転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
第13話 地の底で
――時計の針は大きく巻き戻り、コノエが神域へと向かう数十日前のこと。
暗い地の底。迷宮の奥の奥。瘴気が泥のように渦を巻く地獄の中に、一つの影があった。
[――――]
その影は、人や神から、邪神、と呼ばれている存在だ。
闇が人の形に凝縮したような影。ただ、黒い。地の底の暗闇にあって尚、際立つようなどこまでも深い漆黒。
人が想像するような醜悪な姿はしておらず、物語に書かれるような巨大な怪物でもない。
一つの影。人と同じ大きさの、真っ黒な闇の塊こそが邪神だった。
[――、――?]
邪神は、地の底で何かを呟く。人の声帯では出せぬ音。その声は物理的な現象を伴って波紋のように広がり、広い広い空間の中で反響した。
そう、そこは広い空間だった。地下とは思えないほどに大きく開けた空間。壁と壁の距離は数十キロか、果たして数百キロか。
――その広い空間の中には二つの巨大なモノが置かれている。
邪神はそのとき、二つのうちの一つの前に立ち、見上げていた。
――蠢き、叫ぶナニカ。
邪神はそれをただ見上げていた。
[――、――――――]
――邪神は、見上げたソレと暗闇の向こうに一つの影を見る。
己の大敵――忌まわしき輝き、銀色の影を見る。
銀。千年前の十七魔王に始まり、幾度となく邪神の前に立ちはだかってきた怨敵。数え切れぬほどに伸ばしてきた邪神の悪意を払いのけてきた。
銀がいなければ、とうの昔に邪神の人類絶滅は成っていただろう。
邪神の宿願を長きに渡り阻んできた大敵。それこそが銀だった。
[――。――]
邪神は、かの大敵の討滅無くして世界崩壊は決して成らぬと知っている。
故に、この千年、邪神は銀討滅の策を練り、殺そうとしてきた。銀を観察し、探り、試してきた。災厄や魔王を作り、挑ませた。
――その果てに作り出されたのが、邪神が見上げているモノだった。
蠢き叫ぶ異形。巨大な肉塊。その肉は数多の人型――いいや、無数の
異形は肉塊から無数に生えた頭で涙を流し、呻き、悲鳴を上げている。
現実を否定し、血を吐き、絶望を叫んでいる。
邪神が竜討滅後の百年をかけて作り出した、銀を殺すための魔物。
否定の竜をも殺した銀を落とし、戦うのではなく世界から消すための魔物。
気が遠くなるほどの手間をかけて調整を重ねてきた。
――これこそが、邪神の最高傑作だった。
[――。――、――――]
――そして、邪神は。その瞬間、決意した。完成した最高傑作を見上げて、決意した。
最高傑作を、今この時に起動する。そう決めた。
銀を殺し、人類絶滅のために動き出すのは、今より他はないと確信した。
[――――、――――]
その決意には、二つの理由があった。
一つ目の理由は、最高傑作を動かすためのエネルギーに目途がついたことだ。この異形は、組み上げられた強大な力故に、起動に外部からの魂の力を必要とする。異形を形作る幾千のデーモンでは到底賄いきれない力が必要だった。
……だが、先日、封印されていた不死の魔王が殺され、その魂の残骸が邪神の元へ落ちてきた。数えきれない程の人を殺して肥大化した魂の欠片。それと、この百年貯めてきた魔物の魂の欠片を使えば、十分起動に足ると邪神は判断した。
不死の魔王が殺されたこと自体は極めて痛いが、代わりにあと十年は必要と思っていたエネルギー問題が解決した。
そして二つ目の理由は……邪神にとっては業腹なことだが、この数十年、人類の発展が著しかったからだ。きっかけは、これもまた、銀が始めた異世界召喚だった。
――異世界召喚魔法。この世界ではない異界より人の魂を呼び寄せ、新たな技術を手に入れる魔法。
その魔法を使って、近頃の人類は技術を急速に発展させている。魔物の記憶から入手した情報によれば、食糧の増産に始まり――なによりも、邪神の目を引いたのは自動車という代物だった。
あの自動車は、一度に多くの物資を高速で運ぶことが出来る。保存が容易な燃料で動き、加護を持たぬ只人でも僅かな訓練で動かせるようになるらしい。しかも大量生産に向けて動き出しているという。
――それが、どのような結果を導き出すか。邪神は、考える。
仮に自動車が大量に作られ、それぞれの村に配備されれば。そのときは――迷宮氾濫に襲われた村の住民が、容易く魔物や瘴気から逃げ出せるようになるのではないだろうか、と。
大勢の人間を、ペダルとやらを踏むだけで高速で移動させることが出来る道具。今までは、手が回らないという理由で見捨てられ、魔物に食われていた村人が逃げ出せるようになる。そうなれば、魔物が人を殺す機会が大きく減ってしまうのではないか。
魔物は生まれた当初は弱い。人を殺し、喰い、魂の力を吸収し、その先に成長する。そういう形に邪神がデザインした。
そして迷宮氾濫とは、魔物が人を殺すために邪神が作り出したシステムだ。千年前魔物の国が全て滅んだ後、魔物が人を殺す機会が大きく減ったため、人を都市結界から炙り出すために作った。それが機能しなくなれば、その先には。
[――、――?]
また、自動車だけではない。異世界召喚が始まって、三十年。当初は大した影響はないかと思われたが、時が経つにつれて様々な物が変化している。邪神が知らない発展を急速に遂げている。その先には、いったい何が待ち受けているのか。
もちろん、考えすぎならばいい。しかし、安易に否定するには変化が大きすぎた。
邪神は、人を憎悪しているが、決して侮らない。その脅威を正しく判断しようとする。
――天秤が、動こうとしている。
それはもしかしたら、千年前と同じように。銀が始めた異世界召喚によって。
故に、邪神は決意した。動き出すのは、今この時より他はないと。
[――、――]
邪神は、歩き出す。歩いて、異形の上に昇っていく。
間もなく最上部に辿り着き、百年で貯め込んだ魂の力を注ぎこんでいく。
……そうして、邪神は、己の腕に手を伸ばし――。
[――、――!]
――ざくり、と。切り落とす。
落ちた腕から闇が溶け出し、異形の中に浸透していく。同時に異形が跳ねる。鼓動する。力が高まっていく。
――神の力が、異形に浸透していく。
その力は、邪神の持つ力の約一割。それは、もう二度と邪神には戻らない。
なぜそうしたか。邪神は決意したからだ。この最高傑作で必ず銀を殺し、人類を絶滅させると。
故に、邪神も身を削る。銀を殺すために。抵抗させずに落とすために。何処にいようが、どんな力で守っていようが、確実にこの世界から消すために。
[――、――]
邪神は、鼓動する異形に手を伸ばす。
邪神から黒い魔力が拡散し、異形を包み込む。その魔力は空間を揺るがせ、邪神と異形をどこかへ移動させようとする。
[――、――?]
邪神は考える。動き出す異形は、完全起動までに少し時間がかかりそうだ。
あと数十日は必要か、と考えて――ちょうどいい、と思う。
数十日後、人の世界で不死の魔王の討伐を祝う式典が行われるらしい。
それに合わせて、銀を落とす。祝福を絶望に反転させる。そうして銀を落としきれば――次は。
邪神は、転移する間際、広い空間に残ったもう一つの影を見る。
二つあった影の、もう一つ。数十メートルはある最高傑作と比べてもなお巨大な影。
――まるで、天を覆うかの如き影だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――そして、時計の針は現在に戻って来る。
コノエは教官の部屋で、呆然と目の前の少女を見ていた。
「……え? あなた……あなた様は、神様なんですか? 本当に? 嘘じゃなくて? 似た格好をしているだけじゃなくて?」
【うん】
「……あ、あわ、あわわわわわ……わ、私、なんて失礼なことを……!」
教官を幼くしたような顔の銀の少女は、隣に座る神様にあわあわとしている。座っていたソファから降りて、神様に跪こうとして……神様が、そんなことしなくていい、と止める。
銀の少女は、そんな訳にはと言いながら酷く困惑して、きょろきょろと首を巡らせる。するとコノエと目が合って、次にコノエのコートを見て動きを止めた。
「……え、お、お兄さん、アデプト様ですか!?」
「……………………」
――彼女は、コノエを、ごく普通の少女のような目で見る。
向けられた紫の瞳。知っているけれど知らないそれに、コノエは何も言葉を返せなくて、しかし隣に座るメルミナが少女に、そうよ、と頷いて返す。すると、少女はまたあわあわとした。
「…………」
そんな少女をコノエは見て、思い出していた。
ほんの数十分前、運命神から降りてきた予言を思い出していた。
死の予言。堕ちた銀の灯、銀片。
覆さなければ、必ず死ぬ予言。
コノエは、この二十五年、ずっと見てきた教官の姿を想う。
そして、目の前の少女を見て、つい先ほどの教官を――。
『――どうやら、君に頑張ってもらうしかないみたいだ。……頼んでもいいかな?』
――そう、コノエに笑っていた姿を、思い出す。
「――――あぁ」
――だから。
――コノエの両目に、金の輝きが灯る。
コノエの渇望で形を作り、テルネリカの想いを燃料に祝福が駆動を始める。
導きの権能。金の花弁が生み出され、彼方に向けて伸びていく。
「――」
コノエは、見る。理解する。
――制限時間は、七日。
それまでに取り戻さなければ、教官は二度と元には戻れない。