転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
それから。メルミナは何故かコノエに背を向けて、そうでしょうと胸を張った後部屋へ戻っていった。
コノエはまた訓練を再開して、なんとなくいつもより頑張りたい気分だったので少し多めに型をこなす。
「……」
一通り終えて息を吐いて。白く染まって。
そんな寒空の下、コノエは槍を納める。
そして近くの樽へ歩いて、置かれた籠の中からポットを取り出す。
入っているスープは残り少なくて、コノエは一口で全て飲み切る。それは最後まで温かかった。
「……」
籠の中にポットを戻してコノエは籠を見る。
少し考え、顔を上へ向けて……すると、宿の最上階の窓からはまだ明かりが漏れていた。
◆
宿の流し場を借りて皿やポットを洗った後、コノエは階段を上がる。
最上階には二つの部屋があって、それはつまりコノエの部屋とメルミナの部屋だった。
手前がコノエで、奥がメルミナ。
コノエはそんな二つの部屋が並んだ廊下を歩いて……自分の部屋を通り過ぎ、メルミナの部屋の前に立つ。迷惑ではないのなら返しておこうと思い――。
「……」
――しかし、扉の前に立ったところで、酷く緊張してくる。
というか、いくら起きているからと言って夜のこの時間に女性の部屋を訪れるのは非常識ではないかと今更ながら考えた。
『……コノエ? どうしたの? どうぞ入って』
すると、ポットの中から声がする。そういえば神威武装が入っていた。
ともあれ、許可されたのでコノエは緊張しながらも扉を開けて中へと――。
「………………」
「――いらっしゃい。籠を返しに来てくれたの?」
「……ああ。……?」
――入ったところで、コノエは何度か瞬きする。
なぜって、メルミナは仕事用の机に着いてペンを動かしていたからだ。夜も更けてきた頃。しかしその前には大量の書類が積まれている。
「うーん、そうね……そこの棚の上にでも置いといてくれる?」
「……ああ」
言われた通りにしつつ、コノエは時計を見る。
改めて時間を確認すると、高級宿に設置された振り子時計はそれなりに遅い時間を指していた。電子機器が発達した日本でも大半の店は閉まっている時間だ。
そんな時間に、しかしメルミナは書類と向き合っている。
彼女も朝早くからコノエと魔物の討伐をしていたのに。
「……」
ちらりと机の上に視線を向けると、一度見せてもらった商売関係の書類が乗っている。
あのときのメルミナは開拓村に販路を作ると言っていた。集めた素材を高く効率よく売るため、と。それはもちろん良いことだろうし、開拓村の住民も助かるのだろうけれど。
……しかし、随分と頑張るんだなと思う。
加えて、仕事で一旦脇に置いた彼女の渇望についても思い出した。
「……君は、汚染地になにかあるのか?」
だから、ふと呟く。思わず滑った言葉だった。
曖昧な問いかけ。しかし、他者に深入りするような言葉。それは今までならコノエが絶対に口にしないことで、それなのに言ってしまったのは……。
……先程のパイで腹が膨らんで気分が良くなっていたからか。
それともスープで少し口元が滑りやすくなっていたからか。
「…………」
そして、そんなコノエの問いにメルミナの手がピタリと止まる。
数秒間の沈黙があって――。
「――そう、ね。きっと……きっと、そうなんだろうと思うわ」
「……?」
……きっと?
コノエの曖昧な質問に、曖昧な返事が返ってくる。
そしてまた数秒の沈黙があって。
「……分からないの」
「……?」
「昔の……子供のころの記憶がないのよ、私」
――記憶が、ない?
◆
「三十三年前に迷宮の氾濫があったの。結構大きな氾濫で、被害も大きくて。村も街も沢山滅んだ。……私はその時の戦災孤児なのよ」
――静かに、メルミナは語りだす。
手を机の上で握って、そこに視線を落としながら。ゆっくりと、一言ずつ。思い出すように。
「きっと私は滅んだ村か街のどこかに住んでいたの。瘴気が迫ってきて、逃げだして……そして、その途中で私は大怪我をした」
「……大怪我?」
「頭よ。ひどく損傷していて、血まみれだったらしいわ。……でも偶々、高位の治癒魔法使いが近くにいた」
幸いなことに治癒してもらえて、だからなんとか助かったのだとメルミナは言う。
命は、助かったのだと。……でも。
「でも、目が覚めて最初に身元を確認されて――混乱したわ。答えられなかった。名前以外、何も分からなくなっていたの」
「……」
「……私は、ほとんど全ての記憶を失っていた。スラムの教会の、医務室の天井。それが
それはつまり――頭の怪我、脳の欠損による記憶障害か。
コノエも聞いたことがある。アデプトであっても治せない症状だと。脳自体は魔法で再生できても、そこに刻まれた記憶は戻せないからだ。
「辛うじて覚えていたのは何か真っ赤な光と、そして誰かが呼んだ名前だけ。他は何もなかった。ガラスを覗き込んだら十歳位の子供がいて……それだけ」
持っていた物にも何も手掛かりはなかったの、とメルミナは言う。
服は血と泥でぼろきれみたいになっていて、過去に繋がるものは何もなかったと。
「家族のことも故郷のことも何も分からなかった。遠くに逃げたのか死んでしまったのか。同じ避難民にも私のことを知る人は一人もいなくて……」
そう呟いて、メルミナは顔を上げ窓を向く。
そして苦いものを滲ませて、笑った。
「――それで、あの頃の私はずっと窓ばかり見ていたのよ。自分の顔ばかり見ていた。だって、確かなのはそれしかなかったから」
夜を背景に窓ガラスは光を反射して、今のメルミナを映しだしていた。
その隣にはコノエの姿も映っていて。……でも、それだけだった。
「……ね、これだけ。これが昔の私の全てだった」
「……」
「わからなかった。なにもわからなくて、それがどうしようもなく悲しかった。覚えてないのに胸が締め付けられて、涙が溢れてきて止まらなくて。痛くて、痛くて。
……記憶はないのに魂が叫ぶの。寂しいって。だから――」
――だから。
――それが固有魔法になったの、と。
「固有魔法――遥か彼方、望郷の瞳」
ただ、知りたかった。見つけたかった。
もっと遠くを見ることが出来たら見つけられると思った。これは、そんな子供の願いが産み出した力なのだと。
「それからはただ探し続けるだけの日々だったわ。固有魔法を認められてスラムから抜け出して、八年間探した。でも、どこにも手掛かりはなかったの。……普通の方法では、駄目だと思った」
千里眼の固有魔法でも見つけられないもの。
それを探す方法とは、つまり。
「――そのために、アデプトになろうと思った。アデプトになって、特権を得て、書架に入りたかった。幸いなことに、私の固有魔法は特例で生命神の加護を授かるに足るだけの物だったわ」
……書架。それは、コノエも知っている。アデプトの学舎にある書庫だ。
神様やアデプトなどのごく一部しか入れない部屋。そこには戸籍情報や過去の調査記録など、ありとあらゆる記録の写しがあると聞かされていた。神様の執務のためだ。確かにあそこなら――。
「――まあ、結論を言うとあそこにも何も情報はなかったんだけどね」
「……え?」
「私が発見された場所の近くにあった村と街の記録。それを全部ひっくり返したけど、どこにも私らしき記録はなかったわ」
はぁ、と。溜息を吐きながら、メルミナは苦笑する。
「別に、珍しいことじゃないの。汚染地の開拓村は特に戸籍管理が雑だし……ほら、冒険者が多いでしょ? 彼らは戸籍の登録をしないから」
「……ああ」
冒険者は基本的に根無し草の自由民だ。
気軽にあちこちへ移動するし、ときには国も跨ぐらしい。なので戸籍登録はないのだろう。そんな彼らの子供もだ。
「結局、何も見つからなくて……数十年探して分かったのは、どうやら私が汚染地に執着していることだけだった」
「……執着?」
「ええ、自分でも理由は分からないけれど、開拓村の人たちが苦しんでいるのを見ると、どうしても我慢できなくなる」
だから、困っていたら手を貸したし、金を稼げるように販路を作ったとメルミナは言う。
村人に雑過ぎる扱いをするアデプトを見て、つい喧嘩したこともあったと。
「この前の迷宮氾濫でも、近くの汚染地に瘴気が近づいてたから、つい一人で突入しちゃったし……」
それは……先日の再教育の件か。メルミナが教官にボコボコにされていたやつ。
なるほど、あれはそういうことだったのかとコノエは思って。
……うん? あのときは金のためだと言ってなかっただろうか?
「言ったでしょ? 私自身、何故ここまでするのか分からないの。だから、
「……なる、ほど?」
「汚染地が滅べば作った販路が無駄になるしね。私の販路は、後ろ盾になる代わりに一定額が私に入るようになってるの。
ただ可哀想だからというだけで命を賭けるほど私は優しくないもの、と。
メルミナはもう一度ため息を吐いて。
「執着の理由は、順当に考えれば昔住んでいたとかだろうけれど、記録はどこにもなかった」
「……」
「それが、三十三年探し続けた結果よ。何もかも分からずじまい……正直、もう見つからないんじゃないかと思うこともあるわ。どれほど頑張っても無駄なんじゃないかって」
そこで、メルミナは言葉を止める。
そして遠い目をして。
「――でも、それでも。きっと、私は汚染地に手を貸しつつ、探し続けるのでしょう」
メルミナは、諦めたように笑う。
それは悲し気で、少し泣いてしまいそうで……この二十五年間でコノエが一度も見たことが無い顔だった。
だからコノエは、何と言って良いか分からなくなる。
目を泳がせて、口を噤んでしまって。
「……」
少しの沈黙が部屋を包む。
メルミナはコノエをじっと見て――そして、ふと表情を緩めた。
「――あ、でも誤解しないでね。記憶が戻らないのが悲しいだけで、別に汚染地に手を貸すのは嫌じゃないの」
「……え?」
「過剰に肩入れしてしまう理由は分からないけれど……でも、良いことをしているんだもの。笑っている皆を見ると、私も元気が出るわ」
誇りなさいって、あなたにも言ったでしょう? とメルミナは笑う。
その笑顔に、コノエも先日のデーモン討伐の後のことを思い出し。
「汚染地については分からないけど納得はしている。別に困っていない」
「……そう、なのか」
失った記憶も、まあ三十年以上付き合ってきたことだしね、と明るい表情で。
それはこれまで見てきたメルミナの顔で、だからコノエもつられて安堵の息を吐き――。
「ええ、だから――――私が今、本当に困っているのは、一つだけよ」
――――うん?
メルミナはくるりとコノエに背を向ける。
「さっきも言ったように、私には自分でも理解できない執着心があるの。
ね、ちょっと考えてみて、とメルミナが言う。
背を向けたまま、軽い口調で。
「そんな私に、仲が良い人がいるとするでしょ? もっと、親しくなりたい人がいるとするでしょ?」
「……あ、ああ」
共に歩いていきたいような人がいたとして。
つい色々と練習をしたくなるような人がいたとして。
……でも、その最初のきっかけが、あやふやだったとしたら、と。
「……その人を見ているとき、ふと思っちゃったの。この感情は、想いは――」
――本当に、私のものなのかなぁ、って。
「それだけよ」
そう呟いたメルミナの声は軽くて、世間話をするようで。
でもそれなのに、何故かどうしようもなく、遠く聞こえた。
「……」
……だから、背を向けたままのメルミナに、コノエはやっぱり何も言えなかった。