転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
「……コノエ」
扉が半分開き、その隙間から顔を出したフォニアがコノエを呼んだ。
そんな彼女に返事をしつつ、コノエは少し首を傾げる。
なんでそんな、姿を隠すようなことを?
不思議だった。どうしたんだろうと思うものの、顔が半分以上隠れているので、感情が読み取り辛い。
彼女は片方だけ見える目を伏せ、眉を下げている。半開きの扉から覗く手が迷うように揺れていた。
コノエはそんな彼女を瞬きしながら見て。
……数秒後、なんとなく気付く。
もしかすると、彼女は今──。
「……あの、ね、コノエ」
「……ああ」
──申し訳なさそうな顔を、しているのでは?
コノエがそれを悟るのと同時に、フォニアは少し躊躇いがちに口を開く。……そして、言った。
「……その、さっきは、突然逃げてごめんなさい」
◆
──逃げて、ごめんなさい?
「……ええと」
「ごめんなさい。……コノエ、怒ってない?」
フォニアは、扉に体を隠したまま、こちらを
しょんぼりとしていて、もじもじとしていて、上目遣いにこちらを見ていた。子供のような顔で不安そうにこちらを見るフォニアに、コノエは──。
「……その」
──胸の奥が少し疼いた気がして、言葉を濁しつつ。
目を泳がせながら、とりあえず問われたことについて考える。怒っているか、怒っていないかと問われれば。
「……怒ってないよ」
「本当?」
ああ、とコノエは頷く。本心だった。怒っていないし、怒る必要があるとも思わない。ただ走り去っただけだ。
というか、そんなことをわざわざ謝りに来るなんて大げさだなと思うくらいで……。
「……」
……いや、もしかして。これもペタリの意味に関することなのだろうか。
アレに、自分が怒ってもおかしくないような意味が隠されている?
……分からない。まだ調べる前だからだ。手元にその答えがあるはずなのに、内容の確認は出来ていない。
だから、コノエには分からなかったから……。
「コノエ、本当に怒ってない?」
「……ああ」
とりあえず、確認するフォニアに、事実として自らが怒っていないとコノエは繰り返し伝える。
ペタリへの疑問は高まりつつ、しかし例えどんな意味があったとしても、怒る必要があるとは思えなかった。
すると彼女はコノエを覗き込むように見る。隠れた感情を読み取ろうとするかのように。
「…………そう」
……数秒後、フォニアはほっとしたように小さく息を吐く。本当に怒ってないと理解したのだろう。そうして、少しもじもじとするように体を揺らし、もう一度小さくごめんなさい、と。
コノエはそんな彼女に、いいって言ったのに、と思いながら少し笑う。なんというか、今の彼女は見ていて自然と頬が緩んでしまうような感じだったから。
すると、フォニアもそれにつられたのか恥ずかしそうに笑った。
笑い合って、少し気が抜けて。
仲直りした、と言えるのだろうか。別に喧嘩していないけれど。
――その後は、少しだけ話をした。
なぜかフォニアは入り口で扉に隠れたままだったけれど、まあ、そういう気分のときもあるのかもしれない。
コノエが先程、書架で既視感を覚えた話をすると、フォニアは目を少し見開いて驚いてくれて。また、彼女からも、明日の話があって。
「……えっと、コノエ、実はね」
「……? ああ」
「さっきは言う前に私が逃げちゃったんだけど……明日の夕方、あの山の上に行きたいの」
あの山? コノエは一瞬悩み──すぐに理解する。
きっと
あの日、フォニアから熾天結界の真実を聞いた日。
山の上に置かれたベンチで、交わした約束があった。熾天結界の真実を聞いた後、彼女が望んだ、ささやかな約束。
──ね、コノエ。あと五年間、機会があればまた一緒にここに来て欲しい。
──うん、約束。……新しい約束が出来るって、幸せなことだと思う。
その約束を果たそう、と。フォニアはきっとそう言っている。
……それなら、コノエの返事は決まっていた。
「……ああ、もちろん。行こう」
「────!」
すると、フォニアは目を大きく見開き。
──次の瞬間、花が咲くように笑った。
笑って、嬉しそうな顔のまま、楽しみにしてる、と去っていく。半開きだった扉がゆっくりと閉じていって、小さく音を立てて閉まった。
コノエは、閉じた扉を数秒見て。楽しみだなと目を細めつつ。
「…………」
……さて、やっぱりペタリの意味は、明日までに必ず調べておかないとな、と思った。
◆
コノエは改めて椅子に座り、手記を手に取る。金属製の金具を外し、開くと、中には整った字でこの世界の言葉が書かれていた。
日本語ではない。封印領域の中で日本語が書かれていたのは、スライムと化した彼がこの世界の言葉を失っていたからだ。この世界で生き、記録を残した彼は、この世界の言葉で日々の出来事を綴っていた。
「…………」
コノエは文字列に視線を落とし、読み進めていく。
断片的な日々の記録。一人の男がこの世界でどういう風に生きていたのか。
彼の人生。彼が記録に残しておきたかったモノがそこにあった。
日記は、毎日書かれているわけではなかった。日付は飛び飛びで、内容もまちまちだ。けれど、特別なことがあった日だけ記録しているのは読んでいるだけで分かった。
だからきっと、きっとこれは、彼にとっての宝物の記録なのだろう。
手帳は分厚くて、多くのことが書かれている。封印領域に書かれていたものに似ているが、書かれていることはこちらの方がはるかに多い。
異世界に落ちたこと。必死に足掻いたこと。友人が出来たこと。店を構えたこと。そこそこ成功したこと。少し落ち着いたころに、旅行に出かけたこと。
──そうして、一人の女性に出会ったこと。
『緑色の、エメラルドのような角と翼』
『ぼくは、彼女に心を奪われた』
彼にとって、何よりも大切な出会いの記録があった。
世界を救ったといっても過言ではない出会いの話が。
『彼女が、ぼくの店に来てくれた』
『彼女は、ぼくのことを覚えてくれていた』
パラパラとめくっていく。姫巫女と出会ってからは中身は彼女の話ばかりになっていった。知り合って、仲良くなって、デートに誘って、二人で歩いて。そんな話。
コノエはそれに少し頬を掻きながら、そういえば百年前は読んでいてげんなりしたんだよな、と微かに思い出す。
でも彼が彼女と日々を過ごす中で起きた出来事──驚いたこと、知らなかったことなどが日本と比較して書かれていたので、資料を作る身としては特に参考になる貴重な資料でもあった。だから、最後まで読み続けた。
今のコノエとしては……もちろん、読んでいて気恥ずかしさはある。あるが、でもあの封印領域で見た彼の姿を思い出すと、やっぱり思うところがあった。
三百年間、足掻き続けた一人の男の日記。一人の女性を愛し、その愛に殉じた男の生涯に。
『固有魔法──この毒は、ただあの日伝えられなかった言葉のために』
一年前を少し思い出しつつ、コノエは小さく頷きながら、文字を追いかけていく。彼が彼女と過ごす日々を。デートをして、笑い合って、ついに告白する記録を。
そして──。
「──あ」
順調に読み進めていたコノエの手が、止まる。
翼で触れる、と。そんな言葉が出てきた。
それは彼女が彼の告白を受け入れ、恋人になった日のことだ。
『──彼女から、ついに翼で触れられた。僕は嬉しくなって彼女に──』
『──彼女は頬を赤く染め、恥ずかしそうにしていて──』
そこでは、彼はついに彼女に翼を許されたと大喜びしている。
嬉しかったと。本当に本当に嬉しかったと書かれていて――。
「……え? ……あ、ああ、えっと……?」
──そうして、コノエは、見た。
探していた内容が、そこにあった。読み進めていくうちに、その
書かれている内容と、状況やフォニアとの関係を比較しながら読み進めていく。思わず上を見上げたり、こめかみを揉んだりして……。
……
……
……
そのまま夜が明けた頃。
コノエは、ようやくソレの意味が理解できて。……少し遠い目で、白み始めた窓の外を見た。
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