はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
一般的な、という言葉は胡乱を極める。
世間的という言葉も同じく、曖昧模糊。
ここは都心の一等地……から、少し外れた場所。駅前の外れのとある事務所。立地にグレードというものがあるとすれば5番目中、下から3番目であり上から3番目。つまり、普通。
事務所と言っても大した広さではなく。コンビニエンスストアを少し拡充した程度の面積であり、外観も派手な色を使わず灰色の地味なもの。
事務所内に並べられた椅子と机も、はっきり言うとパッとしない。よくあるねずみ色のオフィスデスクに、体重を任せるとか細い悲鳴を申し訳なさそうに上げる背もたれ付きのオフィスチェア。
一般的な、気取らないレンタルオフィスと言えば?
そう問われれば返って来るであろう程に模範的な、簡素かつ質素の事務所。表に掛かっている看板を見れば、何かの冗談かと思う事は請け合いである。
これもまた派手に輝かず、風雨に任せたウェザリングで加工された看板には、似つかわしくない派手な肩書があった。
【内閣総理大臣 地元事務所】
とだけ書かれている、目立たない事務所。
室内の奥には眉間に皺を寄せた壮年の男性が、安物と言って過言ではない自身の席に座りつつ。真剣に、熱意を籠めた瞳で、地元住民から国民全体にまで幅広く集めた要望書や手紙の字を追っていた。
傍らには一山幾らの廉価極めるコーヒーカップと、中には秘書が慌ただしく淹れた安価その物のインスタントコーヒーが、申し訳なさそうに細々と湯気をくゆらせている。
暇ではないが、長閑とも言い難い時間。
が、それも長くは続かなかった。
理由は事務所の内装の如く簡潔。あまりに騒々しい秘書という存在が集中を切らしてしまったからだ。
「ねーぇー閣下ぁー!」
「この場で仰々しく呼んではならない、わかるか?」
「もうもうもーう退屈な書類仕事ばっかりしたくないんですよー! わかりますかぁ?」
「……………」
閣下と呼ばれた男は、空気に染み込ませるような、小さなため息を吐いた。日に数回は聞かされる、相手にするだけ無駄と知れている愚痴だからだ。
秘書の見目は、一見して秀麗。見た目の良し悪しで選んだ訳ではない、その方が楽しいだろうと秘書が自分で模ったのである。黙っていれば落ち着いた美人という印象であり、話し方とのチグハグ感を与えた。
「外の掃除は済んだのか」
「しましたよ! 済んでますよ! 石ころもペンペン草の影もありゃしません! だぁから絶賛、クソ迷惑な手紙や今時にしては古式ゆかしいカミソリレターの始末をしてるんじゃあないですか!」
「その調子で働け」
「ヤダー!!」
「…………」
詳細な言動はともかく、同じような遣り取りは毎日行われていた。頻度で言えば最早発作に等しい。
「では、その『仮面』でも磨いておけ」
「もうピカピカじゃあないですか! ワタクシの心と同じくらい、一点の曇りもあーりませんよ!
ま、心とかほぼ無いカンジですけどぉー!」
秘書は仮面を着けていた。
現在は顔の左半分のみを隠す物で、覆われていない部分も貼り付けたような表情が窺える。
この者の正体こそ『仮面』を名乗る怪人が一人。
誰でもあって誰でもないと嘯く怪物、人を愚弄して殺害せしめる狂気の存在を自称するモノ。
以前、當真 太陽に蹴散らされた筈である。
「ワタクシさぁ、あの失敗作にグズグズに腐らせられちゃったんですよ。信じられますぅ?
仮面まで腐食しくさりやがって、これだからゴミはダメなんですよ。ダメったらダメぇー汚いデショ!」
「…………」
閣下と呼ばれた男は頭痛の気配を感じ取った。言ったところで無駄なので敢えて口には出さないが、太陽に返り討ちにされたという話も複数聞かされていることがその由来。
記憶の判然としない老人が、食事を摂取したかを幾度も、耳にタコどころか耳がタコの塊になりそうな回数述べるかのようだった。しかし聞かされている方が小さくため息を漏らしていることについて『仮面』当人には自覚が無いようである。
恨み節も聞かされ過ぎればただの毒、男にとっては頭痛の種と生長促進剤の機能を両立させている。
「でぇ、閣下……」
「と、呼ぶな」
「……はぁい。じゃあじゃあ総理ぃ? それともヨシヒトさんってお呼びしましょうか、それともクマオカ首相?」
熊狼 由人、それが閣下と呼称される男の名である。
はたして本名なのか偽名であるのかは不明、更には経歴も不明な点が多い。
謎多き人物が一国家の代表とは、凡そ衆目の関心に依らず知識欲を掻き立てられる。なので野次馬根性を燃え滾らせた元マスメディアの記者などが調査をしたが、掴んだ情報は履歴書に書くような最低減の物のみ。趣味や特技に家族構成や生い立ちなどはついぞ得られもしなかった。
現状、熊狼という人間については。どこそこの大学を出て、ある時政界に飛び込んで人気を得、順当に成り上がっただけの男。それ以外には何も無い。
「表向きはせめて秘書らしく振る舞え」
「じゃあじゃあ熊狼首相?
なーんか堅っ苦しくなぁーいですか? ワタクシたちって二人で一つみたいなところもありますしぃ? もっとフレンドリーでもいい……よくないです?」
「公私は別けろ」
「はぁーい……んもー仕方ないなぁ」
一般常識を説かれて大袈裟に肩を竦める仮面。反省の色は見えない。実際、反省なぞする気は無い。
「今日のご予定は? なんでしたっけ?」
「…………」
それが秘書の仕事だろう。
という言葉を喉奥に押し込んで。騒音を撒き散らすだけの、秘書を名乗る不審者に本日の流れを説明する羽目になった。
「報告を受けて、業務をこなす。それだけだ」
「もっと細かくぅー!」
「これから表の報告が来る、後は医師会との連絡。米国の外交部からの打診もあったが、これは外す。
各大臣職は、お前の知っての通りだ」
「裏はどうするんですかぁ? 賄賂だの献金だのって」
「今まで通りだ。断固拒否しろ、いっそ話を持ち掛けて来た連中を発表してもいい」
「はぁーい……はぁぁ、総理大臣ってもっと華々しい感じのドラマティックなお仕事かと思ってたんですけど。
それがどうです!? 地味な交渉に根回しばっか!」
「そういうものだ、知らなかったのか」
「アナタほど知りませんよぉ!」
「……であれば、一つ教えよう。
正攻法で勝てれば、それが王道。人気を取るのに後ろ暗い事をしては、明るみに出た時に追い詰められる。
だが上手くいかない時、どうしても憚られる手段を用いる時になった場合は……」
「合法にすればいい、でしょー? もう何度も聴きましたよ、アレ、それってワタクシ? うっ頭が!」
「…………」
もう一度、男はため息を吐いた。
さて。
それこそ普通、内閣総理大臣といえば総理官邸にでも籠っているか、そこで仕事をする。もしくは外遊や遊説が主であろう。であれば大した肩書を持っている者が、小さな事務所を借りて業務をするなど不可思議である。
そこで熊狼が行った施策の一つは、総理官邸の廃止。
遊びが過ぎて設立された総理官邸なぞ資金の無駄、贅沢三昧よりも清貧を重んずべきとして法案を通した。
故に、小ぢんまりとした事務所を使用している。いわゆる見栄や警護問題もあったが、丁寧に説き伏せては議会を了承させた。ちなみに総理官邸は取り壊さず、観光地として残している。
「では榊原、報告を」
「ん、いいですとも」
であれば、どこで会議して報告を受けるのかというと、それもまた単純。事務所内に置かれたパソコンを使用してのオンライン上であった。
「んまぁず新薬についてですが。んまぁ、これは上々ですねぇ、想定よりハイペース。やはり迷宮資材っていうのは素晴らしいですよ」
「そうか」
「じっけ……治験も早く済んでますから、んー……数ヶ月で流通に乗りますか。今のところ依存性も確認出来てませんから、経口鎮痛剤としては安価で便利な期待の新薬ですかねぇ。
ん、それと代替血管も目処が付きましたよ。劣化も遅いので良いんですけど、量産が難しい。何せ患者の身体と相談してのオーダーメイドですからねぇ」
「薬品についてはそのまま急げ。他国の狙いはそれだ。
血管の方も滞らせるな、後の替えが必要なら言え」
「んでは、枝を数本拝借しても?」
「外れにある。『仮面』……望月に運ばせろ」
「ちょっとヨシヒトさぁん! 仕事が増えてる、ワタクシの! おかしくないですかぁ!?」
「んっ、居たの仮……望月クン」
「閣下が黙ってろっていったんですぅ!」
「んああ、そう」
榊原という男は面倒臭そうに言葉を返した。
大仰に喚く『仮面』こと望月の五月蝿い事には辟易している、付き合いの長さからくる気安さか、あるいはぞんざいな扱いとも察せられる。
「で!? 運ぶのはどちらで!?」
「いつもの地下で頼むよ。この歳だとねぇ、重い物を運ぶのは、んまぁ大変で大変で……。望月クンも年寄りを労ってほしいね?」
「けっ! ぺっぺっ! かしこまりましたぁー!」
「んーそんなところですかねぇ。票田はこちらが上手くやっておきますんで、熊狼さんも頼みますよぉ?」
「ああ、では……いや、あと一つ」
「んー? どうしました?」
「あの九号に見られた」
「……ほお」
「そちらも気をつけろ、特に」
「地下の場所は、ですか」
「本人が来るかもしれない、ということだ」
「んなぁーるほど。んでは警備と妨害でも出しておきますかね、見られたのは遊説中でしたか?」
「そうだ……それと、姿が変わっていた」
「おんやぁ? 何か変わった事が? とびきり頑丈な造りにしてあるんですけどねぇ」
「……グレイや紅屋にも後で報告するが。あの九号が、女性になっていた」
「ん??」
「高校生程の、娘の姿に」
「んんー??」
───☆
「ッくしょォい!?」
「……太陽くん」
「あー……下手な話でもされてねえよな」
「せめて手で抑えて」
「いやハンカチが間に合わなかったんだよ。悪ィな、そっちに飛んでねえか?」
「こっちに向けても良かったのに」
「レイリーは難しい事を言うな……?」
噂されるとクシャミが出る。というのはマジだったりするのだろうか、少なくともお天道サマが眩しいから出た訳じゃない。
あっそうそう、眩しくてクシャミが出る人って三人に一人くらいの割合らしいぞ。そう考えると結構多いな?
それはともかく。
本日はあの天狗野郎と会った翌日、とうとう覚悟を決めて、ある事をする為に外出している。
様子としてはお供としてレイリーに付いてきてもらって、ついでに買った私服でお散歩って感じだ。でも、話はそんなに気軽じゃあない。どうしても覚悟ってモノが必要だ。清水の舞台から飛び降りるレベル。
何で覚悟が必要か?
それは単純ッ!
「先に私が入ろうか?」
「い、い、いや平気だしィ?
何の事でもねえよ、だって通い慣れて働き慣れたバイト先に入るのに、そんな今更緊張なんてさぁ」
「してるでしょ」
「……まぁ、うん……」
こんなナリになっちまったと報告する為だよ。
当然じゃん、緊張するに決まってるじゃん。何をどう間違えたら、清廉潔白な好青年こと俺が女になったなんて言えるんだよ。
日帰り旅行でモロッコにでも行ったのかって話だろ、もしくはベトナムとかか? 日帰りは無理があるだろ、しかも性転換ツアーってどうしたんだよ。自分を見失いがちなモラトリアムでも、性別が変わるなんて聞いたことねえよ。大きいオスがメスに変わるっていうカクレクマノミじゃねえんだから。
「心配なの?」
「……そりゃあ、さぁ」
どうでもいいような事を考えている頭を冷やすように、レイリーが静かに言ってくる。
心配かと問われれば、どちらかというと心配よりも怖い、という方が正確だろう。颯が早々に事実を受け入れた事だって驚いてるよ、レイリーもそうだけど。異様に早く受け入れてくれたと思う。
そう。今の俺は誰がどう見たって別人だ。
奇異の目で見られる事が怖い、それだけじゃない。もしも、あの人たちに拒否されたらどうしようなんて考えが浮かぶ事が恐ろしい。
受け入れてくれたとして、今まで通りの期待に答えることはできるだろうか、とか。重荷に感じられたらどうすればいいのか。そんな事ばかり考える。
「大丈夫だよ」
「……何がだよ」
「心は変わってないから」
この小さくて白くて可愛い感じの同級生について、俺は舌を巻く事がある。稀に発揮されるとんでもないスキルとか身体能力についてじゃなくて、レイリーの観察眼と、ハッキリと物を言う事だ。
青い花みたいな目が、真っ直ぐに射抜いて来る。
「メリーさんも、環さんも、所長も。わかってくれるから大丈夫、それでも不安なら保証してあげる」
「……そりゃどうも」
我ながら情けない、まったく情けねえよ。ちっこい同級生にこうまで言わせて覚悟を決めないなんて、それこそ馬鹿馬鹿しい。ダメ人間まっしぐらだ。
事務所の入り口が見えてきた。怪し気な色合いの入ることを躊躇うようなピンクが派手な看板が目印の。
颯や事務所の人たちより付き合いが短いってのに、まったくさぁ。レイリーって。
「頼りにしてるぜ?」
「任せて」
でっかい背中してるじゃんね。
物理的にじゃないぞ、精神的にな、精神的に。
「えいっ」
「痛え!?」
「失礼なこと考えてたでしょ」
察しがいいなァ!
ここまで御読了有難う存じます。
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