はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
「番号は?」
「………」
空を切り取った青色の瞳が、今や青氷の如き寒々しさを湛えている。
互いに逃げるつもりは無い。財部が何より間違っていたのは、相対している女が能天気を煮詰めた獲物ではなく。息を潜めて擬態していた狩人であったこと。
しかし、ここまで侮られて引き下がるのも納得出来ない。腹に据えかねる怒りさえ湧き上がろうもの。
乗らなくても良い勝負。だとしても、自身の腕への自負を捨てない為。
「…変わりません。00です」
「ふふっ」
吐き捨てるような声で、今一度の宣言。
先刻と変わらぬ宣告の端に愉悦を見出したのか。メリーと名乗る女の口から哄笑か、あるいは嘲笑に似た音がする。
「では私も。さっきと同じ番号、赤の1にチップを」
「………」
狐という生き物はあまりにも巧妙な死の擬態を行う。いわゆる死んだふりというものだ。生命の危機に瀕した時、擬死を行う。
自身が狩られると思った時に倒れ、今か今かと薄目を開けて危険が通り過ぎるのを待つ。しかし、その擬態のあたりの巧みさに、胴を輪切りにしてから、やっと狐が死んだふりをしていたと狩人が気付いたというような。本末転倒の限りとも言うべき末路を迎えた個体もいるという話もある。
女狐め。
擬態が上手くいったのなら、狩人をあえて挑発するなどしなければ良かったのに。
「オープンベット」
「二投目、どうぞ?」
言うに事欠いて、幾度か繰り返せば負けないなどと大言壮語も甚だしい。
「参ります」
渾身の一投。頭が赤々と照る炭に炙られようとしている程の緊張感。ディーラーを利用する、その思い上がりを粉砕せしめよう。
ボールが回る。
勢いよく。試す立場と試される立場。その序列を返上するように。
「…ボールの平均的な回転数は、二十回から三十回以上。とされていますね」
「………」
成る程、よく調べている。ディーラーの腕力や手指の力にも依るが、ルーレットの平均的回転数はその辺りの数字に落ち着くのは正しい。
だがボールの回転数で落ちるポケットを左右しているのだと勘違いしているなら、あまりにも浅薄。
指先で音を聴く。
円盤を巡る球体の軽やかな音声を、誤差無く聞き分ける。人間のセンサーの一つ、触覚の精度を頼り誤差が無いか精密に、傷みが無いか繊細に。
金属加工の熟練者は触覚のみで5マイクロメートルまで知覚し、金属の段差や歪みを発見する。
表面の質感の違いだけであれば、13ナノメートルまで知覚するに至り。その凹凸や微細な摩擦の違いを容易く見つけるものだ。
カジノに勤めるディーラーならば、様々な仕事道具に触れるという日常で熟達の域まで行くは必至。
ボールは完全な球体のままだった。
テーブルから伝わる反響も結果を歪ませるに到らない。
ルーレットも普段と変わらない速度で緩やかに動いている。
外れない筈だ。
「…あら」
女が小さく驚く声。
弾むボール。
さっきと違うのは、ボールがディフレクターという突起に当たったこと。
財部の手練手管が一つ。
始点が同じであれば狙ったポケットにボールを落とせること。つまり、ボールを投げ込んだ瞬間に手元のルーレットの数字が0ならば必ず1に入れる事を可能としている。例として0と1というだけで、財部が狙えば確実に想定通りにボールが沈むという事。ボールの周回数を変えようとも、結果が変わることはない。
そして斯様な技巧のそれとはまた別に、一工程挟んだ物も存在する。ボールをディフレクターに当て、狙った数字に跳ばす。メリーが一度も見ていない技術。
ルーレットの赤と黒は絶え間なく、正確に移り変わっている。台そのものへの不正も無い。
強いて気にするべき点としては、勝負が持ち掛けられる前。台に飲料が掛かった恐れがある程度。しかしながら、些末な出来事に収拾が着くまでほんの数十秒。
手に持っていたボールは鉄分を含まない素材で製作してあるので、磁気を仕込んだところで無駄。
間抜けが頭をぶつけた音もしたが、その程度の力でテーブルは動かせない。ルーレットそのものには触れてもいない。
ならば結果は明白で、自らの手を離れたボールは必ずや00を目指す…。
「あら、あら、あら…」
「っ!?」
宙を舞う白球が墜落した穴に刻まれた数字。
血よりも鮮明な赤色と抉り取られたような1の番号。
「私の勝ちですね?」
「……ええ、そのようです」
財部は内心歯噛みした。表情こそ普段と変わらずの無表情、なれど心中は決して穏やかではない。普段の鏡面と似通う凪いだ海の静けさは消え、ルーレットの盤面以上の嵐が如き精神の起伏が背筋さえ粟立たせていた。今迄培ってきた無表情、ポーカーフェイスの仮面を着けて配当を渡す。
しかし。肌が粟立ったのは果たして怒りか、あるいは怖気か。
地獄に落としてきた人数ならば数知れず。
願うように手を合わせていた愚か者の有り金をうばってやった。
請うように縋りつくゴミを払い落としてやった。
末摩を断たれた輩の声無き悲鳴、耳にこびり付けども手心を加えた事など一切無い。
その自分が今、まるで奴らと同じように…。
「少しずつあなたの事がわかってきました」
「……ほう?」
「その目、あまり視えていませんね」
「…っ…ご賢察の通りです」
これがその答えか。
自身の内部を覗き込まれる、そんな気持ち悪さ。ただでさえ滲んでいる視界が余計にぼやける。そんな錯覚さえあった。
内臓を観察されているような不快感、内心を暴かれる恐怖、秘匿を解かれる羞恥。その色の全てを混ぜた不格好を塗り込められている。
「さっきの飲み物の件でもそうでしたが、音がした方向へ目よりも先に耳を傾けるクセがあります。
それと、なんの事はない所作ですが。グラスを落とした彼が片付ける為に屈んだ際、すぐに静止して係の方を呼べばいいのにそれをしませんでしたね」
「………」
「当然と言えば当然ですが、イカサマを仕掛けられるかもしれない状況です。だというのに屈んで片付けようとする前に止めなかった。
光が強く当たっている卓上なら判別がつきやすいのでしょうか? もっとも、厳密には人の感覚なんて本人以外にはわかりませんけどね」
他者など知らぬと言いたげに女が語り続ける。
種を解き明かす為に。
「あともう一つ、これは一般論ですが。人は五感の一つが制限されると他が鋭くなるとされています。
あなたがポケットを狙えるのも……聴覚か、触覚か。どちらが優れていても難しく、どちらも秀でていても平易足りえません。何にせよ、途方も無い努力をなさったのはわかります」
「元狙撃手です」
「あら……」
メリーの言葉を遮るように、そして観念したとでもいうように財部が過去の一端を告げた。
「ですが、目を奪われました。狙撃手というのは恨みを買いやすい、それは今も昔も変わりません。軍人ではなく傭兵でしたが、敵に捕まってしまった時の待遇の苛烈さも特別変わりはしませんでしたよ。
こうなってしまっては元の職では難しいので、傭兵は退職。その時の退職金で余生を過ごしても良かったのですが、やはり人間、張り合いがありませんと」
「命のやり取りと金銭のやり取りでは、張り合いどころではないような気もしますが」
「同じですよ……本質はね。敵地で弾が尽きれば死ぬのと、賭場で残弾が尽きれば死ぬ。何も違いはありません。ただ、私はそれを見たいというだけです」
平静では得られぬ愉悦、平時では手に出来ない緊迫。
何よりも、平穏では満ち足りない性。どれもこれもが輝いて見えていて、ひたすらに近づいて行く。
火に焼かれる虫と何が違うのかと自身の破綻を自嘲した時もあったが、最早変えられない性分と理解して付き合っていた。
「刹那主義…と、言うのでしょうね」
「否定しかねます」
今更恥じるでもない。
内を覗き見るのも一通り気が済んだのか。財部に向けられた、張り詰めた弓に似た視線が傍らに落ちる。
「よくわかりました、ええ色々と」
「左様ですか? ご満足いただけましたかな」
「はい、それはもう。ですので次を最後にしましょう」
「かしこまりました、番号は?」
これが最後。だとすれば、どのように球を回せばいいのか等というのはとうに決まっている。
「さっきと同じで。財部さんは?」
「ははは、奇遇にも同じですよ」
「ふふっ…ではどうぞ」
「……オープンベット」
全てを天に任せるのも、また一興だろう。
───☆
「それで…」
帰って来ました探偵事務所…の帰り道。
何事も無くとか平穏無事とは言い切れないけれど、とにかく夢の国から日常に戻ってきました。
現在、すっかり夜なので太陽くんが自宅まで送ってくれています。これってやっぱりデートって事になりませんか。
「いつまでこのネズミミカチューシャを着けてりゃいいんだよ…どこに出しても恥ずかしい、とんでもねえパーフェクト浮かれ野郎じゃん」
「似合ってるよ」
「嬉しくねえよ!?」
あれ、そうなの?
対人コミュニケーションは、とにかく服装を褒めておけば間違いないって物の本で読んだんですけど。やっぱり本だけの知識はダメだね、試してわかる交流の難しさ。
「まあカチューシャはいいよ」
「いやよくねえけど」
「それよりメリーさんは、どんなイカサマしたの」
「あー……」
私は遠巻きに見ているだけだった訳ですが。ルーレットを連続で当てるというのは、運の成せる技という言葉で済む問題じゃない。必ず何かしらの仕掛けがあるはずだ。
自分が知っているのは。メリーさんの席近くで、太陽くんがわざと飲み物を溢したというだけ。
あっ、あと頭をぶつけた事も、かな?
「俺も詳しくは聞かされてねえんだよ、いやホントホント。マジで」
「……」
「マジなんだって! 俺が頼まれたのは、机を凹ませるってだけ。正確に言うと、机の支柱を足の指のとっかかり一本分でいいから殴っておいてくれってな」
「……どういうこと?」
「あとはいつか本人に聞いてくれ、俺はなんとなくわかっちまったよ」
「……」
「睨むなって。結果ハッピーエンドで万々歳なんだから、それでいいだろ?」
そう、ハッピーエンド。結局のところメリーさんの考えていた通り、鉢屋さんの恋人はカジノで作った借金だけは返せる額をルーレットで稼いだ。
そして…。
「備品を壊したって話で出禁までしっかり食らったんだから、これでヤバい額まで借金は膨れ上がらないだろうよ。本当は俺が壊したんだから、濡れ衣を着せられたっていうのは可哀想かもしれんね。ってか一歩間違えたら俺が出禁だったな? 賭事なんて好きでもねえからどうでもいいけどさ」
「私はヒモでもいいよ」
「絶ッッ対嫌だ! 俺は普通に働いて金を稼ぎたいの!」
「そう……」
拒否が力強い…!
いつか絶対離れられないようにしてやる。そんな私の決意はさておき、依頼人とその恋人の面倒な関係に思いを馳せる。
「うん。鉢屋さんも大変だね」
「ん?」
「恋人の…えっと…」
「花沢 聖子な」
「あ、そう花沢さん。
…花沢さんの借金を返す為に働くんだから」
「ギャンブル狂いの女性にヒモっていうのも変な感じだけどな。結婚もしてねえけど浮気もどうやらしてないらしいから、まぁ…そういう…なんていうか…」
「愛の形?」
「そ、そういうのもあるんじゃねえのかな、うん。何だかんだ頼られてるのはわかるからって喜んでる感じもあったし」
愛。つまりラヴですね。太陽くんは愛や恋を口にする時だけ異様に口籠るよね、ふふふ。気恥ずかしいのかな、うふふふ。
「やめろォ! 何ニヤついてんだ!」
「そう?」
「見りゃわかんだよ!」
よくわかるね。表情にはそこまで出てないと思うけど。まさか…これも愛だったりしますか? しませんか? しろ…!
「とにかく一件落着だ。ほれ、ここが家だろ」
「ん、ありがと」
「無事で良かったぜ、まったく…また明日な」
「うん」
名残惜しいというか、後ろ髪を惹かれると言いますか。もう少しだけ夢気分に浸っていたいと思いつつ、彼に見送られて帰宅しましたとさ。
こうして夢の国での事件と依頼は終わりました。
後日、メリーさんから御礼状が届いたと聞いて、その中身を教えてもらって更に驚きが二倍。
何と、鉢屋さんと花沢さん。結婚するそうですよ。とってもハッピーですね。
………ところで、私は太陽くん達に誘拐されかけた話はしていないんですけれど。無事で良かったっていうのは……まあ、考えても答えは出ない。
夢見心地のうちに、夢の中に行きましょう。
───☆
思うに。奇妙な客だったのは間違いない。こちらのイカサマの種を知って強請るでもなく、また黙って自らのイカサマを通せばいいのに荒稼ぎをするでもなく。
彼女に言い渡されたお願いもまた奇妙なものだった。
一人の客を、ここのカジノで書かされた借用書分だけ稼いがせて出禁にしてほしい。とは。
更に奇妙が重なったのは、彼女…メリーが席を立ってからのこと。いつもと同じように、練習で研鑽を重ねた通りに、ボールは意のままにポケットに落ちていくようになった。
だがしかし、見破れなかったこちらが間抜けだったのだ。如何様な手段かはわからずとも、最後の一投すら完敗とあれば望みを呑むのも致し方無い。
むしろ圧倒的な何かに捻じ伏せられたような、一種の爽快感さえ感じたのだから、やはりこういう仕事は辞められない。
「……ふむ」
「お疲れ様です財部さん、どうしました?」
「お疲れ様です。いえ、本日のお客様ですが」
「ああー…面倒でしたよねぇ。店の備品を傷物にした癖に私じゃない私じゃないって…。知ったこっちゃないっていうんですよ」
「はは、全くです」
本当に本人がやったのではないと思うが、そんな事はどうでもいい。一山いくらの木端の客なぞ元より眼中にない。
「テーブルの傷はどうですか?」
「触れば…あっ! そういえば財部さんは目が見え難いんでしたよね」
「ええ、色がハッキリしていればわかりますが…。机はどのようになっているのか、破損箇所をお教え願えますか?」
「あっはい、折角ならライト持って来ますね!」
同僚の持って来たペンライトに照らされたルーレットテーブルの、神殿の支柱を思わせる黒く頑丈で大きな支えを視て、そして触れてやっと気付いた。
なるほど、やられた。
「ほら、ここですよ。どんな馬鹿力だかわかりませんけど、下の方から斜め上に向かって穴みたいなのが……財部さん?」
「ふ……ふふ、ふ!」
「あの…財部さん…?」
「ふあっはっはっはっは!!」
その身体にどれ程の力を秘めていたのか。それを知る由も無い。だが、答えはこんなにも単純だ。
彼女は、この100kgを超えるテーブルを、足の力で、こちらにバレない程度に持ち上げていたのだ。
ほんの数ミリだけでもズレてしまえば、こちらが如何に正確に的を狙おうとも当たる訳が無い。
そう。気付かない場所に、気付けない程度の傾斜をつけられていたのだ。注意を払っていた音はせず、何らかの材質が変化したのではなく。その実、ただ角度が変えられていたという盲点を突かれた。
これではどうあれ当たらぬ筈だ。
「まったく、これだから……」
そして最後の一投。
これは完全にランダムだった。一切狙わずに、ただ素人のように投げたのだから。それだというのに。
彼女は的中させた。最後の出目は赤の1、本物の強運か、それともこれもまた別のイカサマがあるのか。何にせよ、賭事というのは、これだから面白い。
だからこそ、何よりも。
「BETは、やめられませんな」
「は、はあ……?」
また何時か、魂や矜持の全てを賭けるようなギャンブルを誰かがさせてくれればいいが。
そう祈らずにはいられなかった。
長くなりましたがB編は終了です。
ちなみに実はメリーさんが100キログラムを持ち上げられるパワー系というのは、過去に一度だけ。事務所内メンバーの腕相撲では太陽も勝てない(力だけなら事務所内最強)という形で言及しています。