転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
アーキノルカの城の一室に、カリカリというペンの音が響いていた。
紙をめくる音と、ペン先をインクに浸ける音も。
部屋の真ん中の机にはメルミナがいて、その斜め向かいにテルネリカが座っている。二人はコノエを見送った後、朝からずっと書類に向き合っていた。時折水分補給をしたり昼に一度食事休憩を挟んだ以外はただペンを動かしている。
「メルミナ、なんでこんなに書類を増やしちゃったんですか……?」
「……ふふ、私も今少し後悔してるところよ」
魔法で手を強化しながらペンを動かしつつ、ポツリとテルネリカが呟く。メルミナはそんな声に、正直やりすぎたと思いながら引きつった笑みを返した。
「……やっぱり国を跨ぐと色々大変よね」
「そうですよ」
書式の違い、法律の違い、あと手伝ってくれる部下の数の違い。
それらの違いの中で、いろいろ手を伸ばしすぎた結果が書類の山だった。しかも……。
「……瘴石採掘の準備はもう始まっているから急がないといけないし」
「採掘ギルドの親方、すごく張り切ってましたね……」
実を言うと今回の遠征で一番重要な瘴石採掘用のルートはもうすでにメルミナの固有魔法で見つけ終わっている。それはもうあっさりと。
千里眼はこういうとき本当に役に立つ力だった。あまりに簡単すぎて、採掘ギルドの親方が嬉しさ半分、これまでの苦労は何だったのかと遠い目半分という感じの顔をしていたほどだ。
それで早速、現場ではルートの確立に向けての準備が進んでいて、再開した採掘と販売を円滑に進めるためには書類を出来るだけ早く準備する必要があった。
……だから、今メルミナとテルネリカはこうやって必死にペンを動かしている。話をする間も手を休めないくらいに。
「今更止めましたなんて言える訳ないから、やるしかないわ」
「……そうですね」
「これも商会のため、瘴石が生み出す莫大な利益のためよ。手伝ってくれた分はあなたにも給金を沢山出すから」
メルミナはそうテルネリカに言いつつ、ポットから注いだお茶に砂糖をスプーンで何度も流し込み、脳に糖分を補給しようとして。
「………………莫大な利益?」
と、そこでテルネリカが不思議そうに呟く。そして疑問を込めた目でメルミナを見た。
そんなテルネリカに、メルミナは……あら、と少し驚く。もしかして、
「メルミナ、この取引、利益なんてほとんど出ないでしょう」
「……そう思う?」
「ええ、動く金額こそ大きいですが……採掘ギルドや関係機関への支払いが多いですし、その他経費や税を考えるとそれほど儲からないのでは?」
「……」
「むしろ、アーキノルカ側が受ける利益の方が大きいです。取引自体が良心的ですし、その上、この取引を終わらせれば、メルミナはこの国の瘴石採掘の関係者になる。それは今回の崩落と似たようなトラブルが起きたとき、メルミナを呼びつける理由になります」
この取引で出る利益なんて、千里眼をいざという時に呼べる保険としては安すぎるとテルネリカは言う。
……そんなテルネリカに、メルミナは。
(……この娘、結構優秀ね)
そう思う。ここまでの実務能力を見ていてもかなり出来る方だし……それに、テルネリカに回した書類は重要度が低く、詳細は書いていないものばかりだった。その書類から取引全体を推測し、結論に辿り着いたのならば優秀だろう。
仮にお家取り潰しになっていなければきっと優れた領主か、その補佐になっただろうな、とも思った。
もしテルネリカが居るのがコノエの隣でなければ――赤の他人だったなら、資産の運用を彼女に任せるように勧めてもいいくらいだった。
……まあ、コノエである以上、絶対に勧めないけれど。何故って、コノエの資産をテルネリカが管理するのが普通に嫌だからだ。嫁みたいだし。
「メルミナ?」
「……ああ、ごめんなさい、考え事をしていたわ。……あなたが聞きたいのは利益が出ないことについてだったわよね?」
「はい」
「確かにその通りよ。利権はともかく、利益は殆どない。それでも私がこの契約を結んだのは――」
――前提の話をすれば、今回瘴石を手に入れるためにいろいろ手を打ったのは、姉のためだった。エリクサーを作るため。
そして、条件が整っていたとはいえ、いくつかある採掘の候補地からアーキノルカを選んだのは――というか、そもそもアーキノルカの瘴石事情を調べた切っ掛けは、コノエがとんでもない移籍交渉を受けているのを見て手を打つ必要があると思ったからだったりする。
そうだ。コノエには絶対に言えないけれど、あのときメルミナはめちゃくちゃ不満だった。言い寄るのが気に入らないし、あとあいつら気軽にハーレムとか嫁とか言って、私がそれを言えなくてどれくらい苦労していると思っているのかと。……自業自得なのは、承知の上で。
なので何かあったときのために近くにいようと思い、アーキノルカに一緒に行く理由を探した結果、偶々瘴石の流通が滞っているのを見つけたのが今回の始まりだった。
「テルネリカ、私はね――」
――けれど、そんなモヤモヤとは別に。
この契約内容は。儲けを減らしてアーキノルカに有利な契約を結んだのは、十年前メルミナが見たものに関係があった。
あの悍ましい封印領域の中で、メルミナは……。
「……私は、全部知ってるの」
「……?」
「アーキノルカが
そうだ、メルミナは十年前、全てを知った。テルネリカには……いいや、同じアデプトのコノエにすら言えないことを理解した。
……だから。
「これはね、私の
「……けじめ?」
「ええ、理由は言えないけれど、そうしなければと思ったの」
自嘲するように笑うメルミナをテルネリカはじっと見つめる。
そして……
「……そう、ですか。分かりました」
納得したのか、諦めたのか、テルネリカは小さく息を吐き、また書類に向き合う。また手元からカリカリという音が響き始めて、メルミナも同じように、山ほど砂糖を流し込んだお茶を啜りつつ、椅子に座りなおして――。
――
――
――
(――それにしても、この娘思ったより真面目に働いてくれるわよね)
ふと、ペンを動かしつつ、メルミナは思う。
高い給料を払う以上適当な仕事をするのは許さないけれど、もう少し休憩を取ってもメルミナは責めるつもりはなかった。
メルミナとテルネリカはお知り合いになったものの、しかし、互いに思うところが無い訳ではない。むしろ沢山ある。なので、これほど真面目に手伝ってくれるのがメルミナは不思議だった。
なので、そう問いかけると。
「……ヨーニン商店です」
「……うん?」
テルネリカからそんな答えが返って来る。
……ヨーニン商店と言えば。
「メルミナの傘下の商店ですよね?」
「……そうね」
メルミナの商会はそのアデプトとしての力を駆使した結果、この十年で急拡大し、国でも十の指に入る規模になっている。その結果多くの商店を傘下に置いていて、ヨーニン商店もその一つだ。
「瘴気がまだ収まっていなかった時期、シルメニアの街に行商に来てくれました。その上、全ての商品が破格の値段で……子供向けのお菓子なんて原価割れしていたと思います」
「……」
「迷宮氾濫後の支援は、あなたが作った商会連合の特徴です」
商品の値段を見て驚いたと。普通あの状況ならぼったくるのにと。
あなたのおかげで皆が笑っていましたと。そう、テルネリカは言う。
「だから、コノエ様が帰ってくるまではちゃんと手伝います」
「……そう、ありがとう」
「いいえ、こちらこそ」
そんな言葉を最後に、二人はまた書類に向き合う。
……その後も部屋の中にはペンの音が響き続けていた。