やりたい展開をすべて詰め込んでしまいました。
この作品は独自解釈、ご都合展開のオンパレードです。そうはならなくない?みたいのがあっても許してください…。
「おい」
チーママの声を合図に、ホステス数人が手品で使うような巨大な円形のカーテンを持ち出し、チーママの姿をぐるりと囲んだ。
バサッ! と勢いよくカーテンが下ろされると、そこにスーツから新体操のド派手なレオタード姿に着替えたチーママが立っていた。
「おお〜っ」
「オラ、あーゆー格好も好きだゾ〜」
緊迫した状況にもかかわらず、ひろしさんとしんのすけがデレデレと鼻の下を伸ばす。すかさず、みさえさんの絶対零度の視線が二人を射抜いた。
「やれい!」
チーママの号令を皮切りに、ホステス軍団が一斉に新体操のリボンを取り出し、「いらっしゃいませ」とクラブの挨拶をしながら襲いかかってきた。
「使いなっ」
よねさんが、手にした鉄パイプを横のサタケさんへとカッコよく放り投げる。そして自らは前に進み出ると、愛銃を両手で構えた。
「お前ら、ゆるさない!」
バン! バン! バン! バン! バン!
鼓膜を劈くような銃声が室内に轟く。冗談抜きで10発以上は発砲しただろうか。しかし、硝煙が晴れた後――ホステスたちは一人も倒れることなく、ただ困惑したようにその場に立ち尽くしていた。なんと全弾外したのだ。
「うっそー」
不思議そうに銃を見つめるよねさん。
「こっちが言いたいわよ」
と、呆れて肩をすくめるローズ。
直後、我に返ったホステスたちの鋭いリボンが、よねさんを襲う。
「ひゃあっ!」
よねさんは無様に床に倒れ、ゴロゴロと転がりながらリボンを避けて逃げ回る。
(原作ならここで人質を拘束してるロープを切って大手柄になるはずなのだが、俺たちはすでに自力で抜けちゃっているため、ただひたすらカッコ悪いだけの人になっている!)
俺は、床を転げ回るよねさんの前に素早く飛び出した。
「下がっててください!」
持ち前の身体能力で、四方から迫るリボンの連撃を間一髪で躱す。直接殴り飛ばすのは気が引けるため、俺はクラブの重厚なテーブルやソファーを蹴り動かして盾にした。
さらに、テーブルの上に残っていたお酒のグラスや、氷がたっぷり入ったアイスペールを床に滑らせて、突っ込んでくるホステスたちの足元をすくう。
「きゃあっ!」
散らばった氷に乗って、数人のホステスが派手に転倒する。ひとまず、皆を先に行かせないと。今はまず、被害を出さずにこの場の時間を稼ぐことに徹する。
一方で、サタケさん側も激しい戦闘に突入していた。
「どうした? 防ぐので精一杯かい?」
新体操の棍棒とリボンをアクロバティックに操るチーママの猛攻に、鉄パイプを持ったサタケさんが防戦一方になっている。
「テメェ!いつも子供をものみてえに扱いやがって、それでも女か!? 日本のお母さんを代表して、お仕置きしてやるぜ!」
おおおっ! と雄叫びを上げながら、サタケさんが鉄パイプを振り被り反撃に出る。しかし、チーママはしなやかな動きでそれを躱し、空いたサタケさんの脇腹にクラブの強烈な打撃を叩き込んだ。
「ぐぅっ……!」
呻き声を上げながらも、サタケさんはその巨体で耐え凌ぎ、再び反撃の姿勢を取る。
「フン、頑丈なだけが取り柄か」
と、チーママが忌々しげに鼻で笑った。
激化する乱戦の中、ラベンダーさんとレモンさんが、野原一家とローズ、そして俺の背後にいるよねさんに向かって叫んだ。
「ここは私たちに任せて、屋上へ! ジャークの復活を止めて!!」
「お、おう! 頼んだぞ!」
その声に頷き、ひろしさん、みさえさん、しんのすけ、ひまわり、ローズ、そして助け起こされたよねさんの六人は、フロアを駆け抜け、開いたエレベーターへと飛び込んだ。
「止めろー!!」
チーママの悲痛な叫びも虚しく。
ガシャン、と重い音を立ててエレベーターの扉が閉まり、彼らを乗せて屋上へと昇っていった。
エレベーターのランプが上昇していくのを見届け、俺は小さく息を吐き出した。
だが、安堵したのも束の間。
「チッ……逃げられたか。まあいい、まずはお前達から片付けてやるよ!」
チーママの苛立ちを含んだ声に呼応するように、数人のホステスが俺たち三人に狙いを定めた。そのうちの三人……濃いメイクのホステスたちが、鋭い風切り音を立てながら新体操のリボンを振り回し、俺を壁際へとジリジリと追い詰めてくる。
(やばい、来る……!)
俺は必死に後ずさりしながら、牽制するように早口でまくしたてた。
「まあまあ、お姉さんたち。とりあえずドリンク作ってくれません? あ、火貸してくださいよ。俺まだ吸えないんですけど。あとドリンクバーとかってあります?」
「……ドリンクバー!?」
「ここをファミレスと勘違いしてんじゃないわよ!」
銀座の高級クラブには絶妙にズレた俺の苦し紛れの言葉に、ホステスたちのこめかみにピキッと青筋が浮かぶ。怒りで完全に目の色を変えた三人が、一斉に俺に向かって飛びかかってきた。
「うおわっ!」
俺は迫り来る三本のリボンを、横に飛んで必死に躱す。そのまま手探りで、先ほど自分を縛っていた太いロープの端を掴み取った。
「逃がさないわよ!」
一人のホステスが鋭いリボンを鞭のようにしならせてくる。俺は手にした太いロープを振り回し、そのリボンに絡め取ることに成功した。
「えっ!?」
「そっちの武器、もらいっ!」
力任せに引っ張ると、ホステスは体勢を崩してリボンを手放した。
だが息つく暇もない。すかさず二人目が横からリボンを振り下ろしてくる。
「あっぶね!」
俺は重厚なガラステーブルを転がり越えて回避し、着地と同時に足元に敷かれていた高級そうな絨毯の端を両手で掴み、力いっぱい引き抜いた。
「きゃあっ!」
足元の絨毯を急激に引っ張られた二人目のホステスは、たまらずバランスを崩して派手にすっ転ぶ。
「このちょこまかと……!」
激昂した三人目が、ついに俺の胸ぐらを掴もうと突進してきた。
(いくら敵でも、この人たちを殴ったりするのは気が引ける……!)
打撃を躊躇した俺は、咄嗟に彼女の伸ばしてきた腕を両手で掴み、勢いを殺さずに円を描くようにいなして、横のふかふかなソファーへと背負い投げの要領で放り投げた。
「ごめん! 大丈夫ですか! 許して!」
ソファーのクッションに沈み込んだ彼女に向かって、俺は平謝りしながらさらに後ずさる。
しかし、相手も裏社会の人間だ。転んだホステスたちもすぐに体勢を立て直し、ギリッと歯ぎしりをして再び俺を囲み、ジリジリと距離を詰めてきた。
息が上がる。逃げ場のない壁際。シュルシュルとリボンが唸りを上げ、三人がかりで一斉に襲い掛かってこようとした、その瞬間――。
「だりゃあああっ!」
「それぇっ!」
俺の視界の横から、ラベンダーさんとレモンさんが弾かれたように飛び出してきた。二人のオカマ飛び蹴りが、俺に気を取られて背中がガラ空きになっていたホステスたちに見事にクリーンヒットする。
「ああんっ!」という悲鳴と共に、三人のホステスがもつれ合うように床に倒れ伏した。
周囲を見渡せば、いつの間にか二人の背後には、別に相手をしていた五人ほどのホステスがすでに伸びて倒れていた。凄まじい強さだ。
「ナイス囮よ、かけるくん!」
着地を決めたレモンさんが、バチコン! と見事なウインクを飛ばしてくる。
(……助かった。一応、囮にはなれたみたいだな)
俺は胸を撫で下ろし、親指を立てて応えた。
「……よくもウチの可愛いホステス軍団を!」
部下を倒されたチーママが、サタケさんとの打ち合いの中でこちらを睨みつけてくる。
加勢しようと俺たちが一歩踏み出した、その時。
「待て。……ここは、俺にやらせてくれ」
サタケさんが、背中で俺たちを制した。その声と広い背中には、今まで散々こき使われてきたこの女との因縁に、自分自身の力でしっかりケリをつけるという強い覚悟が滲んでいた。
「フン、かっこつけてんじゃねえよサタケ。さっきから1発も当てれてないぜ?」
チーママが新体操のクラブをクルクルと回しながら、見下すように鼻で笑う。確かに、アクロバティックで身軽なチーママの動きに翻弄され、サタケさんは防戦一方で息を乱している。
だが、サタケさんは口元の血を親指で乱暴に拭うと、ニヤリと余裕の笑みを浮かべた。
「1発当たったら終わりだぜ?」
「ほざきなッ!」
チーママが激昂し、新体操のステップで一気に距離を詰めてくる。右手のクラブがサタケさんの顔面を狙い、左手のリボンが死角から足元をすくおうと蛇のように這う。
サタケさんは躱さなかった。急所への打撃だけを太い腕で強引にガードし、リボンが足に絡みつくのにも構わず、ズンッと重い一歩を踏み出した。
「なにっ!?」
自分の攻撃を真っ向から受け止められ、チーママの顔に初めて焦りが浮かぶ。だが、もう遅い。
チーママが体勢を立て直そうと身をよじったその瞬間、サタケさんの丸太のように太い右腕が、横薙ぎに唸りを上げた。
「うおおおおおおッ!!」
ドゴォォォォンッ!!
サタケさんの渾身のラリアットが、チーママの首元に完璧にクリーンヒットした。
「あぐっ……!」
身軽なチーママの体は、まるで紙切れのように宙を舞い、そのままクラブのカウンターテーブルに激突して力なく崩れ落ちた。完全なダウンだ。
静まり返るフロア。
荒い息を吐きながら立ち尽くす大きな背中を見つめ、俺はポツリと呟いた。
「……やっぱり、サタケさんにヒールは向いてないですよ」
プロレスの悪役を示す用語を交えた俺の称賛に、サタケさんは振り返らず、ただフッと短く笑っただけだった。
気絶したチーママとホステス軍団を一箇所に集め、サタケさんが持っていた鉄パイプや、俺たちが縛られていた太いロープを使って手早く拘束していく。
「お前、高校生のくせになかなか動けるな。上で『俺なんてすぐ制圧できる』とか言ってたくせによ」
ロープをきつく結びながら、サタケさんが感心したように言ってきた。
「いや、できるでしょ」
俺は真顔で即答した。あんな重戦車みたいなラリアットを間近で見せられて、勝てるビジョンなんて1ミリも湧くわけがない。普通に無理だろ。
「よし、早く上を助けに行きましょ!」
ホステスたちの拘束を終えると、ラベンダーさんが足早にエレベーターのボタンを押しながら言った。
「ああ」
「そうね」
サタケさんとレモンさんも力強く頷き、開いたエレベーターへと乗り込んでいく。
「先に行っててください! 俺は少し休んでから行きます」
俺がエレベーターの外から声をかけると、サタケさんが心配そうに眉を寄せた。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。すぐ追いかけますから」
俺が笑顔で返すと、三人は「無理するなよ」「待ってるわね」と口々に言い残し、上の階へと向かっていった。
――俺がわざと残ったのには、明確な理由がある。
俺が今すぐ彼らと一緒に屋上へ行ったら、あの厄介極まりないヘクソンに心を読まれ、先の展開や作戦などのメタ知識が全て筒抜けになってしまう危険性が高いからだ。
だから、俺は少し時間を置いて、上が完全に乱戦状態になってから向かう。そして、合流したら真っ先に『しんのすけの隣』をキープするのだ。あの自由奔放すぎる5歳児の脳内は、読心術に対する最強のジャミングになる。しんのすけの傍にいれば、俺の思考もノイズに紛れて読み取られにくくなるはずだ。
(それに、さっきの立ち回りで少し息も上がっちゃったしな……)
大きく深呼吸をして、乱れた呼吸と心拍数を整える。
俺は一人静まり返ったフロアで、上昇していくエレベーターの階数表示を見上げながら、最終決戦への準備を静かに進めていた。
ひとまずこの後の流れをおさらいしよう。
上ではこの後、ヘクソン対全員での激しい戦闘が行われるはずだ。原作では一度そこで全員が完膚なきまでにぶちのめされ、ひろしさんの「こいつ、心を読めるんだ!」という遅すぎる報告によってようやく逆転の糸口を掴む。
だが今回は、ラベンダーさんとレモンさんにも半信半疑だろうが『心を読める』と伝えてある。あの異常な強さのヘクソンと実際に対峙すれば、その忠告はすぐに確信に変わるはずだ。そうすれば、みさえさんとひろしさんのあのラブソング作戦で、あっさりと制圧してくれるだろう。
理想は、その全員での戦闘の始まりでごちゃごちゃに紛れて上に行ければ、俺に意識が向くことはないからベストだ。ただ、早く行きすぎると気配で気づかれる可能性がある。少し余裕を持って行かなきゃだな。
その後は、くすぐられてダウンしているヘクソンを俺ががっしり押さえつけておけば、ひまわりを投げられることもないし大丈夫だろう。
ジャーク復活はどうしようかな……。でも、あの人もずっと封印されてて辛いだろうし、後に珠由良ブラザーズと一緒に新宿でオカマバーをやるという楽しい未来も待っている。それに何より実害はない。復活はさせた方がいいか……。
俺はそんな考えを巡らせながら、エレベーターの階数表示を見上げた。
「……そろそろ行くか」
少し余裕をもって時間を空けたので、おそらく絶賛戦闘中だろう。俺は覚悟を決めてエレベーターに乗り込んだ。
チンッ、と到着の音が鳴り、重い扉が開く。
かけるの目の前には――。
「 ひぃぃぃっ!ワ、ワキはっ !よわいのよぉ!」
――もうすでに、しんのすけとひまわりに徹底的にくすぐられ、涙目でダウンしているヘクソンの姿があった。
(え早いな)
ヘクソンを無力化した皆は、もうすでに「終わったな」という顔で屋上からの景色を眺め、すっかり達成感に浸っている。
おそらく、俺がラベンダーさんとレモンさんに相手が心を読めることを教えていたからだろう。ひろしさんの遅い説明よりずっと早く気づき、即座にラブソング作戦に移行したんだな。流石だ。
よし、じゃああとは、あいつが起き上がらないようにサタケさんとかと一緒に押さえつけて……とサタケさんを呼ぼうとした時だった。
視界の端で、しんのすけとひまわりが、ハニワと玉を持って儀式の場所にいるのが見えた。
(あー、ジャーク復活ね。ずっと封印されてたのも可哀想だし、別にいいだろう。脅威じゃないし)
そう軽く考えていた時。
俺は『ある大事なこと』を忘れていたことに気づいた。だが、すでに遅かった。
なんとかうまく物語が進んでいることへの安堵故か。
あるいは、原作よりもテンポよく皆が助かったことへの高揚感か。
かけるは完全に、その後の『あるシーン』が頭から抜け落ちていた。
刹那。
ハニワを中心に、突然の爆風が巻き起こった。辺り一面を吹き飛ばすほどの、凄まじい暴風。
そう、かけるが忘れていたのはこれだ。魔人ジャークが『残りの魔力を全て復活の登場演出に使う』という、あまりにも無駄すぎる大爆発。のちに「魔力ももう残ってないわよ。全部復活の時に使っちゃったんだもーん」とオカマ口調で言い放ち、周りを心底アホらしくさせたあのシーンである。
「うわあああああっ!?」
「きゃあああああっ!!」
屋上に居た全員が、その理不尽な暴風によって木の葉のように弾き飛ばされる。
エレベーターホール付近で一番遠くにいたかけるも、例外なく吹き飛ばされた。
宙を舞い、建設中の骨組みがむき出しになった下の階へと叩き落とされる。吹き飛ばされた先は、運良く一緒に飛ばされた鉄の板が引っかかり、辛うじて足場になっただけの狭いスペースだった。
だが、その足場からも衝撃で滑り落ちそうになり、かけるは鉄の板の縁になんとか片手でしがみつき、必死に耐えていた。
(くそっ……やらかした。最悪だ、完全に抜け落ちていた!!)
ギリギリと指先が擦れる痛みに顔をしかめながら、俺は自身の慢心を呪った。
そうだ、復活の時に無駄にすごい爆発演出をしてきたんだった……!
このままだと、拘束が解けたヘクソンがひまわりを……!
ひまわりに、あんな高所から投げ捨てられる怖い思いをさせたくないのに。くそっ……! なにやってんだ俺は……!
早く、早く上に戻らないと!
なんとか気持ちを奮い立たせ、ぶら下がった状態から腕の力だけで強引に体を引き上げ、しがみついている鉄の板の足場へとよじ登る。
「はぁっ……はぁっ……!」
息が上がり、目線は冷たい鉄の床に落ちる。
その視界の端に。
ふと、人影が――『足』が、見えた。
「はやく上に……! 上に行かないと……! ひまわりが……!」
縋るように焦燥を口に出しながら、俺がバッと目線を上げた先には。
一切の感情を消した冷たい瞳で、俺を見下ろす『ヘクソン』の姿があったーー
◇
「キサマ、何者だ…」
氷のように冷徹だったヘクソンの顔に、かつて見せたことのない驚愕の表情が浮かんでいた。俺を射抜くような鋭い視線が、俺の脳の奥底までズカズカと踏み込んでくる。
「ッ…!!!」
まずいまずいまずい! 読まれた? 心を読まれたか!?
俺の中にある『原作映画』の知識を……この物語の結末を……この後こいつがひまわりを……っ!
(くそっ、考えるな! 考えるな!!)
必死に思考を真っ白にしようと抗うが、焦れば焦るほど、嫌な記憶ばかりがフラッシュバックして脳裏に浮かび上がってしまう。
「この世界を、一つの『物語』として把握しているのか…?」
ヘクソンが俺の頭の中から溢れ出すメタ情報を整理し、あり得ない真実へと急速にたどり着いていく。
「どうやら、ただのイカれた妄想野郎というわけでもないようだ。今まで起きたこと、これから起こる展開、その全て……ここまで詳細に事の顛末を知っているということは、本当のようだな…」
ヘクソンはどこか呆れたような、それでいて底知れぬ虚無を覗き込んだような顔を浮かべた。
「そうか……私は、あんなふざけた魔人に踊らされていたというわけだな」
フッ……と。自身の野望の行き着く先を知ったヘクソンが、ひどく自嘲的に笑った。
「アホらしい……。だが、この絶望感、苛立ちは収まらんな」
そう言って、ヘクソンは忌々しそうに、吹き抜けになった上層――吹き飛ばされたがなんとか戻った野原一家たちがいる屋上を見上げる。その瞳に、再びドス黒い悪意の炎が灯った。
「お前たちにも同じように絶望を味わわせてやろう。お前の中にある『私の行動』を、そのまま学ばせてもらう」
まずい…! こいつを上に行かせちゃだめだ…!
俺の記憶をトレースしたヘクソンが屋上に向かえば、ひまわりが原作通り、いや原作以上に残酷な目に遭わされる!
「行かせるわけねぇだろうが!」
俺は不安定な足場から勢いよく蹴り出し、渾身の力を込めてヘクソンの顔面へと殴りかかった。
「……遅い」
空を切る音が、冷たい鉄骨の間に虚しく響いた。
俺の放った右ストレートは、ヘクソンの顔面を捉えるコンマ数秒前に、まるで幻影を殴ったかのようにスッと躱された。
そのまま踏み込んで左フックを放つが、ヘクソンは上体をわずかに反らすだけで、髪の毛一本すら触れさせない。蹴りも、掴みかかろうとする手も、全てが空転する。
読まれている。いや、そういう次元じゃない。
俺が「右で殴る」と脳内で思考したその瞬間に、奴はすでに避ける動作を完了しているのだ。思考が形になる前に先回りされる圧倒的な絶望感。
「――隙だらけだ」
躱された直後、ヘクソンの鋭い手刀が俺の首筋を的確に抉りにきた。
(死ぬっ……!)
頭で考えるより先に、体が勝手に動いた。俺は不安定な鉄の足場の上で、上体を強引にのけぞらせる。
ヒュッ! という鋭い風切り音と共に、手刀が俺の喉仏の数ミリ上を通過していく。
そのままバランスを崩して倒れそうになるが、俺は咄嗟に片手で鉄板の縁を掴み、体操選手のように無理やり体を捻って強引に着地し直した。
息つく暇もなく、今度はヘクソンの洗練された回し蹴りが俺の側頭部を襲う。
俺は両腕をクロスしてガードを固めながら、蹴りの衝撃を殺すために自ら後方へと跳んだ。ドンッ! と重い衝撃が腕を抜け、足の裏が鉄板の上を火花を散らすように滑る。
「キサマ、戦闘経験がまるで無いのか。それを身体能力のみでカバーしているとは、凄まじいな」
一切の乱れがない呼吸で、ヘクソンが感嘆と呆れが混ざったような声を漏らす。
奴は両手を軽く下げたまま、完全に余裕の構えだ。
「……ッ、はぁっ、はぁっ……!」
俺には、軽口を叩き返すような酸素の余裕は一切なかった。肺が焼け付くように熱い。防戦一方だ。
武術の心得などない。ただただ生まれた時からの『恵まれただけの身体能力』と『野生の勘』だけで、俺はこの最強の超能力者の猛攻をギリギリのところで凌いでいる。
ヘクソンの的確で無駄のない暗殺者のような連撃。こめかみ、鳩尾、喉、膝関節――急所だけを正確に狙いすましたその一撃一撃を、俺はブリッジで躱し、鉄骨を蹴って飛び退き、時には這いつくばるようにして致命傷を避け続けた。
武術家から見れば、俺の動きは素人の泥臭い無茶苦茶な回避行動だろう。
だが、俺の異常な身体のバネと反射神経が、ヘクソンの『読心』による先読みの計算すらも僅かに狂わせていた。
心が読めても、物理的に届かない位置へ野獣のように跳躍されたり、人間離れした体幹で空中で無理やり軌道を変えられたりすれば、いくらヘクソンでも捉えきれない。
ヘクソンの目がスッと細められた。手加減を捨てる合図だ。
刹那、奴の姿がブレたように見えた。
(下っ……!)
脳が警鐘を鳴らす。下段への鋭い蹴りが来る。
俺は狭い鉄の足場の上で、大きく真上に跳躍した。足元をヘクソンの蹴りが風のように通り抜ける。
だが、読まれていた。俺が「上に逃げる」ことすら。
空中に逃げ場はない。ヘクソンはすでに踏み込み、無防備な俺の腹部に向けて、正拳突きを放とうと構えていた。
(ここで終わってたまるか……! 上に行かせたら、ひまわりが……!)
空中で体勢を崩したまま、俺は決死の覚悟で歯を食いしばり、奴の拳の軌道から体をねじるようにして必死に抗った。
(くそっ……! このままじゃ、どうやっても勝てない!)
圧倒的な実力差。さらに心を読まれるというチート。
(勝つには……どうすればいい?)
…そうだ、原作でみさえさんとひろしさんが歌を歌ってヘクソンの思考を乱し、倒したように、俺も……。
歌。俺にとっての歌といえば……。
(……マタが歌っていた、あの歌だ)
そうだ、マタ……! マタが、遠い世界で俺を待っているんだ……!
俺は必死に、ヘクソンに向けた闘志や次の行動予測を頭から追い出し、マタのことで頭の中をいっぱいにしまくった。
マタの歌。二人で飲んだ甘いコーヒー牛乳の味。お揃いで買った太陽と月のネックレス。そして――別れ際、顔を真っ赤にした彼女と交わした、あの柔らかいキスの感触。
「……っ」
突然流れ込んできた強烈に甘酸っぱくて純情な『他人の恋愛劇』に、冷徹なヘクソンの動きに明らかな迷いと戸惑いが生じた。
その一瞬の隙を見逃さず、俺はヘクソンの懐に潜り込み、がら空きのボディに渾身のパンチを叩き込んだ。
「ぐぅっ……!」
ヘクソンが初めて苦しそうな呻き声を上げる。
(よし、これならいける……!)
俺が希望を見出した瞬間、その考えすらも読んだヘクソンが、顔を歪めながら低く答えた。
「――心が読めずとも、一対一の状態で私が負けるわけないだろう」
直後、ヘクソンの恐るべき連撃が俺を襲った。
腹、肩、頬。重い衝撃が連続して体を打ち据え、俺はボロボロになって鉄の足場の上を転がった。全身の骨が軋み、血の味が口の中に広がる。
しかし、まだ倒れない。まだ諦めない。
(だったら……これはどうだ。心が読めるなら、その能力を逆手に利用する)
俺の最大の武器は、身体能力じゃない。
この世界における『
宇宙人、豚の魔人、マッドサイエンティスト、悪夢、未来人、巨大怪獣…… ハイレグ姿の異星人、トランプのオカマ魔女、世界を温泉に沈めようとするテロ組織、過去の匂いにすがる大人たち、踊り狂うクローン人間、果ては巨大な人食いサボテン――!!
総勢数十名に及ぶ、ギャグ時空が生み出したあまりにも濃すぎる「悪」の歴史。
「がっ……!? 」
突如としてヘクソンの脳内に流れ込んだのは、俺の頭の中にある膨大で異質な知識。
俺の16年間の人生で培われた、クレヨンしんちゃん35年分の映画における『歴代の悪役たち』の凄まじい記憶の奔流。異次元、未来、過去、超常現象、ギャグ時空。
それを一瞬にして、圧縮データのように脳内に全力で展開してぶちまけたのだ。
人間一人が一瞬で理解できる情報量を、遥かに超えている。
ヘクソンの脳がその処理に耐えきれず、ショートしたように彼の視界が激しくぼやけ、足元がフラついた。
(よし、いける!!)
俺は踏み込み、無防備になったヘクソンの顔面を捉え、全力のストレートを叩き込んだ。
ガンッ! と鈍い音が響き、ヘクソンが大きくたたらを踏む。
怯んだ! その隙に、ヘクソンの最大の弱点であるくすぐりを――!
バキィッッ!!!
――嫌な音が響いた。
「あああああぁぁぁぁッ!!?」
俺を襲う、目の前が真っ白になるほどの激痛。
気づくと、くすぐろうと伸ばした俺の左手は、ヘクソンに異常な角度で完全に折られていた。
容赦ねぇな……!
痛みの底で、サタケさんが言っていた忠告がふと脳裏をよぎる。
『あいつなら、躊躇なく腕を折るぞ』
「がはっ……!」
折られた腕の痛みに悶え、膝をついた俺を、ヘクソンの無慈悲な前蹴りが吹き飛ばした。
俺の体は狭い足場から押し出され、宙へ投げ出される。
「くそっ!」
俺は咄嗟に無事な右手だけを伸ばし、なんとか鉄板の縁に掴まってギリギリのところで耐えた。左腕はダラリと垂れ下がり、ピクリとも動かない。激痛で意識が飛びそうだ。
ヘクソンはオーバーヒートした自分の頭を片手で押さえ、荒い息を吐きながら、縁にぶら下がる俺を冷たく見下ろした。
「這い上がってきたところで、片腕のお前にはもう何もできん。……そこで、あの女の奇跡でも祈って朽ち果てろ」
「くそっ……! 待て!!」
俺の叫びも虚しく、ヘクソンは身を翻し、上層の屋上へと一気に飛び移っていった。
満身創痍。体力も限界で、足場を掴む手にもうまく力が入らない。
「……っ! ああぁぁぁっ!!」
それでも、俺は叫び声に近い呻きを上げながら、冷たい鉄骨を這い上がっていく。
待て……待ってくれ……!
折られた左腕が心臓の鼓動に合わせて激痛を主張してくるが、今は関係ない。早く登らないと……! さっきヘクソンが登って行ったのと同じルートで、俺は必死に上を目指した。
(さっき自分を負かした野原一家に、赤ん坊のためにここまでする人達に絶望を与えるために、あいつはひまわりを救わせない気だ。どうすればいい……!)
ヘクソンには、銃で撃ち抜かれるという未来も読まれたはずだ。このままじゃ銃も無力化され…いや、待てよ。あいつはさっき……。
『這い上がってきたところで、片腕のお前にはもう何もできん。……そこで、あの女の奇跡でも祈って朽ち果てろ』
あの女の奇跡、という言い方……。あいつは、自分がよねさんに撃ち抜かれる未来を信じきれていないのか?
確かに、下のフロアで目の前のホステス4、5人に10発以上も撃って、全弾外すような人だ。そんな奴の弾が自分に当たるとは信じられないのか。それとも、弾の軌道さえ読めれば躱せると思っているのか。
(もし、銃を取り上げていないのだったら、まだ勝機はある……!)
よねさんの銃弾の軌道は、誰にも予測できない。しんのすけの『耳吹き』によって、いつ、どこを狙うか、撃つ本人すらわからなくなるからだ。
頼む……間に合ってくれ……!
そう強く願いながら、俺は這いずるようにして屋上へとたどり着いた。
「ひまわり! やめて!!」
俺が着いた頃には、ひまわりはすでにヘクソンの片手に無造作に摘まみ上げられ、屋上の端、下層の骨組みがむき出しになった吹き抜けの方へと歩みを進めているところだった。
くそっ……銃は……!?
俺は息を乱しながら、よねさんの姿を探す。
「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」
大丈夫だ。よねさんは、銃をしっかりと構えている。
その声に、ヘクソンはゆっくりと振り返った。銃を構えるよねさんと、そして這い上がってきた俺を見据え、彼はひどく傲慢な、己の絶対的な力への確信に満ちた笑みを浮かべた。
「そこの女の銃弾が、私を穿つだと? くだらん。お前の脳内にあった『敗北する私』という幻影ごと、ここで打ち砕いてやろう。……さあ、撃ってみろッ! 私をもっと楽しませろッ!」
あいつは、あえて撃たせる気だ。俺の頭の中から読み取った『自分が敗北する未来』を自らの手で捻り潰し、それを超える己の力を誇示するために。
だったら……!
「よねさん! しんのすけ! リラックスだ!!!」
俺は屋上の端から、喉が裂けるほどの声で叫んだ。
銃をヘクソンに向けていたよねさんが、「えっ?」と驚いたようにこちらへ視線を向ける。その一瞬の隙に、俺の言葉の意図を察知したしんのすけが、ガバッとよねさんに飛びついた。
「ふぅーっ」
「あ、あぁんっ」
バンッ!!!
艶かしい声と共に、よねさんの指が勝手に引き金を引く。
その発砲音と同時に、俺は駆け出した。絶対に当たると信じて。
「なにすんのよ! 最後の1発だったのに!!」
よねさんが真っ赤になってしんのすけにキレるが、ハッとして前に向き直る。
そこには、脇腹に見事着弾し、痛みに顔を歪めて倒れかけているヘクソンの姿があった。
(やっぱり、あのギャグ軌道は読みきれないか!)
原作では足に着弾していたが、今回は脇腹だ。未来に明確な変化が生じていることを再認識する。
あとは、ヘクソンの手から離れるひまわりをキャッチすればいい。大丈夫だ、俺がいれば、原作のしんのすけ達のジャンプよりも、さらに一人分追加で距離を伸ばせる……!
しかし、直後に強烈な違和感が俺を襲った。
なんでだ。なんであいつ、あんなに振りかぶって……!?
ヘクソンは銃弾の痛みに耐えながら、原作の時よりも遥かに遠くへ、ひまわりを思い切り投げ捨てるモーションに入っていた。俺の頭から『ひまわりが助かる』という結末を知っているからこそ、絶対に届かない位置まで遠くへ投げるつもりなのだ。
どこまでクソ野郎なんだ……!
俺は奥歯が砕けるほど噛み締め、さらに全力で床を蹴った。
明らかにかけるのスピードは、人間のそれを逸脱していた。
あの時と同じ。石化が解けた時の、脳と体が完全にリンクし身体能力が飛躍的に上がる感覚。
共通する点は一つ。
『こちらの世界の、特殊な力に触れた時』
ダークの石化させる力、石化を解くためのヘンジル、そして今回、ヘクソンという超能力者の『頭の中を読む力』。クレヨンしんちゃんの世界でしかありえないような超常的な力を直接その身に受けた時、劇薬に対する抗体反応のように、かけるの脳のストッパーは徐々に外れかけていく。まるで『この世界の超人達に順応するように』
しんのすけが一番最初に駆け出し、残りの大人達も一斉に走り出す。
かけるはその全員を追い抜き、前を走るしんのすけの小さな背中さえも追い越して、吹き抜けの空中へと大きく跳躍した。
全力で飛ぶ。ただ、飛距離を出すためだけに体を伸ばして飛ぶ。
俺が跳躍した直後、背後から「ひまわりーッ!!」と叫びながら、しんのすけが空へと飛び出してくる。
(大丈夫。俺が届く)
原作よりも明らかに遠くへ投げられた位置。でも、今の俺のジャンプ力ならギリギリ届く。俺だけだけど……
「たぁ……っ」
宙を舞うひまわりの小さな体を、俺は右手でしっかりとキャッチし、衝撃を殺すようにそのまま体を横向きにズラした。
「かける兄ちゃん!!」
後から飛び出してきたしんのすけが、空中で必死に両手を伸ばしてくる。
俺も手を伸ばせば、ギリギリ届きそうな距離だ。……手を、伸ばせればな。
俺の空いている左手は、完全に骨を折られており、持ち上げることはおろか、指先を動かすことすら叶わない。
しんのすけが必死に伸ばした小さな両手が空を切り、俺の体は重力に引かれて、奈落のような下の階層へと落下を始めていた。
……だから
俺は腕の中の温かい命を見て、心の中で謝った。
(ごめんな、ひまわり)
「しんのすけー! ナイスキャッチ!!!」
絶対に取れよ、という強い願いと意味を込めて、俺はしんのすけに向けて力一杯叫んだ。
空中で体をうまく捻り、右手一本で、ひまわりをしんのすけの胸元へ向けて山なりに投げ込む。
しんのすけがハッとした顔になり、飛んできたひまわりを小さな両腕でしっかりと、無事にキャッチした。
「……かける兄ちゃんーッ!!」
空中でひまわりを抱きしめたしんのすけの顔が、俺を見て、悲痛な表情に変わる。
(そんな顔、しないでくれよ)
ただの5歳児に、あんな顔をさせたくないのに。
「よく取った……」
俺は小さく呟き、満足して目を閉じた。
耳元で風を切る音が大きくなり、俺の体は冷たいコンクリートが広がる暗闇の中へと、真っ逆さまに落ちていく。
そして…
暗闇へと落ちていくかけるの胸元で、銀色の月のネックレスが静かに光を放ち始めていたーー
なんで光ってるんですかね
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