転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
────馬鹿な。
そのとき、邪神の欠片の心中にあったのは、ただただそんな言葉だった。
[────]
欠片は、見る。目の前で倒れ伏したまま顔を上げ、こちらを見る女を。
震える手で、赤いレンズをこちらに向ける女を。
もう一度、レンズから光線が放たれる。それは欠片の胸に、もう一つ穴を開ける。
しかし、そんなものはどうでもいい。闇で構成された欠片にとって、形が少し損なわれることなど、どうでもいいことだ。
光線がアデプトの力であろうとも、たった一度や二度では、邪神にまともな傷などつけられない。見ると、本来の使い手である赤いアデプトは欺瞞の外で突然消えたエルフの女を見つけられずにいる。つまり、赤いアデプトはエルフの女の周囲の状況がわからず力を出せないのだろう。
相手が邪神だということにすら気付けていない。そんな一撃で死ぬほど、邪神という存在は軽くない。世界を滅ぼさんとする邪なる神。人の世界を統べる最高神に匹敵する神格を持っているのだから。だが──。
[──!──―:──―!?!]
だが、欠片は驚愕していた。これ以上ないほどに。
それは、目の前の女の中に、見たからだ。
──憎悪の権能に晒されてなお輝く、金の想い。
黒い憎悪の泥の中で、それでも確かに輝き続ける金色を。
……なぜ?
ありえないはずだった。憎悪の権能は、耐えられるものではないはずだった。
この力を邪神は何度も使ってきた。聖人と言われた男にも。他の祝福の権能の使い手にも。
その全てが狂い、憎悪し、破滅した。これはそういう権能だ。どれほど些細な負の感情でも、殺意にまで増幅する、邪なる神の権能。世界を侵す、破滅の理。
だから、欠片は何が起きているのか分からなかった。憎悪の権能に勝てる者などいるはずがない。
邪神は、人の負の感情から生まれた神格である。遠き異世界で生まれた、人の悪意の結集体である。欠片は、故にこそ誰よりも知っている。
──人は、生まれながらにして、悪である。言葉にするまでもない、当然のこと。
すぐに恨み、すぐに怒り、すぐに妬む。隣人を憎悪し、貶め、蔑み、騙し、嘲笑う。それが人だ。そういう感情から、邪神は作られたのだから。
なにが愛だ。愛など下らない戯言でしかない。人の本質は悪意そのものなのだから。それが一番強いのだ。
なのに──目の前の女は。
[──/──―_──―?!]
ありえない。邪神は、目の前の光景を否定する。あってはならないはずだった。
思考の中の冷静な部分が、反転できないのなら、こんな訳が分からない女殺してしまえと言っていた。けれど、邪神の中の激情がそれを認められなかった。邪神という存在そのものが、目の前の金色を否定していた。だから、もう一度憎悪の権能を発動する。
女が、呻く。上げていた顔が下がり、ゴン、と床に落ちる。
女の中に黒い泥が溢れる。効いていない訳ではない。憎悪は女の中を埋め尽くしている。
……それなのに、女はもう一度顔を上げた。黒い泥の中に、確かに金があった。
[──?──―/──―?]
──ふざけるな。邪神は叫ぶ。目の前の女を否定する。認められない。認めてなるものか。
さらに憎悪の権能を使う。女が頭を下げ、嘔吐する。
……でも、また、女は顔を上げて。
涙と涎に塗れた顔で、邪神を見る。
見たことがない瞳だった。歪んだ表情で、でも瞳だけは輝いていた。
邪神の知らない目。どれほど憎悪を流し込んでも、真っすぐにこちらを見つめてくる。
なんなのだ、と睨む欠片に、女は口を開く。
そうして──。
──それでも、と女は言った。
「──それでも、私は、愛している」
[────────]
欠片は、思わず呆然とする。知らず一歩下がる。
理解できなかった。あまりにも理解不能すぎて、困惑して、欠片は思考が止まり――。
──そこに、レンズからもう一度光線が放たれた。
光線の赤い輝きに混じって、僅かに金色があった。
その金色に、欠片は意識の隙間を貫かれて。
[──:──!──]
──邪神の権能に、ほんの小さな、僅かな亀裂が走る。
我に返った邪神が慌てて修復しようとするも、既に欺瞞は刹那のような一瞬、薄れていた。
「──テルネリカ!」
外からの声と同時に、邪神の周囲に数えきれないほどの赤いレンズが出現する。欠片は抵抗しようとするも、すでに完全に包囲されていた。そのまま、無数の光線に貫かれていき。
[──!──―=──―!!]
そして、最後まで、これっぽっちも理解できないままに。
──邪神の欠片は、この世界から消滅した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「テルネリカ、大丈夫!?」
メルミナは、邪神の欠片の消滅を見届けた後、テルネリカに駆け寄り、抱き起こす。
守れなくてごめんなさい、と抱きしめながら治癒魔法をかけると、テルネリカは弱々しい顔で笑って。
「……大丈夫、です。それより、氾濫や災厄を」
「──! ……大丈夫よ。そっちも進んでるわ」
だからあなたは、自分のことを考えなさいとメルミナが言って──。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──そんな二人に、神様は。
顛末を見届け、大きく息を吐いた。
【……よかった】
加護を通して、テルネリカの状態を見つつ、良かったと安堵する。権能の影響はあるが、後遺症なく治る範囲だ。本当に良かった。
守護と生命の力を加護を通して送り込み、テルネリカの中の憎悪の権能を浄化していく。
神様が邪神の気配に気づいたときには、既にテルネリカは取り込まれていた。どうすることも出来なかった。神様の目でも、どこにいるのか、何をしているのか分からなかった。
【…………】
……神様は、唇を噛む。己の無力さに。
そうだ。ずっと、こうだった。何もできない。盾を作ることしか出来ない、戦えない神。戦いからあまりにも遠い存在であるため、戦闘中の補助も出来ない。
……神様は、加護を通して、遠くを見る。
コノエが戦っていた。天を覆う天蓋竜に怯むことなく、戦い続けていた。
神都の周辺では、アデプトたちが戦っていた。フォニアが熾天結界で領域を塗り替えながら複数の災厄を相手に剣を振るっていた。迷宮では、メルミナの無数のレンズが瘴気核を追っていた。
……しかし、神様は何もできない。
一番大変な時に、一番最初に逃がされて、見ていることしか出来ない。
【…………ごめんね】
だから、今回も神様は手を固く握りしめ……彼方で戦うコノエと皆の勝利を祈った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──そして、コノエと天蓋竜の戦闘は続いていた。
神都から離れた海の上で、金色の雷と黒い消滅が互いの存在を賭けて戦っていた。
無数に飛んでくる黒線を雷化で躱し、飛来する黒槍を槍で叩き落す。
広範囲での戦いが続き、世界は歪み果て、昼か夜かも分からなくなりつつあった。
「…………」
コノエは、戦いながら天蓋竜を観察する。
しばしの戦い。確認した天蓋竜の力。
戦闘が始まってからしばらく。状況は膠着していた。天蓋竜は、無数の黒線と盾で守りつつも、コノエを攻め続けている。コノエはただそれを回避し、観察し続けていた。
……コノエは、思う。天蓋竜の守りは堅い。飽和攻撃と盾で距離を取り、どのような攻撃が来ても対応できる状況を維持している。しかし、逃げ腰という訳でもなく、槍を使って全力で殺しに来てもいた。
敵が攻撃できない状況にし、自分だけが一方的に攻める。単純だが、持っている力の量を比べると、極めて合理的な戦いだった。天蓋竜とコノエには、それだけの魔力と魂の力の差がある。使っている力はあちらの方が圧倒的に多いが、このまま何も変わらなければ、先に力尽きるのはコノエだろう。
天蓋竜はまず間違いなく、その力の差を理解して、この状況を維持している。彼我の差を理解し、己の有利な状況に持ち込んで、確実に勝利するために動いている。
……だから、天蓋竜を打ち倒すには、こちらが力尽きる前に守りを突破しなければならない。
「……」
──コノエは、考える。黒線の規模、槍の速度、盾の大きさと数、海上という場所、彼我の距離……抗固有魔法に破られながらも、今も全身に隙間なく纏い続けている消滅の力。
そして、己の力の残量、残り時間、鍛え上げた武、教官から教わった雷化の力、今まで戦ってきた敵。その全てをコノエは考慮に入れて。
「────」
──コノエは、静かに天蓋竜を見据える。一つ、策があった。