転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
「────教官」
研究棟の部屋の扉が開き、フォニアが顔を出す。
その顔は無表情でありつつも、纏う雰囲気は硬くて、何かあったのだと教官は否応なく理解した。──部屋の結界を操作し、隠密性を上げる。
「何かあったのかな? フォニア」
「はい。……ん、いえ、どうでしょう。わかりません」
「……?」
「私では判断がつかなくて。こちらを」
煮え切らない感じのフォニアが、首を傾げる教官の前に一冊の冊子を置く。
紙束を紐で綴じただけの簡素なもので、紙質が劣化して変色しており、古いものだと一目で分かる冊子だった。
「これは、アーキノルカ城の資料室で発見された日本に関する資料です」
これを受け取りに行ったので、今朝は転移門に乗り遅れたんです、とフォニアは言う。
「発見者の研究員が、これが異常なのかどうかは分からないけれど、出来るだけ早く教官に見せたほうが良いのでは、と連絡をくれまして」
「……なるほど?」
教官は、冊子に指をかけ、開く。そうして一ページ二ページとめくった。
そこには……。
「……この世界と、
この世界と日本で、何がどう違うのかと比較して書かれていた。
文化や法律、技術に魔法。それに宗教に対する向き合い方や、この世界での神という存在について。その他にも色々と。
神への誓いを破ると加護を失うため、気安く誓ってはならない、など地球人がこの世界で生きるときに注意するべきことについても書かれていた。日本人である筆者が、この世界に来て学んだことだ、と。
「……ふむ?」
それに教官は……なんというか、召喚したばかりの異世界人に渡す教本みたいなことが書かれているな、と思う。特に注意点などは以前読んだ教本の記述に似ていた。
……つまり、転生者が書き記したのなら、別に不思議ではない内容であって。
「教官、件の発見した研究者が教官に見て欲しいと言ったのは、主に二点です。その一つが──冊子の
「……提出日?」
教官は最初のページに戻る。すると、確かに日付が小さく書かれていて──。
「──うん? 日付が……
教官は、眉を顰める。確かにそう書かれていた。神歴──地球で言う西暦のような──で、百十年前の数字が書かれている。
それは、もし転生者だとすればありえなかった。だって、異世界召喚が始まったのは
つまりこの冊子の記載者は、召喚された人間ではないことになる。……それなら、別の可能性としては。
「……迷い人かな?」
教官はそう思った。この世界には、時に異世界人が迷い込むことがある。たとえば、不死の魔王討伐に関わった「ぼく」のように。極めて珍しいが、百年に一人は見つかっているくらいの存在だった。
「はい、その可能性が高いかと。……ただ、それを踏まえた上で、もう一つ確認していただきたいことが。……こちらを」
フォニアの手が、冊子に伸びる。一度閉じて、最後のページを開いた。
そして、教官は──
「……え?
それは確かに、神国の研究棟の事務局だけが持つ印だった。正式な研究成果にだけ押される印。
教官がこれを見間違えることは無い。なにせ学舎の実務のトップとして、数百年間、この印が押された研究成果を日々受け取っているのだから。
つまり、どういうことかと言えば──この印が押された冊子は研究棟の正式な研究成果であり、記した者は研究棟の研究者だということだ。
……しかし、そうなると、新しい疑問が浮かび上がってくる。
「……これ、百十年前に研究棟で日本とこの世界の違いを研究していた迷い人がいたってこと? ……
「……やはり、そうですか。百十年前に神国に迷い人が居たとは聞いていないので、この冊子の発見者も奇妙に思ったようです」
教官は、口元に手を当て考える。百十年前に、神国に迷い人が? それも研究棟に?
……しかし、教官の記憶の中にはまったく心当たりが無かった。
そして、それはありえないことだ。市井ならともかく、学舎敷地内、研究棟に迷い人が居て教官の元に報告が上がってこないなどある訳がない。
あまりにありえなくて、冊子に押されている押印が偽物の可能性を考えるくらいだった。……ただ、学舎関係の書類や印の偽造は、人の命にも関わるため場合によっては斬首レベルの重罪だ。この冊子にそれだけのリスクを背負う価値があるのだろうか?
「…………」
どういうことだろうか。迷い人の記憶が無いのに加え、研究資料にも見覚えが無い。
教官は研究棟から上がってくる研究成果にはこの数百年全て目を通している。百十年前なら、間違いなく目を通しているはずなのに。
教官は、まじまじと資料を見る。少しでも覚えていないかと思った。
しかし、やっぱり記憶にはなくて──。
「────」
────本当に?
────本当に、ないのか?
そこで、教官の中に、違和感が生まれる。奇妙な違和感だった。
何かがおかしい。何かが変だ。何かを忘れている気がする。そういう違和感。
それが何かは分からない。分からないが……なぜか、教官の脳裏に
広い中庭。木が多く植えられていて、影が多い。
でも、
──そうだ。かつて自分は、そこにいる誰かを、見た、ような
……でも、その誰かの姿が、どうしても思い出せなくて。
「…………」
自分は、この冊子を書いた
同時に、教官は先ほどまで報告会が開かれていた日本語の消失についても思考を巡らせて。
……同じ日本。全ては、『誰か』に繋がっている気がした。
「…………でも」
そうして教官は、『誰か』について思考を巡らせつつ──。
──思う。
(……これは、まずいかもしれない)
教官は、この異常が発覚したタイミングについて懸念する。
何十年も見つかっていなかった事実が今この時に次々と明らかになっている。何かが起ころうとしている可能性があった。
だが……今はタイミング的には最悪だった。
なにせ──。
(──
五十日に一度の、運命神様の予知。神域で授けられる、死の運命の予言。
それが、前回の予言から、まだ四十日も経っていなかった。
つまり、あと十数日は邪神の策謀を予知できないということだ。
なので現状、何が起こるか分からない。地の底から帰還して以来、教官が陰で緊張状態を維持していたくらいには。おかげでずっと家にも帰れていなかった。本当ならコノエが引っ越してきたので、いいお酒の一本でも持っていって一緒に飲みたいのに。
(……とにかく、これは早く異常の原因を突き止める必要がある)
そのために、冊子を調べるべく、教官は魔道具で人を呼ぶ。調査系の力を持つ者を呼び出すように手配して──一瞬、コノエの金の権能が脳裏をよぎった。
(…………いや)
しかし、教官は、今回はコノエではなく、別の者を呼ぶことにした。それは、金の権能の条件が難しいからでもあるし、この状況で戦闘要員の力を削るべきではないと考えたからでもある。……もしくは、勘で、
教官は調査系の力の持ち主を手配し、やってくるまでの間、自分自身も目の前の冊子に向き直る。なにか思い出すことはないかと──。
──そのときだった。
『ぬっぬっ』
「…………」
部屋の前を、聞き覚えのある声が通り過ぎる。最近学舎の各所でよく聞く声だ。同時に台車のガラガラという音も。あの子本当に色んな所で働いてるな。
……教官は、何も言わず立ち上がり、扉へと向かって。
「マイコ、ちょっと付き合ってくれるかな?」
「ぬー!?」
廊下に出て、マイコを部屋の中へ引き入れる。何故かと言えば、これも勘だった。その方が良い気がしたから。教官は合理的判断が難しいときは自分の勘に従うと決めている。
教官は、フォニア、マイコと三人で部屋に入る。
目を白黒とさせるマイコにざっと現状を説明して。
……そういえば、百十年前って、
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──幕は、上がっていく
各所で波紋を生み出しつつ、
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──そして、コノエは。
【ここだよ。……ここに来たかったの】
神様と共に扉を見る。本棚の奥。隠された扉。
扉の前に立つ神様は──どこか儚い笑顔を浮かべていて。
神様が扉に手をかける。ドアノブを神様が捻って、ゆっくりと開いていく。酷く重い扉を開けるように。
コノエは知らず、息を飲む。中には一体何があるのか。……少なくとも、神様にとって重要な何かがあるのは間違いなかった。
コノエの目に、ゆっくり、ゆっくりと中の様子が見えてくる。
中にあるのは…………うん?
【……ここはね、私の、たいせ────あ゛っ】
──バタン、と扉が閉まる。閉まった。大きな音を立てて。神様が閉めた。聞いたことないような
凄まじい速度で。ついさっき扉をゆっくりと開いていたのが嘘のように。
「………………」
【………………えへへ】
扉が閉まって。数秒間の沈黙の後に、神様が誤魔化すように笑う雰囲気が伝わってくる。さっきまでの儚い感じは霧散していた。
あまりの雰囲気の変化にコノエは少し困惑しつつ。
神様はちらりちらりとコノエを見る。まるで、【見た?】とでも言いたげな顔で。
コノエはそれに……多分あれのことだよなと、つい先ほど見た物を思い出す。
「…………」
少しだけ見えた部屋の壁。そこには……コノエと教官と神様が映った写真が隙間が無いくらいみっちり貼られていた。
これで第一章は終わりです。このまま金曜から二章を始める予定なので、よろしくお願いします。
また、今回もXでアンケートをしますのでよろしくおねがいします。一人でも多く投票してもらえると作者が泣いて喜びます。
三巻の予約が始まったのでよろしくお願いします。
9/10です。応援してくれると嬉しい……。