映画クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ『   』   作:カシ

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 くっ、書きたいシーンが色々浮かんだのに、そのシーンに行くまでが長いっ…


第3話 歴史

 

 俺は息を切らしながら、少し小高い山の上から眼下の盆地を見下ろしていた。

 そこには、まだ戦端が開かれていない、両軍が静かに睨み合う異様な空間が広がっていた。

 

「どっちがどっちだ……?」

 

 あまりにも遠すぎてよく見えないが、目を凝らすと片方の陣営に『雲』の紋様が描かれた旗がはためいているのが見えた。あっちが春日軍か。

 俺は恐ろしくて、とてもじゃないが近づけなかった。だからこんな遠くの安全圏から様子を伺っているのだが、結局何をすればいいのか全くわからない。

 その時だった。

 

『ピュルルルルルルルッ!!』

 

「 な、なんだ!?」

 

 突然、空気を切り裂くような奇妙な高い音が空に響き渡った。鳥の鳴き声にも似たその不気味な音を合図に、張り詰めていた静寂が破られた。

 

 遠目からでもわかる。竹をたくさん束ねて作った巨大なバリケードのようなものが並べられ、その後ろから火縄銃を構えた武士たちが一斉に火を吹いている。

 もうもうと立ち込める土煙。遠くからでもはっきりとわかる、血に塗れて倒れ伏していく武士の姿。

 

「うそだろ……」

 

 映画の画面越しじゃない。これは、本物の殺し合いだ。

 強烈な煙の匂いと、死の気配。腹の底からこみ上げてくる嫌な気持ちと、全身の震えが止まらない。俺は、ただその凄惨な光景を見下ろすことしかできなかった。

 だが、その時。

 モノトーンの土煙と甲冑の色に染まった戦場の外れ、右下の野原に、ポツンと『異物』があることに気づいた。

 

「は……?」

 

 見間違いようがない。こんな血生臭い時代にあるはずのない、原色の赤と黄色。

 

「……なんで、もういるんだ?」

 

 しんのすけだ。

 俺はハッと上を見上げた。

 空には、太陽が真上に位置していた。昼だ。俺が現代から飛ばされたのは朝だったはずなのに、ここではすでに昼になっている。

 

(時間のズレ……! じゃあ俺が消えてから、あっちではもう数時間が経ってるってことか!?)

 

 マタの顔が脳裏をよぎる。何も言わずに消えてしまった俺を心配してくれているだろうか…

 

「くそっ!」

 

 俺は恐怖を振り切り、焦燥感に急き立てられるように斜面を蹴り飛ばして、しんのすけのいる野原へと全力で駆け下りた。

 

「ねーねー、何してんの?」

 

 しんのすけが、茂みに隠れて火縄銃を構える鉄砲足軽の背後にひょっこりと顔を出し、のんきに声をかけた。

 

「なっ、何だこのガキ!?」

「これ何のドラマ? いつやるの? 主役だれ?」

 

 完全に時代劇の撮影か何かだと勘違いしているしんのすけは、目をキラキラさせて足軽たちを覗き込む。

 

「「黙れっ!!」」

 

 作戦行動中に見つかった足軽二人が、慌ててしんのすけの頭を押さえつけようと手を伸ばす。しかし、しんのすけは「ほいっ」と軽快に後ろへ下がってそれを避けた。

 さらに追おうと二人が同時に身を乗り出したため、伏せていた体勢も相まって「ゴツンッ!」と鈍い音を立てて互いの頭を強くぶつけ合った。

 

「イデッ!」

「お〜、おじさんたちお笑いの人?」

 

 頭を抱える足軽の前で、しんのすけはパチパチと無邪気に拍手をして煽り散らす。

 

「こんのっ……!」

「よせっ!」

 

 激昂した一人の足軽が、腰の鞘から短刀を抜き出し、しんのすけへと鋭く突きつけた。

 

「おおっ! ……なーんちゃって。そんなニセモノのおもちゃの刀で、驚くわけないゾ」

 

 刃先を向けられても、しんのすけは全く悪びれずに言い放つ。

 

「そんなおもちゃに頼っちゃって〜。かける兄ちゃんが、『男は黙って背中で語るもんだ』って言ってたゾ! おじさんの背中、何て言ってるの?」

 

 しんのすけは足軽の背中にぴょんっと飛び乗り、首に抱きついた。

 

「……えーっと、オラ、チョコビが食べたい……」

「ええいっ! 離れろクソガキ!!」

 

 完全に頭に血が上った足軽が、背中のしんのすけを乱暴に振り落とし、あろうことか本物の火縄銃の銃口をしんのすけへと向けた。

 

「死ねぇっ!!」

 

 引き金が引かれる、その瞬間。

 

「しんのすけえええええっ!!!」

 

 斜面を転がり落ちるように駆けつけたかけるが、泥だらけになりながらしんのすけの小さな体へと覆い被さった。

 

 ドォォォォンッ!!

 

 耳をつんざく轟音と、火薬の匂い。

 

(撃たれた……!!)

 

 かけるは激痛を覚悟して強く目を閉じた。しかし。

 いつまで経っても、致命的な痛みはやってこない。自分の体を撃ち抜くはずだった鉛の弾丸が、そのままふっとどこかへ消え去っていく。

 

「……外れた……?」

 

 かけるは呆然と呟いた。

 だが、錯覚だろうか。弾は当たっていないはずなのに、心臓のすぐ近く――左胸のあたりに、チリッとした微かな痛みが残り、まるで火傷のように不気味な熱を持っている。

 その騒ぎの直後だった。

 

『何奴だ!!』

 

 銃声と怒声に気づき、馬に乗った一人の武将がこちらへ駆けつけてくる。

 井尻又兵衛由俊である。

 又兵衛が足軽たちを追い払おうと槍を構えたその時、かけるたちを撃ったのとは別の、もう一人の足軽が、馬上にある又兵衛の胸元へと火縄銃の狙いを定め、発砲した。

 

 ドォンッ!!

 

 再び轟音が響き渡る。

 ――その瞬間だった。

 かけるの視界が、テレビの砂嵐のように「ジリッ」と不自然にチラついた。

 

(え……?)

 

 又兵衛の胸のド真ん中、弾丸が貫くはずのその空間に、まるで陽炎のように歪んだ『次元の裂け目』のようなものが生じているのを、かけるの目だけがハッキリと捉えたのだ。

 弾丸は又兵衛の胸に当たる直前で、その『歪み』に呑み込まれるようにフッと消失した。

 

「……!」

 

 又兵衛自身は弾が消えたことなど気づかず、そのまま足軽たちを一蹴する。

 だが、かけるは地面に這いつくばったまま、息を呑んで絶望していた。

 

(やっぱり、そうなのか……)

 

 又兵衛の命が助かったのは、奇跡でもなんでもない。ただ、神の気まぐれ、その瞬間の死を一時的に保留しただけなのだ。

 

(この人の死は……確定しているのか……)

 

 歴史の強制力。原作通りの冷酷な結末を突きつけられ、かけるの胸の奥で、冷たい絶望感が宿る。

 

「お主らのお陰で命拾いしたわ」

 

 馬に跨ったまま、又兵衛さんが見下ろすように声をかけてくる。

 

「仁右衛門、よい! 捨て置け!」

 

 又兵衛さんは、逃げていく足軽たちを追おうと馬を走らせかけた部下を制止した。

 

「何故じゃあ! 命を狙った奴等ですぞ!」

 

 仁右衛門と呼ばれた男が、納得がいかない様子で立ち止まり、声を荒らげる。

 

「取られはせなんだ」

 

 又兵衛さんは笑うこともなく、命を取られかけたとは思えないほど、ただ穏やかにそう言った。

 

「まったく甘いのぉ、若は……」

 

 仁右衛門の呆れたような呟きが聞こえる。

 本当に、その通りだ。この人は、血で血を洗う戦国時代の武将にしては、あまりにも優しすぎる。

 なぜ、こんなにも強く、真っ直ぐで、そして優しい人間が……あの理不尽で残酷な結末を迎えなければならないのか。

 俺は地面に手をついたまま、重く沈む心で彼を見上げていた。

 耳の奥では、先ほどの火縄銃の爆音がまだガンガンと反響していた。

 この音が、物語の最後にまた響くのだ。

 あの空間の歪みに呑み込まれた弾丸が、時を越えて、又兵衛さんのその広い胸を貫くために。

 俺の脳裏に、原作の映画のラストシーンが鮮明にフラッシュバックする。

 青空の下、崩れ落ちる又兵衛。そして、帰りを待つ砦で彼の死を悟り、過呼吸気味に膝をつき突っ伏す廉姫の絶望の姿。

 その光景を思い出し、吐き気がするほど気分が重くなった。立ち上がる気力すら湧かない。

 

「礼を言うぞ。だが、ここは子供が来る所ではない。すぐに立ち去れ」

 

又兵衛さんは、厳しいがどこか思いやりのある声で俺たちに告げた。

 

「ほ〜ほ〜」

 

 俺が下を向いて暗い思考に沈んでいる間に、いつの間にか俺の腕の下から抜け出していたしんのすけが、又兵衛さんの馬の前に立ち、興味津々といった様子で彼を見上げていた。

 

 その後の展開は、まさに一方的だった。

 又兵衛さんが馬を走らせ、自陣の全体を駆け抜けながら声を張り上げる。

 

「皆、押し出せーい!!」

 

 その一言と、先陣を切る彼の背中を見ただけで、兵士たちの空気が一変した。

 

「井尻様が行くぞ!」

「遅れをとるな!」

 

『おーっ!』という地鳴りのような気合いの声を上げながら、春日軍の全兵士が波のように前へと前進し、すさまじい圧をかける。

 一方の敵兵たちは、様子が違った。

 

「鬼井尻が出てきやがった……!」

 

 又兵衛さんが出張ってきたことに、敵陣は明らかに動揺し、怯えの色を見せていた。それなれば、勝負は一方的だ。相手の兵たちは目に見えて弱気になっていた。

 すると、最前線にいた長槍を持った兵たちが一斉に前へ出る。相手も同じぐらいの人数の兵たちで長槍を突き出し、迎え撃とうとする。

 

「エイ! オウ! エイ! オウ!」

 

 双方の兵たちが掛け声を合わせ、長い槍の束がぶつかり合う。

 

「それ、突き崩せーっ!!」

 

 又兵衛さんの号令で、春日の兵たちの士気がいっそう跳ね上がる。気迫で勝る春日軍が敵軍の長槍を上から力任せに押さえつけ、押し出していく。

 たまらず陣形が崩れ、敵兵たちは背を向けてバラバラに逃げ出し始めた。

 それを見た相手の武将は、もはやこれまでと引き揚げを決断したのだろう。

 

「退けーっ! 退けーっ!」

 

 敵軍の陣から撤退の合図が響き渡る。どうやら、おしまいのようだ。

 

「おーっ!!」

 

 勢いづいた春日の兵たちがさらに押し込み、追撃をかけようとする。

 

「そこまでーっ!」

 

 しかし、又兵衛さんのよく通る声がそれを制した。ピタリと、兵たちの足が止まる。

 

「深追い無用ーっ!」

 

 土煙が晴れていく中、仁右衛門が槍を片手にニヤリと笑った。

 

「へっ、若月の奴等、相変わらず逃げ足が早いのぉ〜。うちのだんながいる限り、何度来ても同じことじゃあ!」

 

 そう言うと、仁右衛門は逃げていく敵軍に向かってクルッと背中を向け、自分のお尻をペシッ、ペシッと叩いてみせた。

 

「尻でも喰らえ!」

 

 その滑稽な挑発に、周囲の兵たちから「わははっ」とドッと笑い声が上がる。勝利の笑いだろうか。

 

 『相変わらず』という言葉を使ったあたり、あの若月とかいう軍勢とは何度も戦を交えているんだろうか。俺は歴史の授業をまともに聞いていなかったので、戦国時代やら江戸時代やらのことは全然詳しくない。戦の頻度などもよくわからないが、これが『勝ち戦』というやつなのだろうか。

 

「ほ〜、あのおじさんお下品だな」

 

 戦場の空気などどこ吹く風で、しんのすけが仁右衛門の尻叩きを見て呆れたように言った。

 

(……どの口が言ってるんだ)

 

 俺は心の中で強烈にツッコミを入れながら、ひとまずこの殺し合いが収束したことに、深く安堵の息をついたが、俺の心の中にはずっと突っ掛かりがある。

 

(俺は、あの火縄銃の弾を止めなかった……)

 

 戦が終わり、静けさを取り戻しつつある戦場を見つめながら、俺の胸の中は鉛のように重かった。

 又兵衛さんの死を知っていながら、俺は何もできなかった。いや、歴史を変える覚悟を持てなかった。それなのに、これから廉姫や又兵衛さんと普通に言葉を交わし、命を救ってくれた恩人のように接するのか。

 そんな偽善者のような自分がひどく嫌で、俺は無意識のうちに彼らに対して厚い壁を作ろうとしていた。

 

「お前達、まだいたのか」

 

 馬の蹄の音と共に、又兵衛さんがこちらへ向かってきた。

 

「オラ、野原しんのすけ5歳!」

 

 しんのすけが元気よく名乗る。

 

「……かけるです」

 

 俺は一歩引き、どこか他人行儀な、よそよそしい声で短く答えた。又兵衛さんは俺のそんな態度に微かな壁を感じ取ったようだったが、深くは追及しなかった。

 

「おじさん、だれ?」

 

しんのすけが直球で尋ねる。

 

井尻又兵衛由俊(いじりまたべえよしとし)

「いじり? おまた?」

 

しんのすけが目をぱちくりさせながら復唱し、

 

「ぷっ、変なお名前」

 

とえへへとおどけた。

 

「これっ! 無礼であろう!」

 

 すかさず仁右衛門が叱りつけようとするが、又兵衛さんは「まあよい」と大らかに笑って彼を制した。

 

「して、かけるとやら」

「……な、なんですか?」

 

 急に名を呼ばれ、過剰に警戒してしまった俺に、又兵衛さんはニカッと白い歯を見せて笑った。

 

「先ほどは見事であった。己の身を挺して幼子を庇うとは、なかなかできることではないぞ。あっぱれじゃ」

「…………」

 

 俺は息を呑み、言葉に詰まった。

 見事なものか。あなたの命は……俺は知ってるのに……。胸の奥がギリギリと締め付けられるように痛み、俺は顔を逸らして口を閉ざした。

俺が返答に困り、気まずい沈黙が流れたのを見て、又兵衛さんは話題を変えるように言った。

 

「それにしても妙ななりをしておるが、お前達、どこから来た?」

「そうそう、オラ春日部に帰りたいんだけど、ここはどこ? てか、かける兄ちゃん、マタがすっごく探してたゾ。朝からここに来てたの?」

 

 しんのすけが無邪気に聞いてくる。俺がいなくなった朝の春日部で、マタが探してくれていたのか。その事実に胸が痛むが、今は適当に合わせるしかない。

 

「……そうっちゃそうだな」

「春日部? ここは武蔵の国、春日領だが……」

 

 又兵衛さんと仁右衛門が、困惑の表情で顔を見合わせる。しんのすけが「ん?」という顔をしたので、俺も一応、わからないというような顔を作っておいた。

 

「ともかく、この辺りに人家はない。城下まで送ろう」

 

 と、又兵衛さんが提案してくれた。

 

「じょ、じょーか?」

 

 なんだそれ、と呆れたように首を傾げるしんのすけに、俺は小声で教える。

 

「お城の近くにある集落のことだ。……お願いします」

 

 そのまま、俺たちは春日軍の兵たちも含めた大所帯で、城下に向けて歩き出した。

 

 周囲は一面の田んぼだ。泥に塗れて農作業をしている農民たちが、又兵衛さんたちの軍勢が通り過ぎるまで、深く地面に頭を下げている。

 ここまで見たことのない景色や、人々の徹底した身分差の言動を体験して、しんのすけも薄々「これは時代劇の撮影じゃないかも」と思い始めているのだろう。

 

「ね、おじさん。今年は2026年だよね?」

 

 不意に、しんのすけが核心をついた質問を投げかけた。

 

「にせん……? 何を言っておる。今は天正二年であろうが」

「てんしょう? どっかで聞いたゾ」

 

 しんのすけが腕を組む。たしか、シロが掘り起こした文箱の中の、自分で書いた手紙にあった言葉のはずだ。

 

「かける兄ちゃん、オラたちもしかして……帰れない?」

 

 見上げてくるしんのすけに、俺はどう答えるべきか迷ったが、変に誤魔化しても仕方がない。

 

「……当分、帰れないだろうな」

 

 俺が焦った様子も見せずに淡々と答えたからか、しんのすけも「これは一大事だ」とは認識しなかったらしい。全く驚く様子もなく、頭の後ろで手を組みながら「ふーん」と気楽に返すだけだった。

 やがて、軍勢が城下の入り口まで差し掛かった時。

 

「え? 何ここ!」

 

 しんのすけが目を丸くして、驚きの声を上げた。

 

「春日の城に決まっておろうが」

 

 さも当然だろうと言う又兵衛さんだが、しんのすけの冗談抜きの本気の驚きっぷりを見て、困惑の色を深める。

 

「お城〜!?」

「……お主ら、本当にどこから来たのだ」

 

 目の前にそびえる本物の城を見て、しんのすけもついに確信に変わったのだろう。

 

「オラたち、未来から来たゾ。たぶん……」

「なにっ。それは真か?」

「かける兄ちゃん」

 

 しんのすけが同意を求めてくる。俺は又兵衛さんを真っ直ぐに見返して頷いた。

 

「そうですね。俺たちは、どうやら未来の春日領から来ているようです」

「むっ、ん〜……そうか……」

 

 又兵衛さんは馬の上で腕を組み、真剣に頭を悩ませ始めた。

 

「若……! 戯言ですぞ、子供の言うことなど!」

 

 本気で悩み始めた主君に、仁右衛門が慌てて口を挟む。

 

「しかし仁右衛門、こやつらの着物、見たことがあるか?」

 

 又兵衛さんに指をさされ、仁右衛門がジロジロと俺たちの服パーカーやスウェットを観察する。

 

「縫い目も継ぎ目もないではないか! いったいどうなっておるのだ! ま、まさかこの色は……返り血か!?」

 

 仁右衛門が、しんのすけの真っ赤な服をつまみながら悲鳴のように叫ぶ。

 

「血ではない。血ならばもっと暗い色になるであろう? う〜む、まさか本当に未来から……」

「いや、しかし若……!」

 

 否定を続けようとする仁右衛門の言葉を遮り、又兵衛さんが決断を下した。

 

「殿に報告いたすか」

「若! 正気ですか!」

「嘘をついておるようにも見えん。会わせるしかあるまい」

 

 心の中で、俺は深く息を吐いた。

 この人が『井尻又兵衛由俊』じゃなければ、絶対に信じてもらえなかっただろう。服の素材や染料の色がどれだけ異質でも、未来から来たなんて荒唐無稽な話、戦国時代の人間が普通は耳を傾けてくれるはずがないのだ。

こうして俺たちは、春日の国を治めるお殿様との謁見へと向かうことになった。

 

 

 

 

 

 

「そんな話が信じられるか」

「殿も物好きな」

 

 俺たちの目の前で、上座に控える三人の家臣たちがヒソヒソと話し合いながら、胡散臭そうにこちらをチラリと見てくる。

 あの後、「待っておれ」と殿に報告しに行った又兵衛さんに城の外で待つよう言われ、大人しく待っていると、ものの十分ほどで又兵衛さんが戻ってきた。

 

「殿が話したいと申しておる。行くぞ」

 

 そう言われて城の中に通され、今こうしてお殿様の登場を待っているというわけだ。

 又兵衛さんはあぐらをかき、俺はガチガチに緊張しながら正座をしている。俺は流石に緊張のあまり目を閉じ、小さく息を吐いた。

 本物すぎるんだ、何もかもが。

 学校での歴史見学や修学旅行なんかと比になるわけがない。ここは正真正銘、本物の戦国時代の城の中だ。時代劇やドラマで見るような、コスプレ感が残る役者の家臣たちではない。纏う空気、所作、その全てが武士として様になりすぎている。

 ましてや、これから一国の主である『お殿様』と直接喋るなんて……。

 一方、しんのすけはというと……。

 

「ほほーい」

「おお〜っ」

 

 やけにツルツルと滑る板張りの床に大興奮し、靴下のまま俺の目の前を左右に行ったり来たりと滑りまくっている。

 

「やめなさい」

「やめんか!」

 

 俺と又兵衛さんの制止する声が、見事にハモった。

 

「お主の弟か?」

 

 呆れたように聞いてくる又兵衛さんがチラリと俺を見る。視線が合ったが、俺は又兵衛さんの真っ直ぐな目を見ることができず、スッと目を逸らしてしまった。

 

「……そうっちゃそうです」

 

 また、変に壁を作るような返しをしてしまった。

 その時、奥の襖の向こうから、静かだが重みのある足音が近づいてくるのが聞こえた。

 

「殿がお見えだ、座れ」

 

 又兵衛さんが低く鋭い声で言い、床で芋虫のように突っ伏していたしんのすけの襟首をひょいっと摘み上げ、自分の隣に座らせる。

 

「との?」

 

 スゥッ……と襖が開き、豪奢な赤い着物に身を包んだ威厳のある男――春日のお殿様が入ってくる。

 

「はっ!」

 

 家臣達、そして又兵衛さんが一斉に深く頭を下げる。

 俺も慌てて平伏し、キョトンとしているしんのすけの後頭部を手で押さえつけ、無理やり一緒に頭を下げさせた。

 又兵衛さんが、俺のその手慣れた動作を横目でチラリと見ていた。

 衣擦れの音をさせて、お殿様が上座にどっしりと座る。

 

「隼人、勝ち戦、祝着である」

「はっ、恐れ入ります」

 

 隼人と呼ばれた武将が、両手をグーにして床につき、深く頭を下げる。

 

「岩月の者共、田畑でも荒らしに参ったのでしょう。あっさり引き揚げましてございます。なに、それがし何もしておりませぬ」

 

 なるほど。ただちょっかいを出すだけ、みたいな感覚なのか。そんな感覚で戦をするのが当たり前の時代なんだろうか。

 

「先手の指揮はいつものように鬼井尻めが」

「うむ、見事じゃ又兵衛」

「恐れ入ります」

 

 又兵衛さんも同じようにこうべを垂れる。

 お殿様はそのまま、俺たち二人へと顔を向けた。

 

「その者か? 未来から来たとか申すのは」

「よっ」

「ど、どうも」

 

 どう挨拶したらいいか分からず、俺は軽く会釈するだけだった。こういうとき、物怖じしないしんのすけの豪快さが羨ましいかもしれない。

 

「こ、これっ」

 

 又兵衛さんが俺たちの無礼な挨拶に焦る。

 

「無礼な!」

 

 家臣の一人が怒鳴るような声を出すが、「まぁよい」とお殿様が鷹揚に手を挙げた。この人も又兵衛さんぐらい優しさのある人なんだな。まあ、あの廉姫様の父親と考えれば納得だけど。

 

「この者達、名を野原しんのすけとかける。それがしも最初は信じられませなんだが……話を聞き、身につけたる着物のつくりなど見ますところ、どうも……」

 

 お殿様の様子を探りながら、丁寧かつ簡潔に説明する又兵衛さん。

するとしんのすけが、飄々と言い放った。

 

「いや〜まいっちゃうよね〜。気がついたら違うとこにいたんだゾ。チョーびっくりで、ござる!」

 

……なしなし。しんのすけの豪快さには絶対に憧れない。

 

「ひどくなまっておるのぉ」

 

 お殿様が笑う。このふざけた喋り方を地方の訛りと捉えてくれる寛大さは、俺たちの命を繋いだのかもしれない。普通なら打ち首にされてもおかしくないくらい無礼すぎる。

 

「しんのすけとかけるよ。この康綱にも未来の話、聞かせてくれぬか? 遠慮はいらん。好きなように申してみよ」

 

 お殿様は子供の目線に合わせて、対等に話そうとしてくれている感じが伝わってくる。話しやすそうな人だ。

 

「はい」

「オッケ〜」

「桶ー?」

 

 と又兵衛さんが首をひねる。

 返事はしたはいいものの、大体の話はしんのすけに任せた。俺は時折補足を入れるのと、未来へは当分帰れないことを説明したぐらいだ。

 しかし、お殿様の食いつきはすこぶる良く、上座から俺たちの目の前まで身を乗り出し、ついにはしゃがみ込んで話を聞くに至っている。

 

「んでねぇ、えーっと」

「待て待て、あまりいっぺんに聞いても頭が混乱する」

「う〜む、未来には人知を超えたわざが数多あるようじゃな」

 

 さすがに半信半疑だろうが、子供の突拍子もない話にここまで真剣に耳を傾けてくれるのは、本当に寛大な人だ。

 

「殿、子供の申すことですぞ」

「左様。それがし、空を飛ぶ乗り物や、他国の者と家にいながら話せる道具など、とても信じられませぬ」

 

 家臣の二人が口を挟む。まあ、普通はこういう反応になるよな。

 

「わしはかれぇとやら、食うてみたいのぉ」

 

 一人だけ食いしん坊の家臣がいるが……。

 

「他にもおいしいものいっぱいあるよ! スキヤキとかトンカツとか……」

 

しんのすけも食いつきがいいからノリノリで答える。

 

「ほう、そうか」

 

 殿が満足そうに立ち上がり、言った。

 

「かける、しんのすけ。行くあてがないのなら、又兵衛の家に住むがよい。折を見てまた話そう」

 

……やっぱり、そうなるのか。

 俺が歴史に介入していても、行き着く先は変わらない。あの家で、三人。

そもそも、俺は又兵衛さんと話す資格なんてないのに…。

 

「殿っ! それはご勘弁を……! それがし、子供を持ったことなどありませぬ!」

 

 又兵衛さんが本気で焦りながら声を上げる。

 

「オラもこんなむさ苦しいおじさん嫌だゾ。もっと綺麗なおねいさんがいい!」

「何!?」

 

 しんのすけもキッパリと拒否する。そんなキッパリ言える立場じゃないだろ、お前は。

 

「又兵衛」

 

 お殿様が、先ほどよりも一段優しい表情で呼ぶ。

 

「はっ」

「聞けば、二人はそちの命の恩人ではないか。これも何かの縁じゃ」

 

 殿のその言葉が、俺の胸に鋭く突き刺さる。

 

(……やめてくれ)

 

 恩人なんかじゃない。俺は、あの瞬間、歴史に屈して……彼を見殺しにしているようなものなんだ。

俺は誰にも気づかれないように、深く俯いて唇を噛み締めた。

 

「違うゾ!オラ遊んでただけだもん!こうやって……」

 

 しんのすけが自慢げに否定し、ズボンを下ろして自慢の尻を出してブリブリと振り始めた。

 

「ブリブリ〜、ブリブリ〜」

「馬鹿、やめんかっ! だぁっ!」

 

 御前という神聖な場でのしんのすけの所業に焦り、又兵衛さんが飛びかかってでも止めようとする。しかし、しんのすけに華麗に避けられ、あろうことか床に突っ伏した又兵衛さんの背中の上でもブリブリと踊り始めた。

 俺は、もはや止める気にもならなかった。

 

「無様っ!」

「早く取り押さえよ!」

 

 家臣たちが顔を真っ赤にして声を荒げるが……。

 

「ハッハハ! 主命じゃ! 下がって良い」

 

 お殿様は笑い飛ばし、そう告げた。

 主命? この時代に来てから聞き慣れない言葉が多いな……。たぶん、殿様からの絶対命令、みたいな感じだろうか。

 

「はっ!」

 

 又兵衛さんは、尻丸出しのしんのすけを脇に抱え込んだまま、深く頭を下げた。こうして謁見はお開きとなった。

 

「行くぞ……」

 

 殿様の前から退出すると、又兵衛さんに死ぬほど疲れ切った顔で一言だけ言われ、俺たちはその後ろをついて歩き出した。

 

「おい、青空侍」

 

 外に出たタイミングで、凛とした声がかかる。俺は誰の声か分かってはいたが、あまり気持ちは乗らないまま視線を向けた。

 向かいの建物の前で、こちらを見据えて立っている女性がいた。

 

 春日廉。廉姫様だ。

 透き通るような白い肌に、芯の強さを感じさせる涼やかな目元。風に揺れる艶やかな黒髪と、鮮やかでありながらも気品のある着物が、彼女の姿を一層引き立てている。夢で見た、湖畔で黄昏れる物憂げな姿とはまた違う。太陽の下で咲き誇る一輪の花のような、息を呑むほど綺麗な人だった。

 ただ、そんな美しい廉姫様の両脇では、お付きの女中二人が、又兵衛に抱えられているしんのすけの『尻丸出しの状態』を見てしまい、必死で口元を隠して笑いを耐えようとプルプル震えていた。

 

「死にぞこなったそうだな」

 

廉姫様が、わざと憎まれ口を叩くように言う。

 

(戦のたびに泉で、又兵衛さんが死なないようにって必死に願っているくせに……)

 

 俺は、廉姫様の一言に心の中で少し悪態をついてしまった。

 

(……あー、ダメだな。こっちに来てから俺の情緒は明らかにおかしいし、不安定だ。自分でもわかっている。こんな捻くれたことを思うのは間違っている。切り替えないと)

 

「あっ、こ、これは姫様!」

 

 又兵衛さんは廉姫様を前にしてすっかり照れてしまい、自分が脇に抱えているしんのすけが尻丸出しであることなど完全に忘れている。尻丸出しの5歳児を傍らに抱えたまま姫に恭しく頭を下げるこの状況、客観的に見てかなり無礼でシュールすぎる。

 

「姫? え、どこどこ?」

 

 脇に抱えられたしんのすけが、尻を出しながら身じろぎする。

 

「お前のことだ。どうせぼんやりと空でも眺めていたのであろう」

 

 廉姫様がからかうように又兵衛さんに言う。

 

(いや、なんか普通にシリアスなトーンで喋ってますけど、傍の女中二人、もう耐えきれなくて肩を震わせてますよ……)

 

 俺は内心でツッコミを入れる。

 

「え、何故それを……あ、いや、違うのです」

「あーっ!」

 

 又兵衛さんが動揺していると、しんのすけがようやく廉姫様の姿を見つけた。

 

「黙れ!」

 

 姫様の前で大声を上げたため、又兵衛さんが慌ててしんのすけを制する。

 

「それがし、決してぼんやりなど……」

「ほ〜いおねいさーん! オラだよー! やっと会えたゾ〜!」

 

 弁明をしようと廉姫様に一歩近づく又兵衛さんだったが、しんのすけが陽気にまるで知り合いのように声をかけたため、又兵衛さんはピタリと足を止めた。

 

「おぬし、廉姫様を知っておるのか?」

「廉ちゃんて言うの?」

「ば、馬鹿! 姫様と呼べ!」

 

 又兵衛さんが怒鳴る。いまだに、しんのすけは尻丸出しである。

 

「姫、この者をご存じで?」

 

 又兵衛さんが不思議そうに尋ねると、廉姫様はキョトンとした顔をした。

 

「いえ……そのような可愛いお尻、初めて見たが」

 

 と廉姫様が上品に微笑む。

 その返答にとうとう耐えきれず、女中二人が吹き出して爆笑し始めた。女中のうちの一番偉そうな年配の人が「これっ」と叱るが、二人の笑いはもう止まらない。

 

「イャーン! オラお嫁に行けな〜い!」

 

 自分が尻丸出しのまま、チョー綺麗なおねいさんの前にいたことにようやく気づいたしんのすけは、顔を真っ赤にして又兵衛さんの腕の中でもがいた。

 

(いっつも自分から出してるだろうが……)

 

 俺は呆れ果てて、小さくため息をついた。

 

「だあっ!」

 

 もがいたしんのすけが、やっとの思いで又兵衛さんの腕の拘束から抜け出した。……が、その勢い余って、彼のズボンとパンツが又兵衛さんの腕につまりしんのすけとは反対側の方に落ちる。

 

「ンもォ、おじさんのおバカ〜!」

 

 完全にフルチン状態になったしんのすけは、慌てて両手で股間を隠しながら、いそいそと地面から服をひったくり、急いで履き直す。

 

(こんなフルチン全開のシーン、映画で普通にやれてたのも時代だよなぁ……)

 

 俺はどこか冷めた頭で、そんな現代的な感想を抱いていた。

 

「も〜、オラが人前でお尻を出すのが好きみたいに思われちゃうよ〜」

 

 ズボンを引っ張り上げながら、しんのすけが心外だとばかりに口を尖らせて否定する。

 

「好きだろ」

「好きではないか」

 

 俺と又兵衛さんの容赦ないツッコミが、見事に重なった。

 俺が口を開いたからか、廉姫様が俺の方をチラリと見て、スッと涼やかな視線を向けてきた。

 

「そなたたちは、未来から来たと聞いている。……私と、いつどこで会った?」

「ゆ、夢で……」

 

 しんのすけは、さっきまでの威勢はどこへやら、モジモジと顔を赤らめて俺の足の後ろに少し隠れるようにして答えた。

 

(夢だと?)

 

 又兵衛さんや周囲に控えていた女中たちの間に、微かな困惑の空気が流れる。未来から来たというだけでも荒唐無稽なのに、夢で姫様と会ったなどと、あまりに突拍子もない答えに聞こえたのだろう。

 俺は小さく息を吸い、なるべく感情を交えない事務的な声で補足した。

 

「俺とこのしんのすけが、同じ日の夜に……あなたが『泉』のほとりにいる夢を見たんです」

 

『泉』

 

 その言葉を出した瞬間、廉姫様の肩がピクリと微かに反応したのがわかった。気丈な彼女の目が、ほんの一瞬だけ反応する。彼女が戦のたびに、又兵衛さんの無事を祈り続けているあの泉。

 

「……面白い。明日あらためて、話を聞かせてもらう」

 

 廉姫様は表情を取り繕い、毅然とした声でそう告げると、きびきびとした足取りで奥の部屋の方へと去っていった。女中たちも慌ててその後を追う。

 

 俺は、彼女の凛とした後ろ姿をただ黙って見送ることしかできなかった。

 こうして、原作通りの流れで廉姫様との明日の予定が組まれたわけだが……俺の胸の内に広がるのは、ひたすら重く暗い泥のような感情だった。

 

(あなたの想い人の死を知っていながら、歴史のためにその運命を受け入れようとしている俺なんかが……この二人の間に、居ていいはずがないんだ……)

 

 強く噛み締めた唇の端から、鉄の味がした。





次話は現代側も書き切りたいですよね。

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