空女の恋は三角はんぺん   作:よしだひろ

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 空研の定期撮影会に来た美玲達。そこで突然正樹が現れる。みんなの前に現れる正樹に美玲は慌ててしまう。


その二

 空研は月に一度飛行機の撮影会をしている。大体は成田空港近くのさくらの丘公園に行っている。交通の便の悪い所なので、車を持ってる部員が駅から送迎したりしてみんなが集まっている。

 飛行機の撮影には絶好の撮影ポイントで、その日も沢山の航空ファンが集まっていた。

 空研の部員の中には本格的なカメラを持ってる人も多かったが、悠人や美玲など新入部員はスマホで撮影する事にした。

 悠人の所に三年生の女子部員、タックネームヨーコが話しかけてきた。

「ねえ翼君。翼君は何の飛行機が好きなの?」

「僕はブルードルフィンズが好きなので、必然的に自衛隊のT-4ですかね」

 ブルードルフィンズは航空自衛隊松島基地に属する飛行チームで、その使用機体は自衛隊の初等ジェット練習機のT-4だ。

「へえ。じゃあ松島に観に行くの?」

「僕は松島には行ったことないのですが、ブルードルフィンズは全国の基地祭で展示飛行をしてますからそれを観に行きます」

「ふーん。どこに観に行くの?」

「千葉から近い所だと、茨城県の百里基地か埼玉県の入間基地になります。交通の便から考えて秋の入間に行くつもりです」

「秋かぁ。私その頃は就職活動真っ只中だから無理かなぁ。一緒に行きたかったのに」

「あ、エアバス来ますよ」

 エアバス社のA380が轟音と共に着陸してきた。航空ファンが一斉にフォーカスを合わせてシャッターを切った。

 美玲はたまたま悠人の近くにいたので二人の会話が何となく耳に入っていた。美玲も子供の頃ブルードルフィンズを観てから大好きだった。悠人と一緒に観に行けたらいいなと思っていた。

「ねえねえ、翼君。いつか一緒に観に行こうよ」

「いやあ。じっくり観たいから一人がいいんですよ」

「もう、つれないなぁ」

 それを聞いた美玲もがっかりした。

 撮影会はお昼頃に終わり、みんなは成田空港に移動して昼ごはんを食べた。撮った写真を見せあったりして少し雑談をした後、電車組と車組に分かれて解散となった。

 その日の夜、美玲がのんびりNicoFaceを見ていると、個別メッセージが届いた。悠人からだった。

"今日の撮影会でブルードルフィンズの話になったんだが、秋の入間基地際に一緒に行かないか?"

"え? でも一人で観たいって言ってなかった?"

"嫌ならいいんだ"

"嫌じゃないよ。一緒に行きたいよ"

 それはまだ五月の事だった。十一月の基地祭まで半年あった。

     *

 大学の昼休み、悠人の友達の隆が悠人に話しかけてきた。

「そう言えばさ、お前と松岡ってNicoFaceで知り合ってこの同じ大学に入ったんだよな?」

「ん? 同じ大学になったのは偶然だよ」

「まあ偶然かもしれんが、それで空研で初めて会ったって言ってたよな?」

「まあ、お互いにブルードルフィンズが好きだったから空研に入ったのは必然かも知れんな」

「それって何か運命じゃね?」

「……何が言いたいんだ?」

「お前達付き合っちゃえよ」

「何だよ、藪から棒に」

「嫌なのかよ、松岡中々いい線行ってると思うぜ」

「知らん知らん。俺はもう行く!」

 そう言うと悠人は席を立ちスタスタ歩いていった。何故かプンプンしている自分に気付かずに。

 しかしその隙をついて正樹が悠人と入れ替わってしまった。

「ふふふ、からかわれたぐらいで頭に血を登らすなんて、子供だな、悠人」

 正樹は午後の講義が休講になっている事を知っていたので、そのまま空研の部室に向かった。美玲と同じ講義を取っていたので美玲も必然的に午後の講義は休講だったからだ。

 部室に着くと案の定美玲がいた。タブレットパソコンをいじっていた。正樹は美玲の横に立った。美玲はすぐに気が付いて挨拶をした。

「午後は休講だな。ここだとなんだから冷たいものでも買いに行こうぜ」

 美玲は言われるままに正樹の後について行くのだが、何か言葉遣いに違和感を覚えたので小声で聞いてみた。

「あの……あなたもしかして」

「正樹だ。悠人の隙をついて入れ替わった」

 美玲は驚いた。もしみんなに知られたらどうするのか。

 学食前の自販機コーナーにやってくると、正樹は炭酸飲料とお茶を買い、お茶を美玲に渡した。

「一体どう言うつもり?」

「どう言うって?」

「あなたの事みんなに知れたら大変でしょ」

 正樹は缶のプルタブを開けながら答えた。

「前に行けなかったカラオケに誘おうと思ってさ」

「カラオケ?」

「ああ。二人きりで行こうぜ」

 美玲は少し考えた。

「それってあなたとって事? それとも翼君とって事」

 今度は正樹が少し考え込んだ。

「もちろん俺とだよ。嫌なのか?」

「あなたの事なんて何も分からないのに行くわけないでしょう。翼君とならまだしも」

「悠人の奴とは行くのかよ」

「う、うん。誘ってくれるか分からないけど」

 正樹は気に食わないと言う顔で炭酸飲料を飲んだ。

「分かってないな。俺がお前を好きなのは、悠人がお前を好きだからなんだよ。例え別人格と言えども心は一つ。悠人が好きになれば俺だって好きになる。だからお前をカラオケに誘ったんだよ」

 美玲は混乱した。それが告白なのは分かった。

「ちょ、ちょっと待って! いきなり好きとかなんとか言われても分からないよ」

「分からなくてもいい。俺と恋人になれよ。今度の日曜日、午後一時に千葉駅の改札で待ってるからな。きっと来いよ」

 正樹はそう言うと炭酸を一気に飲み干した。ゴミ箱にそれを捨てると行ってしまった。

 美玲は突然の告白に驚きただ立ち去る正樹の背中を見送ることしか出来なかった。

 その日の夜、美玲はベッドに横になり正樹の言葉を思い返していた。悠人が幼い頃に受けた虐待により生まれた別人格の正樹。彼をどう受け止めれば良いのか。

 彼は悠人の一面である事に変わりがない。その正樹が自分を好きでいる。そしてそれは悠人も美玲の事が好きだと言っていた。それは本当なのだろうか?

 しかし一番大事なのは自分の気持ちだった。美玲は悠人の事が好きなのか。その気持ちに正面から向き合う事なく今は有耶無耶にした。

 日曜日のカラオケはどうすればいいのだろうか?

 そんな事を考えているとNicoFaceの個別メッセージの着信音が鳴った。悠人からだろうか。美玲はドキッとした。

 しかしそれはカマヨからだった。

"キャンパスライフはエンジョイしてる? 全然連絡してこないんだもん。ゲイだからってシカトしてるとお会計するわよ"

"ごめんなさい。色々バタバタしてて。お会計って何?"

"お会計ってのは、バナナマンの『すぐ立つ女』って言うネタよ。気にしないで。そんな事より上手く行ってるの?"

 美玲は詳しい事は隠しつつカマヨにカラオケの事を聞いてみる事にした。

"大学で知り合った人にカラオケ誘われたの。でも私その人の事何も知らないから迷ってるの"

"やだ、もうラブロマンス? 若いっていいわね。カラオケ行っちゃいなさいよ。若いうちは色んな経験をしていく方がいいのよ"

"でも知らない人だし"

"最初はみんな知らない人なのよ。いいからカラオケに行ってお会計しちゃいなさい"

 お会計の意味がいまいち分からないが、言われてみれば確かにその通りだ。正樹の事を知るいい機会かも知れない。

"分かったわ。行ってみる"

     *

 日曜日。美玲は朝からソワソワしていた。約束の時間に千葉駅の改札に行くと、そこに正樹の姿があった。見た目は悠人なのでそれが正樹なのか悠人なのか話してみなければ分からないのだが、悠人ならばそもそもここにいる事はない。

「こんにちは……えっと」

「やっぱり来たな。美玲なら来てくれると思ってたよ。だがあまり良くない知らせだ」

 正樹は残念そうに告げた。

「悠人の奴の意識が回復してきてる。いつ悠人に戻るか分からない。急ごう」

 正樹は焦っているようだ。よく分からないが悠人の意識が弱い時は正樹は体を支配できる。今は悠人の意識が回復してきていて、このまま悠人の体を支配できなくなるという事なのだろうか。

「言っておくけどね、私はあなたの恋人になるつもりじゃないからね」

「俺はお前の心を必ず掴んで見せるぜ」

 先を急ぐ正樹。美玲がその早足に追いつけずにいると正樹は美玲の手を取った。

「ナンパ通りにカラオケあったよな。急ごう」

 赤信号にイライラしているようだった。信号が変わり横断歩道を渡る。ナンパ通りに入りゲームセンターの前に来た時だ。

「ああ、ダメだ。悠人が気が付いた……」

「え?」

 正樹の体が一瞬よろけた。美玲の手を放した。すぐに悠人の体は立ち直った。

「あれ? ここはどこだ?」

 悠人が戻ったようだ。自分がどこにいるのか分からないようだ。目の前にいる美玲を見て驚いた。

「mii! 何でここに?」

 美玲は突然の事に必死で誤魔化した。

「えっと、あの、そう偶然よ。偶然バッタリよ」

「偶然バッタリ? 何か不自然だが、まあいいか」

「何も覚えてないの?」

「え?……あの。なあちょっと喫茶店に行かないか?」

 二人は近くの喫茶店ヨーロッパに入った。それぞれ飲み物を頼んだ。

 暫くして飲み物が運ばれてきて悠人は無言で一口啜る。美玲もその様子につられて一口飲んだ。

「実は、さっきのような事がちょくちょく起こるんだ」

「さっきのような事?」

「ああ、自分には行動した記憶がなくいきなり違う場所にいたり、記憶のない行動を取ってしまうんだよ」

 美玲はそれが正樹と入れ替わっているからだと直ぐに分かった。しかし悠人自身は自分の中に別人格がいる事には気付いていないようだ。

「頻繁にあるの?」

「うん。週に2、3回くらいのペースで起きる事もあるよ」

「病院へは行ってみたの?」

「いや、病院へは行ってない」

 少しの時間沈黙になった。

「生活上何も重大な影響はないから病院までは考えていなかったよ」

「影響ないなら良いんじゃないのかな。きっと疲れてたり体調が悪い時にそうなるんじゃないの?」

「そうだな。深く考えなくても大丈夫だよな。思い切ってmiiに話せて良かったよ」

「私は何もだよ」

「いや、こう言う大事な事はmiiには知っていて欲しいしな」

「え? どう言う事?」

「え? あ、いや。大した意味じゃないよ。そんな事より、ここからポートタワーまでって歩いたらどのくらいかかるかな?」

 悠人は焦って露骨に話題を変えた。

 美玲はスマホを取り出して地図を開いた。悠人もスマホを取り出した。

「大体四十分くらいみたいだよ」

「四十分。意外とあるな。でも海見たくないか?」

 美玲は話をはぐらかされて何故はぐらかしたのかなと思ったが、深く考えなかった。

「うん、海見たい」

「ここからだと千葉駅からモノレールでも行けるみたいだよ。ビルの合間を縫うように進んでいくらしい」

 二人はポートタワーまでどうやって行くのか語り合った。

     *

五月の終わり頃、空研の部室。

「なあ、今度の撮影会は茨城空港に行かないか?」

「え? 構わんと思うけどさ。あそこは発着便少ないだろ?」

 三年生が話し始めた。翌月の撮影会の話のようだ。

「いや、ファントムを撮りたいんだよ」

 ファントムとは航空自衛隊の戦闘機F-4EJ改の事だ。現在では航空自衛隊の主力戦闘機はF-15JやF-35Aなどに切り替わりつつあり、F-4EJ改の退役が進んでいた。二〇二〇年十二月には全てのファントムが退役する事になっている。

「確かに今ファントムを撮るには茨城空港に併設された百里基地に行くしかないが、フライトプランも分からずに行っても無駄足になるかも知れんぞ」

「いや、違うんだ。茨城空港の横の広場にF-4EJが地上展示してあるんだよ。それでも良いと思うんだ」

「なるほどね。みんなにも意見を聞いてみよう」

 なんやかんやで六月の撮影会は茨城空港に行く事になった。

 茨城空港には東京からバスが出ている。朝早いバスになるが、車組とバス組に分かれて茨城空港に集合する事になった。

 バスは事前に予約が必要だったのだが、参加する部員数は席を予約する事が出来た。

 当日、バス組の部員は東京駅八重洲南口の高速バス乗り場に集まった。大体一時間四十分程で着く。バスの出発予定は八時三十分だった。

 美玲も悠人も同じ総武快速線なので、船橋駅に集合して一緒に東京駅に来ていた。

 バスに乗ると多くの乗客は寝てしまった。空研の部員たちは騒いでは行けないと察して、各々音楽を聴いたりして過ごした。美玲の隣には二年生の女子部員のタックネームゆーりが座った。

「miiちゃんは自衛隊の飛行機詳しいの?」

「少しは分かりますが、詳しくはないです」

「今回のメインはファントムみたいだけど、私はよく分からないのよ」

「私もです。多分航空ファンズで見てるはずなんですけど」

 航空ファンズとは、自衛隊の航空機をメインに編集されている月刊の航空機雑誌だ。空研の部員の一人が定期購読していて部室に毎月置いて行くのだ。

「何か今年の十二月でなくなっちゃうんだってね」

 そんな会話をしながらバスは一時間三十分走った。降車場でテンポよく降りて行く乗客を待って、空研のみんなは最後に降りた。

「車組はもうファントムの地上展示を撮ってるらしいぞ。そっちへ行こう」

 空港の入り口には入らず右方向へ向かうと、建物施設が終わり芝生が敷かれた広場に出た。そこの中央に航空自衛隊の飛行機が二機展示されていた。

「おーい、こっちだー」

 バス組を見つけた車組の部員が呼んだ。みんなは間近にみる戦闘機に興奮した。

「これがファントムかぁ」

「二機あるけど片方は緑色だね」

「迷彩塗装だよ」

 美玲は悠人の姿を探した。悠人は白い方のファントムの後ろの方にいた。美玲が近付くと悠人はファントムの尾翼の下を見ながら呟いた。

「でかいアレスターだ」

「アレスター? 何それ」

「ほら、下に付いてる棒だよ。着艦フックと言えば分かるか?」

 アレスティングフック。通称アレスター。艦載機に付いていて、着艦の際にその棒を機体の下に下ろし、かぎ状に曲がった先端で母艦に張られたワイヤーを掴む。

「アレでワイヤーを引っ掛けて急激に止まるんだよ」

「強引なんだね」

 美玲は反論する悠人の言葉を聞き流し、アレスターの上、垂直尾翼を見た。

「ねーねー、あのマークは何?」

「ん? あればオジロワシを模した三〇二飛行隊のエンブレムだよ。以前はここ百里に三〇二飛行隊があったんだ」

「何でオジロワシなんだろう?」

「確か、元々三〇二飛行隊は北海道の千歳基地で編成されたんだ。北海道にはオジロワシがいたからな。それでこのマークにしたんだろ?」

 美玲はもう一つの緑色のファントムの尾翼を見た。

「ねーねー。こっちの緑のファントムはマークが違うよ」

「こっちのは五〇一飛行隊のRF-4Eだよ。部隊が違う」

「色も違うよね」

「五〇一飛行隊は偵察部隊だ。超低空で非武装で敵地に入り込む。だから空から見た時に地上と見分けがつかないように、緑や茶色系の迷彩を塗装するんだよ」

「へえー。何かよく分かんないけど色々あるんだね」

「いやいやいや。その前に『何で航空自衛隊の飛行機にアレスターがついとんじゃい!』って突っ込まんかい!」

「?」

 日本では航空母艦を持っていない。だから基本的には着艦装置であるアレスターは必要ないのだ。

「まあ、そもそもF-4がアメリカ製だからそこを突っ込んでも仕方ないんだけどな」

 悠人はプンプンしながらブツブツ呟いた。

「おーい。空研の諸君。そろそろスカイマーキング福岡便が出発するぞ。見たい人は展望デッキへ移動だよー」

 空研の部長が大きな声で教えてくれた。みんなゾロゾロと空港施設の方へ歩き出した。美玲もそれに合わせて移動し始めた。悠人に向き直り声をかける。

「翼君も行こう」

「何で意識レベル変わるまでプンプンするかねー。悠人の奴はまだ感情のコントロールが甘いみたいだな」

 美玲は悠人のその言葉を聞いてまさかと思った。

「え? もしかして?」

「よ! 久しぶり。まあ俺は悠人の目を通して見てたけどな」

 間違いない。それは正樹だった。美玲は慌てた。

「ちょ、ちょっと。みんなの前で出てきたらまずいよ」

「えー? 今までも何度か大学で出てみたけど問題なかったぜ?」

「問題あるの! みんなに知れたら翼君が変な目で見られちゃうでしょ!」

「美玲は変な目で見てんのかよ」

「私はそんな目で見てないよ」

「なら良いじゃん」

「そ、そう? いやいや。ダメダメ。いい、みんなの前では翼君のフリするのよ」

「へいへい」

 それが既に悠人じゃないと美玲は思った。

「さ、急ごうぜ。みんな行っちまったよ」

 二人は小走りにみんなの後を追った。

 展望デッキに出るとB737のエンジン音がけたたましく鳴っていた。

「今日はどのランウェイから出るのかな?」

 茨城空港のランウェイ、つまり滑走路は〇三と二一だ。これは南北にまっすぐに引いた線と比べて、北側の滑走路端が三十度東に傾いていることを示す。

「この風だ。ランウェイ二一に向かうだろう」

 部員達はそんな話をしていた。すると大きなディーゼルエンジンの音が響いた。程なくしてB737がゆっくりバックした。部員達は更に興奮して言った。

「やはりこの位置にいるって事はプッシュバックか」

 飛行機は離陸するために滑走路へ向かうのだが、搭乗ゲートから滑走路へ向かうのにはいくつか方法がある。茨城空港では通常自走して滑走路へ向かう。つまり飛行機が自分の動力だけを使って滑走路へ向かうのだ。この場合飛行機は前に進む。

 しかし今回は違った。前ではなく後ろに進み出したのだ。飛行機は車のようなギアが付いてるわけではないので、基本的に自力でバックはしない。狭い場所での移動やバックしたい場合は他の大型車に牽引してもらうのだ。この時使われる大型車をトーイングカーと呼ぶ。トーイングカーで押されてバックする事をプッシュバックと言うのだった。

 飛行機がバックするにつれ少しずつ右へ曲がっていった。と同時にトーイングカーが見えてきた。飛行機が完全に横向きになると一旦動きが止まった。

 地上整備員が飛行機のタイヤのあたりで何か作業している。程なくして再びトーイングカーが動いた。どうやらトーイングカーと飛行機の分離をしていたようで、飛行機は横向きのままにトーイングカーだけが空港施設の方に戻ってきた。

「くぅー! 今日を選んで良かったなぁ。茨城空港でプッシュバックが見られるなんてな!」

 飛行機は再びエンジンの回転を上げた。そしてゆっくりと滑走路の誘導路を進んで行った。部員達はそれを目で追った。

 暫く進むと空港に隣接するように生えている林が遮り飛行機は見えなくなった。音は少しずつ遠ざかって行く。

「そろそろ飛び立つぞ」

 先輩部員が言う。正樹は退屈しきって美玲に小声で言った。

「何が楽しいんだよ。なあ美玲。こんなとこじゃなく空港内を散歩しようぜ」

「行きたかったら一人でどうぞ」

 その時遠くでエンジン音が一層高くなった。飛行機が離陸滑走に入るのだ。

「来るぞ」

 視界を遮っていた林の影から不意に飛行機が現れた。ゆっくりと機首が持ち上がっていき、ふわっと機体が宙に浮いた。部員達は一斉にシャッターを切った。

 飛行機は轟音を残してすぐに見えなくなった。

「次の便は一時間後だな」

「これでスクランブルでもあればイーグルが見れるんだがなぁ」

「おいおい。スクランブルは危険な任務だぞ。そんな事を望むんじゃない」

 航空自衛隊は日本の空を守っている。二十四時間三百六十五日日本の空を監視し危険な航空機が近付かないようにしている。万が一危険な航空機が近づいた場合、自衛隊の航空機が緊急出動する。これをスクランブル発進、または単にスクランブルと言う。現在スクランブルに用いられている自衛隊機はF-15J。通称イーグルと呼ばれている。

「次の十一時の便を見たら昼ごはんを食べて解散しよう。それまで自由行動だ」

 正樹はそれを聞いて美玲を散歩に誘った。

「美玲、行こうぜ」

「私はF-15のランディングが見れるかも知れないからここにいるの」

 正樹が次の言葉を言おうとした時ヨーコが割って入ってきた。

「ねえ、お二人さん。あなた達付き合ってるの?」

 正樹は即答した。

「はい」

 美玲は直ちに正樹の頭を叩いた。

「付き合ってません!」

「付き合ってません」

「ねえ、翼君。それなら私にファントムの事教えてよ。一緒に行きましょう」

 ヨーコは正樹の手を取って引っ張った。美玲は正樹を一人にしては危ないと思った。

「じゃあ私も行きます!」

「え? ランニング見るんじゃないの?」

「ランディングよ、ランディング! 着陸の事よ。でもあなたを野放しにする方が危ないわ。さ、早く行きましょう」

 美玲はヨーコの手を引っ張った。ヨーコは引きずられるまま正樹の手を引っ張った。

 三人は再びファントムの前にやってきた。

「翼君は自衛隊の飛行機にも詳しいんでしょ?」

「悠人の奴は詳しいけど俺は……」

 美玲は間髪入れず正樹の頭をしばく。

「翼君詳しかったじゃない、ほほほ」

 ヨーコはなんか変だと思いつつ会話を続けた。

「ねえファントムって何かうんちくないの?」

「うーん、うーん」

 正樹は考え込んでしまった。飛行機に詳しくないのだ。美玲は慌てて言った。

「ア、アレスターよね」

「ん? うん、そうそう。アレスターだそうです」

「あれすたぁ? 何それ?」

「ほら、尾翼の下に付いてる棒ですよ」

「棒ですよ、先輩」

 ヨーコは何か変だと思っていた。

「もう。タックネームで呼んでね」

「タックネーム……?」

「まさか忘れたの?」

 美玲は慌てて割って入った。

「忘れるわけないですよ。ね、ヨーコ先輩!」

「はい。ヨーコ先輩」

 正樹は満面の笑みを向けた。しかし美玲はこのままではまずいと思った。

「え? なになに? 翼君飲み物飲みたいの?」

「え? いらないよ?」

 美玲は構わずに正樹の手を取り引っ張った。

「ヨーコ先輩、ちょっと飲み物買ってきますね」

「え? うん。いってらっしゃい……」

 二人は空港内の自販機で缶ジュースを買った。

「何だよ無理矢理引っ張ってきて。もしかして俺と二人っきりになりたかったとか?」

「違うわよ! あなたが余りにも自分を隠さないからでしょ!」

「仕方ないじゃんか。飛行機の事分からないし」

「大体何でこんなタイミングで出てくるのよ」

 正樹はバツが悪そうに答えた。

「気に入らないんだよ」

「何が?」

「お前と悠人の奴が仲良くしてるのがだよ」

「え?」

 美玲は一瞬ドキッとした。

「俺はお前の事が好きなんだよ。だから悠人とは言えお前が他の男と仲良くしてるのは気に入らない」

 美玲はまっすぐに気持ちをぶつけてくる正樹の言葉に戸惑った。しかし言った。

「あ、あなたが出てくると混乱するの。これ以上混乱させないで」

「俺よりも悠人の方がいいのかよ」

 美玲は一瞬言葉に詰まった。そして弱々しく答えた。

「わ、私は翼君の方がいい……」

「……分かったよ」

 そう言うと正樹の体から一瞬力が抜けた。またすぐに元に戻ると言った。

「あれ? mii。僕はこんな所で何してるんだ? 早くデッキに行かないと」

 どうやら正樹は去ったようだ。いつも強引な正樹が自分から帰ったことに驚きつつも美玲は悠人に説明した。

「もう飛行機行っちゃったよ。何か珍しい動き方したんだってさ」

「えー! また記憶がないよ。見逃したー」

 美玲は何故正樹が去って行ったのか気になった。正樹は怒ってしまったのだろうか。




 正樹は何故か美玲の前から立ち去った。それは良かったことなのだろうか。それとも正樹を怒らせてしまったのだろうか。
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