お前もニフってる?   作:HLNF会長

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第8話 ルーナ・ラブグッドと不思議な男

 

 

 誰かが自分の身体を揺さぶっている。

 

 男が目を覚ましたのは、朝日がホグワーツの尖塔を淡く染め始めた頃だった。

 頬に触れる硬い感触に、意識が浮上する。男がゆっくりと瞼を持ち上げると、目の前には木目の浮いた床板が広がっていた。

 床に倒れていたのだ。

 男はしばらく瞬きを繰り返し、それから頬をつけたまま目だけを動かして周囲を見回した。状況を確認し終えると、諦めたように息を吐く。

 身体を起こそうとして———失敗した。

 力の入らない身体が傾き、肩が床へ打ちつけられる。鈍い痛みに顔をしかめながら、男はようやく自分の状態が思った以上に深刻であることを悟った。

 視界の端に、床についた手が映る。

 男は驚いたように飛び起きて、自身の手をまじまじと見つめた。人間の手だ。色の白い肌に、細長い指、角ばった手首。

 男は数瞬固まった後、慌てて部屋の隅に置かれていた姿見に駆け寄った。

 金色の縁を掴み、鏡に映る自身の姿を凝視している。一枚の鏡を隔てた向こう側で、黒い目をした男と目が合っていた。

 

 男は瞬きをした。

 鏡の中の男も瞬きをした。

 男は右手を上げた。

 鏡の中の男も右手を上げた。

 

「……のっぺらぼうじゃない」

 

 男は呟いた。緩む頬を震える手で押さえながら、上がっていく口角を止めることが出来なかった。

 

「人間だ」

 

 鏡像をじっと見つめる。見返しているのは、丁度ロンの兄、パーシーと同じくらいの年齢の男だ。年齢を多く見積もっても恐らく二十代ではないだろう。もう少し幼いはずだ。

 鏡像は、男の想像と違った形をしていた。耳に掛かるくらい伸びた髪の毛は初老のように灰色で、目は夜の闇と同じくらい黒い。眉毛は凛々しく、睫毛が長い。洗練された雰囲気ではないが、荒れ地に咲く野薔薇のような美しさがあった。

 

「……イケメンじゃん」

 

 そういえば、髪のセットの仕方がシリウスに似ている。

 

「もしかして、イケメンに変身したいっていう深層心理がシリウスに寄せたとか?」

 

 ありうる。男はぶつぶつ呟いている。

 そしてそれから十五分ほど、鏡の前で色んな角度で顔を眺めたり、ウインクをしたりしていた。

 

「こりゃロックハートの気持ちも分かるわ」

 

 ひとしきり堪能したのか、男は満足げにニヤッと笑った。男は姿見の前でくるりと一回転すると、着ていたスーツの胸元を手の甲でサッと整えた。スーツの色味も独特だ。黒いシャツに白いベスト、黒いジャケットのスリーピース。「チャラい、ホストみたい」と男はすっぱり毒を吐いた。

 そして一転。なにを思ったのか、「てかさあ」と男は険しい顔になる。

 

「人間になるの早くない? 今二章目だよね? 普通こういうのって、五章目あたりでなるんじゃないの?」

 

 何事も安易にするもんじゃない。

 眼鏡っ子の眼鏡は安易に外してはいけないし、仮面をつけた者の仮面を安易に取ってはならないし、モフモフは安易に人化するべきではないのだ。

 と、いうのが男の持論であるらしい。

 

「いくら何でも早すぎる。ニフラーを愛している者たちに対する冒涜だ」

 

 眉をギュッと寄せ、片方の足裏を床にタンタンと打ち付ける。極めて理不尽な内容でみぞの鏡を詰めながら、男は腕を組んで唸った。

 

 

 

「そういえば」

 

 男は何かを思い出したようにパチンと指を鳴らすと、くるりと振り返った。

 

「お前が俺を起こしてくれたの?」

 

 男は首を少し傾げた。部屋の隅に、男を警戒するように例の絨毯が壁にぺったり背を付けている。男が手で招くと、絨毯は恐る恐る壁から身体を離し、足元まで滑らかに飛んできた。

 

「よう、心配かけたな」

 

 男は少し屈んで絨毯を見つめた。

 絨毯がこちらを見上げている……ような気がする。絨毯に目や鼻はないが、形状的に男を見上げるような仕草をしている。

 そして思い違いでなければ、なんだかミョーにキラキラした目で見つめられているような気がする。

 普段なら乗るだけで一苦労だってのに。そう男は悪態を吐こうとして、ふと気が付いた。

 

「もしかして、俺今人間だから認められてたりってする?」

 

 絨毯が自分の布の端で男の革靴をせっせと磨き始めた。

 現金なヤツめ、と男は溜息を吐いて、足をひょいっと持ち上げた。絨毯が残念そうに革靴を目で追っている。

 

「この姿でハリーとかダンブルドアに見られたらヤバいからな。とりあえず……」

 

 男が部屋をぐるりと見まわす。部屋の中心に置かれたテーブルの上、鍋に男は視線を移した。

 そして、目をすっと細める。

 

「クスリを片してずらかるぞ」

 

 ニフラーの主人のときとは一転、ひどく従順になった絨毯は、背筋を伸ばしてビシッと男に敬礼をした。

 

 

 

 

 

「マジで今じゃねぇんだよなぁ」

 

 男は頭をガシガシと搔きながらぼやいた。絨毯に乗ってホグワーツから飛び出したはいいが、行く当てがない。

 男は手の中にある小さな瓶を弄んだ。昨晩作ったであろう人化薬だ。酒のせいで記憶が一部危ういが、ロックハートと別れた後に酔った頭で調合したことは覚えている。

 念願叶ったと言えば聞こえはいいが、そのやり方には問題がある。

 

「大体、調合した薬の順番とか内容覚えてないし……確かマートラップの血とか使ってたよな? よく生きてるもんだ」

 

 加えて、この状態がいつまで続くのか、という点も考えなければならない話だ。

 大体数時間で変身が解けるというのがセオリーではあるが、この先数カ月、数年、もしくは一生このままなのは困る。ハリーとまた初対面からというのも面倒だし、あまりに深くかかわろうとするとダンブルドアを始めとするハリー親衛隊からの横槍が飛んできそうだ。

 

 とりあえず、人間からニフラーに戻るまでどこかで時間を潰さねばならない。

 

「箒とか杖とかも試してみたいな。人間になったら使えるかもだし……ってお前、暴れんなよ! ハイハイ、箒は使わねーよ」

 

 嫉妬で暴れだした絨毯を諫めながら、男はひとまず禁じられた森に身を潜めることに決めた。

 

 

 

 禁じられた森の開けた場所に男は着地した。

 夜が明ける前に小雨が降ったらしい。差し込む朝日に、木々の葉に着いた水滴がキラキラと輝いている。

 瑞々しい草の上に足を下ろすと、生き生きとした命の感触がした。

 

 本来、禁じられた森にこんな開けた場所はない。

 森には木がびっしりと密集していて、昼間でも薄暗いのが普通だ。

 しかし昨年、何らかの理由で大規模な伐採が行われたらしい。森のあちこちにぽっかりと空が覗く空間が生まれ、日差しが地面まで届く場所も珍しくなくなっていた。

 その変化は、森に棲む生き物たちにも影響を与えたのだろう。

 かつては闇を好むものばかりが息を潜めていた森に、今では小鳥たちのさえずりが混じるようになっている。

 禁じられた森のくせに、少しばかり健全になってしまったのだ。

 

「とりあえず、自由に過ごしてていいぞ。いい機会だ、思いっきり飛んで来い」

 

 男がそう言うと、絨毯はサッと敬礼して、ウキウキと空に飛びあがっていった。

 身振り手振りだけなのに、ほんとに分かりやすいやつだ。俺も見習わねば。

 

 男は周りを見渡して、近くにあった小川に目を留めた。

 昨夜の雨で水嵩が増したらしい。川底の小石まで見通せる透明な流れは地形に沿ってくねり、森の奥まで続いている。

 男は川辺にしゃがみ込んだ。

 川に流れていた水は驚くほど冷たく、両手ですくって顔にかけると、一気に頭が冴えるような気がする。

 冷たい。しかしおかげで頭はすっきりした。

 もう一度水をすくい、首筋を濡らす。

 それから男は立ち上がり、濡れた手で前髪をかき上げた。額に張り付いた前髪を後ろへ流す。滴が頬を伝って落ちる。

 さて、今後どうしたものか———と考えかけた、その時だった。

 

 どこかで葉擦れの音がした。

 男は眉をひそめる。

 風ではない。

 なにかがいる。

 禁じられた森で聞こえる物音など大抵ろくなものではない。男は立ち上がって耳を澄ませた。

 

 ニフラーの人間離れした五感は健在なのか、音の発信源は案外すぐに分かった。

 

 木々を何本か挟んだ向こうの離れた木の根元に、誰かが座って本を読んでいる。

 男は目を細めた。その誰かは、ホグワーツの制服を着ている。

 

 ブロンドの髪。

 夢見がちな銀色の瞳。

 

 女の子だ。

 男はじっと見つめた後、やっとその生徒の正体に思い至った。

 あちらに見つかる前に逃げた方がいい。

 男は焦ってその場から離れようとしたが、その前に、既に彼女と目が合ってしまっていることに気が付いた。

 

 少女は男を見て、まるでお互い顔見知りのような自然さで首を傾げた。

 

「おはよう」

 

 男は固まった。

 少女は続ける。

 

「あんただれ?」

 

 沈黙。

 男の脳が現実を理解するまで数秒を要した。

 

 これって、いますぐ逃げたらなかったことにならないかな。

 いや、ならないな。

 もう目が合ってるし。

 ていうか、この距離で顔ってどのくらい見えるんだ?

 見えてない可能性は?

 あるか?

 ないな。

 

 男はちらりと自分の姿を見下ろした。

 

 正体不明のスーツ姿の男。

 ホグワーツの生徒である幼い少女。

 早朝。

 禁じられた森。

 職業、不審者。

 

 終わった。

 

 役満である。

 職員に見つかったら事情を説明する前に拘束される自信があった。

 

「あたし、ルーナ・ラブグッド。あんたはホグワーツの人?」

 

 男は逡巡した。

 

「あー……この森の妖精的な?」

 

 口に出してしまって、男はすぐさま後悔した。完全に頭が混乱している。

 生徒って言えばよかったじゃん。いや、どうせバレるか?

 

「それより、君はなんでこんな朝早くからこの森にいるの? 危ないと思うけど」

 

 男はあえて優しく声をかけた。不審者と思われないための涙ぐましい努力である。

 ルーナはしどろもどろの様子の男を見て笑った。

 

「セストラルにご飯をあげに来たの。こないだ子供が生まれてね、お母さん栄養が必要だから」

 

 ルーナは傍らにあった革製のバッグを引き寄せて、中からおもむろに生肉を取り出した。彼女の小さくて真っ白な手に、赤い血が付いている。鞄に直で生肉である。

 

「あ、そう」

 

 随分アグレッシブな収納方法に男は呆気にとられたように相槌をした。

 ルーナがほほ笑む。

 

 その時、ルーナの背後の森がざわりと揺れた。

 森の奥で何かが身じろぎをした気がする。

 男は頭をかいた。

 中途半端に関わり合いになる前にトンズラしたかったが、彼女の安全が心配だ。

 確か、まだ彼女は一年生だったはずである。男にとって、禁じられた森で一人にするにはいささか幼すぎた子だった。

 

「おいで」

 

 男は手をひらひら振った。

 

「その辺、なんか嫌な感じがするからさ」

「嫌な感じ?」

「勘」

 

 男は即答した。

 

「当たる時は当たるし、外れる時は盛大に外れるんだけどよ」

 

 肩を竦める。

 

「でも、外れたら笑い話で済むだろ?」

 

 そう言って、男は自らのいる陽の当たる場所を指差した。

 

「だからとりあえず、こっち来な」

 

 男は仁王立ちしたままルーナの返事を待った。

 ルーナは少しだけ考えて、薄く微笑んだまま首を振る。

 

「やめとく。セストラルって日陰の方が好きなんだもン。日向だと、黒い肌にお日さまが当たって暑いみたい」

 

 男が口を開く前に、ルーナは続けた。

 

「妖精さんも一緒に待とう。そしたら安全でしょ」

 

 呑気に鼻歌を歌いだした少女に、男は項垂れながら近づいた。

 頼むから誰かに見つからないでくれよ、と心の中で祈りながら。

 

 

 

 

 

 

「なんの本を読んでるんだ?」

 

 男はルーナに話しかけた。向かい合わせになって、二人とも胡坐をかいている。こうして近づいてみると、体格の差がより顕著に分かる。端から見たら完全に事案だろうな、と男は頬杖を突きながら考えた。まだ十代の見た目とはいえ、ここまで年齢が離れているとイカンものを感じる。

 ルーナは男を見上げてぱちぱちと目を瞬かせると、本の表紙を掲げて見せた。

 

「『ロミオとジュリエット』だよ」

 

 飲み物を飲んでいる最中じゃなくて良かった、と男は思った。

 完全に噴き出していただろうから。

 

「あのね、ホグワーツにロミオっていうニフラーがいるのって知ってる?」

「あーうん、まあ、うん」

 

 ルーナのまっすぐな言葉に、男は歯切れ悪く頷いたり頷かなかったりした。

 ルーナはぺらぺらとページを捲っていて、男のそんな様子に気が付いていないようだったが。

 

「あたし、ロミオとお友達になりたいの。それでね、このお話教えてあげようかなって」

「へ、へえ」

 

 男は身体を乗り出してページを逆さに眺めた。

 そういやロミジュリの詳しいストーリーは知らないかも。

 「ああロミオ! どうしてあなたはロミオなの!」っていうセリフと、悲恋的な要素しか頭にない。

 

「どんな話なんだ?」

 

 男は聞いた。

 ルーナはすこし得意げに男を見た。

 

「マグルの世界のお話でね」

 

 ルーナは本を膝の上に広げた。

 

「ロミオとジュリエットっていう男の人と女の人が出てくるの」

「ほう」

「二人のおうちは仲が悪かったの」

「難儀なことだな」

 

 男が頷くと、ルーナも頷いた。

 

「それなのに二人は好きになっちゃった」

「危険な恋ってやつだ」

「それで、こっそり会ったり、お手紙を書いたりするの」

「よくある話だな」

「それで最後は二人とも死んじゃうの」

「全然よくある話じゃなかったな」

 

 茶化す男に、ルーナはくすりと笑った。

 

「でもね、死んじゃったあとで、おうち同士は仲直りしたんだって」

 

 男は少し考えた。

 

「つまり、仲の悪い連中に『お前らのせいで子供が死んだぞ』って突きつけた結果、反省したと」

「たぶんそう」

「重めぇな」

 

 男が顔をしかめる。

 ルーナは再びページを捲った。

 朝の風が吹き、金色の髪がふわりと揺れる。

 

「あたし、この人が好き」

 

 ルーナが指差した先を、男は身を乗り出して覗き込んだ。

 

「ん?」

「ロレンス神父」

 

 男は首を傾げた。

 

「主人公じゃないんだな」

「うん」

 

 ルーナは素直に頷いた。

 

「だって、この人ずっと誰かのために走り回ってるんだもン」

「それだけか?」

「うん」

 

 ルーナは真顔だった。

 

「走り回ってる人を見ると安心するんだ」

「安心?」

「誰かが困ってることに気付いてる人だから」

 

 男は目を瞬いた。

 

「結局失敗したんだろ?」

「上手くいかないことの方が多いよ」

 

 ルーナはあっけらかんと言った。

 

「でも、誰も助けようとしないよりは好き」

 

 そうか、と男は薄く笑った。

 そしてなんとなしに少女の頭を撫でようとして————その瞬間、首筋を氷の刃でなぞられたような悪寒が走った。

 男は反射的に振り返る。

 

「来たよ。セストラル」

 

 ルーナの声は聞こえた。

 だが、その意味を理解する前に男の視線は一点へ吸い寄せられていた。

 いつの間に現れたのか。

 木々の隙間から、一頭の生き物が静かに姿を現している。

 いや、次々に、何頭もこちらに歩いてきている。

 

 男は息を呑んだ。

 座ったまま見上げているせいもあるだろう。しかしそれを差し引いても、その姿はひどく大きく、神聖だった。

 セストラルが近づいてきて、男の眼前まで迫った。

 

 漆黒の身体は骨張り、肋骨の一本一本まで浮き出ている。蝙蝠を思わせる巨大な翼は朝焼けの残滓を引き裂くようにゆっくりと広がり、そのたびに湿った空気が揺れた。

 骨の上へ黒い皮を貼り付けただけのような異様な姿。

 痩せ細っている。

 いや、痩せているという表現は正しくない。

 最初からそういう生き物として完成していた。

 黒曜石のような瞳が静かに男を見下ろしている。

 

 男は思わず息を呑んだ。

 息遣いで空気の震えを感じる。地面を踏みしめる音が聞こえる。独特の生き物の香りがする。

 

 まるで「死」という概念そのものが蹄を生やして歩いてきたかのような、生理的な畏怖がある。

 男は固まったまま、セストラルを見上げていた。

 

 やがて、その生き物は長い首をゆっくりと下ろした。

 男の鼻先まで近付いてくる。

 黒い瞳が、男を値踏みするように覗き込む。

 

「どうも」

 

 ようやく絞り出した声は、驚くほど掠れていた。

 するとセストラルは小さく鼻を鳴らした。

 まるで笑ったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、ビビった。セストラルってあんなに大きいのな」

 

 男は項を擦りながらため息をついた。その様子をルーナが興味深そうに見つめている。

 二人は連れ立って禁じられた森を歩いていた。ルーナが餌やりを終えたので、ホグワーツ城まで送っているところだった。

 

 ……それにしても、ルーナを撫でようとして悪寒が走ったもんだから、ロリコン撲滅隊にでも命を狙われたのかと思ったぜ。

 

 男は歩きながら考える。

 冗談はさておき、あの凄まじい悪寒の正体がセストラルだったことには驚いた。てっきり……

 

「妖精さん、妖精さんなのにセストラル知らないんだ」

 

 ルーナの言葉にどきりとして、男の足が止まった。

 

「な、なななななに言い出すんだよ急に」

「気になっただけ」

 

 そう言いおいて、ルーナはすたすたと森を歩いていく。男は慌てて後を追った。

 

「そういえば、もうここには一人で来ちゃだめだからな。ハグリッドを誘ってきなさい」

「大丈夫だよ。妖精さんがいるでしょ?」

「いや……」

 

 妖精さん、もとい男は言い淀んだ。ぴたりと足が止まる。ルーナもそれに気が付いて、男を振り返った。

 ルーナと目が合って、男は曖昧に微笑んだ。

 

「多分、これで最後になるだろうな」

「どうして?」

「俺はそういうタイプの妖精だから」

 

 風が吹いて、周りの木々が騒めく。

 男とルーナはいつの間にか森の入り口のすぐそこまで来ていた。

 

「俺は一度会った人にはもう会えない妖精なんだよ」

 

 ルーナがかすかに眉を寄せた。寂しそうだ。

 禁じられた森の闇を抜けて、ルーナの背後に、光り輝くホグワーツの丘が見える。

 男は自嘲した。

 無意識にだが、真正の人間とそうでない者の違いをまざまざと見せつけられているような気がした。

 ルーナは、これから身を翻して、そのまま光の中に歩いて行ける。

 男は元の姿に戻るまで、ずっとこの闇に隠れていなければならない。

 いや、やめだ……こんなことを考えるのはよそう。

 

 努めて明るい雰囲気を保った男は、ルーナに近付いて、肩を掴むと、くるりと身体を反転させた。ルーナの金色の髪がふわりと舞う。

 

「さ、帰るぞ。さっきの『ロミジュリ』、ロミオとやらに聴かせてやれ。きっと喜ぶ」

 

 ルーナをぐいぐいと森から押し出す。「ぜってーハグリッドと来いよ」ともう一度念を押すのも忘れない。

 

「ねえ、また会える?」

 

 男が再び森に足を向けようとしたとき、強い日差しの中で立ちすくむルーナが背中に声をかけた。

 だから、会えないタイプの妖精だって。

 そう口に出そうとしたが、男は野暮だと押し黙った。

 

「あたし、友達がいないの。友達になって」

 

 闇の中から、男がルーナを見返した。

 会えないタイプの妖精だけど、手紙とかならワンチャンあるって言うか?

 

 そう甘く考えようとしたところで、男の頭にブレーキがかかる。

 未知であるこの身体で、他人と深いかかわりを持つべきじゃない。

 男はルーナに微笑んだ。

 

「ごめんな」

 

 ルーナの表情が曇る。男は森の境界線を踏み越えて、ルーナに近付いた。そしておもむろに頭に手を乗せると、わしゃわしゃと撫でる。素っ頓狂な声をあげるルーナに男は声を上げて笑った。

 まだ子供だ。ハリーと同じ。

 男の脳裏に、出会ったばかりのころのハリーがよぎった。

 吹けば飛ぶような、味方のいない小さな少年。

 プリベット通りの家、ベッドの上でバレリーナの真似をしながら、孤独な夜を紛らわしてやったのが遠い昔のように思えた。

 

「大丈夫、友達なんてすぐできるよ。約束する」

 

 男は優しい声色で言った。いまだに表情の優れないルーナの顔をあえて覗き込んで、無理やり視線を合わせた。

 きっとすぐに、賢くて頼りになるちっこい友達が出来るはずだ。

 

「妖精さん、名前はなんていうの」

 

 男は少し考えて、悪戯っぽく笑った。

 

「ロレンス」

 

 ルーナの目がパチパチと瞬く。

 

「君がくれた名前だ」

 

 ロレンスはそう言うと、くるりと身を翻して、森の闇に消えていった。

 

 




このシリーズが十年以内に完成できるかは、運。

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