転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
第1話 一人の朝
――コノエはその日の朝、誰にも起こされることはなく、一人で準備をして部屋を出た。
いつもより静かな気がする廊下を歩き、食堂に入って、屋敷の使用人が用意してくれた朝食を食べる。
「………………」
静かな食卓だった。パンを口に入れながらなんとなく向かいを見ると、空っぽの椅子が見える。いつもならテルネリカが座っている椅子。しかし今日は誰も座っていない。
彼女がどこに行ったのかと言えば……。
(……テルネリカ、訓練は無事に進んでいるだろうか)
そう、テルネリカは昨日から屋敷を離れ、泊まり込みでの訓練に挑んでいた。
テルネリカがアデプトの訓練生になってしばらく。今までは基本的に学舎での訓練で、たまに一日二日かけて外に出るくらいだったが、ついに十日以上にも及ぶ訓練が行われる日を迎えていた。
遠征訓練だ。年に一度、神都から離れた汚染地の森で行われる大規模な訓練。課題達成まで汚染地から出ることが許されない地獄の訓練でもある。数多ある学舎の訓練の中でも、一番過酷と言っても過言ではなかった。
……そのあまりの辛さに、コノエも幾度となく心折られた訓練だ。神様がいなければ絶対に立ち直れなかった。
(……どうにか無事に帰って来て欲しい)
コノエは眉を下げながら、テルネリカの無事を祈る。彼方の森の方角へ顔を向けつつ、神様に祈りを捧げて……。
【…………!】
「……………………」
……そして、しばらく祈った後。コノエは、今度は自分の左隣の席を見た。
その席はメルミナの椅子だ。この家で食事を共にするときはそこに座っている。でも、そこも今日は空っぽだった。
それは、遠征訓練にメルミナも監督役として参加しているからだ。遠征訓練にはテルネリカだけではなくメルミナの姉のノエルも参加しているので、心配だからと付いていった。
……なお、同じようにコノエも遠征訓練に監督役として参加しようとしたところ、教官に向いてないからダメと断られていた。曰く、『監督官には私が訓練生をギリギリまで追い込む手伝いをしてもらうけど、君、出来ないでしょ?』とのこと。確かにあまり自信がなかった。
……なので、テルネリカのことはメルミナと教官に頼んで、コノエだけ家に残っている。
「………………」
……コノエは、テルネリカ、メルミナ、ノエルの三人を見送り、自分一人だけが残されたときのことを思い出しつつ。
最後にテルネリカの隣の席を見る。そこはフォニアの席だ。けれどやっぱり誰も座っていない。
フォニアは数日前からアーキノルカに帰っていた。なんでも邪神討滅後、荒れ果てた領土の再開発計画などで色々あったらしい。
荒事ではないが人手がどうしても必要だと言うことで実家に里帰りしていた。数週間くらいは帰ってこないようだ。
「………………………………」
と、そういう訳で。今日のコノエは完全に一人だった。
一人で起きて、一人で食事をとっている。
そして、この後の予定もなかった。頼まれている仕事もない。教官が遠征に行っている間の神都の守りも、各国を飛び回って活動している専門のアデプトが数十人単位で既に配置されていて万全の態勢をとっている。
そのトップは円卓に所属している一人であって、歴史に名を残す英雄でもある。守りの心配もなかった。
つまり、今日のコノエは完全にフリーだった。するべきことも、したいこともない。
どうしようかなと思いながら、お茶を飲んで……。
「………………学舎、行こうかな」
……しばらく悩んだ後、そういうことになった。
普段、行動範囲が家と学舎しか無いので、それ以外が思いつかなかったのかもしれない。
◆
食後、コノエは学舎に向かった。長い階段を上って、ふらふらと門を潜った。
門や建物の屋上には教官の代わりに学舎を守るアデプト達がいて、彼らに見られながら、前庭を通って学舎の中に入る。
「…………」
目的もなしに事務室の前を通ると、掲示板に張り出された仕事の依頼表が見える。
特に意味はなく、どんな依頼があるのかなとなんとなく見て……。
(………………大まかに分けて、迷宮関係と、魔物の調査関係と、開拓関係か)
ぼうっと眺める限りでは、大半の依頼がその三つに属しているように見えた。
一つ目の迷宮関係は、邪神が迷宮との一体化した後の状況を調べるための依頼だ。魔物の配置や迷宮の構造に変化がないか、色んな迷宮に潜ってその詳細を調べてくれ、という依頼。
……以前聞いたところによると、どうやら一部の迷宮では魔物の大移動が起こったりしているらしいので、その調査なのだろう。
次に、二つ目の魔物の調査関係の依頼は、迷宮関係と少し似ていた。迷宮及び、汚染地での魔物の行動が変わりつつあるらしく、その調査のために人員を募集しているというもの。
目立つ変化では、デーモンが少し変わった動きを見せているようだ。確認されていた砦がいくつも空っぽになっているらしい。
最後の三つ目、開拓関係は、汚染地の開拓のための人員を募集する依頼だ。邪神を討滅したのだから、空いた人員でこれまで手が出せなかった汚染地の開拓を進めたい、という依頼だった。
魔物や迷宮など、開拓の前にすることがあるのでは、とも思うが……しかし汚染地はこの国にとって深刻な問題でもあった。
なにせ、
殆どが黒紫色に染まっていると言ってもいい。
なぜそうなったのかと言えば、百年前の天蓋竜戦が原因だった。滅ぼされ、汚染地へと変貌した二つの国を吸収したから。
元は十の大国の中で最も小さかったのに、二国の跡地を併合した結果、書類上の面積だけは地球のユーラシア大陸並に大きくなったのがこの国だったりする。人が住める土地は全体の一割程度だが。
なので、それ程までに広大で、しかも放っておいたら魔物が溢れてくる汚染地を、少しでも人の手に取り戻したい、と思う人たちの気持ちはコノエにも理解できた。
「………………」
……そして、コノエは。そんな依頼書が貼られた掲示板を一通り眺めて。
(……しかし、なんというか。……邪神が死んでもアデプトの仕事は減らないな)
そう思った。邪神が死んだ直後は、もう今後アデプトは必要ないのでは、なんて思ったものだが、蓋を開けてみればむしろ仕事が増えている気がした。
……この様子では当分の間は仕事に困ることはなさそうだ。喜ぶ気には全くなれないが。
コノエは小さく息を吐いて……今はやることもないし、なにか短期で終わる仕事を一つ受けようかなと、掲示板に手を伸ばし……。
(…………?)
――そのときだった。コノエは一つの気配に気づく。
知っている気配が、コノエを見ていた。それは。
「…………ぬ?」
「…………」
紫色の茸が、少し離れた柱の陰にいた。
体は柱に隠しつつ、茸頭と片目が飛び出して、こちらを見ている。
頭が大きな茸になっている少女。マイコだった。隠れているようで何も隠れていないが、何をしているのだろうとコノエは瞬きする。
マイコはそんなコノエの顔を見て、次に手を見て、その手が伸ばした先を見て、掲示板に貼られた依頼書を見て。
「ぬ!」
「……」
なぜか、嬉しそうな顔になって、柱から姿を現した。
ぬっぬっと楽しそうに近づいて来る。
頭の茸をふよふよと揺らしながらコノエの目の前に立って、茸の傘で神様に似ている顔を少し隠すように、コノエを上目遣いで見た。
「ぬ、コノエ。仕事を探してるの?」
「……ああ」
頷くと、嬉しそうに笑っていた顔が、ますます嬉しそうになる。
そして、言った。
「ぬ、実は、ちょっとコノエにお願いしたいことがある」