はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
ここは、どこだろう。
目が覚めた途端に如何せん靄が掛かる頭で、呑気にもそんな事を考えていた。
頭が働かない、だというのに対処しようもない痛みが脳に残留して、余計に思考が鈍っているのがわかる。
「……?」
頬に冷たい物が押し付けられている?
ああ、違う。これは地面だ。緩慢な反応を示す身体動作が、重力に負けて床にへばり付く事を良しとしているようだ。
記憶に整合性が無い。
落ち着いて、記憶の糸を辿る。
まず、ここは夢の国のはず。
昼頃まで普通に楽しんで、昼食を摂ろうとして、その前にトイレに行った。ここまでは正しい。
しかしどうだろう、着けているはずの浮かれ切った徴、頭のカチューシャは頭皮を締め付けない。それどころか、手足に別の重みがある。金属の冷たさを持ったリング状の枷、手錠と足枷だ。
トイレで転んだ?
それは違う。
ここはトイレ?
それも違う。
意識が少しだけ明瞭になってきた。
自分の行動を振り返るが、やはり何かが欠落している。
トイレの中まで夢の国らしいファンタジーが展開していると思って、順番待ちを気にするような事もなく、スムーズに個室に入って用足しをして…。それから。
それから…?
「…っ!」
服は着ている。着衣の乱れも無い。唐突に気絶するような持病は患っていない、むしろ見た目の割に健康的な身体だ。だとすれば考えられる可能性は一つ。
気絶させられた。
思い出せ。意識を失う前に、何か変わった点は無かったかを。焦燥感に駆られて考えるも、やはり思い付かない。少なくとも首を締められて脳への酸素遮断や強い衝撃を受けて迷走神経反射など、物理的な切っ掛けがあった訳ではない。
「……」
では、何が。外観や内装に目立った異常性は無い、それこそ遊び心が窺えるようなテーマパークと考えれば普通の場所だ。不愉快にならないように芳香剤の香りもあって…それこそ逆に不愉快だったか。薄く甘いミントの芳香と、果物のような匂いがトイレの微かな刺激臭と合わさって。あのニオイは…。
……そうか。
やられた、これはクロロホルムだ。
母親が仕事で使う物だとかで扱っていた時に嗅いだニオイ、それと同じものが確かにあった。
答えの一つに行き着いて脳が精彩を取り戻してきた途端に、周囲から聞こえる雑音が輪郭を濃くする。
「ひっく…」
「ぐずっ、お、お母さぁん…」
泣き声だ。それも幼児特有の甲高さを伴っている哀しみと不安に塗れたものが多い。私の見た目についてはさておき、どうやら小さな子供が他にも集められている様子が聞き取れる。
つまり誘拐だろう。まさか小さな子を攫ってまで素敵なサプライズをするとは思えない。現実にファンタジーが侵食している日本でも、こうまでしてしまえば流石に犯罪だ。
「…ふー…」
平常心。犯人の目的はわからずとも誘拐された事実は変わらない。助けは…来る事を期待しているけれど、助けを待つだけでは好転しないだろう。
幸いにして拘束具は緩い部類だ。人が動き、こちらに近寄る気配もしない。息を止めて、一気に…。
「ふっ…!」
カコンというか、もう少しくぐもったゴグンという音が肩から発せられる。次いで手首、親指。水の中で大きなペンの蓋を外したような、そんな音。
「ふう…うっ!」
足首からも、似た音。
「はぁー…」
正体は関節を外した音だ。
慣れれば難しく無いけれど、もう一度関節を嵌め込む時に筋繊維を挟むと恐ろしく痛いので素人にはオススメ出来ない諸刃の剣。真似しないように。
種と仕掛け満載の縄抜け手品を誰とも知れず披露したところで、さてどうしようか。
周囲はあまりに薄暗くて現在地も不明、ぼんやりと見える範囲に鉄格子がある。鍵は…何式だろうか、昔ながらのギザギザした奴か、ディンプルキーまでなら何とかなる。電子制御式ならお手上げです。まずは錠前を探して…。あっ、普通の鍵だね。これなら…。
「…チッ」
「……ーん、ふーん」
足音と陽気な鼻歌が一つ。何をしてくるかわからない誘拐犯が相手なら、とりあえずは寝てるフリをしておこう。枷が取れているのもバレないように、仰向けで海老反り…痛い痛い。普通に痛いこれ。
「せーかいーはふーんふふーん…」
……苛立っている所に半端な鼻歌を聞かされると、無性に腹が立ちますね。しかも何ですか、普通にこのテーマパークといえば、な曲を中途半端に口ずさんでから、歌詞が曖昧なのかそのまま鼻歌って。
「お、お母さん…お父さん…!」
「開けてよぅ、助けて…」
「うっうぇぇん!」
「ふふふーふーふーん…っと」
子供の悲鳴が聞こえても無視ですか。血も涙もないとは言いますけれど、誘拐や未成年略取的なものに手を染めているならそれも当然か。義憤と言いますか、この手の外道には容赦は出来そうにない。
おや…少し明るくなった。足元が見えなきゃ危ないもんね。ですがこちらとしても好都合、鼻歌系犯罪者Aの装備を等々こっそりと確認出来る。
「……」
明らかになった全景としては、やはり縦横の鉄格子で囲まれている事。錠前の位置もわかった。鍵を掠め取るのは無理そうだ。鍵束をジャラジャラと鳴らしながら陽気に歩いているきぐるみが見える。もう少しで私の牢の前に来そうな、誰もが目を奪われるようなお馴染みのきぐるみが…。
…えっ、きぐるみ…?
「ぼっくらーのクーラブーの…」
ちょちょちょ待ってください。それはマジでヤバい。音楽的な権利団体か、Dの本社が黙っちゃいませんよ。しかも歌っているのが古式ゆかしい白黒のネズミさんですよ、これはいけない。いやでも著作権が切れたって聞いたような、引き伸ばされたって言っていたような。わ、わからない。どっちであろうと危険が危ないのは動かせない事実。
全力で聞かなかったことにしよう。そういえば、園内では各キャラクターが一体だけっていうのは本当だったんですね。だってこの…この、白黒ネズミさんがいらっしゃるということは、表にはカラフルなズボンを履いている方のネズミーさんが居るって事ですよね。
夢を壊さない努力というのは、日々こうして積み重ねられるものなんですね。感動しちゃうなあ、こんな牢屋みたいな場所で知りたくなかった水面下の努力ですけれ…。
「ミッキマ」
うわぁぁぁやめろやめてやめなさい!!
けっ、消される…! 権利的に…!
「おやー?」
セーフ!!!
「んー……?」
危うく社会的な危機に瀕しましたが、何とかなりそう。それにしても…何このきぐるみは、私のことを凝視しているんですが、さては一目惚れでもしちゃったかな? 夏の視線を釘付けにするセクシーレイリーで申し訳ありませんね。
「………」
「………」
私も薄目で確認していますが、何故かずっと見られています。セクシー云々は冗談としても、白髪が目立つのでしょうか。確かに数は少なくとも居なくはないのだから、凝視される謂れは無いというか…。
「……ロリじゃない…!」
おい今何て言ったこのきぐるみ。
いやいや正解、正解ですよ確かに。どう考えてもロリータじゃありませんよ、服装とか。
一般的にロリコン、あるいはロリというものは。えー…ウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』から来ていて、その小説の主人公である中年男性がロリータと呼ばれる少女に恋をしてしまうことから小児性愛的な感情を持つ者にロリータ・コンプレックスという名前が付けられております。ちなみに俗称なので、精神医学用語ではない。
ついでに言うと、ロリータの名前は愛称であって本名はドロレス・ヘイズだとか。この本がポルノ小説扱いを受けて数ヶ国で発禁処分を受けたとか…は、まあいいでしょう。
ロリコンを精神医学用語ではペドフィリアと呼び、その定義は十三歳までの思春期前の児童に発情するような性的嗜好を指す。
つまり私はどう見てもロリータじゃあありません。定義上は立派なハイティーン、思春期後期です。
「クソ、騙された! 報告しなけ…」
騙してませんよ。
あまりの言い草に憤慨しそうになったその時。夢の国に似つかわしくない気配、あるいは獣臭とも言うべき圧倒的な違和感が近寄って来た。
足音も無く、ただ素早く。嵐のような何かが。
「うぐぁ!?」
「…ふんっ、性根が腐っておる。こやつらのような者、悪の風上にも置けぬ…」
一方的に過ぎる暴力の風が吹いた。誰かが接触した途端に、きぐるみは紙切れのように吹き飛んでしまった。どれ程の距離があるかは目視出来ないけれど、続いて壁に重みのある何かが叩きつけられた音がして、きぐるみの末路を悟る。
遅れて大きく息を吸い込む音。
「前途ある者共よッ!!
うわぁ……。
「暫しの時、待つがいいッ! 我輩が汚らしい軟弱者共を滅ぼしてくれるッ!」
「………」
えっ悪を自称してるのに? そんな正義の味方っぽいことを?
むしろ協力とかする所じゃないんですか、誘拐犯と。というか、何か見た事がある……あっ、あの機械が暴走したパーティにいた人だ。
「おじちゃんだー!」
「タイターおじちゃーん!」
「!?」
ええぇ? ちびっ子に大人気なの…?
「えぇい、我輩はおじちゃんではない! では我輩の侵略が済むまで良い子で待っているのだぞッ!」
「え、ちょ…」
踵を返す音が聞こえる。こうしてはいられない、私も早く出なくては。ここに来た理由は誘拐未遂の被害者になりに来たんじゃなくて、あくまで探偵の仕事で来たのだから。大急ぎで置き上がって、えー、あっ鍵。鍵を開けて外に出ないと。
えっと、えっと…先ずはヘアピンを少し曲げて…。
「むっ!?」
「え?」
「お前は…ぬぅ、いつぞやの…」
急ぎに急いで鍵のピッキングを試みる私を見て、どうやら向こうも思い出したみたいですね。私達初対面じゃないんですよ。自己紹介も済んでませんけどね。
「娘よ、あの小僧はどうした?」
「小僧…?」
小僧イズ、誰。
忙しなく手元でガチャガチャしつつ、この…この…なんだろう。よく観察すると異様にガッチリとした体格の、マントを付けたピッチリスーツを着こなす、どこからどう見ても立派な変なおじさんとしか思えない人は。
「ていうか、誰…?」
「ぬっ!!」
まずはそこからですよ。えー…ピックの一本を鍵穴に掛けて、軽くテンションをかけて…。
「我輩を知らぬかッ!!」
「わっ」
「我輩こそは…」
「おじちゃんはねっ、たいたーっていうんだよ!」
「宇宙人なんだってー」
「……」
「……んんッ!」
そっか…宇宙人なんだ…。警察への通報より先に病院とかどうでしょうか、頭の方ね。それともメンタルの方がいいかな?
元気に天井を指すアンテナ髭が、心なしか角度をしんなりと地面にヘタれた所を見るに。きっと自己紹介のセリフとか、決め台詞みたいなのがあったんだろうなぁって考えさせてくれますね。
「わ、我輩こそが悪の侵略宇宙人! タイター・Eッ! 恐れ慄けぃ地球人どもッ! 我輩が来たからには、魂無き悪など許さぬと」
「レイリー・ケイスです。よろしく」
「知れッ…!?」
鍵穴をジャカジャカと何度も無理矢理もう一本でいじれば、あら不思議。カチリと軽やかな音がした。簡単な鍵ならこんなもんですよ。
「……」
「……」
さて鉄格子を抜けての御対面。うーん…黒くて大きいね、この人。学校の先輩程じゃないけど。
どうにも間が悪かったのか、お互いに黙ってしまった。あまり大声で騒がれると、他のきぐるみが来るかもしれないからちょうど良いけれど。何か悪いことをした気がする。この人も悪の云々かんぬんって言ってたからいいか。
「じゃ、私はこれで」
「あいや待つがいいッ、此の先は軟弱者共が跋扈するが故。無害な娘はここで他の子供等と助けを」
「平気です」
こんな場所で隠す必要もない。私が決して無害なだけの被害者じゃないとアピールしておこう。
両靴の横と踵部分をトントンと合わせて靴先の刃を展開、服の襟から薄い剃刀を取り出して、本来必要の無いベルトの内側からペラペラの刃物を引き出した。
まだあるけれど、狭い屋内だから沢山出すのも危ないかな。
「お、お主…」
「ところで、小僧って誰ですか」
「む。あの太陽という小僧であるが…知らぬか?」
太陽くん。もうちょっと人付き合いとか考えた方がいいよ、むしろ付き合う人? を考えた方が間違いなくいいよ。強制はしないけれど、この人は見た目からして不審者だよ。
「友だちです……今は」
「やはりそうか、ふむ…
何か変なルビが振ってあるタイプの含みがありませんでした? フレンドですよ、フレンド。
「…まあよい。なればレイリーよ、着いてくるがいいッ。お前にも魅せてやろう、悪とは何たるかをッ!」
「おじちゃんがんばってー!」
「えぇいッ我輩はおじちゃんではなァいッ!!」
「キャッキャ!」
「おじちゃんかわいー!」
「くっ、ぬ…今は見逃してやろう地球人どもよ!お、覚えているがいいッ!さらば!」
子ども達からの中々レベルの高い声援を受けつつマントを翻して、そのまま通路らしき方へ向かうタイターさん。滅茶苦茶子どもに好かれてますね、ひょっとして悪い人じゃない…のかな? 自称悪人ですけれど。
まぁ…今はこの人の言う通り着いていくとしましょう。私と同じように捕まえられた子ども達も、今は牢屋に入っていてもらった方が安全だろうから。
誘拐犯の考える事なんて、たったの二つだ。
一つは身代金、でもこの可能性は低い。どれだけ用意周到であろうと必ず足がつくからだ。特に電話で身代金の交渉をするのであれば、逆探知も容易。アナログな手紙でのやり取りを想定しても、そこかしこのコンビニ前にさえ監視カメラのある日本では、身代金目当ての誘拐はやはり困難を極める。
もう一つが人身売買。あのきぐるみは非公式品とは思えない程ちゃんとした造りだった。つまり、ここはまだ園内で、組織立った犯行だと推測できる。そうなると、児童を売るようなルートも所持しているでしょう。何かしらの運搬用トラックやコンテナに詰め込んでしまえば、子どもの泣き声も届かないし人影だって誤魔化せる。まさか夢の国は夢の国でも、悪夢の国とはね。
「居たぞっ! 侵入者だ!!」
…ちょっと待って、数秒で見つかったんですけど。居たぞって事は、私かタイターさんかはわからないけど姿を確認していたということに他ならない。つまりどこかにカメラ類があって、詰め所みたいな管理室があるということ。
しかも見つかった相手は数体のきぐるみ集団、手には思い思いに警棒やテーザー銃を所持している。暴徒鎮圧用にしては思い切りの良過ぎる、明らかに違法性の高い武装だ。
「ふんッ…徒党を組むしか脳の無い、軟派の極みよッ!」
「タイターさん。ここにはどうやって来たんですか」
「ほうッ、気になるかッ!」
「いや気になるとかじゃなくて」
「無論ッ!! こうであぁぁるッ!!」
「え」
マントが、違う。タイターさんの巨体が、コマ送りのように遠ざかった。これはコマ送りなんかじゃない。
あまりの速度にそうとしか捉えられなかった。
「虚弱ッ」
「がっ!」
「軟弱ッ!」
「ぐふゅ、ぐぇ…」
「脆弱ゥッ!!」
「ごはぁっ!?」
「この星の悪を行う者共のなんたる惰弱さよッ、斯様な貧弱極まりない連中に我輩が採るべき手段は一つッ!
即ち、正面突破!! 我を阻むもの無しッ!!」
………。
なにこれ。
目で追うのがやっと、そんなあまりの速さと、一撃できぐるみを粉砕しては身体が壁や天井に突き刺さってしまう異常なパワー。本当に同じ人間なのだろうか。あっ、宇宙人か。宇宙人って凄いね。
と、ほんの少し現実逃避をしていた一瞬。
「ばっ、化物め!!」
「ぬうっ!」
「危ないっ!」
通路の角から急に飛び出してきたもう一体のきぐるみ。その手には、人間に易々と向けてはならない金属塊。私も持っている銃器と呼ばれる物があった。
私の声の後に続く火薬の炸裂音。聞き慣れてはいるけれど、その威力が向けられるとは思わなかった。
「……え?」
「…な、なぁっ!?」
「馬鹿め、と言ってやろう。しかし貴様等は間違えた。我輩に効くものは限られるのを知らぬ。
それ即ちッ!!」
「ひっ…」
恐慌で引鉄が絞られる。
本来、その一発でさえ命を奪う銃声が連続した。
椎の実型の金属を、一身に受けても尚止まらない。
「魂の籠められた一撃! それのみであぁぁるッ!!」
「銃が効かなっ、あぎぃ!?」
「貴様等には矜持が無いッ、美学が無いッ!
悪とは卑劣を良しとせぬ心意気! さあ答えよ塵芥ッ、貴様等の頭目はどこに居るッ!」
背中に悪を背負った宇宙人。銃弾を真っ向から浴びた筈なのに。そんな物、まるで小雨の水滴かとでも宣うように声高らかに吼えていた。
そのスーツに解れも無く、悠々と悪の記された背中で美学を語る。
世界って広いんですね。
太陽くん、友だちは選んだ方がいいよ。