転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない) 作:ニテーロン
――十五年前のそのとき、フォニアは学舎の中を
泣いて、泣いて、泣き続けて……泣き疲れて、気が付けば呆然と学舎の中を歩いていた。
『……手遅れだった。もう私には、何も……』
絶望していた。己は何もできないままに死んでいくのだと思った。
願いも、夢も、何一つとして叶えられないままに死ぬのだと。空っぽになって死んでいくのだと。
いつの間にか日の落ちた、夜の学舎。
その廊下をフォニアはふらふらと歩いた。意味もなく、あてどもなく歩き続けて……。
『……』
――いつしかフォニアは、訓練場に辿り着いていた。
学舎の裏にある訓練場。その中に、ただ目の前にあったからという理由で入り……。
『……?』
そこで、フォニアは訓練場に一人の男が居ることに気付いた。
……一人きりで槍を振るう男。コノエだった。
『……』
フォニアがコノエを見て、最初に思ったのは、ああ、そういえばこんな男も居たなと、ただそれだけだった。
同期の男。異世界人。十年程同じ空間で過ごしたはずだが、印象は薄かった。だって、実力が違ったから共に戦ったこともない。実際に目の前で訓練する姿を見ても、
『……』
そんな男が訓練場で、ただ槍を振っている。フォニアは、ぼう、とした意識のまま、そんなコノエの姿に視線を留めた。何故かといえば、なんとなくとしか言いようがない。もうそれ以上考えるのが嫌で、自分と関係がない何かを見ていたかったのかもしれない。
『…………』
そうやって見ている間も、コノエは槍を振っていた。型は教官式の基本形。同じ型を何度も何度も愚直に繰り返していて……。
『…………………………』
そして、どれくらい時間が経っただろうか。
コノエは槍を振るのをやめ、今度は虚空に手を伸ばし……。
『――顕現』
神威武装を生み出した。白い光が掌から溢れ、純白の武装を作り出す。
聖十字槍。神様の色をした槍。コノエはその槍を握ると、また、同じように槍を振り始め――。
『――――え?』
――そんなコノエの姿に、フォニアはそこで初めて感情が動く。何度か瞬きした。目を見開いて、コノエを見た。何故って、それは……。
『……なに、あの槍』
……それは、その神威武装がボロボロだったからだ。
いいや、正確に言えば違う。神威武装は綺麗な槍の形をしている。でも、その神威武装の向こうに見える、コノエの魂がボロボロだった。
神威武装は、持ち主の魂によって形作られる。だから、仮に魂の欠落を知るような者がいれば、他者の魂の欠落も認識できる。同じだからだ。フォニアは知らないうちに己の欠落から目を逸らしていたけれど、でも、今はもう認識していた。するしかなかった。
――だからフォニアには、分かった。
コノエの魂は、傷だらけだった。どこもかしこも傷ついていて、無事な所がないくらいだった。
それはもしかしたら、今の削れたフォニア自身の魂よりも――。
『――』
フォニアは、呆然とコノエを見る。
愚直に訓練しているコノエを見る。
傷だらけで、自分と同じように、己の願いすら分からなくなっていそうな魂。
何のために努力しているのかも分からなくなっているような魂が、そこにあって。
『――――――なんで』
――でも、それなのに。同じくらいボロボロのくせに。
目の前の男は絶望せず、槍を振り続けていた。
その姿は必死に手を伸ばしているように見えた。
何かが欲しくて、そのために槍を振っているように見えた。
ただただ愚直に。諦められないと足掻いているように見えた。
フォニアと同じなのに、何も分からなくても、それでもと。
十度も、二十度も、百度も、二百度も。
コノエは、フォニアの前で槍を振る。だから、それが――
『――そっか』
フォニアの頬を、枯れたと思っていた涙が伝う。
そうだ、絶望していたフォニアは、そこで当たり前のことに気付いた。
フォニアは多くのものを失ってしまった。それは間違いない。でも……。
『……もう一度、手を伸ばすことはできるのかなぁ……』
失ったものを嘆くのではなく、もう一度、取り戻す。
そうできるように努力する。目の前の槍を振るコノエのように。
絶望して蹲るのではなく、もう一度、と。
フォニアは、コノエを見たフォニアは、そう思えた。
『…………』
だから、フォニアは、訓練場の中へ一歩踏み出す。
するとコノエも視線をフォニアに向ける。傷だらけで、それでも必死に立っている人。努力している人。
『――ねえ、コノエ』
――彼は必ず、何かを手に入れるだろう。フォニアは思う。
だって、こんなに必死なのだから。傷は埋められて、いつか輝きを放つだろう。
それは――。
『――私たちきっと正反対ね』
それは、きっとフォニアとは正反対だ。
コノエは手に入れる。しかし、フォニアはこれからも失っていく。熾天結界はフォニアに接続されていて、これから二十年かけてフォニアの全ては奪われる。
……でも。
『――コノエ。一つ、約束をしない?』
『もし、あなたが、いつか本当に
正反対だけれど、手を伸ばすのはきっと一緒だった。
仲間が出来た気がした。だから、いつか手に入れたものを見せてほしいと思った。その輝きを見せてほしいと思った。
――だって、その約束があれば……きっと自分は一人ではない。
……そう、フォニアは思えたからだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――だから、コノエ。あなたのおかげ。あなたのおかげで、私はあの日からずっと、絶望せずに生きられた」
「…………それ、は」
「もう一度、手を伸ばせた。ちゃんと、精一杯生きられた」
フォニアは、一つ一つの言葉を噛みしめるように言う。
僅かに目を細め、手元に握った手帳を撫でながら。
「……その」
しかし、コノエは、そんなフォニアにやっぱり何を言えばいいか分からなかった。
でも何かを言わなければと、何かをしなければと思って……なのに、コノエには何も分からなくて。
コノエは、ただ、目を彷徨わせる。フォニアはそんなコノエに。
「――それに、コノエ。今回もあなたのおかげで思い出せた」
「……?」
「あなたが温かかったから、忘れていたものを思い出せた。クレープ、魚、アーキノルカのこともそうだし……なによりも、この手帳」
そして――
「――ねえ、コノエ。少し付き合って欲しい場所があるの」
◆
「――コノエ、ここ」
「……」
――そして、城から抜け出したコノエとフォニアは、しばしの移動の後に、その場所に辿り着く。そこは……。
「――うん、今日も綺麗な夕日」
そこは、山の上だった。アーキノルカの、一万メートル級の山々の一つ。中でも特別背の高い山の頂上にある、僅かに開けた場所だった。
時刻は、地上ならもう日がとっくに落ちている頃。しかし高山の上であるが故に、まだ太陽はその半分ほど姿を残していた。
「コノエ、座って」
「……あ、ああ」
ごうごうと風が吹きすさぶその場所に、ポツンと一つだけベンチが置かれている。フォニアは横長のそれに腰を下ろし、周囲を防風、防諜用の結界で包んだ後、横のスペースをポンポンと叩きながらコノエを呼んだ。
コノエは言われるがままに、隣に腰を下ろして――。
「――」
――少し、目を
眼下に広がる切り立った山々には雪が積もり、そこに夕日が当たって金色に輝いていた。
空気は冷たく、吐く息は白かった。でも空気が驚くほどに澄んでいて、肺の中を洗っているようだった。高度一万メートル。そこに動く生き物は来訪者の二人しかおらず、互いの息遣いだけが聞こえてきていた。
「………………」
「………………」
しばしの、沈黙。コノエは、ただその景色に目を奪われていた。
フォニアもただ隣に座って、沈みゆく太陽を見ていた。
「…………」
「…………」
そんな時が止まったような世界で。
ふと、背中に気配が近づいてきて、ぺたりとコノエの背中に触れる。隣を見ると、フォニアがコノエを見て目を細めていた。
そして……
「……ね、コノエ。これ、読んでみて」
「…………?」
フォニアは、大切そうに抱えていた手帳を差し出す。
受け取ったコノエに、開いてみてとジェスチャーした。
コノエは言われるままに表紙に指をかけ、最初のページを開く。
そこには……。
〈野原を、裸足で走ってみたい〉〈好き放題買い食いしてみたい〉
……そんなことが、書いてあった。
それだけが、大きな字で書かれていた。
「………………これ、は?」
「これはねコノエ。私が、二十五年前に書いたものなの。まだ子供のときに願ったこと。……ね、続きも見て」
十五年前は、これを書いてたことすら忘れていた、と呟く声を聴きながら、コノエはぱらぱらと手帳をめくっていく。
中には、沢山の願いが書かれていた。
〈野原を、裸足で走ってみたい〉〈好き放題買い食いしてみたい〉
〈市場で大胆な服を買ってみたい〉〈ばあやの目を盗んで夜更かししてみたい〉
〈昼まで寝てみたい〉〈朝から晩までお菓子だけ食べて過ごしたい〉
〈思い切り翼を広げて、思いのままに飛び回ってみたい〉
〈王女でも継承者でもなく、ただの一人の女の子として、一日を過ごしたい〉
手帳には、そんな願いばかりが書かれていた。
一人の少女の、大して特別でもない、他愛もない願いだけが書かれていた。
コノエはその願いを一つ一つ読んでいく。
「いつか、そのときまでに、したいこと」
「……」
「この十五年でほとんど叶えたんだけれど……一つだけ、まだだったの」
最後のページ、とフォニアは言う。
コノエは手帳をめくっていき……。
……そしてすぐに行き当たる。そこには。
〈山の上、一番高くて一番空気が澄んだあの場所で、素敵な殿方と夕日を見たい〉
「――」
コノエは、手帳から顔を上げる。
すると……。
「ありがとう、コノエ」
フォニアは、笑っていた。
いつもの無表情でも、作っているのでも、微かに笑っているのでもなく。
黄金色の太陽に照らされながら、コノエが初めて見るような顔で。
「あの日の願いが、全部叶ったわ」
……ただ、嬉しそうに、幸せそうに、笑っていた。