はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です!   作:枯華院 清日

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人面魚と日常

 

 

──ビタン、ビタン。

 

水分を多いに含んだ何かが地面にぶつかる音。

 

───タッ、タッ。

 

それに遅れて響く靴音。

 

夜、誰かが何かを追っている。

 

「…ァァア!」

 

遠い怒号が民家を揺らす。これは水音を追っている人間のものだ。

 

「はっ…はっ…!」

 

荒い呼吸は追われている何かのもの。

何故追われているのか?

 

「止まれマグロ覗き魔ァァァァ!!」

「違うんですぅ!止まれないんですぅ!誤解ですぅ!」

 

追われているのは除き魔だった。

しかも手足の生えた魚。

 

「警察に突き出してや、るッ!」

 

追いかけながらの投擲、投げたのは魚用の網ではない。いわゆるボーラと呼ばれる物だ。

長めの紐の両端に重しを付けた物で、狩猟道具だったが。相手を傷つけずに足を止めるに適している。

 

しかも職務質問をされてもアクセサリーと誤魔化せるオシャレな優れものだ。本当に偽装用として紐自体はピンクで各部にはハートや星がデコレーションされている。いくらなんでも無理があるとは言ってはいけない。

 

魚の癖に素早く二足走行する対象の足に絡ませて、転倒させる為に投げられたそれの狙いは上々。

 

「ギョエー!?」

 

俺の投げたボーラはしっかりと足に巻き付き、変態魚を見事に取り押さえる事ができた。

 

まさか魚だけにギョエーってか、やかましいわ。

 

 

 

話は数日前に遡る。鮭の遡上かな?

 

 

 

 

都内の新しい公立学校、公立にしては珍しかった中高一貫校で。人口が減ったからではなく、管理のしやすさから最近は増えたらしい。

偏差値は少し高め。入学の経緯は簡単で、安く済むから。出来るだけ安く済ませなくては養父に申し訳ない。

 

それでもやっぱり費用は掛かるので、高校生になってからはどうにか特待生になれた。もちろん学費免除目当てだ。

入り直しってことで特待生入試に面接も大変だったし、学力維持も現在進行形で大変だが…まあそれはいいか。

何にせよ、俺は真面目な高校生ってわけ。

 

あの地獄みたいな孤児院から拾い上げてくれた養父にこれ以上迷惑は掛けられない。住む家に飯代まで面倒を見てもらってる。

せめて小遣い程度は自分で稼がなくっちゃな。

 

 

 

「こんちわー」

 

タイムカードを印字しつつバイト先の事務所で挨拶する。中学の頃から働かせてもらっているが、表にある看板…というか事務所の名前は何度見ても未だに慣れない。

 

 

【愛に溢れる探偵事務所】

 

 

これが正式名称だ。

ビルの入口に置いてある看板には白と桃色で描かれたポップな字体、デザインはうちの事務員さんが決めた。名前と合わせて、いかがわしい店と勘違いさせたいのか…?

名前そのものは所長と所長代理が話し合って決めたらしい。なんでも電話帳の1ページ目を狙えるからだとか。

 

もう少し誰かのセンスがまともだったらなあ!

 

紹介してくれた養父と俺を受け入れてくれた所長達には強く言えないが、本当になんとかならなかったのか。面と向かっていつか言いたい。

 

「太陽くん。こんにちは、今日も早いですね」

 

事務員兼電話番兼受付のフォンセルランドさんが返してくれる。

だが油断してはならない。

 

「事務所に来るのが早いのはいい事ですが“いく”のが早いのは…」

「まだ夕方ですよ、病院行きますか?」

「そんなっ…この子をどうしようって言うんですか!」

「身に覚えがねぇし、あんた人形でしょ!?」

「あっ差別ですか? 都市伝説差別、いいえ人形差別?」

 

急に下方向に急加速しだすフォンセルランドさん。

フルネームはメリー・フォンセルランド。

有名な都市伝説『メリーさん』の一人だ。

容姿はメリーさん達にしては珍しく、八頭身の肉感的なメリハリのある体型で目も覚めるような美人。

枝毛一つない蜂蜜色の髪に、青空を固めたみたいな瞳。肌は陶磁器と同じ白でシミ一つ無い。

見た目は完璧な人だ、見た目だけは。

 

「いいんですかぁ〜? こうなったらDVとして出るとこ出ま…で、出る…!? 何を出すんですか!?」

 

基本的に、普段の発言は最低そのものだ。

本気で出るとこに出たらセクハラで勝てると思う、俺がな。

 

「所長…はともかく、代理は居ないんすか?」

 

相手にしだすとキリが無いので、適度に無視しつつ責任者の所在を聞く。適度というのがポイントで、完全に無視すると拗ねる、しかも無表情でツーンとかプンプンと口で言い出す。

表情を変えるのは疲れるので仕方ないらしい。

自己申告では生来のお喋り好きらしいので、ガン無視するとあっという間に機嫌を損ねる。

 

「所長はいつも通りそこです、代理は天気が良いのでお散歩に行ってしまいました。そろそろ帰ってくるでしょう。ところでお散歩って平仮名にしてから一字だけ反転させると楽しくなりませんか?」

「なりませんけど? 言語を引き合いに出すタイプの国辱っすか?」

「国を…辱める…? 太陽くんはレベルが高いですね…」

 

発想のレベルが高いのはアンタだよ、高すぎで上限からループして地面に埋まっちまって最早地下だよ。下ネタだけにちょうどいいな。

 

「所長!當真太陽出勤しました!」

 

アホ人ぎ(呪うぞ)…ウッス…。

頭に響く声の主を横目に見つつ、所長に挨拶をする。

コイツ直接脳内に…!

 

「あぁ、今日も元気で何よりだな」

「それが取り柄っすよ」

 

ふ、と軽い笑い声がノートパソコンから俺の鼓膜を震わせる。相変わらずダンディズムに溢れた重低音だ。

色々あって、この探偵事務所の所長は月に一回しか人前に出られない。今も別室からこうして声だけの状態で、俺やフォンセルランドさんに指示を出したり、そうじゃない時は依頼の整理や書類作成に会計処理なんかをしてくれている。

 

残りの所長代理の仕事?

座ってるだけか、飯食って寝てるか…たまに依頼人と仕事の話かな…。本当にたまに…。

 

事務所そのものに顔を出さなくても多忙な所長。

言葉にはしないが、俺には父親が三人いると思っている。

 

一人は本当の父親、二人目は養父、三人目は所長だ。距離感としては養父より近いので、仕事の時以外はおやっさんなんて呼んでたりする。

 

どことなく出番の無くて寂しげな所長のネームプレート、刻んである三人目の父親の名前。【犬飼 歩】の字を綺麗に拭いたら、俺の仕事の開始の合図だ。

基本は掃除とかの雑用だけどな。

 

「太陽、仕事の依頼が入っている。掃除は手早くでいい」

「えっ…どっちのです?」

 

どちらか、というのも。この探偵事務所に入ってくる仕事は大まかに分けて二種類ある。

 

一つはスタンダードな探偵業。

浮気調査・人探し・身辺調査・猫探し・ストーカー対策…他にもあるけれど普通の探偵業だ。殺人事件の独自捜査とかはしない、名探偵の真似事をしたら捜査妨害か捜査撹乱の公務執行妨害でほぼ捕まるので注意しよう。

 

もう一つは。

 

「…噂絡みの方だ」

 

 

 

 

 

噂話、都市伝説、フォークロア、民間伝承。

他にも似たような意味の呼称はあるが、この日本で重要な点は呼び方や厳密な定義じゃない。

 

誰かがそれを言い出して。

誰かがそれを信じてしまったら。

それは現実になってしまう。

 

人数や存在、内容によっては物理法則も関係無い。

アメリカでも宇宙人が出たという話は聞いたことがあるし、今日も円盤型のUFOを見た。

マジでふわふわ浮いてる。悲しいことに今日び珍しくもない日常の光景だ。

確認出来てるならUFOじゃないとは言うが、乗ってる宇宙人は別にいいって言ってたから大丈夫だ。

 

現代の忍者だって名刺交換する程度には忍んでない。というかそこらで火遁とか使って火事にしかねないから、よく職務質問されてる。

 

火遁や水遁の遁は遁走の意味で、火や水を使って逃げる技術だと歴史の先生から教わったが。その時に教室の外を見たら学校の校庭が大いに燃えていた。

サッカーのゴールからゴールまで、つまり校庭のほぼ端から端までそれはもう派手に燃えてた。

 

どうやら悪の忍者軍団の一人が火遁を使ったそうだ。直後に正義の忍者が通りがかって水遁で鎮火してくれたので大事にはならなかったが。

 

いや忍べよ。

人の学校の校庭で激闘忍者大戦してんじゃねえよ。

せめて他の所でやれ、世界忍者戦にしちまえ。

 

話が逸れた。

しかしこれも忍者が悪い。卑怯な忍者め!汚いぞ!

いや卑劣な忍者の仕業かもしれない。

俺…許せねぇってばよ…!

 

「太陽? どうした?」

「あ、その、何でも無いです…」

 

意識が盗まれてしまったみたいだ。

恐るべし忍者。

うわの空だった俺を見てクスクスと無表情で笑う事務員兼受付嬢に非難の視線を送りつつ仕事の内容をもう一度聞く。

 

「特定の曜日、特定の時間帯に女性のみが。不忍池の側を通ると池の中から視線を感じるそうだ」

「忍者っすかね?」

「いや…話を聞く限り、竹筒すら無かったのでその線は薄い。機械の作動音や水面に反射も無い、ただ何者かの視線のみが有る。

なので池の調査と、現行犯がいたら捕まえてほしい。という依頼だ」

「ははぁ…」

「メリーか、事務所に居たら環を連れていけ。特定の曜日は明後日の土曜日、時間は夜九時頃からだ」

 

環代理は無理じゃないかな…。

でも下ネタ放出受付嬢も嫌だな…。

一緒に歩いてる所を友達に見られて、噂されると恥ずかしいし…。

 

「選びなさい太陽くん。あなたの恥ずかしい写真を撮って学校に貼り出すか、それとも私の恥ずかしい写真にあなたの名前を書いた物を学校にばら撒くか」

 

また心の声が聞こえてたのか、フォンセルランド嬢が急にブッ込んでくる。その二択おかしくね? 俺の学校での立場が死ぬだけじゃん。

 

「ちなみに私はどっちもワクワクドキドキするからオッケーメリよぉ…メリメリメリメリ…」

 

なにその笑い方…押しつぶされる擬音かよ…。

ホラーじゃねぇんだからさ…そういえばこの人、元はホラーな存在だったわ…。

 

 

 

 

 

そして土曜日の夜、時間は夜の九時五分前。五分前行動は基本だな!

 

ありがたい事に探偵業の経費は、大体依頼人への料金に加算されて自分の懐に戻って来る。俺みたいな真面目な貧乏学生にはなんとも助かるシステムだ。

夜中の不忍池までの電車の運賃も経費に計上してくれるし、万が一の備えも同じくって訳だ。

今回必要そうな備えは捕獲用の派手なデコ済みボーラーと、えらく溶けやすいオブラートに包んだ粉ワサビ。

どんな相手かは目星がついてる。

 

「あたし生魚は嫌だにゃ〜」

 

語尾に猫感マシマシで、遠回しに仕事の手伝いが嫌だと言ってくるのはうちの所長代理。

名前はタマじゃなくてタマキさん、漢字で書けば環さん。名前はまだ無い、戸籍はある。

仕事じゃない時はタマさんと呼んでいる。

 

夜なのもあり、彼女の綺麗なエメラルドグリーンの瞳孔がうっすら光って。黒いスカートスタイルのスーツと黒髪が合わさって目だけ宙に浮いているようで、ほんの少し不気味だ。

 

「食うわけじゃないですし、何より好き嫌い言っちゃダメっすよ。普段からカリカリも食べなきゃ太りますよ」

「ちゅぅるだけ食べて生きていたいぃ…」

 

タマさんは猫又だ。

二十歳を過ぎた猫は妖怪になる。そんな民間伝承から猫又になったこの人は、元は野良猫だったが所長に拾われて飼われていたらしい。

初めて人間の姿になったのは十年程前で、まだ猫の習性があまり抜けないと言っていた。

猫の年齢を人間換算して何歳かを推測するのはやめておいた方がいい、気付かれたらバリッとやられる。

 

自由に猫の姿にもなれるから事務所から抜け出してはどこかをほっつき歩いている事が多い。誰も咎めないどころか、うちの事務所は猫用出入り口も完備だ。

現在人間状態で並び歩いてくれてるのは、昼寝していたタマ代理に俺が全力で懇願したからだ。

協力報酬はちゅぅる三十本、つまり一ヶ月分。支払いは俺のポケットマネー。こいつはとんだグルメキャットだぜ…!

 

「そんじゃあ、そこらを何周かしてみましょ」

「少ししか手伝わにゃいよ」

「…まぁいいですよ」

 

これから猫の手も借りたい事態に発展するとは思うが、肝心の猫様が乗り気でない。

フォンセルランドさんを連れてこなかったのは、本気で下ネタ祭りが嫌なだけではない。どの状態であろうと代理の方が身軽で足が速いからという理由が大きい。

 

断言出来る、今回の相手は人面魚混じりだ。

被害にあった女性たちの一人、依頼人のその話を整理すればわかる。

 

誰もいないはずの池の中からの視線に気付いた女性が周囲を見渡しても何もない。

水中に普通の人間が隠れていたとしても、水面を揺らす事なく。相手が諦めるまで何分もじっと潜んでいられるか?

例外としては忍者だが。呼吸用の竹筒も見つからなかったしカメラの類も無さそう。

ということは、何分も水中に居られて。更に人間の女性を見て興奮する人間のような感性を持った存在。

 

そう、人面魚混じり以外ない。

 

真面目な顔してるけど、普通、忍者はいないって?

俺たちの日本にはいるんだよ!!

ホントだもん…俺ニンジャ見たもん…。

 

 

 

 

日本では○○混じりと言われる現象。あるいは状態。

これは人間が何か別のモノになってしまう初期段階を指す現代の言葉だ。

 

あいつ魚っぽいよな。

 

そういう個人に対する噂が立つと、人が変わる。慣用句的な意味じゃなくて、人間が変化していく。速さには個人差があるが、少しずつ体そのものが変わってしまう。

どのように、どこから、というのはわからないが。とにかく魚っぽいと言われると体のどこからかヒレが生えたりしていく。

 

唯一わかっているのは、噂が現実になるというだけ。

人形を媒体にするメリーさん、長生きした猫が成る猫又。どんなメカニズムかはわからないが、何もない所から何かが生えたりもしてしまう。

 

しかも対策出来なければ辻褄さえ合うようになる。

あそこのバーのマスターは実は殺し屋で…。という噂が立ってから、否定することなく過ごしてしまうと。

元殺し屋のバーの店主として。何故か狙撃技能は身についていて、店の何処かに銃器が隠してあって、地下には使い込まれた射撃訓練所が存在してしまう。

存在しない記憶が実在する思い出になるのもよくある話ってわけだ。

 

これが混じりと言われるモノの末路。混じりそのものは風邪のひき始めとでも考えておいた方が楽だ。

難しい話は専門家に任せよう。

 

「んんーん…」

 

まずい!無言のまま歩き過ぎて、放置された所長代理が退屈してる!

くっ…煮干しもかつお節も手持ちに無いぞ…。

ちくわさえ持ってねえ!

 

「んー…」

「代理…!?」

 

いつの間にやら出してる尻尾をくねらせてる。あと池の周回一周分は保ってくれ。

あれ、この人自分の服装忘れてないか?

尻尾穴の無いスカートを股の間から出して動かしたら捲れるぞ? これだから猫はさぁ!

 

「ん?」

 

声と共に代理の動きが止まる。

そのまま頭だけ動いて、緑の眼光がこっちを向く。

これは…!

 

「…!」

 

水面へ向けて、ワサビを。

 

「シュゥゥゥッ!」

 

投げた。

超!エキサイティング!

 

「アアア!? 痛!? 辛!? アアァイィ!?」

 

代理に当たらないように放り投げた粉ワサビ、生態系や水生生物には申し訳ないが。変態系の水棲汚物を捕まえるためだから許してほしい。

 

そして地上に跳び上がって来た…この…なんだ? マグロを縦にして人間の手足を着けた人面魚?

 

これもうただの魚人じゃね?

マグロでいいか。いいよな?

(どうでもいいにゃ)

サンキュー代理。

 

そうして、危険を感じて走り出したマグロを追いかけて、話は冒頭の場面になったってワケ。

 

捕獲した後は警察を呼んで現行犯逮捕。俺は警察官にマグロが連行される写真と交番での自供を書き起こした物を手にした。

影の功労者、餌そのものの役をこなしてくれた頼れるタマ代理は直帰である。

お疲れ様でした。

 

これで一件落着だぜ!

…この写真、築地めいてるよな。

まぁいいか!もう夜遅いから帰って寝る!

 

 

 

 

マグロを追いかけた翌朝、探偵事務所にて。

 

「おはようございまーす」

「あら、おはようございます。本当に早いですね太陽くん、本当に早いですね」

「なんで二回言ったんすか?」

「そんなにお姉さんに会いたかったんですか?」

「話すり替えてる!」

 

朝から絶好調だなこの人。

朝早くに事務所に来たのは休日出勤手当てが欲しいからでも、観葉植物に水やりしているフォンセルランドさんに会いに来た訳でもない。

 

さっさと昨夜の報告書を仕上げて、依頼人を安心させたいからだ。ああいった奴のせいで不安な日々を過ごす人がいるなんてのは、納得いかない。

関係無い話だが。自称お姉さんことフォンセルランドさんの見た目は十代後半か二十代前半にしか見えない、でも本当はお姉さんなんて可愛いもんじゃな。

 

「ジョウロが滑ります」

「は!? 冷った!!?」

 

言い切りの形の言葉と同時に水の入ったジョウロが頭に投げつけられた。爽やかな朝のシャワーにしては冷たすぎるぜ…。

いや頭が物理的に冷やされたけどおかしいだろ、ジョウロは勝手に滑らねえよ。手か足を滑らせろ。頭を冷やせって言うのも頭に水をぶっかけろって意味でもねえよ。

 

「太陽くんはデリカシーが無いですね」

「嘘だろ…一番言われたくない人に言われちまった…」

「えぇっ! そんなに私が好きなんですか!?」

「そっちじゃねぇー」

 

このバイト先で相手をしている俺の頭がおかしくなるか。それとも風邪か何かで体を壊すのが先かのチキンレースをしている疑惑が浮上してきたフォンセルランドさんは置いておこう。

出来れば数時間は物言わぬ置物になっててほしい。

 

 

 

 

祈りは通じたのか、およそ二時間は会話の無い空間で報告書作成に集中できた。あとはこれに代理か所長の印鑑を貰えれば完成だ。

その前に乾ききってない水浸しの床を掃除しなきゃ。やだ…変な仕事が増えてる…これも都市伝説どもか忍者の仕業か…?

ここからは俺の推測になるが、これは都市伝説どもの線が濃いな、特にクソデカい人形系のヤツが関わってる感じが匂い立ってくるぜ。

 

「フォンセルランドさん、昼飯とかいります?」

「あー…んー、コンビニなら新商品があれば。ドーナツ屋さんならいつもので」

「了解です」

 

突如出現した仕事の前に軽く昼食を摘もうと思った。具体的には十秒チャージで二時間キープなアレをイートインスペースで流し込みたい気分。

 

よくあるやり取りだが、今日は珍しい返事が届く。

フォンセルランドさんに食事は必要ないし、眠ることはそもそも出来ない。元は人形だからだ。

必要ないけれど、飲食自体は可能で味も楽しめる。だからこうして、たまに買ってきた物を食べたりはする。

俺よりも早く事務所にいたのも、家に帰らず、寝てもいないからって理由だろう。

 

それらがどんな気持ちになるのか聞いた事は無い。表情や顔色が変わることの無い人でも、見えないだけで落ち込むこともある。

ある程度の付き合いだから、どんな状態かは雰囲気でなんとなくわかる。口と声色では普段の危ないネタを普段みたくぶち込んで来ていても、雰囲気とチグハグな時があったりする。俺より複雑なんだろうな。

 

いつもは何か買ってくるか訊ねても、結構な割合で要りませんとハッキリ言われるんだが。何か口に入れるってことは、今日は少しテンション高めな日だ。

 

食べた物がどうなるかは…今はいいか。

折角だからドーナツ屋に寄るかね、人間…じゃなくても笑顔が一番だ、表情からはわからないけどな。

 

 

 

「はい、詳しくは報告書に。はい、もう大丈夫ですよ。…えぇ、お待ちしております」

 

電話での話し声が聞こえたので静かに事務所に帰ってきた。普段と違う凛々しい声、所長代理が話していたようだ。

そう、珍しいことにタマ代理が働いていたのだ。これぞまさしく我らが探偵事務所の環所長代理である。普段から働いてくれと思わずにいられない。

 

ちなみに所長は日曜日のみ全休。疲労も眠気も感じる普通の体なのに働き過ぎに定評がある。代理と所長でバランス取れて…無いわ。

おやっさんはせめて週休二日にしてほしい。過労で倒れたら泣くぞ、俺が。

 

「フォンセルランドさん、どうぞ」

「あら…わざわざ買いに行ってくれたんですね。ありがとうございます」

「えぇー? あたしにはにゃいのぉー」

「さっき居なかったじゃないですか」

「もっかい行ってきてぇ。缶詰め、ダッシュで」

「俺の机の中に煮干しとピーナッツのヤツ入ってますから、それで勘弁してください」

「チッ…シケてんにゃあ」

 

これパワハラじゃね?

しかもほぼカツアゲされてるんですけど? 八割くらいカツアゲされてるんですよ? ここから入れる保険ってありませんか。

 

「まぁいいや、報告書は大丈夫だから太陽はもう上がっていいよ。その水たまり片付けたらにゃ」

 

えっ…この事務所、何か変。

窓はあるけど人間ぶっ集りゾーンと人間ぶち濡らしゾーンがある…。

間取りだけじゃなくて事務所の名前も変だな?

 

「はぁ…了解っす…」

「太陽くん、がんばれ♡がんばれ♡」

「大部分あんたが悪いんですけどねぇ!?」

 

水たまり作成者からの声援を受けつつ掃除をすることになった。応援じゃなくて手伝ってくれ…。

 

帰ったら明日の学校の予習復習しなきゃな。

その前に養父の分を含めて料理を作っておくか。温め直すと美味いのと冷めても美味い弁当用で、主菜をどうするかな。きんぴらごぼうとひじきの煮物、冷凍してあるほうれん草を巻いた卵焼きで副菜は良いだろ…。

 

 

 

そんなこんなで俺の日常は過ぎていく。

噂が関わる事件も、そうでない事件も、この日本ではよくある事だ。

 

 





メリー・フォンセルランドの好物

紳士ドーナツ店のドーナツポップ8個入り(以前は6個入りだった物)
理由は小さくて色んな味が楽しめるから。
実は甘くて小さなアソートタイプの甘味はだいたい好き。
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