お前もニフってる?   作:HLNF会長

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第二話 気まぐれなジェットコースター②

 

 

「広がるのは、光ひとつない無限の宇宙。道しるべは、闇の中に咲く神秘の光る花だけ。その輝きを追いかけながら、あなたのシャトルは急降下! 急旋回! 想像を超えるスピードで銀河を突き抜けます! 最高速度は時速120キロ! 最大傾度は275度! 次に何が起こるかは……乗ってからのお楽しみ! 果たしてあなたは、果てしない宇宙の中で、伝説の楽園にたどり着くことができるのか!? それではシートベルトをしっかり締めて———ドキドキMAXの楽園ツアーへ出発だ! レッツ・イグニッショーーン!!」

 

 なーにがイグニッションだ。

 シリウスは目の前の大画面に映る宇宙服を着た女性の説明を聴きながら、心の中で毒づいた。

 『ダーク・パラダイス・シャトル』、エクスプレス・チケット専用レーン。シリウスとハリーはその列に並んでいた。着いてみると、エクスプレス・チケット専用とはいえ何人か並んでいる人間はいたが、人数を数えてみると二人の順番は次のシャトルであるだろうということが容易に確認できる。

 エクスプレス・チケット専用レーンを進むごとにシリウスの顔は段々青白くなっていったが、幸い薄暗い通路には青色の照明が付いていたので、ハリーにバレる心配はなかった。宇宙へレッツ・イグニッションまであと少しである。

 

「そういえば、シリウスのところに来たっていうあの屋敷しもべ妖精、どうなったの?」

 

 大画面を睨んだまま動かないシリウスにハリーが声をかけた。

 

「屋敷しもべ妖精……ああ。結局どこから来たのかは分からずじまいだった。そもそも彼らの魔法は、我々のものとは少し性質が違うからね。追跡が出来ずそれっきりさ」

 

 シリウスの下に奇妙な屋敷しもべ妖精が来たのはつい先日、三日前だ。列を区切るバーにもたれかかりながら、シリウスは思い出す。

 

 

 あれは、闇祓い局で一日しこたま働かされたシリウスが、ボロ雑巾のようになった身体中の筋肉を動かし、抜き足差し足なんとかオフィスを抜け出したときのことだった。

 

 暗いグリーンのタイル張りの壁に囲まれた、魔法省地下二階、魔法法執行部エリア西、闇祓い局。

 自身のデスクに顔を伏せていたシリウス・ブラックは、山積みになった書類の山から、そーっと顔を出した。そして周りを見渡し、意識がある人間が誰もいないことを確認すると、キャスター付きの椅子を静かに動かして背後の壁に引っ掛けられていたコートと鞄を手に取った。

 

 朝の六時から夕方の八時まで、十四時間働けって? 冗談言うなよ。一日は二十四時間しかないんだ。報告書なんて明日やればいい。

 

 現在時刻は午後六時。

 床に転がって仮眠している同僚を完璧なステップで跨いで、ドアの開閉音を消音呪文で完璧に消し、身を翻したシリウスは、こっそり屍の山をあとにした。“鬼軍曹”こと局長のスクリムジョールは会議で不在だし、例の()()()()()()()は珍しく非番である。こんなラッキーな日は早退(とうぼう)しかない。

 

 廊下でコートを羽織ったシリウスは、真っ先にエレベーターへと向かった。上司にバレたら詰められることは分かり切っているため、万が一のためにスクリムジョールの警戒も怠らない。流石闇祓いといった身のこなしで、シリウスは鞄などを駆使して人目を避けながら、廊下を素早く移動した。

 しかし、シリウスより幾分か上手(うわて)な人間も魔法省には存在する。

 

「あ、いた!」

「ブラックさーん! 探してましたあ」

 

 語尾にハートが付きそうな声色で、三人の受付嬢が近づいてきた。うげ、とシリウスは呟く。一瞬の逃げる隙もなく、シリウスは受付嬢に取り囲まれていた。

 

「ここの書類のサインお願いしたくてぇ」

「……この書類のサインはスクリムジョールがいいんじゃないか?」

「いま局長お忙しいじゃないですか~」

 

 のらりくらりと躱しながら、シリウスに羽ペンを持たせてくる受付嬢A。一方、マスカラをつけた目をぱちぱちとさせて上目遣いでシリウスを見てくる受付嬢Bに、突然髪の毛をくるくる弄り始めた受付嬢C。

 

 そう、これは分かりやすいアプローチである。純血貴族の一人息子、闇祓い、ハンサム、の三拍子が揃っているシリウスは、昨年魔法省に入省してから、こういった経験を数えきれないほどしてきた。食事に誘われるなんて両手で数えきれないほどあったし、バレンタインデーの日には同僚の男たちから露骨に睨まれるほど大量のカードをもらった。シリウス側もそこまでまんざらでもない。普段なら軽くあしらいつつも話を弾ませるところだが……しかし、今日は事情が違う。

 サラサラとサインをした後、シリウスは受付嬢Aの名札をちらりと見た。

 

「ミス・クロックフォード、今日は急いでいるから明日話そうか」

「ええ~帰っちゃうんですかあ? 闇祓いの方々は今晩徹夜って聞きましたけどお」

「……それは誰に?」

 

 徹夜? スクリムジョールか? 冗談じゃない。シリウスはピクリと片眉を動かす。嫌な予感がした。

 

「わしにだ」

 

 シリウスの背筋が音を立てて伸びた。

 なんでこいつがここに。頭の中の疑問を整理する前に、硬い木製のバインダーが肩をつつく。シリウスがしぶしぶ振り向くと、そこにはアラスター・ムーディ、通称マッドーアイが「魔法の目」をぎょろぎょろ動かしながら底意地悪く笑っていた。

 

「お前さんもしくじったな。天下の闇祓い局はそうやすやすと抜け駆けはさせんよ」

「なぜいる? マッドーアイ」

「なぜいるんですか、だろう。わしはお前の教育係だぞ。じゃあなお嬢さんがた」

 

 ムーディはシリウスの首根っこを掴みながら、元来た道に引き摺りはじめた。つまり、屍の山に逆戻りである。

 

「あんたは休日だという話だったろうが」

「今日は少し別の部署に話をつけに来た。この階に寄ったのはたまたまだ」

 

 ムーディは不機嫌そうに、義足でがつがつと床のタイルを傷付けながらシリウスを睨んだ。

 

「誰から聞いた?」

「なにが?」

「お前さんがいまやった()()だよ」

 

 魔法省()()ブラックと名高い(もちろんシリウスのラストネームの話ではない)闇祓い局には、暗黙の了解というものが存在する。それは元来忙殺されてきた闇祓いたちが築いてきたサバイバル術であり、部下のフラストレーションを貯めこませないための上司たちの温情でもある。

 “誰にも見つからずに抜け出せれば、帰ってヨシ”———無論実動業務があれば話は別だが、デスクワークのみが残っている場合、誰にも見つからず退勤できればそれは正当な早退と化す。

 

「仲間を売らんのは褒めてやる。おおかたコリンズあたりに教えられたんだろうが」

 

 黙りこくったシリウスを見て、ムーディはフンと鼻を鳴らした。

 

「仲間を売るやつは嫌いだ」

 

 シリウスはムーディを睨み返した。

 

「今日はハリーの誕生日なんだよ。七月三十一日。分かるだろ? じゃ、帰らせてもらうぞ」

「待て」

 

 返事も効かずシリウスはするりと抜け出そうとしたが、ムーディが首根っこを引っ掴んで引き戻した。

 

「今度はなんだよ?」

 

 うんざりとしたようにシリウスが振り向く。

 

「三階の事務のやつに聞いたぞ。マグルのテーマパークについて情報を集めてたそうじゃないか。お前さんに言ったはずだ、ハリー・ポッターは家から出すなと」

 

 行き過ぎた監視だな。シリウスは小声で悪態をついた。ムーディはため息をつく。

 

「まあ待て、別にわしは気にせん。ダンブルドアに言うつもりもない」

 

 だがな、とムーディは手に持っていたステッキをシリウスの胸をしたたかに突いた。なかなか強い衝撃にシリウスは声を押し殺した。

 

「数カ月前、ヴォルデモートがハリーを殺しそこなったことについて、お前はよーく知っているはずだ。きちんと守れ。じゃないと今度は本当にお前のせいになるかもしれんぞ」

 

 ムーディが低い声で忠告した。明らかに意図的にラインを踏み越えて発言をしていた。ムーディは、顔つきが変わったシリウスを魔法の目で値踏みするようにぎょろぎょろと覗き込んでいた。

 

「……言われなくても分かってるよ」

 

 投げやりな言葉にムーディは眉を上げる。

 

「本当に分かっているのか?」

「ああ、十分なほど分かってる。ジェームズのときも、俺のせいだ」

 

 シリウスは突き付けられたステッキを振り払って、ムーディの方を見ることもせずに廊下を歩いて行った。

 

「……あいつもまだガキだな」

 

 ムーディはシリウスの背中を目に焼き付けるように目を細めて、そのまま闇払い局の方へ、ステッキをつきながら歩いて行った。

 

 

 

 シリウスはエレベーターホールにたどり着くと、上へのボタンを乱暴にカチカチ押した。先客はおらず、数個の紙飛行機が空中を漂っている。それも下へ行くエレベーターが到着すると、すべてそちらに飛んで行ってしまった。シリウスは大きなため息をついた。

 ……ハリーの誕生日だ。暗い気持ちになるのはよそう。

 シリウスは懐から懐中時計を取り出して、これからの予定を逆算し始めた。七時には家につきたい。これからダイアゴン横丁に姿現しをして、ふくろう郵便局まで行って、荷物を受け取る。そのあと三ブロック先のクィディッチ専門店まで行って、ハリーへのプレゼントのピックアップ。四十分もあれば終わるだろう。グリンゴッツに寄るのは厳しいか?

 

 上の階行きのエレベーターが来た。折り畳み式の格子戸がガシャンと開いて、シリウスは乗り込む。帰宅ラッシュからは微妙に時間がズレているからか、乗客はシリウス一人だけだった。シリウスが乗り込むと、エレベーターは後ろの暗闇に向かって動き出す。マグルのエレベーターと違って、上下左右縦横無尽に動くのが魔法界式だ。最初は乗るたびに酔いで呻いていたが、今ではシリウスも表情を動かさずに耐えることが可能になっていた。克服したわけではない。箒も空飛ぶオートバイもシリウスにとっては好ましい乗り物だったが、恐らく、自分で動かせない飛行物体が苦手なんだろうとシリウスはあたりをつけていた。

 数日後の『フォーリン・デス』で、それは望まぬ形で肯定されてしまうわけだが。

 

 エレベーター内の照明が、チカ、チカと断続的に点滅した。

 

 シリウスは眉根を寄せた。故障か?

 

 すると突然、エレベーターがガクンと揺れた。

 

「……は?」

 

 そのまま機体は細かく揺れて———真っ逆さまに下に落ち始めた。

 ゴオゴオと大きな音を立てながら、機体が落下していく。格子戸から差す暴力的な風がシリウスのコートをはためかせた。内臓がすべて上に持っていかれそうな浮遊感がシリウスを襲う。

 シリウスの判断は早かった。衝撃で床に座り込んでいたが、すぐさま手すりに掴まってその体をなんとか起こした。

 

「おい、お前……誰だ」

 

 そして、目の前に立つ屋敷しもべ妖精に、鋭い視線を向けた。どうやら目の前のこいつが、この有り様を招いた張本人らしい。屋敷しもべ妖精はシリウスの視線に気づくと急にまごつき始めた。

 この間にもエレベーターは落下している。シリウスの髪が風に煽られてばたばたと暴れていた。

 

「屋敷しもべ妖精転勤室は四階だが」

 

 警戒はしつつ、呆れたようにシリウスが言った。

 

「違います、ド……わたくしめは、屋敷しもべ妖精転勤室に用があるわけではないのです」

 

 その屋敷しもべ妖精は、シリウスの圧のこもった視線を意に介していないようだった。困ったような顔でシリウスのことを見つめている。困っているのは私だ、とシリウスは思った。もしかしたら今までひっ捕らえてきた輩からの差し金かもしれない。急降下を続けるエレベーターの中で、なんとか屋敷しもべ妖精の様子を探っていたシリウスだったが、当の屋敷しもべ妖精が突然口を開いた。

 

「ハリー・ポッターは今年、ホグワーツに戻ってはならないのです」

 

 シリウスは目を丸くした。「ハリー?」と怪訝に呟くと、その屋敷しもべ妖精は頷いた。

 

「ハリー・ポッターは偉大な方、『名前を呼んではいけないあの人』を倒したお方。ホグワーツに戻ってはなりません。ホグワーツに戻ったら、死より恐ろしいことが待っております」

「ほう、初耳だな」

 

 シリウスの言葉に、エレベーターの動きが停止した。対話の意思はあるらしい。つまり、すぐさま自分をぺしゃんこにしようってわけじゃないということだ。シリウスは呼吸を整えながら推測する。

 

「で、それはどこから仕入れた情報なんだ?」

 

 シリウスの視線が鋭くなった。屋敷しもべ妖精の様子が露骨に不審になる。

 

 ははあ、主人に「言うな」と命令されているんだな。

 

 シリウスは単なるいたずらだと思った。おおかたハリーのことを気に入らない貴族のスリザリン生からの差し金だろう。でなければとこんな助言じみたことを、情報を隠して言うはずがない。

 

 しかし、シリウスの考えには一つ誤算があった。それは、この屋敷しもべ妖精が主人の命令に()()()ここに来たということ。

 屋敷しもべ妖精が主人の命令に背くことは、基本的にタブーである。この屋敷しもべ妖精が情報源を言わないのは、「あえて」ではなく、「命令に背けないラインのもの」だったからなのだが、シリウスはその可能性を加味できていなかった。

 

「ド……わたしめは、それは、言えないのでございます」

「なぜ言えないんだ? そう命令されたか?」

 

 シリウスは噛みついた。ド、というのも気になる。何かを口走りかけているようだ。強い口調で揺さぶって、なにか口を滑らすことはできないかとシリウスは考えていた。

 シリウスは屋敷しもべ妖精の姿を改めて見てみた。みすぼらしい格好だ。シリウスは険しい顔になる。屋敷しもべ妖精の格好について、服を与えるということは解雇を表してしまうため出来ないことは知っている。ただ、主人の手で修繕魔法をかけてやるなりして、身なりをある程度正してやるのことはできるだろう。

 どうもいいご主人様じゃないらしい。

 

「君も大変だな」

 

 シリウスが出し抜けにそう言ったので、屋敷しもべ妖精は大きな目をぱちぱちと瞬かせた。

 

「ハリーの同級生かなんかの家に仕えてるんだろう? ハリーの養父を脅して来いと言われたか? ハイハイ、驚いた。これで君の業務は達成かな?」

 

 シリウスはわざとらしく両手を上げながら、背中をエレベーターの壁につけて杖の存在を確かめた。闇祓いは杖ホルダーを使うのが一般的だが、シリウスに関しては腰に差す方が安心できた。相手に杖の場所がバレないし。

 

「ち、違います。ド……わたくしめは、良かれと思ってやっているのでございます。本当はハリー・ポッターにこれを伝えるはずでした。しかし、探しても見つかりませんでした。だからここにきて、あなた様にお願いしているのでございます……」

 

 シリウスは、少しだけ真実に近づいたような気がして目を細めた。

 

「つまり、君は主人の命令で来たわけじゃないんだな?」

 

 屋敷しもべ妖精はハッとした。そして、なにかを後悔したような顔つきで呻くと、後ろの格子戸に頭をぶつけ始めた。「悪い子、悪い子」と叫んでいる。

 その瞬間、シリウスは杖を抜いた。暴れる屋敷しもべ妖精に無言で拘束呪文(インカーセラス)をかけた。屋敷しもべ妖精の細い骨ばった腕を紐が縛っていく。

 

 エレベーターがガクンと揺れた。今度は———上だ。

 シリウスはあまりの衝撃に尻もちをつき、視線が天井へ向いた。急速に上昇をしている。五階のエレベーターホールを一瞬で通り過ぎたのが、格子戸の隙間から見えた。

 

 違う、これは陽動だ。

 シリウスがハッとして前を見ると、屋敷しもべ妖精の姿はどこにもなく、ほどかれた紐だけが床に散らばっていた。

 

 

 

 

 

 そんなことを考えているうちに、シリウスとハリーの目の前に、『ダーク・パラダイス・シャトル』の車体が戻ってきた。アトラクションを楽しんできたであろう乗客たちは一人残らず髪の毛がぼさぼさで、疲れ果てている。シリウスは何回かに分けてつばを飲み込んだ。

 

『それではお待ちの方、ご乗車くださーい』

 

 シリウスとハリーは前の乗客と入れ違いで乗り込んだ。大仰な安全バーを肩までおろす。

 

『それでは果てしない楽園を探す旅に、いってらっしゃーい。レッツ・イグニッショーン』

 

 やる気のない係員の間延びした声がマイク越しに響く。ハリーがシリウスの方をふと見ると、胸元にある安全バーを脇をしめて両手でしっかりホールドしながら、鋭いまなざしで前を睨んでいた。

 シリウスってなんでこんなに真剣な顔してるんだろう。ハリーは思った。

 

 シャトルが勢いよく発射すると、乗客たち、シリウスを除く、は歓声をあげた。常軌を逸した速度で乗り場を離れたシャトルが、暗闇の中を縦横無尽に走り始める。

 

「ね———ねえシリウス」

 

 風圧に負けそうな声でハリーが言った。

 

「ハリー? なにか言ったか?」

 

 シリウスが声を張り上げた。あまり余裕がないと見える。シャトルがぐわりと遠心力を使って右折した。

 

「な———なにかおかしくない?」

「なにが!」

 

 暗闇の中を、ピンクや黄色に光る花々が照らしている。その花々は速さの中で、光線となって視界の端に消えていった。シャトルがぐるぐるとレールの上を回っていく。電球の星々がまるで万華鏡のように模様を描き始める。

 

「速度が」

 

 ハリーが言う。

 

「速度が、一定じゃない気がする」

 

 シャトルが急にゆっくりになった気がした。

 

「……確かに?」

 

 シリウスがそう言うと、シャトルの車輪の回転数が上がった。

 

「もしかして僕たちの言葉に反応してる?」

 

 すぐにまた最高速度に戻ったシャトルに翻弄されながら、ハリーが突拍子もないことを言い始めた。

 

「まさか」

 

 シリウスは笑ったが、案外間違いじゃない気もしていた。なぜなら、先ほどからレーンと接している部分の方から奇妙な音が響いているからだ。まるで———このシャトルが出せる最高速度を大きく越しているような音。

 

「ハリー、もしかして怖いのか?」

 

 シリウスは唇を青くしながら笑った。頭の中の薄っぺらいマグル学の教科書を開いて、「マグル界のジェットコースター運営上の安全規定について」という章を探し出そうとしていた。生憎そんなニッチな章はない。コラムでもよかったが、そもそもシリウスの教科書にはジェットコースターという文字すらなかった。

 

「ハリー?」

 

 シリウスは呼びかけた。変に静かだ。シャトルの駆動音しか聞こえないことに、シリウスはいまやっと気がついた。周りの乗客ももっと騒いでいていいはずだ。

 

「おい、誰か!」

 

 シリウスは叫んだ。太い安全バーが邪魔をして、横を向いてもハリーの様子が分からない。周りの乗客の話し声も、叫び声すら聞こえない。

 

 その時、ぞっとするようなことが起こった。

 シリウスの横の安全バーが、段々緩んで上がっていっているような気がするのだ。

 

「ハリー、ハリー?」

 

 シリウスはハリー側の右手でハリーのパーカーを掴んだ。手をグラグラ揺らしてみても、反応はなかった。まずいことが起こっている。

 シリウスは背中を動かして杖の位置を探った。右手側にあった。つまり杖を取るには右手を離さなくてはならない。しかし、ハリーの安全バーは、視界の端から見えるほどほとんど上がってしまっている。シリウスは舌打ちをした。安全バーが邪魔で杖を取り出せない。自分のバーが上がればよかったのに———なぜいつもハリーなんだ。

 

 シリウスはハリーの腕をもう一度しっかり掴みなおした。そして自分の方に出来るだけ引き付ける。絶対に手を離さないように。だらりと垂れた細い腕を握る右手は汗をかいていた。きつく握っていると、わずかに脈が感じ取れる。大丈夫、大丈夫だ。まだ生きている。シャトルが勢いよく曲がるたびに、ハリーの身体はふわりと浮き上がった。

 

 その時、シャトルがぐわりと予想外の動きをした。ぎりぎりレールにとどまっていられるくらいの速度で、上下に一回転したのだ。

 

「ハリー!」

 

 重力に引っ張られるように、ハリーの身体はシリウスの手から離れて浮き上が(おちてい)った。

 シリウスは急いで腰にしまってあった杖を取りだした。シャトルが勢いよく景色を置き去りにしていく。シリウスの心臓が痛いくらい音を立てて拍動していた。シリウスは頭が真っ白になった。

 ハリーの姿は、暗闇の中に吸い込まれて見えなくなってしまっていた。

 

 




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切実に燃料をください。エタる確率が低くなります。沢山の感想ありがとうございます。感想をください。私の主食です。
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