転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
「ごめんごめん、コノエ、待たせたね」
「……いえ」
それから、数分もしないうちに教官はコノエの前に現れた。
銀色のふわふわとした髪を揺らしながら、階段を下りてくる。
「じゃ、とりあえず下の訓練場に行こっか」
「……訓練場、ですか?」
「うん、ちょっと君が前回修得した技について聞きたいことがあって」
修得した技とは。コノエは首を傾げる。
魔道具のことだろうか。それとも脚甲?
「まあ、詳しいことは下で話すから。付いてきて」
「……はい」
ともあれ、教官はそう言って背を向ける。
それをコノエは、弟子として言われた通りに追いかけていった。
「……」
「……」
教官と二人並んで、コノエは訓練場へと歩いていく。
今日は色々あったので微妙に帰りたい気分になりつつ――でもだからと言って教官の用事を雑にこなすわけにはいかないと、背筋を真面目に伸ばす。
「大変だったみたいだね?」
「……」
そんなコノエの状態を、教官はあっさりと見通す。
そして――ふと、ニヤリ、と嫌な感じで笑った。
「で、コノエはどうするの?」
「……どうする、とは?」
「誘われたんでしょ? 可愛い女の子が沢山いたねぇ」
「……」
ニヤニヤ、ニヤニヤと教官が笑う。
……なるほど。教官は全部知っているようだ。あと、今自分は
「どう? 勧誘された感想は?」
「……感想と言われても……驚きました」
コノエがため息を吐きながら正直に言うと、教官は苦笑する。
「だろうね。でも、これから移籍の話は定期的に来るだろうし、君も慣れないといけないよ?」
「………………定期的に?」
「うん、なくなることはないよ。どこの国もアデプトは全然足りてないから。知ってるでしょ?」
……それは、コノエも理解している。どれだけ戦っても邪神は健在で、迷宮の先は見えず、魔物は地上に溢れかえっている。
だからアデプトはいつだって足りてない。シルメニア、テルネリカのときだってそうだった。
「勧誘にも泥沼化しないために決まりごとはあるけれど――相手先の国への事前通達とか、交渉期間の設定とかね――でも、どこの国も必死に自分の国のアデプトを増やそうとしてる」
「……」
「だから当然、どのアデプトにも勧誘は来る。そういうものだよ。……特に君は異世界人だから裏が無いし、実績もあるから」
「…………?実績?」
コノエが何のことかと瞬きし……教官は呆れたような顔をする。
「あのね、災厄を二体も殺してるのに、なんで不思議そうな顔をしてるの?」
「……あ」
言われてみればと、目を見開く。
確かにあれは実績になるのかもしれない。
「……コノエ、君、ちょっと感覚がズレてるね。災厄を二体殺したアデプト――いや、一体でも災厄を殺したことのあるアデプトはそんなに多くないんだよ?」
「…………そうなんですか?」
「そりゃあそうだよ。災厄は世界中で年に一体でも出れば多い方だ。出現頻度に濃淡はあるとはいえ、この千年で千体も出ていないし……その半分くらいは私とか各国のトップが殺してるし」
コノエは思い出す。たしか、今生きているアデプトが九千人くらいだったはずだ。
そう考えれば、そもそも災厄に出会ったことがあるアデプトが珍しいのだろう。
「だからね、この前は運が悪すぎると笑ったけど、本当はすごいことなんだよ」
「……は、はぁ」
「ちょっと
「――――」
教官の少し申し訳無さそうな顔と、賞賛の言葉。
それにコノエは――二十五年教わってきた師匠からの言葉に。
苛烈で、厳しくて……でも才能なんて欠片もない己を決して見捨てず、最後まで見てくれた師匠の言葉に。
「――は、はい」
胸と顔が熱くなるのを感じる。……突然すぎて、すごく照れていた。
思わず俯くコノエに、教官はポンポンと背中を叩き――。
「――でも、だからこそ、少し気になるよね」
「……?」
「このところ、災厄の出現頻度が高すぎる。君が二体に、実は他国で一体出てるんだ。それに去年も例年より多くて、二体出てる。二年で五体だよ?」
ちょっと嫌な感じがするよね、と教官が呟く。
調べた感じだと一つ一つの災厄に繋がりは無いし、偶然の可能性も否定できないけれど、と。
「何かが起きているのかもしれない。私の方でも調べてるけど、君も気をつけて」
「……はい」
◆
――そして、話しているうちに階段を下りきり、二人は地下訓練場の扉へ到着する。
入り口の金属製の重い扉を押し開いて、中に入った。
「……で、脱線した話を戻すけれど」
「……?」
「移籍交渉の話だよ。……あのね、コノエ。これは私からのお願いなんだけれど――今回の件でアーキノルカのことを悪く思わないであげてほしいな」
――悪く?
コノエは瞬きした後、首を振る。そんなつもりはない。
驚いたけれど、とても驚いたけれど、それだけだった。
「……そっか、安心したよ。立場的に私は交渉案に口出しできなかったけど、方向が色々間違ってたからね」
「……」
「もっと下調べをしていればよかった…………いや、そうでもないか」
「……?」
「調べたところで分からないよ。だって君、欲しいものとか言わないし。ていうか君、本当に何が欲しいの?」
私も家しか知らないんだけど、と教官は言う。
「でも家は普通に買えばいい。じゃあ美食はというと、君はあのレンガ食べてるようなヤツだ。服は毎日似たようなデザインの着てるし、地位も、権力も、名声も、芸術も、必要以上の金も、何もかも興味なさそうだし」
それは……そう言われると、コノエ自身も特に欲しい物は浮かばないけれど。
「……まあ、それで結果的にフォニアの記憶に頼るしかなかったのかな。条件的には凄かったんだよ、あの釣書。竜人族の姫巫女が混ざってたし」
「…………姫巫女?」
「王族と同じくらいに特別、みたいに思ってればいいよ。今の君がハーレムで心動かされるかはともかく、それだけ向こうは本気で勧誘してるってこと」
勧誘計画を受け取った担当官が二度見どころか三度見四度見してた、と。
私もさすがに驚いたなぁ、と教官は呟き――。
「――おそらく条件を変えてまた来るだろうね。……あそこは、今大変だから。さっき言った去年の災厄に、アデプトが三人殺されてるし」
「……え、さ、三人も、ですか?」
「加速の権能を持った
コノエは頬を引きつらせる。……フェンリルと言えば、災害級の中でも一際足が速い魔物だ。そんな魔物が加速の固有魔法を得たら。
「だから、必死なんだろうね。この一年は穴埋めに奔走してるみたい。
特にあそこは――
「……」
「――それが何なのかは、君にも教えたよね?」
教官がコノエの目を覗き込む。紫色の、透き通った瞳。
それは……それは、確かにコノエも知っていた。
「……はい、アーキノルカの地下には、魔王が封印されている」
◆
千年前、この世界の人口を二割減らしたという崩壊の怪物。
瘴気を撒き散らし、世界の五分の一を汚染した邪悪。
教官も、原初も、他の伝説も、誰一人として殺しきれなかった、復活の権能を持つ魔王。
――アーキノルカの地下には不死の魔王が眠っている。
百年前、天蓋竜の脅威から、国としての形を失うほどの被害を出しながらも封印を守り抜いた逸話は、教官の伝説にも並んで有名だった。
「重くて、長い役目だ。優秀な戦力はいくらあっても足りない。……去年の一件の後、うちも含めて周辺国からアデプトを何人も派遣してはいるけど、やっぱり根を下ろしたアデプトが欲しいんだろうね」
派遣だと、どうしても真剣みに欠けちゃうから、と教官は呟く。
きっと、土地を、民を、ちゃんと見てくれる人に来てほしいんだよ、と。
コノエは目を伏せ、そんな教官の言葉に頷いて。
「……」
「……」
……その言葉を最後に、会話は途切れる。
コノエと教官は、無言のまま岩山が付き立った荒野のような中を進んでいった。
しばしの間、ざ、ざ、と足音が響く。
静かな時間。教官は何かを思い出すように目を細め、遠くを見ていた。
「……」
「……」
――そして、そろそろ中心に近づいてきたかという頃。
ふと、教官が――あ、と呟く。それまでとは違う、何かに気付いたような声。
「――えっと、とは言っても勘違いしないでね? 色々説明したけど、君にアーキノルカに行けって言ってるわけじゃないから」
「……え、はい」
「あの国が成し遂げた偉業と、君が行くべきかどうかは別問題だ。他にもアデプトは居るわけだしね」
そもそも移籍とは、と真剣な顔で教官が言う。長く暮らすことになるんだから、なんとなくで決めてはいけないと。
移籍するということは生活が変わるということで、そこを無視してはいけない。強ければいいという訳ではない。そこでちゃんと
「だから移籍を考えるときは、しっかり調べて、条件を見て、現状と比較して、それから決めなさい。どうしても行きたいと思ったら行く、くらいの方が良い」
「……はい」
「……というか、前提の話をすれば――本当は私も
……ここはバランスをとって、移籍せず残ってもらうためにこの国の良いところを語らせてもらおうかな」
そうして、まずはお金と物があることでしょ、と教官は指を折る。
異世界人をいち早く召喚し、その知識を取り込んできたこの国には、世界中から金が集まっているし、あらゆる技術が他国の先を行っている、と。
アーキノルカだと仕事の報酬は五分の一以下になるし、市場は遥かに小さいと思った方がいいと。
それにこの国は比較的治安がいいし、ご飯が美味しいし、甘味も多いしと。
教官は一つ一つ数えていき――。
「――なによりも、この国にはあの方がいる。この重みは、アーキノルカに勝るとも、決して劣るものではないよ」
「……はい」
――神様を、守る。その重要性は、語る必要もないことだった。
◆
そして、そんな感じでこの国の良いところの話は続いていく。
ときに真剣に、ときに冗談交じりに二人は会話を続けて――
「――あとは、そうだね。私がいることかな。……嬉しいでしょ?」
「…………はい」
「あれ、今返事が遅れなかった?」
「いいえ」
そうしているうちに、二人は訓練場の真ん中あたりへ辿り着く。
そこで教官は立ち止り、コノエに向き直った。
「さて、と。色々長い話をしたけれど――実はこれからが本題だよ。今日君を呼び出した理由なんだけど」
「……はい」
「――前回の戦いで修得したという、魔道具の多重起動。それを見せてもらえるかな?」