お前もニフってる? 作:HLNF会長
昼下がりの午後三時。船着き場の傍らで、アルバス・ダンブルドアは静かに湖面を眺めていた。秋の陽光が水面を銀色に輝かせており、時折巨大イカの触手がゆらりと伸び出ている。
しばらくして背後の方から、ぱたぱたと小さな足音が聞こえてきた。何やら妙に慌ただしい。途中で一度転びかけたらしく、「キュッ」という情けない鳴き声が混じっていた。
ダンブルドアは振り返った。
「……なんと」
ダンブルドアは目を丸くした。
薄い灰色の毛並みに黒いぶち模様のニフラーの頭には、鮮やかなイエローの水泳帽。
目にはプラスチック製のピンク色の水中ゴーグル。
赤と白のシマシマの水着を着ている。
腰には真っ白な浮き輪が通してあって、正面にユニコーンの頭が付いている。
本人は完全に準備万端の顔をしていた。どうやら今から海水浴にでも行くつもりらしい。
ダンブルドアはしばらく黙った。
ニフラーはワクワクと期待に満ちた顔で見上げている。
数秒の静寂。
やがてダンブルドアは穏やかな笑みを浮かべた。
「いやはや、用意の良いことじゃ」
目の前のニフラー、ことロミオは、フンと鼻を鳴らしながら誇らしげに胸を張った。
一方のダンブルドアは思案気に首を傾げた。
彼の身に着けているすべての装備がこの後すべていらなくなることを、どうやって説明しようか、と。
しばらくして、ダンブルドアとロミオは小舟に乗って、湖の浅瀬から離れつつあった。
とは言っても、正確にはロミオは小舟に乗っていない。本来二人で向かい合って小舟に乗る予定だったが、準備がほとんど無に帰したロミオを可哀想に思ったダンブルドアが魔法で紐を出し、ロミオの浮き輪にくくりつけ、小舟で牽引していた。
浮き輪に座ってまどろんでいるロミオを振り返ったダンブルドアは、懐から本を一冊取り出した。
「せっかくじゃ。少し予習をしておこう。待っている間にでも読んでみるとよい」
ロミオが手を伸ばすと、ダンブルドアは杖先を一回トンとあて、本を渡した。防水加工を施したらしい。ロミオはしげしげと『マーミッシュ語入門』と書かれている表紙を眺めると、小さな身体でページを捲り始めた。
早速難題に当たったようで、神妙な顔で首をひねっている。
ダンブルドアはしばらく様子を眺めていたが、やがて四苦八苦しながらもページを読み進めていくロミオに満足したのか、ほっほっほと笑いながらまた湖面の様子に視線を戻した。
【悲報】マーミッシュ語、ムズすぎ。
地上だと金切声に聞こえるけど、水中だと反響して普通の言語になるってなに? マジで。
しかもなんか鼻と口の両方から音を出してハウリングさせるらしいんだけど。難易度高すぎてやばたにえん。
ダンブルドアは習得しているらしいけど、本に書いてある情報では、マーミッシュ語話者は全世界で両手の指で数えられるほどしかいないと言われているらしい。
まあ、こんだけ難易度高いのに使える場面が少なすぎるニッチ言語、習得しようと思うのはよっぽどの変人なワケで……あ、ダンブルドアの悪口じゃねーからな。変人だろうけど。
ある程度小舟が進んだところで、ダンブルドアは小舟を止めた。杖をひょいっと振って、キラキラ光る蜘蛛の巣みたいなやつを小舟の周りに張って、小舟を水面に固定した。
すげー。
糸をちょいちょいとつついてみる。粘り気があるが、糸から指をはなすと、粘性のあったそれはすぐに水に変わって指を伝っていった。
蜘蛛の糸に目を奪われていたら、ザボーン、という音が聞こえてきた。
水面がグラングラン揺れて、周りを見回すとしばらくしてダンブルドアの頭が水面にニョキッと生えてきた。どうやらひと思いに飛び込んだらしい。
「うーむ、寒い!」
ダンブルドアは水かきをしながらこちらに近付いてきた。ダンブルドアの白髭が水にゆらゆら漂っていて面白い。刺身の下に敷いてあるツマみたい。
ダンブルドアの髭と蜘蛛の糸をどうにかこうにか編もうとしている俺の手から自分の髭を奪取しつつ、ダンブルドアは俺に向き合った。
「さて。これからわしらは湖の底へ潜って、水中人たちと話をする」
頷く。そして俺は浮き輪から身を乗り出して、トポンと着水した。
「その前に、マーミッシュ語というものを少し教えてあげよう。なかなか趣のある言葉なんじゃよ」
ギャアアアアアアアア
間髪上げず、ダンブルドアは突然大絶叫した。
思わず耳をふさぐ。黒板を引っ搔いたような、耳障りな悲鳴だ。
グギャッギャギャッ
ダンブルドアが俺の注意をひいて、水面の下を指さした。潜れってことらしい。
俺が水面に頭を沈めると、ダンブルドアも同じように水中に潜っていた。
『どうじゃ? 面白いじゃろう』
急に普通の言葉に切り替わって、俺はギョッとした。それってニンゲン語話してるんじゃなくて? さっきの叫び声みたいなのが違って聞こえんのか?
めっちゃ不思議だ。
俺がなんとなく腑に落ちない表情をしていたのか、ダンブルドアは水面から上がったり潜ったりを交互にして、言葉の切れ代わりを分かりやすく見せた。
「ギャギャ『ッシュ語は』ッキェー『思議な』グギャッ『なんじゃ』」
オーッと拍手をパチパチする。
てか冷静に考えると、ダンブルドアが真面目な顔で悲鳴上げてるの面白すぎる。
笑い転げながら何回もマーミッシュ語をお替りしていると、流石に呆れたダンブルドアが俺を強引に海中の中に引っ張った。
『さて、まずは泡頭呪文じゃな。これがあれば、水中でも陸の上と変わらず呼吸ができる』
ダンブルドアが水中でスイッと杖を振ると、俺とダンブルドアの頭を覆うように泡で出来たさかさまの金魚鉢みたいなのがあらわれた。お、息が吸えるぞ、これ。
個ニフ的には鰓昆布も試してみたかったけど、ニフラーの首元に鰓が出来るのはなんかグロそうだからまあ良しとしよう。
ダンブルドアは俺の頭にしっかり泡が出来ていることを確認すると、水中人たちのいる場所まで案内するからついてこいと言って、深いところに向かって泳ぎ始めた。
ひらひらしたローブが水流に煽られてはためいていて、熱帯魚みたいだ。
俺もダンブルドアについていく形で泳ぎ始めた。
黒い湖の中は、思ったより透き通っていて、見晴らしがいい。とは言っても底の部分はまだ見通せていない部分もあって、海中を漂う海藻や魚群を避けながら俺たちはどんどん暗い場所に近付いていく。
しばらくして崖?というか、地面が裂けている場所があって、そこを潜っていくと水中人の住処に辿り着くようだった。
『では、これからこの切れ目に……』
俺を振り返ったダンブルドアの言葉が途切れた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。俺の見事な泳ぎに見惚れているらしい。一方ホグワーツのウミヘビという渾名を持つ俺は、カモノハシ属性を大いに発揮して見事な泳ぎを見せつけている。
身体を上下に波打たせ滑らかに水流にのっていると、本能のようなものが刺激される。
これが、数万年前の先祖の記憶……!?
熱帯魚のようなダンブルドアと、ウミヘビのような俺は深淵の裂け目に向かって再び泳ぎ始めた。ダンブルドアに若干先ほどより距離を取られて泳がれているような気がする。
周りの水温も段々下がってきて、日光も感じられなくなってきた。背の高い海藻の密集地に入ったから視界もあんまりよくない。
深い緑のグラデーションに囲まれた俺は、段々怖くなってきた。ダンブルドアに近付いて、首元にしがみつく。暗闇の中から巨大な触手が見えたような気がする。
カイヨウキョウフショウ、だっけ? それになるヤツの気持ちが分かるような気がするぜ。
海藻の密集地を出ると、やっと水中人たちの住処が見えてきた。
広場のような開けた場所があって、そこを魚群がゆらゆらと移動している。先ほどの陰鬱とした場所よりはだいぶ治安がよさそうだ。
神殿みたいな建物もそこかしこに見える。これって誰が作ったんだろうな。古代の遺物なんだろーけど。
俺たちが現れると、神殿の方から数匹の水中人が泳いできた。先頭にいるのはひときわ体格がデカいやつで、多分族長ってやつなんだろう。
『よく来てくれた』
大仰な口調で族長が口を開いた。ぶつぶつした緑色の肌に、筋肉のすごい胸をそらして、片手には三又槍を携えている。陸地でも相手にしたくないタイプだ。
『昨年から兆候はあったのだがな。全容があまりつかめなかった。我らが長い間守ってきた生態系にはなかった現象だったのでな』
水中人たちが、俺たちの周りを警護しながら目的地まで案内し始めた。
流暢なマーミッシュ語を操るダンブルドアと族長の会話を盗み聞くに、どうやら得体のしれない生き物が深淵付近の生き物たちを食い荒らしているとのこと。見たことのない巨大な生き物で、ウミヘビみたいに細長くて、光を当てると鱗のようなものがてらてらと輝いて……。
うーん、嫌な予感がするぞ。
俺は頭の泡の中でじんわりと滲んできた汗をぬぐった。なんだろう、見たことがないはずなのにものすごく思い当たる節がある。
勿論思い浮かぶのは秘密の部屋にいらっしゃる
あの膨大な食い残しの骨からしても、多分魚ばっかり食べてたはずだ。魚を食べているということは、魚がいる場所に行っているということなので、つまりまあ……。
まずいかもしれん。
俺は人知れず心臓をバクバクさせていた。これでダンブルドアに見つかったら秘密の部屋~Fin~で間抜けすぎるバレ方だぞ。頑張れバジリスク! いますぐ逃げろ!
一行は水中人の住処から離れて、更に奥の方にやってきた。
向こうの方の地面が途切れていて、更に深い湖底にむかって切り立った崖があるらしい。いつの間にか、周囲の水流から綺麗な歌が聞こえてきていた。とても静かで、この世のすべての感情を落ち着けるような……柔らかに揺れる花のような歌声だ。
『これは鎮魂歌だ』
不思議そうに耳を傾けている俺に気が付いたのか、族長が俺に言った。
『崖の向こうには、海よりもなお深き死者の国がある。命尽きた者は皆、その淵を越えて還らぬ旅へ出る』
ほう。
どうやらあの崖の向こうは、水中人の墓らしい。あの崖の上から死者を投げ入れるってことかな? 独特の風習だ。
『我らはその道を侵さぬ。ただ歌をもって送り、安らかな眠りを祈るのだ』
いつのまにか、歌声は遠くの方からも、近くの方からも聞こえるようになっていた。何重にも重なる歌声の水流が渦を巻いて、崖の下まで流れていく。
ダンブルドアと俺は顔を見合わせた。なぜだか同じようなことを考えているような気がした。
いい埋葬方法だな、自分も死ぬときそうして欲しいな。
というのと、
ははあ、多分その巨大生物って水中人に邪魔されない崖下を根城にしてるな。
というのだ。
マジで風情もクソもないな、俺ら。俺は自分のことを棚に上げてダンブルドアをジトーッと見ると、ダンブルドアは気まずげに目を逸らした。
『族長!』
遠くの方から一匹の水中人が素早く泳いできた。
『ヤツが出ました! 西の大岩の近くです!』
アカン。終わった。
遂にバジリスクが見つかったらしい。
水中人と俺たちは、連れ立ってその“西の大岩”とやらに向かった。ダンブルドアが魔法で自分の足を巨大スクリューにしたので、一分もかからずついてしまった。アハハ、これでバジリスクもお縄か。短い二年目でした。
俺たちは大岩から少し離れた海藻の群生に身を潜めて、その巨大生物とやらが現れるのを待った。
歌声はもう聞こえない。代わりにあるのは、水の流れる音だけだ。
俺は海藻の陰からそっと顔を出した。
もし本当にバジリスクだったらどうする。
個人的にダンブルドアとバジリスクのマッチも見てみたいっちゃ見てみたいけど、流石にちょっとな……。
その時だった。大岩の向こうで何かが動いた。
ざわり、と水流が乱れる。
水中人たちが一斉に身構えた。族長の三又槍が静かに持ち上がる。
ダンブルドアも目を細めた。
巨大な影だった。
細長い。
うねるように動いている。
まるで蛇だ。
俺の全身から血の気が引いた。
絶対にバジリスクだ。
だが、その影は近付くにつれ、少しずつ違和感を帯び始めた。
……なんか、妙に表面が震えてないか?
鱗っていうか、あれは……。
そして、俺は目を見開いた。
ダンブルドアも同じように目を見開いた。
『あれは……』
ぽつりとダンブルドアが呟く。
それは確かに蛇のような形をしていた。くねくねと波打ちながら泳いでいる。
だが、一匹の生き物ではなかった。
何百。
いや、何千匹。
無数の小さな何かが集まり、一つの巨大な蛇の姿を形作っていたのだ。
黒光りした群れがうねる。
まるで巨大な海蛇のように方向を変えている。
そして俺はその正体を知っていた。
見覚えしかない。
忘れようにも忘れられない
永遠のライバル。
————カムカムキャンデーだ。
巨大な魚群のように群れを成したカムカムキャンデーたちが、湖底を蛇の姿で悠然と泳いでいた。
俺はその場でそっと頭を抱えた。
バジリスクじゃなかった。
それは本当に良かった。
本当に良かったんだけど……
カムカムキャンデーの群れって、なに?
『なぜカムカムキャンデーが……』
呆然としたように、ダンブルドアが俺と同じ問いを口にした。『お前たちはあれを知っているのか?』と族長が驚いている。
いつのまにかダンブルドアが俺を半目でジーッと見ていた。まるでカムカムキャンデーがらみの問題は全部俺のせいだって言わんばかりだ。
な、なんだよ。全然身に覚えがないぞ。今年に入ってからは一度も出くわしてないし……。
……ん? じゃあ去年はどうだ?
俺は険しい顔で記憶を遡り始めた。
そういえば。
去年校長室に潜入して、ダンブルドアの銀色に輝くローブを盗み出そうとしたときのことだ。
校長室の床になぜか散らばっていたカムカムキャンデーに身体中の皮膚を噛まれたとき、命からがら逃げだして黒い湖で全部を洗い落としたんだっけ。確か洗い落としたカムカムキャンデーは、水中に逃げていったはずだ。
つまり。つまりだぞ。
俺は意図せず
俺の額からダラダラと汗が流れ落ちた。ダンブルドアが今もなおジーッと俺を見ている。
だ、大体の話。カムカムキャンデーが水中に適応して子孫繁栄するなんて誰が思うんだ? ダンブルドアが校長室にカムカムキャンデーを撒いていたのも悪い。
……カムカムキャンデーを撒いていた?
そこで俺の虹色の脳細胞がピシャーンと一つの真実を導き出した。
スネイプにカムカムキャンデーの入れ知恵をしたのはダンブルドアだな?
ダンブルドアはしばらく俺と見つめ合っていた。
———お前のせいだろ。俺のせいじゃないもん。
———いやいやいや。
そんな不毛な責任の押し付け合いを無言で繰り広げていると、ついに族長が咳払いをした。
『……それで』
低い声だった。
『あれは倒せるのか?』
そうだった。
今この瞬間も、カムカムキャンデーたちは湖の魚を追い回しながら、巨大な蛇の姿で悠々と泳ぎ続けている。
ダンブルドアはゆっくりと魚群へ向き直った。
『ふむ』
白い髭を撫でる。そして杖を取り出した。
『少々荒っぽいが……まあ、問題あるまい』
ダンブルドアは穏やかに微笑んだ。
問題なくはないと思うぞ。
俺がそんなツッコミをする前に、ダンブルドアはピュイッと杖を振った。
次の瞬間、湖そのものが動いたような感覚が俺を襲った。
水流が渦を巻き、周囲の水がびゅうびゅうと轟音を立てながら流れ始める。巨大な透明の壁が生まれたみたいだ。
水中人たちが一斉に後退していく。魚たちも慌てて逃げ出した。
待って、俺も逃げたい。
出遅れた俺は、慌ててダンブルドアのローブにしがみついた。
なんかもう規模が怖い。
ダンブルドアは片手を上げたまま、まるで池で落ち葉でも集めるような気軽さで水流を操っている。バケモンだ。魔法使いってホントどうかしてると思うぜ。ダンブルドアは特に“どうかしてる”部類だ。
巨大な魚群となったカムカムキャンデーたちは、突然現れた奔流に押し流されていた。右へ左へ、やがて追い込み漁のように一方向へと押し込まれていく。
魚群が混乱して、鈍色に光る蛇が大きくのたうちまわった。
水流が容赦なく進路を塞ぎ続ける。
数分も経たないうちに、巨大な魚群は切り立った岩壁の前へ追い詰められていた。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
ダンブルドアがふたたび杖を構えて、難解なかたちに振り回す。
『さて』
次の瞬間、岩壁そのものが爆発した。
山が砕けたような感じ。巨大な岩盤が一瞬で粉々になる。
砕けた岩塊が雪崩のように崩落して、逃げ場を失ったカムカムキャンデーの群れがその下敷きになった。
湖底の砂が巻き上がり、あたり一面見えなくなる。
俺は思わず目を覆った。
やがて濁流が収まって、ダンブルドアが再び杖を振ると、崩れた岩盤が逆再生のように動き始めた。
砕けた石が浮かび上がって元の位置へ戻り、ひび割れが塞がる。
数十秒後には、そこには最初から何事もなかったかのような岩壁が立っていた。
魚たちが集まってきて、散らばったカムカムキャンデーの残骸へ群がり始めた。
生態系のリサイクルである。
自然はたくましい。
俺はその光景を眺めながら、何とも言えない顔になった。
カムカムキャンデーに勝つには、湖の水流を操り、岩山を吹き飛ばし、その山を元通りに修復するくらいの戦力が必要らしい。
俺は渋い顔で岩壁を見上げた。
昨日、俺はあいつら相手にペーパーナイフ一本で戦おうとしていた。今思えば無謀どころの話ではない。むしろ生還しただけ褒めてほしい。
俺は静かに胸を張った。
やはり撤退は正しかったのだ。
カムカムキャンデーの群れが完全に駆除されたことを確認すると、水中人たちの間に安堵の空気が広がった。先ほどまで緊張に強張っていた戦士たちも、ようやく槍を下ろしている。
族長はゆっくりとこちらへ泳いできた。その大きな身体が目の前で止まる。
『感謝する、アルバス・ダンブルドア』
首を傾けて、厳かに頭を下げた。
周囲の水中人たちも続く。
『そして小さきカモノハシの友よ』
族長は今度は俺に向き直った。
俺は思わず自分の鼻先を指差した。
俺?
『そなたもまた我らを助けた』
なんもしてないし……というかむしろ原因の一端なんだけど。
そんなことは口が裂けても言えない(まあ話せないんだけど)ので、適当に頷いておく。くるしゅうない。
『黒い湖の民は恩を忘れぬ』
族長は胸に手を当てた。
『困ったことがあればいつでも我らを頼るがよい。力になろう』
俺は思わずダンブルドアを見た。ダンブルドアはニコニコしていた。
ジーーーッという効果音が聞こえてきそうなほど俺を見ている。
俺は慌てて両手をぶんぶん振った。
アー、大丈夫です。結構です。ッスーほんとに、あの、お気持ちだけで。
そんなジェスチャーを見て族長は不思議そうな顔をしていたが、やがて豪快に笑った。
『謙虚な者だ』
保身である。
もし今ここで下手に恩を売られると、後々カムカムキャンデー放流事件が発覚した時にまずいし。
ダンブルドアはチベットスナギツネのような顔をしていた。
俺はサッと目を逸らした。
その後、水中人たちに見送られながら、俺とダンブルドアは住処を後にした。
神殿群が遠ざかって、歌声も最早聞こえない。
切り立った崖も、銀色に光る魚の群れも、背の高い海藻の森も。
すべてがゆっくりと後方へ流れていった。
帰り道は不思議と短く感じられた。
だが、いざ上へ向かって泳ぎ始めると、自分が思っていた以上に長い時間を湖の底で過ごしていたことに気付く。
上方から差し込む光がどんどん強くなっていく。
水の色も暗い緑から明るい色へ変わっていく。
俺は思わずしみじみと思った。
危なかった。
あと数時間もいたら水中ニフラーとして第二のニフ生を歩み始めるところだった。
黒い湖の主兼、深淵の宝石収集家。
うーん、悪くない気もするぜ。
そんなことを考えているうちに、水面が近付いてきた。水中から顔を出す。冷たい風が顔を撫でる。泡頭呪文が消え、久しぶりの外気が肺へ流れ込んだ。
俺たちは小舟の上に這いあがった。秋の空気は思った以上に冷たくて、身体がぶるりと震えた。
その様子を見たダンブルドアは、ふむ、と小さく頷いた。
懐へ手を入れる。取り出したのは小さなハンカチだった。白地に青い刺繍の入った、ごく普通のハンカチだ。
ダンブルドアはそれを杖先で軽く叩いた。
すると……
ぽふん。
ハンカチは一瞬で姿を変えた。
現れたのは、モフモフとした分厚いバスタオルだった。俺の身体より大きい。
ダンブルドアはそれをふわっと広げると、濡れ鼠……いや濡れニフラーになっていた俺を包み込んだ。
途端に、じんわりとした熱が伝わってきた。
びっくりするほど温かい。
魔法がかかっているのだろう。
身体の表面だけではなく、冷え切った芯の方までゆっくり熱が染み込んでくる。気付けば身体が思っていた以上に冷えていたらしい。
柔らかな繊維に顔を埋め、目を細めてキュルキュルと鳴く。ちなみに今のは、ニフラー語で「最高」って意味だ。クンクンすると、天日干しした布団みたいな、お日さまの匂いがした。
ダンブルドアはそんな俺を、白い髭から水滴を垂らしながらどこか楽しそうに見下ろしていた。
「どうじゃ、楽しかったかの?」
俺はタオルの隙間から顔を出して、力いっぱい頷いた。
めちゃくちゃ楽しかったぜ。
まー、カムカムキャンデーの件を除けばだけどな。
するとダンブルドアは、ほっほっほと満足そうに笑った。
ダンブルドアが杖をくるんと回すと、ダンブルドアのローブが一瞬でカラリと乾いた。俺はいまだぽかぽか発熱するバスタオルの中でぬくぬくとあったまっている。
いつの間にか小舟は音もなく湖面を滑り始めた。まるで見えない手に押されているかのように、ゆっくりと岸へ向かって進んでいく。
俺はバスタオルの中へさらに潜り込んだ。
ぬくい。
人類はなぜ全員この中で生活しないのだろうか。
さっきまで深い湖の底を泳いでいたせいか、身体が妙に重たい。
まぶたも少しずつ下がってくる。
ちょー眠い。
非常に眠い。
ぽかぽかする。
俺は船縁に顎を乗せたまま、ぼんやりと湖面を眺めていた。
夕方が近付いているらしい。湖面には黄金色の光が反射していた。
何かが水面を跳ねる。
ザバッ。
続いてもう一匹。
さらにもう一匹。
グリンデローだ。
緑色の細い身体をくねらせながら、小舟の後ろにできた水流へ飛び込んでいる。
どうやら遊んでいるらしい。
水流に乗って流されては戻り、流されては戻りを繰り返していた。
わちゃわちゃしている。
なんだこいつら。
意外と可愛いな。
俺がぼんやり眺めていると、一匹が勢い余って回転した。
それを見た別の個体が真似をする。
さらに別の個体も真似をする。
結果として全員ぐるぐる回転し始めた。
さすがに平和ぼけしてるぜ。バジリスクに食われないようにしろよ。
そんな光景を見ながら半分眠りかけていると、
「ちなみにの」
ダンブルドアが不意に口を開いた。
俺は薄く片目を開けた。
「もう少しダイナマイトの使用を控えてくれると助かるんじゃが」
ギクリ。
俺は即座に目を閉じた。
俺は寝ている。
湖面に揺られながら、俺は呼吸まで寝ている風に調整した。
スピー。
スピー。
完璧である。
しばらく沈黙が続いた。
やがて。
「……そうかそうか」
ダンブルドアの声がした。
「寝ておるのう」
俺はタオルへさらに深く潜り込んだ。
小舟は静かに岸へ向かう。
夕陽はゆっくり傾いていく。
そして俺はそのまま、本当に眠ってしまった。
————後日。
「キュウ……」
俺は死んだ目で穴を掘っていた。
場所はホグワーツ敷地内、俺がこないだ消し飛ばした草原のちかく。
俺の手には小さな苗木。背中にはゼッケン。
そこには大きな文字でこう書かれていた。
『生態系を守ろう』
誰の仕業かは聞くまでもない。ダンブルドアである。
「ほっほっほ。もう少し左じゃな」
遠くから楽しそうな声が飛んできた。
俺は無言で苗を埋めた。
「そこは日当たりが悪いぞい」
さらに苗を植える。
「植物にも住環境というものが————」
パラパラと種をばらまく。
気付けば周囲には植え終わった苗木がずらりと並んでいた。
それと同時に、植え終えていない苗木がまだ数十個もある。詳しい数は数えたくない。
俺は遠い目をした。
カムカムキャンデーとの戦いは終わった。
しかしその代償として、俺は今、生態系保全活動に従事している。
人生とは理不尽なものだ。
風が吹く。
植えたばかりの苗木が小さく揺れた。
その光景を眺めながら、俺はふと思った。
……ダイナミック焼畑農業って言い訳とかどうだろう。
【おまけ】
ハリー「いけロミオ! ダイナマイトだ!」
ダンブルドア「発破技士の資格は持っておるかの?」
ハリー「持ってません」
ダンブルドア「火薬類取扱保安責任者の資格は?」
ハリー「持ってません」
ダンブルドア「譲受許可は?」
ハリー「わかりません」
ダンブルドア「ほっほっほ。では無理じゃな」
ハリー「いけロミオ! 線香花火だ!」
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