転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
【ね、来たよ】
『……神様』
──三年が経っても、神様は、コノエの元を訪れた。笑顔の神様と、いつしか笑顔で迎えるようになったコノエ。
時間が過ぎても、コノエと神様のちょっとした関係は続いていた。
【お菓子作ったんだけど、食べる? 前に聞いたプリンを作ってみたよ】
『……頂きます』
コノエは異世界の話をして、神様は聞く。そんな時間。……たまに神様がお菓子を作って持ってくることがあって、そういうときには二人で話をしながら食べた。
穏やかな風が吹き抜ける、静かな中庭で。小さなお茶会のように二人は木陰に座り、共に過ごしていた。
……二人は、そんな時間を三年間繰り返してきた。人にとっては、とても長い時間を。神にとっても、短くはない時間を。
『……ええと、鉄道の種類については話しましたっけ』
【路面電車とか地下鉄とか新幹線とか、作ってる途中のリニアモーターカーは聞いたよ?】
『……モノレールは』
【それはまだ!】
……ただ、この頃には問題が一つ起き始めていた。
それは、段々とコノエの知識に限界が近づいてきたことだ。
話をするのは昼の短い時間だけとはいえ、コノエは元よりあまり知識が多い方ではなかった。一般人が持つ、ごく一般的な知識量と言えるだろう。
一つ一つ丁寧に思い出しながら、この世界と比較しつつ、神様に合いの手を入れてもらい話してきたが、三年もすれば流石にそれも尽きてくる。
また、時間の経過も厄介だった。人は忘れる生き物だ。一日一日、使わない知識は遠くなっていく。最初の頃は覚えていたはずの多くのことを、その頃には思い出せなくなった。
『………………』
【……コノエ? どうしたの?】
『……いえ、何でもありません。』
きっと近いうちに、知識は尽きることになる。
コノエは、それが少し、いや、とても残念で。
しかし、新しく地球の知識を手に入れることなんて出来るはずがなくて──。
◆
──だから、コノエはどうすればいいか考えた。
色々と考えて……その結果、研究室で新しいことを始めることにした。とても迂遠な試みだけれど、こうするのが良いだろうと思ったから。
切っ掛けがあったのは、研究室でも知識を書きだすのはとうに終わって、二つの世界の違いの調査の研究をしていたときだ。
世界間の差を色々と書き出している途中、コノエは思った。
『……やっぱりこの世界、迷い込んだ異世界人がハマりやすい落とし穴があるよな』
何のことかと言えば、代表的なのは神への誓いである。神に誓って私は何々をする、というヤツ。これが、とても危ない。
この世界において、神への誓いは絶対だ。破れば、神の加護が失われる。たとえ剥奪される加護が無くても、破れば周囲の人間には分かる。そういうものだ。必ず守れることしか、誓ってはならない。簡単にして良いことでは断じてない。
この世界の誓いとは神との契約なのだ。そこにはとても重い意味がある。……というか、翻訳の加護で誓いや誓約と訳されてはいるが、言葉の印象と実際の意味に差があるとコノエは前々から思っていた。
そして、その前提の上で問題になるのが──この誓いという行為は、ときに司法や治安維持の領域でも用いられることだ。
たとえば、コノエがこの世界に来たとき。衛兵さんに連行されたコノエは、嘘をつかないと神に誓わされた。そうして、身の上や噴水に入った理由などを問いただされた。
この時、コノエは全て正直に答えた。だから、問題はなかった。迷い人だと判明して、むしろ教官への渡りをつけてもらえた。しかし、仮に混乱して少しでも嘘をついていたら、どうなっていただろうか。
……調べれば最終的には迷い人だと分かったとは思うから、牢獄行きまではいかないと信じたいが。きっと、大変なことになっていただろう。コノエも後になって知ったときは冷や汗をかいたものだった。
この世界には、そういう、地球にはないけれど、知らないと大変なことになるものがある。
神への誓い以外にも幾つかあって……重要度はかなり下がるが、コノエが実際に引っかかりかけたのが、野菜だった。トマトに似ていて、でも生で食べると腹痛でのたうち回ることになる野菜。
コノエは、そんなあれこれをこの三年で知った。だから、思った。
『……迷い人向けに、地球とこの世界の違いをまとめた資料があった方が良いよな』
神への誓いや、例の野菜、他にも色々なルールなどについて纏めた資料。それがあるだけで、これから迷い込むことになる異世界人が少しは楽に順応できるかもしれないと思った。また、逆に受け入れる国や組織も、受け入れ態勢を作りやすいのではないかと。
……あと、まあ、ちょっとした打算もあるか。
【──今日は何の話をしてくれるの?】
『……ええと、今日は、太陽光発電の話を』
【うん? ……んー、それは前に聞いたよ】
『……そうでしたか? じゃあ、原子……いや、地熱発電の話は?』
【あ、それは聞いてない!】
……昼の時間、コノエは笑顔の神様に話をしつつ、色々と考える。
学舎の上層部に新しい研究方針の相談をすることにして──。
◆
──そうして、間もなく正式に認可され、コノエの資料作りは始まった。過去の迷い人が残した手記を調べたり、ときには街に下りて実地調査なども行った。
迷い人が来るのは神国だけではないので、他国にも出向くことにもした。痛む胃を押さえつけて、転移門を潜った。現地ルールを調べるためだ。
それまでの引きこもりを返上して、コノエは様々な所を歩いて回った。本当は出たくなかったけれど、目的があったから、コノエは頑張った。
いろんな国に出向いて、他の神様の分体に会って、調査の許可を得た。現地の絵本を調べたり、人と話もした。少しだけ、知り合いが増えた。魔王殺しの聖女様とか。噂通りのとんでもない美人だった。
……なお、途中、予想外に厄介だったのが度量衡だ。単位。この世界、国ごと──下手したら地域ごとに長さや重さ、体積などの単位がバラバラだったのである。あと時間の単位も。魔物のせいで陸路での交流が少ないからかもしれない。
教官に報告を上げたら、これのせいで技術交流があまり出来てないんだよね、とため息をつくくらいにはバラバラだった。統一しようにもこの世界の技術者の頂点は固有魔法使いが多くて長生きで頑固らしく、自分の単位を変えるくらいならと首を搔っ切ったりするので難しいそうだ。怖い。
まあ、とにかく、コノエはこういう単位の違いって結構厄介だよなと思い、メートル、グラム、リットルと、己の身長と水を元に各単位の雑な換算表も作り……。
◆
『…………ふう』
……そうやってコノエが各所を飛び回ること、しばらく。
ある日、久しぶりに学舎に戻ってきたコノエは、昼時にいつもの場所へ向かった。学舎と研究棟の間のベンチ。そこに座り、レンガ保存食を齧る。
『………………む』
すると、うつらうつらとし始める。
遠方から帰ってきたばかりだからだろうか。
軽く頭を振るも、溜まっていた疲れにどんどん瞼が重くなっていく。コノエはそのままベンチに背を預け、目を瞑り……。
◆
【……もう、風邪ひいちゃうよ? こんなところで寝ちゃダメ】
──ふと。コノエは夢と現の狭間で、そんな声を聴いた気がした。
返事をしようとすると、ふわふわしていて、よく分からなくて。意識と体がつながっていない気がした。
そんなあやふやの中で、神様の姿だけが見える。心配そうな顔をしている。それをコノエは、ぼんやりと見た。
そして、少し時間をおいて、すみません、と鈍い意識で返事をする。ちゃんと発音出来た自信はなかったが、神様には伝わったらしい。もう、と少し頬を膨らませる。
【謝って欲しいんじゃないの。心配してるの。色々飛び回ってるから疲れてるんだろうけど……最近、ちょっと頑張りすぎなんじゃない? 】
無理しちゃダメ! と言う神様に、コノエは遠い意識で、もう一度すみません、と返事をする。
すると、神様は、もう一度頬を膨らませて……。
……しかし、すぐに、眉を下げる。やっぱり、心配そうな顔。
【……ねえ、どうして、最近突然こんなに頑張るようになったの?】
神様の問い。コノエの行動が変わった理由を問いかけている。……でも、それを、コノエの理性は言いたくなかった。
だから、口を噤もうとして。
【ね、教えて?】
けれど、夢が近いからか、なんだか理性が遠くて。コノエは知らず、口を開く。そして、頑張って外に出るようになった理由を思い出す。
……それは、一つしかなかった。最近、あまり新しい話が出来なくなったからだ。
【……新しい話?】
そうだ。コノエは、神様に新しい話が出来なくなってきた。かつてのように、異世界の話が出来なくなってきた。知識は出し尽くして、記憶は遠くなったからだ。
今は、まだ一応話が出来ている。けれど、早晩何も話せなくなるだろう。新たな知識の補充も出来ない。神様を楽しませることが出来なくなる。コノエは、それがとても残念で……。
だから、コノエは一つ考えた。迷い人向けの資料を作ろうと思った。一番大変な最初の時期に助けになるような資料を作って──これから来る迷い人に、恩を売ろうと思った。
──恩を売って、一つ、頼みごとを聞いてもらうために。
コノエは、資料の最後に、神国、コノエが暮らした国の名前を書くつもりだった。
国の名前で恩を売って、良かったら訪れてほしいと書くつもりだった。
だって、そうしたら、いつか……。
【……いつか?】
いつか、自分よりも知識がある迷い人が来た時、この国に来てくれるかもしれないから。その迷い人が、神様に、コノエには出来なかった話をしてくれると思ったから。
……そうなったら、きっと、神様が喜んでくれると思ったからだ。
【────!】
迂遠で、成功するかも分からない。けれど、やってみようと思った。出来ることがしたかった。
コノエは、神様に喜んでほしかった。
コノエは、この三年で、そう思うようになった。思うように、なれた。
だから──。
【──そっか。あなたは──いい子だね】
──と、そこで、コノエの頭に、柔らかくて温かいものが触れる。
知らない感触。それが、ゆっくりとコノエの頭を撫でる。
【コノエ、あなたは本当に、本当に、いい子だね。嬉しいよ。本当に、嬉しい】
頭からの上から伝わってくる温もりが、なぜか、体の奥に届くような気がした。
太陽のような温もりが、コノエが知らない心の形が、伝わってくる。
【でもね、コノエ、あなたは一つ勘違いしているよ】
──いいんだよ、と。そんな言葉。
【コノエ、いいんだよ。新しい話なんて、出来なくてもいいの。一緒に話を出来れば、それだけでいいんだよ──】
疑えない温もりが、コノエを包みこむ。
ただそこにいるだけで許されているような。肯定されるような。そんな温もりがあった。
──だから、コノエの意識は、また遠くなっていく。
また夢の深い場所へと潜っていって……。
◆
『……!? ………………!!??』
【──あ、起きた? おはよう】
──それから、少しして。風に飛ばされた葉が顔に張り付いて、コノエは目を覚ます。
……そこで自分が神様に頭を撫でられていることに気付き、酷く慌てることになるのは、また別の話。
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