ごすしかない。

 

「ふぅぅ……」

 

 そこまで考えをまとめ、俺はどっと疲れて床の上に大の字に寝転がった。

 天井の木目をぼんやりと見つめながら、重いため息が漏れる。

 気を張った思考の隙間にスッと入り込んでくるのは、別れ際の、顔を真っ赤にしたボーイッシュな少女の姿と、唇に微かに残るあの柔らかい感触。

 

「……あー、マタに会いてぇ……」

 

 誰もいない客間で、ひどく情けない声が漏れた。

 金矛の戦いが終わったばかりだというのに、立て続けに俺の天敵とも言えるサバイバルが始まろうとしている。しかも悲しいことに、唯一の癒しのマタは、しばらくはこちらの世界には来られないのだ。

 

「癒しがほしい……ヘクソンとかいうヤバいおっさんの顔色を伺いながら逃げ回る前に、せめてマタの声だけでも聞きたい……」

 

 過酷な逃避行に巻き込まれることが確定している現状。俺はひたすら、遠い世界にいる彼女の温もりを求めて、床の上でうじうじと身悶えすることしかできなかった。

 

 

『――大変みたいだね。大丈夫かい?』

 

 不意に、脳内に、声が響いた。

 

(えっ!?)

 

 俺はバネ仕掛けのようにガバッと上体を起こした。

 

「マ、マタ……!?」

『あ、マタかと思った? ざんねん、盾です』

 

 脳内に響く声が、聞き慣れたあの絶妙に人を食ったような少年の声だと認識する。うざい。あまりにもうざすぎる。

 

「なんだよお前! ビックリさせんな! ていうか、なんで別世界から念話で話せてんだよ!」

『僕たち、一応は伝説の武具だからね。先の戦いで君とは深い繋がりを持ったから、次元越しに喋るぐらいなら可能さ。あ、でもずっとじゃないよ。繋がりっぱなしにすると、そっちとこっちを繋ぐ次元が乱れてしまうから、ほんの一時的だけどね』

 

 脳内に直接響くギンギンの声は、どこか得意げだ。

 

『僕が君と喋れるってポロッと漏らしたらさ、もう大変でね。「かけるが無茶してないか確認してくれないかい!」って、彼女が毎日のように言ってくるんだよ』

「マタが……」

『だから仕方なく覗いてみたら……君も本当に難儀だねぇ。まーた変なことに巻き込まれているみたいじゃないか』

 

 その声には、茶化すような響きの中に、確かな心配の雰囲気が滲んでいた。ヘクソンの件を大まかに読み取られたらしい。

 だが、今の俺にとって自分の問題なんて二の次だ。

 

「俺の心配はいいんだよ! そっちはどうなんだ、マタは大丈夫なのか!?」

『はぁ……』

 

 俺の食い気味な問いかけに、ギンギンはわざとらしい特大のやれやれというため息を脳内に響かせた。

 

『君達、ほんとさっさと付き合えば? 再会のキスとか、かましなよもう。見てるこっちがめんどくさい』

 

 呆れ返ったようなギンギンの適当なフリ。

 

 その「キス」という単語に、俺の脳裏にあの別れ際の光景――顔を真っ赤にしたマタと、唇に触れた柔らかい感触――が、フラッシュバックのように鮮明に蘇ってしまった。

 

『…………えっ?』

 

 ギンギンの念波が、ピタリと止まった。

 そういえば、アイツはあの時、マタが残るよりも先に次元の穴に飛び込んでいた。つまり、俺とマタの最後の出来事を知らない。

 

『って、キスしたの!? 君たち、あの後ほんとに!?』

「バッ、おまっ……! 勝手に心読むな!!」

『いや、どーりで……! たまーに姫様が、自分の唇に触れながらぼーっと想いに耽ってるなって時があったし……いや、どーりで! そういうことか!!』

 

 一人で勝手に読み取って、勝手に全ての辻褄を合わせて納得している銀の盾。俺は恥ずかしさで爆発しそうになりながら、ふと彼が放った単語に引っかかった。

 

「……てか今、姫って……言ったか?」

『あ、そうだよ。彼女の叔父さんが新しい王様になったからね。彼女は一応、王女様って立ち位置にいる。まぁ、世界を救った英雄だからね。君たちもだけど』

 

 王女様。

 王女様へとクラスチェンジを果たしたマタ。

 ということは。

 

(え、じゃ、じゃあ……お、お、おう……王子とか……いるのか……?)

 

 俺の脳内は、ヘクソンの脅威から一転、別世界の得体の知れない『恋のライバル』への恐怖で埋め尽くされ、激しく動揺し始めた。

 

『あー、安心しなよ』

 

 俺のダサすぎる動揺を完璧に読み取ったギンギンが、笑いを堪えながら言う。

 

『最初の頃は見合い話とか結構来てたみたいだけどね、全部無視してたし、今じゃめっきりだね。叔父さんに直接怒ったらしいよ。「ボクには待ってる人がいるんだ!」ってね』

 

 その言葉に、俺は肩の力が一気に抜け、床の上にペタンと座り込んだ。

 安心した。めちゃくちゃ安心した。

 

『って、長話しすぎた! 次元が歪むからもう切らないとだ! 一応、彼女からの伝言ね!』

 

 ギンギンの声が、少しだけノイズ混じりになり始める。

 

『「絶対に会いに行くから、ちゃんと待ってておくれよ!」……だってさ! もう告っちゃえば? こんなに想われてて、気づいてないわけないよね?』

「…………」

『君からの伝言があれば、伝えるけど?』

 

 流石に、どんな鈍感野郎でも気づく。ましてやキスまでされているのだから、彼女からの矢印は痛いほど分かっている。

 

 でも。

 

(……俺なんかが、いいんだろうか)

 

 俺は、元々はこの世界に存在しない人間だ。映画の知識を持っているだけの、イレギュラーな異邦人。そんな俺が、一つの世界を背負う王女様と並び立つ資格なんて、本当にあるのだろうか。

 

『――関係ないでしょ』

 

 ノイズ混じりになりかけていたギンギンの声が、不意に、ひどく優しく、そして力強く響いた。

 

『君がどこの誰だろうと、今はここに存在してる。未来を知っていようがなんだろうが、君が身を挺して、血を流して僕達の世界を救ってくれたことは、絶対に変わらない事実だよ』

「ギンギン……」

『ってことで、告っちゃいなよ! ほら、時間が!』

 

 悪友からの、まっすぐな励まし。

 心の中のモヤモヤが、その一言でスッと晴れていくのがわかった。

「……いや!でも…! ん! こ、告白……は、まだ、その……あれだけどっ!」

 

 俺は虚空に向かって、顔を熱くしながら必死に叫んだ。

 

「ちゃんと……! ちゃんと、待ってるからって……! そう伝えといてくれ!」

 

『了解! 健闘を祈るよ、若き英雄!』

 

 プツン、という小さな耳鳴りのような音と共に、脳内に響いていた念話が完全に途切れた。

 静けさの戻った客間で、俺は自分の顔が熱いことに気づき、両手で頬をバシッと叩いた。

 

(……やってやる。ヘクソンだろうがなんだろうが、絶対に出し抜いて原作通りのエンドに持っていってやる)

 

 遠い世界で待っていてくれる、彼女に恥じないように。

 俺は、これから始まる『暗黒タマタマ』の過酷な逃避行に向け、再び静かに闘志を燃やし始めた。

 

 

 

 

 

 

 そして、その頃。次元の向こう側、マッピ・ルーマ世界のヨアケ王国にて。

 

 念話をブツリと切ったギンギンは、宙に浮かんだまま「はぁ……」と深々とため息をついていた。

 

(本当に、あのヘタレかけるは……。あそこまで言われてなんで告白の踏ん切りがつかないんだか)

 

 やれやれと呆れ返っていた、まさにその時である。

 

「ギンギン! いい加減、かけるの様子を見ておくれよ!」

 

 バンッ! と勢いよく扉が開かれ、ヨアケ王国の第一王女であるマタが部屋に飛び込んできた。日課となっている『かけるの様子を見て』という、見てもらうまで絶対に引き下がらない事実上の強制依頼である。

 

『あ、話してきた話してきたよ』

 

 もう毎日お願いされ続けるのにも疲れたギンギンは、マタの言葉を食い気味に遮って答えた。

 

「ほ、本当かい!? で、どうだった!? かけるは元気にしてるのかい!?」

 

 パァァッと顔を輝かせて身を乗り出してくるマタに、ギンギンは少し同情するように答える。

 

『なんか、まーた大変なことに巻き込まれてるみたいだね。今度もかなり厄介そうだよ』

「なんだって……!?」

 

 マタの顔からスッと余裕が消え、ギリッと悔しそうに唇を噛み締めた。

 この世界には、いまだにダークの残党がわずかに潜伏している。新生ヨアケ王国の王女という立場になった以上、国が完全に安定する前に彼女が世界を離れれば、民に不要な不安を与えてしまう。だから、今すぐ次元の扉を開けて彼を助けに行くことはできないのだ。

 

「……急がないと。残党のゴタゴタをさっさと片付けて、早く助けに行かないと……っ!」

 

 遠い空の向こうで戦う想い人のために、マタは一人躍起になって拳を握りしめた。

 そして、ふと我に返ったようにモジモジとし始め、上目遣いでギンギンを見つめた。

 

「そ、それで……ボクの伝言は伝えてくれたかい? か、かけるはな、なんて……?」

『ああ。彼なら、ちゃんと待ってるかr……』

 

 そこまで言いかけて。

 ふと、ギンギンの中で、何かがプツンと切れた。

 

(……いや、なんだこれ)

 

 告白から逃げ、「ちゃんと待ってる」とかいう無難な言葉でお茶を濁したかける。

 毎日毎日「かけるのことを!」としつこくお願いしてくる目の前の王女様。

 

(なんで僕は、この二人のもどかしい恋路の仲介役みたいなことをやらされてるわけ? 一応これでも伝説の盾なんですけど……。さっさと告白してくっつけばいいのに、あーもう、めんどくさくなってきた……!)

 

 めんどくささが、ついに頂点に達した。

 二人のあまりの進展の遅さに業を煮やした銀の盾は、空中でくるりと一回転すると、最高に投げやりで適当な声で言い放った。

 

『あー、「結婚しよう」だってさ』

「…………えっ?」

 

 マタの時間が止まった。

 

『だから、プロポーズだね。おめでとう』

「け……けけ、けけけけけ……っ」

 

 ボンッ!! という効果音が鳴りそうなほど、マタの顔面が一瞬にして限界突破の赤色に染め上がった。頭から湯気を吹き出し、目はぐるぐると回り、完全にキャパオーバーでフリーズしてしまう。

 

「け、けけけけけけっこん!?!? けっ、こん、ボクとかけるが!? ちょ、えぇぇぇっ!?」

 

 ――こんな大事件が起きているとは、露知らず。

 

「……やってやる。絶対に出し抜いて生き残ってやる……!」

 

 元の世界では、これから起きる最悪の映画『暗黒タマタマ大追跡』に向けて、かけるが一人、真剣な顔で静かに闘志を燃やしていた。

 まさか自分が名付けた異世界の『ヨアケ王国』で、自分の預かり知らぬプロポーズのせいで国中が大パニックに陥いることになろうとは、知る由もなかったのであった。

 





かける王子着任

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