転生超越者は胸の穴を埋めたい(書籍版:転生程度で胸の穴は埋まらない)   作:ニテーロン

95 / 216
第29話 『ぼく』

 ――これは、『ぼく』の話だ。

 ()()日記を書いた者。三百年前の姫巫女の夫。日本出身の異世界人。

 

 ……そんな『ぼく』――男の、日記の後の話。

 

『………………ぁ』

『……え? ファティマ?』

 

 幸せな日々。最愛の妻との結婚生活。

 ただ傍に居るだけで共に笑っていられるような――満たされた毎日は、唐突に終わった。

 

『………………ぁ、そん、な、もう……?』

『……ファティマ?どうしたんだ? ファティマ!?』

 

 突然だった。なんの予兆もなかった。二人で並んで皿を洗っていた、そのとき。

 ファティマが、倒れた。そして、立ち上がれなかった。

 

『……ぁ、ぁな、た……』

『ファティマ、待ってろ、すぐに治癒師を呼んでくる!』

『…………ぁ』

 

 男は、すぐに治癒師の元に向かった。何かの病気だと思った。脳卒中や心臓病が頭に浮かんだ。急いで見てもらわないと手遅れになると思った。

 

 ……間に合えば、助かると思っていた。だから必死に駆け出した。

 

『……は? 手の、打ちようがない?』

 

 ……そうだ。男は。もうとっくに手遅れだなんて、思っていなかった。

 つまり――男は、何も()()()()()()

 

『……あ、ああ、先生じゃダメってことですかね? じゃあ誰なら治せるんです?』

 

 彼女を見た治癒師は首を横に振った。どうにもできないと。

 ベッドに横たわり、体を起こせない彼女に、もう長くないと言った。

 

『騎士団の治癒師なら……え? 彼らでも駄目? ……ははは……じゃあアデプト様ですかね? ……大丈夫! これでも稼いでるんです。金なら出せますよ! 金貨の百や二百は出せます。千枚でも……まあ店を売れば』

 

 金を出した。それでも、治癒師は首を縦には振らなかった。

 ……本当は、その治癒師は、いざという時に備えて近くに配備された、()()()()()者の一人だった。

 

 知っているが故に、治癒師はアデプトでも駄目だと言った。

 

『……はは、そんな訳ないでしょう? アデプト様ですよ?』

 

 引きつった顔で笑う男に、しかし帰ってくるのは、アデプトでも治せない病はあるという言葉だけだった。もう何をしても駄目だと。だから、出来るのは最期のときまで傍に居てやることだけだと。

 

 ……でも、男は信じなかった。治癒師にふざけるなと叫んだ。

 

『……アデプト様! お願いします。妻を治してください! どうか! どうか!』

 

 アーキノルカ中を駆けずり回った。騎士団の伝手を当たって、腕のいい治癒師を紹介してもらおうとした。街中のアデプトに頭を地にこすりつけて頼んだ。治してもらおうとした。

 

 ……でも、どこに行っても憐みの目を向けられるだけで、無理だと門前払いされた。

 

『なんでだよ! なんで治してくれないんだ! 金なら出すって言ってるだろ! 千枚じゃ足りないのか!? じゃあ何を売ってでも金を作るから! 心臓でも眼球でも何でも持って行けよ! 希少な異世界人の内臓だ、高く売れるだろ!?』

 

 駄目だった、何をしても駄目だった。訳が分からなかった。

 でも、男は止まれなかった。ファティマはそうしている間も衰弱していったからだ。手を握っても、微かに握り返すだけ。力が入っているのかもわからないくらい。

 

『…………なんでだよ……!』

 

 その弱い力に、男は、最初の頃を思い出した。ファティマと初めてデートしたとき。手を繋いだら、激痛が走った。ファティマは人相手の力加減を知らなかった。だから痛くて、男は思わず叫んだ。

 それからしばらくは、デートをするたびに、ファティマは恐る恐る男の手を握った。こそばゆくて、思わず笑って、笑い合って――。

 

『…………なんで、なんだよぉ……』

 

 ――でも、今のファティマの手は。

 

『………………こうなったら』

 

 男は、覚悟を決める。この国のアデプトはダメだった。では、神国ならどうかと。あの国には不可能を可能にする銀のアデプトがいると知っていた。

 

『……神国に、向かう。ファティマ、待っていてくれ。すぐに助けを連れて帰ってくるから』

『…………』

 

 男は転移門の使用申請を出し……しかし、許可が下りなかった。

 

『……なぜだ! なぜ!』

 

 叫んでも、何をしても駄目だった。そして、何の説明もなかった。

 ついには男は転移門を使った密入国を企て、拘束されて――。

 

『くそ、離せ! 僕は――――え? ……説明?……これ以上はって』

 

 ――そこでようやく。男は真実を知った。

 

 ◆

 

 ――説明を聞き終え、男は家に帰った。

 法を犯した罰則はなく、ただ傍に居てやってくれと言われた。

 

『……なんで、なんでだ、ファティマ』

『……ぁ』

 

 熾天結界の真実。魔王の封印。三十年の寿命。

 そして、その時がファティマが継承してから、三十年目で――。

 

『――ファティマ、どうして』

 

 愕然とし、現実感を失ったまま問いかける。止められていたと治癒師はそう言った。

 ファティマに、男にだけは言わないでくれと頼まれていたと。

 

 ――魂の欠落による衰弱。感情と記憶の希薄化と欠落。

 

 確かに、男もファティマの様子が少し変わったことには気づいていた。ぼうっとすることが増えていたことも、外と関わりを持たなくなっていったことも。……でも、いつも男には変わらない笑顔を向けていた。幸せだから、気が抜けてるの、と――。

 

『…………ぁ、ごめ、ん、なさい』

『ファティマ、違うんだ。責めている訳じゃない。僕はただ、理由を知りたくて』

『……いえなくて、ごめん、なさい』

『……ファティマ?』

 

 そこで、男は気付く。譫言(うわごと)のように呟くファティマ。

 彼女の目の焦点が合っていない。そして、話しかけてもただ同じことを繰り返すだけだった。

 

 ――つまり、ファティマはもう、目も耳も。

 

『…………ファティ、マ』

 

 治癒師は、あと数日だと言った。

 男は、呆然とファティマの手を握った。ただそうすることしか出来なかった。

 

 ……そのまま、一日、二日と経ち――。

 

『――ごめん、なさい』

 

 ――その日が、来る。

 時は過ぎて行って、決して戻らない。

 

 時計の針は進んでいく。ファティマはほとんどの時間を眠り、たまに目を覚ました時も、謝罪の言葉ばかりを呟いていた。ただ男は隣に居て―― 

 

 ――そして。

 それは、太陽が地平線に消えたころだった

 

『ごめん、なさい………………、あの、ね』

『……ファティマ?』

 

 ずっと謝っていたファティマが、久しぶりに違う言葉を口にする。

 男は慌てて、耳を彼女の口元へ近づけた。

 

『はなれて、いくと、おもったの』

『……ぇ?』

『あなたに、であったとき、もう、じゅうねんしか、のこってなかった』

『………………』

『わたし、みたいな、さきのみじかい、おんなは、いやだと、おもって』

 

 ……なにを。なにを、言っている?

 男には、一瞬、言葉の意味が分からなかった

 

『ファティマ、そんな……そんなはずはないだろう!? 僕は、君を――』

『ごめん、なさい』

『――――』

 

 でも、思わず叫んでも。ファティマは、虚ろに天井を見るだけ。

 男の声は、決して彼女に届かない。

 

『ごめん、なさい。あなたが、あたたかくて、いえなかった』

『………………』

『あなたの、あいが、ここちよくて、みせで、あったときから、ずっと、あたたかくて』

『……ファティマ』

『はなれて、いくかと、おもうと、こわかった――』

 

 違う。離れる訳がない。男は――ファティマを、愛していた。

 この世界の誰よりも、何よりも愛していた。あの日出会った姫を、共に公園を歩いた恋人を、笑い合った妻のことを、ただ、愛していた。

 

『そんなわけない。ないんだよ、ファティマ』

『ごめん、なさい』

『僕は、君のことが好きなんだ。君だけが、好きなんだよ――』

 

 男は伝えようとする、手を握る。でも、それは伝わらない。

 ファティマはもう何も見えず、何も聞こえない。泣きながら手を握り、首を振る男のことが分からない。

 

 だから――。

 

『ごめん、ね。うらんで、くれて、いいから――』

『ファティマ――――え? ファティマ? ……ファティマ!?』

 

 ――だから、それが、ファティマの最後の言葉だった。

 (まなじり)から一筋の涙が流れていた。謝りながら、恨んでも良いと言いながら、ファティマは死んだ。泣きながら、死んだ。

 

『…………あ』

 

 男は、こと切れた最愛の女性を見る。

 もう二度と動かない妻を見る。

 

『………………あ、あ』

 

 力の抜けた手、何度も繋いで歩いた。

 でももう、握り返してくれることは決してなくて――。

 

『……あ、ああ、あああああああぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁああああ!!!!!』

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

「――これ、は」

 

 ――そして、現代。コノエは、両目に宿った金の権能を通じて、過去を見る。

 過去の断片。日記の続き。『ぼく』の記憶。妻を失った、一人の男の慟哭。

 

 コノエは、混乱しながら、広場に浮かぶ花を見る。

 これは。この記憶はいったい何なのか。

 

 コノエはよく分からないままに金の花を凝視して――。

 

「……?」

 

 でもそのとき。ふと、コノエは気付いた。

 あの花、なんだか動いているような……?

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 ――それから。ファティマが死んでから。

 男は、抜け殻のように日々を過ごした。ファティマの葬儀を終え、墓を建てたけれど、それ以外は何もしなかった。

 

 毎日墓に通った。墓の前に朝から晩まで座り込んだ。

 ただ、絶望していた。妻を失ったこと、そして――最期のとき、彼女を泣かせてしまったこと。恨んでもいい、なんて言わせてしまったことに。

 

 なんで、彼女があんな最期を迎えなければならなかったのかと、何度も思った。

 

『…………ぁぁ』

 

 男は、己を責めた。どうして、と。

 どうして気付けなかったのか。どうしてもっと傍にいなかったのか。もっと話をしていれば、あんな最後には、と……。

 

 ……ぎり、と唇を噛んだ。血の味がした。己が憎かった。頭をカチ割りたかった。死んでしまいたかった。

 男は彼女が死んだその日からずっと死にたかった。

 

『…………』

 

 でも、男はその衝動を抱えながらも生きていた。自らの手で命を絶っていなかった。

 それが何故かといえば、ただ、己よりも憎い相手がいたからだ。

 

『…………魔王……!』

 

 呟く。そうだ。全て魔王のせいだ。

 男は、己の憎悪を魔王に向けると決めていた。本当は他に向けそうになったけれど、彼女がこの国を、人々を愛していたのを知っていたから、魔王に向けた。

 

 魔王さえいなければ、彼女はああならなかった。死ななかった。憎んでも憎み切れない、人類の敵。全ての元凶。

 

 腹の中の感情がぐるぐると渦巻いていた。

 憎悪の矛先。許せない。ただただ、許せないという感情。その存在を、生存を許せないという激情。

 

『――もし、少しよろしいでしょうか』

『……ぁ?』

 

 一人の女性が男の前に現れたのは、そんなときだった。

 

 ◆

 

『葬儀以来ですね、お義兄さん』

『……ああ、君か』

 

 現れたのは、男にとって義理の妹に当たる相手だった。

 つまり、ファティマの妹だ。しかし交流は殆どなかった。何をしに来たのかと男は思い。

 

 ――ぼう、と視線を向ける男に妹は言った。姉の遺書が見つかったと。

 

『……遺書!?』

『ええ、私ども宛の。……あなたのことが書かれていました。自分の死後、便宜を図って欲しいと。望むことを何でも叶えてやって欲しいと』

『……な』

『なので、何かあれば言って下さい。姉の最後の願いです。我が家の総力をかけて叶えると誓いましょう。……ただ一つの例外を、除いて、ですが』

『……?』

『一つ、たとえ望んでもこれだけは叶えるなと書かれていました。――新しい女だけは、絶対に許さないのだそうです』

『………………!』

『……ま、今のお義兄さんの姿を見ればどう考えても余計な心配ですが』

 

 ……新しい女。その言葉に、男の頭にかつての記憶が蘇る。

 ファティマは、少し嫉妬深い人だった。共に歩いていて、ふと他の女性に目が向くと頬を膨らませた。わざとらしく拗ねて見せた。

 

 そっぽを向いた彼女をなだめるのは結構大変で、男は苦労して……でも本当はそんなやり取りが男は、好きだった。彼女も本気で怒ってるわけではなくて、半分楽しんでいるように見えて……。

 

『……う、あ、あぁ』

 

 彼女の記憶に、男の目から涙が溢れる。

 愛していた。誰よりも、何よりも愛していた。彼女が居れば、他に何もいらなかった。

 

 朝起きて、挨拶が出来れば幸せだった。

 共に歩いていれば、それだけでよかった。

 

 ………………でも、それなのに。

 もう彼女はいない。どこにもいない。

 

 死んでしまった。泣きながら、死んでしまった。

 だから――。

 

『…………!!』

 

 ――だから、男の中にあるのは、悲嘆と、深い後悔と――憎悪だけだった。

 

 憎い、憎い憎い憎い――魔王が、憎い。

 許せなかった、何もかもを許せなかった。

 

『――ああ、願い、決めたよ。なんでも叶えてくれるんだろう?』

『え? あ、ああ、はい。もちろん。……なんでしょう』

 

 故に、男は――。

 

『――なら、僕を、魔王の封印に連れていけ……!』

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

(……本当に、よく分からない。なんなのだろうか、この記憶は)

 

 ――そして、また現代。コノエは広場に下り、動いている金の花に一歩近づく。

 金の花が見せる男の記憶を垣間見ながら、歩いていく。

 

 男の悲嘆と、憎悪。そして魔王の封印。

 胸を裂くような絶望があった。ここが魔王のいる領域でなければ一緒に泣いていたかもしれない。そんな痛みをコノエは感じていた。

 

 ……でもこれが何を示しているのかが、分からない。

 困惑するコノエの視線の先には、不規則に、ゆっくり移動する金の花があって――

 

「…………?」

 

 ――しかし、そこで、気付いた。

 不規則に見えた花の動き、それと同じ動きをするモノがいた。

 

 コノエは、見る。花の下に、一塊のスライムが居る。

 黒紫色のスライム。魔王の断片。その動きに合わせて、花は動いているような――。

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

『お義兄さん、必ず、死にますよ?』

『……ああ』

 

 ――男の要求は、結論から言えば認められた。

 何故かといえば、男に固有魔法が確認されたからだ。呪詛の固有魔法。対象を呪い、一時的にその力を抑える憎悪の魔法。

 

 ときに、対象の固有魔法をも一時的に封印する魔法。有史以来、多くの災害や災厄を弱らせ、打ち取ってきた。

 でも、しかし、それは――。

 

『――知っていますよね? 魔王に呪詛は通用しない。そして、呪詛を掛けたものは必ず死ぬ。例外はありません』

 

 ――それは、不死の魔王には通用したことがない。不死の権能を封印できたことは無い。だから、魔王を誰も討伐出来なかった。

 

『ああ』

『分かってるんですか?これはほとんど、ただの実験ですよ?』

 

 ――故に、これは実験だった。

 呪詛の持ち主がどうしてもと言うので、やらせよう。その結果を観察すれば、謎が少しは解明できるかもしれない。そういう実験。

 

『……なんで。こんなの、姉さんだって――』

『――くどい』

 

 それでも、男は止まらなかった。止まれなかった。

 魂から噴き出す憎悪に身を焼かれていた。

 

 だから、止める声に耳を傾けず、男は封印領域に入り――。

 

『…………おぉぉお!』

 

 固有魔法を発動する。呪詛がその力を発揮しようとする。

 男は、固有魔法が魔王に繋がるのを感じ。

 

『――――』

 

 ――その瞬間、あっけなく意識が途切れた。

 

 最後に男が認識したのは、何か大切な物を失ったような感覚。

 他の呪詛系の持ち主と同じように、男はそこで死んだ。

 

 特別なものなど、何もなく。

 ただ異世界人なだけの普通の男は、魔王の前に当然のように死んでしまって――。

 

 ――

 ――

 ――

 

 ――死んで、しまった。そのはずなのに。

 しかし、ふと――。

 

(――え?)

 

 なぜか、男の意識は戻った。

 

 ◆

 

 意識を取り戻した男が最初に覚えたのは、強烈な違和感だった。

 それまでとは違った。視界も、体も、その全てが違った。見えるものは石造りの建物で、そこに自分は横たわっているはずなのに、何もかもが違うような。

 

『――?』

 

 ――あれ? 横たわっている? 本当に?

 男は、何かが違う気がした。でもまず起き上がろうとして……

 

(……これは)

 

 そこで、気付いた。己の手が、手と認識していたものが、黒紫色の粘液だった。

 つまり――男は、スライムになっていた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。