転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
【────!】
──神様は、手を伸ばす。そして、糸に己の一部を載せた。加護に力を流すときと同じように。力を載せた影を生み出し、コノエへ送り出す。
神様の想いを載せた影が、糸を伝っていく。コノエに力を届けるために。
【…………!】
すると、影を通して、激痛が伝わってきた。当然だ。今神様がしていることは、本質から逸脱する行為。己の存在から、一歩足を踏み外す行為だ。
影は己自身に、拒絶されている。焼かれている。ばちりばちりと弾けていく。一瞬ごとに焼かれていく。
……それでも、神様は影に意識を載せて──。
◆
──影は、進んでいく。糸を伝っていく。痛みに耐えながら。前へ前へと向かう。
痛くて痛くて仕方なくて、内側から全部崩れそうな苦しみがあった。
でも、神様の影は走った。糸を伝い、走っていた。一刻も早くコノエの元へ向かうために。
【……コノエ】
コノエの顔を浮かべながら、全身がバラバラに砕けてしまいそうな痛みに耐える。
神様は思い出す。コノエとの記憶を。百五年前と今の記憶を。
百五年前、初めて中庭で会ったときの困ったような顔。異世界の話をしているときの、頑張っている顔。お菓子を持って行った時の、少し嬉しそうな顔。
頑張りすぎを注意したときの、少し残念そうな顔。新しい話が出来なくなったと、残念そうで、でも、その代わりにと、資料を作っていた。
神様に喜んで欲しいんです、と言った。静かに微笑んでいた。
……天蓋竜から守ってくれたときのことを思い出す。必死になって守ってくれた。最期の最期まで、自分を思っていたのが分かった。
悲しくて、どうしようもないくらいに痛くて。居なくなった後が苦しくて。でも、胸が締め付けられるような想いがずっと、ずっと、伝わって来ていた。
【…………】
二十五年前からの記憶を思い出す。召喚した後のコノエの顔を思い出す。
諦めそうになった時の、疲れた顔。お茶を飲んだ時の、ほっとした顔。アデプトになれたときの、嬉しそうな顔。どんどん成果が積み重なっていった時の、困惑した顔。
一緒に写真を撮ったときの、少し引きつった顔。苦手だというのは分かったけれど、お願いすると一緒に写ってくれた。困ったように不器用に笑う顔の写真が、一番好きだった。
……ほんの数十分前。一生懸命に、語り掛けてきてくれた姿を、神様は思い出す。沢山お礼を言ってくれて、沢山好きって言ってくれた。沢山沢山見てくれていた。本心から言っているのが、心に伝わって来た。そして──。
『──神様、僕は、あなたの胸の穴を、埋めたい』
──あんなことを、真剣な顔で、言った。お礼がしたいって。胸の穴を埋めてもらったから、今度はこっちの胸の穴を埋めたいって。
【………………】
神様の影は、沢山の顔と思い出を振り返りながら、走って行く。
存在が捻じ曲がる苦痛に耐えながら、それでもコノエを想う。
……いや、むしろ、だからこそ、なのかもしれない。神様の影の、
だって──。
【………コノエ、私、本当はね】
──本当は、神様はずっと、コノエに隠していた。言っていないことがあった。
いや、コノエだけじゃない。神様は、実はずっと周囲に隠していた。
それは、神様が、神だからだ。
人を導く存在。人に、立派な姿を見せなくてはならない存在。
情けない姿を見せてはならない。堂々としていなければならない。
母なる神として、誰よりも大人として振る舞わなければならない。
だから、取り繕っていた。本心があまり表に出ないようにしていた。そうやって神様は数千年生きてきた。でも、本当は──。
【──コノエ、私本当はね! すっごく嬉しかったの!】
──歪みと痛みの結果、隠していた本音が溢れてくる。
本当は。ずっとずっと、嬉しかった。
出会えたことが嬉しかった。沢山話をしたことが嬉しかった。自分のために資料作りを頑張ってくれたことも。それ以外の色んなことも、全部全部。
……そうだ。記憶を取り戻して、生き返ったのが分かったとき。本当は思いきり泣きたかった。よかったって、ずっと泣いていたかった。
表面は神らしく取り繕っていたけれど、本当は、それくらい嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、叫びたかった。翼に感情が出るとコノエが言っていたけれど、それは、本当は必死に我慢した結果だった。
生きててくれてありがとうって、沢山お礼を言って、ぎゅっと抱きしめて、子供のように泣いていたかった。
【嬉しかったよ! 本当に、本当に、嬉しかったよ!】
そして、胸の穴を埋めたいと言ってくれたときもだ。本当は胸がすごく高鳴っていた。びっくりするくらい、心臓がどきどきしていた。
……だって、胸の穴を埋めたいと、苦しみを理解して、傷を認めてくれたから。その上で、力になりたいと言ってくれたから。
──コノエは分かっていない。あの言葉が、どれくらい嬉しかったのか、きっと全く分かっていない。
ぎゅうっと胸の奥が締め付けられたんだ。息が出来なくなりそうなくらい、締め付けられた。胸が凄く高鳴って、耳の傍で心臓が鳴っているみたいだった。
顔が火照って。全身がむずむずとした。なんでもいいから大声を出したい気持ちだった。理解してもらえた気がした。なんなのもう。あんなこと気軽に言って。ばかって、怒りたいくらいだった。
……苦しみを隠していた。隠しながら、頑張って歩いていた。それが神としての役目だった。
けれど、本当は。胸の奥の奥では、理解してほしかった。許されないけど、慰めてほしかった。でも神だから、そんなこと絶対ダメで。ダメだったのに。
……でも、そうだ。ダメだから。それでも、神様は頑張って、コノエを諫めた。
──あのねコノエ、って。お返しなんて必要ないんだよって。
胸の穴とか、気にしなくていいんだよってコノエに言った。神として当然なんだからって。
がんばって表情を取り繕って、神様らしい顔で言った。
そうしたら──。
『……僕は必要だから神様にお返しがしたいわけじゃないんです。僕が、神様に返したいから、泣いてほしくないから、笑っていて欲しいから、返すんです』
……本当に、なんてことを言うんだろうと思った。
……あんなこと言われたら、ダメなのに──。
【────もう! もう!!】
だから、目と胸の奥が熱くて熱くて仕方がなくなりながら、神様の影は走る。糸を伝って、コノエの元へ。戦っているコノエの元へ。命を懸けて、天蓋竜と戦っている場所へ。
痛みと、神格の歪みと。神としての在り方と、後悔と。嬉しさと胸の苦しみと。その全部で思考がぐちゃぐちゃになりそうで。
感情が胸の奥で苦しくて、目から雫が溢れてきて、色んな事が駄目で、胸の感情にはまだ答えを出しちゃいけなくて。それでも、神様は──。
【──コノエ! 死んじゃやだ! 絶対やだ! 帰って来て!】
──生きていてほしいから、大切だから、必死に、懸命に、糸の先へと走る。そうして。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「────え?」
──コノエは、自らが突然、何かに接続されたのを感じた。大きな気配。知らない──いいや、知っている。一度だけ、覚えがあった。これは、かつて、シルメニアの街で。
死病に苦しむ街の住人を、治療したときの──。
【──コノエ、頑張って! 負けないで!】
──コノエの中に、声と共に力が流れ込んでくる。莫大な力。神の力が流れ込んで来て、コノエの中で魔力と魂の力に変換される。後ろには影がいた。神様の影。頑張れ、と言っていた。
力が巡り、コノエの中を満たす。供給された力が僅かに溢れ出して、純白の羽の形になって周囲に舞った。
これは、力の供給は、戦闘中には出来なかったはずではとコノエは思い──。
『──コノエ!』
「……!」
──そこに、天蓋竜の拳が飛んでくる。コノエはそれに、今は考えている場合ではないと思考を止め、ただ魔力を全力で体に回し。
『────っ!』
「────!」
──黒い拳を逸らし、体に染みついた技が、天蓋竜の顔に拳を叩き込む。
──ズドン、と音がして、天蓋竜が吹き飛んだ。
供給される力の影響で、雷と身体強化が限界以上の出力で動き始めていた。理由は考えるまでもない。当然の事実。生命神の力は、生命魔法とこれ以上ないほどに相性がいい。
『────』
吹き飛ばされた天蓋竜がくるりと体勢を変え、着地し、コノエを見る。その顔に傷はない。天蓋竜の力は強大で、拳の一つで打ち破れるものではない。ダメージなんて無いだろう。
けれど、天蓋竜は驚いたように目を見開いて、コノエを見つめて──。
──一瞬後に、嬉しそうにニヤリ、と笑った。
◆
──そして、その後は正面からの戦いが始まった。
幾百、幾千の拳が交わされた。殴り、殴られた。
戦いは、互角だった。僅かな停滞があった。
技は圧倒的にコノエが上で、それ以外は神様の助力を受けてなお天蓋竜が上だった。結果的に拮抗し、戦いは少し長く続いた。
コノエが槍を出すと、天蓋竜も槍を出した。槍で貫き、貫かれた。雷と消滅が互いを抉り合い、命を懸けて全霊で戦った。
手加減などありえない。どちらもが、相手を十分に殺せるだけの攻撃を叩きつけていた。
『コノエ』
でも、その中で。天蓋竜は、ずっと笑っていた。コノエの名を呼んだ。楽しくて楽しくて仕方がないという顔。
……そんな天蓋竜を見ていると、何故かコノエも少し心が動いた。
天蓋竜の嬉しそうな感情が、拳や槍を経由してコノエに伝わって来ていた。
逆にコノエも拳や槍を叩き込んで、不思議だけれど、感情を伝えた気がした。
──気付けば、二人は海の上にいた。世界の歪みが薄い、広い広い大海原の上だ
空と、海と、照らす太陽の光と。青い色が目の奥に入ってくるようだった。
戦いの余波で、海の水が大きく巻き上げられた。光が反射して、輝いていた。
……長いような、短いような、そんな戦いだった。
時間にすれば、数分にも満たないような。
その結果は──。
『…………あぁ』
──天蓋竜の力と成長する技を、見極めた先。
コノエの右手が、天蓋竜の胸を貫いていた。
内部から雷に焼かれた天蓋竜は、それでも嬉しそうに笑う。
『そうか、これが』
そうして、最後に一度、幸せそうに呟いて。
……天蓋竜は、塵となり、消えていった。