はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です!   作:枯華院 清日

108 / 115
(re.)Ꮪtart

 

 

 

 明かりが無い。

 

「ここ…は?」

 

 異質な浮遊感、夢の中と考えれば説明はつく。だがそれにしては意識が明瞭に過ぎる。

 四方一辺全てに果てが見えない。黒色だけで構成されたどこかにいる、それだけがわかる。

 

 頭だけが浮いているような非現実感が、五感の中でも判然としていた。手に触覚は宿らず、そもそも腕を動かしているのかわからない。耳に反響は届かず、先程の現在地を確かめる声は鼓膜を叩いたのか怪しい。視覚には黒、嗅覚は不鮮明。味覚は語るまでもない。

 一つの星明りに照らされた夜に似た暗さ、自身がどう在るのかも不明だ。

 

「…これが、アレか。死後の世界ってヤツ…?」

 

 無間の暗黒に居る太陽は、暢気なものであった。むしろ意識を失った直後にしては、余人が驚くほど落ち着いているとさえ言える。

 冷静の理由として。いつか死ぬとしても、惜しまれて死ぬような幸福な理由ではなく。世間のよくある出来事として呆気無く死ぬだろうと、心の中では思っていたからだ。

 人に誇れるような善行に覚えもない。されど虫を殺した事も仏教としては罪に数えられるのだから。理不尽だとしても地獄行きになる、まして人を殴ってもいる、夏の日に人を一人見殺しにした、そんな経験だってある。なら、そんなものだと。

 

 それでもどこか変だと思っていたのは。死後に自分が地獄に行き着くと考えていたからで、だとすれば様々な教えの中で伝え聞くような責苦が無いからである。

 先ほどの痛みによる死が現状を齎したのならば、苦痛の前借りのようなものもあるのだろうか。

 

「歩く…か?」

 

 行動に疑問符が付くのは、感覚が無いから故。それでも前へと思えば、どこからか吹く風を切って前へ進んでいる気がした。

 

 暗闇を手探りで進む事は、日本の仏教においては地獄の一つとして喩えられる。九州地方のある寺は弘法大師が開いたものであり、そこには闇の中を進んで輪に触れると極楽浄土へ行ける…そんな地獄めぐりと称される催しもある。他の場所では胎内めぐり、戒壇巡りともされるが、暗いということはそれだけ不安をかき立てるものなのだろう。

 

「地獄ってのはもっと賑やかだと思ってたぜ」

 

 無闇に前へ、無闇とただ前へ。

 それからどれだけの時を歩いたのか。時間の感覚は曖昧で、疲労感も無い。地獄に落ちる事すら数千年かかる無間地獄あるいは阿鼻地獄もあるというが、まさか進んでいるのではなく落ちているのだろうか。そんな不安に駆られる間もありつつ前へ。

 

「おっ…? 何か足にぶつかった感じが…いや足なのか? まぁいいや」

 

 曖昧な感覚の中、足下に異物を感じる。自ずと光を放つ何かではないので、正体がわからない。

 

「…拾っとくか。拾えてる…よな」

 

 触覚がおよそ機能を放棄しているので、まるで路傍の石とも言うべき何かを拾えているのかも不鮮明だ。ただ、拾ってからは小石の擦れ合うような軽やかな音がしている。そして何より不思議なのは、手の感覚が無いにも関わらず重みを感じる事。

 宝石を抱えるように、石ころかもしれない何かを後生大事そうに拾い集めて、ひた歩く。

 

「…ひ、暇過ぎる…!」

 

 愚痴の一つも溢れようもの。どれほど観察を行い微に入り細を穿つつもりでいようと、何の変化も無い朔の空より尚黒い空虚が続く。

 変化が無いのは苦痛である。苦痛を与えるのが地獄ならば、なるほどこれも地獄の一種か。賽の河原では石を積み上げるとも聞く、ならばやはり鬼の官吏が見当たらないだけで地獄に相違ないのだろう。

 そう納得しかけた時、声がした。

 

 ──……。

 

 か細い声。頼り無く消える、その直前の蝋燭の方がまだ旺盛かつ雄弁だろう声が聴こえた。

 太陽は小さく安堵の息を漏らした。聴覚を喪った訳ではなかったようだ。声に近付いく為に前へ。石片を拾い、新たな輩として連れ添って前へ。

 

「……」

 

 聞こえる。

 

 ──どうして

 ──死にたい

 ──辛い

 

 悩みの末に絶望に苛まれる声。

 聞いているだけで、胸の奥に暗い青色の泥が塗り込められていくような。胃にスチールウールを詰め込まれたような、心の落ち込む音。

 一歩進む毎に、暗闇の中でも尚黒い何かが近付いている。無見識の闇ではなく、罪業の黒が。誰もが抱える暗いものが。

 

「……痛ッ!?」

 

 声に寄る度に何かが痛む。相手に細かな心配りをする、という意味で心を砕くと書く慣用表現があるが。あるかどうかも怪しい指先から、心臓を含めた肺腑に至るまで。千々に刻まれ、圧力で砕かれるような苦痛が直接響く。何が痛むのかもわからないまま、徒らに痛みだけが強くなっている。

 

 気付けば、抱えている石が震えていた。それでも落としてはならない気がする。

 進めば進むほど、黒い何かの正体に近付いていく。

 

「そうか…仮面のヤツが言ってたもんな…」

 

 ──どうして、私だけが。

 ──死にたい、誰も助けてくれない。

 ──辛い、だからもう。

 

 これは自死を願った魂たち。

 

 自殺は罪である。

 これは刑法でそう認められるが理由ではない。

 もしも自害を行えば、その個人の魂はどうなるか。それを明記する宗教は多い。永遠の責苦が待ち受けているとされるもの、自死の瞬間を繰り返すとされるもの。

 キリスト教やイスラム教では。信じる者は救われるとされており、つまり自尽する者は神を信じなかった者。神の愛を否定した罪深い者に違いないと地獄や煉獄に落とされる。

 太陽の前に居るのは、そういった魂。

 ゴミとまで称された、死を望んだ魂。

 

「…よう、アンタら。喋れるのか?」

 

 痛みを押し殺して、魂に近付いてから座り込んだ。感覚こそ無くとも、恐らくは座れている。

 

「自己紹介ってのは大事だ、おやっさんに晴子センセイも…あー…俺の恩人もそう言ってたぜ。俺は當真 太陽。普通の高校二年生で、探偵事務所のアルバイト。

 そんで、人を助けられなかったクソ野郎で、暢気にのうのうと生きてる改造人間。仮面って名乗ってるヤツに落とし穴で墜とされて、何でかここに居る新入りって事で一丁ヨロシク」

 

 恐らくは死んだのだという諦念からくる気楽さで、黒塊に語りかけた。

 

 ──なんだ、お前は。

 

 最初から期待を込めていなかったが、返答があった。

 複数の暗色が折り重なった音色で、語りかけた太陽の予期から外れて正体を確かめようとしている。

 

「俺の自己紹介はさっきの通りだぜ。面白くもねえだろ? 今の日本じゃ改造人間なんて珍しく…いやちょっと珍しいか。仲良くしてくれよ、先輩」

「知った事ではない…」

「うおっ!?」

 

 黒い塊が、人間の形を成した。座り込んだ位置よりも高い場所から無関心の声が届く事による推察だ。何より周囲の黒よりも、光を吸い込んで返さないような真っ黒が目前に居る。それが恐らく人型だと反響が示していた。

 

「話がわかるじゃん先輩、俺もそっちの方が喋りやすいから助かるぜ。ところで名前は…聞いてもいいか?」

「名など無い。あくまでこの姿も我らを代表してのものだ」

「それはちょっと呼びにくいじゃん…じゃあ便宜上、魂だからタマさ…ダメだ、タマさん居るわ」

「………」

「ま、いいか」

 

 太陽はあくまであっけらかんとして言う。どうせ死んでいるのだから、嫌でも長い付き合いになる。であれば呼称もさしたる問題にならない、その内思いつくか名乗るかをするだろう。

 それよりも気になる点があった。

 

「なあ、何で顔出ししてくれたんだよ?」

「さてな。身体の持ち主に姿を見せた方がいいと思った誰かが居たのかもしれんが」

「身体の持ち主ィ? つまりどういうこったよ?」

「………」

「だんまりってお前…」

 

 自身に思い当たる節は無い。にも関わらず、黒い何かは不機嫌なのを隠しもしない。突慳貪と言うべきか、頭に響く音には吐き捨てるような感触があった。

 

「まさか、アレか。さっきの俺が落とし穴にかかった後の、あの蛇みたいなヤツが魂って事か?」

「無駄に回る頭だ」

「…えぇ? ずいぶん嫌味ったらしいなオイ。正解なら正解って言ってくれていいんだぜ。ところで、それならこの場所は死後の世界とかじゃあ無いってワケか?」

「………」

「また無視かい…」

 

 鈍っている頭で尚も考える。蛇のような何かが苦痛を以て身体を侵食していた感触が、意識を失う前の最後のこと。そしてあれは近くに居る魂だという事は、その口振りから推測するに正しい。

 では、身体の持ち主というのは…。

 

「…なるほど、俺の身体を乗っ取ってんのか? そんで…ここが地獄じゃねえのにペラペラ喋れてるんなら、俺の頭の中っていうかファンタジーな言い方なら心の中って事かね」

「……そうだ」

「何だよあっさり認めんのな」

 

 まぁ、これもどうでもいいか。と小さく続けた。今居るこの場所が地獄か否かも、あまり重要ではないと思っているようだ。そもそも自分で肉体を動かせないのなら、他人がどう思うかは別として死人と然程変わらない。

 ただ気になることが増えた。

 

「あんたら、俺の体を乗っ取って何がしたいんだ?」

「………」

「まぁた無視かよ、こっちは元の持ち主だってのに…」

「妬ましい…」

「ん?」

 

 理由はあるようだ。

 不意に熱を帯びた何かが、自分の近くにあると感覚が訴えかけた。それは目の前に居た魂を名乗る者から発せられていた。日差しの穏やかさではなく、苛烈な猛火の如き熱、これは怒りだろうか。

 

「生きているものが妬ましい。我々は苦しんだ、だというのに何故他人は笑っている。何の苦もなく生き長らえている生命が悍ましい、我々は死んでいる。四肢が動く、涙が流れる、声を歌に、人を掻き抱く、その全て、全て!」

「………」

 

 自殺した者に対して勝手に死んだのだろうと言うのは簡単なことだ。しかし、命が終わるのには理由がある。自然死だとすれば寿命、怪我による出血や病による臓器の不全等。

 されど死因に限らず、そこに至るまでの過程もある。それを選んでしまうまでの何か。

 人はそれを絶望と呼ぶ。願いが人によって形を変えるとすれば、絶望も等しく変わる。

 

「…どうして死にたいと思ったのかは、聞いてもいいか」

「疲れたんだ。最初は体だけが、それが段々と、何ヶ月も、何年も続いて、それで。何も楽しくもない、ずっと眠れもしない! だから! 

 あの女が奪ったのよ! 私の夫も、子供も! 生き甲斐なんて何にもない! だってそうでしょう、何もかもが無くなったのなら、生きてる意味だって…! 

 親が、母さんが殺してくれって言ってきたんだよ。自分で生活だってロクに出来ない、ぼくも働けやしない。誰に頼っても助けてくれない。そんな時に。じゃあぼくも死んであげないとダメじゃないか…。

 どうして俺が、何で私が、ぼくが…」

 

 ある者は疲労の果てに心身が摩耗して、ある者は人を奪われた激情の果て、ある者は諦めの行き着く場所。

 たった一人の部外者に投げ込まれる怨嗟、執着、諦念、憎悪、無力、茫然。

 数十か、あるいは数百か。数え切れない幾千もの呪言がひたすらに洪水じみた波濤と化す。行き着いてしまった苦悩が、命にまで手を掛けた苦しみが滔々と溢れていた。

 あぁ、だとすれば。

 

「…だよな。やっぱり、死にたくなんて無かったよな」

「お前に、何が…!」

 

 死こそを目的になど、してはいない。

 

「俺もこの通りのザマだからさ。わからなくはねえんだ、そういうの。不幸自慢なら早々負けない程度には色々あったよ、それでも死んでねえってだけで」

 

 これは憐憫の情から出た言葉ではない。

 

「まず親が死んでて孤児、だから親に甘える反抗期も何も無いし、人の顔色を窺うのが癖になってやがる。

 次に薄い麻酔で馬鹿みてえな改造手術。これが大変だぜ? 真っ当な人生ってのを諦めるしか無えんだから。

 その後には人を見殺しにしてんだ、カミサマってのが居るとすれば、俺は何で生きてたのか不思議だよ。何より生命倫理やらを考えれば、人体実験の成果なんざ生きてちゃダメだろ?」

「………」

「なぁ、俺はそう思うぜ」

 

 それでも、自害は選ばなかった。それは、優しい人たちに今まで生かされてきたから。

 恩義に報いなければならないという義務。さりとて熱心に高望みしてはならない。十字架は重く、それ故に命を粗末に扱うのも、人の中で生きるにはありふれた手段だった。例え、本当は遠回しの自殺だとしても。

 

「…ここが俺の中だってんなら、今更アンタらに隠し事はしない。本音を言うぜ。

 本当は、誰でも持ってた物が欲しいんだ。

 ちょっと頑固で聞き分けが無いような、たまの休日に一回でも遊んでくれる。不器用でわかりにくいけど少しだけ優しい、特別じゃない父親。

 特別キレイじゃないけど、俺が馬鹿な事ばっかりするからその度怒って、それを繰り返して怒り皺が癖になっちまったような。普通の母親。

 本当はずっと欲しかったんだよ。たとえ実物は会話が無かろうが、居ない方が良いって言われるような毒しかないような親だったとしても。顔も名前もわかんねえから、そんな親から離れたいって恨み辛みを、幸せになってやるって原動力にも出来ないんだぜ。

 本気で握っても壊れない対等な友達の手も。

 たまに喧嘩しても仲直り出来るような恋人も。

 俺には何もねえよ…なにも、無いんだよ」

 

 誰に尋ねられても言う事の無かった、濁し続けていた本音がこれだ。人より優れた怪物の体、それは人として持っている全てを否定していた。血の繋がりも、対等も、感情も。

 全てが羨ましかった。

 

「望みを叶えてやった、なんて。あの野郎に言われっぱなしでいいのかよ、何も無い俺と違って本当にしたいことってのが、皆にはあったんじゃねえのか?」

 

 石くれを抱えていた腕に光が宿る。

 

「俺の、自分の身体を惜しさに言ってるんじゃあないぜ。皆のしたかったことは何だったッ!? 

 それは俺の身体を乗っ取るなんて何の得にもならねえ事でも無ければ、誰かを道連れにしたいだなんて、ちっぽけな物だったのか!?」

「………それは…」

「誰かに助けて欲しかったのなら、俺が助けてやるッ! 

 俺が普通を欲しがったみたいに、お前らの普通を。心が、魂が擦り減っちまう前みたいに望んでいいんだ!」

 

 光は強く。魂を照らす。

 黒はもう見えない。

 石ころは輝く。

 ゴミなどでは決してない。

 

「人を助けるのが普通だっていうなら、何度だってやってやる。それでも俺の身体を奪いたいって言うんなら、自由に動く手足どころか髪の一本残らずくれてやる。涙が流せないなら、血の最後の一滴だってやるよ。叫びたかったなら、この喉も! 

 だから諦めないでくれ、特別じゃなくても、手の届くモノがあるんだろ!?」

 

 これは諦めではない。

 人がなにかを決意する時に要するもの。

 

「それに…元が人間なんだろう? それが魂だけにされたんなら、俺と(そこ)だけは同じじゃねえか」

 

 これは誓句。

 あるいは、覚悟という。

 

「人数が多いんだ、歳が離れてたって本当の性別がどっちだって構わねえよ。俺とお前ら、友達から始めてみようぜ。お互いに手を握っても、俺もお前らも壊れないんだろ? もし空っぽで半端者の俺で良ければ…ずっと一緒に居てくれ」

 

 右手を差し出す。

 気付かぬ内に痛みは消えて、柔らかな暖かさが手に返ってきた。どちらも待ち望んでいたように。

 

「ありがとよ、でも握手が嫌なヤツもいるよな。

 だったらさ…一つだけ全員答えてくれ。俺達をこんなにした奴らを、このまま野放しにしてもいいのか。

 もしかしたら次は自分の知り合いかもしれない。知り合いもどうでもいいっていうならさ、悪い事をしてんのに笑ってる連中に仕返ししたくならねぇのかよ!」

 

 ──否。

 

 人間の尊厳とは踏み躙られて良いのか。

 身体を改造された人間の魂に、誇りは無いのか。

 塵芥と扱われた魂に、報復の権利は無いのか。

 

 ──否、断じて否ッ!! 

 

 庇護、応報。

 二つを別ける差異は有る。

 されど行く先に差異は無し。

 これは彼ら。全てのヒトの、魂の闘い。

 

「じゃあまずはお試しってコトでさ。

 俺が…いいや、俺も一緒にあいつらを殴ってやるッ! 

 俺も力を貸すから、皆も力を貸してくれッ!」

 

 物語(反撃)はここから始まる。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。