ドライブへ行った翌日の夜。美玲のスマホにNicoFaceの個別メッセージが入った。それは悠人からだった。
"ちょっと話したい事があるんだが、明日時間あるか?"
"うん。講義が終わってからなら空いてるよ"
美玲は悠人に話があると言われて唐突に不安になった。一体何の話なのだろう。
翌日、二人は西千葉駅の前にある喫茶店で待ち合わせした。飲み物を注文して暫く悠人は無言だった。注文したコーヒーが運ばれてくる。
美玲が痺れを切らして口を開こうとした時、悠人が話し始めた。
「僕は時々記憶が無くなると話したよね」
美玲は頷いた。
「この前のドライブの時もそれがあったらしい」
美玲はあの時の事だとすぐに分かった。
「もしかしてmii。その事について何か知ってるんじゃないのか?」
美玲はドキッとした。何故悠人がその事を知っているのか不思議に思った。
「何でそう思うの?」
「これだよ」
悠人はあの時の正樹と美玲が交わしたNicoFaceの個別メッセージの履歴を美玲に見せた。
「このメッセージには全く覚えがないんだ。それにこれを読むと僕が書いたと言うよりは誰か別の人が書いてる」
美玲はどうしたらいいのか分からなくなってきた。
「そしてmii。君もその第三者を知ってるように返事をしてるね。この時何があったんだ?」
悠人は困惑の様子を隠せなかった。正樹からは口止めされているのだが、美玲は事実を話すしかないと決心した。
「落ち着いて聞いて。翼君。あなたの中にはもう一人別人格がいるのよ」
いきなり突拍子もない事を言われて悠人は少し不機嫌になった。
「からかってるのか? そんな小説みたいな事あるはず……」
「ううん。これは真実よ。あなたは二重人格者なのよ」
いきなりの強烈な告白に悠人は混乱した。その事実を受け入れられない、いや受け入れたくはなかった。
「な、何故そう言えるんだ」
「私は何度かあなたの別人格と話をしてるし、入れ替わるところも見てきたの」
悠人は信じる事が出来なかった。美玲はそんな悠人の気持ちを察して言った。
「あなたを責めてるんじゃないの。ただそれが事実なのよ。翼君。一度病院へ行ってみよう?」
悠人は考え込んだ。それが事実だとどうしても受け入れられない。まして病院になど行こうものなら周りから好奇の目で見られてしまう。
「ぼ、僕はどうしたら……」
「病院に行ってちゃんと診てもらいましょう?」
「嫌だ。病院には行きたくない」
自分は正常な人間である。決してそんな精神の病いなどではないと頑なに信じた。いや、信じたかった。
美玲はそんな悠人の深い感情までは推し量れなかった。美玲は正樹と出会った時から今までの事を悠人に話す事にした。
悠人は黙って美玲の話を聞いていた。一通り話し終えると悠人は聞いた。
「その正樹って奴は、僕の事を分かってるのか?」
「うん。翼君の事は何でも知ってる。なんなら今もこの会話を聞いてると思うよ」
「何故僕自身の前には現れないんだろう?」
それは美玲には分からなかった。美玲は深く考えて言った。
「正樹君は翼君に二重人格者である事を気付かれたくないんだと思う」
美玲と話している間に悠人は少しずつ現実を受け入れてきた。
「僕はどうしたら良いんだろう」
「病院へ行くのが一番だと思うけど、翼君が嫌なら私図書館で調べてみる」
「いや、調べるなら自分で調べるよ。ただ、今は突然の事過ぎてどうしたら良いのか分からないんだ」
思えば美玲が初めて正樹と会った時も、美玲は混乱してどうしたらいいか分からなかった。
「今日の所は家に帰るよ。ちょっと一人で考えたい」
「うん。でも何でも相談してね。力になりたいから」
「ああ。ありがとう」
二人は店を出て西千葉駅に向かった。
その日の夜、美玲は悠人にメッセージを送ろうと思ったのだが、なんて言っていいのか分からなかった。
*
それから数日間、悠人は空研には現れなかった。美玲は悠人が一人苦しんでると思うとやるせなかった。
空研の帰り正門に向かってトボトボ歩いていると隆が声をかけてきた。
「よ、松岡。元気か?」
「隆君。元気だよ。こんな時間に学内にいるなんて珍しくない?」
「今日はバイトないから友達とだべってたんだよ」
隆はいつも元気そうでいいなぁと思った。
「なあ、それよりも悠人の奴どうかしたのか?」
「何で?」
「何でって、ドライブに行って以来なんか元気なくないか? 話しかけてもどこか上の空でさ」
美玲は病気の事を悩んでいるせいだとすぐに分かったが、内緒にしておいた。
「松岡の方からさ、それとなく話聞いといてよ」
「え? 私が?」
「だって仲いいだろ? それとなく聞いてみてくれよ」
「機会があったら聞いてみるけど分かんないよ」
「サンキュー」
隆は軽く手を振って行ってしまった。美玲は事情を知っているだけに、どうやって誤魔化したらいいのか考えていた。
その夜、美玲は課題を進めると一息ついた。悠人に個別メッセージを送ってみる事にした。
"翼君調子はどう? 隆君や空研のみんなも心配してるよ"
返事はすぐに来なかった。
"私なりに二重人格の事調べてみたよ"
二重人格。正式には乖離性同一性障害と言う。治療法はまだ確立されてはおらず、障害を引き起こす事になった原因を取り除く事、自分の中に副人格がいる事を認める事が良いようだった。悠人の場合、幼い頃に受けた虐待の事実を思い出して受け入れ、正樹の存在も認めなければならない。
"こんばんは。僕も二重人格の事は調べてみたよ。カウンセリングを受けるのがやはり良いらしいな"
"治療は人それぞれケースバイケースみたいだけど、辛いものになるみたい"
"僕は病院には行きたくない。この障害を認めたくない。自分がダメ人間になるようだしみんなに知られたら恥ずかしいし"
"ダメ人間じゃないよ。それに私が誰にも言わなければ誰にも分からない事だよ。カウンセリングは秘匿性が守られているよ"
美玲は悠人の気持ちを理解しようと必死に考えた。悠人も考え込んでいるようで、既読にはなっても返事が遅れた。
"やはりカウンセリングを受けるべきなんだろうか"
美玲は迂闊には返事が出来ないと思った。しかし障害をなくすにはカウンセリングを受けるしかないのは目に見えていた。
"簡単には返事出来ないけど、多分カウンセリングを受ける道しかないんだと思う"
メッセージはやはり既読になったのだが、その日悠人は返信して来なかった。美玲は複雑な思いで眠りについた。
*
六月も終わろうとしていたある日。悠人から美玲に個別メッセージが入った。
"昨日病院のメンタルヘルス科に予約を入れたよ。ちゃんと調べてもらおうと思って"
美玲は安心半分不安半分だった。しかしここで不安な事を言うのは決心をした悠人を再び不安にするだけだと考えた。
"良かった。どんな結果が待ってるか分からないけど、私がサポート出来る事があったら何でも言ってね"
その日以降、悠人は吹っ切れたのか精神的にも元気が出てきたようだった。
そんなある日、美玲が空研の部室に入るとヨーコが呼んだ。
「ヨーコ先輩お疲れ様です」
「お疲れー。最近翼君元気が戻ってきたみたいね」
「はい。空研にも戻ってきましたしね」
「そんな訳で、また焼肉行かない?」
美玲はどんな訳なんだろうと思った。
「前に行ったモーモー横丁良かったですね」
「そうでしょう……」
「……」
沈黙が走る。
「何してるの?」
「はい?」
「そうと決まったら翼君に連絡!」
「は、はい」
美玲は慌ててスマホを取り出して悠人に個別メッセージを送った。返事はすぐに返って来なかった。多分部室に来て直接返事をするのだろうと思った。
しかし程なくして悠人から返事が来た。
"この前のメンバーでいいんだよな? 隆も誘っておいた"
美玲はヨーコにそのまま伝えた。
「え? 隆君も誘ったの? うーん、予定とは違うけど、ま、いいか」
今回もモーモー横丁へ行こうとなり、当日は時間を決めて現地集合と言う事になった。
そして焼肉当日。各々自由にお店にやってきた。例によってヨーコだけお酒を注文した。
「このメンバーはドライブ以来ね」
「今回も呼んでもらってあざーす」
「うん、君は予定外だったんだけどね」
「なんでー」
暫く雑談が続いた。ヨーコはやけにハイペースで飲んでいるように思えた。
「先輩。今日はハイペースじゃないですか?」
「実はねー。私来月から就職活動を始めます!」
既にいい感じに酔っているヨーコはそう言いながら敬礼した。隆はそれにならって敬礼した。
「頑張ってください!」
「暫く飲み会なんて出来ないから今日は飲みだめしてるって訳」
そこでお酒を一口飲んだ。
「でねー。今日はみんなに報告があります」
再び敬礼した。
「これを機に翼君の事はキッパリ諦めます」
「え? ヨーコ先輩、悠人の事本気だったんですか?」
「本気だったのよ〜。でも翼君何故かそっち方面塩対応だから私のやり方も通用しなかったのよ〜」
そしてゴクゴクとお酒を流し込む。
「プハー! すいませーん! シークァーサーサワーもう一杯!」
ヨーコは店員に向かって叫んだ。
「翼君の気持ち、読めないんだよね〜」
そう言って悠人の目を覗き込んだ。隆も悠人の目を覗き込んだ。美玲もそれを見て慌てて悠人の目を覗き込んだ。
「な、何ですか?」
「あ! 先輩ダメっすよ。悠人は松岡の事が好きなんだから」
「えー、そうなのぉ?」
「何根も葉もない事言ってんだよ」
「お前ら付き合ってるんじゃないの? キスぐらいしてるんだろ?」
美玲は驚いた。悠人も咄嗟に否定した。
「してないよ」
「してません」
隆は驚いて言った。
「付き合ってもう長いのにキスもしてないのかよ」
「付き合ってないし」
そこにシークァーサーサワーが運ばれてきた。
「まあまあ。お二人さんが付き合っていようがいまいが、私の恋が終わった事に違いないの。今夜は飲むわよ〜」
そう言うとまたお酒をゴクゴクと飲み始めた。
*
「それじゃ俺は先に帰るな」
酔い潰れて意識がなくなり悠人に担がれているヨーコ。隆は一足先に帰ることになった。改札に入り手を振って帰って行った。
「取り敢えずベンチにでも座ろう。コンビニの前にあったろう?」
三人は駅の反対側に行きコンビニ前に設置してあるベンチに腰掛けた。体に力の入ってないヨーコの体を支えるのも大変なので、悠人は仕方なくヨーコを膝枕した。
「ここで少し回復を試みよう」
「そうだね。ヨーコ先輩寝てるしね」
目の前には京成団地行きのバスのバス停があり、長い行列が出来ていた。まだ八時頃でも家に帰る人がたくさんいるなと、悠人はぼんやり考えていた。
不意に美玲が言った。
「私達ってどんな仲なんだろうね」
「え?」
「あ、ごめん。さっき隆君がキスとか言ってたの気にしちゃって」
「ああ、あれか……」
暫くの沈黙。
「俺は別に気にしないよ」
「え? 何が?」
「だからキ、キスとか」
美玲は頬が瞬間的に熱くなるのを感じた。
「私とキスしてもいいの?」
「えっと、だから、その……」
京成団地行きのバスが到着して、行列の人々がゾロゾロと乗り込んで行った。
美玲は悠人の目を見上げた。悠人はそれに気付き美玲の目を見つめ返した。少しの間二人は見つめ合った。
悠人は右手で美玲の左肩を掴み体の向きを自分の方に向かせた。そしてゆっくりと顔を近付けていった。
美玲は心臓がドキドキして飛び出しそうだった。恋人いない歴イコール年齢の美玲にとって、キスの経験もあるはずが無かった。
美玲はそっと目を閉じた。悠人の唇が美玲の唇に近付く。
その時、タイミングを見計らったようにヨーコが口を開いた。
「う! 気持ち悪い!」
二人の動きがピタッと止まった。美玲は咄嗟に目を開いた。目の前に悠人の顔があった。
二人はどちらからともなく笑い出した。
「ふふふ」
「あはは」
「ヨーコ先輩起きたのかな?」
ヨーコは膝枕で眠ったまま答えた。
「うー。気分最悪よぉ」
「ヨーコ先輩、何か冷たいものでも飲みますか?」
「うん、何か飲むぅ〜」
悠人は美玲に後ろのコンビニから何か買ってきてくれるよう頼んだ。美玲はすぐに立ち上がりコンビニに入っていった。
悠人は取り敢えずヨーコが回復してくれて安心した。でも帰りはタクシーだろうなぁと考えていた。
バス乗り場にはたくさん人が並んでいるが、タクシー乗り場には誰も並んでおらず、タクシープールにはたくさんタクシーが溜まっていた。
*
悠人のカウンセリングを中心とした治療は、とても効果が現れていた。治療が始まって二週間程しか経っていないのに、悠人の記憶障害が少なくなってきているようなのだ。記憶が無くなることが少なくなってきていると言う事はつまり正樹が出てくる事がなくなってきていると言うことに他ならない。
しかしそれは勿論悠人の努力なしにはなし得ない結果だった。悠人は幼い時に受けた虐待について、その状況やその時の気持ちなどを事細かにノートに書き出していた。思い出したくない記憶だ。
正樹は全く現れない訳ではなかった。悠人にその存在を知られた事で、逆に堂々と出てくるようになった。ある時は個別メッセージで美玲に連絡してきた。しかし美玲と悠人は、いい傾向だねと話していた。
美玲は思っていた。悠人は努力して辛い過去と向き合い障害と闘っている。頑張って障害を克服しようとしている。それに比べて自分はどうだろう。何も頑張っていない。何も出来ていない。
そんな自分の事を情けなく思い、頑張ってる悠人は素晴らしいと思うのだった。
正樹は時々現れているようだが、タイミングが合わないようで、美玲の前には姿を見せずにいた。
夏が過ぎそろそろ秋の気配が支配し始めた頃、正樹は悠人の寝不足状態の隙をついて学内で現れた。
正樹は空研の部室に入った。美玲は椅子に座ってスマホを弄っていた。
「よ、美玲。久しぶり」
美玲は名前で呼ばれた事に違和感を感じた。それに久しぶりとは?
「ま、まさか?」
正樹は微笑んでみせた。
「ここじゃなんだから、学食にでも行こうぜ」
二人は学食に入って向かい合わせに座った。
「やっぱり直接話が出来るのはいいな」
「何よそれ。遠恋のカップルじゃあるまいし」
「上手い事言うな。正に遠恋だ」
美玲は一瞥した。
「悠人の奴は俺を消すために頑張ってるな」
「そうよ。その為に辛い現実と向き合ってる」
「だが、俺も頑張ってる」
「何を頑張ってるのよ」
「お前の心を掴む事をだよ」
美玲はドキッとした。
「俺は消えるつもりはない。そしてお前の心を掴んで見せる」
美玲はどう答えて良いか悩んだ。正樹を突き放す事が出来なかった。
「悠人の奴の頑張りは認める。俺は消える気はないがね。そして俺はお前の心を掴む為に頑張っている。なあ美玲。お前は何を頑張ってる?」
正樹は炭酸の缶ジュースのプルタブを開けた。そして一口飲んだ。
「いて! え? 虫歯?」
「え?」
「いかん。今の痛みで悠人が……」
正樹の体から一瞬力が抜けた。そしてすぐ立ち直った。
「あれ? ここは」
「悠人君?」
「あ、mii。するとまた正樹が?」
「うん。話をしたよ」
「そっか」
悠人はそれ以上深く聞こうとしなかった。しかし美玲は説明した。
「正樹君言ってたよ。悠人君の頑張りは認めるけど俺は消えないって」
「挑戦的な奴だな」
「ただの強がりよ。その証拠に最近は余り出て来なくなってるよね」
「そうだな」
「所で翼君。虫歯は治さないとダメだぞ」
美玲は正樹が言った言葉に引っかかっていた。自分は何を頑張っているのだろう。
*
その日は美玲の午後の講義は休講になっていた。美玲は早目に空研に入った。自衛隊関係の航空機雑誌を掴むと隅々まで読み始めた。美玲は自衛隊機にはあまり明るくなく、悠人に教わってばかりなので独自に研究しようと思ったのだった。
「まずはブルーに関連する事からよね」
午後も遅くなってから悠人が空研の部室に入ってきた。美玲を見つけると近付いてきて小声で行った。
「ここじゃアレなんでちょっと出ないか?」
美玲はまさかと思った。
「え? もしかして正樹君?」
「え? 違うよ。僕だよ」
「なーんだ。脅かさないでよ」
「いいから行こうぜ」
二人は部室を出た。自販機で飲み物を買って中庭に来た。
「部室から連れ出してどうしたの?」
「ん? ああそれなんだが、春にさ、入間の基地際にブルーを観に行こうって話したの覚えてるか?」
あれは悠人と美玲が空研に入って最初の撮影会の日の夜の事だった。悠人は個別メッセージで美玲を入間基地にブルーを観に行こうと誘っていた。
「うん、覚えてるよ。もうすぐ入間基地祭だよね」
「一緒に行かないか?」
「うん」
悠人はホッと胸を撫で下ろした。
「ああ、良かった」
「なあに、それを言いたくて部室から連れ出したの?」
「ああ」
「部室でも良かったじゃない」
「部室でこんな話したら他の部員に聞かれるだろう。そしたら二人きりで行けな……」
悠人は段々声のボリュームを下げて話したので最後の方はゴニョゴニョ言っていた。
美玲はクスっと笑った。思わず悠人の腕に絡み付いた。
「二人で行こうね!」
その日の夜。美玲は自分の気持ちに向き合った。自分は何がしたいのか。
「私は翼君を支えたいんだ。そして一緒に闘いたいんだ」
その為にはどうしたら良いのか。どんな選択肢を選択すれば良いのか。美玲は夜遅くまで考えた。そして一つの答えにたどり着いた。
「善は急げだけど、こんな深夜に翼君に連絡は出来ないな。明日にしよう」
翌日、美玲は悠人を呼び出した。空研をサボって千葉駅近くの喫茶店オサオサに入った。
「ここのパンケーキ、写真映えするんだって」
「空研サボって?」
「うん。今日はお願いがあって。実は正樹君に会わせて欲しいのよ」
悠人は驚いた。美玲は障害を克服する事に賛成してくれているのではなかったのか。何で正樹に?
「一体どうして?」
「なんて言うか、しっかりと話を付けたいの。挑戦状とでもいうのかな、宣戦布告?」
宣戦布告というのは誇張した表現だった。美玲は正樹に挑戦状を叩きつけたい訳ではなかったのだが、悠人を安心させる為に大袈裟に言ってみたのだ。
「いまいち理解しきれない……それと、そのお願いは僕には叶えられない。どうやったら正樹を出せるか分からないからな」
美玲はそれを言われてその通りだと思った。
「自分の馬鹿さ加減に呆れるわ」
「いや、でもその気持ちは嬉しいよ」
*
正樹に会えないまま入間基地祭の前日になった。夜八時頃、悠人から連絡が入った。
"よう美玲。俺に会いたいらしいな"
それは正樹からだった。
"悠人の奴ご丁寧に部屋に張り紙してたよ。『正樹へ。miiが会いたがってる』てね。そんな事しなくても俺は悠人の目を通していつでも見てるからお前が会いたがってるのは分かってたのにな"
"そうだったのね。今から学校の正門前に来て"
"随分積極的だな。でも愛の告白って訳じゃなさそうだな"
"じゃ、待ってるから"
"おいおい。まだ行くとは言ってないぜ"
美玲は既読にすると返事は送らずに支度をして家を出た。
いつもの通学路を通って西千葉の駅に着いた。そこから歩いて数分で正門に着く。美玲はまるで戦いに赴くような心持ちだった。
正樹は美玲に数分遅れで現れた。
「来てくれてありがとう」
「美玲にしては強引だな」
「どうしても会いたくて呼んだのよ」
正樹は少し黙ってから言った。
「お前が俺と会いたいと思ったのは、別れを言う為なんだろ?」
「少し違うわ。私は翼君が好きなの。でも、正樹君。あなたはその翼君の一部であり、翼君を支えてくれていた存在。だからあなたの事は大事に思ってるわ」
「今の俺には、その言葉はただの慰めにしか聞こえないな。いや、いいんだ。初めから分かってたことさ。副人格の俺はそう言う運命なんだよな」
「勘違いしないで。あなたを含めた翼君全てを私は受け入れる事にしたのよ。あなたを含めて好きなのよ」
「ふふふ。そう言って貰えるのは嬉しいな。だが、美玲。お前が決心したんだから俺も決心する。いや、お前を信用して全てをお前に任せる事にする」
「どう言うこと?」
「今までは悠人には俺が必要だった。心が弱った時に逃げ込む場所だ。だが、これからはお前が悠人の逃げ場になってくれ。悠人を支えてやってくれ」
「何が言いたいのか分からないよ」
「俺はもう二度と悠人と入れ替わらない。俺自身を悠人の中から消すのさ」
「え?」
「それが本来の姿だろ? それを望んで治療を受けているんだろ? その方が幸せなのさ」
「そんな急に!」
「美玲。甘く考えるなよ。お前はまだ悠人に告った訳じゃない。悠人の心を掴んだわけじゃないんだ。しかし俺は消える。だから何があっても悠人の心を掴め。俺はお前を信じて消えるんだ。あとは任せたぞ」
「正樹君」
「俺は瞳を閉じる。次にこの瞳が開かれた時俺はもうこの世にはいない。しっかり掴むんだぞ、美玲。正樹が愛するものは悠人も愛している。自信を持って幸せになってくよな」
「待って! 正樹……」
その言葉を遮って正樹は瞳を閉じた。ほんの少しだが、長く感じる沈黙の後、瞳はゆっくりと開かれた。
「……正樹とは話ができたのか?」
それは悠人だった。美玲はじんわりと涙が滲んだ。
「うん。ちゃんと話をしたよ」
「そっか。また話したくなったら次はもっと簡単に会えるように考えてみるつもりだよ」
「うん、そうだね」
美玲は涙を拭いて改めて悠人に言った。
「なんのムードもないこんな場所で、いきなりこんな事言うの申し訳ないんだけど、私は翼君……ううん、悠人君の事が好きです。だから、悠人君の気持ちを教えて欲しい。あ、今じゃなくていいよ。明日ブルーの展示飛行観に行くんだもんね。気まずくなったら楽しめないもんね。返事はまた別の日にね」
美玲はそう言うと涙を拭きながら駅へと走り去った。悠人はその姿を見送ることしか出来なかった。
次の日、待ち合わせ場所には先に悠人が来ていた。二人は昨夜のことには一切触れなかった。
電車でショーが行われる入間基地へと向かった。車中二人はブルーの話で持ちきりだった。
「ブルー独自の演目は、スタークロス、バーティカルキューピッド、サクラがある。全て第一区分だ。観れたらいいんだが」
「独自ってどう言う事?」
「ブルーの演目は海外、特にアメリカのアクロチームの演目を参考に考えられてるんだよ。しかし今言った三つはブルーが独自に考えたものなのさ」
入間基地へ着くと美玲はその人の多さに驚いた。
「展示飛行は午後イチの一時半だ。まだ少し時間があるな」
二人は基地内に地上展示してある自衛隊機を観て回った。一通り見て回った頃、時刻は一時半に近付いていた。二人はハンガー(格納庫)の壁を背にしてブルーを見ることにした。二人の期待と興奮は最高潮を迎えていた。
*
会場アナウンスが次の演目を案内した。
「次はバーティカルキューピッドです。大空に描かれるハートにご注目ください」
バーティカルキューピッド、もしくは単にキューピッドとも言われるこの演目は大空にハートを描くブルー独自の演目だ。五番機、六番機がハートを描き、四番機がそのハートを貫く矢を描く人気の演目だ。
五番機と六番機が並んで垂直に上昇を始めハートを描く準備に入る。
その時、悠人は独り言のように呟いた。
「バーティカルキューピッドは三機の飛行機が織りなす大きなハートだな。僕は二重人格。つまり、僕がいて正樹がいる。そしてmii。君がいる事でキューピッドが完成する」
五番機と六番機が二手に分かれた。と同時にスモークが焚かれハートが描かれ始める。
「僕もmiiが好きだ。共に手を取り合ってハートを完成させたい。パートナーになってくれないか?」
二手に分かれた二機は大きくそしてゆっくりと宙返りをして空には巨大なハートが描かれた。
美玲は悠人の方を見る事なくそのハートを見上げながら涙が溢れた。
「はい」
四番機が左下からハートの中心に向けて線を描いていく。
「ありがとう、美玲」
美玲は一瞬ハッとした。今の言葉は翼君? それとも?
「ご覧ください。ハートの真ん中に矢が描かれていきます」
悠人は空を見上げたまま美玲の肩を抱いてグッと引き寄せた。空には大きなハートとそのハートを射抜いた矢が描かれていた。
今まで読んで頂いてありがとうございます。美玲、悠人、正樹のお話はいかがだったでしょうか? 良かった点悪かった点など感想いただけると励みになります。よろしくお願いします。