はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
一瞬で視界がかき混ぜられる。
視覚情報が処理し切れない。
内臓が持ち上がって胃の内容物がせり上がる。
「うっ……おぇ……」
あー、何だっけか。そうだ、あの池袋の迷宮で無理矢理地上に出た時に近い感覚だ。
脳が揺れているのか、それとも眼球が変な動き方をしているのか、時化の中に放り込まれた船みたいな三半規管が直接振られている感じの揺れが酷い。
何より景色が、空気のニオイが違う。
ここはもう雑多な食べ物の臭いが混ざるフードコートじゃあない、青空の下でアスファルトと排ガスの臭いと人の臭いが充満している。よくある都会の臭い。
否が応でもどこかの屋外に、瞬時に連れ出された事がわかる。迷惑野郎がよ、人の都合を考えろよな。
「まったく最近の若いのはだらしない喃!」
「それ、天狗でも言うのかよ…は、うぇ……」
「ほぅれ。いいから集中せんか」
「ああ?」
何にだよ、と疑問を投げ掛ける前に周囲の異質な空気に気付いた。
俺の前には群衆ともいうべき人集りが出来ていて、一方で瞬間移動した俺と天狗には目もくれない。
その視線が待ち望んでいるのは、白塗りのワンボックス車の上に立っている男が口を開く瞬間。ただそれを餌を待っている間抜けな鯉みたく、呼吸をして佇んでいる。
それから数分も待っていなかったように思う。
まず静かに。偉そうな壮年で、髭を少しだけ生やした黒髪の男が喋り始めた。仲のいい友人に語りかけるような小さな声は、いわゆるピンマイクが増幅して振り撒いていた。
「皆さんと、こうして話が出来ること。
そして一緒に時を過ごせること、また国家の下に居られることを誇りに思いますし。これ以上ない程、素晴らしい事だと胸を張って断言できます」
喪服じみた黒いスーツとネクタイはシワ一つ見えない、大多数への語りと合わせて、軽快な身振り手振りをしても服が浮く事もない。誰が見ても堂に入った様子だった。
「ただ支持してくださる方や、そうでない方が居る喜びを噛み締めるのではなく。普遍的な価値観を冷静に、情熱的に我々は変化させていかねばなりません。
私達日本国民が貧しく、衰えてゆけば、国家全体や民族はどうなるのでしょう。
虎視眈々と先端技術、そして隣り合う貴方の居場所、優しささえも奪おうと躍起になる遠い国々もある。
だからこそ今、私達は、この国に生きている我々。ヒトも、エルフも、ホビットも、レプティリアンも。今挙げた方々だけではない、摩訶不思議な人々を含め、判別出来ない程に色彩豊かな我々日本国民は国家と共に進まねばならないのです。
そう! 我々の最重要課題とは!
国体そのものを守ること!!」
力強い振り付けだ。語りの入りから比べれば早口に、言葉は強く大きく、誰にも響くような声。
演説の素養というのがあるなら、あの車上に居る小柄な男はどうやら満点に近い気さえしてくる。
遅れて拍手、拍手、歓声。賛同。
耳が痛みを訴える程に無遠慮な大音量が、地面の石ころを震えさせるように空間に叩きつけられた。
周りからの音が数段小さく、息遣いや咳払いが聞こえるようになってから。男はまた語り始めた。
「私達政治家も、所詮は国の下に生きる者。
税の使い途の透明化、優先的に給料としていただいている皆さんの税金を下げる為に、給与を最低賃金から数えた方が早い水準まで落としました。
膨れ上がった議員定数も衆参両方ずつ半減。同じように膨大になった省庁の人数も半減。そもそもの官僚構造にもメスを入れてお互いに改善案のみを提言し、全ての不正に待ったを掛けられるように警察の権限を強めてきました」
イイコトを言っているように聞こえた。
「そうして浮いた税金は国庫に入れるだけでなく。充実した社会福祉政策と、不便を感じさせないインフラ整備に充てております。
それは何故か?
貧しくならざるを得なかった方々に、施しをせよと富裕層に訴えるだけではないからです。
そう、日本国民は自立せねばならないのです!
貧しい人が困っていたら助ける。豊かな人でも困っていたら助ける。
それこそ私達日本人の美徳です!
種族など限らず、国民同士で助け合わなければならないと、思うべきなのです!」
誰の耳にも、よく聴こえる。
「私が現・自平党党首として望むことはただ一つ!
私達と一緒に美徳と常識、ほんの少しの手を差し伸べる優しさと共に歩んでほしいということだけです!
私達は貴方を助けます!
国家も貴方を助けます!
貴方も我々を、助けてはくれませんか!」
俺の中に燻っている違和感が、演説を終えてにこやかに手を振る男に向けている眉間の溝を深くしていく。周囲の晴れやかな顔と万雷の拍手が溢れる中、陰鬱な顔をしているのは俺だけだ。
そりゃあそうだろう、聞いているだけでわかる。前に調べていた通り、どこまでも後ろ暗い所が無くて、結果として種族が対立するでもなく。望んだような良い暮らしって奴が連中のお陰で過半数はできている。そんな現実に誰が文句を言うんだ?
探していた何者かは、恐らくアイツなのだろう。
イカレた医者のジジイも、あの『仮面』の野郎の口振りから考えれば全ての元凶はあの党首に過ぎない。
今すぐにでも。そう思って精一杯の言葉を口の端から漏らして一歩進んだ。
「へぇ……アイツがね……」
「応。だが小僧、ここで事は起こすなよ?
罪状も無ければ確たる証拠も無し、お主が取り押さえられて終わりじゃから喃。それは儂も困る」
「アンタに何の関係があんだ? 引っ込んでろよ」
「吾等も奴を疎んでいる、ということだ。妖怪・怪異の存続には、連中が邪魔で邪魔で仕方ないのよ。
故に、急ぐな。一寸前に言うたが、お主が今、本丸に先駆けても何の痛痒も与えられぬ」
「試してもいねえのに判断するのは、妖怪連中の間では無駄とか早計って言わねえのか。少なくとも人間はそう言うんだぜ」
「呵ァー……駄目じゃ、頭に血が昇っておる」
「はァ? 滅茶苦茶冷静だよ、さもなきゃここで暗殺してからどう逃げようかなんて考えねえよ」
確か、現内閣総理大臣なんだろ?
じゃあここで目立ってブッ殺してもみろよ。世紀の悪人、その関係者って事で貞雄さんからバイト先、それに学校の皆にも迷惑をかける。
新聞やテレビニュースなんて無くなって久しいが、少なくとも残った雑誌記者が号外に仕立てて、面白おかしく世間様の井戸端会議に出席する事請け合いだ。
ちなみに暗殺ってのは社会的に政治的影響力を持った人間を殺す事であって、陰からナイフで刺したり毒を盛って秘密裏に殺害する事だけを指す訳じゃないんだとさ。
だったらこれで俺も暗殺者の仲間入りだな。
「むっ、この馬鹿もん!」
「何掴んでやが…あッ!?」
視界が、またぐるりと、混ざる。
やられたと思ったのは一瞬。
武道とか武術で言う、いわゆる先の先とでも言うのか。何にせよ気配の起こりを察知したのは間違いない。あとほんの数秒遅れていたら、考えていた事を行動に移していた訳だからな。
まったく天狗っての面倒だな、何仕出かすのかわかんねえし人の役に立たねえバケモノ……いや、今回は役に立ったか。少なくとも、これで敵の首魁の顔は拝めたんだから。
自平党とモンデンキントの連中が全く同じか、それとも裏で繋がっているだけの組織なのかは未だ判断出来ない。それでも表の顔は覚えた、これが重要だ。
プライバシーだか『噂』への対策だか知らないけど、顔写真も見れないんだから大したもんだよ。選挙ポスターだってどこにも無い徹底振りには舌を巻く。
と、言う訳でね。
またもフードコートに無理矢理移動させられた訳だ。
三回目ともなれば瞬間移動にも慣れ……慣れ……無理だなコレ、めっちゃクラクラするもん。
「んで、何でまた正座させられてんの俺」
「うるさい」
「儂が補足説明したから喃! 小僧が喋ると都合のいい事しか言わんじゃろ? それは良くない、儂はそう思う」
そして目の前からパッと消えた俺と天狗が何をしていたのかを説明した直後、正座をさせられている。
今回は俺だけだ、おかしくないか?
「また一人で危ない事をしようとして……」
「未遂! 未遂だから! ただ普通に演説を聞いてきただけだって、天狗からも言ってくれよ!」
「儂は止めたんじゃよー」
「止めなかったらやっていた、という意味ですね。當真は一度スイッチが入ると止まらないから仕方ないが」
「颯!?」
こうして無実の罪で人は苦しめられる、これを冤罪って言うんだなぁ。実際問題、思考は自由じゃんね。危険な事を考えていても、実行しなければ無罪っていうのが日本のいい所だと思うよ、俺は。
別に何も言っていないのに天狗の野郎がベラベラと喋ってくれるものだから、こうしてレイリーから睨まれる羽目になっているんだぜ。その天狗面、いつかぶっ壊してやるからな。
「あーっ! また小僧が危険な事を考えとるー!」
「考えてねえよ! 何だお前、思考盗聴犯か!? 出るとこ出てやろうかこのクソバカ天狗!」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんじゃい!」
「うるせー馬鹿!」
「この巨乳! やんきい! アカンタレ!」
「アカンタレって何だよ、ってかヤンキーじゃねえよ! 巨乳とか面と向かって言うんじゃねえよこっ恥ずかしいだろ!?」
「争いは同レベルでしか発生しないそうだが……」
「馬鹿二人……」
「なんだとォ!」
「なんじゃい!」
「うるさい」
「縛んなって! 縛んなって!!」
「グワーッ!?」
オイオイオイ、世間的にはこれで馬鹿の巻物が二つ完成しちまったじゃないの。待てよ、誰が馬鹿だ。
「レイリーさん、そっちにハンバーガーのバンズを持っていってほしい。……ああ、その辺りがいい」
「颯は何してんのォ?」
「そして、こうしてオレがもう一つのハンバーガーのバンズを持つ。こうすると……。
バカのサンドの完成だ」
「ぶふっ」
「てめえ覚えてろよ……!」
「あれ、儂も馬鹿扱いされとるな?」
「さて、本題に入ろう」
サラッと愚弄しておいて本題に入るのか!?
ちなみに吹き出したレイリーは何かツボに入ったみたいでずっと震えてるぞ、チワワかな?
怒りに震える俺と笑いに震えるレイリー、時々天狗を無視して。颯が咳払い挟んでから話を続けた。
「んん……。
これからするべき指針が一つわかった」
「ああー……さっき言われてた手掛かりってヤツか?」
「そうだな。役小角さんが言っていた思い当たる事とは間違いなくこれだろう。違っていたら遠慮無く違うと言ってください」
「呵呵っ、何の為に言ったかも理解しておろうに」
「念の為ですよ。それで、思いついたのは當真が男に戻る方法についてだ」
「早くね?」
「追加のヒントが無くとも考えられる可能性で言えば、これしかなくなる。だからわかった。
當真、お前が男に戻る方法は二つ。
虹をもう一度潜るか、虹を作る機械を直す。このどちらかをする事だ……合ってますか?」
「いや、話が早くて善い。天晴天晴」
……虹をもう一回潜るゥ?
無理じゃん。虹って物は追い付けないんだっての。
「じゃあ機械を直す……のも無理なら、設計図を探すしかない。あともう一つだけ解決出来そうな手段もあるが、夏の間は無理だ」
「えええ……何だよ期待させやがって、もっと楽してポンと戻れるような話じゃねえの? ほら、お湯とか水を被れば性別が変わる的な」
「ハハッ、ファンタジーやフィクションじゃないんだ。それこそ無理に決まっているだろう?」
「凄え納得いかない理屈だなァ!」
何でだよ、ファンタジーやフィクションそのものの天狗が目の前に居るんだぜ?
人の性別ぐらい何ともないだろ……たぶん。
「儂はお主がおなごでも一向に構わんが?」
「クソバカ天狗がよ……!」
「人間の不始末は人間が尻拭いせんと喃、じゃからあの連中もお主らに始末してもらいたいのよ」
「やはり、ですか」
「さっきもそんな事言ってたよな?」
「理由を訊きたければ今教えてやろうか、但し授業料は高いぞ」
「まだ普通の学生でいたいもので」
「押し売りかよ……根性悪ィな」
「呵呵っ。ま、お主らが追う内に知ろう、儂はネタバレに厳しい天狗だから喃。これ以上は話さんて」
ネタバレって何のだよォ。これだから妖怪だのと話すと嫌なんだよ、倫理観とか人生観みたいな物が、近いようでまるっきり別の捉え方をしてるから。
身近な所ではタマさんとかフォンセルランドさんとかな、結構違うんだよね。特にタマさんは人間ってくだらねーってよく言ってる。あの人にとって事務所に所属してる人間とそれ以外、あとおやっさんで大まかに分けてるんだよ。差別主義者かな?
「じゃあ天狗は何しに来たんだ?
マジで暇潰し?」
妖怪の価値観はさておき。この天狗が何をしに来たのかがまったくわからんね、ついでだっていうのは何度も聞いたけど、それだけだと説明がつかないじゃん。
「縁を結びに来たのよォ!」
「は?」
「縁は呪、呪は強く結ばれる。先刻の演説に出向いたのもそう。これにて最早逃れられぬ、だって儂が見たのだから喃!
喜べ童ども、因縁はこうして固く結ばれた。精々上手く行く末を掴みとってみせいよ?」
「お前マジで押し売りみてえな事をしに来やがったのか」
「おっとォー、そろそろ電気工事の者が来る時間な気がする喃。次は茶でもいいから用意しておけい!」
「今殴ってやる、いや蹴る。動くなっ、てててて!」
足がァー! 足が痺れてるゥー!!
改造されても脚って痺れるんだなぁ。いや感慨に耽ってる場合じゃねえぞ、ところで足の痺れって痛みを通り越すと感覚無くなるよね。
「引き上げじゃあ!
あっ、そうそう。吾に連絡を取りたければ月見里の子に取次を頼むか……緊急であれば、この法螺貝をやるから吹くが良いぞ! ではな!」
「く、クソ天狗!!」
一陣、風。
色付いた風が渦巻いた瞬間、天狗の姿はまるで最初から居なかったかのように、どこにも無くなっていた。
ただ一つ、いや二つ。
「なあ颯」
「どうした?」
「法螺貝って吹ける?」
「……試した事が無いな」
変な呪いってヤツと、まさかの法螺貝を残して。
「……っ! …………っ!」
「レイリーはいつまで笑ってんだよ」
「落ち着いたら、昼食を食べ直そうか」
「…はぁ……だな、そうするか」
ごめん、笑ってダメになってるレイリーを入れると三つだな。天狗ってロクなもんじゃねえな。みんなも天狗には気をつけろよ、祟られるぞ、たぶん。
最初の演説だけで色々わかったら凄いと思います。