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午後四時五十分。ふかふかのソファにも、大きな背もたれの黒い椅子にも男の姿は無くて、最近早帰りな西の陽射しに照らされた部屋の中、ブロンドの彼女はふうとため息をついた。スマホをゆっくりとスクロールして、ノスタルジーな感傷に浸っている。
四年前の夕焼けと、生きた人のうごめく撮影現場裏、あとはメイク途中の自分の顔。それくらいしか写真なんてなかったのに、いつからだろうか、自分の写真が増えた気がする。
ナチュラルメイクでささっと仕上げて、とても雑誌には載せられないような、ぶきっちょな笑顔と下手くそなカメラマンなのに、宝物のように見えて仕方がない。
男の写真もあった。一人の男の写真だ。とは言っても、好んでカメラに写ることをしないような人なので、ほとんどは机に突っ伏して居眠りしてしまった時とか、仕事に集中して写真どころじゃない時、ふざけて変顔をした時、そんなものばかりだ。
思えば彼は、ずっとスマホかカメラを握って、シチーを撮っていたかもしれない。トレーニング中にフォームを確認するためとか、レースに出たら記念にとか、GIで勝った時には奮発して買ったっていう一眼レフをシチーに向けて色々なところで連写していたと思う。だから彼の写真がこれほど無くて、でもシチーに写真を共有するから、シチー自身の写真だけがスマホに溜まっていったんだ。
アンティークな雰囲気のショーケースの中、額縁で飾られたあの写真も、彼の作品の一つだ。
真っ赤な優勝レイを肩に提げて、大きく口を開けて笑顔を見せたシチー。カメラの下手っぴな彼だけれど、こればかりは褒められてもいいと思う。
けれども彼は、そう言われるたび、「モデルが良いからな」とか、「たまたまだよ」とか、そんな下手くそなごまかし方をして、写真の話をやめてしまうのだ。
隣には阪神ジュペナイルフィリーズのトロフィーと、この前シチーがプレゼントした磁器の洋皿。下の段にはレパートリーの豊富なパカぷち。制服や勝負服、ライブ用の衣装と、それぞれに少しずつ違った笑顔。どれもシチーのパカぷちだ。
「本当、アタシのこと好きすぎ」
時々、彼は何の恥ずかしげもなく、真っ直ぐに自らの思いを口にする。
シチーが洋皿をプレゼントしたときだ、ショーケースを見ては皮肉っぽくこういうシチーに、彼は何かを疑うようなこともなく言った。ああ、大好きだ、って。
シチーも、そんな彼のことが好きだった、大好きだった。でも未だ、その言葉を口にしたことはない。優しくオレンジに照らす太陽が、まだ大丈夫って言ってるから。
「懐かしいなあ、それ」
あたたかいソファの後ろで、彼はコーヒーメイカーでカフェオレをいれていた。
「え、いつからいたの」
「さっき。それって確か、担当契約結んだ時のやつだよね。たづなさんがカメラ構えて撮ってくれたんだっけ」
シチーと、その隣に立つトレーナー。普段はちょっと着崩した制服もその時ばかりはきっちりと決めて、彼も着慣れないスーツ姿で写っている。背筋を伸ばして、笑顔のひとつもなく、まるで宣材写真みたいなツーショット。それが唯一のツーショットで、それが唯一、シチーの持つ、彼がごく普通に写っている写真だった。
「うん。トレーナーとウマ娘で契約結んだらツーショ撮るってやつで」
「そういえば、まだシチーとしか撮ってないな、それ。シチー以外担当してないし」
「そろそろ新しい娘担当しようとか思わないの?」
「なんか、シチー以外の娘はスカウトしても反応イマイチなんだよなあ」
「まあ、アンタのスカウトはほぼ不審者だしね。アンタのスカウトに応じたアタシに感謝してよ」
そう皮肉っぽく返してみるんだけど、また彼は純粋に受け取っているらしい、立派な笑顔で言うのだ。
「うん、感謝してる。ありがと」
「……まあ、アタシも感謝してる。アタシをスカウトしてくれたこと。こちらこそ、ありがと」
ふっとほおが熱くなるけれど、きっと、銀朱のミラーボールみたいな太陽がそれさえ照らしてくれている。大丈夫、って。
「てか、これしかツーショが無いって笑えるわ。お互いらしくない撮られ方しちゃってさ」
「そっか、それしか無いのか」
「アンタがアタシばっかり撮って自分は写ろうとしないからね」
「はは、ごめん」
「別に気にしてないけどさ」
フーフーと息を吹きかけて、二人でカフェオレをすする。堅苦しく並んだ二人の写真は光をなくして暗転する。久々にトレーニングがオフになった日の夕方、二人はシルエットになって、でもカフェオレの湯気はオレンジに照らされた。
「じゃあ、撮ろっか。俺たちのツーショット」
マグカップを机に置いたら、彼は覗き込むようにしてそう言う。
「今?」
「今」
写真を撮ると言ったら彼は決まって自慢の豪勢なカメラを取り出すはずなのだけれど、そんなそぶりを一切見せない。シチーは、そんな彼の瞳を察して、笑いながら応えるのだ。
「うん、いいよ。一緒に撮ったげる」
ポケットからスマホを取り出してカメラを起動する。
シチーのスマホは年代物だ。ヒビの入った小さなそれに入ったアプリは、仕事用に準備したいくつかのSNSのみ。マイクロSDを挿し込んで何とか32GBのスマホに写真を押し込んでいる。
「じゃあ、笑って」
「にーっ」
「なにそれ、キモすぎ」
「精一杯の笑顔なんだけど」
カシャ。
西陽が差し込んで二人の顔に影が射す。それでもやわらかな笑顔は輝くように、四角い画面の中でこちらを見つめている。二枚目のツーショットだ。
「じゃあ送っとくね」
「うん、ありがと」
LANEを開いて写真を送信する。
「あ、間違えた」
『いいんじゃない、問題ないわ』
『シチーにしては下手くそな写真だけど、素敵』
トレーナーと間違えてマネージャーに送ってしまったが、どうせ許可が出たのなら、とウマッターに投稿した。瞬間にけたたましく通知欄が更新され、いいねとコメントがごった返す。ウマッターを消してカバンを肩に提げた。
「じゃあ、明日は朝から撮影あるし帰るわ。またね」
「うん、また」
扉を優しく閉めて、スキップで校舎を駆け抜ける。