はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
時間がある時にお読みください。
場所は日本。東京都が新宿区、その外れ。
誰もが思うような人間らしい人間に限らず、多様な種族の食い詰め者や無法者が集まる掃き溜め。そう言われるようになって久しい。
ある者は子々孫々でさえ使い切れない莫大な財を求めて、またある者は永劫と天下に轟く名声を求めて。命を入場券に突如として現れた迷宮へ今日も入っていく。
これぞ現代の冒険者。ある男も一人、本人が勝手に決めた義理を果たさんが為。末代にまで伝わる名声はさておき、目下は現金を求めて。
迷宮の呼び声に誘われるまま寝床から身体を起こし、拠点としている家屋の居間として割り振っている部分へ、加齢が手伝ってか日増しに重くなる身体を引き摺りまるで這々の体一歩手前で降りた。
男の名は竹塚 千尋。無駄毛そのものといった無精髭が爪先ほどに伸びても気にしない、その上天然パーマかそれとも寝癖なのか不明な髪の毛までもをもっさりとしたまま放置しているだらしない人間。
「んふぁ〜…ねっむい…」
「相変わらずだらしのない。もう昼ですよ」
毎度の如く繰り返されるボヤきを受け流して、やれやれと頭を振るうのは巨躯たる熊に似た猪。しかし、そのまま野生の猪と同様に扱うには困難に感じる。彼の猪は二本足で直立し、眼には理智の輝きが湖面に浮ぶ月光のように滔々と湛えられていた。
彼はオーク。種族名と称号を加えたオーク・紳士・教師と人間相手にはよく名乗っているが、実の所完全な本名ではない。
「んだよぉ、お天道様が昇ってても普通に過ごせる有り難みってモンを噛み締めろよぉ。大体だぁ、お前は一々細かいんだよ、母ちゃんかっての…。
っておいおい、もう昼って言ってんのにまだ十時じゃないのぉ。これじゃ朝だよ朝」
「午前十時からは昼という扱いが正しいそうですよ」
「えっ、そうなのぉ?」
「ええ、そうです。なので、おはようございますではなく、こんにちはが正確ですね。こんにちは」
「へーへー、こんちわこんちわ」
ここは新宿区の外れ。不可思議な存在が闊歩する前から、一般とは縁遠い不思議な方々が活気を振りまいていた場所。新宿三丁目と呼ばれた地区。
「千尋ちゃーん! 千尋ちゃーん!!」
「呼ばれてますよチヒロ」
「あのダミ声はどう聞いても大家さんだろぉ、朝…あー昼から元気なんだからさぁ。おじさんちょっとトイレ行きたいからオークが行ってきてくれよ、漏れたらどうすんだい」
「オシッコマンの称号を与えましょう」
「外を出歩けなくさせるつもりかお前!?」
「こんにちはオシッコマン」
「まだ漏らしてねーだろぉ!」
「まだ…? つまり漏らす予定が…?」
「ある訳ないだろうが!」
少なくともかなりの人数が歩き回れる空間で、やいのやいのと人間と、二足歩行する猪らしき存在オークが昼に言い合いをしていた。しかし言い合いと言うには双方に語気程強い毒気が無く、じゃれ合いとする方が相応だろう。
部屋は中々に広く。元は店舗であったビルの一室をそのまま借りていた。ちなみに元の店は酒場である、新宿三丁目のバー。何と言わずとも察するに余りある。
過去の乱痴気騒ぎが行われていた形跡は、間取りとバーカウンター以外におよそ無く。今では広いリビングルームとしての要件を満たすのみ。
男二人が過ごすには寂寞すら感じられるが、オーク紳士の縦幅と横幅を考慮すれば丁度良い広さだ。何せ身長は2m後半に届いており、恰幅も相撲取り並である。下手に狭い部屋であれば身じろぎ一つ困難になる。
ちなみに竹塚は追加で借りた別室を自室として使用している。そちらは元バーと比べれば手狭だが、本人は快適に過ごしていた。立って半畳、寝て一畳。それだけの自由があればいい。
少なくともデザイン会社に勤めていた時に経験した、期日が翌々日だというのに急にクライアントの気が変わってケチが付けられてしまった時のような。徹夜で椅子に座りながら寝落ちして、体全体がバキバキになるよりも、狭いけど自由に寝転べるだけずっと快適だ。とは本人の弁。
一方オーク紳士はこのだだっ広い共有スペースの床に、カーペットのように大きい毛皮を敷いてそのまま寝ている。市営図書館から借りた本を置く以外に自室を必要とする程私物がなく、寒さに強いので布団も必要無いようだ。
こちらは食べ物さえしっかりと用意出来る場所、それと身嗜みを整えられるシャワーやアイロンが使えれば特段文句が無い様子。アイロンにかけるは彼の種族の正装、一般人からすると深緑色の半袖シャツと半ズボンといったラフな服装である。
彼の紳士的こだわりポイントはズボンを締めるためのベルト、迷宮で仕留めたコンスイヒツジ(この羊と目線が交差したまま鳴き声を聞くと失神・昏睡状態になってしまい、そのまま踏み砕かれる。平均体高4m、体重約1.5t)の革から手作りした渾身の一品。他の大部分の毛と皮は彼の寝床として使用しているカーペット的な毛皮になった。これぞ一石二鳥。
それはさておき。
「あー…ダルいわ…酒が抜けてないっていうか、疲労が抜けてなーい。僕も歳取ったよなぁ…」
「はぁ、そうですか」
足早に小用から戻ってきた竹塚の年齢を感じさせる所感は、一先ず聞き流された。
ボサボサとした髪は寝起きが故に尚も拍車をかけて暴発した髪になり、無精髭は勢い良く芽吹いている。その様はどう見ても男やもめと揶揄されるそのもの。口では歳を取ったと嘆くが。本人が言うほど年齢について下に見られたい欲求を持ち合わせていない、むしろ年齢相応に見られるなら歓迎している程だ。
寝間着兼私服のスウェットの上から背中を掻きながら、バーカウンターに備え付けてある椅子に腰掛け、同居人に疑問を投げ掛ける。
「そういやぁ大家さん、何の用だって?」
「来客だそうですよ」
「んー? 客ぅ?」
そのような予定があっただろうか。
否、無い。皆無だ。
何せこの借家を知っている友人未満の知り合い程度なら居ても、深い友人ともなればそもそも教えていない。それは何故か。会社が無くなってから迷宮探索に勤しむとは何だかカッコ悪く感じているからである。竹塚は外部に対し、少々見栄っ張りであった。
そして、知り合いには格別の恩義を売っていないし、返済を強制されるような借りも作ってはいない。今は夏、盆休みでもないので当然同窓会の時期でもない。
結局、皆目検討もつかないと無い無い尽くめである。
「誰も来ないと思ってたんだけどなぁ?」
「いいから、顔を洗ってきなさい」
「わぁかってるよぉ…まったくさぁ、口うるさい母ちゃんみたいな事を言って…種族も違うってのに…」
常人には聞こえるか聞こえないかの範囲で愚痴をぶつぶつと漏らしながら竹塚は洗面へ向かう。
聴覚と嗅覚が発達したオークからすれば、全て聞こえているが訂正をするようなものでもない。これも日常的なものだった。
「さて、どうぞ。お入りください」
来客を待たせるはマナーとして悪。
オークは紳士である、称号的に。
されども寝起きの中年男性こと竹塚は客を引き合わせるにしても、あまりに不格好が過ぎた。顔を洗ってこいという指示内容には無精髭を処理してこいといった意味合いも含まれている。
決して安普請ではないが、老朽化が進んだ扉が金属の悲鳴を上げて押し退けられていく。
「こんにちは」
「こんにちは、レイリーさん」
白い。
人が彼女を見た感想として真っ先に来るものはまずそれだろう。頭髪はふわりとした軽やかで真っ直ぐな飛行機雲、肌は混じり気の無い透明を重ねた白雪、瞳を飾る睫毛の一片にも黒が見当たらない。
黒と青が入り混じる不可思議な虹彩の目と薄い赤の唇だけが白以外の異色になり、辛うじて彼女を人間と示している。
もしも裸で雪に埋もれたら救助は望めないだろう。そんな不謹慎気味な事をオークは初対面の時から思っていた。
服装はその朧気にも感じられる輪郭を定着させるような濃い緑の生地で薄手の軽やかなブラウスと、柔らかなオレンジ色と黄色の中間の色味をしたロングスカート。靴は黒に近い焦げ茶色の革靴で、他の服と比べればこれだけはどうにも重たげだ。
オークには人のファッションがわからない。今もそうで、口から出そうになって抑えている感想は雪を被ったニンジンみたいですね。といったもの。だが言いはすまい、何故なら紳士だからだ。
「…あの、どうしました?」
「あぁいいえ、制服姿ではないので。よく覚えておこうと思いまして、大変お似合いですよ」
彼女の身体の目に見える範囲で、唇を除けば唯一色がある瞳。黒と青が混ざる、夜に映る青い花のような瞳がオークを射抜く。
しかし決して気を悪くした訳ではないと、自身の鼻が相手の感情を伝えている。そろそろ戻ってくるだろう同居人が下手な事を言わなければいいが。
「うぃー…あっ、レイリーちゃんじゃないのぉ。お客さんって君だったんだねぇ。
…うん、そのトップスなら色はネイビーブルーの方がいいと思うよ。見せたい色は多くて三割、落ち着いた色は残り。どうせだったらストール着けて、それをオレンジ色にしたらいいかもだね。それと靴は…」
「えっ」
「チヒロ…チヒロ!」
「あっごめんね!?」
唐突に始まるファッションチェック。
竹塚は紳士ではなかった。
いたいけな女子が無遠慮に晒され、困惑の色を濃くする前にオークが止めたのは英断だったと言えよう。
わざとらしく咳払いをした後、竹塚が話を変える。
「んん、えーっと! 何の用事かな!?」
「……」
「二人とも先に座っていてください、私はお茶を淹れてきます。チヒロ、変な事を言わないように。くれぐれもですよ」
「わ、わかってるよぉ」
「レイリーさん。お茶とコーヒー、どちらが好みですか」
「お構い無く……お茶でお願いします」
粗相をしたばかりの人間に信頼を置けるとしてそれは如何ばかりの質量か。探索に関しては信頼を寄せども、私的な生活においての比重は微々たるものだ。
釘を刺すのも程々に、オークはキッチンへ引っ込んで行った。バーにある調理場なので当然人目につき難い奥の方へ。竹塚はバーカウンターではなく、そこから距離のある丸テーブルにレイリーと二人で机を挟み、向かい合うようにしてソファ風椅子に座っている。
これが何を意味するのか。
緊張が走る。
「で…そのぅ…あ、寝間着でごめんよう」
「……いえ、大丈夫です…」
「な、何の用事かな…?」
空気が凍るようだ。無表情の凍てつく視線は竹塚をただ映すように向けられており、先程の不愉快に感じられたであろう出来事を咎めるが如し。
あるいは昼時に寝間着で会話しようとしている中年男性の怠惰を咎めているのか。緊張がトコトコ走りつつ、取り巻く空気は凍っている、どうしたものか、この雰囲気。
ちなみに、レイリー本人に空気を凍てつかせるつもりは全く無い。
竹塚は学校の教員でもなければ、複数回顔を合わせた知己でもない。それこそほぼ他人である。普段なら太陽でも連れて来て、彼が話を円滑に進めるだろうが。何を思ってか単身で他人とコミュニケーションを取ろうとしている。
これはレイリーが自身を成長させる為にした涙ぐましい努力の一環であるが、どう考えても裏目に出ていた。
つまりは、レイリーは無言で押し黙っているようにしか見えないが、その実どう返答をしたものか思考をしているのであった。というよりも、この期に及んで緊張が膨れ上がって喉を圧迫している。ほぼ他人との一対一のコミュニケーションの難しさを侮っていたのだ。判断が甘い。
「……」
「そ、のぅ…」
備え付けてある時計の規則正しい秒針の進みだけが鮮明に聞こえる。こうなれば圧迫面接もかくや、むしろ圧殺面談の様相を呈していた。どんなに些細でもいい、この気不味い沈黙を破る突破口は無いのか。
静かに過ぎる静寂と思考の暗夜行路は、目の前の椅子に座るレイリーが壊した。
「あの、先日の、お金の話で…」
「…!」
なるほどそうか、と竹塚はここでやっと合点がいった。確かに女子高校生が金銭の話を大の男にするとあれば、緊張もしよう。仕方のない事だ。うん、そうだ。と心を落ち着かせた。
「あー! そうだね、お金ね!
良かった良かった、そっちのバイト先の事務所からちゃんと連絡が届いたんだねぇ。いやさぁ、受付の人? キレイな声でおじさんビックリしちゃったよぉ」
「メリーさんですね」
「そうそう。いざ声を聞くとさ、どうせなら直接手紙でも書いて渡しに行った方が良かったかなぁって思っちゃったよ。あぁ、レイリーちゃんの声も綺麗だからね。勘違いしないでよぉ?」
いける…!
このままどうにかして間を保たせよう。金銭についてなら、この前の探索の時に生じた利益についてだろうから、当然関係しているオークをクッションに挟んで話を進めたほうがいい。というか本音としては一人で相手をするのは非常に心細い。
竹塚としては何も後ろめたい事は無いのに、存在自体が自分とかけ離れた女子高生などという存在は会話をするだけである種の恐怖がある。
知らない子供に話しかければ待ち受けるのは通報と社会的な死。違うんですお巡りさん! と言ってももう遅い。また俺何かやっちゃっていなくとも変質者の誹りは免れない、後に待っているのは追放は追放でも社会からの追放。そんな漠然とした恐怖だ。
「そういえばさ、普段から探偵事務所で働いてるんでしょ? ここ最近…って言っても十年そこらか、大変じゃない? 変な犯罪とか、オークみたいな連中も出てきて一筋縄じゃあいかない感じがするよねぇ」
「まぁ、そうですね」
「だよねぇ」
思い返せば、迷宮内という非日常では会話も弾んだ方だと思う。その要因としては、やはり命の危機に直面し易いが故の奇妙な感覚だろう。
直面せざるを得ない危機に対しての連帯感というか、それとも生存する為には情報交換が必要と本能的に察するからなのか。答えは不明瞭だが間違いなく会話が成立していた。
竹塚がレイリーに対して抱いている印象は、唐突に変な事をする小さな女子高生である。しかも何故か異様な戦闘技術までもある。
日常生活を営む自身の借家と、非日常そのものの迷宮。ハレとケの棲み分けが与える印象に、その影響の違いはあれども、やはり難しく感じる。会話そのものがとても難しい。
そもそも、この娘は流暢に喋ってくれない。
そして、自分の娘でもおかしくない年代の人間と何を喋ればいいのかもわからない。
とにかく全力で時間を稼ぐのみ、早く助けてくれオーク。お茶なんか丁寧に淹れてる場合じゃないぞ。
表面上はにこやか且つ普通に喋っている様子だが、竹塚はいっぱいいっぱいである。
「そうは言っても大丈夫か。ちゃんとした大人も居るだろうし、當真少年もいるもんね」
「…はい」
「あのグリンブルスティを一人で叩きのめせるんだから、ビックリだよ。いいボディガード…ロマンチックに言えば騎士サマなんじゃない?」
「頼りにしてます」
「だよねぇ。金髪のナイトに、真っ白いプリンセス。結構絵になるんじゃない、おとぎ話みたいにさ」
中年が言うには何とも恥ずかしいというかメルヘンチックな言葉選び、素面で詐欺めいた事を言うものだと竹塚は内心自嘲気味な感想を抱く。
しかし相手は無口なれど女子高生、箸が転んでは笑い砂糖菓子のような言葉に喜ぶ年頃だろう。気を悪くされるよりは幾分もマシというもの、ならばメルヘン大いに結構。
「……そう…ですか…?」
「そうだよぉ」
おっと、意外にもそこまで乗り気でない。だが前言撤回を希望するでもなし、このまま黙ったとしても耐え難い沈黙にはならないであろう。一先ず上手く会話が出来た、そう思い笑顔を浮かべた。
竹塚は知る由もないが。レイリーの脳が砂糖漬けになっていてもおかしくないような色恋に飛び付きやすい年頃だとしても、今の歯の浮くような喩え話に乗り気でない理由がある。
まず童話に出てくるようなお姫様のように受け身でいることを良しとしないこと。ひいては、それは何も出来ない事と大差がないのではないかと思い至るが故。片方にもたれ掛かるだけの関係は、それこそ砂糖細工のように脆かろうと危惧もしている。
何より、そう見えてしまっていると突き付けられているようでどうも素直に受け入れ難い。
「………」
「ど、どうかしたかい?」
まさか言葉選びを間違えたのか、また黙りこくってしまっていた。竹塚もこれには苦笑い。さっきまでの笑顔に苦味が追加された、角砂糖にエスプレッソでも垂らしたようだ。
これだから年若い女性は難しい、いっそ苦手と言ってもいい。上手く行ったと思った会話が、大した成果を挙げていなかった。
心の片隅に、やっぱり面倒の無い関係がいい。特に金銭や損得で割り切れる関係の方が好ましい。と人間関係に擦り切れた感想が積もっていく。
静寂がまたも場を完全に支配する直前。大柄な見た目の何倍も器用かつ繊細な手付きで、透明な円筒状のグラスに淡い夕焼け色の液体と四角い氷が満たされたもの。いわゆる普通のアイスティーが差し出される。
「お待たせしました、砂糖を溶かした…何でしたっけ」
「ガムシロップな」
「ああ、そうでしたね。ガムシロップやポーションタイプのミルクなどは必要ですか?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
「お礼が言えて偉い! あー僕もいらないよ、飲み物を甘くし過ぎると糖尿とか怖いからね」
「チヒロもお礼が言えた方がいいと思いますよ」
「あんがとあんがと」
「…はぁ」
救いの手は何とも毛むくじゃらでゴツゴツとしていて、人間のそれとはかけ離れた形をしていた。というかオークの手だった。
だが千載一遇の好機を齎した手であるのは間違いない。一般的には厳つくてゴワゴワのオークハンドが、竹塚には天界から降りる蜘蛛の糸に見えた。これを逃す手はない、待ってましたと言わんばかりに話を切り替える。
「さぁて、と。お金の話だっけ?」
「はい」
「あの時の素材は換金してあります。税金として一割ほど徴収されていますが、それでも中々大きい額ですよ」
「税金高いよねぇ!? 毎度毎度思うんだけどさぁ、そこは非課税にするとかしてくれないと、こっちも張り合いが無いって、ねぇ!? しかも確定申告も必要だしさぁ、命張ってんだよこっちは、ったくぅ」
「確定申告…」
「大事なものです、それはもう大事なものです。レイリーさんも自営業を志したり個人事業主になるのなら、是非覚えておきましょう。損はしませんよ」
「そうですか?」
「はい」
明らかにピンと来ていない顔である。高校生の身にして確定申告に覚えがある方が稀なので仕方のない事だが。
「ですが、色々と面倒なのも事実ですからね。所得の範囲に引っかからない程度に小分けして銀行に振り込むか…」
「手間だけどバレない程度に高い物に変えて、自分で換金してもらうか。だねぇ。どうする? 何だったらおじさんが見繕って送ろうか?」
「あっ…その」
「ん?」
「どうしました?」
先程のようにもごもごと何やら言いたい事があるのか、それともそれが口から上手く言葉として出ないのか。どちらにせよ、それを急かす竹塚達でもない。ゆっくりとレイリーが喋りだすのを待つ。
「えっと、リカさんは…」
「元気…じゃないかなぁ」
「流石に男二人の住まいに同居というのは彼女も嫌だろうということで、横の建物の貸部屋に移ってもらいました。頻繁に行きはしませんが、様子を見る限り不思議と血色はいいですよ」
「隣の所も、この部屋と大家さんが一緒でね、ワケアリだって説明しても貸してくれたよ。家賃もボられるかと思いきや、逆に格安にしてくれたし。いやぁ人情だよねぇ…派手なオカマだけど」
「一言余計ですよ、チヒロ」
「よかった…」
もちろん建物のオーナーが実はオカマだったということや賃料が格安らしきことが良かったのではない。自分が起こしてしまった事態はどうにか落ち着いたらしい、ということへの安堵である。
迷宮で人を拾ってしまった。そんな異常を招いた後悔は態度にこそ滲ませど、表情を含めた顔という点では目立たない。しかしレイリーは一人でひたすらに悶々と過ごしており、煩悶の余波は深夜にも波及して若干寝不足気味であった。
レイリーは肩の荷が降りた気分、どこか晴れがましい気持ちで、本題…金銭の扱いについて続きを話し出す。
「…お金のことなんですけど」
「うん」
「お二人が使ってください」
「えっ」
「なんと」
事実から考えるに。彼女はアルバイトをしている、これは金欲しさとは結び付かない可能性がある。
竹塚が服装、その中でもわかり易いアパレルブランドをざっと見る限り、元よりハイブランドで固める感じもない。アクセサリーの類もおよそ身に着けていない。そしてこれは見える所で金遣いが荒い訳でもないのだと推察出来る。
ひと目見てわかるような質素倹約、そして清貧を重んじている訳でもなさそうだが、派手な遊びを好んでもいない。時給換算の容易なアルバイトもしているのだから、金銭の有難味を知らないでもないだろうに。随分と剛毅な事を言うものだ。
「それは…なんでだい?」
当然、返答如何によってはレイリーの要望を突っ撥ねる腹積もりである。資金洗浄が必要な腐った金でもあるまいし、面倒な借りを作る金でもない。
であれば、稼いだ金を持っておいて損はない。
自身の家計が実は返さなくとも問題の無い借金で火の車になっている事を考えれば、何とも当たり前の思考の帰結だ。
「動物じゃなくても、拾った……ううん。自分で行動した責任はあるからです。あの時もしも私が袋を開けなかったら…リカさんがどうなっていたかはわかりませんけれど。少なくともこうなってはいないから…。
本当はお金の問題だけじゃないのに、こうして助けてもらってるから、せめて…そのくらいは…足しになればって思って…」
「……ふーむ」
「なるほど、人間とは…」
竹塚は内心の驚きと感心を表情に出さないように深く頷き、納得いったとするような相槌を返す。
誰に言うでもないが…否、オークには話しているが。竹塚は太陽を含めて、レイリー達二人を完全に信用していない。
第一印象は偶然出会った、ただの高校生二人。迷宮探索も終わった所で厄介事を運んで来た子供でしかない。
それが思った以上に物騒で、なおかつ突拍子もなくトラブルに突き進む二人の高校生になった。
正直に話してしまえば、あまり関わり合いになるべきではないだろうとさえ思っていた。どこからともなく銃火器を取り出しては発砲する人間と知己になるのはリスクがあるのは間違いないからだ。
しかし、この遠慮も分別も感じられる態度と、発言の様子から推察するに、普段から銃を振り回して脅すような凶暴性を感じられない精神的な気質を考えれば。あれらは迷宮内での出来事であると同時に、目当ての犬を見つけたあの時は緊急避難的行動だった事に思い至る。
袋を率先して破いたのも、興味に飛び付いたのではなく危険回避を優先させたのだとしたら、軽率な点は咎めたとしても全てを否定するべきではない。
竹塚は発想の根底から迷宮に毒されていたのを感じ、非常時の対処を根拠に平静時の言動全般を真に受けないのも、何とも大人気無いと思い直した。
それはそれとしても女子高生が銃器を所持しているうえに、滅法使い慣れている事実に恐怖はあるが。
それにしても彼女の言葉は尻窄みだ。決して凄んではいないはずだが、真剣な顔で大人二人に見つめられるのは居心地が悪いのかもしれない。
いや自分自身も子供の頃は似たようなものか。返答内容も決まったのだから普通に返事をしよう。竹塚がそう思って口を開いた瞬間。
「はい、わかりました。ではこちらでチサトの為に使いましょう、いいですねチヒロ」
「おじさんもそう言おうと思ってたんですけど!?」
美味しいところを取られた。
しかし、これで当面は来歴身分全てが不詳の彼女。チサトの生活費を捻出せねばならないだろうという懸念に、胃と頭を痛めずには済みそうであった。
そんな事を考えてはいたが、竹塚はもしもチサトが金を使い切ったとすれば何の気無しに追加で金を出すつもりである。表面上はあれこれ理屈を捏ねるが、根底の部分では人に甘い性分をしている。
「やー…来た時はごめんねぇ、前職の癖っていうかさ。専門じゃないけど服の色の組み合わせとかも考えちゃうんだよね。
菱先のデザイン会社っての言ったけど、おじさんの所は車の内装とか下積みん時には広告の…」
「共通項が無く歳の差も離れていると、人は仕事の話に逃げると聞いたことがあります」
「そういうマジなのはやめろ!」
「気にしてないですよ、歳も離れてるのは本当ですし」
「そうだね…おじさんとレイリーちゃんは倍くらい離れてるもんね…言ってて辛くなってきたなぁ」
迷宮でなくとも振るわれる、言葉という名の刃物は危険である。最早チクチク言葉ではない、自らにグサグサ言葉を刺していく。
一抹の寂しさが竹塚の瞳を潤ませるように見えたが、男は簡単に泣いてはいけない。これはきっと心の汗が滲んだのだろう。
「…き、共通してるといえば、リカさんは元気ですか。さっき血色は良いって言ってましたけど」
レイリーも気まずそうに目線が泳いでいた。女の涙は武器とも言うが、男の涙らしき液体、眦から流れる汗も武器なのかもしれない。放てば空気が死ぬタイプの恐るべき武器として。
されど場の緊張が弛緩してからとはいえ、レイリーが自分から話題を切り出すのは成長の一歩である。先程の金銭についてのちょっとした話も彼女にとってはジャイアントステップ、傍目から見れば小さくとも偉大な一歩だ。優しく見守ってあげよう。三歩進んで二歩下がっても成長は成長なのだから。
「あぁ、うん…リカちゃんね…。リカちゃんは…どうなんだろう、体調は良いんだろうけど本当の所いまいちわかんないや」
「わからない…?」
「いやほら、ね? 用事も無いのに女の人の部屋に行くってのも気が引けるじゃない。友達って間柄でもないし…食べ物は差し入れしてるんだけど、どうにも食べてないんだよね」
「…?」
「チヒロの言う通りです。よくわからないんですよ。基本的に部屋の鍵も閉めないで、カーテンを閉めきった部屋で同じ所にずっと座り込んでいるんです」
「最初に見た時、あれは怖かったねぇ…いやもうホラーだよホラー。真っ暗な部屋の真ん中でポツンと座ってんだから。
呼び鈴鳴らしたんだけど出てくれないし、そもそも呼び鈴って物自体がわからなかったらしいけどさぁ」
「食料も日持ちする物を買って持って行っていますが、一切手付かずのまま返されますし。当面のお金も渡してありますが、これも同じ。でも何故か痩せたり、青白い肌が土気色に血の気が無くなっていく様子もない、チサトの謎が深まるばかりですね」
「それは、不思議…ですね」
「ねー! もしもリカちゃんが気になるようなら、会ってあげてよぉ隣の建物に居るはずだからさ」
「そうします」
こうして金銭の話という重苦しい話題が済んだ後に、多少の談笑を挟んでから来客を帰す事と相成った。
他の雑談も一応有りはしたのだ、基本的には竹塚とオークが喋ってはレイリーが相槌を打つ程度のものだが。備え付けの時計を確認すればそこそこ長く、短針は次の数字に近寄っていた。どうやらおよそ一時間弱はそうしていたようだ。
「それじゃあ、気をつけてね。もしおじさん達で力になれる事があれば言ってよ?」
「こちらチヒロの電話番号です。お金の事以外なら相談してみるのもいいかもしれませんよ、中年男性が嫌なら私でも構いませんが」
「中年男性って言い方はさあ、事実だけど…あと、うん…まあ…お金はね…大事だから…!」
「はい、じゃあ失礼します。お茶、ごちそうさまでした。オークさん、いつか号奪戦の話教えてくださいね」
「ええ、いずれ」
「気をつけて帰るんだよぉ、またねぇー」
互いに手を振り合い、一先ず視界から消えるまで、後ろ姿を確認した。
竹塚の疲労と同調でもしているのか、彼らの部屋の扉はゆっくりと軋む音を立てて閉まっていく。
「……」
「……」
「…ぶはぁ! つ、疲れた…!」
「帰った途端にそれは失礼ですよ」
「いや怖いなーってメンタルからくる疲れだよ、あの娘この前は銃を隠し持ってたんだよ?
しかもそれ以外は…なんか無口目な女子高生だしさぁ、ちょっとは気疲れもするさぁ」
とんでもない凶器を持っている以外は、恐らく普通の女子高生であろうことは何となく察せられるが、普通の女子高生は銃を持たない。
ふとした拍子に思考の深みに嵌まると、そもそも本当に女子高生なのか。それともそれが都合が良いというだけで、学生を装った危険人物なのではないかと猜疑的な考えが頭を支配しそうになる。
受け取り拒否された現金もそうで、まさかとは思うが口止め料を含んでいるのではないか、と危惧してしまうのもむべなるかな。
「ありゃあ絶対カタギじゃないってぇ…」
「しかし、嘘をついているニオイもしませんでしたよ。つまり身分に偽りは無く、金銭についても裏は無い。それだけで十分でしょう」
「そうかぁ? まあお前の鼻は信頼してるし、悩みの種は一個無くなったけどさぁ」
オークも平常時は愚鈍ではない。鋭敏な嗅覚をもって、雑談の内容から真偽を推し量ってもいたのだ。
人間は嘘をつく時、所作や体調に変化が及ぶ。例えば発汗や体温の上下、視線の揺らぎが克明に虚偽を宣伝する。それが少なくなるように訓練した人間もいるだろうが、現状ではそれも無さそうだと結論付けた。
「変な動きも無かったけど…でも関わると怖いって、新宿住みでも無いのにあんな物騒なのは」
「多く関わる事もないでしょう…オークだけに」
「やめとけって、そのオークジョーク…」
「多くは言いませんよ、オークだけ」
「うるさいわぁ!」
新宿に住むと常識が無くなる。
稼げるだけ稼いだら早く町を出て、普通に仕事をしよう。それを心に決めた竹塚である。
「はぁ…んじゃあ今日も仕事しに行くかぁ」
「いつもの所で情報を集めましょう、情報収集がてら早めの昼食と物資の検討も必要です」
「馬鹿になってちゃ話も進まないわな、じゃあ着替えてくるからそれまでに何か摘んで」
「オオ…コメ、甘イ…!」
「おまっ、生米食ってんじゃないよ!!」
生米は消化に悪いので、そのまま口に運ぶのはおすすめできない。その判断ができない程オークも平常時は愚鈍ではない、平常時は。
とりあえず生米をパリパリと齧るintが5程度下がったオークを放置して、着替えている間に焼けるようトースターに放り込んだ餅を焼けたと同時に食わせつつ。迷宮周辺の市街地へ向う。
餅はいわゆる腹持ちが良いので、竹塚の部屋には常備してあるのだ。これにはオークもニッコリ。餅を食べる時はよく噛んで喉に詰まらせないように気をつけよう。
オークが正気に戻ってから。過去の銀幕スタアとでも言うべき怪獣王が周囲を睥睨する広場、今では迷宮管理センターの前と呼べば通じる場所へ向かい、着いては歩調を緩めて更に歩く。
雑踏と呼ぶに相応しいそこらへ聞き耳を立てれば。
「今日はやめとくかー」
「服濡れちゃった、最悪ぅ」
「クソ…チャンピオンシャコのパンチで即死なんて…!」
「バカホタテが降ってきたんだよ、でも真珠が拾えて…」
命を惜しむ者、長いローブの下を濡らして引き摺る者。仲間を喪い悲観に暮れる者、命だけでなく金目の物を回収した者等々。本日の戦果や反省を声高に語る人間の群れが、往来を尽きること無く跋扈していた。
「…ふむ、今日は水辺のようですね」
「浅い所からキツイ感じかぁ、体力取られるわ」
「千里の道も一歩から、でしょう」
「まーね」
情報は値段が付けられる代物。だというのに、こうして軽く歩き回るだけでも拾えるのだから、徒歩でふらつくというものは侮れない。
足取り重く疲労困憊の様相を見せる男の口振り、衣装の汚れを厭う女の愚痴。油断・無知・怯懦・失策、全てが即ち死へと直線上に最短で繋がる迷宮への対策として役立てられるものだ。
「野営と料理は無理かもな…キロカロリーメイトでも買い込んでおくか。それと爆汗生姜の携行食も要るな?」
「低体温や体力低下対策は必須ですね」
「行く前に王冠トウガラシの料理でも食べてくかぁ。武器は変えなくても良さそうだし…あとは…」
他に買い足すべき品物を考えつつ思考の何割かで推測するに、本日の迷宮は水場。それも川か海のように足下に流水がある。
シャコやホタテのような生き物がバケモノとして出ている様子なのも合わせると、海辺に近いのかもしれない。また帰還者が多いことから迷宮に侵入したが最期、紐無しバンジーもかくやといった高さから放り出される恐れもないようである。
命あっての物種、即死する罠が無いだけで安心材料になるのは言うまでもない。極少数を除き、迷宮探索者は自殺志願者ではないのだから。
怪しげなローブの足下に近い部分が濡れている女や、腰辺りまで濡れている別の連中もいるので、最悪の場合。海か川に腰まで浸かりながら怪物と対峙しなくてはならないようだ。
これは足場の踏ん張りが効かず、水流の方向によっては体力の損耗が激しい事を予感させた。しかし。
「メイスと槍なら、動物よりは楽出来るかもな」
竹塚はそう独りごちる。海棲生物ならば外骨格を持った敵が多い。規格外の相手にどこまで通じるかは未知数ながら、剣や弓のような、武器の衝突面が点と線とも表現される攻撃手段よりは。メイスで殴打したり、槍の石突で破砕を狙える分、いつぞやのモグラやミミズ相手よりも更に有効だろうと思う。
「魔術持ちが居れば楽かもしれませんが」
「ダメだって、下手に電気とか使われたらこっちが死んじゃうってーの」
「水流を操作できれば、という話ですよ」
「そっちか。そりゃ確かにねぇ」
普通、人間に魔術は使えない。
それは極々シンプルな常識だ。
手をかざすだけで火の玉を発射する。どこからともなく水を生み出す。地面から土槍を生やす。そのどれもが人間には無縁だ、ただし…。
「そういう道具持ちとか転生者の連中、それとお前以外の迷宮種族とは縁が無いからねぇ…。『噂』に憑かれた方々やエルフを誘えても魔術みたいなのが使えるとは限らないし。結局さ、無い物ねだりしても仕方ないっての」
迷宮内に存在する貴重な物品を使用した場合。他にも魔術が使用できる迷宮種族や転生者、そしてエルフという種の中でも限られたエルフであれば、まるで奇術か、果ては奇跡じみた魔術行使を可能とする。
だが迷宮の危険性は知れ渡っており、身一つで魔術を使用できる人々はその特異性を活かし、一般的な社会、というよりも一般企業へ溶け込むように就職する。
当然ながらギャンブルで生計を立てるような人間は少なく、博打のベットに必要なモノは命とあれば忌避されるのも仕方のないことだ。
何より、大抵の願いや目標は、溺れる程の金を必要とせずとも達成可能なものである。
働かずに過ごしたいとしても、余程の幸運で迷宮から凄まじい物を拾得するなどせねば、賭博で一山当てるのとさして変わりは無い。
「まあ時間が多少掛かってもとにかく用心深く、地道にコツコツと稼いで行けば…ってのは僕の願望だわな。お前の目標も忘れちゃいないから安心しろよぉ」
「忘れてるとは思っていませんよ。それに、無知無策と勇猛果敢も違います。迷宮の何処に、かの大鍋のような物が眠っているとも知れないのです。
試行回数を増やして、そこから他の方々より少しだけ深く潜る、私も死して英雄となる気はありませんよ、チヒロ」
「同感ってヤツだね、じゃあ昼飯食って用意しに行こうかぁ。あんまり食い過ぎんなよ?」
「はっはっは、まさか」
「……」
「おや、疑ってますね。安心なさいオーク嘘つかない」
「嘘臭すぎる…!」
踵を返しつつ、今度は足早に広場から立ち去った。それを気にする者もいない。人間とオークが話している程度、この町では路傍の石と同じ値打ちだ。
そこから歩いて数分、竹塚達は目的地に到着する。もちろん食べ物が提供される、一般的に食堂と呼ばれるそれだ。
ちょうど昼時というのもあり、冷房の効いた室内では、広いテーブル達の上に彩り豊かな料理の数々が箸に摘まれるのを湯気を出しながら待っている様子が多く見える。
店内は撤退したイタリアン系ファミリーレストランの居抜きを改装したもので、パスタの小麦から湯に溶け出したデンプン的な匂いと、オリーブ油を熱した独特の匂いが染み付いていた。
客足も多く、声の大きな談笑も聞こえれば黙々と食べているヒトなどそれぞれ。ただ誰もが今日日、日本どころか世界的に見られない服装や装備をしている。
丼飯を掻き込む、両手剣を傍らに立て掛けた男、食後のお茶を啜る猫耳が貫通した三角帽子にローブの娘。短剣を腰から下げている嫌にギラついた目付きのモヒカン頭など。関わり合いになりたくないような特徴を持った客もそこかしこに居る。新宿では平常運転の店、店名は。
【サイケデリ屋】
である。
出入り口には黄色の紙に赤文字の張り紙で…。
『ドーピング検査にひっかからない!』
『死亡事故や店内でのトラブルには責任を取りません』
『自己責任!!』
『おれの店じゃない』
『あの店が悪い』
『しらない』
『すんだこと』
と書かれており、責任の所在を有耶無耶にしていた。
竹塚とオークも他の客のように慣れた様子で、特に気にせず入店している。
どうでもいい事だがサイケデリ屋の略称はサイデだ、実在の店舗とは一切の関係が無い。どうか怒らないでほしい。
「…んー、繁盛してるわ」
「活気があるのはいい事でしょう。おっと、オークと人間の二人で」
「はーい、いらっしゃいませー。2名様ですね、こちらのテーブル席へどうぞー」
竹塚達は慌ただしく動く非常に小柄なホールの店員から案内されて、そのまま席に座る。
迷宮所在地では、という但し書きが付くが、大柄な二足歩行イノシシ人間と一般人の二人組など珍しくもない。自然に案内されて、普通に着席すれば良いのだ。
「お冷はセルフですー、ご注文がお決まりでしたらそちらのインターホンでお呼びくださーい」
「はい」
「どうもぉ……んじゃ水取ってくらぁ。メニュー決めとけよ、頼み過ぎんのはナシだぞ?」
「メニューの一列上から下までは?」
「耳を食材屋に卸したのかお前…」
「はは。多くは望みませんよ、オークだけに」
竹塚は本日三回目のオークジョークを無視して、コップに冷たい水を入れて座席に戻る。オークジョークと冷水の温度はどちらが冷たいか、試したい気分に駆られたが実行には移さない。
竹塚も大人である。世間一般の身につけるべき行儀は弁えていた。
「んっ、今日は何かなっと」
「………」
そのままコップの冷水で口を潤してから軽い調子でメニュー表を見遣る。オーク紳士は真剣そのものの目で、あれもこれもと思案しているようだ。
木製の薄い板を開くと、目が滑りそうになるのではと錯覚するような多国籍というか無国籍料理の数々が印刷されている紙が数枚。
剣角鹿のケバブ。バロメッツのシャーベット。悪魔コウモリのディアボラ風。イッポペラポスのハンバーグセット。オドントティラヌスのステーキ200g。キマイラのキメラ風ごった煮。オオアバレナマケモノのレバニラ炒め。百足イカと破裂パプリカのサラダ。バイオマシンガンシャークの肝油シャーベット。本日のランチセットなど他にも様々…。
安価な物から高価な物、胡乱な物から判然とした物。多種多様とはこれこのことだ。迷宮から調達されてきた食材になりそうな物を手当り次第という乱雑さで、調理した様々の名が妙にファンシーな絵と共に記載されている。
傍らにある小さな表記にアレルギー表示など生っちょろい物は存在しない。在るのは材料表記と素材の提供者と生産者の写真のみ、こうして危険な食材を持って来た者を悪し様に言えば晒し上げにしているのだ。そして万が一食材に不備があった場合、見つけ出して吊るし上げられるシステムとなっていた。
最早無法と言って差し支えないこの店だが、店主に歯向かう愚か者は存在しない。何故なら店主に逆らおうものなら、手首を切り落とされてラーメンの出汁になるか気絶させられて迷宮に捨てられるかと知っている者が多いからだ。
どうしてそのような物騒な事を知っている者が多いのかというと、食い逃げ犯が出た後日にサービスでラーメンが出るからだったりする。
店主は迷宮出身の一般(的な千本腕の巨)人、罰当たりな輩以外には優しいと評判のナイスガイ、その華麗な包丁・鍋捌きから食の巨人とも言われている。
巨人と言っても決して風貌の話ではない事に注意されたし、腕前で称されたのでは無いと感じれば、店主が悲しい目をしてしまう。大きい体に繊細なハートの店主なのだ。
「んー…王冠トウガラシのペペロンチーノでいっかぁ」
「決まりましたか、決まりましたね、頼みましょう」
「わぁかったわかった…お、ちょうどいいや。すみませぇーん!」
「はーいっ!」
竹塚は先程のホールを任された店員が近くに居たので、わざわざ鳴らさずとも良いかと思い、呼び鈴を鳴らさずに声がけをした。
「僕ァ王冠トウガラシのペペロンチーノ、大盛りで」
「私はコンスイヒツジの串焼きと、イカと破裂パプリカのサラダ、今日のランチセットと…
「はーい!」
「あっ! それと爆汗ショウガを使った物って何かあります?」
「ジンジャーブレッドがありますよ!」
「おおぅラッキーだねぇ。そんじゃあそれを…五人前、持ち帰りで包んでもらうってのは出来ますかねぇ?」
「出来ますよー!」
「じゃあそれもお願いします、以上で大丈夫です」
「かしこまりました!」
店員は小さいながらすばしっこく近寄って、二人の注文を書き留めると。またも店内を右往左往しては厨房を出たり入ったりと忙しなく働いている。
「…彼女、結構長いよねぇ?」
そんな店員の様子を遠目に眺めて、料理を待つ間の退屈しのぎに注文を聞きに来た店員の話題をしようと何となく決めたようだった。
疑問符が付く言い方であるのは、竹塚にとって働いている期間の不明瞭もさる事ながら容姿の区別がつかないからだ。
これは竹塚に加齢に依る物忘れが激しくなったからだとか、または相貌失認に陥っている訳ではない。
単純にホールで働く女性の種族が自分と同じような、わかりやすい人間タイプではないので確認を込めての意になっているだけのこと。
彼女の胸元で光る名札には、素虎と書かれている。これは当て字だ。
「スノートラさんですか」
「そうそうスノトラちゃん。ちっちゃいのにパタパタ動いて元気も良くて…何ていうか、健気だよなぁ」
「ドワーフですからね。種族的な特徴ですが、たとえ小さくとも私達オークに比肩する程、筋力が非常に強いの一言です。筋肉は毛で見えませんが」
「あの毛がねぇ、可愛いんじゃないのぉ。顔付きも相まってぬいぐるみっぽいっていうか、犬とか…あっ、レッサーパンダと女の子のハーフみたいでさ」
「ああいった方が好みでしたか? …難儀ですね」
「おま、違うわ!」
「実年齢はともかく、身長だけで比較してみれば人間の病名で言うところのペドフィリア、更に獣らしさの比重などを勘案すればケモナーと呼ぶのでしたか。迷宮にそういったものを矯正できる神秘があればいいですね。
それと注意してください、彼女たちドワーフは容姿を動物に喩えられると激怒しますよ」
「え、そうなの? じゃなくってえ!」
この日本におけるドワーフとは、一般的な人類を三から五頭身程に小さくして筋肉を加えた存在ではない。頭身自体は同じようなものだが、そこに獣を足したような存在である。
フサフサとした毛並みでちょこちょこ動く。そんな姿が愛らしいと、ある一定の方々から大人気のケモい種族だ。
ただし…。
「見ろよこの剣を! この特注の剣でな、馬鹿な迷宮生物をバッサバッサと斬ってやってんだよう!?」
昼間に酒を飲んで、気が大きくなっていたのだろう。探索者の男が革製の鞘から自慢の剣を取り出して、他人に当たりかねない範囲でふらふらと振り回していた。
大柄な人間の身の丈の半分程もあるロングソードと言われる物だ。もし新宿以外で抜き身の刃物をチラつかせれば即逮捕されるが、ここは迷宮所在地。誰もが呆れたような、またはこれから起きるであろう事に対して哀れむような目でその様子を静観していた。
「お、おい…店の中はやめろって…」
「気がちっちぇーなあ! 大丈夫だってーの、ちっちぇー犬みてーなドワーフのウェイトレスしか居ねえんだからよう!」
「お客さまー、当店は飲食を行う場所ですので」
「あっ……」
「武器の取り出しはご遠慮ください」
「えっ!?」
音も無く忍び寄るドワーフのウェイトレス、スノートラ。彼女は頼り無く揺れる木の枝を掴む程度の気軽さで、力の込められていない揺らめく剣を片手で堅く保持してしまった。そう、剥き出しになった刃を、手のひらで持っている。
地上に出て来る迷宮種族は数多くない。しかし、それでも街で見掛ける事があったのなら注意が必要だ。
「う、動かね…え、えぇっ!?」
「これ以上、店内で狼藉を働くなら…」
「ひょえ…」
「この剣のように、なりますよー」
剣の刃から、スノートラの手が握り込まれていくと同時に。みしりと異様な音がした。
製法として鍛造か鋳造かは不明だが、どちらも鉄の密度や純度の高さに由来した硬度は共通している。それをいとも容易く、単純な握力のみで、綿飴をへこませるように変形させたのである。音の正体は、持ち主を選べないロングソードの刃が無残にも壊れつつある過程で上げた悲鳴であった。
果たして童子の如き頭身の獣人間に、物言わぬ鉄の塊を掌一つで折り畳む事が出来るのか。
「あわわわ……」
「ワ……ァ……!」
「武器はしまっておいてくださいねー?」
出来る。
出来るのだ。
「おっかねぇ……」
「ドワーフは恐ろしいですね」
おおっ、テリブル。ドワーフを犬や小熊のようだとナメてはいけない。彼らの特徴は小さくて可愛らしい外見だけに非ず。むしろ特筆すべきは器用さと体力の多さ、そして怪力である。
他の長所としても表皮と被毛のどちらも生半可な刃物の切れ味を物ともしない頑丈さがあり、徒手空拳だとしても肢体のみで完全武装と考えて差し支えない。軽い気持ちでたかがドワーフなどと揶揄うなど、決してやってはならないのだ。
「うん。どこでも行儀よくするのが一番だなぁ」
「ですね」
礼節が、人を、作る。
どこぞの映画で知った言葉だが、竹塚は金言だなぁとしみじみ実感した。昨今では決闘者だってマナーを守って楽しく決闘している。人と獣を別ける差は、もしかすると礼儀作法なのかもしれない。
それから数分後。
「お待たせしましたーっ! こちらペペロンチーノと、お先に羊串とパプリカサラダになりますー。お気を付けくださいね! 他の品もただいま持ってきますので、どうぞごゆっくりー」
「おー、いいじゃないの。ありがとうございますぅ」
「早速いただきましょう。いただきます」
「いただきまーす」
王冠トウガラシ。
迷宮から持ち込まれたトウガラシの一種と思しき野菜の一つ。どうみても歪に捻くれを重ね過ぎた反抗期の、小生意気なキッズ時代の不器用さを感じさせる形のそれは、生のまま齧れば舌が火傷したと勘違いするほど辛く。火を通せばカプサイシン以外の…何らかの辛味成分が揮発して、ほんのり甘く、そして程良い辛味を出す。
名前こそ王冠を思わせる奇怪な見た目から来ているが。一度味わえば過去に両親に辛く当たっていた事を後悔してしまうような、優しい味わいで病みつきになる……らしい。
「うっ…か、母さん…親父…っ!」
ちなみに王冠トウガラシを食べてノスタルジーを感じてしまうのは、三十代後半からだと噂されている。何か脳に直撃してしまう危険なオクスリ成分が入っているのではないかと、まことしやかに囁かれているが。その是非については研究が待たれる。
郷愁を涙腺へダイレクトにぶち込まれるのは三十代後半から、つまり竹塚は直撃世代だ。
それはともかく。
涙を乗り越えた先に待ち受けているのは、王冠トウガラシの甘みと辛味。そして秘めたる旨味である。そこに一般的な塩とニンニク、更に迷宮産
きっと隠し味は注文した客が自ら出した塩分なのだろう。自身の手で料理を完成させるのだから、スノートラが料理を提供する際に言った、ペペロンチーノになりますという言葉は日本語の乱れではなく、むしろ正確性が極めて高い言葉遣いの可能性がある。気のせいかもしれない。
どうでもいいことはさておき。竹塚とオーク紳士が囲むテーブルの様子、これは如何なることか。
「…うっうぅっ…」
「………」
「うぐっ…うっうっ…」
「………」
傍目から見れば異様な光景がそこにあった。いい歳とされるに相応しい風貌の男が、涙をほろほろ溢しながらスパゲッティにありついている。
刑務所を出てから娑婆で初めて食べた物を一心不乱に掻き込んで感動しているような、映画であればある種の胸に迫るような感動の場面のような気もするが、現実には恐怖映像だ。
しかしその気不味い空間においても、大きな手で食器を巧みに操り、黙々と爆裂パプリカを破裂させてはサラダに散らし食べるオークがいた。
飯が不味くなるとは口には出さず、不意に流れる男の涙をあえて見て見ぬふりをする優しさは、種族の垣根を超えて存在していた。オークは紳士だった。
ちなみにこのペペロンチーノが乳化しているかどうかは想像に任せよう。宗教戦争は回避したい。
「いやぁ〜…食べた食べた。本当はゴロ寝でもしたい気分だけど。美味い飯を食べれば、ここから一仕事ってのも気合が入るねぇ」
「ジンジャーブレッドはいつ食べましょうか。私としては今でも一向に構いませんが」
「いや構えよ、携行食にするつもりなんだからさぁ…」
円満会計を済ませ、店内での出来事を大凡無視しつつ。二人は一度自宅への帰路を辿っていた。
大きな荷物は『無際限ロッカー』に預けているので問題無い。家に向かう主な目的は迷宮に持ち込む小道具類の回収と探索用の装備に着替える為だ。
ちなみに無際限ロッカーとは人間一人分程度の縦・横幅、そこに入れられるなら文字通り際限無く何でも収納可能な迷宮産の不思議アイテムである。
このロッカーそのものに意思や知能があるのかは不明だが、物品に識別用の名札を貼り付けておけば、目の前に立って名前を言うだけで収納した品物を吐き出してくれる。
内部で時間が止まるなどという夢のような現象はなく。生物や、その一部がロッカーの中に入ろうとしただけで本体が思考を感じ取るのか、目に見えない斥力で吐き出されてしまう。
内部は光で晴らす事も出来ない黒一色で手を伸ばそうとも何も触れることは無い。
それでも調査したいと遠隔操作用のマニピュレータで奥底を弄ろうとした瞬間に弾き返した事があり、研究者の間では、無際限ロッカーは恥ずかしがり屋だという結論に相成った。彼らは無機物に興奮する異常者だった。
余談であるが、このロッカーは数十台探索者により地上に持ち運ばれている。そしてその有用性が認められるや否や、多額の褒賞金を迷宮管理センターより支払われていた。
拾得者は使用に際したマージンまでも得られる契約が成されていたので、一生の全てを労働から解放されて贅沢三昧左団扇の生活を約束されていたのだが。
後日、こちらも迷宮から運ばれた食料『超迷宮合金豆腐ニューゼット』の角に頭をぶつけて死んだ。酒に酔っての悲しい事故である。
竹塚は負債を返す為に、そして彼以外の多数の迷宮探索者も、このような高額で取引される物を見つけて金銭を得る事を目論んでいる者が多い。
「水辺って言っても水スクロールは必要な訳だ。人間ってのは弱いんだよぉ、生水飲んだら死にかねないしさぁ、しかも普通の河川じゃなくて迷宮の水だろ?」
「むっ……?」
「あんだよぉ」
「チヒロ、来客の予定はありましたか?」
「いや無いけど…」
二人の間借りしている住居から、遠く離れた場所。オークは持ち前の鋭敏な感覚で、何かが居る事に気付いた。竹塚はその事態を察し、またも客が来るような予定があったかを頭から引き出そうとするも。
「…うん、やっぱ無いわ」
本日二度目の出来事、しかしやはり皆目検討がつかない。寝起きでの小さな女子の突然の来訪にさえ戸惑う羽目になったのだから、さもありなんである。
とはいえ別段歩を緩め、迂回することも無い。自宅に戻るは家主が当然、そこに恥じらう事も遠慮も必要ないのだから。
それでも足を進めれば気付くこともある。
夜を川に溶かしたような、足元さえ覆う黒髪。服は竹塚が迷宮に着ていく物と同じ、高性能な白衣と長袖のシャツに同様の長いズボン。サイズが合わない物を無理矢理に身体に張り付けた、ぼうっとした立ち姿は。
炎天下の蜃気楼に映る、非現実的な死神を思わせる程。何とも、不吉で。
「リカ…ちゃん?」
「チサトのようですね」
「あぁ…御二方、かうて…いえ。如何おはします…」
「……」
「……」
「あの…」
「作戦会議ぃー!」
「はあ…どうぞ…?」
などと、ポエミイな感想を抱いている場合ではない!
竹塚は慄いた、いっそ恐怖と言って差し支えない。初めて出会ってからというもの、またも謎多き女ことチサト・リカから溢れる古典的な語彙。
竹塚は決して勉強が不得意な人間ではなかった。だがしかし、高校や大学受験の為に学んだ程度の古文的知識など、最早覚えてなどいないのである。
故に脳は混乱を来たしていた。そこまで危険な存在ではなかろうと思い込もうとしているが、相手は表情一つ変えないままに、人間に近しい連中の首を即座に刎飛ばせる。しかも現代的なモラルも薄い相手、最悪の可能性としては失言即ち死。
迷宮内なら非日常のそういうモノとして扱うもいざ知らず、ここは地上、ヒグマとうっかり遭遇したような心境だ。
男子三日会わざれば刮目して見よと言うが、それはひょっとすると三日も会わなければ相手の顔なんて憶えていられないからではなかろうか。男子の成長著しいが理由とはついぞ思えない。
況んや古文という最早変化すること叶わぬ言語をや。脳に叩き込んだ筈の勉学は、数年経てば記憶の向こう側へ雲散霧消していた。
古文なんて学んで何になる?
今、まさに現在、困っている!
ついでにパニック状態である。
「ど、ど、どどうしよう…僕ァリカちゃんと話せる自信が無くなってきたぞぉ…!」
「何とかなりませんか。そもそもがチヒロ達の母語でしょう」
「古語は別だよぉ! お、お前こそ、こっちの教科書とか買い漁って読んでたじゃねえかっ!?」
「はっはっは。運用と知識は別物ですよ」
「そりゃあそうだけどさ!」
「オーク、ニホンゴ、チョトワカル」
「大体わかってるヤツがそう言うんだよっ!」
「あのう…」
「おわぁ!?」
休戦協定何するものぞ。現代に甦る首狩りウーマン、チサトのエントリーだ。
「申し訳…ありませぬ…何卒、当世の言葉に…努めます故…どうぞよしなに…」
「えっ? あっ、そう…?」
「取り乱すのは失礼ですよチヒロ、レディに向かって」
「こ、この野郎…!」
とはいえ、危害を加えなければどうという事はない。
明らかに早とちり且つ怯え過ぎである。竹塚は紳士たり得なかった、頑張れ中年。
「それで。チサト、どうしたのですか? 食事が足りなかったとか、口に合いませんでしたか」
「は…いえ…。何も、手を付けてはおりません…」
「服っていうか着替えが必要だったりするかい? このクッソ暑いのに、同じ服を着っぱなしってのも…も…?」
よく見れば、おかしい。季節は夏だ。体温上昇・発汗作用のある食事を摂って、カンカン照りに汗も滴る竹塚。オークはそもそも毛に覆われているので表皮からの水分が見えない。その上汗腺が退化しているそうで、体温調節用の熱冷ましを身体に貼り付けている。
しかし一方のチサトも額に汗の一粒も、まして服に汗を始めとする何らかの液体が繊維に染みた跡も無い。竹塚と同じ人間であろうにも関わらずである。
涼しい顔というには行き過ぎている、何もかも喪失した表情で、淡々と、そして訥々と話していた。
出会った場所からして迷宮内部、しかも常人であれば死んでいる状態だというのに生きているどころか会話すらしていた。
萌芽していた一つの疑問が脳内にて堅牢に育つ。
彼女は人間では無い?
「…それで、リカちゃんはどうしてこんな所にいるんだい? おじさん達はこれから迷宮にお仕事でね」
いざ気付いてしまうと尚も恐ろしい。嫌な予感で冷えた頭で冷静に問うた。
よしんば彼女が人間ではないにしても、最低限の付き合いであれば実害は被らない筈だ。少なくとも武器を手にしていないので、後ろから頭と胴体が泣き別れする羽目にはならないだろう。
「迷宮…ですか…」
「そうそう、あの…何ていうか、リカちゃんの居たところに行くのさ。急ぎの用じゃなければ、帰ってきた時に聞くよ。それともお話がしたかったりする?」
少々嫌味の混じった言い回しになっただろうか。いや構うまい。良くも悪くもそのような機微を気にするような関係では、最初から有りもしないのだから。
言葉を咀嚼する時を待たずして、決意を込めた瞳が竹塚を射抜く。
「れいりい様から、御教授賜りましたが…迷宮とやらには…不可能を覆す、御伽噺の中より出でたるような…奇跡の品物がある…のですね…?」
「あぁ、レイリーちゃんと会ったんだねぇ。ま、その認識でいいんじゃないかな、おじさんの目的は違うけど。魔法みたいな奇跡が欲しいって人も多いよ」
「私がそうですからね」
「何が目当てかってのはそれぞれだわな」
「左様ですか…では…わたくしも、迷宮に入ることは可能でしょうか…?」
「んんん??」
話が変な方向に行っている。
確かに迷宮に入るには戸籍情報は必要無い。保険や無際限ロッカーの使用等の権利を含めなければ、誰であろうと侵入は可能だ。
だとしても、迷宮から持って帰った物を公的な存在感に睨まれるリスクも承知で市場に流す事になるので、そういった後ろ暗い事をする輩はそうは居ないのだが。
「難しい…でしょうか…?」
「………」
にべもなく断る事は容易い。
だが、それでも。
「一度は請け負ってはどうですか?」
「お前ね…いやぁ、まぁ僕もそう言おうと思ってたんだ」
一度は請け負う。そう、一度だけならば…。
今回の稼ぎは悪くなるだろうが、それでも命を天秤にかけて迷宮に入るような真似をしなくなると考えれば。この一度で痛い目を見て、将来的な面倒事を減らせると思えば。
「でも…なぁ?」
「チヒロが断るなら、私が連れていきますよ」
「お前は思い切りが良過ぎるんだよぉ…」
「あのう…」
「わかった、わかったよ。一回だけね。ちょっと浅い所ブラついて、それで終わり。そんでリカちゃんには帰ってもらう、でいいだろ?」
竹塚という男は、どうにも安請け合いをし易い性質がある。返さずとも良い借金についても同じ。グループ会社の大元が倒産したのだから仕方がない、そう言って過ごせば楽だとは知っている。しかしながら、資金繰りに困ってしまうクライアントを放置する事ができない。そう、無用な事と理性的に判断しようとも切り捨てることができない。
それをしてしまうと、所謂人生という旅路に纏わり付く重荷、いつまでも残る後悔になる予感があった。
つまりは人に頼まれてしまった場合を含め、弱っている相手の要求を断れない。それだけのことだ。
だが、オーク紳士の思惑は違う。
彼にとっては人間そのもの、それ自体が…。
「では、話も纏まりました。早速向かいましょう」
「気が早いってのぉ、まずは装備だろぉ?
リカちゃん、服とか見に行こう。そんで武器だ」
「…よろしいの、ですか…?」
「今回だけね、とりあえず。じゃ、付いてきて。まずは僕らの装備を整えてから行こう」
「はい…」
心持ちとしては観光案内気分。とはいえ安全な市街地を巡るようなものではない、感覚としては登山に近いだろう。下手を打てば死ぬ、それだけのこと。
違いとしては遭難の危険性が無いことだ。迷宮探索者必携の品物。脱出灯と呼ばれる物が、遭難死だけは回避させてくれる。だが野生動物の危険はそのままどころか、迷宮に巣食う怪物どもの方が段違いに警戒すべきなので、些細な過信も許されない。
「案外、チサトの方が活躍するかもしれませんよ」
「…かもなぁ?」
未だ脳から消えぬ惨劇に似た光景を思い浮かべれば、オークが冗談めかして話す言葉も現実的に感じる。
さて。探偵業、料理やデートも然り。大事なものは前もっての準備である。服装・段取り・献立・食材集め、何も無くては成し遂げられない。
一般的な仕事もそれは同じ。仕事を休むなら引き継ぎは必要とされ、退職であれば立つ鳥跡を濁さずを心掛けておけばトラブルが少ない。
いや待ってほしい、労働の有給休暇には本来理由が必要無いはずだ。労働基準法第三十九条はどうした、権利の行使は当然のものではないのか!?
……兎角、迷宮探索においても似通おうもの。備えあれば憂いなし、先人の言葉は邪険に扱えない。
故に万全を期す為、ある店に足を運ぶ。
「どもー、こんにちは! いつもお世話になってます」
「やややっ竹塚の旦那じゃないですか。そちらの方は? まさかイイヒト? それと本日はあの野蛮なの、いらっしゃらないんで?」
「違う違う! この人は…まぁ、ちょっと面倒見てるんだけですよ。オークは管理センターで届を出してるトコ」
「へぇー…それはそれは、またぞろ面倒事がお好きなようでやんすね。何はともあれ、ようこそお客様!
【お値段以上 デッドリー】新宿支店へ!」
【お値段
他の迷宮所在地にも出店している服飾・装備品ブランド。店のモットーは、お値段よりも異常な高品質。元は家具屋だとされているが、本当かどうかは社長のみが知る。
服飾ブランドだというのに自社工場等は持っておらず、各店舗にお抱えの職人が在籍するのみ。それでも複数出店を可能としているのは、職人の徹底した品質管理と装備品の性能への信頼からである。
迷宮から持ち出される物品を公式に買い取っており、服や武器は持ち込み素材で作られるオーダーメイドの一品物ばかり。なので、お値段以上ではなく実際はお値段異常、高額過ぎでは? といった陰口が後を絶たない。
他の様々な商店と比べると、デッドリー新宿店の店構えは重厚な物がある。表に出ている看板は黒一色の下地に店名のかしら文字を示す金色のDのみ。なるほどこれが頭文字D。しかしBGMは上品なクラシック音楽がスピーカーから出ている。決してユーロビートではない。
外から見える内装も落ち着いたダークオークを基調にしており、シックとクラシックを混合した店内をランプの暖色が照らしている。
店内に居た耳長の何か。人を品定めするような目付きで値踏みしている事を隠しもしない存在が、甲高い音を鳴らして踵を合わせ、慇懃に頭を垂れた。
「私はマルガラミアンと申します。こちらの店舗でコンシェルジュを…」
「マル…コン…?」
「あっ! マルさんゴメン! 彼女ちょっと…えー…浮世離れしてましてね。いつも親切丁寧なのは重々承知ですけど、今日は殊更丁寧に説明してくれます!?」
「並々ならぬ事情がおありで? ややっ、私の名前が言い難いですか? 人間には言い難いですよね。私どもエルフの中でも、誇りあればこその名です、是非お見知り置きを! ちなみにコンシェルジュは、案内人といった意味合いですよ?」
朗々と語りだす、尖った耳と若木の緑と金糸を織り交ぜた色の髪が目を引く女性。種族はいわゆるエルフであり、名前はマルガラミアンという。
男性物の燕尾服に身を包み、顔にはほのかに色の付いたサングラスのような眼鏡を掛けている。しかしマルガラミアンの特徴は何かとすると。
「ご存知ありませんか? コンシェルジュはフランス語ですよ、フランス語。いいですよねフランス語、血と糞尿に塗れた革命だらけのクソ国家のクセに言葉だけは上品な響きがあるって思われている、バカみたいな連中御用達の言語。これだからヒューマンは、と言わざるを得ませんね。
ですがね、それに媚び諂うように生きている、あっしらエルフも大概でやんすね。へへへへ!」
かなり差別的思考に偏っている事。
そして気を抜くと三下めいた口調になる事だ。
「ちょちょちょっとそろそろ笑えないかなぁ! 僕らも普通の人間だしぃ!?」
「やや、何か妙な事でも? 私達悠久の時を過ごすエルフからすれば、他の方々は風に吹かれる雑草。あっしらは枯木みたいなもんでやんす」
「まずは何か彼女に似合う服とか見たいんだけど! オススメはあるかなぁ! その後武器ね、武器ぃ! お金は気にしなくていいからさっ!」
「へえ! かしこまりましたー」
隙を見せれば2秒でレイシスト。慇懃無礼と卑屈の乱舞、揉み手の似合う下手っぷりが異様だ。マルガラミアンの扱いには注意をしなければならない。あまり笑えない発言も一応、彼女の中では気さくなジョークとして分類されている点である。
笑えない冗談を聞く竹塚は何度も来店しているので、焦りはするが慣れたものであった。用件だけを手早く済ませれば、際どい発言をなるべく聞かずに済むと知っていた。
マルガラミアンは公私の切り替えが曖昧なのかもしれない。誇り高そうな見た目なのに、どうしてこんな面倒な相手なのか…そう思わずにはいられなかった。
「そうそうそうでした。お客様のお名前は?」
「……チサト、です」
「…はぁーい! それではチサト様、こちらへ」
どうも勝手がわからないチサトは、言われるがまま案内されるに従って、重厚かつ荘厳な装飾の施された扉をくぐる。
「これ…は…」
「デッドリー自慢の数々でございます。気になる品がありましたら、どうぞ手にお取りください。試着もどうぞ、あちらのフィッティングルームにてご自由に。お手が必要でしたらお申し付けください」
先には目も眩むような色彩の服や鎧、華美なる装飾が散りばめられたドレスやスーツ。過度たる彫金の絢爛な鎧。本来物々しい武器も、客人に見せつけるは殺傷力よりまるでアクセサリのような綺羅びやかさ。豪奢。その自覚を持って誇らしげでいるよう。
「……」
宝石店あるいは宝飾店のディスプレイに負けない輝きを受けて、チサトは目眩さえ覚えた。あまりに遠い世界を垣間見たようで、自分が場違いなのではと感じ瞑目するも、再び目を開けば煌めきが瞳孔を焼くのは変わりない。
一つ、また一つ。最早装飾が主なのか布地が主なのか本末転倒の気配を醸し出す衣装達の一つを手に取り、堪えるように腕から離ていく。何故苦しげな表情なのかと問われれば事は単純で。目を引く衣装達はあまりに露出が多く、また肌に貼り付くような薄衣ばかりが多かったからだ。
個人的な拘泥と、なるべく地味な服装を兼ね備えた物。それらを丁寧に選び、同行者である竹塚へ見せに行く。すると。
「…リカちゃんさぁ」
「は…何でしょう…?」
「おじさん、黒一色は止めておいた方がいいと思うんだよ。そんなファッションセンスとかデザインセンスを放棄した中高大学生じゃあるまいし…」
「………」
弁舌による一刀両断。悲しいことに竹塚は紳士ではない。一応の擁護というか事実として、いつでも誰とでも服選びとくればこんな調子である。
「確かにね? 機能性は重視すべきだよ、だって遊びで迷宮に潜るんじゃないんだから。それでも遊び心の一つは入れなきゃ。迷宮の中だって明るいとは限らないし、夜みたいに暗くもなるんだよぉ? それでも夜目が効く相手には見えるのに、人間の目からは見えないってディスアドバンテージを背負うような真似は」
「やぁー…竹塚の旦那、ここは落ち着いてアチアチのコーヒーでも飲んで…」
兎角、一度変なスイッチが入ると止まらない。
本人としては真剣なアドバイスそのものをしているつもりであるが、酩酊せずとも繰り出される説教には厄介という言葉が似合う。あるいは酔っているのかもしれない、自分に。
ちなみにこの店舗【お値段以上デッドリー 新宿店】では、してはいけないルール。つまり禁忌が存在する。
一つは強盗。言うまでもないが、当然である。これを知らずにやって来た強盗は行方知れずとなって久しい。そう、警察に突き出されもせず、新宿の闇に消えたのだ。悪い事はしないようにしよう。
二つ目に買う側が値切り交渉を持ち掛ける事。新宿店の従業員にはそれぞれ独特な矜持があり、ひいてはその仕事ぶりを見下していると思われた場合、店に入る事は二度と叶わない。お客様は神様等と自称する輩がいた場合も同様。あくまで買う者と売る者の対等な関係こそが健全という意味だ。
三つ目。これが最も不可解且つ厄介な掟である。
店長を兼務している装備製作者の近くで、長く喋ってはならない。というもの。
「そうコーヒー。コーヒーみたいにね、黒なら無難、無糖なら大人っぽいみたいな固定観念をまずは無くしたほうが良いって事であって」
「あぁ〜……あっ店ちょ」
──その時、一迅の木槌が飛来する!
「ふぉ!? あっぶね」
「じゃっかぁしゃーい! すっとこどっこっとーい!!」
「ぇおブふっ!?」
「…あなや…!」
「おんめーはグチグチうるせんだよ!」
「店長! 何してるんでぃやんす!?」
「せからしかぁ! クソガキャア!!」
「………!?」
「ライカ店長! ライッ…ライカロステリ店長!」
服飾コーナーの更に奥から、木製ハンマーを投げつけた何者かが、それはもうダイナミックにエントリーして来た!
竹塚の小言を不愉快に思ってか、小柄な二足歩行のトカゲのような何者かが乱入してきたのである。異常なまでの勢いであり、マルガラミアンが必死に止めなければ、説教野郎と化した竹塚は憐れにも顔面が現代アートになっていた所だ。
「竹塚さま…!」
「おごごご……! お、おっけー…僕が悪かったです…!」
「わかりゃええがなクソガキィ…」
「店長、客が減るでやんす!」
「話が長えのはいかんわ。それにどうせ、オレたちの悪口言っとるんだから…」
「言ってないでやんすよぉ!」
「ああ? あぁ、そうか??」
微塵も納得していない口振りで、竹塚を蹴り飛ばしたトカゲが首を傾げる。まるで今し方の、リカと竹塚が訪れてからの何もかもを知らない素振りだった。
「あ? 何だ…客か…?」
「へぇ、その通りでさぁ」
「ほぉん。どっちが客だ?」
「どっちも客でやんすが……そこの女性でやんす」
店のルールが三つ目、その理由とはこれだ。
店長と呼ばれたライカ…ライカロステリという者の耳が遠いのである。だがそれだけの理由で会話を控えるようにしている訳ではない。
ライカは被害妄想が激しく、自身に聞こえない程度の話し声の全てを、自らへの陰口と思っている。しかも更に厄介な事に、このライカという者は。
「…人間の区別はつかねえ」
のであった。
思い込みが理由の暴力旋風はさておき。
「店長、客が減ったらどうすんでやんす」
「そんときゃそん時だろ…つうかこいつらは客なのか?」
「お得意様でございまさぁ」
「そうか……そうなのか?」
「ふぁい」
「…………」
「それならそう言えよ、コソコソ喋ってねえでよ」
無論、竹塚は声を抑えて喋っていた訳ではない。ライカの耳が遠いだけであるが、それを面と向かって指摘する者は居ない。
同族とも困難な場合があるというのに、異種族とあれば殊更コミュニケーションは難しい。身に沁みて……傷に染み入るように竹塚は実感した。
「竹塚の旦那、治すんでじっとしといてほしいでやんす」
「ありがとうございます……」
流石に治療費というか慰謝料を貰ってもいいのではなかろうかと竹塚が考えた時。
その顔付きを見て察したのか、マルガラミアンは竹塚を靴の試し履き用の椅子に座らせて手をかざした。そのまま目を細めて、歌うように聞き慣れない言葉を紡ぐ。
『hedalsskog.detreogdeteneøyet.tameddegsåret』
「あぁー……うん。ありがとう、マルさん」
「傷が、治って……」
それは優しい子守唄を歌うようであり、草木を感じさせる清涼と穏やかな陽射しの気配が竹塚を優しく包み込む。暖かさはやがて傷に集まり、俄に信じられない速度で傷口が塞がっていく。
「へへへ! 気にしないでくだせえ、お安い御用でやんす。大怪我は治せやせんが、打ち身切り傷肩こり程度ならちょちょいってもんでさ」
「ありがたいよぉ、あー肩もなんか楽になってさぁ…」
速さに目を瞑れば温泉の効能と同じだ、とは竹塚は言わない。
エルフと呼ばれる種族が押し並べて同じかどうかまでは竹塚も試したことが無いが、少なくともマルガラミアンはプライドが高い。本人としては遜っているつもりで話す三下めいた口調はさておいても、本性の部分では高慢である。
故に下手に魔術の効能を人間のスケールで語ると、矮小化されたとして機嫌を損ねてしまう、なので。
「うーん。やっぱりエルフは凄いねぇ」
「へへへへ!」
「…………」
「…………」
とりあえずヨイショというべきか、エルフそのものをを持ち上げておけば丸く収まるのであった。
驚きのあまりに閉口している人物が一名と、呆れた様子で言葉も出ない店主がそこにいたが些細なことだろう。
「さてとぉ! じゃあ店長さんとマルさん! 探索用の装備を一式、つまるところトータルコーディネートを頼めますかね!?」
「あ? ああ、本当に客だったんかよ」
「客ですって!」
「かしこまりました、では……あっ、そうだ。聞くのも野暮でやんすが、おぜぜの方は?」
「金をケチッて死んでなんかいらんないんで、好きにまとめちゃってくださいよぉ!」
「わお太っ腹でやんすね! 旦那ってば御大尽!」
「わはは!」
これから先どうするかはチサト次第。どうやら迷宮探索に前向きな様子も見せているので、きっかけさえあれば引きこもりも脱出できるだろうと考えてのこと。
かといって無防備なまま迷宮に放り出すのも忍びない。今のうちに最低限の装備かつ最大限の品質の物を提供しておけば、良心の呵責も薄まるだろう。
いっそ彼女が自分一人で迷宮に入るか、品質の良い装備を見て勧誘するような、確かな審美眼を持つ熟達した誰かと組んでもらうのも後腐れが無くなる。
お大尽と持ち上げられて笑う裏側には、そのような打算が竹塚にはあった。
「じゃあじゃあ行きやしょうチサト様」
「客なら無下には出来ねぇな、いいもん用意してやる」
「あ、あのう……」
「いってらっしゃーい!」
「たっ……竹塚さまっ……」
こらもう拉致だよ。そう思いつつ竹塚は服飾の立ち並ぶフロアへ連れ込まれて行くチサトを見送った。
それから数分、否数十分。竹塚は持て余した時間を表に並ぶ品々を観察することに費やしていた。
デザインとは面白い。開発理念があり、意匠には心情を篭めて、色彩に願望を詰めている。それぞれが調和するように願われた物は、二つ並べば不協和音にも感じられるが全体としては調和を漂わせている。
元の職業からすれば実利を伴った趣味。そうでなくなっても何かを眺めるのはとても楽しい、まったく金がかからなくていい趣味だと竹塚は考えていた。
「こんなん出ましたけどー!!」
「……おっ」
重厚な扉がマルガラミアンの手によって勢い良く開かれまた威勢のいい声が放たれた。竹塚は時間を忘れて周囲を眺めていたようで、反応からする察するに思った以上に暇を潰していたらしい。大袈裟なまでの音と声の勢いが無ければ気づいていなかっただろう。
「へえ……」
「…如何、でしょうか…」
「当店自慢の品々でやんすよー!」
「ざっとこんなもんだぁな」
振り向けば黒を基調として飾り立てられた女がいた。薄布の漆黒が肌に張り付くように身体を縁取り、その上には同じ黒のローブ。チサトが先程手にしていた物との違いは、ローブの継ぎ目や縁の部分が赤くを始めとする目を引く色に彩色されていたこと。
「各部の説明をさせていただきます」
「……うん、お願いします」
「肌に触れる部分は防御性能に優れたカマゾツモドキの皮膜と、ヤミカイコのシルクを合わせて染め上げた物をレオタード状に。これで体の臓器を迷宮ヤクザの銃弾からも守ります。またレオタード状である理由としまして、関節の稼働を邪魔しない為です。
それを繋ぎます長手袋とタイツは靭性と防水防刃、耐熱性を強めて撚り上げたカラスグモのシルクで通気性と防御能力を担保しております。
またブーツは竹塚様の物と同様の素材で出来ており防水性は高く。踏み抜き防止に底も強固にしてあります。金属をあしらっているように見えますパーツは、超迷宮合金豆腐ニューゼットを打ち直した逸品。全体的に軽く、それでいて堅固な仕上がりです。
色味はチサト様の希望により黒を多分に使わせていただきました。
……こういった感じでどうでやんすか?」
「うん。派手な色が足されて引き締まってる、遠目からも目立つ縁取りで機能的にも良いね」
簡潔にまとめれば迷宮素材を
これはお値段が怖い。迷宮に座する怪物どもより、今日の会計の方がずっと恐ろしいと竹塚は肝を冷やす。
「そして、武器の方ですが……」
饒舌に装備の説明を行っていたマルガラミアンが言い淀む。彼女の手にしている物。
柄頭は切子状になり、鍔は短く、反りが無い。鞘に静かに納められている筈だというのに、禍々しさを周囲に染み出させている剣。全長は1m程で、刃の部分だけで80cmはある西洋の片手剣。
ただの西洋剣。そのはずだというのに見ているだけで背中に冷たいものが流れる。そこには怖気を凝固させたような違和感が鎮座していた。
「こいつぁ曰く付きだ」
「店長さん……いわくって何ですか?」
「ダンジョンから拾われて来たんで引き取ったが、出自がまったくわかんねぇんだ。恐らくはどっかの流れモン、しょうがねえから測定してみたら五・六百年前の物ってのはわかったが……」
「私達では鞘から抜けなかったんでやんす、機械を持ち出しても普通の人が触ってもビクともしない。人間の猪口才な仕掛けかとも思いやしたが、違いました。
……呪われているんです、この剣は」
「……呪いぃ?」
また大袈裟な、そんな与太話を今の時代に信じる奴がいるものか。そう笑い飛ばそうかと思ったが、店長であるライカロステリの沈痛を浮かべた顔と、マルガラミアンの神妙な表情から冗談ではないと悟る。
竹塚は無意識のうちに喉を上下させた。
「ですが……」
それは抵抗無く鞘から滑る剣身を見て唾液を嚥下したからか。それとも事も無げに呪われているという剣を操る女を見てしまったからか。剣に刻まれた見覚えのない言葉に異質を感じ取ったからなのか。
「このつるぎは、わたくしとともにありたいと……」
目にも妖しく、周囲の光を吸い込むような。決して目にしてはならないように感じさせる存在が、そこには二つあったのは確かである。
それからのこと。
買い物は無事に済ませた。竹塚が肝を潰していた恐怖の会計に関しては、全てが思った以上の安値で揃う事となったのだ。
「いやぁラッキーでやんすねぇ竹塚の旦那!」
そう言い放ったマルガラミアンから値段を逐一詳細に訊いてはいない。だがどうやら呪われた剣を引き取った事による割引が為されていたように思えた、つまりは厄介払いによる値引きだ。
銀行口座が素寒貧にならなかった事を笑えばいいのか、ラッキーと宣うマルガラミアンの表情から察して不吉そのものを引き受けてしまったことを後悔すればいいのか。
どうにも重い足取りで、竹塚は迷宮方面へ足を運んだ。
数歩後ろには無表情で着いてくる女、チサト。
呪いの剣を手にした不吉、道行に不幸が待ち受けている予感が強まる。
というか、恐ろしくて仕方がない。
呪いの物品を手にした者がいて、よりによって況や呪いそのもののような女をや。自身が不幸体質と思ったことは無くとも、まさかと思うに充分以上。
「…………」
「……あっ、着いたよぉ」
「…はい」
互いに特別会話を交わす事もなく、目的地である迷宮入り口へ到着してしまった。今日は寝起きからこんな事ばかりだと竹塚は思った。
まあそれもよし、切り替えていこう。いつだって前向きじゃないと先には進めない。よくある人生哲学に則り、慣れ親しんだ毛むくじゃらの相棒を探す。
「二人とも!」
「おうオーク、大丈夫だったか?」
「…先刻ぶりです」
「私としては貴方達の方が心配でしたよ」
「いやぁ…はは。まあ行こうじゃないの、手続きは済ませたんだろ?」
「一度だけなのでビジター扱いですが。正式登録なら後日、本人を同伴せねばなりません」
「じゅーぶんじゅーぶん。っていうかさあ、さっさと入ろうよぉ。おじさんには外の暑さがそろそろ限界で」
「…………」
「……そうですか。では早速入りましょう、いつも通り周りよりも二階程深くが目標ですよ」
「おうよぉ。リカちゃん、質問があったら歩きながら聞いておくれよ。解ってるぶんは答えるからさ」
「…は…そのように…」
「チヒロっ…はぁ…。チサト、後ろから着いてきてください。はぐれてはいけませんよ」
「かしこまりましてございます…」
厭に急いでいる。竹塚の様子を敏感に察したオークは何も言わず、足早に迷宮へ進む相方の背を追った。
迷宮の内部はいつでも涼しい。そのような話は外部に知れ渡っているが、正確ではない。
例えばマグマ溢るる火の海であれば火傷どころか焼死をするし、極寒の豪雪が迎えれば凍死を覚悟せねばならない。
あくまで最初の階層のみ、まるで万人を歓迎するような気温帯である事が多い。その経験則が語られているだけであった。
「……は……あ」
「キャンプに来たみたいじゃないのぉ」
「ダンジョンはダンジョンですよ。ところで私は、そのキャンプというものに興味があります。普段するような野営とは趣が違い、専用の豪華な食べ物が出るイベントだと書物に書いてあったのですが」
「よぉーし進むぞぉー!」
それでも確かに今回の迷宮は涼しく。また平穏を錯覚させる程長閑で、川面に太陽光に似た輝きがきらきらと散りばめられている、丸っこい砂利石の多い川辺が探索者を迎えた。
チサトは自分が居た…棄てられた鬱蒼とした密林とは違う事に驚嘆していた。成る程、時によって姿を変えるが故に迷宮。化生の類が出るのであれば、余計に帰還も怪しくなる。それ故に棄てられたのかと。
「その前に。出てくる連中はどんなのだい? あと地図、買ってきただろ?」
「勿論です。今回は水棲生物の中でも貝類や甲殻類が多いらしいですよ。目処雨さんに買い取られた物品を聞きましたから間違いないでしょう。地図は今回私が描き足します」
「おっけい、じゃあ本当に行こうか。オークは前、リカちゃんは僕のすぐ後ろに。いいね?」
「いつも通りですね」
「はい…」
直後、竹塚の雰囲気が変わる。迷宮の外では緩やかでだらしのない空気を出していたが。目付きは鋭くなり、周囲への観察と警戒とを油断無く行う。
それはオークも同じで、購入したという大きな地図を広げ、方角確認の為に方位磁石を見ては前に注意を払う。臭気から異変を感じ取る為に地図からは胸元および頭だけを完全に出す格好だ。
たったの数メートルを間合いを詰めるかのように丁寧に。百メートルを踏み締めるように確実に。
他人の記した地図を更に詳細に描き直す。偶然起動しなかっただけの罠の有無を確認していく地道な歩み。
油断した者から呑み込まれる。
その教訓を糧にひた進む。
「むっ……」
「数は?」
「前から2、同種」
「一体ずつだな」
されど敵は来る。
これは警戒が足りなかったのではなく、敵襲の理由は迷宮の特徴の一つに起因している。
迷宮に出る怪物は絶える事無く。また、何処からか湧き出て来る。そのような存在してしまった無限の事実。
「……カニかっ!」
「食べられますかね」
「言ってる場合じゃないって!」
竹塚達の前方、大きな岩陰から同じようなスケールの蟹が姿を現した。奇術を疑ってしまう程に突如として、目だけでは捉えられない奇妙が襲い来る。
特徴的なのは鮮血に染まった両の腕、鋏と言われる部分は人の胴を切断するのも容易と判断できる程大きく。それを支える胴体と脚部は南国の果実のオレンジ色。一般的な蟹との違いは、やはり全体のサイズ感が狂っていること。
「来るぞ! リカちゃんは下がって!」
人間よりも視界が広いのか。胴から出ている黒い椰子の実のような目玉が獲物を捕捉し、先鋭なる脚で砂利を踏み砕いて無機質に迫る。
「どっせい!」
「おいっしょー!」
掛け声は二つ。
オークは自身の得物である槍を地面に置き、寸断を狙う裁ち鋏の根本を掴んで組み合う。
竹塚は蟹の突進を避けて回り込み、動きの鈍い前後、鋏の届かない背後を取り出したメイスで力任せに殴りつけた。
「かっった!」
それこそ石を殴りつけた手応え。手の痺れさえ覚える程の硬度に驚き、装甲のような甲羅にはヒビの一つも、欠片一つも散らない現実に内心で舌打ちをした。
であれば、する事は一つ。
「脚ぃ!!」
頑丈そうな甲殻ではなく、主武器として振るわれる蟹鋏よりも幾分か脆そうな脚。蟹の方向転換が間に合わない瞬時の判断と殴打。関節の皮膜を破るか、または一本でも砕いてダメになればしめたもの。
メイスが振り下ろされるとぱきりと小気味良い音を奏でて、孟宗竹のような蟹の脚がひしゃげる。
「当たりっ! オーク! 脚か関節だ!」
「了解……っ!」
甲殻類の弱点とはつまり関節。
鋏を抑え込んでいる両手を器用かつ徐々にずらし、敵の関節まであともう少し。だが、もう少し。人の掌二つ分近付けば凶刃が毛皮を切り裂く距離になる。
「ふん、ぬっ!!」
しかしオークの所作も鈍く無い。むしろ素早く、指先に当たる質感が柔らかくなったと同時に指を立て、爪で抉り取る意識で渾身の力を奮い握り込む。
「───!」
「ふうっ!」
オークの膂力、ひいては握力も尋常のものではない。もしも人類で比肩する者が居るとすれば人非ざると称された者だろう。密度の高い丸太さえ毟る握力で、甲羅と比較すれば柔らかな関節の皮膜を握れば、蟹の声無き驚愕と共に巨大な鋏が力無く垂れ落ちるが必定。
「よし、加勢を!」
しかし必殺ではない。
一瞬の油断を感知したのは野生の殺意。
「来んなっ」
「脚!?」
衰えず弱まらない敵意。
鋏が使えなければ脚。
槍に酷似した四対の脚部を機敏に動かし、オークの腹部目掛け鉤爪と化した脚で切り裂きを狙う。当たれば吹き飛ばされる勢いの、まさかの蟹の蹴撃が迫る。
裂傷ならば即死はしない、だが避けねばならない。
身を捩って間に合うか。
「──ふ、ぅ」
「チサト!?」
「リカちゃ……」
オークが身も凍る悍ましさを感じたのは、死の予感からだったのは間違いない。
ただし、それが……。
「出足を、落とします」
音も無く欠落していく、一瞬の前に迫る蟹の槍衾か。
または欠落した表情で、剣を差し込む女による物か。
その時は区別が付かなかった。
風を斬る鋭い音ではなく。まるで扇子で手応えの無い風を撹拌するような音。気配を発さずに接近して抜き放った剣は、余韻すら残さずふつりと容易く、頼りない白糸を斬るように動いた。
「こちら、も…」
「───!?」
音と風が止むと、そこには鋏と脚と胴体が分離した丸く大きな蟹が解体され川原に転がるばかりであった。
「……これはカニ鍋ですね!」
「言ってる場合かっ!?」
「……?」
無傷の勝利。その後の感想はそれぞれながら、奇妙な組み合わせの三人組の初戦は完勝で幕を閉じた。
警戒態勢は厳としたままに、被害の確認、装備の回収、病理的症状の有無を軽く問診していく。
迷宮探索において、注意すべきは外傷だけではない。いかにもといった毒を持っていそうな警戒色の毒虫はまだマシで、一見して無害そうな動植物すら致死の毒を持っていてもおかしくないのだ。
「うん…おじさんの擦過傷ぐらいかなぁ。ほぼ無傷で何より、これでさっさと進める……けど」
「けど?」
「リカちゃん。結局戦うのかい? 死ぬかもしれないよ」
「…死ぬ……さようですか…」
不審に思えた事は不信にいつしか至る。安請け合いしたとは思っていないが、命の価値は決して軽くない。
竹塚の察知した嫌な予感の一つとはこれである。恐らく再び、ただ護衛されるを良しとせず前に出てくるだろうこと。だがしかし此度は助けられている、糾弾こそすまい。
斯様な上辺を取り払った竹塚の問い掛けは本質として単純である。
何の為に命を賭けるのか。それを知りたい。
「詳しくは…いずれお話します。ですが…わたくしは…」
────死にたいのです。
魔物の産み出した喧騒が河川の音で死にゆく時。あまりに小さく、しかし確固たる響きを中空に落として、沈痛を混じえつつ死の願いが放たれた。
「……されど、わたくしは…死ねません…」
「やっぱり、そうなのかい?」
「ええ……このように、しても…」
「チサトッ!?」
静かな日常的動作。それはまるで息をするように行われた。先程まで敵を裁断していた、尖先のない剣を胸に当てて。
心臓へ滑り込ませた。
「かっ……ふ……」
万に一つもない致命傷だと誰が見ても判断する刺突。夥しい出血も然り、必殺或いは必死の傷痕が生み出される。
しかし竹塚は驚かない。否、その出来事には驚いている。全く躊躇いなく日常的な所作のままに自害を選べるチサトの精神性そのものにも。
「……会った時からそうかと思ってたけど。
君は、死ねないんだね」
「つまりは、その、不死というものですか?」
「は……さよう、ひゅ…ぅ、です……」
刺し貫いた箇所から血が止まらない。
剣を抜く。
生命の雫が零れ落ちる。
落命は間もなく。そう感じさせるには充分な出血量、だというのに喋り難い程度にしか感じていない。痛痒を何処かに置いてきてしまったように、チサトは訥々と語る。ほんの少しの事実のみを。
「この程度なら……直ぐに、はっ…治ります……。竹塚さまは、驚かないの…ですね…」
「会った時はそれより酷い状態だったろ?」
「いざ目の当たりにすると驚きが勝ちますが、チヒロはわかっていたのですか?」
「まあ、何となくね。ヒントも多いからさ、リカちゃんは不死ってだけじゃない。不老不死ってヤツなんだろうって」
「……明察に、ございます」
不死を察するは簡易であった。
四肢切断されて血液すら枯渇している、およそ首だけと言っても過言ではない状態で医療器具の助けもなしに話す人間なぞあり得ない。
医学書にそのような見地も無い。
不老を察するも難解ではなかった。
高校生の制服の意味すら知らず。成人のそれと誤解して、異様に違う生命観の元に斬首を披露できる人間なぞ居るはずがない。
古語を日常的に使える人間。
「おじさんの……僕の年齢を老人扱いするのも、冗談じゃなければずっと昔の価値観だ。少なくとも五十で隠居ならまだしも、それより若くてもお年寄りっていうなら。リカちゃんは少なくとも百年以上前の年齢観をしている」
「人間はそうなのですね。人間全体ではなく日本人というものは、といった方が正確でしょうか」
「ん、そういうこった。現代で生きていたなら不可能な認識のズレ、倫理観も違うし新古で言語も異なる。異世界人じゃないだけ救いはあるけどね。前の高校生たちを連れて入った時の傷も、僕らノーマルな人間からすればあり得ない速さで塞がってたのもあるよ」
故にこそ命を棒に振る。死が遠いから、だから希求するように危険を恐れない。死が身近だった時期の価値観もあるのかもしれない。
「あんな悲惨な状態でもリカちゃん死んでいなかった。
だから恐らく、死にたいっていうのも……フィクションでもよくある話だけど、生きることが辛くなったんじゃないのかな。作り物と同列に扱うのもよくないけど……」
「はい……。かの者共に捕らえられ、生きたまま肉を捌かれる…そのことが辛かったのでは…けして、なく」
「……そっか」
いのちの先には必ず死がある、それを全てを諦めろという意味で考えるのではなく。産まれた時点で死の影は寄り添う、故に生を謳歌し、限られた生を克明に生きろ。そのような哲学。
では死のない何かはどうすれば良いのか。
誰とも共に過ごせず、全てが滅んでも尚癒せぬ孤独を抱えて宇宙を漂えというのか。
「もう……耐えられないのです……」
何がとは訊けない。互いに全てを知るような間柄ではない。そして竹塚には答が出せない、何よりただ無責任に生きろとも言えない。
医学部に通っていた時に、常に憑き纏う重苦しい責務が恐ろしく感じていたからだ。
医学分野としての終末医療、医術は生を善としてきたのなら死を与うるは果たして間違いか。
生きていれば希望がある?
死を希求する程の痛みがあるのに。
素晴らしい何かがきっとある?
それよりも今、死が救いだと言っている。
そのような題材を扱う講義があり、他の者はそれでもと答えられた。竹塚は言えなかった。涙も枯れ果てる絶望に身を苛まれている患者に、いつかきっと助かるから諦めるなと誰が言えようか。
「迷宮には奇跡がある。それを知った君は、自分が死ぬ為の奇跡を見つけたいんだね」
「はい……死を願うは、身勝手でしょうか……」
「ふぅむ……」
川のせせらぎが妙に五月蝿い。唐突な乱入者も無く、刻一刻、時と同じく水が流れる。
口を開くのも億劫な沈黙。
思案していた様子のオークが手を叩き口を開いた。
「では、私と同じですね」
「…あん?」
「……は…」
「これは私の本音ですが、私は命を捨ててでも願いを叶えたい。チサトは命を終わらせる為に願いを叶えたい。結果として命を失うと考えれば、さしたる違いはありません」
そう何でも無いように言った。
人類としての哲学に背くとも、背景の違う存在には元より在らざる思考。別に珍しい事でもない、我々としては名誉が総て。そう語るように。
「では尊厳ある死を、名誉の死の為についでに叶えていきましょう。迷宮の奇跡がそこまでに手が届くかはわかりませんが、死んだように生きるより、死ぬ為にいきましょう」
「…………」
「……それ、は……」
慮外の存在から来る透明な言葉だった。透き通る水滴が酷く濁った水面落ちたとて、どれ程の価値があるのかはわからない。
しかしオークの勧誘の言には、砂漠の一雫のように無価値と断ずる事は不可能な強さがあった。
「ふっ…くっ、あっはっはっは!」
「竹塚…さま…?」
これが笑わずにいられようか。オークとしては利用価値を認めただけの言葉が、大いに死を肯定しているのだから。
「そうだよなぁ、まったく馬鹿らしいじゃないの!
僕もオークもリカちゃんも、全員願いを叶えたいって同じ穴の狢ってもんだ!」
「それは…どういう…」
竹塚の言葉を理解したオークは静かに首肯をした。一方のチサトは不明瞭に首を傾げている。
竹塚はそれを見て、晴れやかに笑う。
「僕は生きたい。生きて借金返して、またデザイナー……じゃなくてもいいから美術に携わりたい。
オークは名誉が欲しい。無限に食べ物が出てくる奇跡を見つけて故郷に持って帰りたい。
リカちゃんは死にたい。でもそれには不死を殺すような奇跡を見つけないといけない。
三者三様みんな違うようで、完全にゴール地点が違うのは僕だけ。でも安心してほしい、僕ァ義理堅いんだ。オークのお願いに付き合ってやるって決めてる。だからここまで関わったリカちゃんにも、
「…………」
「回りくどいですね」
「なんだよぉ…! いいじゃないのぉ…!」
「ダメとは言ってませんよ」
「ケッ! だから、リカちゃん。結果はどうあれ過程は同じ。ならさ、楽しんでいこうよ。
いざ死ねるって時まで食べ物を美味しいって思ってもいいし、辛い苦しいって言ってもいいんだよ。
一度だけじゃなくて、一緒に進もう。ね?」
「…………」
長く、永く、永劫に続く苦しみの終わり。その終わりまで笑ってはいけないと誰が決めたのか。
差し伸べられた手も、きっと何度でも掴んでいい。
竹塚という人はきっとそう言うのだろう。
「はい……共に…進んでください……」
「よーし決まりだっ!」
「雨降って地固まる。と、人間は言うのでしたね」
「いざそう言われると台無しな感じするよなぁ?」
然るに当然、先程よりも歩みは軽く。
「じゃあ新生おじさんパーティ出発と行こうか」
「そのネーミングセンスはどうにかなりませんか?」
「わたくしは…さような年齢ではありませんが…」
「……行こうか!」
年齢問題については誤魔化した。流石に妙齢を保っている女性に向かって最年長であること、また事実を伴ってお婆ちゃんとは口が裂けても言えない。竹塚にも最低限のデリカシーはあった。
竹塚は背嚢を背負いつつ、戦闘前の陣形を取ろうとしたがここで疑問を発した。
「えーっと? 前衛はオークで後衛は僕。だったんだけど、リカちゃんはどうする?」
「では…わたくしは後ろを…奇しくも先刻と、同じですが…もう少し近付きます…」
「了解、敵が近付いたら言ってね」
「は…かしこまりまして、ございます…」
「カニ鍋は?」
「しねえよ!」
何より野営するにはまだ早い。カニを解体する手間はさておいてもリスクも高い。
打ち解けても尚頭を痛ませるのは、カニの骸の後処理である。何せ大きい、じっくりと観察すれば胴体だけで人の背丈を超える高さがある。絶命するまで振るわんとしていた手足もまた同様。すごくおおきい! と思考を手放したくなる常識はずれ、迷宮では世間一般の認知に拘る方が悪いのだが。
「戦利品で持って帰るのもなぁ……」
「鋏と胴体が高そうですが、荷物が増えますから現状では無理ですね。やはり鍋、鍋しかないのでは?」
「リカちゃんの切った脚だけ拝借してくかぁ。ケツ捲くって逃げるだけなら運べそうだけど…いや、そこそこ軽いな?」
「鍋では??」
「お前さぁ…蟹っていうか水棲生物はね、下手に食った時なんかには寄生虫が怖いの、わかる?」
竹塚はいつもの愚痴っぽい調子に戻りつつ、タケノコめいたカニ足を何本か拾う。これだけでもそこそこ重い、のであるがいざ持ってみれば見た目以上の軽さがあった。
恐らく普通のカニとは違い、殻と筋肉部分の組成に違いがあるのだろう。だとしてもやはり寄生虫の類は怖い、一般的な沢蟹でさえ生食は厳禁。どうあれ下処理はしなくてはならない。
何事も無く探索から戻れた時、更に他の探索者に盗られておらず尚且つ迷宮のモンスターどもに食われていなければ持ち帰るとしよう。意識の中からカニについてを外して、観察の為に屈んでいた脚に力を込めて立ち上がる。
「あぁよっこいせ…っと」
「じじくさ……」
「うるさいわぁ!」
「…して、先に参ると申しても…場所は…?」
「それは簡単です。今回購入した地図には地下への穴が一つだけ書き込まれていますから、それを目指しましょう。目的は迷宮深部へ、それは変わりません」
オークが太い指で地図を軽く弾く。
「幸いにして磁石も機能している。ここからなら……地形が間違っていなければ歩いて一時間弱ですね」
「まあ…」
「そこは地図屋を信じようじゃないの。川辺ってのは冷えるから、寒くなったらちょっとずつジンジャーブレッドを食べていこう」
「ジン…?」
「生姜を使ったお菓子ね? これはちょっとケーキっぽいかな。まだ食べてないけど美味しい……と思うよ?」
「オオ…ウマイ…!」
「クソッ、intが下がってやがる!!」
空腹で頭脳がマヌケと化したオークの口に幾分かの携行食を詰め込みつつ、一行は前進を再開した。
三歩進んで二歩下がるような警戒しつつの緩慢な道行き。迷宮内の温度・気候の安定も手伝ってか、静かな道程なれど苛立ちは無い。
先程のカニのような敵性生物の出現も無く、あと数分で下に降りる為の階段か穴に到着するだろう地点。
「……何か、嫌な音してないか?」
「チヒロ。平和だなぁとか考えましたか?」
「あぁー…出た出た、そういうさぁ今日は暇ですねえーとか言うとちょうど忙しくなるってヤツ。馬鹿馬鹿しいジンクスだってのに、これが結構あるんだから」
「前の……遠くを……」
「遠くぅ?」
「……これは、初めて見ましたね」
もう少し、あと一歩。そう思うと力も奮い立つ、それは確実である。だが心を折るような出来事が待ち受けているのも頻発する事実。
一行が油断していたのではない。
ただ、そうと認識できなかったのだ。
「いやぁ…ちょっとぉ…」
「……山が如し…」
沢の木々が目隠しになって見えなかったというのは正確ではない。保護色になっている体躯が観察を阻害していた事と、岩壁のような大きさに対象が危険な生物であるという事が、各々の理解の外へ追いやっていたのである。
「はっはっは。実物を見るのは貴重な体験ですね、アレはチャンピオンシャコの頂点です。途方もなく大きく、だというのに素早いらしいですよ。別名は…」
「オイ、ヤバくないか。目がこっち見てないか」
「……視線を、感じますね」
迷宮で出現する人間サイズのシャコをチャンピオンシャコと呼ぶ。全身が武器のような強さから名付けられた通称の一つ、チャンピオンの名に恥じない怪物シャコである。
一方そのようなトンデモ生物の更に上位のシャコ、全身武器よりもなお恐ろしい全身兵器。恐怖を超えて畏怖や畏敬すら込めて、皆口を揃え呼称する名は。
「ゴッド・シャコ・エンペラーと呼びます」
「逃げよっかぁ!」
「さようで……」
「これは無理ですね、無理無理」
「────!」
転進、翻って後ろ向きにダッシュ。
これは逃走ではない、明日を目指す為に我武者羅に走っているのだ。
こうして人間一人とオークが一体、そして不死者が一人追加された迷宮探索者の集まりが生まれた。一度だけのつもりが一蓮托生。数奇なさだめ、命を運ぶと云って運命との実感が伴う。
遅々として進みは緩やか、標語はいのちをだいじに。彼らの行く先がどうなるかは迷宮のみが知る。
「さっきのカニ拾ってけ、カニ拾え!」
「大漁ですねえ」
「重、い…!」
「リカちゃんは脚だけでいいから、赤字は無しだよぉ!」
「バカホタテが降って来ましたよ」
「真珠だけ取れるなら取っとけ!」
「無理ですね」
「じゃあ走れぇ!?」
ちなみに、カニは高額で引き取られた。
大きさからして、とれとれピチピチカニ料理。食い倒れ必至のカニである。
鋏を含めた殻は建築資材や研究素材、装備の材料と方々に買い取られ。どうやら火を通せば無害らしい肉とカニミソは、カニ鍋やカニを具材にしたスパゲッティやドリアの食材になる為にサイケデリ屋へ運ばれて、人々の舌を楽しませることと相成った。
残ったのは現金と余りのカニ肉。
収穫は有り、失うは無し。結果的には万々歳、三人組となっての初探索は一先ず成功と言える。
本日のまとめ、あるいは反省会。
「全員の無事とリカちゃんの加入、それとまさかの収入を祝ってぇ……かんぱーい!」
「かん、ぱい…?」
「グッとお酒や飲み物を呷るんですよ」
「はあ……では一献……」
「っくぁー! 染みるぅ!」
「これは……強く、ありませんか……?」
「まあ無理に飲まなくてもいいと思いますよ」
「カニ鍋も旨いじゃないのぉ、ええ?」
「具材がほぼカニのカニ鍋…これは鍋ではなくただのカニスープでは?」
「鍋って言ったら鍋なんだよ、大して変わんないって」
「……ケヒッ」
「ん?」
「あれ、リカちゃん…?」
「…今より、一つ芸技を…披露します」
「えっ」
「これが隠し芸ですか」
「水芸、ならぬ…」
「ちょちょちょっと剣抜いて何すんの!?」
「血芸を……!」
「うぉぉぉー! 止めろぉー!!」
「うーんスプラッタ。ここは自宅ですからスプラッタハウスですか」
「ヒッ、ウぅ…」
「酔ってんだコレ!?」
「お酒はほどほどに楽しみましょう。教訓ですね」
「ウワーッ!?」
反省会で反省するような事はしないようにしよう。
おまけ♡
三人のステータス
竹塚千尋 タケヅカチヒロ
年齢 30代後半
種族 人間
出身 日本
学校・学位 大学卒
精神的な障害 なし
SAN値 48/99
容姿
髪:黒 眼:黒 肌:黄色
身長179cm 体重85kg
無精髭/天然パーマ/筋肉質
STR:12 APP:12 SAN:48
CON:13 SIZ:14 幸運:40
POW:14 INT:16 アイデア:80
DEX:15 EDU:18 知識:90
HP:22 MP:3 ダメージボーナス±0
職業元デザイナー/元医学生
職業技能
医学、応急手当、経理、説得、法律、薬学、英語
芸術、コンピュータ、心理学、図書館、目星
+マーシャルアーツ、回避
装備品
ライトメイス
軽量化されており、暗い場所でぼんやり光るメイス。
これが本当のライト・メイスってね。
デッドリー製白衣一式
返り血が付かない、滲まない、手に付かなーい!
防御性能も値段も高い、手袋を含めた全身服。
中のシャツは濃い緑色、ズボンは茶色。
替えはあるけど破けたら泣く。
コンバットブーツ
水虫対策もバッチリの蒸れ難い戦闘用靴。
色は黒。おじさんがブーツっていうのもねぇ…あいや、機能性で言えば仕方ないんだけどね。
パッシブスキル
【警戒歩行】
フィールドエンカウント率減少
腰に悪い。
【問診】
戦闘後に治療を行う。
HPを最大HPの1/5と状態異常一つを回復
はいアーってしてね、はーい。
アクティブスキル
【ヘビィストライク】
鈍器で敵を殴る。
四十肩には辛い一撃。
敵に2d6+2のダメージ
【応急手当】
戦闘中に治療を行う。
ん?間違ったかな?
味方のHPを最大HPの1/3回復
フォーススキル
【全力治療】
採算度外視の治療行為。
死なせない、絶対に。
戦闘中味方一人を完全回復
【超・失・踪】
赤字覚悟の全力逃走。
エスケィプ・デキマース!
戦闘から確実に逃げ、フロアの入り口まで戻る
備考
義理を尊重する。ぼやき癖あり。
△いい人 ○(便利で)いい人
好きな食べ物はイカと里芋と大根の煮物。
他者からの評価
「チヒロは善人ですね、人間はお人好しと言うのでしたか。こちらとしては助かりますが利用されるのに慣れてはいけません」
「当世の方々は……皆様、斯様な御髪をして……?」
オーク・紳士・教師
年齢70代(人間での30代に相当)
男性 種族:オーク
出身 迷宮内のオーク国
容姿
毛髪/茶 瞳/黄
身長278cm 体重294kg
完全に人型イノシシ。
石けんのいい匂いがする。
アライメント
中立・善
レベル20
ステータス
力:21
知恵:16
信仰15
生命:19
器用:16
速さ:11
運:14
装備
武器:ひとさし(両手槍)
盾:なし
頭:なし
胴:挑戦者の礼装
足:なし
装飾品:オークキングのゆびわ
装飾品:ひえビタ♪
ヒト型特効
防御+20
回避+3
AC−10
全属性攻撃:軽減
状態異常:弱耐性
あつさ に つよい。
パッシブスキル
【迷宮知識】
敵ドロップ率上昇・罠回避率上昇
【はらへりボディ】
1マス進む度に満腹度が1減る。
満腹度が20以下で知恵が−5される。
腐った食べ物を食べてもマイナス効果を受けない。
アクティブスキル
【オーク流戦闘術 初級編】
槍で間合いを保ちつつ相手を貫く。
敵に必中の攻撃。
【オーク流決闘術 中級編】
槍で攻撃した後に組み合って投げる。
敵の攻撃力・防御力を低下させる攻撃。
【オーク流号奪術 マスター編】
号奪戦の間合いですよ。
自身の全ステータスアップ。
HP小消費(現HPの10%)
使用後敵一体の攻撃を3ターン引き受ける。
敵に防御力無視の一撃。
備考
冷静。食いしん坊。
本は好き。
好きな食べ物はベーコンストリップパンケーキにメープルシロップをたっぷりかけたもの。
他者からの評価
「勉強家だよねぇ用事が無ければずっと図書館に行ってるよ。あと真面目、食べ物が関わらなければね」
「博識な…方です…。ですが…いえ…どこか冷徹なような…」
チサト・リカ(仮名)
年齢 ???
種族 人間?
性別 女
容姿
髪:黒 瞳:黒
肌:青白 髪型:太ももまで伸びている長髪
身長:167cm 体重:55.2kg
JOB ???
レベル 70
HP357 TP159
STR:58
TEC:46
VIT:41
AGI:60
LUC:37
このキャラクターはロストしない。
即死無効。
戦闘中毎ターンHPを最大HPの10%分回復。
装備
武器:???の剣
防具:絡糸のコート
防具:闇色レオタード
防具:安全ヒール
物理攻撃力 136
即死付与率+5%
縛り付与率+10%
物理防御 101
属性防御 106
斬○壊○突○
火△氷○雷△
パッシブスキル
【??マスタリー】(LV10)
通常攻撃時に確率で即死付与
即死付与率上昇
状態異常付与率上昇
アクティブスキル
【足削】(LV10) 消費TP12
敵に中ダメージ 脚封じ付与
【掌落】(LV10) 消費TP12
敵に中ダメージ 腕封じ付与
【断頭】(LV10) 消費TP12
敵に中ダメージ 頭封じ付与
【斬首】(LV5) 消費TP15
敵に即死付与
封じ箇所が多い程即死確率上昇
敵の残HPが低い程即死確率上昇
【恍惚】(LV5) 消費TP20
敵に大ダメージ
封じ箇所が多い程ダメージ上昇
フォーススキル
【大切斬】
Wow,wow,wow,提供,アマゾン
敵に大ダメージ
敵に即死付与
備考
浮世離れ。天然?
頑固者。
好きな食べ物は葛切り
好きだったお酒はベルリーナー・ヴァイセ
他者からの評価
「美人さんだよね。今風の細面だけど、昔でもこういう人は傾国の美っていう扱いで美人として認められていたらしいよ」
「ぼうっとしているように見えますが、やると決めたらやる。そんな芯の固さを感じますね」
ここまで御読了有難う存じます。
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